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interview

私たち東京スコラカントールムは2010年3月にJ. S. バッハのマタイ受難曲を演奏します。
青木先生の的確で熱いリードに、少しずつこの大曲が身近なものになってきています。
そこで先生のマタイについてもっと伺いたいと、練習後直撃インタビューをさせていただきました。

○マタイ受難曲体験について

——最初に、青木先生のマタイ体験について伺います。マタイを最初に歌ったのはいつですか? これまで何回くらい歌っていますか? また、印象に残った演奏についてお聞かせ下さい。

合唱の抜粋やアリアなど、学生の頃から歌っていましたが、初めて全曲を歌ったのは2001年です。これまで通算40回位歌っています。これだけの回数を歌ってみて、慣れるというより難しさや怖さが分かってきました。
実は私がはじめて全曲通して聴いたのはオランダです。イースターの直前でしたが拍手のないマタイでした。終演したら、お客様たちはスーッと帰っていきました。マタイの演奏会というよりも、教会行事の一部としてマタイを演奏していたのですね。日本での受難曲の演奏会は、時期としては四旬節の頃であっても、演奏会として演奏されることが多いので、この形はとても印象的でしたね。
日本でもそうした宗教的な形での演奏を行うことには意味があると思いますが、その意味をどのように表現できるかというと、難しいことは色々とありますね。

スコラでも、このような形式の演奏会(定演)をやったことがあります。団内は賛否両論というか消極的同意が大多数でしたね。お客様も、多くは戸惑ってお帰りになった、そんな印象でした。

——日本では、受難曲と言うとマタイ受難曲が有名ですが、バッハの作品としてはヨハネ受難曲もありますね。

日本ではマタイの方が格段に演奏回数が多いですね。両作品は、テキストとしての福音書の違いは当然ですが、バッハ自身も、この2つの受難曲をまったく違う手法で作曲しています。もちろん、ストーリーの流れは同じですが、構成の点ではかなり違いますね。実は、個人的にはヨハネのほうが好きです(笑)。合唱としての「歌いがい」とか、ストーリーの中でどこに重点を置いているか、あるいはコラールのはさみ方などの点ですね。ヨハネは決定稿がないことも演奏回数が少ない理由の一つなのですけれど。
マタイは演奏会として聴き応えのある大きな編成になっていますね。合唱もオケも2つずつ必要なのにも関わらず演奏回数が多いのは、興行的な側面もあるでしょうが、コラールの重要度の高さ、全体の終わり方の手応えなど、楽曲としての魅力があるからではないでしょうか。

——マタイの中で青木先生ご自身が好きなところはどこですか?

個人的に思い入れがあるのは、39番(アリア・アルト “Erbarme dich !” 憐れみたまえ、我が主よ、我が涙のゆえに)です。ペトロの懺悔のところです。アルトにとってはとても難しいアリアであり、ものすごく聴かせどころが多いので、やはりあれを聴いてなにか感じてほしいと思ってしまいます。もちろん、マタイはそれ以外にも聴かせどころ満載ですし、だから一箇所でもいいから感じてもらえるところがあれば成功だと思っています。それが大切なことだと思います。それから、66番b(合唱 “Herr !” 閣下!)も好きです。内容というよりも全体の進行の中での到達点ということですね。これを歌うとマタイがこれで終わる。これでイースターだっていう感じがします。次の67番(Recitativo + 合唱 “Mein Jesu, gute Nacht !” 我がイエスよ、安けく眠りませ)はもう違う世界に入っていきます。もちろん、感動的な終曲は控えているわけですが、受難曲としてのストーリーとしてはそこで終わる感じがしています。

皆さん方はいかがですか、どの部分がお好きですか?

——私は63番b(合唱 “Wahrlich” 本当に、この人は神の子であった)がいちばん好きです。ずっと不安や猜疑心、葛藤、あざけりを口にしていた合唱パートが、無垢な気持ちで歌う数少ない曲で、とても印象深いんです。

あれは、いいですね。実は、あの曲は解釈がとても難しいのですよ。バッハは4拍子で書いています。なぜ4拍子で書いたのか?指揮者としても、曲の解釈について結論が出ていません。
細かい話になりますが、私は、この曲は8つでは振りたくないと思っていますが、あのフレーズや内容を考えると、8つ振りの方が本当に神の子であったというのを表現できるのではないかと思うのです。でも、バッハ自身はあれを4拍子で書いています。また、純粋に音だけを考えたら、8つ振りじゃなきゃいけない気もします。だから実は2小節の曲じゃなくて4小節の曲なんじゃないか。でも、彼は、2小節で書いているのです。ジレンマがあります。そのジレンマを解決しようとすると、演奏速度はもっと早いんじゃないかなど、考え出すと実にテンポ設定でさえもできない曲です。
また、表現もとても難しい曲です。最初のベースが出ていないときの「Wahrlich」の解釈はすごく重要です。「Gottes」のところは音の広がりもあって、バッハは音楽を大きくしたかったのだろうなと思うんです。でも、天幕が裂けた瞬間の「Wahrlich」は、絶対に大きくは言えません。ベースを抜いているという構成に意味を持たせたいのです。二度「Wahrlich」と言いますよね。この2回目をどう解釈するかも重要になってきます。
曲の強弱という点に限っても、大きな松葉(クレッシェンド・デクレッシェンド)がある中で、それをもっと細かいフレーズで考えてみた場合、どうだろうと考えて作っていかなくてはなりません。また、各パートで山が違い、全部山がずれています。
全体の構成の中では、この部分があるから復活が出てくるわけだし、イエスの存在意義がある。わずか2小節なのに大変大切な箇所です。音程もリズムも難しくないのですが、大変重要な箇所です。

45番a(合唱 “Barabam !” バラバを!)も難しい。あの瞬間楽器が全て外れてしまいますからね。あそこも色々解釈できます。8つ振りでする合唱団もあります。音程も難しいですしね。どういうつもりで、自分が「バラバを釈放しろ」というのか、人間としてどうなるか、大きな罪を犯すところですから。
そういうことを考えると、マタイは、本当にきりがない曲なんです。けど、それを我々がやる。面白いことです。私は、どのように演奏するかは、それなりの理由・わけがなければいけないと考えています。指揮者として、考えなくてはならないことが、たくさんあります。練習時の皆さんの歌い方からも、刺激を受けつつ、創り上げていきたいです。

——なるほど。今のようなお話は、是非、団員全員にも伝えたいですね。

このような議論を団員の中でやれるといいですよね。合宿や飲み会の時などは、そのためのとても良い機会だと思います。(今回のインタビューも練習後の飲み会会場で行ったのでした。)

 

○スコラにしかできないマタイとは? その筋道は?

——青木先生は、以前に「スコラにしかできないマタイ」と書いてくださいました。この点をもう少し伺いたいと思います。

まずは、自分たちが胸を張って伝えることができるメッセージを持った演奏ができないといけませんね。1年弱をかけてやるマタイが、スコラの存在という意味でもすごく重要な演奏会だと思います。一つの演奏会として、どう作り上げていくかです。

——そのようなメッセージを持つためには、どうしたらよいのでしょうか? たとえば、マタイの言葉・歌詞を充分理解するといったことでしょうか?

歌詞の内容や意味を知る、理解するのは、もちろんとても重要です。それ以上に、自分たちがマタイをやるということに対してどれくらい誇りを持っているかが大切です。どれくらい想いがあるでしょうか。演奏は、想いの強さによって変わってくると思います。

——そうですか、今のお話はとても重要なことと思うのですが、もう少し具体的に、そしてそこへ至る方法についても、お話ください。

マタイという作品について、団員の中で「想い」を確認したり、ぶつけあったり、共有したりしてはどうでしょうか。そういう過程のなかで、マタイを身近に感じることができると良いと思います。
また、何故そこにいるのか、何故スコラのメンバーで歌っているのか、それが自分にとって何なのか、自分に問い直してみてはいかがでしょうか。選んでも選びきれないほどの数ある合唱団の中で、このグループの中で自分が身を置いていることの意味ということでしょうか。小さなことでも良いから「目的があり、来ているのだ」ということが大切です。

——そうですね。どうも、近道というか、与えられる処方箋のような物はないと言うことですね。今、合宿に向けて、簡単なアンケートを書いてもらっています。それをきっかけにして、「私のマタイ」そして「私たちのマタイ」と発展していくことを期待しています。

マタイの演奏会までの道のりをどうやって持っていくかですね。マタイを身近に感じるために、アンケートなどはとてもいい試みだと思います。

——マタイの演奏会で聴衆に訴えたいものは何ですか?

聴いてくれた人が良かったあるいは楽しかったと思ってくれればそれでよいと思います。理想は帰りに聴いた音楽を肴に飲んでもらうことですね。「あれ、よかったね」「そんなことないよ」そんなのでもいい。聴いて来た音楽が酒の肴になるようなそんな音楽を届けられればいい。会場を出た瞬間に現実に戻らないで、余韻を楽しんでもらえるものです。

 

○スコラの練習について

——青木先生の練習は、「この曲好きでたまらない」という思いが伝わってきて、すごく楽しくなります。

私は、嫌いな曲を歌うのは辛いから、どんな曲でも好きなところを見つけます。聴かせる立場になって考えてみると、嫌いな曲を聴かせるなんてすごく失礼だと思いますので。現実には、好きじゃない曲もあるのですが、自分は、この曲のここの部分は好きだから、そこを「感じて」というつもりで演奏します。それに、自分が好きじゃなくちゃ棒を振りたくないですからね。

——指導している時に、かぁっとして何も考えられなくなるってことはないんですか?

実は、他のグループでは切れて帰ったりしていますよ。あと30分という時でも、もうやりたくないからといって帰る時もあります。私は、基本的には短気なので、頭に血が上ったら何もできなくなるのです。スコラは、そうやって切れても、先へすすまないグループだと感じています。切れて良い方にいくなら、いくらでも切れます(笑)。

——マタイは曲数も多くて、言葉も沢山あって大変です。そんな中で自分で楽しむにはどうやったらいいのでしょうか。

練習で楽しむには、一箇所でいいので自分で歌える箇所、または歌えるようになりたい箇所を作ることです。私の1回の練習で歌えるようになると思わないで欲しい。そういう音取り練習はしていませんから。大切なのは、練習のときには全部歌えなくても、自分で目標を決めて、歌えるようになることです。そして、1回1回の練習の中で、少なくとも一箇所ちゃんと歌える部分を作ることです。

——青木先生は、毎回の練習に来ていただけるわけではありません。先生がいらっしゃらない時の練習で気をつけることは?

今三人の方に代振りをお願いしています。私自身下振りをすることも多々ありますが、それは、練習をほとんど私でして、本番を本指揮者に渡すと言うものです。その場合、指揮者の要求に応えられるような合唱団にしておかなければいけないけれど、下振りの個性も入らなければならないと私は思っています。完璧に自分の味付けをして、渡そうと思っています。無味無臭で渡して、どう味を付けても良いくらいにするのが下振りの役目だと言う人もいる。それだったら、私は無理です。
今スコラでお願いしている三人の方は、連続してとか、定期的にということではないので、とてもやりにくいと思います。私自身も代振りをしたこともあるので、その苦労は充分に理解できます。大学合唱団の学生指揮者には自分が来られない時に、細かいことはいらないから、「とにかく正しい音で何回も歌って」と頼んでいます。
スコラの皆様にも、「とにかく回数を歌って」と言いたいです。代振りは辛いものがありますが、それを割り切ってやれるかどうかで団としても変わってくると思います。スコラは、変化できるグループだと思います。打ち合わせを綿密にしていきたいですね。

——現在、団としてお二人の先生にヴォイトレをしていただいています。個人的なヴォイトレを恥ずかしいと躊躇する人もいるようですが、短時間で声が変化していくのを実感している人もいます。

自分の声がいいと思う人はいません。自分の声は自分で判断できないし、自分が鳴っていると思っているところがいかに違うかを実感する必要があります。でも、短い時間のヴォイトレは難しいんですよ。変化したことを実感することが大切だし、課題を残すことも必要ですから。
今、二人のヴォイストレーナーがいるというのはスコラにとってはとてもいいことだと思っています。お二方とも今第一線で活躍されていますから最新の歌唱を身近で感じることができます。そして何より、お二人いることによって違う視点からのアドバイスを貰うことができるのです。同じことでも言い方が変われば理解しやすくなることは多々ありますから、トレーナーが複数いるというのはとてもよいですね。個人的なヴォイトレを受けるのは、恥ずかしいかと思いますが思い切って歌ってみたほうがよいですよ。必ず何か新しい発見があると思います。
そう、自分が歌うのもいいですが、人のレッスンを聴くのはとても勉強になりますよ。上達の近道だと思います。

 

○現在のスコラ、これからのスコラ

——青木先生とのお付き合いは、2005年の第46回定期演奏会以来です。シュトラウベ先生の指揮でヘンデルのメサイアを演奏した時に、練習を担当してくださいました。その後何回かの演奏会の指揮をしていただき今日に至っています。これらの演奏会を踏まえて、今のスコラ、そしてこれからのスコラについて、お聞かせ下さい。

スコラは居心地いいグループであることは確かです。練習に来るとほっとする部分がある。音楽以外のことも関係していると思います。でも、そこで留まりたくはありません。ですから、つまらないものはつまらないと言おうと思っています。「お前下手だから黙れ」ということはしません。「その歌い方をどうすればいいの?」という方向に持って行きたいと思っています。
一人ひとりが何か感じるものを表現しなくてはならないと思っています。感じることは、十人十色。それをあたかも一つであるかのようにまとめていくのが指揮者の仕事だと思っています。つまり、音楽を作るのは歌っている皆さん自身で、指揮者は、突っつき、まとめることしかできないのです。だから、正直なところ、指揮者としていらいらすることもあります。「何でここをこうやらないの」とかストレスを感じることもあります。でも、指揮者の言うとおり歌うというのでは、音楽にならず、単なる約束事でしかない。それでは音楽ではないと私は思います。だからやる度にディナーミックも変わる。歌うほうは大変だと思います。「この間はこう言ったのに・・・」という部分が出てきますからね。指揮をしていると、皆さんの中から「こうやりたい」というものが出てくるのを感じます。それは誰かのメッセージかもしれないし、パートまたは、団としてのものかもしれない。それに対して、「きっとこうやりたいんだろうな」と思ってまとめていこうとしているのです。しかし、指揮者として「こうしたい」というのもあります。そういう意味で練習での対話を大切に考えています。その対話をするためにも譜読み頑張りましょうね。譜読みができていないと対話どころではないですから。

——次の演奏会について、何か思いはありますか?

もっと小品を取り上げてはどうでしょうか。ミニコンサートでもいいのではないでしょうか。純粋に合唱作品だけを聴いてもらうというのでいいと思います。今はマタイの練習・準備で充電をしている段階ではありません。でも、次の発展のためには充電が必要になりますね。そのためにも、小曲をキッチリと練習し、充電した方が良いように思うのです。
アマチュアの合唱団の良さみたいものを充分に発揮し、スコラの団員の皆さん自身が充分楽しむことが、今回のマタイの演奏会のためにも、またこれからのためにも、なにより大切ではないかと思います。

——本日は、練習後のお疲れの中を長時間ありがとうございました。伺ったお話を、今後の練習やその他の場所で、生かしていきたいと思います。

2009年7月13日

編集後記

はじまりは、「わたしたちにしかできないマタイ受難曲を」というフレーズでした。
青木先生が、団員募集チラシに寄せてくださった原稿の中にありました。この魅力あふれるフレーズの中味をもっと聞きたい、あわよくばそこに至る道、できれば近道を知りたいと、インタビューを企画しました。インタビューは、とてもとても楽しく、事前の打ち合わせから大きく脱線(展開?)しつつ、3時間近くの時間があっと言う間でした。「謎が謎呼ぶ~」ではありませんが、もっと突っ込んで伺いたいことがたくさんでてきました。早くも次のインタビュー企画や、シリーズ化などの声も出ています。青木先生、どうぞよろしくお願いします。(Ma)

 

 

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練習後の「オフ練」:
インタビューに答えるくつろぎ中の青木先生

 

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「最後の晩餐」カール・ブロック

 

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「ゲッセマネの園」カール・ブロック

 

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「ペトロの否認」カール・ブロック

 

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「十字架」カール・ブロック

 

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「救い主の生涯」挿絵 マドリード国立図書館

 

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議論白熱中!!


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インタビューの前に行われた合宿の打ち合わせ

 

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先生と編集委員でパチリ。
お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

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