天抜きを味わいに行く
◆都美術館帰りのオジサンオバサンと
薮のはじまりは、神田(連雀町)のやぶで、そこから上野薮(丸井の近くの落ちつかない店)、浜町薮(ビルになっちまった)、浅草の並木薮(ここはつまみが少ない)ができて、並木薮から池之端薮ができたらしい。みな親類縁者みたい。で、どこの蕎麦がいいかと問われると、僕は減点法でまず神田やぶを抜きます。色が緑っぽくて、麺がなよなよしている。しゃきっとしていない。だめ。もちろん有楽町電気ビルの支店も同じ。次に消えるのが上野薮。ここは、ロケーションのせいか、通りすがりの人が多いし、旅行荷物を手にした田舎の爺さんとかがうろうろしていたりする。どうも、ゆっくり飲んでなんかいられない。蕎麦の味もそこそこに退散ですね。見かけも、普通の蕎麦屋だし。次に、並木薮。ここは、浅草だし(って、浅草のどこが悪い!って怒られそう)ね、ちょっとついでに寄るのがなかなかできない。で、残るのが池之端薮。しかし、ここも僕にとっては吉仙という強力なライバルがあるので、そうそう来ない。来たいなと思うとき。それは、天抜きで熱燗が欲しいなと思ったときかな。天抜きっていうのは、天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いて、吸物にしたものです。といっても、物理的に単純にそうするわけではなく、味は吸物の味に仕立て直してあるし、器も違います。初めからメニューに載っているところは少ないので、いちいち「天抜きを」などといって店員のオネーチャンを戸惑わせたくないので、天抜きが欲しくなったら、ここに来ます。薄目のだしに、天ぷらの衣が溶け出して、くずぐずになったようなのを、ちょいちょいと箸でかき混ぜたりしながら、お酒をいただく。ちょっと歩き過ぎで疲れたときでも、これで体の隅々までじわじわと生気が戻ってきたりします(ってなことは実際ないか。ただ、酔ってるだけ)。で、お蕎麦を2枚。1枚は普通に。もう1枚は“汁なし”と注文します。汁がないと50円安いのだ。ちょっとえぐいというか苦みのある蕎麦で、なかなか美味しい。古典的というか、これが江戸の蕎麦なんかしら、などと思える一品であります。そうそう。ここでは、日本蕎麦のカタ焼き蕎麦が食べられるのです。巣ごもり蕎麦とかいうものです。しかし、まだ食べたことがない。どうも、変わったものには手が出にくい質なもので。都美術館にグループ展を見に行った帰りの先生と生徒(といってもどちらも定年退職後といった風情の)なんかが、芸術についてあれこれ語り合っている姿は、なんだか上野です。
1998年の感想
1998年に入って、ここによく行くようになりました。かつての、えぐい感じの苦味のある蕎麦ではなく、香りのある上品な蕎麦に変わったように思います。(えぐいそばも、いいんだけどね) ここのよさは、ゆっくりとできること。神田まつや、のようにざわざわしていない。(まつやの、下町の一杯飲み屋のような雑然とした感じも好きなんだけどね) 美術館帰りのオバサンや、美術学校の同窓会からの流れ、いわくありげな和服の女性と成金風のおやじ、これから出勤って感じのバーのマダム・・・。いろんな客がいて楽しい。オバサン2人連れが現代の映画について語ったり、現代美術について議論していたりするのは、客層の奥行きの深さを感じさせてくれます。(1998.11.01)
ちょっとしたエピソード
10月31日の夕方、ここに入りました。頼んだのは、燗酒1、すいとろ。お酒をもう1本追加して。で、ざるを2枚頼みました。1枚は汁なしです。
ここのツユは、辛口です。そのせいか、とっくりに少ししか入っていません。ざる1枚にツユが1つついて、600円(だったかな?)。さて、品書きには、汁なし 550円というのが載っています。これは、文字どおりツユがない、蕎麦だけの追加ということです。ざるを追加で頼んだ場合、手元の汁がまだ残っていればそれを使うから、ツユは付けなくていいという選択肢です。でも、上手に食べないと、もともとツユは少ないので、1枚のざるそばで、あっさりとなくなっちゃうんだけどね。というわけで、ここのツユは貴重なのです。1枚目のざるを食べるときも、あまりつけないように、残すようにという心配りが大切なんですね。
さて、私はざるを1枚平らげました。2枚目がやってきました。さて、と思ったら、2枚目をもってきたお姉さん(文字どおりの若いお姉さんだった)が、せっかくとって置いたツユの入ったとっくりを、さっと奪い取るようにしてかっさらい(と、見えた)、下げようとするではないですか。おおっ、これはまずい。焦った。とっさに、
「おい、ねえちゃん」と、口から出てしまった。
それまでざわついていた店内が、さっ、と引いた。
で、つづけて「もってくんじゃねー、それ」と口をついて出た。
一瞬の間。彼女はとっくりを戻す。緊張の走った店内に、さわさわと話し声が戻った。
私は、とっくりを奪い返したのでホッとしていた。まだ、思わず出た口調と店内への影響を省みる余裕はなかった。しばらくして、思った。「おい、ねえちゃん」は、なかったかな。「ちょっと、ねーさん」ぐらいの、柔らかいのがいかったな。「もってくんじゃねー、それ」なんて、下品な。「それ、下げないでね」ぐらいがよかったなあ。でもって、欠食児童のような物言いが、とてもおかしく感じられて、1人でくくくくと笑ってしまったのでありました。(恥ずかしいとは思わなかった)
しばらくして、もう1人の年輩の姉さんが、追加のざるを運んできたときの盆を下げに来て「これだったら、もってってもいいですよね」と、微笑みながらいった。うーん。こいつ、バカにしてるのかな。あざ笑ってるのかな。恥ずかしかったかな。と、思うようになってしまった。うーん。ま、いいか。
きっと、店では「変な客」とか思っているんだろう。けっ。でも、いいんだもん。口が悪いのは、生まれつきなんだもん!
(1998.11.02)
- 地下鉄千代田線湯島/JR上野・御徒町から
- ABABの前の、看板のかかっている通りを入っていくのです。
- ざる/600円(ぐらいだった・・・)
- 天ぬき/1200円(ぐらいだった・・・)
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