東京スコラ・カントールム第30回定期・慈善演奏会
英国の教会音楽 III … 大聖堂の響き
English Cathedral Music


(1996/4/19、指揮・オルガン:ジェームス・ドーソン、聖アンセルモ目黒カトリック教会)


《曲目》
1. 手を打ち鳴らせ オルランド・ギボンズ(1583-1625)
O clap your hands Orlando Gibbons
2. エレミヤの哀歌 トマス・タリス(c.1505-1585)
The lamentation of Jeremiah Thomas Tallis
3. 五声のミサ ウィリアム・バード(1543-1623)
Mass for five voices William Byrd
4. 神の小羊を喜び祝え ベンジャミン・ブリテン(1913-1976)
Rejoice in the Lamb Benjamin Britten
5. 詩編 84編(アングリカン・チャント) エドワード・ベアストウ(1874-1946)
Psalm 84(Anglican chant) Edward Bairstow
6. 巨匠タリスの遺言(オルガン) ハーバート・ハウェルズ(1892-1983)
Master Tallis' Testament(Organ) Herbert Howells
7. 大地よ、彼を連れ去り、慈しめ ハーバート・ハウェルズ(1892-1983)
Take him, earth, for cherishing Herbert Howells


《プログラムノート》
... ジェームス・ドーソン (東京スコラ・カントールム客演指揮者)
今夜のプログラムの前半に歌われる曲はイギリスのテューダー朝とステュアート朝の教会音楽です。作曲者たちは当時の最高峰に位置する人びとであり、それゆえに当時の複雑な宗教的、政治的状況の諸相を反映しています。
その中で間違いなく「エスタブリッシュメント」の側にいたのはオルランド・ギボンズです。ギボンズはその職業生活のほとんどを王室礼拝堂のオルガニストとして過ごし、王家の人びとが王宮におられる時は常にその礼拝に奉仕していました。
彼は詩編47編につけた8声部のための輝かしい曲、“O clap your hands”で、オックスフォード大学から音楽博士の称号を1622年に授与されました。この曲は音楽作品としても、当時の宗教的状況の記録としても、公式の、正統派のものでした。詩文(普通、教会暦の昇天祭の祝祭に用いられる)祝祭の気分は完璧に音楽に反映されています。
ギボンズはこの作曲にあたり、詩文の意味するものと抑揚とにマドリガル作曲家らしい注意を払っています。“God is gone up”と“O sing praises”の2ヶ所などは、彼の曲付けの巧みさが顕著に現れている例です。
この作品の場合、詩文中の“king”と当時ギボンズが仕えた王、ジェームズ一世とを関連付けないのは困難です。というのも、音楽の主目的が国教会の神に栄光を帰する事であってみれば、教会の守護者であり、作曲者の庇護者でもある王が、その栄光の余沢にあづかるのになんの不思議もないからです。

トマス・タリスもまた政治的、宗教的エスタブリッシュメントの中に確固たる場所を確保していた人でした。君主の交替が宗教の交替をも意味し、また宗教音楽のスタイルも変化せざるを得なかった、そんな時代に、タリスは四人の君主(ヘンリー八世、エドワード六世、メアリー一世、エリザベス一世)に仕えたのです。ヘンリーの広範な教会改革はエドワード(治世6年)によって徹底され、メアリー(治世5年)がこれを覆し、エリザベスがまた元へ戻す、そんな慌ただしい変化の時代でした。タリスはこの変化を沈着に乗り切り、それぞれの時代の波に応じた適切な語法で名曲を生み出しました。
しかし、エレミヤの哀歌からとられ、伝統的に聖受難週の聖務日課テネブレ(朝課=未明の祈り)に用いられてきた詩文に曲を付けた時、タリスはこの節度ある態度から外れていたようです。哀歌では、緊張度の高いラテン語の詩が、張り詰めた、感動的な音楽にのっています。しかもこの曲は、エリザベス女王の治世下、英語の礼拝がローマカトリックとラテン語の典礼とに再度とって替わった時期に作曲されたのは殆ど間違いない事です。エルサレムに向かって「主であるあなたの神に立ち返れ」と、叫びを上げる哀歌は、魂の故郷から彷徨い出てしまった国教会に対して悔い改めを呼び掛けるものとして受けとられた(少なくともタリスによって)としても不思議ではなかったでしょう。
合唱が表現する暗い気分は詩のやるせなさを強調しています。(原曲は低く深みのある男声のために書かれています。今夜は二度上げて歌います。)これは嘆きを表現した深い感銘を呼ぶ音楽です。そしてまた、教会や国という公式の体制に深く根を下ろしていた音楽家の作品でありながら、抗議と不同意の音楽と受けとる事もできるのです。

ウィリアム・バードの体制との関わり方はタリスよりも大分曖昧でした。イギリス宗教改革の勝利が最早動かぬものとなってからも、バードは法を犯してローマカトリックに留まっていたことが頻繁に記録されています。それにも関わらず、エリザベス女王の厚い庇護があった彼は厳しい処罰を免れていたのです(他の人びとはバード程に幸運ではありませんでした。バードの紛うかたなきカトリック音楽の一冊を所持していたある不運なカトリックは厳しく罰せられました)。バードは改革後の国教会の礼拝のために沢山の曲を書きましたが、それよりも遥かに多くの曲をローマカトリックの「アンダーグラウンド」のミサなどのために書き、また、秘密に集まって伝統的な礼拝を捧げたのでした。三声、四声、五声のための三つのミサ曲は多分1590年に書かれたものです。これらはバードの、大英帝国公認の音楽と宗教に対する活動家としての運動の表れの一端をなしていたと言えます。
五声のミサは、バードが音楽空間を隅から隅まで掌握していたこと、とりわけ声部の構成の処理が巧みであったことを物語る、美しい作品です。対位法的に進んできた各声部が、あるときは突然に、あるときは殆どそれと知れずに、聖なる言葉のホモフォニックな朗詠に入って行きます。例を挙げましょう。グローリアの“Domine Deus” とクレドの“Iesum Christum”そして“Crucifixus”に入る所がそうであり、さらに、この方式が一番効果的に用いられている箇所が最終部の“Agnus Dei”…神の子羊に捧げる最後の嘆願の祈り…です。

今宵のプログラムの第二部は20世紀に飛びます。今世紀に入ってイギリスの教会音楽は別の意味の「ルネサンス」を経験しました。ベンジャミン・ブリテンやハーバート・ハウェルズなどの音楽家が詞文の表すところのものを絶妙に表現する音楽を書いたのです。

ブリテンのオルガンと合唱のためのカンタータ、“Rejoice in the Lamb”は第二次世界大戦の最中、1943年に書かれました。自ら選んで祖国ブリテンからの追放者となった平和主義者であった彼が選んだ詞文は、精神を病んで病院に収容されていた詩人、クリストファー・スマート(1722-1771)の詩であり、それ故にこの曲は作曲者の政治的な意思表示でもあったのです。
詞文はスマートの、“Jubilate Agno”と題された、読む者を惑乱させるような詩からブリテンが選び出した断片を集めたものです。この詞文のそこここには陽気な奇抜さと、おどろおどろしさの両方が出てきます。神話や聖書の中の人物や動物を呼び出して神を讃美させる主旨の冒頭の合唱と、これに続く、それぞれが猫と鼠の徳行を賞揚するソプラノとアルトのソロの奇抜さは誰の耳にも明らかでしょう。
その後に続くコーラスによる長い叙唱“For I am under the same accusation”のおどろおどろしさはどうでしょう。もしも作詞者スマートと作曲者ブリテンのいずれもが「ここに述べられていることは真実以外の何ものでもない」と信じていたのでなかったならば、これは凄まじく偏執狂的な表現と受けとられたことでしょう。「乙女から生まれた」あのお方による救いの望みがバスのソロを導き出し、バスのソロは神に向かう大路…音楽…を呼び出します。合唱がこれに呼応して、段々に喜ばしい(そして再び奇抜な)声を上げます…次々と楽器の名を挙げ、その音に似た響きを持つ言葉を幾つか、韻を踏ませて続けます。そして歓喜が頂点に達する終局部に来ると、詞の言葉そのままに聴く者を“a remarkable stillness and serenity of soul”(魂の驚くべき静寂と平静)へと導いてゆきます。

詩編はそれが初めて書かれた何千年もの昔から歌われるものでした。今宵演奏する詩編84編につけられたエドワード・ベアストウの曲はアングリカン・チャントと呼ばれる形式に従っています。アングリカン・チャントでは、賛美歌と同じように幾つかの短い和声の組み合わせが詩の節ごとに繰り返されます。このベアストウの曲は「ダブル」セッティングと呼ばれる形式を取っています。各節で同じ曲を繰り返す「シングル」セッティングと異なり、ダブル・セッティングの場合、同じ曲は詩の2節毎に繰り返されます。アングリカン・チャントは今日でもイギリス各地の大聖堂やオクスフォードやケンブリッジのような大学の礼拝堂で、毎日朝夕の礼拝の折に歌われています。

ハーバート・ハウェルズの音楽の中で一番知られているのが合唱音楽です。彼は各地の大聖堂や大学の礼拝堂の依頼を受けて夕べの祈りのカンティクル(magnificat…マリアの賛歌やnunc dimittis…シメオンの賛歌など、聖書に基づく頌詩)に作曲をしました。彼のユニークな、郷愁を呼ぶ和声語法はイギリスの合唱団の愛好するところです。しかし彼のオルガン音楽はイギリス以外では余り知られていません。
“Master Tallis's Testament”…巨匠タリスの遺言…はトマス・タリスに捧げたオルガン変奏曲集です。ハウェルズはこの曲でエリザベス朝の旋律とリズムの修辞を用いて彼一流の表現法でハーモニーを構成し、400年を跨ぐ美しい音楽の橋を掛けることに成功しました。

“Take him, earth, for cherishing”…大地よ、彼を連れ去り、慈しめ…は、同じくハウェルズが「捧げた」音楽ですが相手は現代の人ジョン・F・ケネディです。1964年、凶弾が彼の命を奪い、同時にアメリカのみならず世界中の人びとが彼によって抱いた希望と明るい展望を打ち砕いた年に作曲されました。
ハウェルズは古代のクリスチャン詩人プルデンティウス(〜413)の詩を選びました。古典的な追悼の辞とクリスチャンの葬送の賛美歌と、両方の要素が美しく融合した詩です。曲の中心テーマでもある、詩の最初の数行がユニゾンで静かに歌い出されます(この箇所の詞文及び旋律の断片が曲の全体を通して繰り返し現れます)。「大地よ、彼を連れ去り、慈しめ、汝のたおやかな胸に彼を抱け。我が汝に捧ぐる男の躯は、朽ち果つるともなお尊し。」次いで二本の音楽の糸の織り出す構造が広がり、さらに五声の構造へと展開して行きます。やがて声は八部に分かれ、冒頭の節を心も張り裂けるように繰り返して終止します。


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