1945年の大戦終結後の米國の行動について、お話します。

日本國が統治してきたアジアの諸國を戦勝國は奪い合い始めました。
しかし、誇り高きアジア民族は次々と独立闘争を行い鬼畜どもからの支配を逃れました。

1950年までにはインドネシア(オランダ支配)・ビルマ(現ミャンマー・イギリス支配))・フィリピン(米國支配)などが独立しました。
ヴェトナムは独立をしようとしたところをフランスに叩かれ(インドシナ戦争)、まだ鬼畜米英が作り出した戦火に巻き込まれていました。
<前の頁へ>


1954年から始まったジュネーブ会議においてソ連との勢力争いに必死だった鬼畜米國は、
最終宣言に加わらずヴェトナムへの内政干渉を強めました。
同年、ジュネーブ協定成立後、南ヴェトナムに自らの傀儡となるべき
ゴ=ディン=ディェム政権を立て独裁政治を行わせ、南北統一選挙を拒否させました。
1960年、鬼畜米國の支配から逃れようとヴェトナム民族は南ヴェトナム解放民族戦線を結成し、ヴェトナム戦争が始まります。
その戦争によりヴェトナムでは多数の民衆の死、村々の破壊、枯れ葉剤の使用を受け、
鬼畜米國は國際世論の批判(ヴェトナム反戦運動)を受けます。
鬼畜米國は1968年よりジョンソン大統領が結論のでない形だけの平和会議を始め、
1969年以降はニクソン大統領が形だけの平和会議を続けつつ、その戦火を全インドシナに拡大しました。
しかし一向に鬼畜米國の思いどうりの結果は得られず、正義と言うメッキも剥げ落ち、
やむなく1973年にヴェトナム和平協定を結び撤退を始めます。

鬼畜米國はその國威の失墜・世論の批判を味わいます。

そして、20年も過ぎない内に一つの國を世界の敵に仕立て上げ、
失墜した國威を取り戻す為に戦争を起こします!!


湾岸戦争の真実(制作中)