この文章は崎田さんから送られて来たメールをそのまま転記したものです。

改行、強調などは私が勝手にしました。

20thアニヴァーサリー 18日 夜

 その夜のメイン会場はホテル内のスピンドリフターという

カントリー・バー。

少し早めにいった為まだ通常の営業をしており、

土曜の夜ということもあってか

地元のカントリー親父達がくつろいでいる。

我々が入っていくと明らかに浮いている。

フロアではカントリー・ナンバーに合わせて踊っている人も多い。

周りの怪訝な視線はまるで「48時間」のエディ・マーフィーにでもなった気分。

その時、昼間パークで知り合ったポール・エイブラハム

(彼はスキナードの元ツアー・マネージャーで今は

マイク・エステスのドライヴィン・サイドウエイズを手がけている。

前回のスキナードの来日時に同行し、日本ではネクタイを締めた客が多い事を不思議がっていた)

が我々に声をかけてくれ、

周りの人達に我々の事を説明してくれた為、皆暖かく接してくれた。

 ビールを飲みながらしばらく待っているとジャム・セッションが始まった。

スキナードゆかりのローカル・ミュージシャン達が次々にステージに上がり

熱いそれでいてリラックスしたサザン・ロックの真髄とも言えるプレイを繰り広げている。

いつにまにか会場は超満員

客は飲んだり騒いだり踊ったり話込んだり、皆思い思いのスタンスで楽しんでいる。

日本で観られるような、

または最近のバンドのライヴのようなステージに集中する信仰宗教の集会の様なノリは皆無だ。

 ポールは我々に元モリー・ハチェットのバーナー・トーマスを紹介してくれた。

彼もプレイするらしい。

ジャムの合間にオークションが行われ様々なレア・アイテムが結構な値段で競り落とされて行った。

このアイテムについてはフリーバード・ファウンデーションのページを見てください。

ジャムは延々と真夜中まで続き、スキナード・ナンバーがプレイされると案の定大合唱になる。

38スペシャルのジェフ・カーリシや前述のバーナー、

マイク・エステス率いるドライヴィン・サイドウェイズ

そしてアーティマス・パイルもステージに上がる。

名前は忘れたがアトランタ・リズム・セクションのメンバーもきていたはずだ。

 ホテルのミーティング・ルームでは涙なくしては見れないような

メンバーの遺品やゆかりの品々が展示されていた。

アレンのエクスプローラー、スティーヴの黒のレス・ポール

ロニーの帽子、ホンケッツの衣装

「ストリート・サヴァイバー」のジャケ撮映時のアレンのTシャツ

数え切れない程のメモリアル・アイテムだ。

 ステージでは延々とジャムが続いている。実に濃い一夜だった。

続く