東京スコラ・カントールム第32回定期・慈善演奏会
聖週間の音楽 … ある聖歌史IV
Music for the Holly Week


(1997/3/22、指揮:花井哲郎、聖心女子大学聖堂)


《曲目》
1. 入祭唱 しかし私たちは グレゴリオ聖歌
Introitus: Nos autem Gregorian Chant
2. 哀れみの賛歌、栄光の賛歌(ミサ曲ハ長調より) アントン・ブルックナー(1824-1896)
Kyrie / Gloria(from Mass in C) Anton Bruckner
3. 昇階唱 キリストは私たちのため グレゴリオ聖歌
Graduale:Christus factus est Gregorian Chant
4. 信仰宣言(ミサ曲ハ長調より) アントン・ブルックナー
Credo(from Mass in C) Anton Bruckner
5-1. 愛といつくしみのあるところ グレゴリオ聖歌
Ubi caritas Gregorian Chant
5-2. 愛といつくしみのあるところ(4つのモテットより) モーリス・デュリュフレ(1902-1986)
Ubi caritas(from 4 Motets) Maurice Durufle
6-1. 序唱 グレゴリオ聖歌
Prefatio Gregorian Chant
6-2. 感謝の賛歌(ミサ曲ハ長調より) アントン・ブルックナー
Sanctus / Benedictus(from Mass in C) Anton Bruckner
7. 平和の賛歌(ミサ曲ハ長調より) アントン・ブルックナー
Agnus Dei(from Mass in C) Anton Bruckner
8-1. 口よ、栄光あふれる聖体を グレゴリオ聖歌
Pange lingua Gregorian Chant
8-2. この偉大な秘蹟を(4つのモテットより) モーリス・デュリュフレ
Tantum ergo(from 4 Motets) Maurice Durufle
9. エレミヤの哀歌 グレゴリオ聖歌
Lamentatio Jeremiae Gregorian Chant
10-1. わたしの魂は カルロ・ジェズアルド(c.1561-1613)
Tristes est anima mea Carlo Gesualdo
10-2. わたしの魂は フランシス・プーランク(1899-1963)
Tristes est anima mea Francis Poulenc
11. エレミヤの哀歌 グレゴリオ聖歌
Lamentatio Jeremiae Gregorian Chant
12-1. 選ばれたぶどう園よ カルロ・ジェズアルド
Vine mea electa Carlo Gesualdo
12-2. 選ばれたぶどう園よ フランシス・プーランク
Vine mea electa Francis Poulenc
13. エレミヤの哀歌 グレゴリオ聖歌
Lamentatio Jeremiae Gregorian Chant
14-1. 闇が地を覆った カルロ・ジェズアルド
Tenebrae factae sunt Carlo Gesualdo
14-2. 闇が地を覆った フランシス・プーランク
Tenebrae factae sunt Francis Poulenc
15. ザカリアの歌(ベネディクトゥス) グレゴリオ聖歌
Antifona:Posuerunt+Benedictus Gregorian Chant
16. キリストは私たちのため アントン・ブルックナー
Christus factus est Anton Bruckner


《プログラムノート》
... 花井哲郎 (東京スコラ・カントールム指揮者)

キリストの復活はキリスト教最大の神秘であり、信仰者の喜びの源である。それゆえ、典礼暦の中でも最も重要な行事である復活祭は、周到な準備をもって迎えられる。復活の主日に先立つ40日間は四旬節とよばれ、意識を内面に向け、罪を悔い改め、自分の弱点を克服し、生活をできる限り神に捧げる努力をすることが勧められる。そして聖週間と名づけられた四旬節最後の1週間には、キリストの十字架の死による、人類の救いそのものが記念される。

古来、教会は様々なシンボルを使ってこの内面化を表現し、助けてきた。
一年を通じて歌い続けられる喜びの歌「アレルヤ」は、四旬節の3週間前にすでに始まる悔恨の期間には、典礼から全く閉め出されてしまう。中世には、口馴染んだアレルヤからしばらくお別れするということで、「アレルヤの葬式」なる行事すらあったらしい。

聖週間には教会を彩るあらゆる聖像、そして十字架そのものにさえ布で覆いが被せられてしまい、信者はキリストの受難を徹底的に黙想するよう促される。
聖週間中の木曜日、聖木曜日のミサで、例外的に栄光の賛歌、グロリアが歌われるその間中教会の鐘が打ち鳴らされるが、その後は復活祭の朝まで、全ての鐘は沈黙を保つことになる。修道院では食事の時を告げる鐘さえ鳴らずに、鈍い音を発する木製の鈴のようなもので代用されることもあるくらいだ。
聖週間最後の3日間、聖務日課のひとつの朝課は、かつては夜課に続いて前夜に歌われた。その間、ろうそくが一本ずつ消されていき、最後の答唱とミゼレーレ(詩篇50編)が唱えられるのは、全くの暗闇の中だった。

本日のプログラム前半では、聖木曜日のミサのための音楽が、後半では夜課と朝課で歌われる曲が演奏される。受難、十字架、苦悩、罪、といったイエスの死の弔い、人間の弱さをあらわす暗い概念に満ちているが、その全てに意味を与えるのは、実は神の光り輝く「愛」である。そのためプログラムの中心に位置しているのは、愛の賛歌 Ubi Caritas(「愛といつくしみのあるところ」)であり、聖週間に繰り返し歌われる Christus factus est(「キリストは私たちのため」)である。イエスの示した従順、愛、奉仕の精神をからだ中に染みわたらせること、そしてその模範に従うこと、そこにこの内面化の典礼、音楽の意義があるのである。


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