東京スコラ・カントールム創立10周年記念 第20回定期・慈善演奏会
『降誕祭のオラトリオ』
Christmas Oratorio by J. S. Bach

(1990/1/17、指揮:黒岩英臣、東京カテドラル聖マリア大聖堂)



《曲目》

第4部 割礼の祝い / Part IV - Feast of the Circumcision
第5部 新年の最初の主日 / Part V - Sunday after New Year
第6部 顕現の祝い / Part VI - Feast of Epiphany

《プログラムノート》 ... 小笹和彦(東京スコラ・カントールム主幹)

…はじめに
一昨年の12月20日に、私達は東京スコラ・カントールムの創立10周年を祝う行事の始めとして、バッハのクリスマス・オラトリオの前半3部を歌いました。今日はそのつづきである後半3部(第4部、第5部および第6部)を演奏します。これをもって10周年記念行事の幕を閉じることになるわけですが、この名曲で10年間の活動の掉尾を飾ると同時に、新しい10年に向けての船出を祝うことができるのは真に意義深いことと感謝しています。
もともとこのオラトリオは6部に分割して作曲されており、その各部が異なった祝日に演奏されるよう構成されています。したがってマタイ受難曲やヘンデルのメサイアのように、1回の演奏会で完結してしまうよりも、何回かに分けて演奏するのが理想的だと思っています。最も正統的な演奏形式は、12月25日から新年の1月上旬までの間に6回に分けて演奏することです。バッハ自身がそのように作曲し演奏したからです。演奏といっても今日のように音楽会のような形式で発表したのではなく、教会の礼拝の中で、他の儀式…たとえば聖餐や説教…と組み合わせて用いられました。あくまでも、これは典礼全体を盛り上げるために奉仕した教会音楽であって芸術鑑賞のための作品ではありません。
当時の教会は、クリスマスを長い期間をかけて祝いました。もちろん今でもヨーロッパの一部にはそうした習慣が根強く残っており、教会暦(典礼暦)からいっても、「降誕節」は12月25日から1月上旬までの約2週間と定めていますが、現代ではほとんどの人が12月25日までしかお祝いしないので、クリスマスとは12月25日だけのことと誤解されているようです。
しかし、バッハがこの曲を作曲し初演した1734年から35年にかけての「降誕節」には6回の祝日がありました。そのうち3回の祝日は12月25日から27日までの連続した3日間ですが、後半の3回は年も改まった新年元旦とそれに続く新年初の日曜日…主日と、1月6日の祝日に分断されていました。通算すると13日間…聖なる十二夜を費やして、人々はキリスト降誕の意義を噛みしめ、寿ぎ祝いながら徐々に新たな希望と喜びを発揚していったわけです。その間、当時のライプツィヒの人達にとって、バッハの音楽が絶大な効果をもっていたことは、想像に難くありません。バッハは当時ライプツィヒの二つの大教会の音楽上の責任を持っていましたから、このクリスマス・オラトリオはそこで繰り返し演奏されました。したがって市民達の殆どがこの礼拝に参加し、バッハの音楽に接したことと思われます。それはちょうど、聖堂のステンドグラスの美しい彩りにも似て、人々の心を照らし、浄化し、深い真の喜びと希望の世界へ導いていったに違いありません。
前半3部で歌われた救世主…キリスト…誕生の驚きと喜びが、後半3部ではますますエめられていくと同時に、その公的生涯への歩みが現実のものとなって展開されていきます。

…第4部
これは新年の元旦礼拝で演奏された曲です。この日を教会ではキリストの割礼と命名の記念日として祝います。
「8日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。」(新共同訳聖書 ルカ2-21)
割礼というのは旧約のレビ記にあるモーセの律法の一つで、新生男児が生後8日目に受ける宗教的儀式のことですが、これによって新しくイエスと命名された幼子が、神に聖別された一人のユダヤ人として公的に認知されたことになります。
そこには一人の幼子を囲んで父と母、それに儀式に参加した善意の人々のあたたかな眼差しがあります。したがってこの第4部では「ひとの子」が神の子として正式な認知を受けた新年の厳粛な気分とともに家族一同が共に集まって憩い安らぐ、独特ののどかな雰囲気がただよいます。
全曲を通しての基調であるニ長調を離れ、ここではヘ長調が主調となって全体を構成します。ニ長調系の音楽に比べて、ぐっとやわらかい調性です。これにのどかなひびきを出すホルンの音が加わり、一層この情緒をひき立たせます。
これを背景として冒頭合唱(第36曲)は力強く、雄大な讃美の歌を展開します。全体は8分の3拍子で、歌詞の内容に応じて3部形式がとられています。
つづいて、テノールの福音史家が前記の聖書の箇所を叙唱すると、第38曲のソプラノとバスの二重唱にうつります。バスが自由詩にもとづくイエスへの愛と信頼を叙唱するのに合わせて、ソプラノがアリア風にコラール(讃美歌)を重ねます。このコラールはイエスを思慕するコラールとして有名で、1642年にJ.リストの作品として世に出た、美しい歌詞です。弦のおだやかな伴奏音型といい、全体が実に愛らしい情感をたたえています。そのため私は、ここでいつも聖家族の団欒を思い浮かべます。ソプラノが聖母マリアでバスが聖ヨセフです。両親が幼子イエスを中心に微笑を交わしている図です。そういえば教会では、1年の最終日曜日を「聖家族の日」として記念しますから、バッハの念頭にもこうした連想があったに違いないと思われます。
特に、この第4部だけが他の各部と調性を異にするヘ長調だということが私の想像をかけたてます。つまり、前半3部は狭義のクリスマスを単純明快に喜び祝う連続した音楽だからニ長調-ト長調-ニ長調と親近調でまとめ、後半5部と第6部は東方の学者達の来訪という物語の連続性を保持するため同じくイ長調-ニ長調という親近調でくくり、第4部だけに特別の性格を与えた、という解釈です。こう解釈すると馬小屋、羊飼い、学者達といった外部環境から全く隔絶した聖家族だけの、あたたかい家庭の雰囲気が第4部のいたるところに漂っているように感じられます。
つづく第39曲のソプラノのアリア(ハ長調 6/8拍子)にしてもそうです。これはマリアのイエスへの愛の呼びかけであり、ソプラノとオーボエによるエコーはイエスとその父ヨセフの応答だと考えられます。この印象的な曲が終わるとすぐ前の第38曲と同じ様式の第40曲が現れ、バスとソプラノが重唱します。ここでソプラノが歌うのは、第38曲、第39曲および第40曲は三つの部分に分かれているものの、その実全体が一つとなって分かち難く結び合わされているのです。第40曲のソプラノ独唱者とエコーとしてのソプラノ、それにオーボエの三者による緊密な呼応関係を縦軸とし、第38曲から第40曲への三部構成を横軸と考えると、バッハはここで音楽的な十字架を印したと考えることができます。また3人の聖家族が三位一体の神によって立ち、神のために生きることを証ししたのだとも考えることができます。
いずれにしても、一定のフレーズに対する小節数の割りあてや音程の差に対する数字上の意味づけ、あるいは文字を数字化して音楽をつけるといった数字と音楽の関係を重要視したバッハのことです。この「3」という数字にある重要な意義を託したことは確実でしょう。
私流の勝手な解釈を続けると、次の第41曲のテノール・アリア(ニ短調 4/4拍子 ダカーポ形式)は聖ヨセフの独白ということになります。ヨセフは神の子イエスのこの世の父親としての地位を全うし、後に聖人として列せられたわけですが、イエスの父となることについては相当のためらいがあったはずです。2000年も前の、戒律きびしいユダヤのことです。自分の婚約者が、自分と何の交渉もないままに婚前にみごもった、と知った時の驚きと怒り、迷いは現代に生きる私ですら容易に想像のつくところです。よほど深い神への信頼と愛がなければマリアとの結婚はおろか、身許知らずの赤ん坊の父親になることもなかったでしょう。けれども彼は真の勇気と愛情をもって神に全てを委ね、マリアとイエスをしっかりと守り育てました。この故に彼は聖人と崇められるに至ったわけですが、その心理的葛藤と困難な上京を克服した毅然とした決意のほどがこの曲にはよく滲み出ていると思われます。声楽技法の極限を駆使し、暗いニ長調の響きを明るい希望と確信にみちた宣言調で歌いきる力量は、とうてい普通のテノール歌手がこなせる技ではありません。
つづく終曲の第42曲コラールは落ち着いた主調のヘ長調 3/4拍子に戻り、合唱が全ての人々を代表してイエスへの祈りを歌います。全ての歌詞のフレーズが「イエスよ」と呼びかけをもって始められるこの印象的なコラールは、第38曲/第40曲と同じJ.リストの作詞した新年用コラールの第15節です。

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