東京スコラ・カントールム第21回定期・慈善演奏会
ライプツィヒの教会音楽
Music at a Liepzig Church


(1990/9/28、指揮:花井哲郎、日本聖公会 聖パウロ教会)


《曲目》
1. 前奏曲変ホ長調 BWV552(「クラヴィーア・ユーブンク第三巻」より) J. S. バッハ
Praeludium Es-dur (from “Dritter Teil der Klavieruebung”) J. S. Bach
2. キリエ 及び グロリア(「ミサ・スペルバ」より) J. C. ケルル
Kyrie and Gloria (from “Missa Superba”) J. C. Kerll
3. いと高き所には神にのみ栄光あれ BWV662(「17のコラール」より) J. S. バッハ
Allein Gott in der Hoeh' sei Ehr' (from “17 Orgelchoraele”) J. S. Bach
4. クレド(「ミサ・スペルバ」より) J. C. ケルル
Credo (from “Missa Superba”) J. C. Kerll
5. 恐れるなかれ、われ汝と共にあり BWV228(モテット) J. S. バッハ
Fuerchte dich nicht, ich bin bei dir (Motet) J. S. Bach
6. 目覚めよと呼ぶ声あり BWV140 (三位一体後第27主日のためのカンタータ)J. S. バッハ
Wachet auf, ruft uns die Stimme (Cantata for the 27th Sunday after Trinity) J. S. Bach
1)コラール/Chorale 2)レチタティーボ(テノール)/Recitative(Te)
3)アリア(二重唱、ソプラノとバス)/Aria(Duet, So&Ba) 4)コラール(テノール)/Chorale(Te)
5)レチタティーボ(バス)/Recitative(Ba) 6)アリア(二重唱、ソプラノとバス)/Aria(Duet, So&Ba)
7)コラール/Chorale
7. サンクトゥス(「ミサ・スペルバ」より) J. C. ケルル(J. S. バッハ編)BWV241
Sanctus (from “Missa Superba”) J. C. Kerll(arr by J. S. Bach)
8. アニュス・デイ(「ミサ・スペルバ」より) J. C. ケルル
Agnus Dei (from “Missa Superba”) J. C. Kerll


《プログラムノートより》
『曲目解説…ライプツィヒの教会音楽』 ... 花井哲郎 (東京スコラ・カントールム指揮者)

…はじめに
ライプツィヒはベルリン、ドレスデン等と並んで、今年歴史上最大の激動期を迎え間もなく消滅しようとしている国家、ドイツ民主共和国の重要な都市であるが、18世紀前半には、その当時人口3万人足らずのこの町で、ヨハン・セバスチャン・バッハが多彩な音楽活動を行っていたことは周知のごとくである。そしてその活動の大きな部分をしめていたのは、1750年の死に至るまで内容の深い変化はあったものの、キリストの教会のための音楽であることに変わりはなかった。教会、という時、もちろんそれは単に建物としての教会を指すだけではなく、またそこに集まる集団としての信徒の総体を指すだけでもなく、キリストの体としての目に見えない教会、信仰者の側から言えば、心が高められ、神と一体になれる場という意味も含まれる。そのような精神的至高空間のために、またそこにおいてバッハが創作活動を行ったであろうことは、特にライプツィヒ時代の作品に私が強く感ずることである。

今晩最初に演奏されるオルガンの 前奏曲ホ短調 は、まさにその事が顕著に現れているオルガンのための曲集「クラヴィーア・ユーブンク第3巻」の冒頭を飾るものである。この曲集には、この前奏曲に続いてルターの教理問答に基づくコラール(ルター派会衆のための讃美歌)などを素材としたコラール前奏曲が大小合わせて21曲、さらに4曲のデュエット(2声部の大規模な「インヴェンション」)が続き、最後には前奏曲と対をなす5声のフーガが置かれている。このうち多くの曲は、音楽によってキリスト教の教義を示そうとしているかに思われ、1739年に出版された時の表紙にもあるように、広く深い意味で、「識者の心を楽しませる」、つまり、ただ弾いたり聴いたりして楽しいばかりでなく、曲の内容を深めれば深めるほどに、キリスト教の奥義に導かれるような、知的精神的楽しみを味わわせてくれるといった類のものなのである。

ところでもう一方において、教会のための音楽は、バッハがカントールを務めていたライプツィヒの聖ニコライ教会と聖トーマス教会という具体的な場所での、日曜日、祝祭日などの礼拝の中で用いられるために作曲されたわけである。マルティン・ルターの宗教改革から200年も経ってはいたが、当時のライプツィヒでは礼拝を中心とした市民の教会生活は、形式的で初心を忘れ動脈硬化に陥るどころか、その頃のドイツでもめずらしい程、ルター正統派の神学者たちを中心として、市民も自らイニシアチヴをとり、益々活発になっていたところであった。そのような好機にバッハがカントールとしてライプツィヒに迎えられたということは、たとえ市当局の側からにすれば、テレマン等の候補者にけられた後の第3候補にすぎなかったとはいえ、我々にとっても歴史的幸運といえるのではあるまいか。

…ミサ・スペルバ / J. C. ケルル
さて、宗教改革者たちの中でもとりわけ、ローマ・カトリックの良い伝統は積極的に引き継ごうとしたルターは、典礼においても、ドイツ語の聖書朗読、会衆によるドイツ語の讃美歌斉唱と並んで、カトリック典礼でのラテン語の式文も採り入れている。ルター正統主義が主流の当時のライプツィヒでも、ミサ通常文のキリエ、グロリア、サンクトゥスなどは祝日の礼拝においては、聖歌隊と器楽奏者たちによってラテン語で演奏されていた。そのためにバッハはミサ曲を何曲か作曲しているが、聖歌隊のレパートリーとなっていた過去の他の作曲家たちの作品も、一部手を加えたりしながら演奏していたのである。今日の演奏会では、そのような曲の一つ、ケルルの「ミサ・スペルバ」をとりあげることにした。

ヨハン・カスパール・ケルル(1627-93)は、バッハと同じドイツのザクセン地方に生まれ、ローマでカリッシミやおそらくフレスコバルディのもとで学んだのち、ミュンヘンと後にはヴィーンの宮廷や教会で活躍したオルガニスト、作曲家である。作品にはオルガン曲、すべて失われてしまったオペラの他には18曲のミサ曲がある。パレストリーナなどのルネッサンスのポリフォニーのミサ曲とも、またバロック後期の、例えばバッハの、合唱とアリアによるミサ曲とも違い、ケルルのミサ曲には17世紀イタリアの新しい教会音楽の影響を受けて、コンチェルト様式が使われている。つまり、例えばこの「ミサ・スペルバ」では、8人の独唱者、二重合唱にオーケストラが、交互に、競い合うようにして全曲を歌いついでいくのである。ライプツィヒのトーマス学校には既に17世紀末に楽譜を在庫していることが知られており、またバッハの後任者ゴットリープ・ハラーもこの曲を編曲していることからわかるように、聖歌隊のレパートリーの一曲として折にふれてこのミサ曲を演奏していたのであろう。
このミサ曲のうちバッハは「サンクトゥス」の楽章を編曲している。何千の天使が「聖なるかな」と呼び合っているように壮麗な“Sanctus”の部分はほぼ原曲のまま、次の“Dominus Deus Sabaoth”では声のパートは原曲のままだが、オーケストラのパートには、ヴァイオリンの生き生きとした16分音符を付け加え、さらに最後の“Pleni sunt……”の部分は、ケルルの“Osanna”の部分(本日は演奏されない)を下敷きとして全く新たに書き換えられている。このようにしてバッハ独自の「サンクトゥス」に仕上がっており、ケルルの他の楽章と比較して聴いていただけると興味深いと思う。オーケストラの編成は、ケルルの原曲ではヴァイオリン2部、トロンボーン4本と通奏低音であるが、バッハは編曲にあたって、オーボエ・ダモーレ2本を加え、トロンボーンの代わりに3本のヴィオラを使っている。本日の演奏ではそれに合わせて、ケルルの他の楽章でもトロンボーンに代えてヴィオラを用いることにした。また、ラテン語の発音は、ケルルがドイツ人であり、またそれをライプツィヒのバッハが演奏した経緯もふまえて、ドイツ式の発音を採用した。イタリア式の発音を聴き慣れていると多少奇異に響くかもしれないが、ラテン語の発音はヨーロッパ内で現在でさえ画一的に行われているわけではないし、各地方独自の発音で歌った方が、作品の本質をより良く表現できると考えて、あえてそのようにしたのである。さらに、そもそも典礼においては固有の場を持ち、決して続けて全曲演奏されることはなかったミサ曲を、本来の姿に少しでも近づけるため、各楽章はプログラムの各所にちらばして、本日の演奏会の柱とした。

…モテットとカンタータ / J. S. バッハ
さて、ルター派の礼拝の中で奏でられる音楽のうちでは、礼拝の「主要音楽」としてのカンタータが中心であった。200曲にものぼるバッハの教会カンタータは、音楽による聖書の解説であり、聖書の言葉をより深く、感性的にも信者の心の中に刻み込むものである。ライプツィヒの教会にかよう人々にとっては、説教と同じ位説得力を持ったものであり、また大きな楽しみでもあったにちがいない。カンタータはほとんど毎日曜日、祝祭日ごとにライプツィヒの主要教会で聖書朗読にひき続いて演奏されていた。

ところでその他にも特別な機会にあたって、カンタータ以外の音楽が用いられることもあった。それが当時ではすでに時代遅れの形式となっていたモテットである。バッハのモテット「恐れるなかれ、われ汝とともにあり」もおそらくライプツィヒの主だった人物の追悼礼拝のために作曲されたものであると思われる。カンタータが合唱の他に独立したオーケストラと独唱を含むのに対して、モテットはオブリガートの楽器を伴わない合唱のための音楽である。とは言っても、バッハがあるモテットを上演した時に使ったパート譜から推測すると、声のパートは何らかの楽器によって補強され、低音部には通奏低音の楽器として、チェロ、ファゴット、ヴィオローネ、オルガン、そしてチェンバロ(!)が加わったらしい。
本日演奏されるモテットは、旧約聖書イザヤ書の中からの2箇所、41章10節と43章1節の言葉をその歌詞としているが、それに対応して曲も前半と後半で全く違った性格を持っている。そして最初、中間と最後に、「恐れるなかれ」Fuerchte dich nicht という言葉が繰り返され、全曲を縁どり、統一性を与えている。前半はそれぞれ4声の二重合唱が、ある時は交互にまたある時はいっしょになって歌う8声部の音楽であるが、後半は2つの合唱が一つとなって、4声部となる。その後半では、アルト、テノール、バスの3声が対位法的にイザヤ書の言葉を歌うが、ソプラノはその上に別の歌詞でコラールのメロディーをのせていく。イザヤ書は神の言葉として、信じる者を救ったのだということを述べているのであるが、ソプラノは、それに応える信仰者という役を与えられているのであり、救いによって、つまりイエス・キリストの十字架の死のあがないによって、神と一つになれる喜びを祈っているのである。しかし最後の数小節ではその役をやめ、前半同様8声部の「恐れるなかれ」という神の声にソプラノも唱和して曲を閉じる。この部分の低声部は音名で g-fis-a-gis であり、これを短3度上に移すと b-a-c-h、つまりバッハとなる。バッハの隠された自署か、あるいは「恐れるなかれ、バッハよ」と自分に言いきかせているのか。もっとも、単なる偶然かもしれないが。

「神は私のものであり、私は神のものである」という、信仰する魂と神の神秘的合一は、「結婚」という比喩の形をとって、カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」の主題ともなっている。このカンタータが演奏された礼拝の中では、聖書の次の箇所が朗読された。
そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。思慮の浅い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。夜中に『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。すると思慮深い女たちは答えて言った。『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
(マタイによる福音書 第25章1節〜13節)
続けてカンタータの歌詞を読めばわかるが、カンタータでは聖書にある愚かな女たちは登場しないし、教訓的な内容にもふれられていない。それは説教の方でとりあげるべきものなのであろう。カンタータの骨組みになっているのは、この聖句をもとにしたフィリップ・ニコライ作のコラール「目覚めよと呼ぶ声あり」で、第1、4、7曲はこのコラールのメロディーと歌詞をそのまま用いている。その間に、それぞれ一組のレツィタティーフと二重唱が配されている。モテットの場合と同様、この曲においても独唱者のうち、ソプラノは花嫁、つまり信仰する魂を演じ、デュエットの相手であるバスは花婿つまりキリストであり、バスのレツィタティーフは、マタイ受難曲におけると同様、後光のような弦楽器の伴奏を伴っている。エヴァンゲリストであるテノールは物語の進行を語り、合唱はコラールを歌うことによって、語りつつ神を讃美する会衆の役を与えられているといっていいであろう。
全7曲からなるこのカンタータの第1曲はオーケストラの前奏で始まる。これは、この演奏会の最初に演奏された 前奏曲変ホ長調 と同じ調性であり、堂々とした祝祭的な序曲風の曲であるというところにある種の共通性があるように思われる。その符点のリズムに導かれて、夜警は花嫁たちを起こす。16分音符のせわしい動きは、花嫁たちの期待に満ちた心情を表しているのかもしれない。曲のまん中あたりの「アレルヤ」では、それまで長い音価でコラールのメロディーを歌うソプラノを支えていただけの他の3声が、抑えきれぬ喜びを、オーケストラの16分音符のモチーフを用いて独自のフガートで表し、ひとつのクライマックスを築いている。第2曲でテノールが花婿の到着を告げ、花嫁たちに彼を迎えるよう促すと、第3曲では、その花婿と花嫁が舞台前面に登場して、それぞれの思いを述べ合う。ところでこの曲のシシリアーノ風のリズムとハ短調という調性は、花嫁がうきうきして花婿を待っているという光景であるよりは、むしろ、この世の労苦を負いながらも希望の光をともしながら救いを望む信仰者の心と、それに力強く答えるイエス・キリストの対話であるように思われる。オルガン独奏曲にも編曲された第4曲では、花嫁、つまり「私達」がイエスに導かれつつ、喜びの婚礼の間、天上の宴に向かっていく足どりが聴かれる。第5曲でキリストは、信じる魂が怖れも痛みも忘れて浄福の空間に入れることを約束し、続く二重唱では、ついに一つとなった花婿と花嫁の喜びが歌われる。これはまさに「愛の二重唱」以外の何ものでもない。比喩的であるとはいえ、この歌詞のもとになっている旧約聖書の「雅歌」同様、男女の愛、結婚の喜びなのである。バッハの音楽はしかしながら、単に地上的な男女の愛として官能を強調するのではなく、またそれを観念的にすり変えて、空虚な象徴としてとらえるものでもなく、人間の内にある思いを基にしながらそれを昇華する力を持っているように私には思われる。終曲のコラールは、感謝・讃美をする会衆の声である。

…おわりに
このようにみてくると、カンタータがライプツィヒの礼拝の中で、説教と並ぶほど重要な位置をしめていたであろうことが推測される。逆に言えば、我々がバッハの教会音楽を聴くときには、その曲が演奏されたコンテクストを知り、聖書の内容をわきまえ、音楽を単に審美的にとらえるだけでなく、それと合わせて言葉を深く味わうことが大事なことであると言えよう。また、そうすることによってバッハの音楽は我々に、さらに豊かな精神的領野を開示してくれるのである。


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