The Spilits

さてこの見地から、弓術のもっとも内的な根底、すなわち右に述べたような射手の自分自身との対決の本質を尋ねるならば、それに与えられる答えはやはり、まったく訳の分からない謎のようなものに聞こえるに違いない。じっさい、射手の自分自身との対決とは、射手が自分自身を的にしてしかも自分自身を的にするのではなく、すなわち時には自分自身を射中ててしかも自分自身を射中てるのではないということであり、したがって弓術を実際に支えている根底は、底なしと言っていいくらい無限に深いのである。あるいは、日本の弓術の先生方の間でよく通じる言葉を用いて言うならば、弓を射る時には「不動の中心」となることに一切が懸かっている。その時。術は術のないものになり、弓を射ることは弓と矢とをもって射ないことになり、射ないことは弓も矢もなしに射ることになる。日本人にとってはこの逆説的な方式は、ほとんど説明を必要としないほど正しく事の真相を言いあてる。反対にこれがわれわれ外国人を途方に暮れさせることは確かである。それゆえ、これをさらに詳しく説明するより仕方がない。
(『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル)

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