ろまんす
2004年7月18日銀座Air Studio
 
父の関係でチケットが回ってきたので、行ってまいりました。
所謂小劇場系の舞台でした。
銀座のはずれとはいえ、自前の劇場があるのってすごいなー。
誰かの趣味でやってるんだろうか?
劇団に所属している人には色んな人がいるのか?いきなりびっくりしたのは、上演前に映画の予告編のように、劇団関係や役者関係のCM?みたいのがイキナリ上映というか壁面に映し出された事です。
一瞬、芝居の演出なのかと思ってしまいました。
せめて、「これから、劇団のCMを上映刺せていただきます。」とか言ってよー。
さて。
舞台は、6畳ほどの和室のみで進行します。
小劇団らしく、皆それなりに芸達者。
題材はタイトル通り、「ロマンス」というか、恋愛です。
死んでも死に切れない男と、新しく生きなおそうと決心した女と。そして、彼女が死んだ恋人の事を忘れられない事を知りつつも受け入れて行こうとする新しい恋人。
そんな切ない感情が交錯する舞台でした。
余り冗長になる事もなく、面白くコンパクトにまとまった舞台でした。

 

燃えよ剣
2004年5月22日 明治座
 
土方歳三:上川隆也
近藤勇:風間杜夫
お雪:富田靖子
山並敬助:羽場裕一
沖田総司:葛山信吾


司馬先生の名作の舞台化でございまする。
大河のせいもあって何かと話題の新撰組。
上川さんの舞台を見るのは初めてで、それも楽しみでした。
でもって。
うん・・・
これは慣れの問題だと思うのだけれども、どうも色々色々馴染めませんでしたー(><)
新派っていうんでしょうか?
あの「見得」みたいのを切るのも、決めシーンみたいのがあってそれにいちいち客席から拍手があるのも。
多分・・これはきっとミュージカルにおける歌の後の拍手みたいなもんなんだ。と、途中で納得致しましたが。
慣れないものって、見るの辛いですね・・うう。
あと、近藤さんがまるでバカみたいなのもどうなのかと思いましたし、せっかく出てきた七里研之介の意味、まったく無しな演出もどうなのかと。
あそこまで、七里の件を引っ張り彼が土方にこだわるような本にするならば、前段での七里をもう少しちゃんと描いて欲しかったです。
ご神木の件とかも。
あれじゃ、いつ七里が出てきたのか全然判らないまま流されて、舞台を見ていても「誰だっけ、この人」な感じでした。
いっそ、彼の存在は描かなくても良かったんでは・・?
上川さんも上手だったんですけど。
一緒に行った友達と「なんか、初めて見る上川さんの舞台がこれでいいのかなぁ・・?」と言い合っていました。
先に見に行っていた母に聞いたら、母の感想もそうだったらしいっす。
どうにも全体が浪花節すぎて、ちょっと着いていけませなんだ。スミマセン。
いや、明治座でやる舞台ってこういうものなんだな、きっと。
そう判ってみていれば、それなりに楽しかったんだと思うんだけれども。
他の芝居で見たら、面白かったのかも。
新撰組には、あまりにも個人的な思い入れが強すぎて色々と受け入れられない事がありすぎな芝居でした。
はぁー。
でも、明治座の外観とか浜町とか水天宮までの道とか、なんかちょっと久々に江戸情緒を楽しみました。
こういう風に「芝居」ってものを楽しみにして、お弁当買ったり、中の食堂でご飯食べたりして、桟敷みたいな所で見て・・っていうのも、それを楽しみにするならいいかな?と、思いました。
なので、帰りには柳屋のタイヤキに行列してみました。

 

思い出の夏」
2004年5月21日中野 劇場MOMO
 
関根真一プロデュースDOUBLEFACEVol.2

フライングステージの関根さんが、青山吉良さんと組んだ二人芝居。
なんと吉良さんは65歳のゲイを演じます。
そこへ、ホームヘルパーとして所謂「おばさん」がやってきます。
この二人の掛け合いでお話が進みます。
「ゲイ」は過去の、まだ今ほどゲイが世間に認知されていなかった頃の過去を思い出します。
「ゲイ」は「おばさん」が日常に侵入してくる事によって、徐々に過去と向き合わなければならなくなるのです。
そして、自分を捨てて去っていった母親。
美しく、たまにしか会えないけれど、本当に好きだった母親。
美空ひばりの歌が、ひどく印象的に使われています。
もう年を取った、老齢にさえ差し掛かった男が、母親の幻影に涙するシーンでは本当に子供のような表情に見えて泣けました。
そして、当初口うるさくある意味自分の都合しか考えない正真正銘の「おばさん」にも、本当はこの「ゲイ」のところへやってきた事情がある事が最後にわかります。
親子だから、受け入れがたかった事。
親子だから、判って欲しかった事。
そして、親子だから、許せる事。
悔やんでも、時間は戻らない。
でも、やはり人は許されていくんだと思います。
そして、親子って業の深いものだなあと思いました。
こうやって、関根さんも中年に差し掛かり(失礼!)段々と本や芝居の幅が広がっていくのっていいな、と思いました。

 

四季U
2004年3月21日 於中野ザ・ポケット
 
劇団フライングステージ


昨年の秋公演に行きそびれたので、久しぶりなフライングステージでした。
初めての劇場。
段差がかなりあったので、どこに座っても板が良く見えましたし、なんと言っても桟敷がないのがありがたいです。
まぁ、あれはあれで良いんだけれども。
以前にここでもご紹介した「フォーシーズン・四季」の続編だそうです。
「続編」というものは、初めてなような気がします。
もちろん、前作を知らなくても充分楽しめます。
私にとって、この舞台と「ひまわり」はフライングステージの芝居の中でもかなり身近に感じる作品です。
それは、「ゲイ」である彼らを取り巻く人々が出てくるから・・と思います。
前作の「フォーシーズン」にはもちろんゲイである人々しか出てきませんでした。
それでも、「保護者」の立場であるゲイや妻と子があるゲイが出てきましたし、一人で生きている私にとっても他人事ではない「住い」という問題を絡めたお話でどこか身近な話だったのです。
今回は、彼らの暮らすアパートに異変が起きています。
同じ敷地内に建てたアパートには、ノンケの人々が暮らしているのです。
やっぱり彼らにはゲイだと言う事を知られたくないという意見の人、どうしてノンケを住まわせるのかと反感を持つもの。
一緒に暮らす、近所に住む、という事によって引き起こされる様々な面倒事。
少し面倒くさい、でも温かい事。
決して、「一人」になってはいけない。と言われたような気がした舞台でした。
そして、もうひとつ。
これはもしかしたら脚本が言いたかった事とは違うのかもしれないけれど。
それは、「イマドキ」のゲイの男の子が巻き起こす騒動です。
彼は所謂「売り」をやります。
それも、ひどく曖昧な気持ちのまま。(軽い気持ちでと言った方がいいのかもしれませんが。)
劇中では「大人」であるヒロキがそれに気付き、彼を諭します。
過去に、ヒロキも「売り」をした事があったという事実が後に明らかになるのですが。
それが原因で過去にパートナーであったシゲオちゃんと別れたらしいという事も。
今も、回りには「付き合ってるんだろう?」と言われながら、決してそういう関係にはならない二人の理由を私はここに見たような気がしました。
私はいつも「未来への責任」という事について考えます。
いつか自分が出会うパートナーの為、子供の為。
飯島愛氏の「プラトニックセックス」が話題になった時、私がいつも納得できなかったのは渋谷あたりの高校生達が彼女の事を「カッコイイ」と言っていたことでした。
今の彼女は確かにカッコいいかもしれない。
けれど、小説に出てきた「彼女」は決してカッコよくない。
結局、彼女は未来に出会うかもしれない本当に彼女を愛してくれる人を既に過去で裏切っている。
愛氏はそれを判っているからこそカッコいいのであって、決して遊びまわっていた彼女がカッコいいわけではない。
話が逸れました。
そんなワケで、イマドキゲイ理彦の行動を「止めろ」とまでは言えなくてもさりげなくおせっかいするヒロキはすごくカッコいい大人だと思いました。
終盤、アパートを取り巻く環境が色々に変化し、ゲイの人達が越していき、管理人のヒロキさえ去ったアパートに理彦が残り、そしてノンケの住人たちがその象徴の木を見上げる。
このラスト、すごく印象的でした。

 

ハムレット」
2003年12月6日 於シアターコークーン
 
ハムレット:藤原竜也
オフィーリア:鈴木杏
レアティーズ:井上芳雄
クローディアス:西岡徳馬
ガートルード:高橋恵子
フォーティンブラス:小栗旬
ホレイシオ:高橋洋


井上君が出るとの事で、ずっと楽しみにしていました。
話題の主役は藤原君。彼の舞台を見るのは「オイル」がはじめてでしたが、こんな間近で見るのは初めてです。
そして、ストレートに「ハムレット」を見るのも初めて。
今回のハムレットは出演者のいずれも原作の年齢に近いのが、魅力だと思います。
しかしながら、製作者側にとっては「冒険」だったのかもしれません。
シアターコクーンとは思えないほど会場が変わっていました。
いつもの舞台がほぼ半分に。
そして、舞台残り半分とその裏と思われる部分が客席に。
雰囲気としては真ん中に舞台があり、客席がそれを囲む感じです。
当初、その舞台の回りはフェンスで覆われていて、なんとなくNYあたりのバスケットコートみたいでした。
そのフェンスのドアを開け閉めしながら、役者が出入りします。
客席にも下りて来たり、走りまわったり。
衣装も毛糸で織られていたりする重そうなもので、汗が皆すごかったです。
私は舞台の裏側にあたる前から3列目の真ん中あたりに居たので、舞台と客席を自由に行き来する役者の様をすごく感じることが出来ました。
と、いうか。
この舞台は「舞台」「客席」という境目がないように感じました。
ここにいる私たち全てが「目撃者」であり「立会い人」。
最後の最後に観客に語りかけるシェークスピアの舞台は、こういう劇場の作りでもって納得できるような。
それにしても。
膨大な台詞の数々。
ハムレットはシェークスピア劇の中でも、台詞量が半端じゃないそうですね。
その洪水のような言葉たちを台詞として覚えてしゃべるだけでも大変ですが、ただその言葉の洪水を客に浴びせるだけではもちろん駄目で。
台詞として、人の心に届かなければいけない。
ただただ膨大な言葉を浴びせる芝居もない事はないです。
こんなに言葉だらけの舞台、私自身が大丈夫だろうかという不安があったのですが、ものすごく台詞の一つ一つが心に響いてきました。
「弱き者、汝の名は女」「尼寺へ行け!」「ホレイシオ、哲学と言うものは・・」
綺羅星のような台詞の数々。
シェークスピア劇を、他にもいっぱい見たくなりました。
しかし、今回主要人物4名のポスターは・・確かにフォーティンプラスは幕引きをするべき重要な人物ですが・・小栗君をあそこまでポスターにでかでか出す必要性って。
ま、いいんだけど。
井上君は頑張っていたと思います。
ストレートプレイも一応経験済みの彼ですが、今回は色々としごかれたんじゃないでしょうか?
蜷川さんに「台詞が歌ってる!」っていつも怒られたそうです。
それから、杏ちゃんは舞台より映像の方が、演技者として良いような気がしました。
藤原君はさすがの貫禄で。
そんな彼でもこの若さでハムレットを演じるという事に関しては本当に苦しんだようですが、素晴らしい演技でした。
あと、個人的にはホレイシオ役の高橋氏がすごく良かったです。
初めて知った俳優さんですが、蜷川組なんですね。
今度彼の出る別の舞台も見てみてみたいです。

 

ジャングル・KISS」
2003年11月27日 於池袋芸術劇場小ホール
 
春風堂


初めて見に行きました。
ていうか、チケットが回りまわってここまで来たという感じで。余っていた一枚を当日券を買おうとしていた男の子にあげました。
面白い舞台でした。
設定が80年代という事で携帯もメールもない・・千葉の片田舎の工場団地で工場での親の立場関係が子供達にも持ちこまれるようなそんな生活。
それでも、千葉という「田舎」でツッパリ(爆)な高校生たちは毎日喧嘩して恋してそれなりに大変で。
親たちは親たちでリストラやら左遷やらで大変で。
主役(?)の高校生をやった子がやけに元気で、古いタイプの硬派なツッパリのくせにヘタレで、でも仲間を放って置けなくて・・な子を演じていてひどく魅力的でした。
流れるテーマ曲は「気志団」。そして、舞台上を走りまわり殴り合いの喧嘩して。
最後の最後までスピードに乗った芝居で、巻き添えで一緒に見に行く羽目になった母親も大笑い。帰る時出ていた子に声まで掛けていました。

 

風間杜夫一人芝居三部作
2003年10月27日 於紀伊国屋ホール
 

チケットが急遽回ってきたので、行ってまいりました。
演目は「カラオケマン」「旅の空」「一人」。
一人芝居って、観てる方も辛いんだよなー。集中力もたないし・・などと文句を言いつつ出かけたのですが。
存外(?)面白かったですー。
私の知識内の一人芝居は、何もない所で一人で膨大な台詞と格闘する・・みたいなイメージだったんですが。
セットも場面転換もちゃんとあって、ただ出演者が風間杜夫演じる男一人なだけ。
歌は歌うし、笑いもいっぱいあって飽きずに楽しめました。
それぞれ独立したお話だと思って見ていたのですが、実は登場人物の「男」は同一人物で、お話は繋がっていました。
何というか一言でいえば「芸達者」。
さすがに見せます。
芝居のツボも心得てるし、一人なのにちゃんと相手が居るように見えるし。
奇抜さや、新鮮味には欠けたかもしれないけど手堅く見せた舞台でした。
そうそう。
前に紀伊国屋に井上ひさしの舞台を見に来た時もそうだったんですが、今回もごっつい
役者さんたちが見にいらしてました。
誰が、と言われると名前を挙げられない位いわゆる劇団系の人たちです。
テレビをつければいつでも誰か何かしらに出ているような、脇で渋い演技をする役者さんたち。
休憩時間の喫煙所は、まるでドラマのようでした。
や、華のある人たちはいなかったんですけどね。(失礼極まりなし)

 

異国の丘」
2003年9月20日 於四季劇場・秋
 
前回の公演で話題になっていたので、一度行って見たいと思っていました。
実在の近衛文隆(近衛文麿の長男)をモデルにしている事とか、
シベリア抑留をストーリーの重点においている事とかは一応した知識としてありました。
まずは。
この舞台を上演したことそのもの、に賞賛を送りたいと思います。
戦後の長かった冷戦のせいで、シベリア抑留のことは案外知られていない。
日本人もそうだけれど、世界にあまり知られていない。
それを掘り起こし、実在のプリンスにスポットを当て、ロマンスやスパイや密使など舞台としてエンターテイメント要素を取り入れてあり、ある年代以上の人々には実際に見聞きした出来事や、実在の人々が出てくるので話に現実味もある。
メロディも美しく、なによりシベリアの風景や労働の厳しさ、理不尽さ、望郷の想いを訴えかけてくる舞台構成は素晴らしかったと思います。
主題のメロディ『明日への祈り』は、胸を打つ男声合唱です。

で。
私が何が不満なのかと言うと。
これは『ミュージカル』なのだ。という事です。
実際、「四季」のオリジナルミュージカルを見るのは今回が初めてで、今まで見たのは脚本は海外のものであったりしたので、「四季」のオリジナルミュージカルというものがどういうものなのかわからないのですが。
私としては「異国の丘」は半ミュージカルとでもいうべき作品でした。
色々な表現方法があります。
小説、歌、芝居、音楽、映画・・その中で、「ミュージカル」という表現方法を選択した以上、ちゃんとミュージカルでなければならなかったはずです。
いくら、歴史的な背景があると言っても、言葉(台詞)による説明が多すぎます。
何故、歌ではいけないのか?
何故、音楽ではいけないのか?
そもそも説明が多すぎることにもげんなり来ましたが、歴史的な背景を若い人にも理解してもらおうという意図と見て、これは100歩譲ります。(お前は何様だ。)
そして、いわゆる狂言回し(語り手)として登場する「吉田正」(実在の人物で「異国の丘」の作曲者)が、まるで学芸会のナレーターのように、袖から登場して一席ぶって(と、私には聞こえた・・特に最後)また、袖に引っ込んでいくのは、何故だ!!
これだけが、終始私を苛々させました。
何故、彼が歌ってはいけないのでしょうか?
何故彼がまるで学芸会の・・(以下略)のように、しゃべるだけしゃべって、袖に引っ込む必要があるのでしょう?
しゃべったとしても、そのまま舞台上の登場人物の一員として舞台に加わればそれで良かったのではないのでしょうか?
せっかく題材もよく、感動的な舞台なのに、どうしても納得出来ない部分でした。
そして、もう一つ。
宋愛玲役の佐渡寧子さん。
ものすごく歌が上手いんです。
はっきり言って、上手すぎなんですよ・・・。
一人だけ、明らかに歌い方が違う。ミュージカルの歌い方じゃない・・
本式の、歌曲の歌い方なんです。腹から声が出すぎ。
彼女一人の時はいいです。「哀しみの祖国」なんかは本当に良かったです。後、抑えた歌い方の時も。
けれど、一旦ソプラノに声を張り上げると、腹からどーんっと鼓膜を震わせるような声が出て、逆に聞いてる方もつらい・・。
歌が『上手い』というだけで訴えかけてくるものもないし、彼女は何よりミュージカルの歌唱に一番重要なハーモニーというものをぶち壊しにしました。
石井さんとのデュオは聴きづらい事この上なかったです。
しかも、演技も下手でしたー・・。
石井さんも「貴公子」というよりは、年食ってからの方がイイ味出ていて、「ああ・・石井さんも年とったんだね。」って、感じでしたが。
歌は、なんだか喉の調子が悪かったのか、あの甘い美声が今ひとつの出来でこれも不満の一つ。
ああ、もうスミマセン。本当に題材が良かっただけに、不満が我慢できないんです・・。
最後が説教くさいのも嫌でした。
伝えたいことは判ります。けれど、伝えたいという想いが余りにも前面に出すぎ、その伝え方がストレートであればあるほど、人は引くんです・・。
少なくとも、私は。
ここだって、他の表現方法は選べたはずです。
ああ、本当に本当にもったいない。

でも、冒頭にも書きましたが、こういった題材を「ミュージカル」という若い人々も訪れやすい表現方法で上演したことに対して、本当に賞賛とそしてお礼を言いたい気持ちです。
終演後、隣に座っていたおばあさんが、眼鏡を外して泣いていたのが心に残りました。

 

nocturne−月下の歩行者−」
2003年9月13日 於新国立劇場中劇場
 
維新派


『前衛劇団』って事で、実際どうしようかなぁ〜・・と、悩みました。
もしかしたら、ご存知の方が多いのかもしれませんが、私は初めてこの劇団の存在を知ったので一応、ご説明。
「維新派」というのは大阪を中心に活動する前衛劇団で、1970年に松本雄吉によって設立。主に野外で活動を行い、映画のような巨大セットを組み上げ、公演後は釘1本残さず立ち去るそう。
今回は東京で初の屋内劇となる。
・・と、いうわけで。
私にとって「前衛演劇」というのはこう・・・裸体に白塗りだったりして意味不明に叫んだりのたうったりして、奇妙なダンスを踊ったりする・・・なモノなので、今ひとつ苦手なのです。
だもんで、誘われた時も「どうしようかな〜〜〜・・」と、かなり真剣に悩みました。でもまぁ、食わず嫌いは良くない!と、出かける事に。
ロビーに置いてある写真を見ると、「あああーーーっやっぱり白塗りだーっ(T T)」。寝たらごめん。マジでごめん・・な気持ちでした。
そして始まり・・最初、顔に白く化粧を施した役者が次々出てきて、さらにセリフとはとても思えない意味不明の言葉の羅列(もちろん、韻を踏んでいたり、音の高さとかに不思議な魅力を感じたけれど)が続いた時には、もう、ホントにどうしようかと心から思いました。
このまま最後まで続くのか・・自分、耐えられるだろうか・・と。
ところが。
相変わらず韻を踏んだ歌のような、言葉の羅列は続くものの、ちゃんとしたセリフもあり、舞台の進行と共にちゃんと判ってきました。ちょっとリズムがケチャみたいです。
そして、秀逸なのはそのセットと照明!!!
中劇場の奥行きと回り舞台を生かし、常に、まさに上演中ずっと止まることなくセットが動き続けるのです。
舞台上にセッティングされた水溜り、遠い空の彼方から月光が差し込むような照明。
東京の地下、地方の寒村、中国の大地、上海を思わせる街の喧騒。
それらが、回り灯篭のようにどんどん場面転換しながら巡って行きます。
セットも背後の人間たちも常に動きつづけ、いつのまにかその不思議な世界に惹き込まれていきました。
ちょっと不満だったのは「老人」がちっとも老人ぽく見えなかった事かなぁ。動きが老人ではなく、登場人物が入り乱れて舞台上に登場すると、「どれが老人だ?」と探す羽目になり、人違いしたり。
もう少し、体や歩き方で老人を感じさせてほしかったです。
それ以外では、本当に食わず嫌いしなくて良かったなぁと、思います。過去の舞台の写真などを見る限り、野外での巨大セット(街を作るくらいの勢いですよー)での芝居も見てみたいです。「少年街」とか凄そうでした。

 

スウィングバイ」
2003年9月7日 於池袋小劇場
 
acting-unit WildBell


フライングステージの野口君がプロデュースする舞台だというので、池袋まで出かけました。
会場で関根さんとまみ君と一緒になりました。(関根さんとは約束してたんだけども)
舞台は3人だけ、しかも密室の中で進みます。
月に向かう宇宙船、乗務員2名、アメリカ人と思われる男性と日本人と思われる男性、密航した女性。
この密航者によって、計画がどんどん崩れていくわけですが。
冒頭から、密航者である彼女が発見されてその後のドタバタまでは非常にテンポも良く、笑いもあって、舞台に集中していたんですが。
なんだか、後半から段々辛くなってきてしまいました・・。
なんで辛いんだろう・・と、色々考えてみたんですが(ていうか、芝居みている最中にそういう事考えちゃうというのも、すでに・・)、なんか、後半それぞれが語りまくる言葉に、「漢字」が多いんですよ〜。や、漢字が多いって感じるセリフが多いっていうか・・もしかしたらセリフの言い方のせいなのかなー。
言葉が頭に入ってこなくて、途中で「そうだ!これは目を瞑って聞いてみたら頭に入ってくるかも!」と思い、目を閉じてみたいしたんですが。
やっぱり・・よく入ってこないー。
それぞれが主張したいことを、猛烈に凄まじい量のせりふで語っていて、噛んだりつかえたりせずに、きちんと言えていたし、内容はそれぞれちゃんとしていたし、言いたい事もまぁ、判ったんだけども。
ちょっと後半部、1番芝居的にも盛りあがっていくところだったので残念でした。
あの前半のリズムの良さというか、調子の良さが後半も続けばもっといい芝居になったのじゃないかなぁと、思いました。
また、色んな取り組みをしていくんだと思うので、楽しみにしたいと思います。

 

シンデレラストーリー」
2003年8月23日 於青山劇場
 
大塚ちひろ
井上芳雄
池田成志
橋本さとし
川崎麻世
寿ひずる
デーモン小暮閣下 他


ヒロインは公募で新人。鴻上尚史脚本、斎藤由貴作詞。そして、なんと魔法使いはデーモン小暮閣下(ちなみに閣下まで名前)。
と、いう話題の舞台です。
大人も子供も楽しめるという降れこみでしたが、確かにその通り!
きらびやかな衣装や、開幕前にお城の人達が客席に王子を探しに来るとなど、子供が食いつきやすい導入部。(連れていった姪も、食いついていました。)そんなスタンダードな子供向けパントマイムのようでありながら、『シンデレラ』という突っ込みどころ満載のお話の謎に迫る?というストーリー展開。
・そもそも、シンデレラのパパは娘が苛められてるっていうのに、何してんだ?
・毎日下働きのシンデレラが、何故いきなりお城の舞踏会でワルツを踊れたのか?
・魔法が解けて、ドレスや馬車が元に戻ったのに、ガラスの靴がそのままだったのは何故だ!?
等など。
新人の大塚ちひろちゃんは、夏に昼の連ドラなどこなしたせいか、堂々と、そしてのびのびやっていました。井上君の王子様は超ハマリ役だし、ちひろちゃんの声を生かしてきちんと歌っていました。他もこなれた芸達者ばかり。閣下はミュージカル歌いから、唐突にロッカー歌いになったりして、その強弱で笑わせてくれました。
いきなり、閣下オンステージになって子供向けらしからぬ花火や火薬が爆発するのもご愛嬌。
「○回裏回って○ー○、果たして真紅の大優勝旗は安宅の関を越えるのか〜〜〜〜〜〜っちちんぷいぷい。」なんてアドリブもかましたりして(甲子園決勝戦の日でした。)、会場は大爆笑。
大人だけじゃなく、子供にもわかる突っ込みどころとしては
ディズニー版シンデレラで、ネズミがドレスを縫う手伝いをするのですが。
『ネズミに出来るか〜〜〜っ』
な、ギャグ。やればやるほどボロボロになって、雑巾に。
しかも、それを伝えたくてもシンデレラとまったく意志の疎通が計れない。
「ちゅーっハム太郎もいつもこんな気持ちなのか〜〜っ」
に、姪がウケていました。
そして。
大人向けというとおり、シンデレラが見つかって、メデタシメデタシではなく。身分違いだからお城に迎える事は出来ない・・と、王と王妃に頼まれたり。
大人な私は、王妃の説く「若い恋の思い出」は思い出だから美しい、逆にその思い出があるからこそ今を生きていける・・という論理もわかる気がします。
でもまぁ、そこはそれ。
お決まりのハッピーエンド、万事上手く事は収まってメデタシの大団円。
ダンスも歌も芸達者な人々がまさに魅せてくれて、終始楽しい舞台でした。

 

四季
2003年7月21日 於下北沢駅前劇場
 
劇団フライングステージ


久々のフライングステージでした。
昨年の秋以来のご無沙汰で、毎年恒例のgakugaykaiにも顔を出せませんでした。
誰に何を知らせたかもちょっと判らなくなっていたので、関根さんは年末の手術の一件を知らなかったらしく・・
皆さんにも、すっかりご心配かけてしまいました。
さて。
今回のお話は、一年を通してのお話です。
同じ場所(庭)を舞台に、一年が通り過ぎていく。
一年を通してのお話っていうのは、「陽気な幽霊」でもありましたが、こちらはタイトル通り「四季」を通じてのお話でした。
ゲイの人々ばかりが暮らしているアパートを巡る、物語です。
管理人さんの住んでいる母屋と、アパートの間にある中庭だけでお話が進行します。
私、現実問題として知らなかったんですが。
男同士で同居したいって言って部屋借りるのって、大変なんですかね?
そういう台詞があったもんで。
女の子同士って結構住んでるじゃないですか?
男同士って言うのは、嫌われちゃうのかなぁ?
ともかく。
自分自身にもどこか他人事ではない、これから先、どうやって暮らしていこうか?
誰と住もうか。という問題。
いつもフライングステージの舞台には、身につまされる問題がはらまれていて、面白おかしく見ながら考え込んでしまうのです。
思えば、私は何故か高校生の頃から「身を寄せ合う他人同士で暮らす」という事に対して憧憬があった気がします。
普通は、誰かと住むって言ったら結婚とかはたまた同棲とかを夢見る花のオトメな時代に、私は友人同士(男性も含んでいれば猶良し)で、適度な距離を保ちつつ暮らしていければいいなぁvなんて夢想していました。
その頃にドキュメンタリーだかドラマだかで、年を重ねた女性が寄り集まって家を購入し、一緒に住むとかいう番組があって、それもすごい興味津々で見た記憶が・・。
つくづく変な子でした。
さて。
今回フライングステージとして、多分初めてな内容がありました。(違ったらスミマセン)
それは、保護者の立場としてのゲイです。
今まで、「ゲイである自分」が中心で息子の目から描いた「親」は居ました。
でも、今度は「ゲイである自分」にとって庇護すべき対象である「ゲイである甥」が登場します。
これは、本当にびっくりでしたし、「ああ・・そういう年齢になってきたんだなー」と思いました。
そう・・これからはそういう事も出てくるよね。
例えば、子供に自分はゲイなんだってカミングアウトされる「親」の立場からの芝居、なんていうのもこれからの課題かもしれない。
この先ずっと見ていけば、色々に変化していく芝居を見られるかな。
ハッピーエンドが基本なF・ステージ。
幕切れは、まるでフランク・キャプラの映画みたいでした。大好きなんですー、キャプラ。
そして今回の舞台を見て、気づいたこと。
それは、私が何者になりたいのかって事。
フライングステージは「等身大のゲイ」をずっとテーマに取り組んでいます。
私が関根さんに出会ったのは、もうずいぶんと前の事だけど、初めて舞台を見た時はゲイの人たちが演じているとは知りませんでした。
演劇祭の何かの会場でお話した時に、初めてその事実を知ったのだったと思います。
それ以来フライングステージの人たちとはお付き合いをさせて頂いているのだけど・・何だろう。
友達だけど、例えばいわゆる「おこげ」という人たちとも違う・・
そして、気づきました。
多分、私はあのアパートの「隣人」になりたいのだ。と。
同じアパートに住んでいてもいいし、近所に住んでるのでもいい。
お隣さんとしてお付き合いして、回覧板回してたまにあの中庭で無駄話して。
「あなたの隣に居るゲイ」。
いつか当たり前のご近所さんになって、あなたの町内でもお祭りの寄付集めに行ったり、ゴミ出し当番回したりするような、そんな隣人になるといいなと思います。