東京スコラ・カントールム第44回定期・慈善演奏会
天使の夕べの祈り … 16世紀ローマ 大天使ミカエルの晩課

(2004/9/23、指揮:花井哲郎、聖心女子大学聖堂)


《曲目》
1. "神よ、わたしを救い出し"
"Deus in adjutorium"


2a. アンティフォナ "天使が立った"
antiphona "Stetit Angelus"

2b. "主は言われた" (詩編110編)
"Dixit Dominus" (Psalmus 109)
フランチェスコ・ソリアーノ(1549-1621?)
Francesco Soriano
2c. アンティフォナ "天使が立った"
antiphona "Stetit Angelus"


3a. アンティフォナ "戦いの時"
antiphona "Dum praeliaretur"

3b. "わたしは感謝をささげる" (詩編111編)
"Confitebor" (Psalmus 110)
グレゴリオ聖歌
Gregorian chant
3c. アンティフォナ "戦いの時"
antiphona "Dum praeliaretur"


4a. アンティフォナ "大天使ミカエルよ"
antiphona "Archangele Michael"

4b. "いかに幸いなことか" (詩編112編)
"Beatus vir" (Psalmus 111)
ジョヴァンニ・マリーア・ナニーノ(1543/4-1607)
Giovanni Maria Nanino
4c. アンティフォナ "大天使ミカエルよ"
antiphona "Archangele Michael"


5a. アンティフォナ "主の天使"
antiphona "Angeli Domini"

5b. "主の僕らよ、賛美せよ" (詩編113編)
"Laudate pueri" (Psalmus 112)
グレゴリオ聖歌
Gregorian chant
5c. アンティフォナ "主の天使"
antiphona "Angeli Domini"


6a. アンティフォナ "天使、大天使"
antiphona "Angeli, Archangeli"

6b. "主を賛美せよ" (詩編117編 )
"Laudate Dominum" (Psalmus 116)
ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(1525/6-1594)
Giovanni Pierluigi da Palestrina

7. "主を賛美せよ" (詩編150編)
"Laudate Dominum" (Psalmus 150)
ルーカ・マレンツィオ(1553-1599)
Luca Marenzio

8a. 小課
Capitulum

8b. 小答唱
Responsorium breve


9. 賛歌 "御父の輝きなるキリストよあなたに"
Hymnus "Tibi Christe splendor Patris
パレストリーナ
G. P. da Palestorina

10a. アンティフォナ "最も栄光ある指揮官"
antiphona "Princeps gloriosissime"

10b. 第1旋法のマニフィカト
Magnificat primi toni
パレストリーナ
G. P. da Palestrina
10c. マニフィカトのアンティフォナ
  "最も栄光ある指揮官"
antiphona ad Magnificat
  "Princeps gloriosissime"
マレンツィオ
L. Marenzio

11. 祈祷(キリエ、主の祈り、特定の祈り)、終了唱
Kyrie/Pater noster/Oratio/Benedicamus


12. "めでたし元后"
"Salve Regina"
トマス・ルイス・デ・ビクトリア(1548-1611)
Tomas Luis de Victoria



《プログラム・ノート》 ...花井 哲郎 (東京スコラ・カントールム指揮者)

ローマを旅する者にとって、ティベレ川に架かる橋の先にそびえ立つサンタンジェロ城は印象深い風景の一つでしょう。サンタンジェロは聖なる天使を意味し、城の上には剣を持った大天使聖ミカエルの像がローマの街を見おろしています。伝説によると590年教皇聖グレゴリウスが、ヨーロッパで猛威をふるったペスト終息を祈願して行列を行っていると、大天使聖ミカエルが現れたということです。その場所には教会が建てられ、後に城砦になったものがサンタンジェロ城なのです。
ヨハネの黙示録にあるように、ミカエルは天上の戦いで竜、つまりサタンに立ち向かい、他の天使達に「神に似た者は誰か」と叫ばしめた、神の民の守護天使です。死者のためのミサの奉献唱でも「旗手聖ミカエルが彼らの魂を聖なる光に導いて下さいますように。」“signifer sanctus Michael repraesentet eas in lucam sanctam”と歌われるように、死の際には信者の魂を敵の力から助け出してくれる、と信じられています。ローマにミカエルに捧げられた教会ができたのを記念して、9月29日が「聖天使ミカエル教会奉献」の祝日になりました。

本日の演奏会では、このミカエルの祝日に捧げられる夕べの祈り「晩課」を、カトリック教会で古来歌われてきた単旋律のグレゴリオ聖歌の典礼に、ルネサンスの時代にローマで活躍した作曲家達の作品を織り込んだプログラムをお聴き頂きます。当時行われていた典礼はかくのごとくであったかと思われます。中心となる作曲家は、16世紀ローマを代表する教会音楽家ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナです。
パレストリーナの名前は生まれ故郷であるローマ市郊外の町の名に由来しています。ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の少年聖歌隊員として音楽を学んだ後に再び故郷に戻り、オルガニストそして聖歌隊長を務めます。その後ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂内にあるジュリア礼拝堂楽長となったのを始めとして、亡くなるまでローマ市内の重要な教会で歌手、楽長を歴任します。作品は宗教曲が中心で、その多くを自らの手で出版しました。
15世紀にはイタリアにおいても主流であったフランス・フランドルの音楽家たちとその作風は、16世紀においても特に教皇の礼拝堂であるシスティーナ礼拝堂では支配的でしたが、パレストリーナはイタリア人歌手が中心であったジュリア礼拝堂聖歌隊などで活躍していました。そういう環境もあってか、彼の作風はフランドルの伝統に根ざしながらも明らかによりイタリア的です。イタリア的なラテン語のアクセント感覚を尊重した旋律線、明快な対位法、均衡のとれた構成、そして時には非常に和声的な書法が特徴的です。この傾向は16世紀を通して強まり、世紀末までにはイタリア人によるイタリア的な音楽が大きく花開くことになるのです。


晩課 ――
教会の典礼は大きくミサと聖務日課に分けられます。ミサはもちろん最も重要な行事で信者の生活の中心です。聖務日課は現在では修道院で歌われるか、神父様方が祈祷書を片手に祈られるかで、一般にはあまり知られませんが、昔は、カテドラルや一般の教会などでも歌われていました。「常に祈りなさい」と言われたキリストの教えに従い、聖務日課は毎日日の出前、あるいは深夜の一番長い朝課に始まり、賛課、1時課、3時課、6時課、9時課、晩課、と続き、就寝前の終課で一日を閉じます。1週間のうちに150ある詩編をすべて祈る(歌う)ということから、聖務日課の大部分は詩編の朗唱(一定の音の高さで唱えるように歌う)からなっています。
詩編は一節ごとに教会内陣の右側と左側に座る人たちで交互に朗唱されますが、それぞれの詩編の前後に、アンティフォナと呼ばれる短い歌が歌われます。それは、その詩編の最も中心的な節であったり、教会暦に合わせた内容、つまり例えばその日に祝われる事柄を端的に表現した聖句であったりします。本日はもちろん、聖ミカエルにまつわる言葉が歌われます。
もう一つ聖務日課の中で重要な楽曲に、4世紀ミラノの司教聖アンブロジウスが発展させたといわれるイムヌス(賛歌)があります。他の曲の歌詞が、詩編も含めて主に聖書からとられた散文であるのに対して(詩編もラテン語訳では散文の形になっています)、賛歌は韻文を歌詞に持つ、いわゆる有節歌曲です。
聖務日課の中でも大きな祝日の晩課は特に盛大に祝われ、多声楽曲や時には管弦楽付きの曲が演奏されることもありました。晩課の構造は次の表のようになっています。本日の演奏曲目の番号を付しました。

1. 先ず「主よ、急いでわたしを助けに来て下さい」という短い句が朗唱されます。
2-6. 次に5つの詩編がそれぞれアンティフォナにはさまれて朗唱されます。
8. 聖句朗唱と短い答唱
9. イムヌス(賛歌)
10. 晩課のクライマックスとして、新約聖書ルカによる福音書第1章にあるマリアの頌歌「マニフィカト(私の魂は主をあがめ)」が、特に祝祭日には長めのアンティフォナにはさまれて、荘厳に朗唱されます。
11. 主の祈りとその日固有の祈祷
12. 「主を賛美しよう。神に感謝」で晩課を閉じます。

アンティフォナとはそもそも「交唱」とも訳されるように、二つのグループによる掛け合いのような歌い方を意味していたようです。あるいは複雑なソリストの歌に対する会衆の単純なリフレインの意味もありました。それがローマ教会の典礼の中では、逆に、前に述べたように、単純な詩編の朗唱をサンドイッチ式にはさむように、詩編の前後に歌われるようになりました。詩編と同様な様式で、しかしより厳かに朗唱される頌歌(賛課ではザカリアの頌歌 Benedictus、晩課ではマリアの頌歌 Magnificat、終課ではシメオンの頌歌 Nunc Dimittis)のアンティフォナにはより長く、美しいものが多くあります。
その他にも、朗唱詩編や頌歌とは関係なく、それだけで単独で歌われるアンティフォナもあります。12〜13世紀には、さかんに崇敬されるようになった聖母マリアに対してアンティフォナを歌う習慣がおこり、現代にいたるまで、終課の最後には季節に応じて4つのマリア・アンティフォナの一つが歌われます。「サルヴェ・レジーナ(めでたし元后)」はその一つです。


新しい様式、そして古い様式 ――
本日の詩編は5つのうちふたつが元来のグレゴリオ聖歌による交互朗唱、3つが16世紀ローマのポリフォニー(多声)楽曲によって歌われます。ポリフォニーの3曲はどれも8声部二重合唱の作品です。グレゴリオ聖歌で左右の歌隊が交互に歌うように、ふたつの合唱が時には交互に、またクライマックスでは同時に歌うなど、聖歌の伝統を継承、そして発展させています。16世紀はまた、言葉の意味を音楽に直接反映させようという気運が高まってきた時代でもあり、単純で典礼本来の瞑想的な響きをもつ聖歌に対して、より劇的な表現がこれらの作品にも随所に見られます。

2b.「主は言われた」(詩編110編)のフランチェスコ・ソリアーノも、4b.「いかに幸いなことか」(詩編112編)のジョヴァンニ・マリーア・ナニーノも、共にパレストリーナの弟子でローマでもっとも重要な音楽家として活躍しました。どちらの曲にも詩編の言葉を直接的に音に表している箇所が多く見られます。複雑な対位法はあまり使われておらず、この時代盛んに作られた世俗音楽であるマドリガーレに近いといえましょう。逆に、パレストリーナの詩編6b.「主を賛美せよ」(詩編117編)にはそのような要素は少ないかわりに、簡単には表現しがたい宗教的感情が静かに伝わってくるような美しさがあり、同時代であっても師と弟子の世代の違い、また個性の違いが感じられます。
言葉の意味を具体的に聞き取れるように音にする新しい様式は、マドリガーレを多数作曲したルーカ・マレンツィオにおいてはさらに顕著になります。7.「主を賛美せよ」(詩編150編)では、例えば歌詞に現れるラッパ、琴、太鼓、オルガン、シンバルといった楽器の音が聞こえてくるようです。この詩編は元来天使の晩課には属しませんが、5番目の詩編に付随するアンティフォナを反復する代わりのアンティフォナ代用モテットとして演奏されます。このように詩編後のアンティフォナを別の声楽曲やオルガン独奏で代用する習慣は16世紀イタリア各地にあったということです。モンテヴェルディが出版した曲集「聖母の晩課」にそのようなアンティフォナ代用モテットが収録されているのは有名です。昨年当合唱団でも演奏しました。

プログラムの後半で歌われる多声楽曲は、どちらかというと伝統的な、対位法を重視した曲ばかりです。イムヌス、9.賛歌「御父の輝きなるキリストよあなたに」は4節からなりますが、パレストリーナによってその奇数節が作曲されており、偶数節は基になったグレゴリオ聖歌を歌います。合わせて聴いてみると聖歌の旋律が4つの声部それぞれに美しく展開されていくのがおわかりになると思います。10b.第1旋法のマニフィカトも同様でここでは偶数節がパレストリーナによるポリフォニー楽曲です。単純な朗唱パターンの旋律を使いながらも、6つの楽章それぞれが個性的に、各節の意味が内面からにじみ出るように表現されているのは、天才のなせる業という他はありません。マニフィカトの前には、ミカエルへの取りなしを願う祈りであるグレゴリオ聖歌の10a.マニフィカトのアンティフォナ「最も栄光ある指揮官」が歌われます。その反復として、全く同じ言葉を歌詞とする10c.マレンツィオのモテットを演奏します。何回も繰り返されるアレルヤが祝祭の気持ちを高めてくれます。

晩課のあと、一日の最後にあって聖母に捧げる祈り12.「めでたし元后」サルヴェ・レジーナで演奏会を締めくくります。待降節が始まるまでの夏から秋にかけて一年の半分ほどの時期に、修道院などでは毎晩歌われます。本日演奏するのは、やはりパレストリーナの弟子と考えられるスペインの作曲家トマス・ルイス・デ・ビクトリアがこの聖歌を基にして作った6声部の作品です。そもそも情熱がほとばしり出たような祈りであるサルヴェ・レジーナをビクトリアはさらに情感豊かな作品に仕上げています。しかしその表現方法はマドリガーレとは対照的に、フランドルの伝統をそのまま受け継いだ、各声部がそれぞれ旋律を歌いながら複雑に関係し合う対位法の技法によっています。例えば最初の部分では、一つの声部は聖歌の始めの4音にのせて「サルヴェ」という言葉を同じ音価で何回も繰り返します。そしてその間隔は一回ごとに規則的に縮まっていきます。もう一つの声部が同様に「あわれみの母」という言葉を繰り返します。それを骨組みとして他の声部がそれぞれに聖歌の旋律を変形させながら絡み合っていくのです。直截的でないだけにこの音楽の響きは切実で、魂の奥底に訴えかけてくるかのようです。

同じ16世紀でも世代により表現方法は異なり、それぞれの作曲家の個性の違いも曲に現れています。それらをグレゴリオ聖歌を基本として組み合わせてみると、ミカエルを筆頭に天使たちが天上でそれぞれににぎやかに神をたたえているかのような典礼になったと思います。皆様もどうぞ心を合わせてその賛美に加わってくださいますように。

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