東京スコラ・カントールム第23回定期・慈善演奏会
モーツァルトの教会音楽 II … 20歳のモーツァルト
Church Music of Mozart II - at the Age of Twenty


(1991/10/25、指揮:黒岩英臣、サレジオ碑文谷カトリック教会)


《曲目》
オルガン独奏 アンダンテ・ヘ長調(2/4拍子) KV616 / Andante in F
ミサ・ロンガ 憐れみの賛歌 KV262(246a) / Kyrie (Missa longa in C)
ミサ・ロンガ 栄光の賛歌 KV262(246a) / Gloria (Missa longa)
昇階唱 聖マリア、神のおん母 KV273 / Graduale ... Sancta Maria, mater Dei
ミサ・ロンガ 信仰告白 KV262(246a) / Credo (Missa longa)
奉納唱 女より生まれし者にて KV72(74f) / Offertorium ... Inter natos mulierum
奉納唱 主のおん慈しみ KV222(205a) / Offetorium ... Misericordias Domini
奉納唱 来れ、よろずの民よ KV260(248a) / Offetorium ... Venite populi
ミサ・ロンガ 感謝の賛歌 KV262(246a) / Sanctus (Missa longa)
ミサ・ロンガ ほむべきかな KV262(246a) / Benedictus (Missa longa)
ミサ・ロンガ 平和の賛歌 KV262(246a) / Agnus Dei (Missa longa)
聖体賛歌 真のご聖体 KV618 / Offetorium ... Ave verum corpus



《プログラムノートより》
『20歳のモーツァルト』 ... 小笹和彦 (東京スコラ・カントールム主幹)
…モーツァルトと対位法
前回の演奏会で私達は、モーツァルトがザルツグルクから出奔する直前の時期の傑作である「戴冠式ミサ(KV317)」と「証聖者のための晩課(KV339)」を演奏しました。今回はそれらが作曲された時期から5年ほど前、つまりモーツァルトが成人に達した20歳頃の作品を中心にプログラムを編成しました。この決定にはいささか逡巡するところがありました。つまり常識的に、あるいは進化論的にものごとを決めるとすれば、前回のプログラムの後にはウィーン時代の、というよりもモーツァルトの全作品の中でも最高の評価を得ている「ハ短調大ミサ曲」か「レクイエム」のに進むのが順当かもしれないと思ったからです。それにもかかわらず、あえて作曲年代を若い方に溯ったのは次のような意義を見出したからです。

1. モーツァルトの音楽は必ずしも年代的に進化していくのではなく、それぞれの作曲時点で完全な作品としての価値がある。
2. 「ハ短調大ミサ曲」も「レクイエム」も未完成で終わり画龍点睛を欠く。
3. 東京スコラ・カントールムは、創立以来埋もれた歴史的遺産を紹介することに意欲を燃やしてきた。
4. ちょっとオシャレに「いのちの電話20年」とかけてみた…

ということで「20歳のモーツァルト」に焦点を当ててプログラムを考えたのですが、この頃の教会音楽作品にはつきせぬ興味があり、選択に困りました。20歳のモーツァルトは、ザルツブルクの宮廷音楽家としての地位も板につき、生涯で最も多くの教会音楽を作曲しました。この年にモーツァルトがイタリアの高名なマルティーニ神父に送った手紙には「目下私は室内楽と教会音楽を作曲することを楽しみにしております」と書かれています。5つのミサ曲と2曲の小品(オッフェルトリウム)それにご聖体をたたえる連祷1曲と6曲の教会ソナタがその結果として現存しており、そのいずれをとってもモーツァルトの天稟がきらめいています。
そこで私は「モーツァルトと対位法」というテーマを中心に選曲してみました。それはモーツァルトのあまり知られていない、しかし後期の作品に重要な影響をおよぼした鍵を探ることになるはずだからです。この頃のモーツァルトは、それまでに各地を旅して得た新しい音楽の概念に、伝統的な教会音楽様式を統合することに意欲を燃やしていました。すなわち、イタリアやフランスで吸収した華麗優美な音楽様式(ガラント様式)に、バロック時代に完成された、ある意味では前時代的な対位法や半音階的表現の技術を取りこんでいったのです。
これがモーツァルトの音楽に独特な彫りの深さを与え、ともすればメロディーの美しさや、古典派音楽の極致としての価値にのみ集中しがちな私達の関心を、より普遍的でより高邁な精神の存在に目を向けさせてくれることになりました。
今晩ご紹介する「ミサ・ロンガ」はその好個の例といえるでしょう。これはモーツァルトが5歳で作曲を始めて15年、短い35年の生涯を閉じる15年前、そのちょうど中心に当たる20歳の時、すなわち1776年の春5月に作曲されたといわれています。

…ミサ・ロンガ(KV262 / 246a)
ミサ・ロンガ(Missa longa)、つまり日本語に訳して「長いミサ曲」とはずいぶん無粋な名称ですが、もちろんモーツァルト自身の命名によるものではありません。モーツァルトのミサ曲は、そのほとんどがミサ・ブレヴィス(Missa brevis/短いミサ曲)として作曲され、あまり時間をかけないで演奏できるように設計されています。ところが、このミサ・ロンガだけは比較的長い演奏時間と、大編成のオーケストラを前提として書かれているためにこのニック・ネームがつけられたようです。しかし、長いのは前半のキリエ、グローリアおよびクレードの3部だけで、残りのサンクトゥス、ベネディクトゥスおよびアニュース・デーイは他のミサ曲よりもむしろ短めに作曲され、全曲を通して見れば30分以内に収まるこじんまりとした作品です。したがって、この曲は音楽的な分類でいえばミサ・ブレヴィスに属し、特別な典礼のための大規模なミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)とは一線を画します。
なぜこのように前半3部に比重の高いミサ曲が作曲されたのか。その理由は今となっては知るよしもありません。しかしそれはいかにもモーツァルトらしい、教会音楽家としての役割に徹した工夫の一つだったと考えることが可能です。前項にあげたイタリアのマルティーニ神父に出した手紙には「…君主であるコロレド大司教の司式されるミサでは、ミサ曲とそれ以外の曲を含めて音楽に与えられる時間は45分であり、オーケストラにはトランペットとティンパニーが欠かせないため、作曲には特別の研究が必要…」と記されています。

それではその「特別の研究」とは何だったのでしょうか。
モーツァルトがザルツブルクで集中的に教会音楽を作曲した5年間、作品でいえば KV167 の「聖三位一体の祝日のミサ曲」から「戴冠式ミサ曲(KV317)」にいたる現存する10曲のミサ・プレヴィスにその成果が明らかです。
ともすれば劇的で過大な表現に陥りがちな部分を、伝統的な教会音楽の形式をかりて昇華・圧縮したり、対位法的な構成を進めながらも簡単な和声的終止で解決したり、オーケストラの前奏や間奏部分を短縮したり、ソリストの効果的活用やアリアを用いない…といったさまざまな工夫がこらされています。ただし、どの事例をとってもテキストである典礼文を省略したり、各声部に異なったテキストを同時に歌わせて演奏時間を節約するといった姑息な手段を弄することはありません(こうした複歌詞構造による時間節約法は当時の作曲家に多くみられる便法だったのですが、モーツァルトがこれに与さなかった事実は注目に値します)。
以上のいきさつを考えれば、この「ミサ・ロンガ」が、ミサ曲前半と後半の性格を変え、そのことによって時間の節約を図ることを「特別の研究」対象としたと考えても不思議ではありません。
つまりカトリックのミサ聖祭においては前半の重点が「ことば」にあり、後半は神秘的な聖体拝領に思いを集中させる仕組みになっています。したがって祭儀の流れを重視したモーツァルトが、テキスト自体が長文の前半は重厚な音楽によって「ことば=聖書と説教」を敷衍し、後半では簡潔で明晰な音楽によって上からの祝福を表現したと考えることができるのです。

かくしてモーツァルトは、数ある「研究」の一つとしてこのように前半と後半では比重の異なる「ミサ・ロンガ」を作曲したと思われますが、それだけでは循環ミサ曲としての統一性が欠けてしまいます。そこでモーツァルトは全曲をある一貫したイメージで結びました。そのイメージとは「小鳥の情景」ともいうべき、主としてオーケストラ部に出てくる動機(モティーフ)、楽句ないしは楽節で、あるときは大空高く飛翔するひばりのさえずりであったり、あるときはゆうゆうと天空を舞うかもめの姿で全曲に活写されています。
「ミサ・ロンガ」の直前に完成した「雀のミサ曲(KV220/196b)」にでてくる雀のさえずりを思わす動機、ヴァイオリンが高音域で奏でる鋭い音形がもっと美しく、もっといきいきとした姿でこの各曲に息づいています。鳥の種類は「雀のミサ曲」のときよりも遥かに豊富です。「魔笛」を手がかりとしてモーツァルトと鳥との密接な関係に言及する著作がありますが、残念ながらまだ学問的権威は確立していません。したがって今のところ、この曲想に寄せられた作曲者の心象風景を解明するてだてはありませんが、想像をめぐらせてモーツァルトの世界に遊ぶのは真に心楽しい試みです。
それは春の野に遊んだ無邪気な幼少時代への郷愁だったかもしれませんし、遥かな青空にはばたく自由な鳥の姿に、自分の将来の夢を託す青雲の志だったのかもしれません。いずれにしても、そこには美しい春の野に出たモーツァルトが、小鳥達と共に無心に神様を崇めている姿が、いきいきと浮かんでまいります。
アルフレート・アインシュタインがその著「モーツァルト」の中で、この「ミサ・ロンガ」に「心情と無邪気さとリート的性格」を認めているのもむべなるかなと申せましょう。

…モーツァルトが死の年に作った最後のリート「春(KV597)」の歌詞が、ふと脳裏をかすめます。そのメロディーには、失恋と貧窮の憂愁を超え、天国への純真な期待と憧憬に満ちたあの明るいメロディーが使われています。最後のピアノ協奏曲(KV595/第27番)終楽章のロンド主題に使われたあのメロディーです。
第4節
花におおわれた草原は
創造主よ、あなたの祭壇です
そこに供えられる純心な喜びは
若い季節のあなたへの捧げもの
それは青すみれの初香と
天がけるひばりの
あなたへの讃め歌です

第6節
讃えて歌え、わが魂よ
神は多くの喜びを創造された!
讃えて歌いかつ語れ
神の大能によって造られしものを!
花に彩られたこの丘から星々の回廊に向かい
祈りの翼に乗せて
わが魂の讃め歌を天にいたらせよ
(原詩:Christian Christoph Sturm)

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