東京スコラ・カントールム第34回定期・慈善演奏会
クリスマスの聖歌とキャロルの夕べ … ある聖歌史 V
The Joy of Christmas


(1998/12/18、指揮:花井哲郎、東京カテドラル聖マリア大聖堂)


《曲目》
1. おお 大いなる神秘
O magnum mysterium
i グレゴリオ聖歌
Gregorian Chant
ii T. L. de ヴィットリア(1548-1611)
Tomas Luis de Victoria
2. 羊飼いたちよ、何を見たのか話してください
Quem vidistis pastores
i グレゴリオ聖歌
Gregorian Chant
ii A. ガブリエリ(c.1510-1586)
Andrea Gabrieli
3. オルガン:カンツォーナ・アリオーサ
Canzona Ariosa
A. ガブリエリ
Andrea Gabrieli
4. 学者たちはその星を見て
Videntes stellam magi
i グレゴリオ聖歌
Gregorian Chant
ii G. P. da パレストリーナ(c.1525-1594)
Giovanni Pierluigi da Palestrina
5. 今日、キリストはお生まれになった
Hodie Christus natus est
i グレゴリオ聖歌
Gregorian Chant
ii チプリアーノ・デ・ローレ(c.1516-1565)
Cipriano de Rore
6. オルガン:アラベスク「24の自由な様式による小品」より
Arabesque - from “24 Pieces en style libre”
ルイ・ヴィエルヌ(1870-1937)
Louis Vierne
7. クリスマスの4つのモテット
4 Motets pour le temps de Noel
フランシス・プーランク(1899-1963)
Francis Poulenc
8. クリスマスキャロル・メドレー
Christmas Carols Medley
編曲:木下牧子
Arr. by Makiko Kinoshita


《プログラムノート》
第1部 ... 花井哲郎 (東京スコラ・カントールム指揮者)
東京スコラ・カントールムでは、グレゴリオ聖歌と、それに基づいて作曲されたルネサンスと近・現代の音楽を並べて鑑賞していただく「ある聖歌史」を、何度かプログラムとして組んできました。今回はクリスマスをテーマに、聖務日課(ミサ以外の、修道院などで行われる日々の祈り)の中で歌われる聖歌と、イタリアで活躍したルネサンスの大家たちの作品、そして20世紀フランスの作曲家フランシス・プーランクが同じ言葉を用いて作った曲をそれぞれ4曲ずつ取り上げてみました。つまり、前半のプログラムでは12曲が歌われますが、多少の違いはあるものの歌詞は4種類、それが3回ずつ繰り返されるわけです。同じ素材から引き出される全く違った感動を、共に体験していただけることと思います。

グレゴリオ聖歌は単旋律による中世の典礼音楽で、たとえるなら音によるイコンとも言えるでしょう。演奏に関しては、最古の諸写本に記されたネウマ譜にインスピレーションを汲み取るよう努めています。特にザンクト・ガレン修道院に残された10世紀の写本は、美しく精緻を極めた記譜で有名です。この写本のおかげで私たちは、すでに失われてしまった中世の歌唱法の片鱗をうかがい知ることができるのです。
ルネサンスの時代には、北方のフランドル地方出身の音楽家たちがイタリアでも活躍し、複雑な対位法と優美な旋律の絶妙な組み合わせで人々を魅了しました。デ・ローレもその一人です。16世紀も半ば過ぎると、その流れを受けつつもイタリア独自の様式が花開き、バロックをすでに予感させる表出的で劇的な表現が、宗教音楽の中にも少しずつ見られるようになってきました。ヴィットリア、ガブリエリ、パレストリーナはそのような世代の作曲家で、各声部の絡み合いと並んで、言葉を明確に浮き立たせる和声的な響きが特徴的です。
プーランクの宗教音楽は数は多くないものの、今やレパートリーの欠かせない一部になっています。1951年から1952年にかけて作曲された「クリスマスの4つのモテット」は4曲それぞれが歌詞の内容を反映して、大変個性的です。インドネシアのガムラン音楽にも強い関心を持っていたプーランクならではの独特の和音が、異次元への瞑想に誘ってくれます。一つ一つの言葉の持つニュアンスを音にする工夫が凝らされている点で、グレゴリオ聖歌に共通するものを感じますが、プーランクの場合フランス語の抑揚を思わせる旋律線がなかなか粋です。

1. O magnum mysterium(おお 大いなる神秘)
クリスマスは喜びの季節であると同時に、神が人の姿をとってこの世に現れたという秘儀を、畏敬の念を持って思い返すときでもあります。この聖歌はクリスマス早朝の祈りの中で歌われるレスポンソリウム、つまり聖書朗読に対する答唱で、第3旋法という神秘を感じさせる音階が用いられています。
イタリア・ルネサンスの影響を強く受けたスペインの作曲家ヴィットリアの曲では、冒頭の完全5度がその神秘を表現しているように思われてなりません。「アレルヤ」に向けては、内に秘められつつも抑えきれない情熱の高まりが感じられます。

2. Quem vidistis pastores(羊飼いたちよ、何を見たのか話してください)
羊飼いたちが、天使の歌うグロリアに目を見張る話はクリスマスの最も輝かしい一場面でしょう。ここでは典礼に参加している私たちが羊飼いにその話をしてくれるように頼む、という形で歌詞が作られています。
このグレゴリオ聖歌もレスポンソリウムで、比較的単純なアンティフォナ交唱などに比べて、高度に発達した様式を持っています。ヴェネチアで活躍したガブリエリは複合唱で有名ですが、ここでも二群の合唱が畳み掛けるように話を進めていきます。

4. Videntes stellam magi(学者たちはその星を見て)
そもそも12月25日以前にクリスマスを祝って、それが過ぎると急にお正月気分になってしまう日本の年末は、教会の暦と全く矛盾しており、まじめに典礼に従おうとすると何ともやりにくいものです。クリスマスの前は待降節、クリスマスを待ち望みながらも、悔い改め、静かに内省する時期なのであり、また、クリスマスのお祝いは1月まで続いているのですが、そう思っている人は現代ではカトリック信者ですら少ないかもしれません。Videntes stellam は御公現の祝日、1月6日の典礼に属しています。3人の東方からの博士の話は、実は典礼の暦の上では新年に入ってから取り上げられるのです。
この曲とその次の Hodie Christus は、ともに晩課(夕べの祈り)で朗唱される聖母マリアの歌「マニフィカト」の交唱、アンティフォナです。一つの音節が長い旋律で引き延ばされるレスポンソリウムなどと違い、数少ない音で語りかけるように歌われるのが特徴です。パレストリーナはイタリア・ルネサンスを代表する教会音楽の作曲家。常にバランスの取れた作風ですが、この曲ではガブリエリのように二重合唱を巧みに用いて、黄金、乳香、没薬を捧げる博士たちの心情を、絵画的に表現しています。

5. Hodie Christus natus est(今日、キリストはお生まれになった)
教会暦の大きな祝日の聖歌には、「今日」hodie という言葉を繰り返し、キリストの時代の出来事を現在に呼び起こし、その喜びを祝う歌がよくあります。本日はまだ降誕祭のその日ではありませんが、天使の大群が現れた2000年前の神聖な喜びを、この歌によってどうぞ皆様も今日この時に味わうことができますように。
デ・ローレの曲は6つの声部が最後まで模倣しあいながらそれぞれ旋律を歌う、いわゆる対位法的な作品で、他のルネサンスのモテット3曲に見られたような縦割りの和音が連続するような部分は全くありません。この大聖堂の音響の中で6声を聴き分けるのは容易でないと思いますが、第2ソプラノと第1テノールの2声が5度のカノンを歌っているということを知っていると、鑑賞の助けになるかもしれません。つまり、テノールと全く同じ旋律をソプラノがしばらく後に5度上で追いかけるように歌うのです。

7. クリスマスの4つのモテット
プーランクの4曲は一つの曲集にまとめられているということもあり、グレゴリオ聖歌とルネサンスの曲の後、続けて演奏されます。飼い葉桶に眠る幼子に神を見、畏怖しつつ礼拝するかのような O magnum、物語風な Quem vidistis と Videntes、喜びの奔流が高らかなアレルヤの声となった Hodie を、4楽章の組曲として楽しんでいただけることと思います。
3. 6. オルガン曲
オルガン曲は Quem vidistis の作曲家アンドレア・ガブリエリとプーランクと同じ20世紀のオルガニスト、ルイ・ヴィエルヌによる作品を選びました。イタリア・ルネサンスと、近代フランスのオルガン音楽それぞれの、最良のエッセンスといえる愛らしい小品です。楽しくも心にしみる静けさを湛えたクリスマスの気分を高めてくれることでしょう。

第2部 ... 小笹和彦 (東京スコラ・カントールム主幹)

第2部で演奏するクリスマス・キャロル集は、私たちには珍しい 再演ものです。16年前(1982年11月28日)、当時の合唱指揮者、鈴木成夫さんの指導で初演しました。全曲は9曲のキャロルをつなぎ合わせた、いわゆるメドレー形式の構成ですが、曲が終わるやいなや、今日と同じこの会場を埋め尽くした聴衆の方々がスタンティング・オベーションを贈ってくださった情景が目に浮かびます。
それには編曲・構成をお願いした、いまや名声隠れもない作曲家・木下牧子さんのご尽力があずかって力があったことはいうまでもありません。また、日本の社会でもなじみ深いキャロルの名曲の数々が、多くの方の感興を刺激したことも間違いのないことでしょう。その日の感激を分かちあった仲間のうち、今日も歌える団員は12名しかおりません。あるいは12名もいるというべきかもしれませんが、この曲はスコラが存続する限り皆と共有していたいという思いにかられる、最も楽しいレパートリーのひとつなのです。
各曲についてはいちいち解説の必要がないほどのポピュラーなキャロル(通常クリスマスに歌われる俗謡に近い聖歌の意)集ですが、そのうちの第7曲「Donkey carol(ロバのキャロル)」については、少しだけ説明を加えておいたほうがいいと思います。

この曲はある団員がイギリスで聴いて心をひかれ、楽譜とレコードを持ち帰り、後に木下さんにお願いして特にこの曲集にも編入していただいたものですが、初演当時はほとんど世に知られていない曲でした。今でこそこの原曲の作詞・作曲者であるジョン・ラター(John Rutter、1945年ロンドン生)が世界的に有名な存在となり、それと共にこの曲も知る人ぞ知る現代キャロルの名曲の一つと数えられるようになりました。が、何しろ 5/8拍子という変わったリズムが基調で歌いこなすのが難しいうえ、ロバという動物になじみが薄いせいか日本ではあまり歌われていません。とはいえ、なんとなく聞き過ごしてしまうにはあまりにも惜しい名曲です。全体的にユーモラスな印象がありますが、歌詞をよく読んでみるとなかなか含蓄に富んだ内容です。

ロバには聖書的隠喩があり、このロバによって身重のマリアが宿を探す時の疲れきった心象風景、キリストの幼時に為政者の迫害を逃れて家族と共にエジプトへ逃れた時の情景、あるいは受難直前に、民衆に歓迎されながらエルサレム入城したときの 光景がほうふつします。また冒頭の歌詞で、そのロバが背負う「マリアと重い荷」のことが出てきますが、その重荷とはマリアとその胎内に宿る神の子イエス・キリストの重み、そのイエスが後に背負うことになる全人類の罪の重荷、またそのために愛する子の十字架の死に立会い、悲嘆にくれるマリアの悲しみを、重層的に象徴しています。つまりこの冒頭の簡単な言葉と暗喩、それに全曲を通しての不安定なリズムで、キリストの全生涯、聖家族の愛と葛藤、キリスト者の信仰を暗示しているのです。そう考えるとロバは今生きている、私たち全ての象徴と考えることができます。私たちの歩む道は平坦ではありません。でこぼこ道です。私たちはロバのようにつまづき、よろけながら、重い荷を負ってあえぎながら人生の旅路を歩みます。けれども暗い夜道ばかりではありません。目を覚ました時、そこには新たな喜びが待っているのです。ラターはそう訴えたかったのではないでしょうか。

先頭へ戻る
Activities へ戻る
トップページへ戻る