台湾周遊旅行その3「台南」
Last update 2002/01/29

高雄発
高雄駅から台南へ。
急行を利用して一時間。

日本統治時代の建物である、高雄駅。
古いモノが残って、現役で使っている。
なかなか良いことだと思います。
別の隣の国は総督府をぶちこわしてしまいましたがね。
隣の人は現地の人。
ぱっとみ、日本とファッションが変わらない。
実は気温25〜7度。
シャツ一枚で充分なほどですが、現地の方は平気でコートを着てマフラーをしています。 信じられない!

台南駅には9時ちょい過ぎに付きました。
ホテルにチェックイン。
実際は荷物だけ預かってもらおうとしたのですが。
チェックインさせてもらいました。
えらい親切。
でも日本語はちょっと不便。

台南では、連れがいきたいところについて行く。
そういう予定でした。
でも、まずは腹ごしらえを。
朝食は、ガイドブックお勧めの饅頭屋。
細い路地を入って、お寺を見かけたその前にその店はあります。

ガイドブックがなければ、絶対に行かなかったな。そんな感想があります。
饅頭屋よりも、側にある古いお寺に興味があったり…。
きっと、門前市だったんでしょうなあ。営業が朝だけ。ちょっと遅めに着いたため、饅頭は冷えていましたが。 そこそこ美味しかったです。 色々具だくさんなんですが、玉子の黄身が丸ごと入っていたのにはびっくり。

まずは、第一の目的地である孔子廟へ。

孔子廟
台南孔子廟の原名は、「先師聖廟」。
明朝末期1655年に建てられたました。
明倫台という講学の為の建物があり、台湾最初の学校だと言っても良いでしょう。

以上、府城尋古(台南市政府作成のパンフ)より。

でもその前にご飯。
虱目魚(サバヒー)です。

肝、50元。
皮、40元。
などなど、7種類。魚を食べ尽くします。
右は、全部入れた総合湯、80元。
それと魯肉飯、15元。
初めての挑戦でしたが。
なかなか美味しかったです。


 臺南虱目魚粥の倶樂部 / 虱目魚を中心としたB級グルメのHP。

で、肝心の孔子廟。
広いなか、木が繁り、涼しげな雰囲気。
時期が時期だから、快適だけど。
真夏だったら、炙られると感じるかもしれない。
平日のためか、人が少なく寂しげな雰囲気。

孔子廟を含め、台南の史跡には、IKE(もしかしたらCIKE?)というスタッフが常駐しているようです。 ボランティアでしょうか。
観光客に、案内をしています。
残念なことに日本語で解説される方はおられないようです。
でも、このロゴ。
NIKEのぱちもんかと思った。

安平城
鄭成功、国姓爺合戦で名前だけは聞いたことがある人は多いでしょう。
知らなければwebでちょいっと調べてみましょ。
詳細が知りたい方はメールにて大量のテキストを送ります(日本語)。
で、先ほどのパンフに寄れば。
1624年オランダ人がゼーランジヤ城を構築。
1634年に完成。
明朝末期の鄭氏一族の時代、鄭成功がこの城に居城したことから王城とも、安平城、あるいは台湾城とも呼ばれる。
ガジュマルの老木が繁る古蹟は、台湾300年の歴史の見証者である。


まあ、五稜郭ではなく四稜郭です。
日本国内の城跡と比較しては、いささか物足りないかもしれません。
この前、熊本城に行っていたために、比較してしまいました。

四稜郭ってのは、城の構造から。
まあ、ほとんどモノが残っていないので。
普通の公園と言えば、公園です。
新婚さんの撮影ポイントになっていますな。

観光地故、門前市があります。
ここでは、いろいろと食べられます。
牡蠣オムレツとエビの揚げ物が名物。

全然違う店でそれぞれ頼んで食べたのが、牡蠣オムレツ、40元。
蝦の揚げ物、40元。
牡蠣のオムレツは昨晩の屋台でも食べたけど。こっちの方が美味しかった。
特に、チリソースが付いているのがポイント高し!で、赤い甘いソース。グレナデンシロップかなあ…。
エビの揚げ物は、まあまあです。
味見だけではなく、もっと食べるべきでしょうが、後のことがあるのでさっぱりと。

この他、赤嵌楼(セッカンロウ)など、多数の史跡に行くも。
何も食べていないので割愛。
この時点で、足のまめがかなり痛い状況に。
ほんとーに、足裏マッサージをしておいて良かった。
疲労が少ないのだ。

台南の夜市
台南の名物といえば、棺材板を食べなければ行けない。
ということで、観光夜市へお出かけです。

棺材板って、食パンのなかにクリームシチューを入れて油で揚げたモノ。
パンがどっしりとして、シチューも滋味たっぷり。ナイフとフォーク(プラスティックだけど)で切りながら食べます。
冬の食べ物だそうです。
一緒に、スープを頼みました。
蛤のスープが絶品です。
棺材板、40元。
蛤子湯、40元 (たぶん)。

観光夜市、実に人が少なく閑散としていました。
しかし、廃墟となったデパートの向こうで現地の人の夜市があるらしいと仕入れた情報を頼りに行ってみました。
そこには…。
台北での夜市以上のにぎわいがあったのです。

この手のメリーゴーランドみたいのが、数カ所に設置。子供が楽しんでいました。
それ以外には、射的。
輪投げ。
食べ物屋もしっかりありました。
寿司の屋台が出ていたことにもびっくり。
江戸時代、寿司とはファーストフードでした。
その歴史を遡ったオリジンがあったのです。
…食べる気はしないけど。
しかし、廃墟の向こうにこんな喧噪があったとは、事前の調査が重要であることを実感しました。

この後、友人はネットでチャット。
私は、夜の街をうろうろ。
でもって、ホテルの側に屋台があったので、そこで夜食。
コンビニでビール。
ホテルに戻って、機内食以来のアルコールを摂取。
台湾の歴史に興味を持つべきだったと、後悔をしながら眠りにつきました。
ベットが小さくて、足が出ていたけど…。