この文章は崎田さんから送られて来たメールをそのまま転記したものです。
改行、強調などは私が勝手にしました。
16日昼
暴風雨のなかやっとの事でフリーバード・カフェに到着。
もうすでにライヴ・イヴェントは 始まっており、二番目のバンドサンダー&ライトニングが演奏していた。
夕べよりは少ない気もするが、それでも結構人が集まっている。
「どこへいってたんだ?」
「パークへ」
「この天気でか。クレイジーな奴だ。」
昨年、一昨年とパークで行われたイヴェントはノン・アルコール(フロリダ州法では野外での飲酒は禁止)だったが、
今年は屋内のため皆昼間からビール、ウイスキー、カクテルをぐいぐいやってる。
見知らぬ男性や女性が声をかけてくる。
「去年会ったな。」
「一昨年会ったわねえ。」
全く覚えて(,! Jいないが適等に話をあわせる 私。
「そうそう、ひさしぶり。」
「今年もきたのか。」
「お前はナンバー・ワン・スキナード・ファンだ。」
「やっぱりお前はクレイジーだ。」
「まだ英語がわからんのか」
ええい、なんとでも言ってくれ。今日も飲むぞ。
レイシーとマリオンも元気だ。
「こんにちわ。今年もきましたよ。お元気ですか。」
「おう、お前か。今年で3度目だな。よう来た。よう来た。楽しんどるか。」
今年もレイシーは 著書を売っている。商売人やなあ。
皆、毎年買ってるのかなあ、と思うほどよく売れていたが。
ジュディは空いたグラスや食器を下げてまわりながら、皆に声をかけている。
「楽しんでる?」
メロディは店の従業員にてきぱきと指示をあたえながらもにこにこと楽しそうだ。
ちなみに店の従業員の皆もフレンドリーな奴ばかり。
「日本から来たんだって。凄いなあ。 始めての日本人客だ。」
当たり前やろ。
「日本でもうちの店を宣伝してくれよな。」
「わかったよ。これから日本人のスキナード・ファンが来たらそれは俺の友人だから歓迎してくれよ。」
「勿論だ。」
こうして私はフリーバード・カフェ極東地区宣伝マンにされてしまった。
そうそう、店の女の子も若くて可愛い子ばかりだよ。
来てる客は20年前はおねえちゃんだった人ばかりだけど。
バンドの話に戻ろう。このサンダー&ライトニングというブルース・バンドはやたらと若い。
10代のバンドらしいが腕はなかなかのもの。将来が楽しみだ。
やっぱり本場は違うわ。と感心しているとドミニクとマーティンが言った。
「知っているか。あのギター、16才でどうやらジュディの息子らしいぞ。」
「ええっ。じゃあ父親はジムか?」
「いや、その前の旦那で38スペシャルのドラムのジャックだ。」
う〜ん。ややこしい話だ。
つまりはジュディはロニーと死別した後ジャックと再婚して、離婚した後ジムと再婚したのか。
しかしこの,! 息子ええ腕しとるなあ。やっぱりカエルの子はカエルやなあ。
この後にヴァン・ザント一族がステージ上でなにやら挨拶。
故スティーヴ夫人のテリーサと娘のコリーナも登場。
誰の娘か聞き逃したが、ヴァン・ザント一族の中の1人の女の子がアカペラでアメリカ国歌を歌い大歓声を浴びていた。
なにやらこの瞬間だけは疎外感を感じたな。
しかしこの後ジュディとメロディがステージ上で何やらしゃべっている。
「〜〜ジャパン〜〜KENICHI〜〜」とだけ聞き取れた。
2階から観ていた私のほうを皆が見上げて大歓声。
なんかわからんが手を振っとけ。! ! $B3'、降りてこいと手招きする。
あわてて降りていくとジュディが私にロニーのポートレイトを手渡してくれた。
どうやら海外から来たファンの熱心さを称えて表彰してくれているらしい。
その一番目に私の名が呼ばれたらしいのだ。感動。はるばる来た甲斐があった。
思えば5年前、思い切ってロニーの墓を探してジャクソンビルへやってきて、必死で地図とにらめっこしながら探し当てた。
しかし、命日だというのに誰も居なかった寂しさ。
その後ネットでブライアンと知り合い、20周忌イヴェントに参加。その翌年も。! ! $B$=$7$F今年も。
1年がかりで金をため、無理して休みをとってろくに英語もわからんのに渡米し続けた私の道楽が実ったような気がした。
この瞬間は風邪はどこかへとんでいってしまってた。
私に続いてドイツのマーティン、フランスのドミニク、オランダのハンス、ETC...と紹介され表彰されている。
インターナショナル・スキナード・フレンズだ。
『続く』