東京スコラ・カントールム第42回定期・慈善演奏会
C. モンテヴェルディ 聖母マリアの夕べの祈り (通奏低音編成による演奏)
Claudio Monteverdi... Vespro della Beata Vergine (1610)


(2003/5/23、指揮:花井哲郎、東京カテドラル聖マリア大聖堂)



1. 神よ、速やかにわたしを救い出し Deus in adjutorium meum intende
2. あの人は左の腕を(グレゴリオ聖歌) Laeva eius(Gregorian chant)
3. 主は言われた(詩編110) Dixit Dominus(Psalmus 109)
4. わたしは黒い Nigra sum
5. 今や冬は去り(グレゴリオ聖歌) Iam hiems transiit(Gregorian chant)
6. 主の僕らよ、賛美せよ(詩編113) Laudate pueri(Psalmus 112)
7. あなたは麗しいかた Pulchra es
8. わたしの愛する人は(グレゴリオ聖歌) Dilectus meus(Gregorian chant)
9. わたしは喜んだ(詩編122) Laudate pueri(Psalmus 121)
10. 二人のセラフィムが Duo Seraphim
11. あなたの愛する人はどこに(グレゴリオ聖歌) Quo abiit dilectus tuus(Gregorian chant)
12. 主が家を建てられるのでなければ(詩編127) Nisi Dominus(Psalmus 126)
13. 天よ、聞いてください Audi coelum
14. 王が床におられた時(グレゴリオ聖歌) Dum esset rex in accubitu suo(Gregorian chant)
15. エルサレムよ、主をほめたたえよ(詩編147後半) Lauda Jerusalem(Psalmus 147)
16. 聖書朗読 Capitulum
17. 賛歌... めでたし 海の星 Hymnus Ave maris stella
18. マニフィカトのアンティフォナ...
聖マリア、哀れな者たちを助けに急ぎ来てください
(グレゴリオ聖歌)
Ad magnificat antiphona Sancta Maria,
succurre miseris
(Gregorian chant)
19. マニフィカト Magnificat
20. 祈祷 Oratio
21. 終了唱(グレゴリオ聖歌) Benedicamus(Gregorian chant)



《プログラム・ノート》 ...大森七恵(東京スコラ・カントールム)

夕方から降りはじめた通り雨は、やがて雷をともなった春の嵐になりました。
2000年5月、東京スコラ・カントールムが、3回目のドイツ旅行で南ドイツにある修道院を訪れた時のことです。カトリックの伝統的な典礼を守るその修道院で、私たちは感動的な晩課に参列しました。降りしきる雨の音と、時折空を割るかのように響く雷の音。その中で淡々と、本当に淡々と、詩編が唱えられ、マニフィカトが歌われました。彼らが1000年近くそうしてきたように、そしてこれからも永遠にそれを続けていくように。
「晩課(夕べの祈り)」は、カトリック教会で毎日おこなわれる祈りの日課の中でも、朝課(朝の祈り)と並んで最も大切にされている時間のひとつです。人々はこの時間になると働く手を休め、その手を組み、あるいはその手で詩編のページをめくって祈ります。詩編の前と後に唱えられる答唱(アンティフォナ)は、日によって用いられるものが異なります。クリスマス前には主イエスのご降誕を待ち望むアンティフォナが、イースターにはキリストのご復活を祝うアンティフォナが唱えられます。人々はこのアンティフォナを唱えることによって、聖書の物語や聖人伝に触れ、あるいは季節の移り変わりを感じ取るのです。
5月は聖母の月とされています。主のご復活と初夏の到来を祝う祝祭的な雰囲気に、薔薇や百合の花になぞらえられた聖母マリアがよく似合うからでしょうか。この月が聖母の月と定められた理由ははっきりと知られていませんが、人々は普段よりさらに敬虔に聖母へ賛美の歌を捧げます。

〈聖母マリアの夕べの祈り〉の作曲者であるクラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi, 1567-1643)は、その5月に生まれています。モンテヴェルディの活躍した時代は、音楽史の上でも、また歴史的にも過渡期と呼ばれる時期にあたります。フランドル地方出身の音楽家たちが活躍し、イタリアでも大きく花開いたルネサンスの時代が終わりを告げ、バロックへと移行したのがこの頃です。諸声部の対位法的な絡み合いに重点を置く「第一の作法(prima prattica)」に対して、歌詞の劇的な表現を追求し、器楽伴奏や通奏低音を伴う独唱が中心の「第二の作法(secunda prattica)」が関心を集めるようになりました。それまで独立した楽曲として作曲されたものがあまり伝えられていない器楽の分野でも、この時代には多数の作品が書かれ、名演奏家が現れるようになりました。
モンテヴェルディが生まれた16世紀後半は、ヨーロッパの情勢にも大きな変化の見られた時代です。神聖ローマ皇帝として西欧社会をほぼ統一したカール5世の没後、帝国の求心力はしだいに弱まり、諸国への影響力も低下していきます。1515年にドイツで起こった宗教改革の余波は全ヨーロッパに及び、宗教的にも分裂した諸国は、やがて三十年戦争という形で衝突することになります。
このような激動の時代に、ヴェネツィアは比較的その影響を受けずにいました。アドリア海に面したヴェネツィアは、おもに海洋交易で栄えました。16世紀にはオスマントルコの影響や新大陸の発見によるスペイン、ポルトガルなどの台頭で貿易産業だけでは立ち行かなくなりますが、領土拡張に走ることなく、国内産業で経済を支える道を選びます。毛織物産業のほかにヴェネツィアで発展したのが印刷・出版業です。イタリア各地で生み出された多くの文学・音楽作品が、ここヴェネツィアから出版されたのでした。

モンテヴェルディの〈聖母マリアの夕べの祈り〉も、1610年にヴェネツィアで出版されました。その後1613年に彼はヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長に就任しています。おそらくその壮麗な空間に、彼の手による〈聖母マリアの夕べの祈り〉が高らかに鳴り響いたことでしょう。彼の生きた時代が音楽史における転換期であったことは先にも述べましたが、モンテヴェルディ自身は、新しい様式の強力な推進者であったと同時に、ルネサンスの様式でも一流の作品を残した音楽家でもあります。1607年に初めてのオペラ『オルフェーオ』を発表したモンテヴェルディは、最も初期のオペラ作曲家のひとりにも数えられています。その一方で、16世紀にその全盛期を迎えたマドリガルの分野においても、彼は名作を多く残しています。

〈聖母マリアの夕べの祈り〉にも、ルネサンスに特徴的な、対位法的かつポリフォニックな作風と、いかにも初期バロックらしい描写的な歌詞表現やヴィルトゥオーゾな独唱の、両方の要素がみられます。各曲の持つこうした多様性が、この作品の持つ大きな魅力のひとつです。
晩課では、〈神よ、速やかにわたしを救い出し〉"Deus in adjutorium" に続いて5つの詩編が歌われます。詩編は元来グレゴリオ聖歌の朗唱の形で唱えられますが、モンテヴェルディは聖歌の単純な旋律をさまざまな形で曲の中にちりばめながら、各曲にバラエティ豊かな曲想を与えています。キリスト教会の伝統に従って詩編の終わりには "Gloria Patri(栄光は父と子と聖霊に)" が必ず歌われます。5曲に共通して繰り返されるこの歌詞が、みごとなほどに異なった手法で作曲されていることにも驚かされます。
それぞれの詩編の前後には通常グレゴリオ聖歌のアンティフォナが歌われますが、この作品にはアンティフォナが含まれていません。その代わりに詩編のあいだに独唱、重唱のためのモテットが置かれています。モンテヴェルディの時代には、詩編の後のアンティフォナをモテットや器楽曲で代用することがありました。今回は、詩編の前にグレゴリオ聖歌のアンティフォナを、詩編の後にモテットを挿入して演奏します。〈聖母マリアの夕べの祈り〉は、とくに聖母マリアの祝日の晩課のための作品が集められていますので、聖母マリアに関連したアンティフォナを選びました。
旧約聖書中の一巻である150編にものぼる詩編は、これまで多くの作曲家の心を揺さぶり、詩編を歌詞としたさまざまな曲がつくられました。そして現代の私たちにも、詩編の言葉は輝きを失うことなく響き続けています。教会や修道院の祈りの時間に淡々と唱えられる詩編、そしてモンテヴェルディの手によって華やかな曲想を与えられた詩編。そのどちらからも、詩編の言葉のもつ豊かなメッセージが伝わってくるのを、わたしたちは修道院での体験を通して、また今日の演奏会に向けた練習の中で感じてきました。

晩課では詩編が歌われたあと、聖書が朗読され、賛歌(Hymnus)とマニフィカト(マリアの讃歌)が歌われます。〈めでたし 海の星〉"Ave Maris Stella" は、聖母マリアを海の星になぞらえた、大変美しい詩を持つ賛歌です。船乗りを導く星のように、人生の航路を守り導く存在としての聖母マリアにとりなしの祈りを願います。マニフィカトは、ルカによる福音書の中で、主イエスを受胎したマリアが歌う讃歌です。モンテヴェルディは〈聖母マリアの夕べの祈り〉の中にマニフィカトを2種類収録していますが、今回の演奏会ではそのうち、通奏低音と6声合唱の編成のために書かれたものを採用しました。
またその他の楽曲についても、初版の印刷譜に指示のあるように「省いてもよい」ヴァイオリンやトロンボーンなどの楽器はすべて用いず、ハープ、チェンバロ、オルガンといった和声を担う楽器による通奏低音のみが、声楽のアンサンブルに加わる形としました。演奏の形態も様々であったと考えられる当時の典礼音楽のひとつの可能性として、声による表現を思い切り前面に打ち出してみたいと思います。

長い時間をかけ、かみしめるようにひとつひとつの言葉を唱えて晩課が終わると、あたりは夜の静けさに包まれます。耳の奥に残る祈りの言葉に思いを馳せながら、人々は家路をたどります。そして次の日も、またその次の日も、同じように祈りの営みは繰り返されるのです。
東京スコラ・カントールムは来年、創立25周年を迎えます。私たちはこれまで、小さな働きではありますが、教会音楽の研究・演奏を通して、教会の大きな祈りの輪に加わってまいりました。どの時代の作品を演奏する場合にも、その音楽の持つ表現の豊かさや言葉の意味深さに、私たちはいつも感動を覚えます。今からおよそ400年前につくられた〈聖母マリアの夕べの祈り〉も、当時の華やかなヴェネツィアの典礼を思わせるだけではなく、現代を生きる私たちにも生きた祈りの言葉として響いてきます。それこそが、この作品が名曲と称される理由でしょう。美しい5月の夕べ、ご来場くださった皆様とともに、祈りの言葉に耳を傾けることができれば幸いです。

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