ピーターパン
2001年8/19於青山劇場
 
出演:笹本玲奈
   尾藤イサオ
   芳本美代子
   比企理恵 他

姪っこ甥っこに是非舞台と言う物を見せたくて、行ってきました。
私も子供の頃は宝塚や、日生ミュージカルなどに連れていってもらって、その時の事はけっこう鮮明に覚えています。
本人がそういうものに興味があるかないかは判らないけれど、色々見せてあげたいな、という気持ちはあって、やっとこチャンスがやってきました。
これ、ディズニーじゃなくて、ブロードウェイミュージカルなんですね。
だから歌も音楽もストーリーも全然違う。
しかも、榊原郁恵がやってたのって、もう20年も前なんですって〜〜っ
びっくりですよ〜。
まーしかし、こっちも子供二人も連れていってましたが、子供だらけ。
大人同士で来ている人達もいましたけれど、「ミュージカル」というよりは、「パントマイム」(英語本来の意味でのね)Tいった会場の雰囲気。
私も色んな舞台見に行ってますが、こんなに子供だらけだったのは、かつて「キャプテン翼」見たさに東映マンガ祭りに行った時以来です。(しかもその時は私も一応まだ子供の範疇だった気が・・)
義姉いわく、『ポケモンの映画見に行った時みたい』だそうです。
まぁ、にぎやかなのはしゃーないな、と思いながら開幕。
ところが。
子供達って不思議ですね〜。もう、舞台が始まると、そっちに本当に興味深々で集中しちゃって、身を乗り出して食い入るように見ているんですよ。
面白いものには、食いつくんだな〜と思いました。
そして、舞台も子供達をひきつけておく術を知っていて、しょっちゅう客席に降りてくるんです。
客席を走りまわって、歌って、呼びかけて。
それでやっぱりフライングはすごいです!!
まじで感動しました。いつ準備したのかもわからない上に、ものすごいスピードなんですよ。
それで、姿勢を保つだけでもすごいのに、空中でバク転したり、くるくる回転したり。
ピーターパンなんて、ずっとハイスピードで飛びまわってるし、それでなお、歌うたってすげーなー・・と思いました。
フィナーレの時は、客席の上を飛ぶんですよ!!
ひゃ〜〜・・・でした。
でも、フライングについて熱くなっている大人達に比べて、子供たちは今一つ。多分、子供たちにとって、ピーターパンが空を飛びのは当たり前なんですね・・・
そんなわけで、付き添いで行った割にはしっかり楽しみましたが、ストーリーに関しては、こんなんだったけ?の連続でした。
インディアンの女酋長とか、ウェンディを母親にしようとして、子供達と海賊が争ったり。
思えば原作をマトモに読んでいないのですが、こんなに「母親」っていう存在に固執した話しだったけ?と、思いました、
これ、もし母親と一緒に暮らせてない子や、居ない子供が見ていたら、結構辛かろう・・と、私でさえ思ってしまうような内容でした。
思えば、ピーターパンって、心理学の象徴に使われる事はあっても、まったく、寓話性も説教くささもない、ホントに楽しいお話しですよね。
それで無理無理突っ込んだエピソードなのかなぁ、と思いました。
それにしても、見終わった後、浮かれて道路でくるくる踊り出して興奮している子供達を見たら、本当に楽しかったんだなって思って、こちらも嬉しかったです。

 

風と共に去りぬ」
2001年7/28於帝国劇場
 
出演:大地真央
   山口祐一郎

完全、東宝オリジナル版です。
脚本は菊田一夫。なんども上演されてきた「風〜」ですが、ミュージカル化は、宝塚を除けば初めてだそう。
今回、唄の歌詞を秋元康が担当したと言うのも話題でした。
この作品の素晴らしく、そしてまた難しいところは、どうしてもあの、映画のイメージが人々の頭から離れない事だと思います。
スカーレット・オハラといえば、ヴィヴィアン・リーの顔が、レット・バトラーといえば、クラーク・ゲーブルの顔が。もう、すでに頭にインプットされてますし。
真央さんは、イメージの華やかさやきらびやかさを損なわない、スカーレットでした。やっぱり、この役は中々他の人では出来ないかな〜・・と、思います。そして、山口さんのレット。これは・・う〜〜〜ん、もちろん、この役も他の人には出来ないだろうなぁと、思うのですが(今の日本のミュージカル界を考えると)。
んー、その話しはちょっと置いておいて。
全2幕なのですが、ともかく1幕目はすごく面白かったです!
唄や音楽も予想以上に良かったんですよ!
オハラ氏や南部の人々が歌う「赤き大地に」。
この旋律は何度もリプライズで出てきます。
そもそも、原作自体前半はテンポが速いので、一幕はホントに楽しめます。
きらびやかなドレスや、例の喪服でのダンスシーン。気が強くて常識破りのスカーレットは、イキイキしています。
北軍によるアトランタ攻撃のシーン。事前の注意で、火薬を使用するのでご了承下さい。って、言われてたんですが、なんだか、あまりに舞台のあちらこちらで、爆発が起きて、目はチカチカするし、人々は逃げ惑うし、照明の上手さも手伝って、ものすごい迫力でした。
そして、メラニーたちを連れてタラへ帰る途中、北軍兵士を殺し、1人森の中で歌う「家はどこ」。
ここでは、思わず泣きそうになってしまいました。
杜けあきのメラニーも、どうかなぁと思っていたのですが、良かったと思います。
ただ、前述したように映画のシーンで、好きなシーンやセリフが違うと、ちょっとがっかりしちゃったり。
タラでのあの有名な『二度と飢えない。』と誓うシーンがなかったり、戦争へ行くレットがスカーレットを抱き締めて、『キスしてくださいスカーレット。ただ1度でいいから。』というシーン。すごく好きだったので、悲しかったです・・・仕方ないのかもしれないけど。
こういう風にがっかりさせちゃうところが、印象の強い映画を持っている作品の辛いところだなぁと思います。
さて、問題の山口氏なのですが。
ええ、そりゃ、いかにもレットだし、唄は上手いし、タラシな感じもよく出てたのですが。
なんだろう・・?特に1幕において顕著なのですが、なんだか、すっごく軽いんですよ。
ただ、軽妙とか、ナンパとかいうレットの性格ではなくて、声のトーンも高いし、話し方とか・・こう、芝居の仕方間違えてるんじゃないのかな〜〜?という感じでした。
それがどうにも違和感で、すごくハテナマークでいっぱいになっちゃいました。
2幕目では、落ちついた雰囲気を出そうとしたのか、大分よくなってましたが・・・
しかし、どうにも2幕目は退屈で、結構辛い感じがしました。
全体的に見れば、一回見てみるのはいいけれど、通う気にはなれないな〜という感じです。
そうそう、この日は住友VISAジャパンの貸し切り公演だったのですが、この時必ず登場する(エリザの時も出てた)、本日のご案内係。『まこちゃん』。
私も友達も、妙にこのまこちゃんがお気に入りで、今日も大ウケしていました。
何しに行ってるんだか。

 

ハロルドとモード」
2001年6/24於青山円形劇場
 
コリン・ヒキンズ作
出演:井上芳雄
   新珠三千代(声)

井上芳雄君。ええ、「エリザベート」のルドルフ皇太子役でいきなりミュージカル界のスターに踊り出た井上君が、昨年やった朗読会の再演です。
昨年は小さなスペースで、本当に本を読みながらの朗読会。
しかも抽選でしか入れなかったくらい小さかったので、今回はもう少しお芝居風にして再演しようと計画されていた、その矢先。
そう、相手役の新珠三千代さんが、お亡くなりになりました。
中止も考えたそうですが、彼女の声が残っていたので、それで再演を決めたそうです。
新珠さんの、女優としての最後のお仕事でした。
確か、脚本家はアメリカの人だったんじゃないかな〜と,思うのですが。
お金持ちのお坊ちゃまで、生きている事に倦んでいる大学生ハロルドの趣味は自殺。そして、見知らぬ人のお葬式に参列する事。
そんな彼がやっぱり見知らぬ人のお葬式に出ている老女、モードに出会う事から、物語は動き出します。
天真爛漫で、自由に生きているモード。
彼女は、ちょっと「ティファニーで朝食を」(もちろん原作)の、ホリーを思わせる所があります。
魂の自由。
生活を楽しみ、好奇心にあふれていて、毎日新しい事を発見して。
ただ、ホリーと違う所は、モードが人生を長く生きているという事です。
長く生きた彼女は、苦しみや悲しみを知っています。
美しい思い出もたくさん持っている。
そして、人を愛する事やいたわりや失う事の痛みも。
やがて、ハロルドは祖母と孫といっても良いほど年の離れた彼女を愛するようになります。
ただ、思うにこの愛は。
劇中でもハロルドが「生まれて初めてこんな気持ちになった。」と、言っているように、生まれて初めて、他者を愛しいとか、慈しみたいとか、甘えたいとか、甘えてもらいたいとか。そういった優しい感情を持った為に生まれたのではないでしょうか?
多分、モードはその愛の意味に気付いていたのだと思います。
今まで、ハロルドはまったく「生きていなかった」。
それが、モードと出会い彼女とともに過ごすうちに、「生きる」という事を知ったのだと思います。
彼はやっと人生の入り口に立ったばかり。
80回目の誕生日、モードは自ら人生から去ります。
泣いてすがり、愛を告白するハロルドにモードは笑って見せるのです。
「ありがとう・・・本当に嬉しい。お願い、愛を見つけて。」
最後の瞬間まで美しかったモード。
それは、モードからハロルドへの贈り物だったのでしょう。
さて、井上君。
声だけの新珠さんを相手にセットらしいセットもない中での1人芝居。モードがそこに在るから、1人芝居とは言わない、とありましたが、有体に言えば一人芝居です。
いや〜・・・舞台経験と言えばエリザベートだけ。しかも彼の専門である歌で、芝居が進行するわけです。
それが今回は劇中で歌うシーンもありますが、本当にお芝居です。よく頑張りました。つーか、ここまで出きると正直思いませんでした。
観客の全員が(自分も含め)、ミュージカルファンだったと思いますが、普通の芝居好きな人たちにも見てもらいたかったです。
井上君はなんと言っても、声vがいいので、これからも是非ストレートプレイに出てもらいたいなぁと思います。
最後の挨拶の時に新珠さんの肖像画が舞台上にあって、思い出を語る井上君にちょっとキてしまいました。
が、「小池先生の熱い指導の元・・」と言った途端、何故か会場内から笑い。
(え?俺なんか笑いを取るような事、言った?)
って感じの井上君が可笑しかったです。
その小池先生にエレベーター内で遭遇。
トートダンサーの人たちも数人いらしてました。
井上君は、本当これからだね。
まるでハロルドとモードそのままのように、新珠さんからたくさんのモノを受け取ったと思います。
これからも、彼の成長は見つづけて行きたいなvv

 

紙屋町さくらホテル」
2001年4/8 於新国立劇場中ホール
 
宮本信子
大滝秀治
井川比佐志
三田和代
小野武彦  他

新国立劇場の柿落としだった作品です。初演は森光子でした。
脚本は井上ひさし。演出は初演の故渡辺女史版を基本に据えつつ、井上氏自らが担当したそうです。
常に、国家や国の方針というものに振りまわされる名もない庶民と、戦争とは、国家とは一体なんなのか、を描きつづけている井上氏。
今回も舞台は戦時下、非常時の広島。
移動演劇隊のさくら隊が広島で被爆した事、また終戦間際天皇の密使が、国内を視察して回り、本土決戦が可能か不可能かを調べていたという、歴史的事実に基づき、井上流の虚実取り混ぜた舞台に仕上がっています。
ご出演の方々はとにかく皆さん芸達者な方ばかりですし、安心してお芝居の中へ入って行けました。
今回、中劇場に実はこんなに仕掛けがあるんだ、とか、実はこんなに奥行きのある舞台だったんだとか、初めて知りました。
今まで見た舞台が、ことごとく最初から装置が動かないものばかりだったんで。
ファーストシーンで、いきなり椅子とテーブルが出現した時はちょっと驚きました。そして、幻のように聞こえてくる「すみれの花咲く頃」。奥からゆっくりと近づいてくるホテル。
ああ、いいなぁ・・と、素直に思いました。
さくら隊公演のため、ホテルのオーナーから、滞在中の客から特高の刑事まで芝居に参加せざるを得なくなる。その面白おかしさ。歌の練習、踊りの練習。元宝塚男役スター園井恵子(三田和代)の目指す新しい演劇。彼女が語る、『宝塚男役の登場の仕方には、3パターンしかありません!!』に、会場は大爆笑でした。
進むに連れ、それぞれがこのホテルに滞在している理由や、戦争との関り方、様々な思いが明らかになっていきます。
それらを、軽妙な笑いに包んで、お話は進みます。
終戦間際の、この夏には原爆が投下されることがわかっている広島。
冒頭で、長谷川(大滝)と針生(小野)の『あの、夢のような3日間。』というセリフにもあるように、それは、幻のような、夢のような、いとおしい空間。
まさに、主人公の神宮淳子(宮本)の言う、『私は、今この瞬間、本当に生きている、と、思えたのです。』
という時間を、共有したのではないでしょうか。
人間には、だれしも、『このために生まれたのだ。』という、瞬間があると思います。それを知ることの出来た人は幸せなのでしょう。そして、更に思えば、あの時代に、そうとでも思わなければ、明日終わるかもしれない人生を生きていくことは出来なかったのではないか、と思います。
「非常時」だから。
役者や芸術には何も出来ない、ピアノで敵が殺せるか、人々の空腹を満たせるのか。
そういったセリフが何度も出てきます。
その度に思いました。
芸術や音楽は人々の心を救う事が出来る。人々に笑顔を取り戻させる事が出来る。井上ひさしも多分、そう言いたかったのだと思いました。もう、こんな風になってしまうのは、絶対にイヤだな、と。
それから、市井に生きる庶民にとって一体『国』って、なんなのだろう・・と。
淳子はアメリカ市民でありながら、強制収容所に入れられ、日本へ戻れば特高が付きまとい、どちらに居ても「敵性外国人」と、呼ばれます。
私は舞台を見ながら、大学の時に読んだ老舎の「茶館」の一節を思い出していました。
『私は国を愛したよ。しかし、国は私を愛してくれただろうか?』
笑いながらも、本当に庶民や女性から笑顔の消える世の中にだけはしたくないな・・などと、思ってしまいました。
しかし、まぁ、皆さん芸達者で、間の取り方からひとつひつの動きから、セットから、ホントに完成度の高い舞台です。
ほぼ満員でしたが、まだ今月終わり頃までやってますので、是非劇場へ足を運ばれる事をオススメします。

 

レ・ミゼラブル」
2001年2/1 於帝国劇場
 
ジャンバルジャン:山口祐一郎
ジャベール:鈴木綜馬
コゼット:thoko
エポニーヌ:島田歌穂
ファンテーヌ:岩崎宏美
マリウス:津田英佑
ディナルディエ:齊藤晴彦
ディナルディエの妻:大浦みずき
アンジョルラス:今 拓哉


実は、初めて見ました。
正確には、ずっと前にロンドンで観た事があります。
その時のセットとやっぱり似てるなぁとか、案外一回聞いただけでもメロディ覚えてるな・・とか。くだらない事で感心したりしてました。
さて、10年以上の公演を重ね、配役も組み合わせも色々な「レミゼ」今回、この日にしたのは、取りあえず山口さんと綜馬さんと島田さんを外さないようにしようと思ったからです。
レミゼファンの人からは、「歌を聞くなら山口さん、芝居を見るなら滝田さん」と、言われていたのです。特に老境に入ってからの滝田さんは絶品だと。しかし、綜馬さんと組んでいる日が異様に少なく、ま、今回は山口さんにしよう、と。綜馬さんに拘っていたのは母で、昨夏のエリザ以来、すっかり綜馬さんのファンになってしまったようです。
で、「レ・ミゼラブル」。
ヴィクトルユーゴー原作の、それはそれは壮大な物語です。
一部が終わった時には、余りのめまぐるしさにちょっとクラクラ来ました。ものすごい勢いで話が進みます。
思えば、私はこの原作もまっとうに読んだ事はない気がします。
小学校2年くらいの時に、「ああ、無情」というダイジェスト版を読んだのみ。しかも内容が同時期に読んだ「岩窟王」と、ごっちゃになってました。(笑)
更に、私は大きな勘違いをこの年になるまでしていた事に気付きました。やはりその頃「ベルばら」を読んだ為に、バスティーユ広場とかバリケードとかの描写で、私はこれをすっかりフランス革命下の物語だと思っていたのです。それが、幕が開くと同時に年号が映し出されるのですが、なんか、オカシイ・・全然時代が合わない・・と、言う事にまさにこの日、気付いたのでした。
ああ、勘違いって恐ろしい。
さて、レミゼには素晴らしい楽曲とそして素晴らしい歌手達が居ます。
一幕では、やはりファンテーヌ。岩崎宏美はやはり上手い・・
そして、彼女とバルジャンの歌、それから現れるジャベールとの掛け合い。成長したコゼットとマリウスのデュエット。
そしてエポニーヌ。
綜馬さんのジャベールには賛否両論あるようですが、私は中々良かったと思います。確かに正統派ばかりやってきたし、甘い声だし、姿も端正だし。でも却ってエリザの時よりも、しっかりと太い声で歌っていて聞き取りやすかった。まぁ、年をとらないバルジャンとジャベールだったことは否めませんが(笑)、片方だけ年食っちゃうより良かったかも?
エポニーヌの「on my own」は、他で島田さんがこれを歌うのをさんざん聞いているせいか、それほどの感動はありませんでした。
2幕のラストにバルジャンをファンテーヌとともに迎えに来たシーンの方が、感動的でした。いや、よもやここでまた出てくるとは思っていなかったので。
そしてこのまましっとりと幕なのかと思いきや、静かに聞こえてくる「人々の歌」。そして、ゆっくりと人々が舞台の上に。
ああ、これは群集劇なのだなぁと、改めて思いました。
ヨーロッパ、特にフランスにおいて顕著な「愛国心」と自分たちの国を作り上げていく為に流した血の歴史。
それらの上に、現在の徹底した個人主義、平等主義のフランスがあるのでしょう。こういう優れた小説は本当にフランス文学に多い気がします。カミュしかりデュ・ガールしかり。
話がそれました。
存外出演している人間が少ないのにもビックリでした。それと、個人的にとっても気になったのは、バリケードが殲滅されたあとのシーンで拍手って、ありなんですか?そりゃ、感動的で一番の山場なのは判りますが、なんか、死体の山のシーンで歌もないのに、拍手って・・。その死体の山を見下ろすジャベールが居ただけに、なんだかもっと静かな空気の中で見たかったです。
thokoはあの上がり下がりの多いコゼットの歌をよく歌いこなしていました。高音の綺麗に出る人だから、とても良かったけれど、芝居は・・・まぁ、これから精進してください。やっぱ安達祐美で見てみたかったです。「ガラスの仮面」以来、あのコの舞台が見てみたい。まぁ、贅沢を言えば前の純名理沙で見たかったですが。

 

ゴッホからの最後の手紙」
2000年11/15 於世田谷パブリックシアター
 
初めてこのホールに行きましたが、いいホールっすねえ。
こんなモノが三軒茶屋に建っていたとは知りませんでした。
エントランスやロビーもこの規模のホールにしては悠々としているし、ホール内はまるで洞窟みたいな雰囲気で、天井も高いし。すごく気に入りました。
さてA.G.Sという、札幌を拠点とした演劇ユニットの公演でした。つまりT.P.Tみたいなものかな?舞台によって俳優やスタッフが集まるそうです。
脚本は1999年度日本劇作家協会優秀新人戯曲賞受賞作です。この舞台にここでも何度か取り上げているフライングステージの関根さんが客演するというので、行ってまいりました。
この札幌公演の為に長期札幌に行っていたのを聞いていたのですが、その時から、関根さんが出ているいないに関らず、見てみたいな〜と、思っていた作品でした。
ゴッホ、ゴーギャン、テオ。この三人の物語です。
ゴッホが大好きな私にとっては、やはりここらへんの話は激ツボなのです。
当初、例の耳きり事件の時の話かと思ったのですが、それから7年後、ゴーギャンがタヒチから帰ってくる所から話は始まります。ここらへんで、美術ファンの人は「はてな?」と、お思いでしょうが、それをここで言ってしまうとネタばれになるので・・我慢して頂いて。
セットが嬉しかったですね〜。あの、黄色い家、病室のアトリエ、黄色い部屋、あの椅子、そして郵便配達夫。
あとの方のシーンでわかったのですが、とても奥行きのある舞台なんですね、あそこ。
そして、ああいう関根さんをはじめて見ました。
ああ・・こういう演技も出来る人なんだな、と改めて思いました。
いつもはフライングステージの、どこかハイテンションな舞台を引っ張っていくエネルギーを感じるけど、この芝居の関根さんはとても押さえた、控えめな、けなげな(?)演技で、こんな長年彼の演技を見てきたのに、初めて見る顔、初めて見るキャラクターでした。最初、関根さんがテオ?(ごめん、ほんとにごめんってば)と、思っていて、一体どんなテオなんや、と訝しんでいたのです。それがまあ、本当にけなげな弟、テオでした。役者ってすごいっすね。
ゴーギャンはあのフーテンぶりがとても良く出ていました。
特に、ゴッホを思ってあれこれ口出ししたり、看護婦に噛みついたり・・人と絡む時の芝居が特に素晴らしかったですね。それと、ゴッホ。最初の登場からのシーンで台詞が今一つ聞き取り辛くて、ずっとこんなんだったら、困ったなあと、思っていたのですが、あれは包帯のせいだったんですね。
途中からきちんと聞こえました。子供っぽく、無邪気で奔放な、ゴッホ。なんていうか・・切なかったですね。2人とも。そして、テオも。ゴッホ自殺後のテオの事を知っていたので、オチはなんとなくわかっていましたが、それでも、やっぱり切なかったし、それでいて、ちょっと幸せでした。
テオの台詞、「あなたたちに見えないものが見えてしまうこの僕の目が邪魔だと言うのなら、どうかこのナイフで抉り取ってしまってください。」と、いうのはひとつのキーになる台詞だなと思いました。
なんにせよ、関根さんの知らなかった一面を見られて、とても嬉しかったです。

あの赤鬼青鬼の童話の朗読が良かったなあ。
また、フライングステージで朗読会やってくれないかしら。

 

欲望と言う名の電車」
2000年11/4 於新国立劇場中ホール
 
樋口可南子主演版の方です。
まず、最初に言っておきます。
私はこの有名な脚本による舞台を見るのは、今回が初めてでした。唯一見たことがあるのはヴィヴィアン・リーの古い映画だけです。なので、感想がかなりちぐはぐなモノになるかもしれない事をまず、心に置いておいてください。
行く前に友達から聞いていた、台詞のとちりやすっ飛ばしはなかったです。そういう意味では、成功した舞台だったのでしょう。
樋口可南子のブランチ・デュボア。
それはそれは美しく、白いスーツに白い帽子、ハンドバック、手袋。そして、あの有名な「欲望と言う名の電車に乗って・・・」の台詞。思わず、ほぉ・・と、溜息がもれました。
舞台が進むにつれ、彼女の過去が暴かれ、狂気へとひた走ってゆくその過程が描かれていくのですが。樋口ブランチは、頑迷なまでのプライドの高さとか自尊心や矜持といったものはあまり感じられず、神経症っぽさばかりが強調されていたような気がします。彼女自身とても痩せていて背が高い人なので、余計なのかもしれませんが。それともあの、台詞回しのせいなのかなあ・・?とにかく他の舞台を見ていないので、それでいいのか悪いのかも判らないし、役なんて演じる人や演出家の解釈で全然違うものなのでしょうけど。ただ、映画から勝手に抱いていたブランチのイメージとはなんか違いました。
一緒に行った母は、栗原小巻版も見たそうですが、「だいぶ違う。」とのコメント。
スタンレーは内野さん。最初、ミッチをやるんだとばかり思ってました。まあ、彼なりに熱演でしたわ。第一、体鍛えてんな〜と、感心しました。胸筋腹筋、見てくれ!!って感じでしたね(笑)。男の粗暴さ、荒々しさが出ていて中々でした。ただ、これも私はこの芝居初めてなので、良くわからないんですが・・スタンレーってこんなに底の浅い人間なんですか?もしそうなら内野サンは上手に演じてたって事なんでしょうけど。七瀬なつみのステラも熱演でしたね。彼女が一番良かった気がしますが、演じやすい役ではありますよね。そんでもって、これも他を見ていないので判らないのですが、ステラって過去の生活や栄華はすっかり忘却の彼方の人なんですか?
永島敏行のミッチ。スタンレーやるんだとばかり思ってました。役のせいなのかもしれませんが、一番存在感なかったですな。最初舞台に彼がいるのも気づかなかったです。彼は一番失敗してたんじゃないのかな〜。あのしゃべり方。ああ言う風にしゃべれば朴訥とした人に見えるって思ってんのかなぁ。
・・・と。結構ご不満の多い舞台でした。
まあ、今回は内野さんを見に行ったようなものだし。なんと言っても樋口可南子はきれいだったし。彼女は同じ中ホールで松たか子の「セツアン」を見に来た時にロビーでお見かけしました。きれいっすよ、やっぱり。
それと、セットと照明。ニューオリンズの強烈な陽射しや市電停留所近くのごみためみたいな長屋。そういった雰囲気は出ていました。ちょっと凝りすぎの部分もあったけど。
そうか、ニューオリンズって暑いから、みんなあんなにイライラして神経症みたいになっちゃうのかしら?
もう、誰かこの芝居を他のキャストでも見たって言う人、教えて下さい・・・・今回のあのキャストはどうなんですか??
そうだ、ラスト!
ラストだけは、ブランチに毅然として去って欲しかったわ。
あれは、ちょっとイタダケない・・・

 

オープニング・ナイト」
2000年9/16 於東京芸術劇場小ホールB
 
フライングステージの再演モノでした。
えーと、ゴチャゴチャ言う前に一言。
「すっごく、良かった!!」です。
なんつーか、幸せでした。
やっぱりお芝居ってイイよね!ていう、『愛』がいっぱいで、見終わった後も高揚した気持ちや幸せな気持ちがずっと続いていて、なかなか寝付かれなかったです。
映画やお芝居を見た時に、良く聞く言葉で「理解しにくかった。」とか(もしくはその逆)ありますが。『理解』って何だよ。と、思います。(私もたまに言ってますが)エンタメって、『楽しむ』ものであって、『理解』するものじゃないです。
そういう意味では、今回の舞台はまさにエンタメの王道でした。
 筋は追いませんが、まず楽しみのひとつは色々なお芝居のセリフが引用されていることでした。
私はそんなに詳しくないので、あとでさりげなくおしゃべりの中で解説されていてわかり易かったです。
好きな事(この場合は芝居)に夢中にならずに居られない事とか、それが今まで恋人に見せていた顔とは全然違っている、その違和感や動揺。
昔一方的に別れを告げられた恋人への想い。
自分自身を正直に見つめられないでいる弱さや、脆さ。
フライングステージとして、「ゲイ」である事や「社会的マイノリティ」である事に関連しての問題は切り離せないのですが、今回は、そんな様々な事をすっ飛ばして、「とにかくお芝居が大好きっっ!!」って、ビシバシ伝わってきて、本当に幸せな、楽しいひと時でした。
結局、2時間半近くありましたが、殆ど時間の長さを感じませんでした。
さて、初演の時、高市さんの小屋主バージョンを見たので、今回は客演の若林正さんのバージョンを見ました、落ち着いた演技でいつも若者ばかりのフライングステージの舞台に新風が吹き込んだような気さえしました。そうそう、世の中若者ばかりじゃないですよね。いかにも「食えないオヤジ」で、安定していました。舞台初日のシーンでの衣装も素敵でした。
それから内藤役の森川佳紀さん。飄々とした感じの姿からは想像できない(登場シーンで、飄々とした感じ・・と、思ったのです。)尖った、嫌なカンジの、でも脆そうな人間を演じていました。すごく、良かったです。他の舞台も見てみたいなぁと、思いました。
さて、客演の人ばかり褒めていても仕方ないので。
ますだいっこうさん、やっぱりお上手です。あの、間合いの取り方が絶妙です。
年の行った(失礼)「オカマ」を自然体で、でも多分客の望んでいるように演じて、舞台を引っ張ってましたね。いつもは、牽引役が関根さんなのでこれもまた面白かったです。
増田馨さんは、初演の時も思いましたが、はまり役ですね。初演の時、水無月役の演技に度肝を抜かれましたが、今回もやっぱりイカしてました。
個人的には、小屋主の木澤氏が実は・・・という落ちは頂けないかな?と、初演の時は思ってたんです。今回は気になりませんでした。なんでかな?
そうそう。面白い舞台だったので笑い声が続いているうちに次のセリフを言われちゃうと、聞き取れないっていうのが大分ありましたね。芝居を止めちゃうわけにはいかないんでしょうけど、ちょっと考慮してくれたら良かったなと思います。
それにしても、フライングステージ及び関根さんとお付き合いをはじめて早?年。
あの小ホールが一杯になる位お客さんが入るような劇団になるなんて・・感無量です。
おっかけ1号として(笑)、これからも見続けて行きたいと思います。
最後に、照明・・素晴らしかったです。いつも思いますが・・。

 

妖かしの夜
2000年8/20 於萬ホール
 
劇団「パラノイヤ・エイジ」の公演でした。
どひ〜・・・ここともリンクしている役者さんのSIGEさんに誘われて見に行ったんですが。
一ヶ月近くもほっぽいているウチに、内容を忘れてしまった〜〜〜サイアク〜〜〜
「真夏の夜の夢」の、時代劇版と言うふれこみだったんですが、余りそれっぽくなく、どちらかと言えば、モノノケ姫?
衣装やセットがやたら凝っていましたね。着物だったし。
SIGEさんのお友達の松本由理さんが、森の精霊(パックに当たる)をやったのですが、醸し出す独特の雰囲気と言い、仕草の一つ一つといい、際立っていました。
あああ。こんなしか書けなくてスイマセン。
さっさと書くべきでした・・・
でも、要は覚えていないと言う事は・・・つまり、そう言う事なのです。
松本さん以外、脚本も含めて印象は薄いです。
衣装とセットしか覚えとらんし。マジで。

 

NUDE
2000年7/8 於下北沢OFFOFFシアター
 
ここともリンクしているフライングステージの舞台です。
今回は、劇団員の若手に頑張ってもらうという、主催の関根さんのお言葉通り、ここ数年のうちに増えた若手の男の子たちが全面に出て、関根さんたちは脇を固めると言う感じでした。
タイトルからも判るように、今回はゲイマガジンのヌードモデルやカメラマン、その助手などなど、「ヌード」を中心に話が進みます。思ったのですが、ゲイ以外の人が登場しないお芝居って、実は見たの初めてのような・・?ゲイを描いてきているこの劇団にしては意外な気もしますが、いつもはバカなノンケとか親だとか、兄弟だとか、必ずだれかノンケの人が登場した気がします。
しかも、ゲイマガジンの編集部という、サークル的な世界の中で生活しているゲイたちがメインです。
そのせいなのか?ちょーっと感情移入しにくかったというのが本音です。
まあ、何も必ずしも芝居に感情移入する必要はないんだけど。世界に入りにくかったっていうか。
フライングステージの舞台は、自分がゲイであるなしに関わらず、生きていればぶち当たる色々な普遍的なテーマがあって、それにいつも笑ったり泣いたり、切なくなったり・・頑張って生きていこうって思ったり、なんですが。
それが、今回閉鎖されたゲイ世界(敢えてこの言い方をする事をお許し下さい)で話が進行したからなのか、それとも主題が掴みにくかったのか。
題名や、服を脱ぐ、という行為から単純に「ありのままの自分をさらけ出す。」というのがテーマなんかなあ?なんて見る前は思っていたのですが、それも今ひとつ掴めませんでした。
・・・と、先に落としておいて。(笑)
まずは、若手が順調に育っているのは喜ばしい事です。
まだ少し芝居のテンションが平坦かな?という気はしますが、まずまずだったと思います。特にヌードモデルの吉岡君が台詞も動きも少ないのに、まさに体全体で演技していて、カメラを意識している時としていない時の違いなんか見ていて「上手いな〜」と思う間もないくらい自然でした。関根さんのひげヅラ耳ピアスのカメラマンぶりも化けすぎていて、凄かった。(笑)
それから、ますだいっこうさんの三森さんが、際立っていました。あの押さえたしゃべり方、絶妙の間、落ち着いた大人のゲイを見せてくれました。
取り替えたキャストでも見てみたかったな。

しかし、恋って、ホント突然にわけの判らないきっかけで訪れたりして、そんでもって、自分でも「バカだーバカだー。」と、思いながらまたバカな事を繰り返したり、「こんな奴になんで〜?」って、思いながらだったり・・でも、うれしくて切なくて、幸せで。(思わず遠い目・・)
ん? 今回感情移入できなかったのは、私がもうそういう気持ちから遠ざかってるって事か?!

 

 「新世紀版ハムレット・世紀末を穿つ」
2000年2/25 於大塚萬ホール  
 
 友人であるフライングステージの関根さんが、珍しく
よそサマに客演するっつうから、見に行きました。
と、投げやりに始まるのは、まあ、そういう事なのです。
主に、文学座の卒業生が出演していて、脚本家の今和朗氏
のプロデュース公演。すでに何回目かだそうです。
主演の一人、オフィーリアをやった久本朋子さんは、あの
マチャミの妹。姿も声もうりふたつで、時々、
「これ、マチャミだっけ?」とか思っちゃいました。
旧来、「ハムレット」は色々な切り口で上演されてきてい
ます。
今回のハムレットは、精神病院が舞台。
ハムレットとオフィーリアの台詞を、取りつかれたように
しゃべるそれぞれの患者たちによって、病院内の人間関係
が晒されてゆく・・・この設定は、結構良かったです。
しかし。
関根さんたち扮する死体運搬係(墓堀人)が、何故終始
オネエ言葉なのか、演出の意図がさっぱりわかりません。
オネエ言葉をしゃべるから、関根さんを呼んだのか、
はたまた、呼んだからオネエ言葉をしゃべらせる事にした
のか?
どっちにしても・・・ねえ。
相棒の村上寿氏の気弱そうなオネエ言葉が結構良かったの
で、いっそ、関根さんには野郎をやらせても面白かった
のでは?
そして、なにより判らないのは、この作品のテーマ。
「愛していたから、殺したのだ。」
って、まさか、それが言いたかったわけ?
そ、そんなぁ〜・・って感じです。
私は一人、とぼとぼと、都電沿いの道を帰ってきたのであ
りました。
関根さん、ごめんっっ  でも、良いよね。