山村一蔵


教科書に載ったドイツ商船難破


「博愛」の美談が教科書に

昭和4年(1929)長い間に忘れ去られていたドイツ商船難破の石碑を、日本勧業銀行の松岡益雄が発見、調査し始める。宮古島の教育委員会も資料を収集したり、聞き取りなどを始めた。
昭和8年(1933)10月、文部省は尋常小学校の修身と国語の教材を一般募集した。これに、宮古郡教育委員会はドイツ商船難破救出物語を素材に、「博愛」というタイトルで応募。一等に当選する。一躍脚光を浴びた博愛美談に、建碑60周年の話が持ち上がり、昭和11年11月に、新たな石碑が建てられることになった。直後に調印予定だった「日独防共協定」を後押しするかたちで利用されたといってもよいだろう。また、日独伊三国同盟など、日本とドイツの友好関係を強調する下地はあった。宮古島の「博愛」美談は教科書に採用され、昭和12年から終戦まで、小学校で生徒に教えられることになった。
現在、宮古島には「うえのドイツ文化村」がある。ここにはドイツの城を模した「博愛記念館」があり、ドイツ商船遭難救助にまつわる展示がされていて、宮古島観光の中心的スポットになっている。



back next



|ホームページへ戻る|