毎日のことば抄    Daily abstract

10月31日(金曜)

全ては一本の糸の上にある

分けられない

あなたの責任、わたしの責任

分けて考えるから、不調和と不効率と不幸が生まれるのではないかな?

すべては、一本の糸のうえにある

その一本の糸は過去と未来をつないでいる。

(←)いつもの散歩道 、桜並木紅葉をはじめています。

10月30日(木曜)

魂、心、体がひとつになっている

たましい、こころ、からだがひとつになっている。これがアイデンティティが確立された状態、いわゆる、まにんげん。

そういえば、この世には真人間とそうでない人間はどのぐらいの比率で存在するのだろうか。素朴な疑問。

世にゆうニッパチの法則で、2:8だろうか?

ところで、昨夜のNHK,クローズアップ現代で、社員を大事にしている会社が安定的に伸びているという事例を紹介していた。SASインスティチュートが事例として取り上げていたが、社内託児所、社内スポーツジムなどは報道しやすいシンボルとしても、普通の社員が働きやすい環境であることは感じられた。そして、ニュースアンカーの国谷さんが、「会社はまだまだ人材を生かしきっていない」と主張するスタンフォードの学者、ジェフリーフェファーの著書、Hidden Valueを紹介してくれた。

早速、調べてみると、既に邦訳されている。「隠れた人材価値」が邦題で翔泳社から出版されている。

どうも、この本によると、現代のエクセレントカンパニーはニッパチの法則にあてはまらないらしい。私も、それは可能だと思う。そして、それこそが、アイデンティティの確立された会社。

CI=Corporate Identityの確立された会社に真人間が集まる。

類は友を呼ぶの法則です^^

 

10月29日(水曜)

魂、心、体がちりぢりになっている つづき

たましい、こころ、からだが散り散りバラバラになっているから疲れる。これが一体になっていると疲れない。

 

10月24日(金曜)

(魂)、(心)、(体)がちりぢりになっている

この責任は脳にある。頭であれこれ考えるほどに、根本的な方向から遠ざかる。そして、対症療法的な方法が見えてくる。ちがう。違う。チガウ。

感性こそ羅針盤。

そして、今日はこんなことがわかっている経営者と意気投合した。意気投合などという言葉を使うのは、実に7年ぶり。

みんな、あきらめるな。

 

10月23日(木曜)

ドイツで音楽の勉強をしている1980生まれの女性・大崎まりあさんの視点

So. 19. Okt. 03

ここ数日間ウェブ+メイルサーバーで問題が発生したらしく、アクセスできませんでしたね。ドイツ式に、わたしのせいじゃないもーんってことで、「お詫び」という言葉を使わないで表現してみました☆っということで、せっかく週末でお返事ラッシュにしようと思ってたのにできないままに日曜日になってしまいました。この対応の遅さってあり?こんなもの?とりあえずお詫びまで(詫びてんじゃんか)。

このまりあニュースに拙者が思ったことを書き込み、まりあさんから返事があった。読んで、ちょっと地球が小さくなった。良い意味で。親しめる。以下、その部分を引用。

 「お詫び」という言葉を使わない /三上紘司
ドイツ人もそうなんですか。
若い頃に、米国の調査会社と共同でオーディオテープの市場調査をしたとき、「それ間違ってませんか」と指摘すると、普通、日本人は「お詫び」がまず来るのですが、「You are right」という返事だったので面食らいました。


No.1478 2003/10/22(Wed) 12:17

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  そうなんです。びっくりなのですが。 /まりあ

三上さん、おひさしぶりです。お元気でいらっしゃいましたか?

ドイツへ来て始めは、ドイツ人はこう、欧米人はこう、と思っていたのですが、あまりにも日本とは違う発想の人間が広大な土地に住んでいるのを知って、日本を軸に「外人は違う」と考えることを停止しました。
むしろ、こちらの価値観が「ごく一般的」で、日本のそれが「一風変わっている」と理解した方が、世の中よっぽど平和に運ばれる、と悟ったからなのです・・・(笑)
でもこれは本当にそうで、例を一つあげると、今日は中華、明日はイタリアン、なんて献立が食卓に並ぶ日本は、欧米のことを「保守」と思うけれど(本当は中国だって韓国だって、毎日自分とこの料理しか食べてないけれども)、その多様な食文化ってのは他に類を見ないわけでして、そっか、他が「保守」なんじゃなくって、うちらが「多様」なのだ、と分かったわけでして、そういうことが山ほどあります。

なので、「お詫び」に関しての解釈も、日本人にとっては、「アメリカ人もそうだけど、ドイツ人もそうなのか!」と思えますが、実をいうと「お客様は神様」という価値観を持っている日本人てのは、地球上見てもすごく珍しいことで、とりあえず私の知っているところでは、ヨーロッパにはそんな思想は皆無ですので、どっちかというと、欧米人は利己的、というよりも、日本人が特別な独特の思想を持っている、と解釈した方が何事も円満にゆくような気がしてなりません。

ですので、まあ地球に住んでいる人々の多くが考えていることは「完全なる非がない限りは絶対に絶対に誤らない。でないと『自分に非があります』と認めることになるから」なのではないかと思います。
アジアのことはちっとよくわからないんですけれど、でもあんまり日本人みたいに悪くもないんだけど、まあここは一つ円満に運ぶために謝る、と考える人間は少ないような気がします。
日本の人はとにかく「みなと円満にいたい」というのを一番重要視している民族だと思います。
そんな日本人のことをすごく好きと思っているヨーロッパの人は多いと思われます。
 

10月21日(火曜)

秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンド の解散、そして、Toshiko Akiyoshiソロ活動へ

 Toshiko Akiyoshiが、カーネギーホールでのコンサートを最後に解散するというニュースがNHKのテレビから飛び込んできた。ああ、もうそろそろ引退かなと思ったが、なんと、ご本人のコメントがいかしている。「もう少しはピアノがうまくなると思うので…」ということで、次はソロ活動をするらしい。いやいややっているわけではなく、仕事だからといってやらないといけないということではなく、とにかく音楽(ピアノ)を愛しているから…ということをおっしゃっていた。今73歳だと思う。

 

10月18日(土曜)

サイクロンとは つづき

 結論が出ました。結論から申し上げるとマイナスの誤算とプラスの誤算があったということです。マイナスの誤算とは、「静か」を買ったつもりが、静かではなかった。強弱スイッチを弱に、そして、優しさモード(騒音半減というもの)に切り替えた。それでも、15年ほど使ってきた掃除機よりうるさい。このポイントにおいて、全くの誤算でありました。

 しかし、ここに嬉しい誤算があるのです。床に張り付いていた細かな塵やホコリが、回転するブラシで掃きあげられ、ダストボックスへ吸引されていくので、あっという間に平面がきれいになるのです。いちいち、小箒で集めたり、手でザーットなでたりしなくとも、すでに床には何もない状態なのです。吸引パイプの先に大きなブラシが付いているわけですから、余計なものが付いてるなというのが第一印象だったのですが、これがクルクル回るものだから、掃除機のへさきの操縦がとても軽快です。

 静けさを求めて、静けさを買うことはできませんでしたが、思いもよらない清掃効率を買うことができました。

 この道具によって私の行動パターンが変わるということです。私は、この変化を心地よく思っています。

 

10月14日(火曜)

サイクロンとは

 このところ、音が気になる。良い音ではなく騒音が…。

 我が家は、週に一度、日曜日に掃除をする。そのプロセスは三つに分かれている。マスクをしてはたきと小箒でホコリをはらう。次に、掃除機ではらったホコリともともと床にあったであろうゴミを吸う。最後に、ぞうきんで掃除機では吸いきれないものをふき取る。

 このプロセスのなかで最も苦痛なのが掃除機の騒音だ。なんで、こんなにノイジーなんだ?。気がつけば、この掃除機には15年以上お世話になっている。ウーーン。ITの進化速度ほどではなくとも、掃除機ももっと静かにそしてもっと軽く進化しているだろうとインターネットで探してみた。

 家電、掃除機で調べると、突然、サイクロンというのが出てくる。こりゃなんじゃ〜。これが正直な反応。そして、さらに、インターネットでサイクロンを調べると、遠心分離によってゴミを集める場所と通気の場所を分離したという優れもの。

 そういえば、やや守秘義務に触れるかもしれないが、数年前、クライアントの読書勉強会にてこの方式について言及した本をある若手が読んで要約発表してくれた。あ、あの原理で設計された掃除機が市場に出ているんだ!

 この感動も手伝って、私はサイクロン掃除機を買った。そして、今、ここにある。

 しかし、単純には喜べないのだ。「静かと軽い」で買ったつもりなのだが、実際、静かなのかということについては、まだ、判断がついていない。静かという前触れで買ったものだから、家族からは前よりうるさいというクレームがついている。

 でも、通気路とゴミ置場が別になったのは一目瞭然。紙パック式だったら、吸ったゴミを通過した排気が家に排出されていた。あ〜あ〜。もう少し体験してみるね。

 

10月2日(木曜)

論より数字 勘より統計

 この題名、凄いと思いませんか。わたしは、だいたい数字より論、統計より勘で生きてきた人間です。しかし、冷静に考えれば、論も大事、数字も大事、勘も大事、統計も大事なのだと思います。

 ちょうど8年前、私は某総合研究所を退社しました(38歳)。どきどきの独立です。そのとき、チームとして息が合っていた若手(26歳)を誘いました。二人で某クライアントを頼りに独立。

 しかし、半年という期間では実らず、解散。若手は新たな勤務先を探し、わたしは、おぼろげながらも、見込み客を成約しながら、そして、妻の実家から借金しながらしのいでおりました。

 営業途上、ふと寄った書店で「地に足をつけろ」というような書名が目に付き、手に取りました。そのときは特に購入するレベルではなかったのですが、「地に足をつけろ」というフレーズが頭に残りました。

 そして、大阪にいたときに聞いた言葉、「産業の高度化」を確かめてみたくなりました。一次産業(農林水産)二次産業(製造)三次産業(サービス)…というやつです。

 その時、調べたモノはこのサイトに掲載しています。http://www2.gol.com/users/mh/learning_organization.htm

 このグラフ作成の元データを入手するために、新宿区新大久保駅からバスに乗って総務庁統計局へ。そこで、当該資料を探し出し、分厚いファイルの当該箇所をコピー、年度の枚数これを繰り返す。コピー代を払って、バスに乗って、電車で家までもどって、それからPCに打ち込んでやっとこれができあがる。

 でも、今なら瞬時。 といっても、正味2〜3時間。当該データにウエブでアクセスできる。しかも、データをそのままダウンロードできるから、グラフ化も瞬時。」

エ    

 「論より数字 勘より統計」、こんな過激なフレーズを吐いているのは、総務庁統計局

 ある種、過激だけど、優等生の純粋さも反映していてにくめないフレーズでしゅ。