ギャラリーEM西麻布
同じ
はこだて工芸舎 今回はこだて工芸舎での写真展は、現在ベルリンの森鴎外記念館(フンボルト大学の運営)で開催中の写真展と同じ写真になります。森鷗外記念館での写真展のきっかけは、五年前にベルリンで開いた写真展『Between the light’s』を見た森鴎外記念館の館長が、記念館の展示室で森鴎外のベルリンでのゆかりの場所をBetween the light’s(黄昏時の写真)で展示したいとの要望で開催する事になり、撮影場所を館長の案内により回りました。そして鴎外が散歩した公園、住んでいたアパートなどを教えて頂き、600×900㎜のインクジェットプリントを制作し展示している。
今回はこだて工芸舎で同じ写真を展示する事は、「明治時代に生きた偉大な先人を感じる事が出来る。」と言うのも、はこだて工芸舎の建物を建てたのは、梅津福次郎で有る。梅津福次郎は1858年安政5年に常陸太田に生まれで、それは森鴎外の誕生の四年前でほぼ同じ時代を生きていた。二人とも22歳で梅津は函館へ、鴎外はドイツへ旅だった。函館に着いた梅津は「人に容易に真似の出来ない事をして、体の続く限り精魂を傾け、働けるだけ働く。」と言い函館の三度の大火に遭いながらも、商いで成功を納め、函館東高校の土地を寄付をしたり、出身地の常陸太田に多くの寄付を寄せた。森鴎外は明治15年秋に函館に軍医として来て、五稜郭や谷地頭温泉などを回っている。もしかすると十字街で腰にサーベルを下げた鴎外と梅津がすれ違っていたかも知れない。そんな事を考え、その時代を想像しながらベルリンの写真を元梅津商店で見て頂ければ幸いです。
森鴎外記念館(HUMBOLDT-UNIVERSITAT ZU BERLIN)
森鴎外記念館館長 Beate Wonde * Mori-Ogai-Gedenkstaette
Humboldt Universitaet zu Berlin
松田敏美氏の写真について
2015年4月1日から9月30日までベルリン森鷗外記念館では松田敏美氏による写真展“Between the lights“を開催しております。 写真展では既に公表されている松田氏の世界の各地で撮影された小型の写真に加えて、森鴎外と彼の分身である太田豊太郎にまつわるベルリンの各地を舞台とした大型写真も公開されています。
松田氏の写真を観る者は、彼の写真の持つ雰囲気をまずはゆっくりと感じとらなくてはなりません、というのもこの雰囲気はしばらく鑑賞をしてからやっと深く湧き出て来るからです。観る者は、写真上には存在していない人間の役割を自ら引き受け、自然とその風景の主人公となるのです。観る者の想像力によって、写真における人間の不在は生命をもって補われ、このとても控えめな、しかしよく構成された写真の雰囲気の中に、自らの、独自の物語を見つけることができるのです。松田氏が、いまにも東京から離陸する飛行機を見せるとき、またはセント・アンドルーズの駐車禁止の看板や、スコットランドの無人の公衆電話機、ロンドンの雪の積もったテニス場、もしくはニューヨークの街灯を見せるとき、そこに何があり、どうなったのでしょう。私たちはそこに何の記憶を見いだすのでしょうか。
黄昏時という中間的な段階、つまりこの短い、自然の光の明滅と、人工の灯りの点灯とが重なりあっている瞬間は、常にどこかセンチメンタルなものです。またそれは、人の不安をあおるものでもありますが、それはしばし松田氏の写真が冬に撮影されていることとも関係があるのかもしれません。その場所にあったはずのものは、しばしば認識できなくなり、いずれ消えてしまいます。そこに照らされる人工の灯りはしかし、部分的にしか道を照らしてはくれません、が、それはいったいどこへ続く道なのでしょう。松田氏の写真は謙虚で慎み深く、そして絶対的な解釈というものを持ち出しません。なぜなら、答えは、彼の写真の見せる静寂とそして細かなディティールの中に私たち一人一人が見つけるものだからです。彼が寂しい公園のベンチを撮影する時、私たちはこの目まぐるしい世界からの瞑想的な一休みへと招かれているのです。
松田氏は世界中を旅しておりますが、彼の撮る写真は典型的な観光写真や、まばゆい日の出の図などとは異なっております。いつでもどこでも、松田氏は往々にしてぼやけて、滲みのかかったモノクロ写真によって、既に長い間、もしくは今さっき「過ぎ去ってしまったもの」、そして不確かな、ぼやけた輪郭しか確認することのできない「これから」、という瞬間を収めます。そこにはミニマリズムの美学があります。と同時にまた、不確実な瞬間というのは私たちをそわそわさせるものでもあります。この瞬間は世界のどこにでもあるもので、この瞬間のこの雰囲気だけは普遍的で確実なものです。それもあり、松田氏の写真は、キャプション無しではどこで撮影されたかはっきりと識別することがむずかしい風景を写しています。ベルリンで行われた写真展のオープニングでは、雪に覆われたフォルクスワーゲンの小型車が、予想に反して、東京は港区で撮影されたものだと聞かされ、驚いた人も多いのではないのでしょうか。
ベルリンの水たまりを写した写真に、灯りにともされた夕方の家々が反射されているのをみると、『鏡の破片に映し出される世界』という慣用句を思い出します。しかしそれは、もしくは道端の取るに足らない水たまりにたまたま姿を現わした遠い日の記憶なのかもしれません。もう今は存在することのないベルリンの、そして今日においてもそうですが、鴎外の時代においてとくに、人工の灯りが暗闇の中に一筋の安心と、暖かさを約束していた時代の記憶、を写すものなのかもしれません。 |