二人でお茶を〜Tea for Two〜」
2005年3月21日 於中野・劇場MOMO 
 
亮平:森川佳紀
健人:関根信一


フライングステージの関根さんが昨年から取り組み始めた二人芝居のシリーズ「ダブルフェイス」の第二弾です。
あちらでは出来ない、年齢層が高め設定な(笑)人たちのお芝居が出来るのも魅力かもしれません。
前回は介護ボランティアと介護に来てもらっている人という設定でしたし。
今回の二人は、偶然知り合って偶然寝てしまった二人の15年間に渡る、ある一日のお話です。
場所は同じホテルの同じ部屋。
札幌で生活している健人(関根)と東京で妻子と暮らしている亮平(森川)が、毎年同じ日に一日だけ同じ部屋に泊り逢瀬を続ける。
そんなシュチュエーションの中で、それぞれの来し方、行き方が語られます。
始まりは1980年。
携帯もなくインターネットなんて想像もつかない時代。
そして、ポケベルや留守電が登場しやがて携帯電話へ。
健人の憧れだった先輩はエイズを患い、亮平は妻子と別れ。
途中、健人が東京に引っ越そうとしたり、逆に離婚した亮平が結婚してほしいと持ちかけたり。
健人の母親にカミングアウトしたりと様々な出来事が起こります。
それでも二人は1年に1度会う約束をたがえる事なく、時が過ぎていく。
2005年の札幌の部屋では、白髪の目立ち始めた亮平が、雪印パーラーで別れた息子と会うのに逡巡しているのを叱ったり励ましたり。
近くに、いつも側にはいなけれど支えあっている。
もう少し寄りかかりあっても良いのじゃないか。
そんな風に素直に思えるようになったある年齢を超えた男二人。
ゲイだからとかそんな事とは関係なく、「友情」としても在り得るお話かもしれないと思いつつも。
この二人が擬似かもしれないけれど熱はないかもしれないけど、それでも「恋愛感情」でもってどこかで結ばれているからこそ、こうして長く続いているのかもしれない。相手を放っておけないのかもしれない・・とも思いました。
人間と人間の間に流れる感情は不思議ですね。
関根さんは若い大学生(なんと学ラン姿!)から派遣会社の社長に収まるまでを演じきり、サービス(?)か、ドラッグクィーンのカッコも生着替えも見せてくれました。
そして何よりちゃんと北海道弁をしゃべっている!
これがまた上手くてねー。
一緒に行った母親がめちゃくちゃ褒めてました。(しばらく祖父母が北海道に住んでたので、母も学生時代は北海道に里帰りしていた)
森川さんもちょっと頼りない若いサラリーマンから中年の男までを演じ、どこか身勝手な男が徐々に健人に惹かれていく様が良く判りました。
一点だけ残念だったのは、タイトルになっているドリス・デイのこの曲を、もう少し作中で流してほしかったなぁ・・なんて。
大好きな曲なので。

せっかくフライングステージを離れるのだったら、こういう大人の舞台をまた見せてほしいです。
二人芝居だと、かつてやった「美女と野獣」とかまた見たいなーなんて思います。


ロミオとジュリエット
2004年12月21日 於日生劇場
 
ロミオ:藤原竜也
ジュリエット:鈴木杏
僧ロレンス:嵯川哲朗
キャピレット:壌晴彦
ジュリエットの乳母:梅沢昌代
マキューシオ:高橋洋
ティボルト:横田栄司


初めてまっとうに観たシェークスピア劇「ハムレット」の強烈な印象が忘れられず、今回も同じ蜷川さん演出、藤原君&杏ちゃん主演という事で出かけました。
職場が入ってる共済組合で買えるチケット・・いつも割合良い席なのに、今回は悪かった〜〜〜〜っ
確か手違いで日にちがずれたんだよね・・だからかな?
ハムレットの時と違って、舞台の役者さんたちが豆のようにしか見えなかったです。
それが残念・・。
こんな時こそ、オペラグラスが必要だったよ。(いつも持ってきても近すぎて使わないからと、持って行かなかった)
舞台は、半円に舞台を取り囲むように作られた壁一面に人の顔の写真が張り出されていて、3段に階段状に分かれています。
写真に映っている人々は、「愛に死んだ若い人々」だそうですが・・誰なのかよく判らなかったです。
あちらこちらに隠された扉や窓が開き、またハシゴや階段が付随しており、そこを使って上り下りが出来、段差を利用して、通路、町の回廊、はたまたジュリエットの寝室、地下墓地への入り口へと変化します。
そして口上から始まるまっとうなシェークスピア。
余りにも有名な恋愛悲劇で、様々なお話のモチーフにされているし、本当に今更な感じがするので、何をどう書いたらいいのか戸惑っているのですが・・。
なんというか・・終始『死』の影がつきまとっているような舞台でした。
大勢の死者たちに取り囲まれた舞台。
そのポートレイトは、照明が消えて薄明かりに照らし出されるとまるで骸骨のような白い輪郭だけが露になり、沢山のシャレコウベが舞台上を見つめているようでものすごく不気味でした。

前半部はそれでも明るいシーンが多いです。
愚連隊のように町で喧嘩を繰り返す若者たち。
わざわざ、争いごとをふっかける両家の者達。
恋愛の話をしたり、女の事を話したりして馬鹿笑いをしては町をいつまでもふらふらと歩き回る。
くだらない駄洒落に笑い、町行く老女をからかい、叶わない恋に悩む。
現代の若者にも通じるモノがあります。
ロミジュリでは、主役の二人の「疾走する愛」ばかりが注目を集めがちですが、こうした周囲を取り巻く若者たちの出口のない苛立ち感やヴェローナという町の夏の暑さ、閉塞感。
そういったものが良く描かれていて、それによって「男の子たちのくだらない日常」から、一足飛びに仲間たちの手の届かない所へ「恋」によって行ってしまったロミオとの対比がくっきりとしたように思いました。
ジュリエットと想いが通じ合っている事を確認して、身悶えるロミオ。
何度も何度もバルコニーに出てきては、ロミオと約束の確認をするジュリエット。
もう、嬉しくて嬉しくて、幸せで。
藤原君は、今まで見たことのないような「可愛い」ロミオでした。
マジで、足をばたばたさせてましたし!
杏ちゃんが愛らしいのは言うまでもなく。

信じられないような恋の奇跡。
運命の人に出会った。
恋をした。
その人も自分を愛していると言った。

これ以上の充足がどこにあるというのでしょう。
特に若く情熱的な二人にとっては。
この時点で、二人の世界は完結されてしまっている。
では・・・後は?
結婚して幸せに未来を生きていく・・・・か、もしくはここを頂点として迎える「死」しかない。
それが、比較的明るい一部の前半部を「死」の影で覆っていました。
あと、夏の設定だったのか町が終始明るく、光が強かったのも「死」をイメージさせました。
余りに暑いと人は外を歩かない。
光が強すぎると、全体的に白っぽく、死に絶えたような世界が広がる。
スペインなどの午後の人気のない街角を連想させ、そこにやる事もなく行く所もない若者たちがうろうろしている・・という印象でした。
マキューシオとティボルトの小競り合いから死に至る喧嘩騒ぎも、ハムレットの決闘とはまるで違い、出会い頭の刹那的なもののように映りました。
マキューシオ役の高橋さんは、東京公演だけの出演だそうですが、良かった・・東京公演に出てくれて。
「ハムレット」のホレイシオ役で初めて高橋さんを観た時に、ものすごく心ひかれる役者さんだなぁと思ったのです。
今回も主役の親友という立場でしたが、まったく印象の違う芝居をされていて驚きました。
すごいなー・・
今度、彼を目的に芝居を観に行きたい位です。
まだハムレットとロミジュリしか観ていないので、その範囲で言わせて貰うと。
藤原君演じる主役と、高橋さん演じる親友には何か独特の空気が流れていると思います。
例えば、「ハムレット」の墓堀職人をからかいながら談笑するシーン、そして今回の街角で駄洒落を言いながら他の友人達と文字通り笑い転げるシーン。
「親友」はいつも幸せそうです。
主役である「友」は、その胸の内に自分には知りえない、共感出来得ない何かを抱えている。
それでもホレイシオもマキューシオも彼の隣に居る事を許されているだけでも、幸せそうです。
ホレイシオはともかく、マキューシオには明確にロミオに対する「恋」のような気持ちを感じました。
キャピレット家がどうというのではなく、ティボルトがどうというのでもなく。
ロミオがティボルトと和解しようとしているのが、どんな嘲りも甘んじて受けようとし争わずにいようという姿勢に腹をたてたようにしか見えませんでした。
「どうして、俺を止めた・・っ」
といううなり声のような呟きは、それによって自分の命が消えていこうとする事よりも、親友であり、愛していたロミオに対して『何故だ!』という気持ちの方が大きかったような気がします。

そして、敬愛する従兄の死と愛する夫ロミオの追放を知ったジュリエットは、ここからが見せ場でした。
オフィーリアのように心を壊すのではなく、まさに「愛の成就」に向かってまっしぐらに突き進みます。
正直、「ハムレット」の時は、杏ちゃんって舞台はどうなのかなぁ・・?と少し思いました。
この子は映像作品の方が向いてるんじゃないだろうか、と。
しかし、成長したわー。
なんて偉そうに何ですが・・すごい舞台人になっていました。
台詞の言い方、発声の仕方。
なんというか、舞台に必要な「技術」をマスターした上での演技になっていてすごい良かった。
一部での皆に愛される、可愛い幼いジュリエットから「恋」を知りそして死や別れを知り、大人の女性への入り口を叩くジュリエットへ。
その成長はロミオと同じで、本当に一足飛びです。
二人は、仲間も家族も、そして大人たちの手の届かない所へ行ってしまった。
どんな思惑も策もしがらみも関係のない、二人だけの完結した世界。
二人の短く疾走する愛は、色々な解釈があると思います。
若さゆえの暴走、無鉄砲、大人たちに引き裂かれた恋、無知ゆえの悲劇。
今回の舞台では、若さの輝きの裏にある死の影や完成した幸せの果てにある何も必要としない世界・・などを感じました。


しかし、シェークスピアは難しいですね。
いえ、決して難解という意味ではなくて・・演出や出演者によって様々に変わるという意味で。
面白いです、本当に。