東京スコラ・カントールム第48回定期・慈善演奏会
受難節に寄せて ... マックス・レーガーの音楽と廣瀬量平による新作

(2007/3/4、指揮:青木洋也、玉川聖学院谷口ホール)



《曲目》
マックス・レーガー Max Reger(1873-1916)
1. 受難 ...《7つの祝祭日のための幻想曲(作品145)》より (オルガン)
Passion ...from 《7 Fantasien zu den Hauptfesten des Kirchenjahres(op.145)》
2. いと麗しいイエス
Schönster Herr Jesu
3. 3人の天使は歌う
Es sungen drei Engel
4. イエスが園に歩み入られたとき
Da Jesu in den Garten ging
5. イエスの七つの言葉 《12のドイツ宗教曲集》《7つの宗教的民謡集》より
Die sieben Worte Jesu ...from 《12 deutsche geistliche Gesänge》 《7 geistliche Volkslieder》
6. 受難の歌 ...《2つの宗教曲 作品19》より (独唱)
Passionslied ...from 《2 geistliche Gesänge(op.19)》
7. 死よ、おまえはなんと苦痛に満ちたものか ...《3つのモテット 作品110》より
O Tod, wie bitter bist du ...from 《3 Moteten(op.19)》
8. 血潮したたる主の御頭 (コラール・カンタータ)
O Haupt voll Blut und Wunden
9. アニュス・デイ
Agnus Dei
10. クレド ...《8つの宗教曲集 作品138》より
Wir glaben an einen Gott ...from 《8 geistliche Gesänge(op.137)》
11. 葬送の歌 ...《12の宗教曲集 作品137》より(独唱)
Grablied ...from 《12 geistliche Volkslieder(op.137)》
12. 甘き死よ来たれ (コラール前奏曲・オルガン)
Komm, süssel Tod

廣瀬量平 Ryouhei HIROSE (1930-)
13. オルガンと合唱のための "甘き死よ来たれ" J.S.バッハの旋律による前奏曲、フーガ、終曲 (2007=初演)
"Komm, süssel Tod" Prelude, Fuga, and Postlude
  on the Melody by J.S.Bach for Organ and Chorus
14. この世の光 (2007=初演)
The Light of the World


《プログラム・ノート》...服部浩巳 (東京スコラ・カントールム)

光を求めて 〜あこがれのバッハ、あこがれのライプツィヒから

遠く離れた日本でも、宗教音楽に興味を抱く人にとってドイツのライプツィヒはあこがれの街といえるでしょう。聖トマス教会でカントール(音楽監督)だったJ. S. バッハ(1685-1750)が教会カンタータや受難曲で音楽の土台を築き、今もしっかりその伝統が大切にされつつ、新しい音楽とも融合しています。そのあこがれはドイツ人にも同じで、今回取り上げる作曲家マックス・レーガー(1873-1916)もその一人だったのではないかと考えています。

1997年3月の受難週、私はライプツィヒを訪れ、バッハの「ヨハネ受難曲」を聖トマス教会のコンサートで聖木曜日に聴くことができました。演奏の素晴らしさはもちろんでしたが、終演後拍手もなく、ただ楽団員と聴衆とが一緒に受難物語の余韻に浸りながら教会を後にする光景から、この街が持つ信仰と音楽への尊敬の念とともに、プロテスタント教会の歴史と伝統が築いてきた心豊かな音楽文化を感じたのでした。そして、翌日、すなわちキリストが人間の贖罪として十字架の上で処刑された聖金曜日(受苦日)の朝、礼拝で耳にしたのが本日後半で演奏するレーガーのコラール・カンタータ「血潮したたる主の御頭」でした。良く知る讃美歌のメロディの変奏曲でしたが、バッハの音楽とは違う半音階と器楽と声の組み合わせがとても心に残りました。

この作品は1904年秋にミュンヘンで作曲され、翌年3月4日、聖トマス教会でカントールのグスタフ・シェンクにより初演されました。生涯の友人だったカール・シュトラウベがその数年前に聖トマス教会のオルガニストに就任しました。レーガーは、シュトラウベを追ってライプツィヒでカントールになりたいと夢を抱いて作曲したように私には思えます。1907年、音楽院に招かれて作曲を教える立場でライプツィヒに移り、聖歌隊にも作品を作曲し献呈しました。しかしカントールには遂になれず、ライプツィヒ滞在中に43歳の生涯を終えました。シュトラウベは彼の死後2年後、友の夢を実現するかのように1918年から39年までカントールを勤めました。以来、レーガーの作品は今も聖歌隊の重要なレパートリーとなっています。

バイエルン生まれのレーガーは、カトリックの環境に育ちましたがプロテスタントに変わりました。プロテスタント教会のために作品を残していますが、衆讃歌(会衆歌)といわれる膨大なコラールの中に流れている信仰を育んだ音楽と精神性を再発見しました。「血潮したたる主の御頭」をはじめ、様々なコラールの旋律を作品のあちこちに散りばめています。そして、ワーグナーやブラームスなど19世紀末のロマン主義から、1914年に勃発した第一次世界大戦のさなかまで、作曲家、指揮者、作曲技法の教授として活躍し、20世紀始めの急速に近代化した激動のヨーロッパでR.シュトラウスらと並んで音楽に新しい風を送りました。とくに無調音楽や十二音技法を確立したシェーンベルクにも多大な影響を与えたことは音楽史上特筆すべきでしょう。日本で作品を聴く機会は少ないのですが、バッハの後継者と評価されてドイツでは今も良く取り上げられます。とりわけ教会音楽ではバッハを模範として、カンタータ、モテット、オルガン曲をたくさん残しました。

この演奏会では、1000曲も書いたレーガーの膨大な作品から受難に関する曲を選びました。「イエスの七つの言葉」のように宗教改革の始まった15世紀?16世紀以降に各地で歌われた宗教的な民謡と歌曲、「アニュス・デイ」や「クレド」のような宗教詩をテキストにした無伴奏合唱曲、人生でも大切な知人の死に立ち会って、聖書をテキストにしたモテット、教会で歌い継がれたコラールを題材にしたカンタータやオルガンの独奏曲、オルガン伴奏による独唱曲を取り混ぜてプログラムを構成しました。また人の死を、キリストの受難と重ね合わせ追慕する人も少なくありません。「死よ、おまえはなんと苦痛に満ちたものか」は、悲しみから慰めへ、魂の平安へと心の中が移り変わる作曲者の純粋な信仰心を感じ取ることができます。レーガー自らも生死の境をさまようこと数回、家族は健康に恵まれず、幼くして多くの兄弟姉妹の死に直面する境遇でした。音楽の特徴は半音進行が多く、複雑な和声がめまぐるしく変化しますが、バッハの受難曲のような物語とは異なる雰囲気を持ち、その一曲一曲が表情豊かで、キリストの受難、さらに永遠の命を信じる多彩な響きを味わっていただけるでしょう。

日本にキリスト教が本格的に入ってから130年あまりですが、ドイツの歴史とは比べるべくもありません。日本は近代化する中で、ドイツから音楽の多くを学びました。宗教音楽についてもそうですが、輸入された作品をそのまま、あるいは翻訳して演奏されることに多くの力が注がれて、日本語でキリスト教信仰を表す邦人作品は数少なく、かつあまり目を向けられることはありませんでした。私がライプツィヒで聴いたレーガーの音楽は、ドイツ人が自らの信仰を自分の言葉と旋律で表現するという、宗教改革から脈々と続く力強さを聴きました。その時、いつか日本でも、歌が自然に生まれ、自分たちの言葉で表現できるキリスト教音楽を歌いたいと強く感じたのです。

この演奏会では、廣瀬量平氏(1930-)の委嘱作品を初演できることを、私たちはたいへん喜び心から感謝しています。廣瀬氏は、新しい幅広い音楽分野を次々に開拓し、国際的にも活躍する日本を代表する作曲家です。合唱曲では「海の詩」「海鳥の詩」など広く愛唱される素晴らしい作品をたくさん残し、また青年期からキリスト教に深く接したことで讃美歌も作曲しているので、ぜひとも合唱曲を書いて頂きたいと5年前から廣瀬氏に申し入れていました。その夢が今回ついに叶い、2曲を書き下ろしていただきました。

その一つは、「甘き死よ来れ」という有名な宗教的歌曲の旋律を用いた作品です。17世紀ドイツに広がった敬虔主義に基づく詩が特徴です。バッハ自身の作曲といわれていますが、その曲は時空を超えて不思議につながっているのです。レーガーはオルガンのために「コラール前奏曲」として初期の時代に作曲しました。日本では子どもの頃にP.カザルスによるチェロ演奏を聴いた廣瀬氏が、1995年にフルートオーケストラで演奏した見事な「前奏曲/フーガ/終曲」を作曲しています。それが今回オルガン伴奏に編曲して合唱が加わる作品となりました。バッハの「甘き死よ来れ」について成城大学の小林義武教授にさまざまな示唆をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

もう一曲はプログラムの最後のモテット「この世の光」です。受難や死をただ受け止めて終わるのではなく、十字架上でのイエスの死によって許され、復活の命によって生きていることを確認できる内容で、日本語の聖書から合唱曲にしてほしいとお願いしました。そして、マタイによる福音書5章1節から16節をもとに、「山上の説教」の冒頭の部分から廣瀬氏自らが作詩をして下さいました。キリスト教文化の影響の少ない日本では、日本語に翻訳された聖書のまま音楽にするのではなく、時代を深く読み込みつつ音楽として内容を伝えるために歌詞づくりに大変な時間を費やしたと伺いました。その詩の背景には、20年以上も前からパキスタンでキリスト者の医師としてアフガニスタン難民のための医療活動を始め、水源確保、農業計画を展開している中村哲氏の姿が「世の光」として映し出されています。自らの目で見て実行しながらこの時代と向き合い、十字架での苦悩と死を乗りこえて復活したイエス・キリストが、しっかりと大地に足をつけて生きる中に神の似姿として見えてくるようです。それが壮大なスケールの音楽となって、希望の光として力強くいつまでも心に鳴り響くことでしょう。

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