東京スコラ・カントールム第40回定期・慈善演奏会
J. S. バッハ ヨハネ受難曲
J. S. Bach ... Johannes Passion


(2002/3/24、指揮:花井哲郎、ウェスレアン・ホーリネス 淀橋教会)




《プログラム・ノート》
...小笹 和彦 (東京スコラ・カントールム)

●マタイとヨハネ
 バッハの受難曲といえば、圧倒的にマタイ受難曲をあげる人が多いでしょう。それは今に始まったことではなく、1829年にメンデルスゾーンが、それまで埋もれていたマタイをベルリンで発掘上演し、爆発的なバッハ・ブームを巻き起こした頃もそうだったようです。その後、続々と忘れ去られていたバッハの作品が演奏されるようになり、ヨハネも1833年2月に蘇演されました。が、マタイの時ほど反響はなかったようです。それには音楽的な趣味、オラトリオとしての構成、演奏者の力、あるいは聴衆自身の感受性といった、さまざまな要因が作用しているのでしょう。しかしここでは、より本質的な問題と思われる聖書の違いについて、少し考えてみたいと思います。ごく簡単に結論を先に言ってしまえば、マタイが人となったキリストの惨劇と苦しみを生々しく伝えるのに対し、ヨハネはその受難を通して示しだされる神の栄光を讃美しているのではないか、ということです。
 バッハは生涯で五つの受難曲を書いた、と記されています。ほぼ完全な形で現存するのがマタイ、次にヨハネ(自筆スコアーが残っていない)、マルコ(歌詞しか残っていない)の順です。かなり長い間ルカ受難曲もバッハの作とされてきましたが、これは誰か別人の作品であると断定され、最近では全く演奏されません。残る一曲はなんだったのか。これは謎のままです。いずれにしても、バッハが聖書にある四つの福音書に対応し、それぞれに異なる受難曲を書いてきたことに注目しましょう。
 当時のドイツではライプニッツなどの提唱により、四つの福音書を統合して一本にまとめたり、カトリックとプロテスタントの合同教会をつくる、といった運動が盛んでした。受難曲もこれに同調し、例えばブロッケスという人が統一台本を作りました。各福音書に書かれた受難のエピソードを一つにまとめ、それに自由詩などを付して礼拝の用に供したのです。時代のニーズにあっていたためこの台本は脚光を浴び、ヘンデル、テレマン、カイザーといった著名な作曲家たちがこれに曲をつけています。いわゆる「ブロッケス受難曲」という作品です。バッハもその影響に無縁ではありませんが、それよりも「ヨハネによる福音書」そのものに立脚してこの作品を創作しています。

●ヨハネによる福音書
 「はじめにことばがあった」で始まる「ヨハネによる福音書」は、新約聖書の中に四つある福音書の中でも特異な存在です。他の三つ(マタイ・マルコ・ルカ)は、共観福音書といわれ、著者の視点が共通しています。「マタイ」は、主としてユダヤ教からの改宗者を読者対象として書かれたもので、他と比べて旧約聖書とユダヤ教の祭儀への言及が多く、「人の子」であるイエス・キリストの教えが中心となっています。したがって書き出しも人としてのキリストの系図が延々と続きます。「マルコ」は最古の福音書で、最も簡潔であり、「マタイ」と「ルカ」の資料になりました。「ルカ」は、著者自身が異邦人からの改宗者であることから、主にギリシャ・ローマ世界に生きる異邦人改宗者のために書かれています。それらに対して「ヨハネ」は、キリストの死後90年ほど経って、キリスト自身はもちろん、その12人の直弟子たちからも直接話を聞けなくなったキリスト者を対象として書かれたものです。したがって他の三書とは違い、キリストの生活をすでに栄光に輝くものとして指し示しており、受難そのものの記事よりも、復活後のキリストに重点を置いています。
 聖書の最終巻に「黙示録」という書があります。その4章6節以下に、神の玉座の周囲で、神の誉れと栄光を歌う四つの生きものがでてきます。古来、その生きものは四つの福音書を象徴している、と伝えられています。それによると「マタイ」は「人間」、「マルコ」は「ライオン」、「ルカ」は「雄牛」そして「ヨハネ」は「鷲」が象徴となっています。人となった神を語る「マタイ」、鷲のように、天に羽ばたく栄光のキリストを伝える「ヨハネ」。これを両受難曲は見事に反映しています。マタイ受難曲は人の痛みを痛みとするイエス、共に泣き、共に苦しむイエス像を浮彫りにします。一方、ヨハネ受難曲では栄光のキリストが、近寄りがたい威厳をもって描かれています。あえて人間的な弱みを探れば、十字架上で喉がカラカラに渇いて発する「渇く」という言葉がそれらしい。だがそれとても、具体的に水を欲した言葉なのか、より深遠な意味のある、例えば愛のない状態を憂う言葉なのかは分かりません。マタイの場合にあった有名な「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という最後の一言がヨハネにはありません。ヨハネでは「成し遂げられた」という一言でこときれます。これはご自身の十字架上の死が、神の意志の達成であることを意味し、人間的弱さの片鱗もありません。

●バッハのファースト・ネーム
 バッハのファースト・ネームは、ご承知の通りヨハン・セバスティアンです。ヨハンはヨハネのドイツ語読みです。次のセバスティアンという名前は、ローマ皇帝の親衛隊長でありながらキリスト教に改宗し、皇帝にキリスト教迫害を戒めたために虐殺された聖人の名、あるいはギリシャ語の「尊い人」という意味でつけられたものでしょう。後者に深い意味はないと思いますが、最初の「ヨハン」という名前に特別のこだわりと誇りをもっていたことは確実と思われます。それはバッハが、他の作曲家に比べて異常なほど自分の名にこだわっていたことから、容易に類推しうる事実です。例えば BACH という姓の象徴化があります。これを数値に換算すると14になります。つまりAを1とし、Bを2としてアルファベット順に数字をふり、B+A+C+Hを合計すると14になります。同様に J. S. Bach は 10+19+14=43 になります。そしてその数に等しい音符や小節数でフレーズ(樂句)や曲を作っているのです。後世、バッハ学者がそれを解読し、徐々にその秘密を明らかにしました。一番有名な例として、マタイ受難曲「最後の晩餐」の場面、「誰がイエスを裏切るのだ」という弟子たちの会話があります。そこにひっそりとバッハの署名が隠されていました。つまりバッハは、そこで主を裏切るのはユダばかりではない、自分もその一人なのだ、と言外に告白した・・・。現代ではそう解釈します。バッハは、こうした隠喩や数の象徴を数限りなく作品にしのばせており、それを知ることがバッハの音楽をよりよく解釈する一助となっています。が、今はこれに留めておきます。要は名へのこだわりを指摘したかったのです。なぜそれが重要なのか。

●「ヨハネ」はバッハの生涯の友
 あれほど聖書に通暁していたバッハが、なぜマタイよりも先にヨハネを書いたのか、という疑問があるからです。新約聖書の配列順からいえば、マタイ、マルコ、ルカ、そして最後にヨハネ、となるはずです。それにも関わらずヨハネに先ず手をそめたのはなぜなのか。そんなことどうでもいいじゃないか、と言われるかもしれません。が、バッハに関心をもてばもつほどそのことが気になります。
 バッハの音楽は常に秩序があります。感性よりも理性、情感よりも論理、人文より自然科学を重んじた人の音楽です。だからこそ、バッハは学問の対象となるのです。世の中にバッハ学者と呼ばれる人は無数いるものの、例えばブラームス学者と呼ばれる人は聞いたことがありません。「ブラームスはお好き?」か嫌いかであり、映画や文学のテーマとはなっても、学問の対象としてとらえるのはヤボというものです。その意味で、バッハの音楽に親しみ、バッハの作曲意図を曲がりなりにも理解し、作曲者と同じ視点でその音楽を歌い上げるためには、先ず「なぜヨハネが先なのか」を考えておかなければならないのです。
 この曲はバッハがまだケーテンに居た頃作曲され、ライプツィヒ市の音楽監督として着任した翌年(1724年)、初めて到来した聖金曜日(キリスト処刑の日)に初演されました。時にバッハは39歳の働きざかり。マタイの初演はその3年か5年後のことになります。その後数箇所の手直しがあったものの、マタイは1736年にきれいな自筆スコアーにまとめられ、決定稿として完成しました。しかしヨハネの場合は、1725年、1732年、そして死の前年にあたる1749年の4回にわたって改訂されたことが明らかにされています。最後の第4稿は、第10曲で筆がとだえています。時間をかけて手を加えようとしたが、視力の衰えか、死を予感させる何かがあってそれを断念したものと思われます。しかし1749年の聖週間が迫っていました。そのためバッハは代理人に旧稿を筆写してもらい、とり急ぎ全曲をまとめました。それが今日に残る第4稿の楽譜です。バッハはこれを用いて1749年4月の聖金曜日、眼疾をおしてトーマス教会の聖堂にこの受難曲を響かせました。そしてそれが最後の受難曲の演奏となりました。死の15ヶ月前のことです。つづめて言えば、このヨハネ受難曲こそ、バッハがライプツィヒ市のトーマス・カントールとして演奏した、最初で最後の受難曲であり、その27年間の生涯を共にした受難曲であったというわけです。その意味でこの「ヨハネ受難曲」こそ、バッハのライフワークであり、ヨハネという名に寄せた自らの信仰告白だった、と言えるのです。マタイ受難曲と同列に論じることは、無意味と考えるゆえんです。

●ヨハネ受難曲の演劇性
 今日でも一部の教会では、受難週にこの受難曲のテキストとなった聖書の個所を、聖職者と会衆が、それぞれに役割を分担して朗読する慣行があります。これは教会に伝わる非常に古い伝統で、原始キリスト教団の頃、既に確立したものと考えられています。最初は聖書そのものを朗読するだけでしたが、中世以降は民衆劇と融合した受難劇と、オラトリオという音楽形式に合わせた受難曲に分かれ、それぞれ独自の発展をとげました。オラトリオとは、簡単に言えば、衣装や道具だてや動作を伴わない演劇、あるいは今日で言う演奏会形式のオペラと同じです。ただその語源が「祈り」であることからお分かりのように、題材は聖書に限定されています。したがってこの受難曲も一種の音楽劇です。指揮者には演出者、また舞台監督の役割が求められ、独奏者と合唱にもそれぞれの役割が与えられます。音楽表現以外のなにものか、の表出が必要となるわけです。
 先ず全体の構成をみてみましょう。全40曲からなるこのヨハネ受難曲の、最大の山場はどこにあるのでしょうか。私たちが1985年(バッハ生誕300年の年)にこの曲を演奏した時の定説は、ドイツのF. スメントという人が1926年にたてた仮説で、第22曲が中心ということでした。確かにその曲を中心としてシンメトリカルに広がる全体構成は見事なもので、第22曲に力点を置いて演奏するのが常識となっていました。ところがそれでは、どうしてもその中心を通り過ぎた後の後半がだれてきます。特に終曲‐第40曲のコラールなどは、何か余計なもの、均整のとれた左右対象の大建築物の脇にたたずむ物置小屋みたいな存在になってしまい、演奏者としては違和感がありました。ところが嬉しいことに、最近になって新しい学説が唱えられ、次第にスメント説が退けられることになってきたのです。1990年に発表されたM.ペッツオルトの説がそれで、全体を5場に分け、それぞれの場がコラールで締めくくられる、という解釈です。もともとこの曲は2部に分かれていますが、それは説教をはさむための配慮です。と書くと牧師さんに怒られるかもしれません。第1部は説教のための下地作り、第2部は、説教の内容を音楽で換言したもの、と言うべきかもしれません。何れにしても一貫した筋立てと、音楽的場面への気分転換が必要となります。したがってペッツオルトは冒頭の第1曲と、説教後の第2部冒頭の曲を「導入曲」と位置付けています。演劇で言えば前口上、オペラで言えば本番前の序曲といったところでしょうか。 それを筆者なりに再解釈すると、全体の構成は次のようになります。こう考えると終曲コラールは付け足しでも、蛇足でもない。バッハが言いたかったことのすべてがこの曲にこめられている。最大の山は最後に、そして最後の最後の言葉「ewiglich(永遠に)」にこめられていることに気づくのです。

「ヨハネ受難曲」 2幕5場
序曲(Prelude)  (第1曲)
第1部 第1場  (2-5曲)  イエスの捕縛(ゲッセマネの園)
    第2場  (6-14曲)  イエスと大祭司(ユダヤ人の裁判)
(礼拝説教)
間奏(Intermezzo)  (第15曲)
第2部 第3場  (16-26曲)  イエスとピラト(ローマ提督の館)
    第4場  (27-37曲)  十字架上のイエス(ゴルゴタの丘)
    第5場  (38-39曲)  イエスへの追慕(墓所)
終曲(Finale)  (第40曲)

●レチタティーヴォ・アリオーゾ・アリア・コラールの役割
 曲の中で「レチタティーヴォ」とある個所は、そのほとんどをテノール独唱者(大島博さん)が、福音書の著者ヨハネになりかわって福音書そのままに朗唱するものです。ただし、福音書の該当個所に、イエスの言葉がある場合はバス独唱者(小原浄二さん)が、兵士たちや民衆の叫びなど、複数の登場人物がある場合は合唱団が登場します。テナー独唱者は、この他に第13、20曲のアリアと第34曲のアリオーゾも歌います。もう一人のバス独唱者(田代和久さん)は、ペテロ役とピラト役と第9、24、32曲のアリアと第19曲のアリオーゾを忙しくかけもちします。ソプラノ独唱者(高橋節子さん)は聖書中のアンキラ(門番の女)と第9、35曲のアリアを歌います。アルト独唱者(小原伸枝さん)は第7,30曲のアリアを歌います。
 合唱の最も重要な役割は「コラール」です。昔の場面構成の中心と考えられていた第22曲のコラール、新しい解釈で各場面を締めくくる役割を果たすと考えられているコラール。バッハの生涯、合唱といわず独唱といわず、オルガンといわずその他の器楽といわず、あらゆるジャンルで通奏低音のように用いられ、絶えずバッハの心を流れてやまないコラール。これをどう歌うかがヨハネ受難曲演奏の鍵となります。コラールに一番近い訳語は「讃美歌」で、礼拝中に会衆が歌う歌を意味します。共同体としての神への讃美、個人的な祈りなど、その内容はさまざまです。バッハが作・編曲したコラールの数は、器楽曲を含めれば、千曲に近いレパートリーとなります。一般的には単純な旋律に簡単な和声をつけた合唱曲ですが、歌詞は長いもので10数節ある場合もあります。しかし、この受難曲の場合は、それぞれの場面に適した1-2節だけが選ばれています。「アリア」は一般的に、独唱または重唱で歌われる叙情的な歌曲で、叙事的なレチタティーヴォと対をなして歌われます。内容的には、かなり個人的、内省的な祈りの歌であり、直前に歌われるレチタティーヴォの歌詞を反映しています。「アリオーゾ」は、レチタティーヴにより豊かな音楽的表情をつけたもの、あるいは逆に、短いアリアとお考えください。

●各曲のあらすじ
第1曲 大規模な導入合唱で、全曲の性格を示す。マタイ受難曲が人間に対する呼びかけで始まったのに対し、この曲では神とその栄光の讃美から始まる。
第2曲 ヨハネによる福音書18章1〜7節(以下はヨハネ:18/1-7と略記)」そのままの朗誦で、イエスが捕縛されるまでを簡潔に表現している。
第3曲 自ら進んで受難に向かうイエスへの讃歌。よく知られた歌いやすい旋律で、会衆の心の唱和を期待したもの。
第4曲 ヨハネ18/9-10。弟子は騒いだが、イエスは落着いて、むしろ進んで縛についた。
第5曲 直前のイエスの言葉「父がお与えになった杯は飲むべきではないか」を受けて、「み心のままに」と歌う会衆の応答歌。イエスが示した「主の祈り」のエッセンス。
第6曲 ヨハネ18/12-14。ここからはユダヤの民衆裁判の様相になる。その指導者たちの政治的思惑と、民衆の愚かさの絡み。
第7曲 一人離れてイエスを見守る目。バッハは往々にして、アルトに聖母マリアの役割を託している。これもその一つか。
第8曲 ヨハネ18/15。12人の弟子の内、最も信頼され重用されたペトロと、もう一人の弟子(ヨハネ)がイエスに従った。
第9曲 このソプラノはイエスを慕い、常にその傍を離れず、復活のイエスを最初に発見したマグダラのマリアの役、らしい。よく十字架像の下に、香油の壷をもって描かれる人。
第10曲 ヨハネ18/15-23。毅然とした態度に腹をたてた下役が、イエスを殴った。
第11曲 普通ならここで義憤を感じるところだが、バッハは内省に向かう。自分こそ加害者だと痛悔する。会衆歌だがバッハ自身の思いかもしれない。
第12曲 ヨハネ18/24-27。有名なペトロ否認の場。ただし、マタイほどの劇的表現はないので、部分的にマタイの記事(マタイ26/75)を借用している。
第13曲 第9曲と好対照をなす。マグダラのマリアの明るさとペトロの暗さ。前者はフルートとソプラノの相聞歌。この曲は痛恨歌、激しい心の揺れが弦の動きで助長される。
第14曲 第1部締めくくりのコラール。ここまでの4曲のコラールは何れも厳しい内省と懺悔の歌。心を謙虚にして説教を聞く準備。
第15曲 説教から再び音楽へ。いよいよイエスの受難の本番を迎える激しい緊張感と言葉がみなぎる。一音一音が、イエスの四肢を釘打つ槌の響きのように食いこむ。
第16曲 ヨハネ18/28-36。当時のイスラエルを統治していたローマ総督ピラトの審問。イエスは臆さず「私の国は、この世には属していない」と明言する。イエスの神性を認めないユダヤ教徒たちは苛立ち騒ぐ。
第17曲 キリスト教徒たち(聴衆)はそれに対し、イエスが神であることを伝えられないもどかしさ、自分の非力さを嘆く。
第18曲 ヨハネ18/37-19/1。ローマ人ピラトはイエスに罪を見出せない。しかしユダヤ人たちは執拗にイエスの処刑を迫り、鞭打たせた。
第19曲 むごい光景に隠された美しいヴィジョン。幻影ではない、信仰者の見る将来の予見。背を鞭打たれた傷跡が虹に見えてくる。バス独唱は通常、バッハの声とみなされる。
第20曲 前曲を受け、優美な弦楽伴奏に伴われたテノールが天国のヴィジョンを絶唱する。
第21曲 ヨハネ19/2-12。演劇ならここで暗転。舞台は裁判の山場で、喧騒を極める。
第22曲 とげとげしい騒ぎをよそにソッと挿入された、ホ長調(#記号4個)の明るいコラール。事の成り行きを知っている、後世の会衆の感謝の歌。このあたりから調性記号や変化記号に#(ドイツ語の音楽用語でKreutz、つまり十字架と同義)が多出する。
第23曲 ヨハネ19/12-17。ついに十字架上の処刑が確定する。音楽的には22曲を折り返し点として、第18から23曲までが同型を反復する、いわゆるシンメトリー構造で作曲されている。あたかも興奮した群集が、わけも分からず蟻地獄にはまりこんでいくようだ。
第24曲 その不安定な状態を脱するために、バスのリーダーが人々を鼓舞し、救いの抜け道を示す。ゴルゴタ、そこはむごい修羅場。だが、キリストによって救いの場となった。
第25曲 ヨハネ19/18-22。群集はその力でイエスを十字架に追いやった。陰にピラトの惑いがある。イエスに心ひかれながらも、ついにその惨劇を止め得なかった優柔不断さ。
第26曲 これとは対照的な、晴れやかな変ホ長調の明るいコラール。死は終わりでなく天国への架け橋と信じる、バッハが愛した名讃美歌の一つ。
第27曲 ヨハネ19/23-27。イエスの死は突発的な事件ではなく、旧約の時代からの預言の成就であった。
第28曲 ここにもイ長調という明るいコラールがある。こういう現象は、マタイ受難曲にはなかったこと。バッハは明らかに神の子イエス・キリストへの全的信頼を歌わせている。
第29曲 ヨハネ19/27-30。十字架上の最後の一言「成し遂げられた」は、他の福音書にはないヨハネだけの記述。ルター訳聖書の「Es ist vollbracht!」という言葉には、単に物事の終わりを示す以上の、意思的行動の完成・貫徹・実現をあらわす意図が隠されている。
第30曲 それを受けてバッハは、自分の最も好むロ短調で、すばらしいアルトのアリアを創作した。涙ながらにキリストの勝利を歌うこの曲は、一つの逸話を想起させる。明治の先覚者・内村鑑三がその愛娘を亡くして埋葬するとき、あふれる涙と共に「ルツ子万歳!」と叫んだという話。死別ほど悲しいことはない。だがそれを、天国への凱旋と信じる人もいる。多くの、最愛の肉親の死に直面したバッハも、その一人であったに違いない。
第31曲 ヨハネ19/30。楽譜を見ると、イエスが力なく頭を垂れる様子がよく分かる。
第32曲 それをバス独唱者は死のしるしとは思わない。肯定を示す無言のしぐさ、うなずき、と理解する。会衆が静かな祈りのコラールでそのアリアを補完する。
第33曲 マタイ27/51-52。このレチタティーヴォを中心とする、もう一つのシンメトリー構造がある。第31曲アルト、32曲バス、34曲テノール、35曲ソプラノの各アリア/アリオーゾが、この劇的な惨劇(この第33曲)を目前にした、あらゆる世代の人々、全世界の人々を代表して、それぞれの思いを伝える。いわば「キリスト処刑の場」のエッセンス。
第34曲 この31-35の各曲はいかにもマタイ的表現に満ちた作風で、絵画的様相を見事に音楽化している。大地の揺れ、心のきしみを表す音画的表現が見事だ。
第35曲 前曲の周章狼狽に対して、ここには見事な落ち着きがある。視点を天に据えて、心の悲しみや、地の動揺をおさめる。第9曲の明るい曲想を思い出す。ここにもソプラノとフルートの協奏があった。目前で主を失った悲しさが、短調という調性ににじみ出ているが、モティーフも楽器編成もほぼ同じ。両曲は表裏一体で、「愛」の極致を示すようだ。
第36曲 ヨハネ19/31-37。再びヨハネに戻り、イエスの肉体の死を確認する。
第37曲 ところがどっこい、イエスは生きている。その霊は高く挙げられ神の右に座している、という信仰告白がこのコラール。第2部の冒頭コラール、第15曲が半音高くなって再現される。前はどちらかといえば怒りと憎しみ、ここでは胸叩く痛悔と謙虚な祈りが支配的。
第38曲 ヨハネ19/38-42。イエスの遺体を慕って徐々に戻ってくる弟子たち。追慕の念。
第39曲 その弟子たちや、イエスに心を寄せるものたちの大合唱。単なる哀悼の歌ではない。自らの存在、全世界、天と地の平和を祈念する壮大さがある。旧版(第2版)ではここに、主の平和を求める「Agnus Dei(神の子羊)」のドイツ語訳コラールが置かれていた。ミサ曲なら、それで終曲となる。だがバッハはあえて、次の簡潔なコラールを加えて終曲とした。
第40曲 終曲をコラールで締めくくるのは、バッハの教会音楽作品に通有する基本的パターン。そのコラール選択にバッハ独特のセンスが光る。死の床で口ずさんだと伝えられるバッハの白鳥の歌が「神の玉座に進み出で」というコラール。コラールはバッハの血であり肉であった。ちなみにバッハの作品にはこの「玉座」という言葉がよく出てくる。ヨハネでも同様だ。そして、このヨハネが初演されたニコライ教会には、ルーカス・クラナッハの「Gnadenstuhl(恵みの座)、1515年」が飾られていたという。それはいわゆる「三位一体」を示す宗教画で、その玉座には父なる神が座し、膝には鳩(聖霊の象徴)がとまり、降架されたイエスが横たわる、という構図である。M. ゲックという人の最近の研究によると、ヨハネ受難曲の冒頭合唱は、いみじくもそれを音楽的に象徴化し、なぞったもの、と言う。その解釈をとれば、このヨハネ受難曲は冒頭と終曲の合唱を「恵みの座」によって、括っていることが分かる。この楽譜を整えたとき、バッハは確実に死を予感していた。そして「恵みの座」に向かい、このヨハネ受難曲を辞世の句として、心からの希望、感謝そして讃美を捧げた、と理解できる。願わくはその遺志が、永遠に歌い継がれんことを。

先頭へ戻る
Activities へ戻る
トップページへ戻る