堀切駅



堀切の駅は、隠れている。

そう簡単には見つからない。見つけたとしても、入り口までたどり着けるかどうか、怪しい。たどり着いたとしても、行き先が逆だったりする。すると、別の入り口を探さなくてはならない。妙な駅だ。この駅の下に、山村聡の病院があることになっているんだけれど、下を覗いてもそんな病院はない。当たり前か。どかんと、中学校がある。「三年B組金八先生」のモデルとなった学校ですね。後は、トタン屋根がべらべらと波打っているだけだったりする。実際、ここに人が住んでいるのか?というようなバラックや、工場、倉庫みたいなのが乱れて並んでいるだけだ。人が住んでいるという景色とはほど遠い。住宅地とはほど遠い。反対側は、荒川土手。広い河川敷がつづく。どうしてこんなところを小津は「東京」のシンボルとして選択したのだろう?他の映画では、山の手の住宅地とか鎌倉(これは東京じゃないけれどね)が出てきたりするのに。という疑問が湧いてきてしまう。再三書いてるけれど、北千住周辺というのは千葉・茨城・栃木といった北関東からの住人の流入が多い(ように僕には見える)。西日本から上京した人々が選択する居住地としては、ちょっと考えにくい。それに、東京生活を何年か過ごして、新たな居住地を都内に選ぶとすると、ほら、中野・杉並・世田谷・目黒とかが登場するじゃないですか。ええい、練馬でもいいか、板橋で我慢すっか・・・ときて、荒川・足立・葛飾とかは敬遠される(墨田・江戸川とかは、既存の住宅地でないところにマンションとか建ってるから除く)じゃないですか。そりゃあ、昭和20年代のことは知らないけれどさ。わざわざ選択して住む場所か?

で、ちょっと考えた。風水だ。

「東京物語」に出てくる場所から考えてみよう。


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