東京スコラ・カントールム第39回定期・慈善演奏会
光の賛歌 … ある聖歌史VII

(2001/9/28、指揮:花井哲郎、東京カテドラル聖マリア大聖堂)



《曲名》 前半 後半
神よ、わたしを救い出し
Deus in adjutorium
グレゴリオ聖歌
Gregorian Chant
ベンジャミン・ブリテン (1913-76)
Benjamin Britten
光の創り主
Lucis Creator
グレゴリオ聖歌+G. P. パレストリーナ(1525-94)
Gregorian Chant+G. P. da Palestrina
花井哲郎 (1960-)
Tetsuro Hanai
マリアの賛歌
Magnificat
ヤン・P・スウェーリンク (1562-1621)
Jan Pieterszoon Sweelinck
アルヴォ・ペルト(1935-)
Alvo Paert
主の祈り
Pater noster
ハインリッヒ・シュッツ(1585-1672)
Heinrich Schuetz
アルベルト・ド・クレルク(1917-98)
Albert de Klerk
シメオンの賛歌
Nunc dimittis
ジョスカン・デ・プレ(1450s?-1521)
Josquin des Pres
グスタフ・ホルスト(1874-1934)
Gustav Holst
めでたし、元后
Salve Regina
ヤコブ・オブレヒト(c.1458-1505)
Jacob Obrecht
フランシス・プーランク(1899-1963)
Francis Poulenc



《プログラムノート》
... 服部 浩巳(東京スコラ・カントールム代表)


■光の賛歌
今回の演奏会は、「ある聖歌史」シリーズの第7弾。ヨーロッパ各地で作曲されたラテン語の合唱曲をア・カペラで演奏する。すべて無伴奏合唱のみのプログラムは東京スコラ・カントールムの歴史でも初めてである。
同名異曲を前後半に分けて配置している。前半はグレゴリオ聖歌と、ルネサンス期のイタリア、フランドル、初期バロックのドイツ、オランダの作品。後半は20世紀イギリス、エストニア、オランダ、フランスの作品を取り上げているが、この演奏会のために指揮者自ら創作した曲もある。
各作品は実に個性に富んでおり、しかも音楽としての完成度が高く、歌う者にとってはかなり高度なテクニックと集中力が必要とされるものばかりである。曲はすべて、長い教会の歴史のなかで祈り続けられてきた聖務日課の言葉を歌詞としている。聖務日課の詳細については後述するが、日没時、またその後に一日の感謝をこめて祈られる晩課と終課のなかから、希望の「光」を待ち望む歌を中心に選んだ。
日課の冒頭に唱える「神よ、私を救い出し」で始め、晩課からはイムヌス(賛歌)「光の創り主」とカンティクム(詩編以外の聖書にある詩歌)「マリアの歌(マニフィカト)」が歌われる。さらに「主の祈り」を挟んで、終課のカンティクム「シメオンの歌」が続き、聖母マリアへの祈りであるマリア・アンティフォナ(マリアの交唱)「サルヴェ・レジーナ」でプログラムを閉じる。
暗闇の中に輝いている「光」が讃美され、心の中に微かにでも希望の光が沸き起こることを期待してやまない。

■教会の祈り ―定時課の祈り― とは
「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」(エフェソの信徒への手紙5:19)
聖書に記されているように、最も初期の世紀のころより、定時課の典礼は教会の伝統の一部を担ってきた。そもそもは一日のある決まった時間に神殿に集まるという敬虔なユダヤ教徒の慣習に端を発し、初期キリスト教徒の共同体もそれにならい、日々の公の祈りの礼拝のために集まるようになった。これらの初期の公の祈りの礼拝については新約聖書、特にパウロの書簡の中に軌跡を多くたどることができる。聖書以外で1日の祈りのサイクルについて最初に記述が見られるのは「ディダケー」(十二使徒の教訓)として知られる重要な1世紀の書物の中である。ディダケーは1世紀の教理問答であるだけでなく、初期キリスト教会における礼拝形式の規範となった。これは1日のうち何回か決められた時間に集まって祈ること、主の祈りは信仰者すべてによって1日に3回唱えられることを規定している。

定時課の典礼は教会の公の祈りである。それぞれの時課は同じような基礎構造を持っており、そのテキストのほとんどは聖書からのものである。イムヌス、詩編、カンティクム、朗読、結びの祈りがその根幹をなしており、感謝と償いと神への讃美を表し、キリストの御業が地において継続されるよう恵みを求めるものである。
早朝に行われる朝課(3つの夜課を含む)に始まり、賛課、三時課、六時課、九時課、晩課と続き、寝る前の祈りである終課で一日を終える。これは、1960年代に行われた第2ヴァチカン公会議による典礼改革によって縮小され、現代のカトリック教会では、朗読の聖務(読書)、朝の祈り、日中の祈り、夕の祈り、夜の祈りの5つを「教会の祈り」という名のもとに、日々唱えることになっている。

定時課の祈りそれぞれに、我々は神の創造とイエスの受肉、受難、死、復活、昇天の神秘を思い起こす。この日々の祈りの様式から、我々は、正式な祈り、非公式な祈り、また祈りに満ちた我々の日々の活動を通して、1日全体を祈りで満たすことを常に思い起こすことができるのである。このような1日の分け方には根拠がないわけではなく、むしろ聖書に記された出来事を反映している。夜の祈りはイエスが十字架につけられる前の夜にゲッセマネの園で祈られたことに対応している。ローマ時の3時(午前9時)の三時課はイエスへの死刑の宣告を思い起こさせるものであり、同6時(正午)の六時課は十字架につけられた時を(ルカ23:33-44)、同9時(午後3時)の九時課はイエスの最後の言葉と死の時を(マタイ27:46)それぞれ思い起こさせるものである。
これらの神学的背景にはイエスが絶えず祈れと命じられたことによる(ルカ18:1、Iテサロニケ5:17)。定時課の典礼はこのイエスの教えに対する教会の応答といえる。
特に晩課は「マリアの歌」を通して、マリアに与えた恵みのゆえ神をたたえ、また民の救いのためになす神の御業の豊かさを讃美する。終課では暗闇の中にろうそくを点して、光の創造主をたたえる習慣が今もヨーロッパでは残っている。その静寂さは、太陽が隠れ暗くなっていくことが「死の恐れ」や「受難」を予感させるものでもある。しかし、再び新しい太陽が昇り、命である希望の光が射し出でることを信じることによって、一日の命が聖なるものとされる。幼子イエスを抱いた老人シメオンは「万民のために整えて下さった救いで、異邦人を照らす啓示の光。あなたの民イスラエルの誉れ」(ルカ2:32)であると語るゆえ、私たちは安らかな眠りにつくことができる。

■21世紀の始まりに向けて
さて21世紀を迎えた今日、私たちを取り巻く社会はどのように展開していくのだろうか。
先日アメリカ・ニューヨークなどで起きた同時多発テロ事件が、今も世界を震撼させている。現代社会は交通や通信が発達し、情報も瞬時に伝わり、経済もさまざまな隔たりが緩やかになり国際化が急速に進展している。その便利さを享受でき、物質的には豊かになっているが、精神的にはどうなっているのかは疑問が多い。経済的な不安定、相次いで発生する傷害事件などがニュースになることも多く、人の心にはどこか常に不安が絶えないような印象を受ける。
このプログラムでは、前後半でまったく異なる時代の音楽を取り上げている。歴史的な評価はさまざまあるだろうが、ヨーロッパは中世から教会を足場に芸術が盛んになり、今もなお豊かな感動を与える音楽も育まれた時代であった。一方20世紀は、前半に2回の世界大戦をはじめ、世界各地で同じ人種間でも覇権を争うための生々しい戦争が絶えなかった。特にヨーロッパでは、ファシズムが台頭し、ユダヤ人をはじめとする大量虐殺が行なわれ、尊い命が、自由が軽々しく失われてしまった。その後も続いた東西冷戦の構造は、1989年11月ベルリンの壁崩壊に象徴されるように、20世紀の終わりになって徐々に雪溶けを迎えた。教会の祈りがこうした動きを支えていた事実や、また民衆は良心に従って篤く祈り続けていた姿を、私たちは見逃してはならない。今回取り上げている曲のなかには、こうした自由を再び取り戻した歴史を経たからこそ、世界に知られるようになった音楽もある。
21世紀を迎えた私たちは、祈りのことばを通じて癒しや励ましなどを得るとともに、音楽が持っている生命によって魂が真の人間性を回復できることを望んでいる。そして願わくば、争い、人種差別、偏見、貧困などがなくなり、平和を創り出すための対話が進展することを信じたい。
この「光の賛歌」が国際化する社会の中で平和へとつながる希望の架け橋になることを願い、新世紀が輝きに満ちた100年になることを祈らずにはいられない。

「命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。」(ヨハネによる福音書1:4-5)



《曲目解説》
Deus in adjutorium (神よ、わたしを救い出し)
●グレゴリオ聖歌
カトリック教会の日々の祈りである伝統的な聖務日課においては、朝課を除いた各時課の始めに「デウス・イン・アジュトリウム(神よ、わたしを救い出し)」が必ず歌われる。詩編70編(ラテン語では69編)第2節と栄光唱(グロリア・パトリ。典礼の中で詩編が歌われる際付加される)からなるこの短い祈りの言葉は、誘惑や祈りの妨げとなる様々な事柄に対して助けを願う、強い呼びかけであり、古くは砂漠の修行僧もしばしば使ったという。
グレゴリオ聖歌ではこの詩に対していくつかの旋律があり、時課の種類、祝日の重要さなどに従って歌い分けられることになっている。本日は最も荘厳な旋律を歌う。
本来の晩課ではこれに4つないし5つの詩編が朗唱されることになるが、今回はそれを飛び越してすぐにイムヌス(賛歌)が続く。
●ブリテン(1913-76)
20世紀イギリスを代表する作曲家の一人、ベンジャミン・ブリテンが、仮面舞踏劇「墓標への道」付随音楽として書いた小曲。第二次世界大戦が終結した1945年の作品で、同年オペラの代表作「ピーター・グライムス」も完成している。平和主義者のブリテンは1936年に始まったスペイン市民戦争や忍び寄るファシズムの中で、音楽を通して戦争拒否の態度を貫いた。この頃から作曲家としての地位を確立し、戦後はオペラなどの分野で幅広い活動をしたが、教会音楽も多数作っている。
この曲では詩編70編の全編に曲が付けられている。短い曲ではあるが各詩節ごとに、場合によっては半節ごとに曲想が変化し、魂が神に激しく助けを求める心理が劇的に描かれていく。最後は三位一体を讃美する栄光唱が、遠のいていくように次第に音量を下げ、アルトは「アーメン」、バスは「グロリア」と繰り返し歌いながら印象深く消えていく。

Lucis Creator (光の創り主)
●パレストリーナ(1525-94)
イムヌス(賛歌)は、聖務日課のための楽曲の中では唯一韻文詩を歌詞に持つ有節歌曲の形式をとり、後の讃美歌や歌曲の原型と考えて良いだろう。通常は1節4行の詩の形になっている。晩課の中で歌われるイムヌス「光の創り主」は、夕闇が迫る中で罪に沈んでしまうことなく、清められて神の元へと召されることを願う祈りの歌である。
パレストリーナは言うまでもなく盛期イタリア・ルネサンスを代表する作曲家。5節からなるこの賛歌の奇数節を作曲しており、偶数節は作品の基になっているグレゴリオ聖歌が単旋律の原型のままで歌われる。各声部がグレゴリオ聖歌の旋律を同じように模倣しながら、流れるように展開していく。4声部で始まるが、第3節は3声に声部を減らし、輝かしい長3和音で始まる第5節は5声部。各節とも最終行が繰り返され、クライマックスを形作りながら強く訴えかけてくる。
●花井 哲郎(1960-)
東京スコラ・カントールムの指揮者 花井哲郎がこの演奏会のために作った新作。パレストリーナではカデンツでの導音以外に変化記号(シャープとフラット)が使われることがないが、この曲でも一切の変化記号を使わずに、しかし近代的な感覚で和声を付けた。全5節あり、第2、3節はそれぞれ4度と5度のカノンで、カノンを歌わない他のパートはたそがれの光を体現しながら漂っている。4節では音価を倍にした定旋律がテノール、そしてアルトに置かれ、他の声部はそれに対位法的に絡み、天に向かう切なる思いを畳みかけるように歌う。パレストリーナに倣い5声部の長3和音で始まる第5節はそのまま和声的に進行して、力強いアーメンで全曲を閉じる。
練習の過程で何回も改訂されながら最終的な形が出来上がった。まさに、この合唱団の中から生まれてきた作品と言っていいだろう。

Magnificat (マリアの賛歌)
●スウェーリンク(1562-1621)
17世紀初頭にオランダのアムステルダムで活躍したオルガニスト・作曲家のスウェーリンクは、多くのオルガニストを育てた即興演奏の名手として有名だ。またカルヴァン派の讃美歌であるフランス語によるジュネーブ詩編歌を基に、全150曲のポリフォニー楽曲も作曲している。その一方で伝統的なラテン語の歌詞を持つ作品を集めた宗教歌曲集も出版しているが、このマニフィカトはその中の一曲。
16世紀末のイタリアで盛んになったマドリガルの影響を受けているようで、歌詞の内容をとても分かりやすく、直接的に音楽で表現しようとしている。単純な例としては、「権力ある者をその座から引き降ろし」の下行音形、「身分の低い者を高く上げ」の上昇音形があげられる。その他にも、各声部が同じ旋律を模倣しながら進行する部分と、和音をぶつけるように続けて言葉を際立たせる部分を織りまぜるなどして、マリアの歌を色彩豊かに彩り、起伏に富んだ口調で語っている。
●ペルト(1935-)
アルヴォ・ペルトは、バルト三国のひとつで合唱が大変盛んなエストニアに生まれた。様々な前衛的手法に手を染めた後、東方教会の単旋律聖歌に啓発され宗教音楽を書くようになった。1980年にオーストリアに亡命、その後ベルリンに拠点を移し、「ヨハネ受難曲」をはじめとした多くの作品が世界に知られるようになった。
「マニフィカト」はベルリンの壁崩壊の直前、1989年にベルリンの教会のために作曲されている。ペルト特有のティンティナブリといわれる鐘の音を模した様式が、この曲でも聴かれる。半音や全音の重なりによる単純な音の組み合わせが静寂のなかから生まれ、神秘の響きとなる。バスの低いうめきは絞り出される苦悩を、ソプラノのソロは日常の喧騒とは対極にある天上の世界、無限の広がりを感じさせる。希望の光に照らされて、永遠が姿を現そうとしているかのような音楽だ。

Pater Noster (主の祈り)
●シュッツ(1585-1672)
キリスト自身が「このように祈りなさい」と言って教えた主の祈りは、典礼の中で、また生活の中のあらゆる場面で、キリスト教の最も重要な祈りである。シュッツによるこの曲は、食卓における食前の感謝の祈りとして作曲された一連作品から、主の祈りの部分だけを取り出したものである。
ドレスデンの宮廷で活躍したシュッツの特にドイツ語の作品には、音による聖書解釈のような深い音楽が多い。ラテン語によるこの主の祈りも、ドイツ語のようにアクセントが強く、強烈な説得力がある。同じ17世紀の作曲家であるスウェーリンクの作品と同様、一つ一つの言葉を丹念に具体的に表現しようとしている。繰り返し唱えられることによって機械的な反復になりがちな祈りかもしれないが、シュッツの音づくりによって私たちは、この短い祈りの中にどれほど多くの思いが込められるかをあらためて教えられる。
●ド・クレルク(1917-98)
1998年に81歳でなくなったオランダの教会音楽家、作曲家、オルガニストのアルベルト・ド・クレルクは5歳の時から、やはりオルガニストであった父親の膝にのり、教会のオルガンを弾き始めたという。後に父の跡を継いでオランダ・ハーレムにあるカトリック教会のオルガニストになり、アムステルダム音楽院などのオルガン科で教鞭を取った。作曲家としては10歳の時に作ったア・カペラの合唱曲に始まり、晩年までミサ曲、モテットなど教会音楽を中心に作品を書き続けた。
「主の祈り」は4声体の和声的な作品で、単純ななかにも和音の微妙な色付けによる、繊細な感情の起伏が現されている。戸を閉めて密かに一人で祈る信者の心情が伝わってくる。

Nunc dimittis (シメオンの賛歌)
●ジョスカン(1450s?-1521)
フランス北東部フランドル地方出身のジョスカン・デ・プレは、ルネサンス時代最大の作曲家と謳われながらも、謎の多い作曲家だ。この時代の多くの他の作曲家同様、生年すらはっきりしない。生前よりすでに「大作曲家」としてヨーロッパ各地で有名で、その死後もジョスカンの名を冠した作品が数多く出版されたが、そのうち多くは真作かどうか疑わしい。
そんな中でもこのシメオンの歌は、その旋律線、旋法の使い方などから、いわゆるジョスカンらしさに溢れた作品といっていいのではないだろうか。長年待ち望まれていた、世の救い主となる幼子が生まれたことを知った老司祭シメオンは「今こそ、安らかに去らせてください」と願う。そこには世の光をついに見ることのできたものの喜びがある。典礼の中で、就寝前の祈りの際に歌われる時は、夜の闇のなかでも光を胸に抱きながら眠ることができることを感謝する、平安の歌である。ジョスカンの曲では栄光唱のあとに冒頭の一節「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり」が繰り返され、平安の喜びをもう一度かみしめる。
●ホルスト(1874-1934)
ホルストは教会音楽を数多く書いているが、その作品を耳にする機会は少ないようだ。この曲はカトリックのウェストミンスター大聖堂オルガニスト、リチャード・テリーの依頼で作曲され、1915年の復活祭の典礼で初演された。ちょうど、有名な管弦楽組曲「惑星」を作曲している時期だった。その後原譜は紛失したが、残された写しを元に、娘のイモージェンが手を加えて復元、1974年に再演した。
8つの声部が静かに音を重ねていく冒頭は、暗闇にともされていく、仄かなろうそくの光のようだ。歌詞の展開にともなって次第に力強さを増していき、最後に確信を持った輝かしい光となって響く。そのスケールの大きさは大聖堂の響きにふさわしい作品である。

Salve Regina (めでたし、元后)
●オブレヒト(c.1458-1505)
一日を締めくくる終課の最後に、聖母マリアに捧げる4つの聖歌を季節に応じて歌う習慣がある。サルヴェ・レジーナ(めでたし 元后)はその一つで、一般的には三位一体の祝日(6月頃)から待降節第一主日前(12月初旬)までの、一年のほぼ半分くらいの間、毎晩捧げられることになっている。
フランドル楽派の重要な作曲家の一人オブレヒトは現在のベルギーを中心に活躍、イタリアのフェラーラにも滞在し、最後はその地で流行したペストの犠牲となった。主にミサ曲にその手腕を発揮した。サルヴェ・レジーナはグレゴリオ聖歌の原曲がすばらしく、多くの作曲家にインスピレーションを与えてきた。オブレヒトの作品も感動的な名曲で、「嘆きながら泣きながら」涙の谷である現世から天のマリアに取りなしを願う気持ちが切々と伝わってくるようだ。原曲の旋律は主にアルトの声部に、部分的にはとても長く引き延ばされて歌い継がれていく。グレゴリオ聖歌と交互に演奏される。
●プーランク(1899-1963)
プーランクは信仰熱心だった父親の影響を強く受けていたが、1917年、その父の死後カトリックから一時離れる。しかし後年信仰に戻り、教会音楽にも傾倒するようになった。ア・カペラ合唱のための宗教作品を14曲書いており、東京スコラ・カントールムの「ある聖歌史」シリーズでもすでに何度か取り上げている。いずれも美しい旋律線と独特の和声が魅力的な曲ばかりである。
他の曲と同様、サルヴェ・レジーナにも強弱、表情など、細かな指示が記されており、それぞれの言葉をどのように表現するべきか、プーランクの意図を総譜から読み取ることができる。最後に何回も繰り返される「優しいおとめマリアよ」は、遅くならず、最後までとても柔らかく、同時にとてもはっきりと、嘆きのスタイルで、歌わなくてはならない。「優しいおとめマリア」にふさわしい響きが求められているのだ。

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