ラブレター



高校の卒業アルバムを開くと、僕は右の中段の端の方でしかめ面をしていて、彼女は左の一番後ろの方で微笑んでいる。
写真の下には寄せ書きがあって、僕のはこう書いてある。
「好きだったんだ」
で、それに対する彼女の返事が、これもロールハッシャテストのように正反対の位置にこう書いてある。
「理解できなかった」
本当のところをいうと、本当に好きだったのかどうか、自信がない。言い訳めいているけど、僕が出したラブレターはそりゃあ味も素っ気もないものだった。

■ A)僕のことが、好き
  B)何とも思っていない
  C)嫌いだ
■ B)の場合、今後つきあっていただける可能性は(ある ない)
  C)の場合、その理由はなんですか?
 これがすべての文面だった。
   [         ]
■ ■のB)で、「ない」に丸をつけた場合のみお応えください。
  その理由はなんですか?
   [         ]
 よい返事を期待しています。

まるでアンケート調査で、念のいったことに、返信用封筒入りにした。
返事は、来た。
  何とも思っていなくて、
  つきあって貰える可能性はありで、
それからこう書いてあった。
「あなたの名前ぐらいは、同じクラスなんだから知ってるのは当たり前です。わからないのは、どうしてこんな手紙をくれたか、です。もし嫌いだとしても、その理由を書くなんてことは、私にはできません。たいていの、普通の考え方をしていて、常識のある女の子だったら、そんな、人を傷つけるようなことはしないと思います」
そりゃあそうだ。いわれるまでもない。そんな、人を傷つけるような女だったら、だれがつきあって貰おうなんて、思うかってんだ。ということは、僕のことを傷つけまいとして「何とも思っていないけど、つきあってくれる可能性はあり」って返事を書いてきたのかもしれないなって、勘ぐってしまうじゃあないか。ほんとは別につきあおう、なんていう意志はないのに、僕を傷つけるのが嫌だから「まあ、暫く様子を見て、それからバイバイしたって構わないもんね」とかね。
それでも、まあ、これで僕から電話をかけて大丈夫ってことだし、手紙だって堂々と書けるわけだ。

つい数ヵ月前に僕は母を失っていた。姉は東京の大学に行っていた。父親は職場にいる。だから、学校から帰っても僕一人だし、僕はちょっと心臓ドキドキだったけど受話器をとってダイヤルを回した。
いきなり、彼女が出た。
「やあ。・・・僕。あのお、返事くれて、ありがとう」
「・・・うん」
小さな声で彼女は応えた。
「迷惑かなあ・・・」
「そんなこと、ないけど」
周囲を気にしているような、落ちつかない口調だった。
「でも、何だか私、よく分からなかった。あなたの、手紙」
ゆっくりと、噛み締めるように、彼女はいう。鼻にかかった繊細な声が、僕の耳に針金みたいに突き刺さる。
「ああ・・・ほんというと僕もはっきりいって何だかよくわかんないんだ」
気持ちを正確につたえようとして、口をついた言葉がこれだ。
「・・・悪いけど」
はっとした緊張感が受話器を通してつたわったくる。
「自分で何だかわからなくて、あなた、私にあんな変な手紙書いたり、いまこんな電話してるわけ?」
彼女の語調が数オクターブ変わっていた。
「それって随分失礼じゃない? だからあなた、クラスでも不気味な存在でいられるのよ、きっと」
諌めるように、彼女がいった。
「え? 僕って不気味な存在? どうしいうこと?」
戸惑いと、好奇心とが入り交じった気持ちで訊いた。
ラブレターの返事は「何とも思ってない」って書いてあったのに、それどころじゃあない。ブキミな存在にさせられてしまっている。こりゃ初耳だ。
彼女はこうつづけた。
「あなた、クラスに一人も友達いないじゃない」
まあ・・・そうだ。気の合うやつがいないんだから、しょうがない。
「クラブにも入ってないし・・・」
そりゃあちょっと違う。
ちゃんと美術部に在籍してるけど、最近は顔を出してないってだけのことだ。その理由だって、立派にある。
先ず、春の美術部展に出した僕のクロッキーが、部展が終わったときにはどこかになくなってしまっていて、僕の手もとに戻ってこなかったってこと。もう一つは、秋の部展が僕のまったく知らないうちに計画され、決行されてしまったってことだ。
だから女なんて部長にするべきじゃあなかったんだ。
結局のところ、あれこれうるさい僕が、そのブタマンにゴマをぶちまけたみたいな、噂によると、ちゃんとどっかの絵描きの先生について油絵を画いているっていう女部長に嫌われているっていうことなんだろうけど。
まあ、そんな事情は彼女には通じないかもしれない。
なんて思っていると、次はこうだ。
「この間のクラス対抗球技大会だって、途中で帰っちゃったじゃない」
そう。その通り。
クラス対抗球技大会はバレーボールとバスケとサッカーがあって、一応全員がどれかに出るってことで、自主的にエントリーしたんだよね。運動部に入ってる奴はその専門種目を選んで、あと、運動部に入ってて、自信がある奴がそれぞれ別のスポーツに振り分けられた。最後に運動神経がにぶくて文化部に入ってる奴(つまり僕みたいなやつ)が「しょうがねえなあ」という感じで、バレーとかバスケとか、定員が少なく試合の勝ち負けに影響あるような種目を避けて、ま、とにかくいてもいなくてもさほど影響ないかなっていうサッカーに振り分けられるんだ。だから、当然のように僕はサッカーだったってわけなんだ。前半の四五分、僕は一度もボールに足が触れることはなかった。でも、足をひっぱるようなことはしなかったつもりだ。そこへ、すでにバレーの試合を終えてやってきたクラス委員長とその仲間がやってきて・・・
「なんだなんだ、負けてんじゃねえか」とか寄ってきて
「俺たち、後半出るから」と、誰と誰と誰は出なくていいよ、とか偉そうに指示したんだ。スポーツマンタイプの奴っていうのは、そういうことを平気でするんだ。
だから、運動神経がなくて勝っても負けてもどっちでも構わないじゃあないかと思っていた僕は「馬鹿にすんなよな」って気分で帰っちゃったっていうわけなのだ。
僕はスポーツマン体質の奴が、だから大嫌いだ。そういうれっきとした理由ってものがあったんだ、あれには。
そんなことを考えていると、彼女の声が僕の耳に突き刺さった。
「お母さんが死んだっていうのに、あんまり哀しそうな顔していないじゃない」
うるさい。よけいなお世話だよ。
哀しさなんて表情に出りゃあいいっていう問題じゃないんだ。
朝食と洗濯はオヤジの分担。夕飯と、学校から帰ってからオヤジが工場から帰ってくるまでは、売り上げの少ない酒屋の店番。結構これだって大変なんだ。受験勉強する時間ないんだから・・・でもないか。
でも、ちょっとは反論しないと情ない。
「そんなことはないよ。ちゃんと泣いたさ」情ないくらいの反論だった。
「でも、何年か前、飼ってたネコが死んだときのほうが、涙の量は多かったみたいな気がするけどね」
これで印象をよけいに悪くした。
「そういうひとこと、多いのよあなたって。そんなこといわなくっても、いいじゃない。お母さんが可哀相だと思わないの?」
嘘はつけない。ほんとうの気持ちを告げた。
「難しいところだ」
なにが難しかったんだか。
「どうして?人間とネコを同列に扱うなんて、ちょっと信じ難いわね。そういうところがあなたの不気味なとこだと思う。自分でわからない?」
「わからないでもないけど・・・」
ほんとうは分かっていなかった。
「そんなことしてるとね、神様の罰が当たるわよ。私は、将来だって見通すこと、出来るんだから・・・本当よ」
いきなりの、弁証法的な展開だった。
神様あ?
そこで彼女は、母親が来たからといって、電話を切った。

これから僕たちが交際できるかどうか、初めての会話にしては内容があったけれどアブナイ内容だった。
自分が人からどう見られているかを知るには絶好の機会だとは思ったけれど、それで自分が変わるとも思えなかったから、ま、どうでもいい話ではあった。
それはそうとして。
それでも僕は月に二、三度の手紙と、ごくたまに電話をすることにした。
答えはいつも大体同じだった。
「あなたって人がよくわからないわ」
「あなたって人がよくわからないわ」
「あなたって人がよくわからないわ」
わかってたまるか、と言葉にだ出さなかったけど、人に理解されないことの辛さみたいなことが、少しわかったような気がした。
それと、僕にも理解できたのは彼女だってちょっと変な奴だってことだった。
詳しくは分からなかったけれど、新興宗教を信じ切っているようだったのだ。
電話口で彼女はこんな風に僕にいった。
「私はね、調べようと思えば、あなたがどの大学に入るかだって、誰と結婚して、いつ死ぬかだって分かるのよ。ほんとうよ」
そのいい方が自信に満ちていたものだから、僕は少し気後れしてしまっていた。
「そんな・・・」
「ほんとうよ。・・・でも、そういうことは知らない方がいいわ。その方が仕合わせに生きられると思うの。自分がどうなっちゃうかなんて知らないほうが、人間ラクよね。結論が見えてしまうっていうのは、ガンを宣告されるのと同じようなものだもの。そりゃあ人間はいつかは死ぬわ。でも自分が死ぬことなんて大抵の人は真剣に考えてなんていないの。いつまでもいつまでも明日があるって思い込んでるわ。自分の死期をわざと遠くに遠くに置いてるわけよ。だから、不安にさいなまされずに毎日生きていられるっていうことね」
何だか、好きとか嫌いとか、高校生の男女が決して交わさないような会話が受話器を通して交わさていた。
僕の心の中に突然現れたロマンスのキャンバスの白い布地はまだそのままで、デッサンの木炭のかけらさえも定着されていなかった。

そうやって電話と手紙のコミュニケーションがつづいていた。
初めて手紙を書いてから六ヵ月目のある日。彼女の母親から分厚い封書が送られてきた。それには、男女のつきあいをするにはまだ早すぎるってこと。これから大学受験もあるのだから、そっちのほうに集中しなさいっていうこと。
そして、そうお告げが出ていることが、流麗な文字でしたためられていた。
結局僕たちは、一度も外でデートをすることもなく、学校でもつきあっていることを誰も知らないまま、もちろん体のどの部分にもいっぺんだって触れることなく、別れた。
というより、電話と手紙のやりとりをやめた、といったほうが確かかもしれない。

彼女は北のにあるキリスト教系の大学へ入った。
お告げを出した神様がキリストだとはどうも信じられなかったけれど、そんなことはもうどうでもよかった。
僕は卒業と同時に東京に出て一年間、いつも一三時をさしている時計の掛かった予備校に通った末に、第二志望の私立大学に入ることになった。

卒業式の日。帰りの道をのんびりと自転車のペダルを踏みながら「ああ、もう二度と高校生活ってヤツはないんだ・・・」とか考えていた僕の横を一台のカブが、バルルルルルル・・・と追い抜いていった。その荷台には彼女が横座りに乗っていた。右手はおそらく父親だろうそれの肩にかかり、長い髪の乱れを左手で押さえていた。
僕を認めた彼女は微笑んで、左の手を横に少し振って僕に挨拶した。
途端に長い髪が彼女の微笑みを隠すように風に踊った。
きっと僕はバカみたいな顔で見つめていたに違いない。
ペダルを踏む足が、一瞬止まった。

それが、彼女との最後の擦れ違いだった。

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