「エリザベート」の観劇記だけで、ものすごい事になりそうなので、ページを分けました。 ミュージカル「エリザベート」のレヴューはコチラから。 |
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「ミス・サイゴン」の観劇記はこちらでどうぞ。 |
―――→ MissSaigon |
「レ・ミゼラブル」の観劇記はこちらでどうぞ。 |
―――→ Le Miselable 2005 |
「Me & MyGirl」の観劇記はこちらでどうぞ。 |
―――→ Me & MyGirl 2006 |
2000年 | 新世紀版ハムレット・世紀末を穿つ(2/25) | 大塚萬ホール |
NUDE(7/8) | 劇団フライングステージ | |
妖かしの夜(8/20) | 劇団パラノイヤ・エイジ | |
オープニング・ナイト(9/16) | 劇団フライングステージ | |
欲望と言う名の電車(11/4) | 樋口可南子版 | |
ゴッホからの最後の手紙(11/15) | A.G.S | |
2001年 | レ・ミゼラブル(2/1) | 山口祐一郎ほか |
紙屋町さくらホテル(4/8) | 井上ひさし | |
ハロルドとモード(6/24) | 井上芳雄一人芝居 | |
風と共に去りぬ(7/28) | 大地真央ほか | |
ピーターパン(8/19) | 笹本玲奈ほか | |
ひまわり(9/2) | 劇団フライングステージ | |
2002年 | バタフライはフリー(3/22) | 井上芳雄&高橋由美子 |
陽気な幽霊(6/14) | 劇団フライングステージ | |
モーツァルト!(10/12) | 日生劇場 | |
HAPPY END(11/16) | 劇団フライングステージ | |
モーツァルト!(12/21) | 帝国劇場 | |
2003年 | ファンタスティックス!(2/1) | 宮本亜門演出 |
SLAPSTICKS(2/8) | オダギリジョーほか | |
オイル(4/29) | 野田MAP | |
能・善知鳥(5/3) | ||
四季(7/21) | 劇団フライングステージ | |
シンデレラストーリー(8/23) | 鴻上尚史脚本 | |
スウィングバイ(9/7) | acting-unit WildBell | |
nocturneー月下の歩行者ー(9/13) | 維新派 | |
異国の丘(9/20) | 劇団四季 | |
風間杜夫1人芝居三部作(10/27) | 紀伊国屋ホール | |
ジャングルKISS(11/27) | 春風堂公演 | |
ハムレット(12/6) | 蜷川版 | |
2004年 | 四季U(3/21) | 劇団フライングステージ |
思い出の夏(5/21) | 関根真一プロデュースDubleFace | |
燃えよ剣(5/22) | 明治座 | |
ろまんす(7/18) | Air Studio | |
ロミオとジュリエット(12/21) | 蜷川版 | |
2005年 | 二人でお茶を(3/21) | 関根真一プロデュースDubleFace |
2006年 | ベガーズオペラ(1/9) | 内野聖陽ほか |
ベガーズオペラ(1/15) | 内野聖陽ほか | |
間違いの喜劇((2/10) | 蜷川版 | |
アンナ・カレーニナ(2/11) | 一路真輝・井上芳雄 | |
アンナ・カレーニナ(2/16) | 一路真輝・井上芳雄 | |
ミッシング・ハーフ(4/28) | 劇団フライングステージ | |
タイタス・アンドロニカス(5/2) | 蜷川版 | |
紅天女(5/16) | 新作能 | |
HUMMANITY(5/28) | 地球ゴージャス |
「オイル」 |
2003年4月29日 於シアターコクーン |
松たかこ 藤原竜也 小林聡美 片桐はいり 山口沙耶加 野田秀樹 ほとんど初めてともいえる野田秀樹の舞台です。 高校の頃(?)、まだ夢の遊眠社の頃の舞台を見たことがあるのですが・・・何だか記憶があいまいです。 今回の舞台は(というか野田秀樹が?)『言葉』というものに拘っているなぁと感じました いやー・・成るほどなぁ・・と、思いながら見ました。 「オイル」と「老いる」に始まる、 傘や電話帳を使い、いろはにほへとを使った、ある意味とてもわかり易い言葉遊び。 芝居は、出雲神話と戦後占領時代の出雲が舞台です。 出雲神話は、陵辱の神話ですよね。「国譲り」というオブラートに包まれてはいますが、本当は大和民族に破れ駆逐された民族です。 それと占領軍を絡み合わせ、時空が行き来します。 言葉の大切さ、記憶するという事。そして、オイル(石油)によって人々が変わっていくこと。 目の前の豊かさに溺れ、簡単に魂やプライドを売り渡したり、冨が絡んだ人の醜さ。 そして、「戦い」の理不尽さ。 いちいち突きつけられるモノが痛かったです。 軽妙な笑いに包みながらも、「日本人」として痛い「言葉」を突きつけてくる。 それが野田舞台なんだなぁと、思いました。 松たかこは「モーツァルト!」で見た時、『こんなに下手だったかなぁ?』と、思いましたが、やっぱりストレートプレイは絶品でした。 上手い! 芸達者ばかりで、楽しめました。 藤原君の舞台を見たのは初めてだったんですが、噂に違わず上手でした。 ただ、ちょっと声が枯れてきちゃってたのかな? 張り上げる部分で、セリフが潰れてしまって時々聞き取りづらかったです。 そして、意外というか何と言うか。 山口沙耶加が上手くてびっくりしました。 動きがものすごくイイ! 今回、ある意味典型的な日和見日本人を演じたわけですが、ホントに上手かったです。 これからが楽しみな、いい舞台女優になるかもしれませんね。 最後、時空は飛びまくって実は戦争は終わっておらず、広島へと人々は去るわけですが。(あ、ネタばれ?) その時に、山口沙耶加演じる役が、 『私ったら、戦後の夢を見ていたのね。』 と、言うのだけが・・どうも・・・・。 うーん。 彼女の台詞の言い方にも問題があったのかもしれないですが・・「いや、それは見てれば判るから!」と、突っ込みを入れたくなりました。 終わり間際のそこで、ざざーっと引いてしまいました。 しかし。 そんな引きかけた私を舞台に戻したのは。 その後の松たかこの独白シーンでした。 8月6日の朝、広島にいる弟と電話で話す彼女の向こうで、閃光が炸裂します。 そこから幕切れまでは、本当に圧巻でした。 悲鳴のような嗚咽を漏らしながら舞台の奥へ消えていく後ろ姿には、不覚にも涙があふれて止まりませんでした。 |
「能・善知鳥」 |
2003年5月3日 於喜多六平太記念能楽堂 |
葛城(大和舞) 昆布売り(狂言) 善知鳥(能) 解説:八蔦正治 高校時代に見に行ったきり、能を見るのは人生で二度目です・・。 解説が先にあって、その後、舞→狂言→能というオーソドックス(?)な公演でした。 でも、解説は今日の能の出し物についてのみだったので、せっかくなら能の前にやってくれればよかったなぁ。 で。今その時の解説を聞きながら取ったノートを見てみると。 ウトウ(善知鳥)の表し方。 ・空=ウトウ ・空鳥 ・卯頭鳥 立山→地獄のような風景だったと思われる。 陸奥外の濱→恐山ではなく、内湾のイメージ(地獄ではない) 成立ち 立山禅定の僧の話と、外の濱の話がMIXされた? ツレと子方が最初から舞台にいるのは、登場するタイミングがないから。 途中(妻の家に行くまで)「所ノ者」との狂言が入る。 などと、メモってあります。 見る前のメモだから、書いてる本人もわけ判ってないし。 でも、なかなかに興味深かったです。 ちょっと「舞」は気を失いそうになりましたが、「狂言」はホントに面白くて、笑っちゃったし、 「能」も台本と解説を読みながら見ていたせいか、よく判りました。 今回の「善知鳥」は、色々と能としてはイレギュラーな点が多いらしく、今度は是非オーソドックスな(?)ものも見てみたいです。 それにしても、踊りにしろ演劇にしろ「お約束」っていうのはあるんだなぁと、思いました。 特に、能なんて、同じ舞台上に居るのに、「見えてない」のはどういう訳だー。とか、 家に入れないっていうのは、どういう事だー。とか、突っ込みどころは満載です。 でも、例えば、舞台上に置いてある「蓑傘」が一種の結界のような役目を果たしているとか、 シテの座る位置、ツレの位置、色々お約束があるようで、それを理解した上で見るとホントに興味深いです。 ちなみに、タイトルの「善知鳥」は、多分想像上の鳥で、非常に親子の情愛が深く、 「ウトウ」と鳴くと「やすかた」と、答えると言われているそうです。 しかし、この言葉にどういう意味があるのか良く判りません・・。 その鳥を殺した猟師が、自分も子供と会えなくなるというお話でした。 何か理不尽な気持ちがしてしまうのは、私が現代人だからでしょうか・・? |
「SLAPSTICKS」 |
2003年2/8 於渋谷パルコ劇場 |
ビリー:オダギリジョー アリス:ともさかりえ アーバックル:古田新太 ビリー・ビリーの父:山崎一 メーベル:金久美子 セネット:大谷亮介 他 オダギリの初舞台という事で、チケットをご親切にも取ってくださったネット友達と出かけましたー。ありがとうございます!Tさんv 養成所時代、また、クウガ終了後のセルフプロデュース公演などで舞台を踏んでいるオダジョですが、メジャーになってから有名な演出家や舞台のプロの人達と絡むのはこれが初めてのはず。 コケただどうしよう・・見られないような演技だったらどうしよう。と、初期ファン特有(?)の母のような気持ちで出かけました。 しかし、私は先週の「ファンタスティックス!」の時にひいていた風邪がまだ治らず、ぜいぜい咳が収まらず、ついに喘息の発作薬まで処方される始末。周囲の方の舞台鑑賞の邪魔にならない事が第一目標・・。(^^;) 今話題の新進気鋭の演出家、「ケラリーノ・サンドロヴィッチ」演出。出演者もそうそうたる顔ぶれです。大勢だし。 しかし・・・・・・うーむ。 私は彼の演出の舞台を見るのは初めてなんですが。 これは・・・・・・うーむ。 ちょっと演出的には頂けない感じがしました。 無声映画時代の、所謂キートンとかチャップリンとかとは違う、もうホントにいっちゃってるコメディ映画の世界とそれに関る実在の人々や実際の事件にフィクションを取り混ぜて、時に可笑しく、時にしんみりと・・と、描いた良い本なんですが。なんですがっっ! あの、芝居の合間合間に上映される無声コメディ映画は必要なかったんじゃないかと。しかもそれが、「またかよ・・」と、思うほど多く、また、「長げーよ!」と、思う位しつこい! 大体、その世界を描くために舞台作ってんのに、実際の映像流しちゃったり、実際の俳優さんたちを映し出しちゃったりするのって、どうなの?かなり見ている方も違和感あったし、間がもたない感じがしましたですよ。 きっとケラさんはこの頃の映画が大好きで大好きで、みんなに見せてあげたい!知って欲しい!って気持ちでいっぱいなんだろうなーと、思ったのだけれど。 そういう趣味の押しつけって、やっぱり見ている方は引いちゃうんだよ。と、思った舞台でした。 何はともあれ。 初のナマオダギリ。 顔ちっちゃいー。手足ながーい。 動きも結構良くって、さすがは元は舞台の人だーと、個人的には大満足。 もう少し背筋をピン!と、してくれると更にうれしい・・猫背のヒーローだったからなー。年令を重ねたビリー役の山崎さんがものすごく姿勢が良いだけに、どこで姿勢直したんだね?と、思ってしまったりしたので。 また、舞台してくれるとうれしいです。 |
「ファンタスティックス!」 |
2003年2/1 於世田谷パブリックシアター |
マット:井上芳雄 ルイザ:高塚恵理子 ベロミー:斎藤暁 ハックルビー:岸博之 モーティマー:なすび 語らない人:水野栄治 役者:ニ瓶鮫一 エル・ガヨ:山路和弘 演出:宮本亜門 復帰後(自分的に)一作目ですー。 すっごく寒い日で、劇場内でコート着たまんまひざ掛けまでもらって体中包んでいても・・寒い・・。と、思っていたら、熱が38度もあった事が帰宅後発覚! かなりとほほな思い出があります。 世田谷パブリックシアターは以前関根さんの舞台を見に行った時以来だけど、すごく気に入っている劇場です。椅子の並び方とかあの規模にしては広いトイレとかちょっと洞窟っぽい内装とか。舞台も奥行きがすごくあるんです。 しかし・・ミュージカルでしょ?この作りは何?と、思ってしまいました。私、下知識0で行ったので。 舞台上に三角形の大があり、舞台上にも客席があり、キャストを見ると。え?これだけ??これだけでミュージカルやんの?? 見た事のない私は、ハテナマークをいっぱいつけたまま、舞台が始まりました。 結果・・面白かったです〜〜v狭い舞台で客席(仕込済みの俳優が客席に居る)とのカラミやアドリブの応酬。斎藤暁さんが客席にツッコミを入れて大爆笑を買ったり。 ブロードウェイで40年もロングランを続けた理由がよくわかります。 とにかく無駄なものを全て削ぎ落とした舞台で、音楽もシンプルにピアノ、エレクトーン、パーカッションのみ。小道具もほとんどなし。 そして、通常のハッピーエンドは1部のエンディングで訪れます。では、ハッピーエンドの後は? ちょっぴり風刺を辛みも利いた第2部。 大人になった主人公たちの本当のエンディングは? ペーソスと可笑しさ、苦さ、楽しさ。舞台に詰まっている色々なものを見る事の出来た大満足の舞台でした。 |
「モーツァルト!」 |
2002年12/21 於帝国劇場 |
モーツァルト:井上芳雄 コンスタンツェ:西田ひかる コロレド大司教:山口祐一郎 レオポルド:市村正親 ナンネル:高橋由美子 ヴァルトシュテッテン男爵夫人:久世星佳 術後1週間。 美容院まで髪を洗ってもらいに車で送り迎えしてもらう以外で初の外出!ひー。 考えた挙句、座ってるだけだし・・という事で厳戒体制の中(個人的に)出かけました。 車とエレベーターとノロノロ歩き・・・。友人が常に人とぶつかったりしないよう周囲を警戒・・ううう。 こんなに人サマにメーワク掛けるくらいならやはり自宅待機していれば良かった・・(><)と、思いつつ、チケットもったいなさに出かける貧乏性の私。 前回の違うのは、西田ひかるのみ。 ニッセイよりは席が見やすかった事と、松たかこほどはすっぱな感じじゃなかったかなー?という程度。 やっぱりこの舞台はイマイチだなぁというのが正直な感想です。井上君はニッセイの時より良くなった気がしました。 役に馴染んできたっていうか。 育ちの良いモーツァルトだなぁ・・とい感じが薄れてパンチが出てきたっていうか? |
「HAPPY END」 |
2002年11/16 於シアターVアカサカ |
コータ:吉岡亮夫 イオリ:早瀬知之 マスター:関根信一 アツシ:石関準 ウキハシ:増田馨 ススム:淵谷浩之 ユージ:荒 俊樹 マサオ:水月アキラ ムサシ:ますだいっこう 新作の公演。それも、赤坂のシアターVというかなりメジャーな劇場で!と、案内をもらった時の印象があります。 今回は西野浩司さんというゲイノベルの作家さんの原案を関根さんがアレンジ・・所謂脚色というヤツで、関根さんにとっては珍しい形での上演です。 題名の「ハッピーエンド」。 FS(フライングステージ)の舞台は、ある意味大概ハッピーエンドで、色々な形を取りながらも、それはやはり「ハッピーエンド」と呼びたいものばかりです。その中でど真正面から『ハッピーエンド』というタイトルを持って来た意味を考えながら舞台に向き合いました。 なんとなく、上手く行っていない日常。 訪れてはすぐに消えていってしまう恋愛。 面倒、このままでもいいか・・ そんな毎日に、ある日恋が訪れます。 今までと同じようにすぐ終わると目されていた相手が、どうやら今までとはどこか違う。 うれしい。幸せ。楽しい。 毎日が夢みたいに感じる。それでて、安らいでいる不思議な感覚。 夢みたい・・と、思うのは、恋の魔法はいつまでも続かない事をしっているし、かつて、「ハッピーエンド」だと思っていた恋だって、いつかは過去の恋になったりする事を、知っているから。 行き違いや誤解や過去の自分と向き合わなければならない事。 だけどやっぱり人は「ハッピーエンド」を求めて生きていくし、恋や幸せを続けていくためには努力だって要る。 そんなあれやこれやを思いつつ、気持ちのいい幕切れを迎えました。 FSの舞台の良さは、この後味の良さだと思います。 昔の映画のセリフじゃないですが、 『ハッピーエンドはお好きですか?』 |
「モーツァルト!」 |
2002年10/12 於日生劇場 |
モーツァルト:井上芳雄 コンスタンツェ:松たか子 コロレド大司教:山口祐一郎 レオポルド:市村正親 ナンネル:高橋由美子 ヴァルトシュテッテン男爵夫人:久世星佳 アマデ(子役):内野明音 「エリザベート」のミヒャエル・クンツが新たに送り出したウィーンミュージカルです。ほぼ同じスタッフで、二匹目のドジョウってわけではないと思いますが・・ えーと、やはりエリザに比べると作品として今ひとつな感は否めません。自分があまりこう感激しなかった理由をあれこれ考えてみたんですが・・ま、ロックミュージカルという事で、時代背景の割には衣装やセットなどの華やかさに欠けるとか、登場人物に感情移入しにくいとか、色々あるとは思うんですが・・。 ミュージカルってやはり主題となるナンバーとか名曲ってものが必要だと思うんですよね。ヒットした作品、名作と言われるミュージカルには必ずこういう曲があります。エリザには、たくさんありました。帰り道に知らず口ずさんでいるような曲が。 けれど、モーツァルトにはそういう曲はなかったです。唯一、男爵夫人の歌う「星から降る金」のフレーズが記憶に残っただけで。旋律が難解すぎて、歌うの大変だろうな〜とは思っても、心に残らないし、響いてこない。これがまず失敗であったと思うんですよねー。出演者の歌唱力を試してんのか?と、穿ってしまう位・・ 内容も何を訴えたかったのか描きたかったのか今一でした。 言えることは、これは男性のミュージカルであるという事です。いわゆるプリンシバルはほぼ男性ですし、息子と父親の物語です。息子はモーツァルト。父親は実際の父親であるレオポルド、大司教コロレド。 その呪縛や影から逃れたくて、逃れられず、常に「神『童』」である事を求められたモーツァルトの葛藤の物語です。彼は、死後何百年も経った今でさえ、「神童」という面がクローズアップされがちですよね。 先にあげた、男爵夫人の歌「星から降る金(Gold von den Strernen)」では、「愛とは解き放つ事、離れてあげる事」と歌います。モーツァルトのテーマ?「影を逃れて」では、「自分の影から自由になりたい・・・」と歌います。終始、巨大な父親の影と戦ったモーツァルトの姿がテーマのような気がしました。・・・が。それって、見ていてやっぱりつまらない〜〜〜(><)。それに比べ、コンスタンツェは「女」だったと思うのです。冒頭、モーツァルトの墓を暴きにきた医師を案内しにきたり、楽譜を売り飛ばしたり・・内面の葛藤よりも現世で生きる事を選んだ・・と、思いながら見ていたのですが、コンスタンツェもなんだか子供っぽいんですよー。いや、実際そうなのかもしれないけども。今回私をかなーり失望させたのは、松たか子のキンキン声の歌でした。マイク高く拾いすぎ。この人、こんなアイドル歌いする人だったかー?歌に感情が入ってなくって、すんげーがっかりしました。彼女の舞台は「セツアンの善人」初演で初めて見たのですが、そのときは「うわ、この人本当に上手いんだ〜〜〜っ」って、感激したんですけども。今回の舞台で、いいなぁと思ったのは、井上君がかなり自信にあふれて演技して歌っていた事くらいかなー。でも、モーツァルトにしては端正すぎっちゅうか・・・育ちのよさが透けて見えるっていうか・・・なんて、文句ばっか書いてますが、実はもう一回見に行くんですー。 |
「陽気な幽霊」 |
2002年6/14於青山 |
劇団フライングステージ れいちゃん 関根真一 まーくん 早瀬知之 健ちゃん 増田馨 田代さん 鳴海宏基 他 日本VSチュニジア戦勝利!日本サッカー初のワールドカップ決勝トーナメント出場!!に、沸く東京の街。かく言う私も会社でラジオを聴きつつ仕事(・・・に、なってなかった)。高校サッカーの追っかけから始まってガラガラの競技場で向こうのベンチで話している声も聞こえるぞ、なんていう時代からサッカー場に通い始めて苦節○○年・・・自分の生きているうちにこんな日がやってくるとは夢にも思わなかった私は(本当なんだってばっ!昔の日本サッカーを思えばっ)、喜びもさりながら、現実だと分かっていてもどこかで何かが着いていけずに、母と待ち合わせた表参道に着いた時には、『・・・どうしよう・・マジで心臓がバクバクしてて・・息が苦しい・・』な、状態。母には、「あんた、馬鹿じゃないの?」と、言われましたが。そんな私は会場に着いていながら、入り口の前を素通りし、劇団の野口君に呼び止められるという体たらく・・・嗚呼。 さて。旗揚げから10年!私と主宰の関根さんが出会うきっかけともなった「池袋演劇祭」でグランプリを受賞したこともあるこの作品。フライングステージの出世作とも言える作品なんじゃないでしょうか?今回は、4年ぶりの5回目の再演。札幌で公演した時を除いて、初演から全部見ている私です。(さすが追っかけ1号♪褒めて!)キャストは初演の時と同じまみ君&野口君のAプロと今回初めての早瀬君&増田君のBプロ。Bプロの方を見に行きました。 初めての二人とはいえ、さすがにフライングステージでは中堅(?)になってきた二人の事。予想していたよりも、堂々と、そして生き生きと演じてくれました。会場は芝居に使うのは始めての試みだという円形の会議場のような場所で、二階席もあります。それが、舞台(多分普段は演台があると思われる場所)の後ろからぐるりと会場を取り巻いて、更に客席に降りてこられるようになっていて、そこを今回は縦横無尽に駆け回ったり。いつもは狭い(と、思われる)まーくんのお部屋が主で、れいちゃんの暮らしている押入れが妙にリアリティがあったりもしたけど、それ以外に大学とか、土手のシーンとか(ここがすっごく好きです!)もあるから、今回みたいな変則的な舞台は非常に動きとイメージが色々作りやすくて面白かったです。 お話は、とても普遍的。きっとまた再演があると思うので、あまり内容については書かないけれど。この舞台が、Fステージの代表作だと思うのでは、そのテーマにあると思います。ゲイを扱った作品だからとかいう事はこの作品では重きはおいていないと、見終わった人の誰しもが思う事でしょう。 「気持ちを伝えること。」 この作品の中では、それは「好き」というとてもシンプルな気持ちと、そしてこれもとてもシンプルな愛情表現である(親が子供に対してもする)「抱きしめる」という行為に集約されています。 「好き」だと声に出して伝えること。大切だという気持ちを伝える為に「抱きしめる」事。 簡単なのに、とても難しい事。 けれど、それさえできていれば、本当は思い残すことなんてないのかもしれないのです。 絵本の「ずーっとずっと大好きだよ」にもありますが、「大好き」と思う気持ちは、きちんと声に出して伝えていれば、次の一歩を踏み出す自信にもなるのだと思います。 そんな事を、笑ったり、うなずいたり、涙したりしながら、伝えてくれるこの作品は、作中に出てくる男の子たちがゲイだからと言うこととは、関わりなく、けれどやっぱりどこかゲイだからこそ伝えられない気持ちの苦しさだったという切なさと共に、私たちの胸にしみてくるのだと思います。 最後はまーくんたちと夏の青空を見上げているような気持ちになってしまうのは、この作品の持つ力だと、私は思います。 いつか、また再演を。と、望まないではいられない私にとっての永遠の名作です。 |
「バタフライはフリー」 |
2002年3/22於渋谷パルコ劇場 |
出演者:井上芳雄 高橋由美子 笵 文雀 山賀教弘 ここにいらしている方々は、私が井上君のファンな事はご存知とは思います。「エリザベート」で衝撃デビューの井上君主演のストレートプレイです。昨年の「ハロルドとモード」の一人芝居で、ストレートプレイも行ける事を示した井上君ですが、皆の中に入ってやるお芝居を見るのは初めてです。 元は、アメリカのレオナルド・ガーシュ脚本(「パリの恋人」など)の舞台劇です。1969年に舞台化。1972年にゴルディホーン主演で映画化。ゴルディ・ホーンですかい!見たいなー・・・これ。ビデオ化されていないかなー。好きなんですよ、彼女。 さて。 4人のみの舞台劇。それも最初のシーンは主役の二人しか登場しません。舞台はニューヨークはマンハッタンのアパートの一室。1969年のアメリカカウンターカルチャーの時代背景を、現代に置き換えています。 念願の一人暮しを始めたドンは、お隣に住む天真爛漫な娘ジルと出会い、その日のうちに恋に落ちます・・・ しかし・・と、なるわけですが、まぁ、今更ネタばれってわけでもないので、書いてしまいますと。 私、前知識が無かったせいで、素直に舞台を見ていたのですが。なんか、井上君の動き変だよねー、不自然だよねー・・・と、思っていた所。 劇の序盤でジルと会話を交わすうちに、彼女が気づくのと同時に私も気づきました。(遅すぎ?)ドンは盲目なんです。 ハンサムでとってもキュートでお金持ちのお坊ちゃまだけど、盲目のドン。結婚の経験があって、自由奔放で純粋で、束縛されるのが大嫌いなジル。 ドンの母親の反対や、ジルの奔放さがドンを傷つけたり・・ めまぐるしくストーリーは展開します。 若くて純粋な二人の恋を見守るうちに、どんどん舞台に引き込まれていきました。 席もとても良くって、前から2列目だったんですが。 高橋由美子が下着姿とかで舞台を走りまわるのに、ちょっと目のやり場が困るくらいで・・(笑) 高橋由美子、ちっちゃくて、スタイルが良くって、色が真っ白で、メチャメチャ可愛いんですよ〜〜〜っvv さすが、20世紀最後のアイドル・・ それはさておき。 「バタフライはフリー」という言葉は原典があるんですよね?確か。この舞台で自由な「蝶」はジルを表しているのかもしれないですが、ドンも母親の過保護さや周囲の気遣いから自由に羽ばたこうとしている途中のように見えました。 かつて自分を外へ連れ出してくれた家庭教師との恋に破れたドンを、再びジルが傷つけるだろうと心配する母親。 けれど、傷つく自由だって、あるのです。 色々なことを経験して、傷ついて泣く自由だってあるんですよね。守られて、何も知らずに傷つかずに生きていくよりも、その『自由』をドンはもがきながら手に入れようとしている・・そして、ジルも。 若い、不器用な二人の恋が胸に染みるいい舞台でした。 |
「ひまわり」 |
2001年9/2於下北沢駅前劇場 |
劇団フライングステージ 楽日の楽公演にお邪魔しました。 隣のOFFOFFシアターからこちらに移ってから、初めて行きましたが、楽日という事もあって、満席。 補助席も桟敷も全部埋まってました。 GAY界でのこの劇団の存在が大きいのは元より、劇団自体もどんどん大きくなってきて、本当になんだか嬉しいです。 再演でした。 初演の時も、見てます。 うたい文句通り、「男はつらいよ」のちょっぴりパロディ。 もし、寅さんがゲイだったら・・? 寅さんは、何故故郷に帰れないんだろう?どうして、いっつもトラブルを起こしてるんだろう?故郷って、帰る場所って何だろう? そんな、様々な事を問いかけた作品です。 初演の時にも思った事ですが、フライングステージが、「家族」を真正面から扱ったお芝居って、多分この作品が初めてです。 今まで出てきても、ちらりとだけでした。 実は彼ら家族にとっては、びっくり仰天な出来事が起きてるのに、その当の彼らの気持ちの方には、あんまりスポットあてられていませんでした。 それが、今作品はホント普通の家で日本の町で、ってトコが舞台。母親や妹にきちんとスポットが当たっています。珍しく父親も登場したし。 多分、どこにでもある(ちょっと人情が濃いけど)日本の町ってところにちょっぴり異端人物がいる・・・ 娘が外人の婿連れてきた、とかでも同じ騒動が起きる気がします。 ただ、違うのはよそから来た異端児じゃなくて、ここから出てった異端児が帰ってきたという事です。・・・と、ここまで書いてみて、ここに元々居た、ここで生まれた人って事は、すでにその時点で異端児とはちょっと違うのではないかと思います。 だから、なんだかんだ言っても、もめてもけんかしても、やっぱりどこかで受け入れてしまう。 それは家族だから。 家族って、理屈じゃないですよね。 けんかしたり、やつあたりしたり、ホント、大変だけど。 でも、最終的に自分を許してくれる場所なんだろうと思う。 だから寅さんも安心して風来坊やっていられたのじゃないでしょうか? あれで、帰る場所もなくて天涯孤独だったら、とてもじゃないけどあんな生活していられないと思いました。 初演の時には、主人公の『だって、僕は僕なんだから、それ以外にはなれない。』と、母親の説教に啖呵を切る心情にとても同調していたけれど、今回は、ちょっと息子を罵る母親の気持ちも判るような気がしました。 息子がゲイだって事にじゃない、いつまでもフラフラしていることにじゃない。 それはもうホントに『親』だから、なんだろうなぁと、思ってしまいました。 でも、どうしたって人は故郷以外に自分の居場所を見つけずにはいられない生き物なんだと思います。 ただ、あのエンディングのように、みんなが「帰っておいでよ。」って言ってくれるところがあるって、幸せだよね。 しかし、初演の時も思いましたが、まみくんのおばちゃん姿は一体どういう事でしょう?? 上手すぎ・・・ いかにも、下町にいそうなおばちゃんでした。 衣装もね! |