山村一蔵


はじめに


山村一蔵略歴

慶應元年(1865) 伊藤慎蔵に独逸学を習い始める。
明治 3年(1870) 大学に就職
明治 6年(1873) 外務省に転出。宮古島におけるドイツ商船救助記念碑建立行事に代表として参列。帰路、清へ。
明治10年(1877) 東京大学医学部教師
明治11年(1878) 独逸学校創立
明治12年(1879) 7月15日没(満29歳? 数えで32歳?)

山村一蔵について

山村一蔵は、和泉、岸和田藩の出身。伊藤慎蔵の名塩蘭学塾に学び、さらに、スイス人カデルリーに学ぶ。明治に入って大学南校に奉職し、お雇い外国人教師ワグネルの助手を勤める。その後、請われて外務省に転出。明治6年に発生した宮古島のドイツ商船遭難事故に関連し、明治9年にドイツ皇帝が返礼として贈った記念碑の建立儀式に、日本国代表として参列する。大学に戻ってドイツ語教師を務める傍ら、本郷台町に自らが校長となる独逸学校を創立。大学を目指す多くの学生を集めた。しかし、明治12年7月、急死(30歳前後と思われる)。独逸学校は妻の山村ミツが継いだが、結局、明治20年に廃校となった。日本に於ける初期のドイツ語教育を支えた人物として重要な位置にいるが、いまはほとんど忘れられた存在となっている。

長命寺の山村一蔵先生碑

長命寺の寺名は三代将軍家光に由来している。鷹狩りに出かけていた家光が腹痛を起こし、井戸水を飲んだら痛みが治まった。そこでこの井戸水が長命水と名付けられ、後に寺の名前となったといわれている。
 長命寺といえば、桜餅が有名だ。そして、隅田川七福神の弁財天を祀った寺としても知られている。さらに驚くべきは境内に大小六〇ほどの石碑が林立していることで、松尾芭蕉の雪見の句碑や十返舎一九の狂歌碑などが狭い境内の一隅にひしめき合っている。そのなかに山村一蔵の名前のある石碑がある。『墨田区文化財調査報告書8 漢文の石碑1』によれば、その文面の読み下しは以下の通りである。

碑文

篆額「山村一蔵先生碑」
山村一蔵先生碑文 従四位勳四等 九鬼隆一 篆
             備中 山本五郎 撰
 明治の中興百度一新す。この時に当り、士の西国の学に従事する者は英に非ざれば即ち法。而るに先生独り心を徳学に委ぬ。人或いは怪しみてこれを問う。先生曰く、徳これ国を為め、現、英法諸邦の後を歩むと雖も、然し格物致知の学、経国練兵の術は遠くその右に出ず。加うるに人々勇知あるを以て方ぶに久しからず、当に威を欧土に展ぶべし。方今、我が国の学術未だ興らず士気未だ振わざれば則ち予の彼者を学ぶ所以、知るべきのみ、と。問う者服さず。普、法を破るの報を得てはじめて服す。
 先生、姓は源、陶〓(答の下に廾)と号す。和泉の人。家世農。父玄達に至りはじめて刀圭を以て岸和田藩に仕う。玄達七子を生む。先生はその第六子なり。幼にして穎異、群児の嬉戯に与せず、読書を好む。稍長じ、西国の学世に急なるを悟り、乃ち笈を負い家を辞し、城摂の間に学ぶ。既にして東京に来たり、瑞人加特利に従い義を質し、その業大いに進む。後、徳学士華格納爾を師とし、専ら理化学兼ねて史学を修む。而して史学は最もその長ずる所たり。明治三年大学に就職し毎歳進級す。六年に至り、転じて外務省に遷り十等出仕し、七年九等出仕に進む。十年大学医学部教師となり励精業を執る。乃ち本郷台町の高燥地を相し、自ら一校を設け以て生徒を教育す。生徒の在門者常に数百人。十二年七月俄に肺疾を獲、十五日遂に易簣す。蓋し未だその志を成し及ばざらん。先生性忠厚勤恪、人の校に与らず。その書を講ずるや語気深沈にして能く聴者を弁え、厭〓(食偏に夭)させざることなし。その外務省にあるや、嘗て命を奉じ徳船の将某に陪い琉球に航す。幹事先生日夜奮勉立ちどころに竣功す。某感喜し帰国してこれを徳帝に告ぐ。徳帝金〓(金偏に表)を寄贈し謝意を致す。人以て栄となす。歿時年僅か三十二。小石川傳通院中の眞珠院に葬る。而して門人等相謀り碑をここに建て、余に記を属す。余先生と交誼を至め辞すべからず。則ち謹みてその万一を記す。
 明治十三年十二月初一日建 東京 大平俊平 書 廣群鶴 鐫

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 山村一蔵の生涯は、概ねこの碑文に書かれている。しかし、当時の人々、また、関係者には周知のことでも、一蔵が没して百年以上も経てばつまびらかではない部分もでてくる。また、省略されている部分や、簡潔に書かれすぎている部分にもあったりする。たとえば岸和田藩の藩士としての一蔵はどうだったのか。「城摂の間」に学んだとあるが、どこで誰に学んだのか。どういう経緯で大学に就職したのだろう。外務省にあって琉球に、何をしに行ったのだろうか。そして、本郷台町に設けた一校とは? そんな疑問が、奥歯に物がひっかかったように残った。そこで、この山村一蔵なる人物はどういう人物なのか、調べてみることにした。



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