東京スコラ・カントールム創立20周年記念 第35回定期・慈善演奏会 讃美歌の四季・春 … ある聖歌史VI The Hymnal Seasons ... Spring (1999/5/8、指揮・オルガン:花井哲郎、立教女学院聖マーガレット礼拝堂) 《曲目》
《プログラムノート》 ... 小笹和彦 (東京スコラ・カントールム主幹) 《プログラム解説》
■前奏曲 |
1. | Heinrich Scheidemann : Praeambulum in F シャイデマンはいわゆる北ドイツ・オルガン楽派の代表的作曲家の一人で、ハンブルグのカタリーナ教会のオルガニストを務めました。若い頃アムステルダムの巨匠スウェーリンクのもとに留学し研鑽を積んでいます。プレアンブルムは前奏曲といった意味で、演奏会全体の導入として演奏されます。短い曲ですが、後の時代に前奏曲とフーガという形式に発展する2部の構成が既に明確に現れています。 |
2. | 「讃美歌21」 24番 : たたえよ、主の民 旧来の讃美歌集では「天地こぞりて」という歌いだしで親しまれてきました。が、この度「たたえよ、主の民」に改訳されました。昔は「全能の主をほめよ」という訳もあったようです。今回の翻訳のほうが原詞(Thomas Ken/イギリス・1637-1711)に忠実です。旋律は1551年に公表されたジュネーヴ詩編歌集の一つで、後にイギリスのウイリアム・キース(William Kethe/?-1600頃)が、これに英訳詩編歌100編を配したものです。讃美歌は阪田寛夫氏がいわれるように壮大な「替え歌」体系をもっています。一つの曲に多数の詞がつき、時に応じて歌い分けられるのが面白いところです。この曲にもさまざまな歌詞がつけられて、世界的な愛唱讃美歌の一つとなりました。キースの原詞はこれがすべてではありません。全部を歌いたければ、128番がそれに該当します。この24番は、その最終節の「頌栄」だけを取り上げたものです。頌栄とは、父と子と聖霊、つまり三位一体の神の栄光を讃美するもので、ミサ通常文の「栄光の讃歌(Gloria/グローリア)」を圧縮した内容をもっており、礼拝の導入もしくは閉祭時の派遣の曲に用いられています。 |
3. | (Claude le Jeune) : Or sus serviteurs 天地の創造主である神をたたえるよう人々をいざなう詩編134編を、まず始めにフランスの作曲家クロード・ル・ジューヌ Claude le Jeune が編曲した単純な4声で歌います。旋律はテノールの声部にありますが、これはテノールがグレゴリオ聖歌の旋律を担うパートであるという、中世以来のポリフォニーの伝統を踏まえたものでしょう。 |
4. | Jan Pieterszoon Sweelinck : Or sus serviteurs オランダのアムステルダムで活躍したヤン・ピータースゾーン・スウェーリンク Jan Piterszoon Sweelinck は、前述のように外国から留学生を集めるほど高名な音楽家で、オルガンの即興演奏には定評がありました。ちょうどアムステルダム市が宗教改革の影響を受けて改革派に転向した時期で、市に所属するオルガニストであったスウェーリンクも改革派に改宗しました。カトリックはその頃公には禁止され、すべての教会では改革派の礼拝が行われるようになっていたのですが、カトリックの教えを守る、いわば隠れカトリックもかなり多く、彼らは、表向きは普通の民家にしか見えない家の中に教会を作り、ミサを続けていました。その当時の隠れ教会が今でもアムステルダムなどに残されており、見学することが出来ます。隠れ教会とはいえ大変立派な作りで、バロック様式の大きな祭壇などがあり、どう考えても厳しい弾圧の目をくぐりぬけて作ったとは考えられません。今でもオランダ人は気さくで、寛容な人々ですが、当時も恐らく見て見ぬふりをしていたのでしょう。スウェーリンクもカトリック典礼のためと考えられるラテン語のモテットを数多く作曲していますし、彼の息子は熱心なカトリック信者として知られています。 日本ではオルガン作品で知られるスウェーリンクですが、実は彼の代表作は、フランス語の韻文に訳された改革派の詩編をもとにしたモテットなのです。150ある詩編歌の歌詞と旋律すべてを4声から8声までのモテットに仕上げています。「フランドル楽派の末裔」というにふさわしい対位法と、言葉を絵画的に表現するマドリガル様式を巧みに組み合わせた、抑制の効いた透明感のある素晴らしい作品群です。 |
5. | 「讃美歌21」 128番 : 悪は罪人の ジャン・カルヴァン (Jean Calvin/フランス・1509-64)が旧約聖書の詩編原文を、フランス語で韻文化したもの(一般にカルヴァン詩編歌またはジュネーヴ詩編歌といわれています)が原詞です。この曲は詩編36編に旋律をつけたものです。カルヴァンはルターと異なり、音楽を礼拝に用いることを否定しました。が、詩編の朗誦は認め、そのためにフランス語で朗誦しやすいように翻訳したのです。歴史の変遷と共にそれが朗誦から単旋律聖歌にかわり、さらに和声付きの合唱曲(モテット)に発展しました。この128番の旋律は、1525年にストラスブールで出版された讃美歌集に納められた、マテウス・グライター(Mattheus Greiter/ドイツ・1490?-1550)によるもので、ドイツ語訳歌詞に付されていたものです。この曲はその後1539年に出版されたカルヴァンの詩編歌集や、1542年のジュネーヴ詩編歌集にも収録されています。詞の内容は自らの罪の深さを内省することに始まり、徐々に神の満ち溢れる恩寵への讃美に昇華されます。本日はミサ通常文でいう回心の祈り(Kyrie eleison/主よあわれみたまえ)に相当するものとして奉唱します。 |
6. | (Claude Goudimel) : Du malin le meschant vouloir ルーテル派のドイツ・コラールにも「ひとよ、汝が罪の大いなるを嘆け」として採り入れられている詩編36編は、罪を糾弾する厳しい歌ですが、その旋律は神の哀れみを感じさせる慰めに満ちた響きを持っています。詩編歌の編曲者として知られるクロード・グディメル Claude Goudimel の比較的単純な4声の編曲では、元曲の旋律がソプラノで歌われ、残りの3声が単純な対位法的な動きをします。 |
7. | Jan Pieterszoon Sweelinck : Psalm 36 この旋律を元にして作曲されたスウェーリンクのオルガン曲は、おそらく彼の即興演奏の技法を伝えるものでしょう。スウェーリンクの自筆譜というものは存在せず、多くは師事を受けた弟子たちが自国に持ち帰った写本によって残されているので、即興演奏のお手本とも考えられるのです。詩編歌の旋律は元のままの形で3回繰り返されますが、始めは上声部に、次は中声部に、最期は低声部に現れ、その回りをさまざまな音形が唐草模様のように奏でられます。 |
8. | グレゴリオ聖歌 : Victimae paschali laudes 復活祭のミサの中で歌われるセクエンツィア(続唱) Victimae paschali laudes(過ぎ越しの羊を讃美しましょう)は、ドイツ語に訳され、旋律に手を加えて、ルーテル派のコラールとなってからも復活祭に好んで歌われ、多くの作曲家にインスピレーションを与えてきました。2種類のコラールが知られていますが、本日は双方を演奏します。 |
9. | 「讃美歌21」 317番 : 主はわが罪ゆえ マルティン・ルター(Martin Luther/ドイツ・1483-1546)の創作讃美歌の一つで、1524年に公刊された初の讃美歌集によって世に広められました。とはいえその淵源は古く、大昔から復活祭の歌として愛唱されてきた曲の一つです。その原曲は Victime paschali laudes というラテン語の歌詞と旋律によっており、東方正教会に発し、ローマ・カトリックがこれをグレゴリオ聖歌の一つの重要な曲として位置づけたものです。後にバッハ(J. S. Bach/ドイツ・1685-1750)もこの讃美歌(コラール)にもとづく教会カンタータ(BWV.4)を作曲しました。今ではこのカンタータによって、受難週の「血しおしたたる(「讃美歌21」310番)」というコラールと共に、世界中に知れわたる有名な讃美歌となりました。 |
10. | (Michael Praetorius) : Christ lag in Todesbanden |
11. | Frans Tunder : Christ lag in Todesbanden シャイデマンの次の世代にあたるフランツ・トゥンダーFrans Tunderは、トーマス・マンの小説で有名な北ドイツの街リューベックにあるマリア教会のオルガニストでした。アーベント・ムジケン Abend Musiken(夕べの音楽会)と題する演奏会を企画し、自作を中心としたオルガン音楽や、当時最先端のイタリアの声楽作品などを演奏していました。Christ lag in Todesbanden(主はわが罪ゆえ) も、礼拝のためではなく、そのような音楽会で演奏されたと考えられる大規模なコラール編曲です。何段も鍵盤のある大オルガンが想定されており、エコーの効果が随所に使われています。 |
12. | 「讃美歌21」 316番 : 復活の主は これも Victime paschali laudes をパラフレーズした、東方起源の復活祭聖歌の名曲です。これをミヒャエル・ヴァイセ(Michael Weisse/ドイツ・1488?-1534)が独訳しています。ヴァイセはボヘミア(チェコ)の宗教改革者ヤン・フス(Jan Hus/1369?-1415)の影響を受けて生まれたボヘミア兄弟団(現在のヘレンフート兄弟団の前身)の活動に深くかかわり、1531年には同団のためのドイツ語讃美歌集を編纂しています。ルターとも親交があり、ルター派の讃美歌集にも大きな影響を与えました。この曲は、ルター派のクルーク版讃美歌集(Wittenberg,1529初版/1533再版)に収録されました。なお、歌詞の最後に繰り返される「キリエライス(Kyrieleis)」はカトリックの典礼でよく使われるギリシャ語 Kyrie eleison の、ドイツ・プロテスタント風短縮形で「主よあわれみたまえ、私たちを愛してください」といった意味、第3節の「ハレルヤ(Halleluia)」は聖書によく現れる言葉で、ヘブル語の「主をほめたたえよ」という意味で使われています。 |
13. | (Sethus Calvisius) : Christ ist erstanden |
14. | Arnord de Bruck : Christ ist erstanden Victimae paschali laudes から作られたもう一つのコラール Christ ist erstanden(復活の主は)は、単純な4声の和声を付けた編曲と、ドイツで活躍したフランドル楽派の作曲家アルノルド・ド・ブルック Arnord de Bruck の作品で演奏します。フランドル楽派の作曲家たちは、カノンを作品の中に巧みに使いましたが、ブルックのこの曲でも、第3部で声部を一つ増やし、コラールの旋律を上声2部のカノンとして組み込んでいます。 |
15. | Robert Williams : Hail The Day That Seems Him Rise この曲は欧米の教会で非常によく知られた、復活ないし昇天を祝う讃美歌ですが、なぜか旧来の讃美歌集には収録されていませんでした。ルター派系の「教会讃美歌」集には載っていましたが、歌詞は Victime paschali laudes を翻案したもので昇天讃歌には該当しません。さすがに英国国教会系の聖公会「古今聖歌集」には掲載されていましたが「第二譜」として記載されるに留まり、あまり一般的には用いられていないようです。原詞は英語讃美歌の代表的な作者であり、兄のジョンとともにメソジスト運動に生涯をささげたチャールズ・ウエスレー(Charles Wesley/イギリス・1707-88)の創作によるものです。当初は全10節で発表されましたが、その後各行毎に「ハレルヤ」という言葉がつけ加えられるなどして改編され、その変種は20数種に及ぶといわれています。この詞にたいする人気度を示す証しかもしれません。旋律は盲目の音楽家ロバート・ウイリアムス(Robert Williams/イギリス・1781-1821)によるものです。本日は、その歌詞と曲想とが見事な調和を示す原語(英語)によってこの曲を奉唱します。なおこの原詞はThe English Hymnal(EH)では全7節ありますが、その第6節には、ケンブリッジのキングス・カレッジ聖歌隊の名指揮者であったウイルコックス卿(Sir David Willcocks)が編曲した、聖歌隊ならではの華やかな装飾合唱が展開されます。なお、第七節、最終節は指揮者の判断で省略して演奏されます。 |
16. | 「讃美歌21」 339番 : 来たれ聖霊よ 歴史的讃美歌ともいうべき古雅な趣をたたえた聖歌です。詞はシャルルマーニュ(カール大帝)によって隆盛を極めたカロリング王朝時代の霊的指導者ラバヌス・マウルス(Rabanus Maurus/ドイツ・776-856)によるものとされています。この人はフルダの修道院長を経てマインツの大司教となり、ドイツ語による聖書辞典や旧新約聖書の注釈本を著述して指導力を発揮したほか、詩作にも優れた才能を発揮して多くの人々を感化しました。第4節にある「七つの賜物」という言葉の意味は難解ですが、教会は「七」という数字に「完全」という意味を象徴させるところから「完全な賜物、神の恩恵」とだけ理解する説や、カトリックのいう「七つの秘蹟(サクラメント)」、すなわちイエス・キリストの制定した洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻の秘蹟と理解する説や、イザヤ書11章2節にある「七つの霊」、すなわち知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊、信心深い霊(ウルガタ版聖書のみ)を指すものだという諸説があります。 原詞はラテン語で書かれ、10世紀頃には既にグレゴリオ聖歌の一曲として人々に親しまれていたようです。初行は Veni Creator Spiritus(来たりたまえ、創造主の霊よ)という言葉で歌い始められます。そして、この歌詞はごく早い時期に各国語に訳され、瞬く間にヨーロッパ各地に広まったと伝えられています。「讃美歌21」の曲と歌詞は、1524年にエアフルトで出版された讃美歌集に掲載された、ルターのドイツ語訳と、そのグレゴリオ聖歌のパロディーを原典としています。 |
17. | Nicolas de Grigny + グレゴリオ聖歌: Veni Creator Spiritus イムヌス「賛歌」は、一つの旋律に複数の、主に4行詩が歌詞として付けられている、いわゆる有節歌曲の形式を持っているという点で、グレゴリオ聖歌のレパートリーの中でも特殊なジャンルに属しますが、まさにこのイムヌスがその後の讃美歌の原形であると言って差し支えないでしょう。Veni Creator Spiritus は数あるイムヌスの中でも、もっとも有名なものの一つです。 フランスのオルガニスト、ニコラ・ド・グリニー Nicolas de Grigny は7つのイムヌスによるオルガン曲を残しています。バロック時代のフランス・オルガン音楽は、規格がほぼ統一されていた当時のフランス・オルガンの特性を生かし、ある特定のパイプの組み合わせから得られるいくつかの音色と曲想を組み合わせた、定型パターンのようなものが作られ、各作曲家がその形式を使いながらもそれぞれ独自の世界を展開していました。 そのなかでもグリニーは2声部の対になる旋律、複雑な対位法、表情豊かな装飾音、高度な足鍵盤の技術などの点で、フランス的オルガン語法の集大成といえる作品を残しています。かの J. S. バッハもグリニーの作品を自分の勉強のために筆写しました。 Veni Creator Spiritus は5曲からなり、7節あるグレゴリオ聖歌とどのように組み合わせて演奏されるべきなのか明確ではありませんが、本日は奇数節を聖歌で歌い、それと交互にグリニーの作品を演奏します。第1曲では足鍵盤に長い音価で聖歌が弾かれます。その他の楽章では聖歌の旋律がどの程度素材として使われているのか、その関係をはっきり聞き取ることはできないと思いますが、それぞれに個性豊かな音色と曲想を楽しんでいただけることと思います。 |
18. | 「讃美歌21」 174番 : あがめよ、わが魂 教会は古くから晩の祈りで「マリアの讃歌(Magnificat/マニフィカート)」を歌い、または唱えてきました。その出典は新約聖書の「ルカによる福音書」の1章46-55節にあり、天使ガブリエルからイエスの受胎を告げられた聖母マリアが、神の恵みを感謝して歌う讃歌を歌詞としています。讃美の原点ともいえるこの聖句の意を敷衍し、現代でも盛んに創作詩が発表されています。英国国教会の主教ティモシー・ダッドリー=スミス(Timothy Dudley-Smith/イギリス・1926-)が1961年に発表しました。イギリスの Hymn Explosion に先鞭をつけるものとなったこの原詞は、高い評価を受け、今世紀後半の主要英語讃美歌集のほとんどに採用されています。曲はウォルター・グレータレックス(Walter Greatorex/イギリス・1877-1949)によるもので、現代の代表的創作讃美歌の一つです。 |
19. | Thomas Tomkins : Magnificat |
21. | Thomas Tomkins : Nunc dimittis イギリスの作曲家トーマス・トムキンズ Thomas Tomkins は有名なウィリアム・バードのもとで勉強し、王室礼拝堂チャペル・ロイヤルなどで活躍した後、ウスター大聖堂のオルガニスト、聖歌隊指揮者を長年にわたって務めました。彼の教会音楽は当時からイギリスで広く演奏されていたようです。 英国国教会では、カトリックの聖務日課を整理統合し、夕べの祈り「晩課」と就寝前の祈り「終課」をまとめて、イーヴンソング「晩祷」としました。その中で歌われるのが、Magnificat と Nunc dimittis です。17世紀イギリスの教会音楽では、独唱、合唱、通奏低音、器楽アンサンブルを含むバロック的な様式が発展していましたが、その一方で合唱のみによる、古いスタイルの音楽も作曲され続けていました。本日の2曲は後者の方で、単純な和声付けによる朗唱を発展させたような形です。元譜には小節線がなく、したがって一定の拍子もなく、言葉の流れを自然に追っていく様に音楽が展開していきます。その中にも言葉の意味を表現しようという工夫が随所になされていて、聞きごたえのある秀作といえましょう。 |
20. | 「讃美歌21」 181番 : 主よ、今こそ 「マリアの讃歌(Magnificat/マニフィカート)」と同様、就寝前の祈りとして古くから教会や修道院で歌いつがれてきた聖歌に「シメオンの讃歌(Nunc Dimittis/主よ、今こそ)」という美しい歌があります。これも「ルカによる福音書」にもとづく聖歌で、その2章29-32節が原典です。聖書(新共同訳)によれば、その由来は次ぎの通りです。「エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来た時、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った」。以下がこの曲の歌詞となるわけですが、本日はその部分をアングリカン・チャント(英国式讃詠)の邦語訳で歌います。アングリカン・チャントはグレゴリアン・チャント(グレゴリオ聖歌)が斉唱(ユニゾン)で歌われるのに対し、和声つきの4声体で歌われるものです。この曲はロンドンのウエストミンスター聖堂のオルガニストをしていたジェームス・タール(James Turle/イギリス・1802-82)が作曲したものです。 |
22. | 「讃美歌21」 218番 : 日暮れて、やみはせまり ヘンリー・フランシス・ライト(Henry Francis Lyte/イギリス:1793-1847)の詞によるこの讃美歌は、英語圏はもとより日本でも明治時代以降親しまれてきた19世紀讃美歌の名曲の一つです。出典はやはり「ルカによる福音書」によっており、その24章13節以下がその主題です。復活したイエスが、エマオ村に向かう二人の弟子たちにそれとなく近づきます。それと知った弟子たちが、イエスに「お泊りください」と懇願する夕方の情景がこの曲の主要モティーフです。従来は「日暮れて、四方は暗く」という歌いだしで親しまれてきましたが、この度は「日暮れて、やみはせまり」という口語体に改訳されました。もっとも、従来訳があまりにも人々の口になじんでいるため「主よ、ご一緒にお泊りください」という意味を表す「主よ、ともに宿りませ」という各節の最終フレーズに共通する文語句は、そのままの歌詞で残されました。曲はイギリスの伝統的讃美歌集 Hymns Ancient & Modern の音楽主査であったウィリアム・モンク(William Henry Monk/イギリス・1823-89)の作曲によるものです。なお、この曲の第5節は、聴衆の皆様の旋律奉唱に合わせて、東京スコラ・カントールムが「昇天」の讃美歌同様、ウイルコックス卿(Sir David Willcocks)の編曲による装飾合唱をつけて花を添えます。 |
23. | 「讃美歌21」 177番 : マニフィカート 主催者自らアンコールというのも変ですが、本日の演奏会の終わりに、ぜひ皆様とご一緒にこの歌いたいと思います。宗教改革から約500年、第二ヴァチカン公会議から約40年、キリスト教界にも大きな変化が現れています。数多くのキリスト者が教派を超え、国籍を超え、年代を超えて主にある一致を求めるようになりました。かつては部外者に門戸を閉ざしていたカトリックの修道院の扉が、広く一般に開かれるようになりました。一方、ともすれば排他的な集団を形成しがちだったプロテスタント諸教会も、特定の教派・教団に偏せず、広く全ての人を受け入れる開かれた組織、開かれた教会を目指しています。まさに和解と一致の時代の到来を思わせます。「イエスは、散らされている神の子たちを一つに集めるために死ぬ、と言った(ヨハネ11/51-52)」。この神からの呼びかけに呼応して、信徒たちは、イズムや理屈や垣根を取り払って一つになろうとしているのです。 その代表的なグループに「テゼの共同体」があります。改革派の牧師の子であったロジェ(Roger Schutz/スイス・1915-)が1940年に創始した集まりですが、フランス・ブルゴーニュ地方のテゼという村に、カトリックの聖職者を含め、何万人もの教派を超えたキリスト者が集います。第二次世界大戦末期には多くのユダヤ人難民を救い、孤児たちを救ったことでも知られています。ここの礼拝で用いられる讃美歌は、簡潔さと皆が参加する輪唱(カノン)形式のものが多く、共通語としてラテン語歌詞の採用も盛んです。本日の締めくくりに皆様と歌う「Magnificat(歌詞は、私の魂は主をあがめる、という意)」がその典型です。 |