予防外交・紛争予防・平和再建・国民再融和

1.
「空爆停止」後が問題である

「世界」1999年7月号岩波書店

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.「東チモール」和解は可能か?

「世界」1999年11月号

岩波書店



「コソボ空爆の迷路に出口はあるか」

1.コソボ空爆への素朴な疑問

 考古学者は遺跡の発掘の際に、何に使われたか分からない施設や用具に遭遇して戸惑う。おそらく後世の歴史家は、1999324日に始まったコソボ空爆とは、一体何のためだったのか理解に苦しむであろう。

 冷戦末期の1984年、タカ派と言われたレーガン政権のワインバーガー国防長官が、アメリカ国外の戦闘への派兵について一定のガイドラインを述べたことがある。それは第一に、派兵がアメリカの国益にとって重要であること、第二に、確実な勝利の見通し、第三に、明確に定義された政治・軍事目標、第四に、継続的なレビューと修正、第五に国民および議会の支持、そして第六に、それが最後の手段であること、と言われている。当時、長官自身がこのようなガイドラインを公言したことは、非難を浴びた。将来、その条件の一つでも満たされなければアメリカ軍の行動を拘束しかねないからである。この六条件は、湾岸戦争においても基本的に満たされていた。しかし、驚くべきことに、今回のユーゴスラビア・コソボ空爆は、この六条件中、どれ一つとして十分に満たしていない。

 ただ状況が違うのは、冷戦後世界においてアメリカは国際社会の司法・立法・行政の三権に独占的な地位を確立し、さらに第四権力といわれるメディアをも掌握している点である。アメリカが善悪を判断し、それをCNNが世界中に伝えれば、その圧倒的情報量に対抗するのは難しい。ユーゴの治安維持活動を民族浄化と断定し、日本の鉄鋼輸出をダンピングと認定して、情報を世界中に流せば、世界はそれを信じることになる。

 空爆目的は、コソボにおけるセルビア警察や治安部隊のアルバニア系住民への虐殺や民族浄化を阻止するためとなっている。しかし、アルバニア系住民とセルビア警察との軋轢が激化し98年に武力衝突が日常化してから、空爆が始まる前の死者は2000人程度と推定すると、空爆後の死者・行方不明者は一体その何倍なのか。そして石油精製施設や社会インフラの破壊は、間接的かつ長期的に膨大な犠牲者を生み続け、その多くが高齢者と子供である。コソボ内はもとより、ベオグラードでも、多くの人が今年の冬を越せないであろう。

 5000メートルもの高度からの爆撃で、民間人の死者が出ても、それを「誤差」「技術的問題」と表現し、このような民間人被害も元を正せばミロシェビッチの民族浄化が悪い...という論理は、原爆被害は悲惨だが、元はと言えばパールハーバーを攻撃したやつが悪い、と言われているような気がする。

 クリントン大統領は他国の大統領をミロシェビッチと呼び捨てにして、悪の権化のような独裁者さえいなくなればと公言するが、バランス感覚で生きぬいて来たミロシェビッチ大統領が倒れれば、次に出てくるのはより過激なウルトラ民族主義者となるのは明らかであろう。

 最大の疑問は、コソボの将来像である。まさかユーゴ連邦にそのままとどめ置くことはできないし、独立や国連管理となれば、国家財政を巨額の援助で支え続けなければならず、また残留するセルビア住民との軋轢や報復阻止のために平和維持軍が危険な任務に長期貼り付けにならなければならない。コソボが国家崩壊の後遺症を残すアルバニアと結合すれば、バルカンに恐るべき無法の不安定地域を作り出すことになる。何よりも、国内に多数のイスラム系住民を抱えているヨーロッパ諸国は、ヨーロッパに新たなイスラム国家が誕生することなど誰も望んでいないのである。

「正しい戦争」と「人道的介入」

 日本では、「戦争」は口に出すのもはばかれる禁句であるが、通常兵器による戦争は次第に外交の一手段に戻りつつあると言っても過言でない。第三次世界大戦の脅威も米ソ対立の消滅によって薄れ、また火災事故ですらソ連の総力をあげても対処できなかったチェルノブイリ原発事故以来、被害が巨大過ぎて対処できない核戦争の虚構性が知られるようになり、むしろ非核のハイテク兵器や小火器による限定戦争が普及する傾向が生まれた。

 マイケル・ウオルツアーの「正しい戦争と正しくない戦争」(1977年)は欧米での聖戦論のさきがけとなったが、最近では、出口の見えない難民問題を「正しい戦争」によって解決しようという主張が欧米で顕在化するようになった。

 しかし、「正義」となると、価値判断の問題であるから統一的な理解と合意を得ることは難しい、代わって出てきた主張が「人道的介入」である。特に、92年のソマリア紛争、そして何よりも94年のルワンダ虐殺を契機に、政府が極端な非人道的行為を行なうときは、主権国家に対しても国際社会が介入すべきという論議が生まれ、次第に認知されるようになった。コソボにおけるセルビア治安部隊のアルバニア系住民への迫害に対して、NATOが空爆を開始したときに主張された「人道的介入」とは、そのような意味合いを持った行動であり、必ずしも、一般的な意味で「人道的」なものではない。

 ただ、NATOの空爆には、忘れてはならない視点がある。それは、ヨーロッパの団結である。空爆に関しては、各国の市民による反対運動にもかかわらず、まがいなりにもこ2ヶ月にもわたり、ヨーロッパ諸国が結束して空爆支持を堅持したのは、これが、マーストリヒト条約によるヨーロッパ連合の形成、通貨統合、そして軍事協力組織としてのNATOの拡大・強化という方向性の先に、政治的にも統合された地域としてのヨーロッパを目指す道程が見えるからである。逆に、NATOの行為に合意が形成されなければ、将来の政治統合あるいはその過程での経済統合にも合意が難しくなる可能性がある。それゆえにこそ、各国はさまざまな思いを捨てて、これまでNATOの空爆に支持を表明してきたのである。

NATOの勝算と誤算

 誤算の始まりは、武力行使の圧力をかければミロシェビッチ大統領が妥協すると考えたところにある。根拠はどこにもない。青春の一ページをこの地ですごしたといわれるオルブライト長官が、セルビア気質を知らないはずがなかろう。強いて言うなれば、ボスニア紛争末期に、NATOの空爆が、ボスニアのセルビア人勢力を崩壊させたという実績であろうが、そのときは民族的憎悪と敵意をあからさまにしたクロアチア軍やムスリム軍が地上でセルビア住民を駆逐していった。95年のクライナ地方での惨劇は、CNNではほとんど報道しなかったが、今回のユーゴ治安部隊の行動に等しいあるいはそれ以上の激しい弾圧と民族浄化をクロアチア軍が実施した。しかし、今回、たとえ軍と名乗っていても、テロ集団が急成長したKLA(コソボ解放軍)にその力はない。要するに空爆の効果を生み出す基礎条件が無いのである。

 第二の、そして最大の誤算は大量の難民発生である。その過半がアルバニア系住民であることは事実であろうが、実態はよくわからない。ルワンダ・ボスニア・カンボジアなどの紛争地を歩いて心底理解するのは、戦争は何でもありの世界であり、守勢に回った側はいかなる卑劣な手段でも実行するという紛争の鉄則である。NATOも、難民が人間の盾として使用される可能性は考慮に入れていたであろうが、難民をシステム的に、戦術的に大量に国境に送る難民戦術が使用されることまでは予想がおよばなかった。そのことは、難民が国境へ押し寄せてのNATOおよび周辺国の対応を見ればすぐわかる。

 第三の誤算は高高度や、目標から遠距離の空爆をこんなに長期間続けなければならないことである。ここには空爆初期に発生したステルス攻撃機撃墜が陰を落としている。パイロットの人的被害を抑えるには無人の巡航ミサイルしかないが、量的にも限界に達し、核弾頭をはずして通常弾頭に転換をはからなければならないほど在庫は底を尽いている。富士山の頂上にも等しい高度から目標物を狙うには電子誘導装置付きの爆弾が欠かせないが、それにも量的・質的限界がある。山間部の谷間や農家の納屋に隠された戦車・重砲などに一体どれだけの被害が出ているか疑問であるが、飛行高度を下げて撃墜されれば、政治的コストはあまりに大きい。

 ハイテク武装ヘリコプターの「アパッチ」にしても、ランボー映画の中は別としても、本当に霧深い山間部で実戦をした経験があるわけではない。山間部で低速飛行すれば、携帯型地対空ミサイルや山稜からの対空砲火の餌食となるだろうし、何よりも複雑な飛行メカニズムが組み合わさったヘリコプターは、故障や自損事故も多く、さらに、回転翼が枝一本に引っかかっても墜落してしまう。よほどの覚悟がないと、高価なヘリやパイロットの人的被害だけでなく、虎の子ステルス攻撃機の撃墜のように、アメリカのハイテク兵器や軍事産業自体への信用を失わせる可能性がある実戦投入には慎重にならざるをえない。

空爆に続くもの

 そう考えると、空爆はもう長くは続かないことが分かる。空爆開始後2ヶ月そして2万回を超える出撃ともなれば、緊張感が途切れ事故も続出する時期にさしかかる。NATOが空爆続行を叫べば叫ぶほど、民間施設を含む無理な目標拡大をすればするほど、その限界が見えてくるであろう。空爆が「成果があった」という最近のアメリカの声明に、空爆の終曲を聞く思いがする。

 地上軍投入ではNATO側にどれだけ被害が出るか分からない。これまで一人の犠牲者もでてないから、空爆への非難が少ないのであって、死者が出始めれば、開戦そのものへの疑問が噴出するであろう。そもそも地上軍の死者を覚悟するくらいなら、最初から地対空ミサイルの犠牲を恐れず低空攻撃によって軍事車両をたたいていたはずであろう。

 地上部隊をコソボ内部に進攻させる場合、NATOが直接に戦闘部隊を進攻させることは、被害に大きさ、そしてイタリア・ドイツなど地上部隊派遣に否定的な同盟諸国の結束を考えると現時点では難しい。可能性としては、まずKLAにCIAなどの特殊部隊を混入させてセルビア軍とコソボ解放軍が戦闘しているという図式を作り出し、一方で大量に小火器を持ちこんで、住民を武装させて、セルビア警察軍や軍を攻撃させ後方撹乱を図る、というような手段が考えられる。

 KLAは当初から、第二次世界大戦時に、ナチスと組んでセルビア人を虐殺したクロアチアの民兵組織ウスタシャの流れをくむ人物がそれを育成したり、クロアチア将校(アジム・チェク元准将)が指導したり、最近ではSAS,CIAの訓練指導なども加わっていた。KLAは昨年の最盛期で自称24000人と自称していたが、空爆開始後はセルビア治安部隊の圧力でほとんどが武器を捨て、住民にまぎれて難民として出国し、山間部に孤立残留している総数も4000人程度と推察されている。KLAや武装住民が効果的にセルビア軍に打撃を与えられるとはとても思えないが、彼らが反撃を受けて犠牲となれば、アルバニア系住民の被害ということで、地上軍をも含む実戦部隊の投入に本国での国民的合意が得られるかもしれない。

 しかし、これは悪魔のシナリオで、そうなればもうコソボの将来はない。いかなる事態があっても、いずれはコソボでも停戦が成立する。そのときにはKLAの武装解除・動員解除をしなければならない。大量の武器を供与されて命がけで闘ったKLAが、武装を放棄する..そんなことが可能だと思っている人がいるのだろうか。それどころか、内戦状態で拡散した小火器を住民から没収することすら困難であろう。

停戦の可能性

 最初からユーゴに同情的なロシア、5月7日の中国大使館爆撃以降、特に非協力姿勢をあからさまにする中国、基地使用や上空通過に反発する東欧周辺諸国など、空爆停止圧力は高まりつつあり、何かもう一度中国大使館誤爆のような事件が発生すれば、一挙に空爆停止の世論が形成されるであろう。

 大国外交が手詰まりの中、フィンランドが空爆停止を含む紛争調停に乗り出している。5月18,19日には、ヘルシンキでアハティサーリ・フィンランド大統領とチェルノムイジン・ロシア特使、タルボット米国務副長官が会談を行なっ。ここで重要なのは冷戦後世界における小国のパワーである。

 一つには小国・NGO連合の持っている新たな価値がある。例えば地雷は軍備であるから、結局は大国のエゴと駆け引きでジュネーブのCCW(通常特定兵器削減交渉)では遅々として進展しなかった。それを一挙に進めたのが、ICBL(国際地雷廃絶キャンペーン)など地雷を人道問題と再定義するNGOと、その問題提起を受けて国連や外交交渉の場にそれを持ち出したカナダやベルギーなど、これまで大国中心の安保理では発言権を持たなかった小国の連帯である。カナダ政府が主導したオタワ・プロセスでは、ともかく地雷廃絶に賛同するNGOと主として小国の政府とがオタワに終結し、そこでの合意が対人地雷全面禁止条約として結実した。このシステムでは、特定問題に知識と能力を持ちながら、国際政治の表舞台では正式メンバーとしての資格を持たなかったNGOが、小国のチャネルを通して、影響力を行使することが可能となった。

 第二に、小国間の競争と協力がある。中東和平ではノルウェー、地雷問題ではカナダがリードし、小火器問題ではベルギーがリードしようとしている。このように、小国は、これまで事実上締め出されていた国際政治のパワーポリティクスに参加する機会が与えられ、それぞれが独自のテーマを探している。外交に対する社会的評価を確立するためにも、国家の総力をあげて取り組んでいる。同時に、これまでパワーポリティクスから排除されていた小国間には、ある種の協力・支援関係が存在し、大国を包囲し、メディアを通じて市民に直接的な影響力を与える可能性がある。

 中国・ロシアという安保理常任理事国の主張、北欧諸国やカナダなどの小国連合や空爆と難民流入に態度を硬化させる東欧周辺国の調停工作などが進めば、後はNATOとアメリカ、そしてミロシェビッチ大統領の面子が満たせれば停戦への動きは加速するであろう。停戦はミロシェビッチ大統領がKLAの封じ込め、クリントン大統領が空爆の成果と56日のG8外相会議合意内容を基本線で認めさせたことなど、両者とも同時勝利宣言をすることによって可能であろう。無論、それが失敗すれば、地上戦への動員が本格化することになる。

 停戦への環境変化という点では、イスラエルの選挙結果も貢献するであろう。もともとコソボ紛争はボスニア紛争と連動し、そしてボスニア紛争と同様に中東和平と連動している。アメリカは中東和平が暗礁に乗り上げるたびに、アラブ側懐柔のためにイスラム勢力に大幅な支援を加えた。そしてボスニア問題が一応和平の方向に進むと、アルバニアのイスラム原理主義者を冷遇し、ソ連と闘ったアフガンゲリラの英雄ビン・ラーデン等をテロリストとして排斥した。和平交渉が低迷し、フセイン・ヨルダン国王の死去など中東和平が困難になると、アメリカのイスラム政策は再び変化を見せた。コソボではテロ集団と見なしていたKLAを自由の戦士とよび、さらに臨時政府扱いした。しかし、今日、強硬派のネタニヤフ首相が去り、バラク労働党党首政権が登場して、中東和平進展の展望が開けたところで、アメリカは再びイスラム過激派への支援に慎重になる可能性がある。

解決が問題を生む

 空爆停止も、停戦も、それ自体はいずれも決して難しいものではない。しかし、問題はその結果である。空爆停止すれば、これまで山間部あるいは逆に住宅街のガレージなどに隠蔽されていた重火器・戦車などが大手を振って登場し、場合によってはさらなる住民迫害をする可能性があるから、空爆停止は必ずユーゴ治安部隊の全面撤退と同時でなければならない。

 そしてユーゴの治安部隊が撤退している過程で、中立・公平かつ強力な部隊を投入して、戦闘を続けるKLAとの間に入って紛争勢力の引き離しを強引に進める必要がある。同時に、残留し、あるいは国内避難民(IDP)化しているアルバニア系住民によるセルビア系住民への報復を抑制し、同時にセルビア正教会の遺跡や墓も破壊から守らなければならない。もし、それに失敗し、セルビア住民が住居を追われ迫害されることになれば、ユーゴの治安部隊が戻ってきて、今度は最初から血なまぐさい戦闘が始まるであろう。もうそうなるとNATOや国連の平和維持活動でそれを止めることはできない。

 兵力引き離しの部隊は、ユーゴ側がかねてから主張しているロシア軍や中立性の高い国の部隊でなければ、ユーゴ側は認めない。それはNATOの空爆と国連の名の下にクライナ地方を失い、ボスニアの拠点を失ったセルビア勢力の最低限の条件である。しかし、それは同時にNATO側もその主導権を譲らないわけであるから、ここが最大の焦点となるが、結局は何らかの妥協的措置が採られるであろう。

 ここまでは、実は問題の序章にすぎない。ここから真の問題はスタートする。第一にアルバニア系住民を誰が代表するかである。穏健派勢力を代表するとされるルコバ氏はミロシェビッチ大統領と会って、コソボが大幅な自治を獲得した上で、ユーゴ連邦にとどまると声明した。その後、ユーゴから出国し、NATOの庇護下に入ると、手のひらを返すように、今度はその声明が偽りであり、独立を目指す意思表示を明らかにした。

第二に、KLAの処遇をどうするかである。KLAは、もともと散発的にテロを繰り返す小集団に過ぎず、1998年初頭の段階では、ルコバ氏はKLAの存在すら否定していた。ところが、コソボ問題協議の過程で、にわかに大物扱いされ、ランブイェ交渉の最終局面では、事実上コソボのアルバニア系住民を代表する地位にあった。しかし、停戦ともなれば、少数派とは言え、人口の10〜15%程度といわれるセルビア系住民に加え、多様な宗教構成、そしていわゆるジプシー、ハンガリー系など東欧諸民族などをかかえるコソボで、KLAがコソボの代表となることは新たな悲劇の始まりとなる。そう考えると、やはりNATOは穏健派のルゴバ氏を立てていくのではないだろうか。しかし、そうなると、今度はKLAそして同地のイスラム急進派勢力は再び西欧社会に裏切られることになる。このようなKLAをNATOそして国連は武装解除し、動員解除する必要がある。つい今しがたまで戦闘を繰り返してきた集団が、武器を手放し、集団を分解させる可能性は万に一つもない。

 武装解除と動員解除を迫る一つの手段は、武装集団の資源を絶つことである。資金と武器の供給がなければ、戦闘組織を維持するのは困難だからである。冷戦構造の崩壊とともに、スポンサーを失ったテロ集団はかくして妥協し、武装を捨てて政治組織化した。しかしながら、現在のテロ・ゲリラ組織は戦争経済(War Economy)といわれるように、麻薬・木材・貴石などの密輸などによって自立している。KLAもまた例外ではない。さらに97年の政府が絡んだねずみ講事件で国家崩壊を起こし、マフィア経済が浸透しているアルバニアを後背地として、KLAは武装も権力闘争も容易に放棄しないであろう。

第三に、難民の帰還と国民再融和という巨大なテーマがある。いますぐ停戦があり、今月から難民帰還が始まったとしても、実際の帰還は容易ではない。すでに2ヶ月に渡って放置された農耕地や機材は果たして役にたつかどうか分からない。帰還農民は、生活域に放置された地雷、作付けが出来ない畑、廃棄物化した機材に埋もれて、自立できない.冬が来るまでに生活基盤を再構築しなければ、多くの人々が難民センターに収容されたまま年を越すことになろう。

 難民帰還はNATO軍のエスコートによって行なわれるとされている。しかし外国軍がエスコートしてきた住民を、残留者はどのように迎えるのであろうか。そしてNATO軍は帰還難民の報復行動をどのように阻止するのか。難民帰還の前提として、国民再融和プログラムがきちんと組まれないと、コソボは以前よりも激しい民族抗争、いや今度は隣人抗争の場となってしまう。

 このようなコソボでの惨劇を避けるには、武力紛争の再発を許さない中立、公正かつ強力な平和維持軍と同時に、緊急のインフラ復旧、G8合意に基づく治安維持を行なう大量の文民警察官、そして人道・人権問題組織が必要となる。最後の分野に関しては、国連だけでなく、国際社会の自治体、そしてNGOの参加が期待される。

 理想を言えばここに、この紛争後平和再建(PCPB)プロセスに日本の貢献が求められるであろう。紛争相次ぐインドネシアの東チモールに文民警察官を送れるなら、コソボに送れないはずがないからである。また、この地域に侵略の歴史を持たず、西欧の援助と異なってあからさまな利害関係を持たない日本の国際協力活動は高く評価されるに違いない。ユーゴ側においても、日本の平和再建活動が期待される。

 現在、日本はコソボ難民対策への資金援助のみを行なっている。しかし、国外へ流出した難民への資金援助はともすれば国外のキャンプの永続化を生み、難民帰還への障害ともなる場合がある。空爆停止と和平合意の後で、日本が何が出来、そして何が真にコソボの平和再建に資するか、中立的(アメリカの判断によるのではなく)で包括的な事前調査を停戦後早急に実施すべきであろう。

コソボ問題に解決はあるか?

 紛争地の最大の悲劇は、そこでの被害者である住民が自らの運命を決定できないことである。大国のアフリカ市場と資源をめぐっての争いに巻き込まれたルワンダやコンゴ、中東和平の第二戦線となったボスニアにおいても、そして今回のコソボに関しても、セルビア系住民もアルバニア系住民も、ロシアに対するIMF融資や、中国のWTO加盟など、コソボの住民とまったく関係のないことで運命が左右される。

 コソボに関しては、空爆でインフラを破壊し、結果的に住民のほとんどを住居から分離し、流浪させた地域に、もはや解決があろうはずがない。花瓶をたたき壊して、それをいくら接ぎ合わせても、それはもとの花瓶にはならない。空爆はコソボだけでなく、マケドニアやモンテネグロそしてアルバニアなどの周辺国にも将来の紛争の種を蒔いてしまった。90年代初頭からの継続的な経済制裁に苦しむユーゴは、再びインフラに対する徹底した破壊により、再び経済低迷と政治・社会混乱が続くであろう。

 そしてまたアメリカの場当たり的なイスラム優遇策やそのしっぺ返しが、新たな紛争を作り出すことを筆者は何よりも恐れる。アメリカのイスラム政策はハンチントン教授の「文明の衝突」に代表されるようなイスラム異質論と、中東和平のための便宜的優遇策の間を行き来している。今度、コソボ和平のためにKLAを切り捨てた場合、その影響はナイロビ大使館爆破の程度ではすまないかもしれない。 

 国連憲章と国家主権を無視し、人道的介入の名目で行なわれたNATOの空爆は、NATOとアメリカの威信だけでなく、国連の権威、そして人道的介入それ自体の正当性をも失墜させた。今回の空爆はそれほどの愚行である。しかし、われわれにそれを笑う資格はない。やがてはその結果が自分の身に降りかかってくる世紀末の愚行を、われわれは止めようとすらしなかったのである。 

<了>

東海大学教授 首藤信彦(すとうのぶひこ)

専門:危機管理・紛争予防・民主化支援

==============================

 

「内側から見た東チモール住民投票」

”手術は成功したが、患者は死んだ”

 今回の東チモール住民投票に、紛争予防・民主化支援NGOのインターバンドでは筆者を含め5名の専門家チームを日本から派遣し、アジア民主選挙支援ネットワークのANFRELに合流して投票監視を実施した。筆者自身はインドネシア政治の権威オーストラリアのハーバート・フェイス教授(現在ガジャマダ大学客員教授)および、タイの人権法律家ソムチャイ・ホムラオール、アジア・フォーラム事務局長とチームを組み、民兵活動が最も活発な西部リキサ県に入り、内乱と民兵襲撃によって山岳地域で避難民化している独立派住民の投票所へのアクセス経路の安全確保と、投票監視活動を行った。

 現地に入って、これまで伝えられてきた情報の偏りや、本来は中立なはずのオブサーバーやジャーナリストなどの、「初めに独立あり」とする態度や挑発などに驚かされた。複雑な利害関係や歴史的背景を持つ紛争地域において、早期に善玉悪玉が峻別され、きわめて単純化された形で一方の主体だけが非難され、CNNなどの洪水のようなメディアによって、それが劇場の観客の脳裏に刷り込まれていけば、観客はその悪玉さえ封じれば問題が解決すると思い込むようになる。この過程はコソボ紛争でセルビア人を追いつめていった過程と類似している。しかし、単純化の過程の中で切り捨てられた多様な要素や矛盾こそが紛争の根本原因(root causes)であり、それに対する事前の解決努力なしに行われた投票の直後に、民兵の暴動という形でそれが表面化したのは決して偶然ではない。

「手術(住民投票)は成功したが患者(社会の融和と民主化)は死んだ」、ならば「代わりに人形を据えて外から操ろう...」とならないことを念じつつ、この一文を投じる。

別な角度から見た東チモール問題 

 1975年のインドネシア軍侵攻以来、東チモール問題とは、カトリック教会や人権関係の市民ネットワークなどによって支えられる人道・人権問題にすぎなかった。東チモール人による自治権拡大要求すらスハルト政権に拒否され、独立などは夢でしかなかった地域が、急速に独立の方向に動き出したのには、関係各国・関係アクターの思惑の一致がある。その思惑の脆弱な均衡点こそが、諸勢力の武装解除と政党化誘導、国民再融和、独立の意義を問う論議、投票後の社会混乱防止、新しい社会のビジョン提示など、およそ住民投票を実施する上での必要条件をほとんど欠いた上での、無謀な投票実施であった。

 虚構の住民投票を導いたものには、まず第一にハビビ政権の思惑がある。スハルト前大統領の実務側近として腐敗政権の一翼を担っていたハビビ大統領としては、開発独裁的なアジア的価値の追求ではなく、人権や民主主義など西欧的な価値で国際社会にアピールし、その信認によって経済を立て直し、大統領の地位を確立するしかなかった。それゆえに、軍部や主要な政治リーダーへの根回しもなく、東チモールの独立容認という、思い切った政策転換を独断先行して発表したのである。第二に、ポルトガルにとっては、74年の政府崩壊によって放棄せざるをえなかった植民地が、EUと国連の後押し、そして正義と人権を主張する国際社会のお墨付きで実現できることになった。東チモールの独立はポルトガルにとってみれば、いうなれば一種のレコンキスタなのかもしれない。

 第三に、国連にとっては、コソボ紛争で地に堕ちた権威を、さしたる費用負担もなく回復する絶好の機会となった。今回の国連(UNAMET)の活動は、NGOの手法を真似たもので、資金不足に悩む国連にとって、平和維持部隊を伴わずに名誉を回復できるチャンスが出現した。第四のアクターは、言うまでもなく、地域のスーパーパワーであり、経済的関心を持つオーストラリアである。チモール・ギャップの石油資源開発はもとより、この地域に対する地政学的な関心をあからさまにした。

 西側の人道・人権問題NGOにとって、東チモール独立は人権抑圧だけでなく、アジアの腐敗と開発独裁批判という、わかりやすいテーマであった。そしてまたローマ教皇を頂点とするカトリック勢力全体にとっては、クロアチアを支援したボスニア紛争に続くカトリック復権の大きなチャンスであった。かくしてこの虚構の住民投票が具体化された。

3.忘れられた者たち:東チモールの一般住民

 独立にかける西側の興奮の一方で、忘れられ、無視されているのが、実は東チモールの一般住民である。インドネシア系住民は人口の20%程度といわれるが、彼らは既得権喪失を恐れる元公務員や民兵勢力というイメージでしか把握されていない。出発点が何であれ、東チモールに25年間住み続けた人の権利、島々から追われてようやく移住してきた人々の生活保障、この地で生まれインドネシア語しか話せない子供達の未来などのことは、国際社会は誰も心配していない。カトリック教会の活発な支援活動と裏腹に、インドネシア系住民が多く通うプロテスタント教会の動きは弱く、教会を維持するのがやっとという。

 実は、独立派も同じような状況にある。確かにノーベル平和賞を受賞したラモス・ホルタ氏やベロ司教、そしてオーストラリアやポルトガルの支援団体に支援されている人々の声はよく伝わる。しかし、現実に東チモールの人々が独立にどのようなイメージを持ち、独立の意味とそれに伴う犠牲をどう理解しているかに関しての報道は少ない。

4.シャナナ・グスマン氏の苦悩と自制

 今年に入って、筆者はチピナン刑務所外に幽閉中のシャナナ・グスマン氏を二度訪ね、彼自身の釈放、住民投票支援や投票後の協力体制について話合った。彼が一番気にしていたのは、投票後の国民再融和と独立後の経済再建であり、すでに各民兵組織とも熱心に連絡をとっていて、主要な民兵組織とは独立後の協力関係すら話合っているという。独立後は民兵勢力の政党化を認め、議席や権益などをあらかじめ分配して(パワーシェアリング)、彼らを平和裏に社会に再統合していかなければならないことを力説した。南アフリカで成功を見せた和解委員会のような組織を設置し、(1)25年間の行為(2)対立が激化したここ5年間の行為に対する「許しと和解」のシステムを構築する計画、そして経済再建策を含む国家計画の策定に取りかかっていることを披露した。最後に、独立のためとはいえ、軍事司令官として多くの人を殺めた経歴から、彼自身は大統領にならないと言明した。

4.民兵とは何か?

 東チモールにおいては、独立派の幹部、その家族、さらには聖職者や住民を攻撃し、殺害してきた民兵こそ、東チモールの平和的独立に対する最大の脅威であり、その行為を是認することはできない。しかし、その「民兵」なるものが一体何なのか、ほとんど分析がされていないのも事実である。首都ディリで投石するストリート・チルドレン、住民を攻撃する犯罪集団などと、村社会を基盤とする民兵とは必ずしも同一ではない。東チモールの民兵は、ハビビ政権の東チモール放棄方針の披瀝によって、危機感を強めた地域社会が自衛のために、昨年末から今年にかけて村単位で組織化したもので、日本で言えば消防青年団などの在郷組織が武装化したものと考えると理解しやすい。民兵の代名詞となったブシ・メラ・プティ(紅白鉄隊)も、コアとなる集団はたかだか70人から200人ぐらいと言われている(国連情報筋)。また武装も山刀や手製銃などがほとんどで、何度も目撃がうわさされた軍からの武器の直接供与は、現地の国連事務所では否定していた。

 しかし、たとえ民兵勢力が農村共同体に根付いたものであれ、社会荒廃のあおりを受けて失業し、就学の機会も喪失した若者が、組織暴力予備軍として過激な行動に走ることは否定できない。ルワンダなど大虐殺が発生した地域で特徴的なように、彼らは、一見無差別攻撃しているかに見えて、多分に選択的であり、要するに特定の憎しみの対象が犠牲者となる。現地人国連スタッフが襲われるのも、貧困、不満と嫉妬が充満した世界では、外国人の手先となり報酬を受け取っているだけで攻撃対象となるのである。

 筆者はリキサ県ラウハタの村長であり、ブシ・メラ・プティの指導者の一人であるパウロ・ソアレス氏にインタビューしたが、何よりもおどろかされたのは、彼らの孤立感・絶望感、そして脅迫観念である。ハビビ政権に見捨てられ、住民投票で独立が決まれば、独立派に皆殺しにされると確信している、だからその前に武器をとって闘うしかないのだと彼は主張した。話が逆ではないかと思ったが、あながち単なる詭弁ではなく、「俺達は全員殺される」というくだりでは、周囲の取り巻きが皆大きくうなずいたのが見えた。

 国連を信用しなくなったきっかけは、なんと日本製ラジオの配布であるという。ラジオの配布はカンボジアで大成功を見た手段で、これによって特定勢力の支配地域にも、情報を伝えることができたと国連では評価が高い。逆に、ルワンダで虐殺が急速に広がった要素の一つが、ミルコリン放送の扇動放送であったように、貧困地域ではラジオは驚異的な影響を生む。それゆえに、ラジオの配布は中立公正でなければならず、基本的には村長などの行政組織を通して配布することになっていた。ところが、ソアレス氏によると、UNAMETは村長である自分には一切相談なく、ある日突然、特定の人々にラジオを秘密裏に渡したので、彼はUNAMETへの警戒を強め、それがやがて嫌悪に発展したという。

 今後の情勢が自分達に不利なことは十分理解している...投票で自分達が勝利すれば、広い心をもって融和を求めたい...とソアレス氏は最後につぶやいた。実は、民兵勢力の一部が独立に賛成したり、賛成票を投じたという情報がある。グスマン氏への好感や期待などを表明する民兵のリーダーも多く、民兵の実態は複雑である。

6.伝えられない問題:社会インフラの全面崩壊

 マラリア蔓延や住環境が劣悪なため、報道陣は首都ディリからほとんど出て行かないので、山間部の状況はあまり理解されていないが、山岳地域に一歩入れば、いたるところで山刀で武装した独立派村民に取り囲まれることになる。当然のことだが、民兵など武装勢力が跋扈する地域では、独立派村民も同様に武装し、インドネシア系住民や教師・牧師などに対して脅迫や暴行を加えている。前述のフェイス教授の分析によると、こうした事例はインドネシア側で多数報道され、アチェなどでの軍の鎮圧行動に対する反発に比べると、国民の中にはむしろ東チモール駐留軍への同情すらあるという。

 現実に山間部で愕然とするのは、社会インフラの全面的崩壊である。村民殺害などは報道されることがあっても、学校・教会・病院の閉鎖や経済活動停止などは報道されることがない。独立派が強い地域でも、インドネシア系の教師や牧師への脅迫が始まり、次には報復を恐れて東チモール人の教師まで学校を放棄することになる。経済活動も停止し、職もなく、行き場を失った若者は何らかの武装組織に組み込まれ、あるいはディリへ流入して犯罪組織の末端を構成していく。

 また、決して報道されなかったのは、ポルトガル人の横暴や西欧社会の興奮と挑発である。誰も振り向かない時代から、私財をなげうって独立を支援してきた人権活動家の意気込みは理解できるが、独立を前提として、現地政府と対決する姿勢が、問題を先鋭化させたことは否めない。オーストラリアから投票日前日になだれ込んできた自称オブサーバーなどは、ほとんど投票監視の知識と訓練が無く、一方的な西欧的人権感覚で判断・行動する者も多かった。中立性という意味では、インドネシア側からのオブサーバーも重要なはずだが、人数的にも少なく、独立派の脅迫もあり、きわめて存在感のないものとなった。観光客まがいの西欧参加者にオブサーバー資格が乱発される一方で、確かに保守的な組織とはいえ、インドネシアの大学組織を中核とする学長フォーラムが派遣した多数のオブサーバーが、UNAMETから資格を拒否されるなど、インドネシア側の不信感と猜疑心のみを増大させるような失策もあった。

 ジャーナリストも一匹狼の契約ジャーナリストや冒険ジャーナリストなどが多く、彼らの度胸には関心させられたが、刺激的ニュースを求めて、挑発を試みる者までいた。筆者が担当したのは、ハイリスク地域と目されたリキサ県であったが、民兵が妨害を自粛し、警察による抑止も効果をうみ、投票はスムースに進んでいた。そこで発生したのがオーストラリアの人気TV番組「60分」のクルーによる挑発である。投票後の住民に対し、どう投票したかを執拗に聞いていたが、次第にエスカレートして、明らかに民兵とおぼしき人物に食い下がって挑発した。最後には民兵の一人が憤激し、仲間を呼び集めて、投票場は緊張した。民兵側は挑発したTVクルーを詰問しようと、ディリへの道路をブロックし、ジャーナリストのチェックなどを行った。このような、ちょっと間違えば投票自体にも深刻な影響を与えかねない挑発行為にも、西側参加者には反省の声があがらなかった。

国連の無策と失策

 これまで筆者はハイチ、カンボジア、インドネシアの民主選挙に監視員として参加してきたが、今回ほど国連の立場、態度があいまいで、無責任さに驚かされたことはない。安全対策では、投票日近くには衝突や妨害も減少したため、ブリーフィングは緊張感を欠き、国連は、選挙監視に参加するNGOやオブサーバーを守る立場も能力も無いと繰り返した。たしかに、破綻国家のハイチとは状況が異なり、PKOの受け入れをインドネシア政府が認めないという背景はあるが、外見上からも最低限の抑止力を欠いた国連が、投票後の騒擾や現地人選挙スタッフへの攻撃を誘発したと言っても過言ではない。

 国連の失策は、タイミングを誤った結果発表にある。我々が参加したANFRELのチームでは、状況分析の結果、当初の予定を変えて、全員が早期出国することに決定し、92日に、ジャカルタからチャーター機を呼び寄せて全面撤退した。すでに大規模騒擾の兆候は各所に見えており、残留して選挙後を監視する予定の者、そして紛争後に攻撃される可能性のある東チモール人指導者も監視チームのTシャツを着て紛れ込んでもらい、全員が2日にはデンパサールに脱出した。

 当初のシナリオとしては、一緒に脱出したその指導者が投票の状況をアミン・ライスなどの主要インドネシア政治家に報告し、その反応、そして主要民兵からの伝言などを持って4日にジャカルタ入りし、グスマン氏と協議、その結果をディリに再度持ち帰って、独立派・併合派の双方の指導者にインドネシア政治家の反応やグスマン氏の指令を伝えて、投票後の社会の安定を図るというものであった。しかしながら、国連は当初予想されていた発表期日を早め、4日に結果を発表した。グスマン氏は現地の状況も、脱出した指導者に託された民兵側のメッセージも理解することなく、怒涛のように押しかける各国マスメディアの中で、現地勢力との十分な調整を図ることはできなかった。その間、現地では、勢力間の選挙後の調整や和解展望を欠いたまま、将来への絶望感や国際社会に裏切られたとの思いから下部構造で激発が始まり、抑止力を欠いたまま紛争は全域化していった。

 しかしながら、国連の最大の失策は、住民投票と、武装解除・国民再融和推進との順序を逆にしたことである。地域の運命を決める住民投票の前に、国民再融和を進め併合派民兵と独立派勢力(ファリンティルおよび武装村民)の武装解除を平行して行わなければ、総選挙のようにさまざまな勢力が拮抗してバランスするのではなく、一挙に白黒がきまる住民投票では、結果をめぐって紛争が暴力化することは必然であろう。

 国連が関与した事例としては、1997年アフリカのリベリアでの武装解除で、政党化準備や選挙キャンペーン効果をインセンチブとする武装解除が行われて成功した。すなわち、武装勢力が政党化そして大統領戦を有利に展開するために、広報目的で積極的に武装を公開解除したり、ゲリラ戦士を動員解除して故郷に戻したり、積極的な民族融和を進めることによって、投票の持つ危険を減少させる方向が誘導され、効果を生んだのである。今回の東チモール住民投票では、このような国連自体の成功体験も適用されなかった。

東チモールに平和的解決はあるか

 94日の早過ぎる結果発表以来、グスマン氏は衛星電話で山岳地域に展開する独立派武装勢力ファリンティルに対して、隠忍自重の徹底を呼びかけつづけた。その結果、確かにディリなど都市部が荒廃し、大量の難民がオーストラリアや西チモールへ脱出することになったが、一方で本格的な戦闘による犠牲は最小限に押さえられた。多国籍軍の展開によって、治安が回復すれば難民帰還も山岳地域に避難した住民の帰還も先進国で予想するほどは困難なく進むかもしれない。またここまで無力ぶりが明らかになった以上、インドネシア国軍の撤退も早期に行われるであろう。問題はその後である。民兵の武装解除と政党化、社会への再統合がはたせなければ、彼らは西部山岳地帯でゲリラ化し、東チモールからの分離独立闘争に入るであろう。今度は、恐らくイスラム原理主義の思想と資金も流入してくるであろう。このような最悪シナリオを避けるためには、恩讐を捨てて東チモールの独立派・併合派そして民兵勢力をも含めた全勢力結集による政治を組みたてる必要がある。しかし、インドネシアの進攻以来、ほとんど海外で生活していたラモス・ホルタ氏や西欧社会がはたしてそのようなアジア的解決を認めるか、チモールギャップの石油に期待する外国勢力が誰を支援するか、今後の情勢はきわめて不安定なものであろう。

 敵対する民兵側からもある程度の支持があり、インドネシア政府とも関係を保ちながら国民再融和と経済再建を行おうとする現実主義のグスマンと、西欧・オーストラリアとカトリック勢力の支援を受けて旧住民を中心に東チモールの独立進めようとするラモス・ホルタ氏の路線の対立が今後明らかになろう。グスマン氏は何度も自分は大統領にならないと固辞していたが、情勢は彼の個人的理想を認めるほど甘くはない。                <了>

研究・教育へ戻る