2007年11月30日(金曜日)

 (23:54)「やや太っちょの国」(ドイツ)からいったん「総じて痩せの国」(日本)に戻り、そして今度は「本格的太っちょの国」(アメリカ)へ、という感じですかね。私のこのところの動きを端的に表現すると。

 ハハハ、成田で飛行機に乗り込む前から「こいつら太いな」という印象の人が大勢。横から見ても、後ろから見ても体全体がでかい上に、腹回りが丸いのが特徴(ははは、あまり他人のことは言えないのですが)。乗る前はただひたすら「隣にそういう人が来ないで欲しい」と願うのみでした。ところがラッキーなことに、成田からアトランタまではお隣不在。

 エアラインは実に久しぶりにデルタでした。90年代の半ばに一回乗ったきり。まあアトランタですから、日本の航空会社の便はないでしょうから。デルタには鮮烈な思い出があって、その時とっても太った客室乗務員さんが多かったのです。で、通路を通れないような人も居た。実はその時からです、「アメリカ人は太りすぎだ」と思ったのは。

 今回の乗務員さん達に対する最初の印象は、お年を召した方が多いな、というもの。でも中に、「昔はとってもおきれいだったのでは」という印象の人がいた。そう思っていたら、しばらくしてその人が「あんたの眼鏡のフレームはなかなかいい」とか言って話しかけてきたのです。しばらく今の日本ではこのタイプが多い、てな話しをしていた。

 そしたら、便に乗っていた日本人の乗務員さんがあとで話しに来てくれて、「実は彼女はもう65才で、実はホームデポの株を最初に買った方の方で、大金持ちなんですよ」と教えてくれた。「家にいてもしょうがない」ということで、60才を過ぎても客室乗務員を続けているという。

 この方の話によると、アメリカのエアラインではお年を召した方が多いのだという。デルタの最高高齢者の女性客室乗務員は72才で、最近ですがNBCテレビのニュースに登場した、というのです。他のエアラインでは74才という人もいるという。seniority system で年長者が守られるシステムがあることも関係しているらしい。

 その65才の彼女に関して日本人の乗務員さん(男性)曰く、「彼女が若い頃の写真は、凄いんですよ。デルタのマリリン・モンローって呼ばれていたらしいですよ」と。ははは、分かるような気がする方でした。「当時のスチワーデスは、本当に優秀なんですよ」と。そうでしょうね。でなければ60才を過ぎても働けはしない。

 アトランタを経由して到着したのは、ノースカロライナの州都であるRaleigh。日本ではローリーと表記するらしいのですが、アメリカ人の発音を聞いていると、全くそんなことはない。ラレーともラレイとも聞こえる。

 聞くと大学町だと。デュークとノースカロライナの二つの有名大学があるらしい。まだ着いたばかりで何も分かりませんが。一つ言えるのは、ドイツに比べると暖かいということ。日本よりも暖かいかも。首都ワシントンの南、フロリダの北にありますから。5日間ここに滞在します。


2007年11月30日(金曜日)

 (10:54)あっという間に次の出張が来てしまいました。今年6月以来のアメリカですが、様子はかなり違ってきていると思う。大統領選挙の行方にも関心を払いながら、もっぱらノースカロライナに腰を据えて取材です。

 大都市にも行きたいと思ったのですが、今回はなし。まあそれもいいかもしれない。


2007年11月28日(水曜日)

 (23:54)アブダビの政府系ファンドがシティに75億ドルの資金注入をしたことは昨日書きましたが、どうやら表面下ではいろいろな動きがあった上で、このアブダビからの資金調達に落ち着いたようです。今読んだウォール・ストリート・ジャーナルには、いっとき「シティがバンカメと合体する」という案も検討されていたというのです。

 シティのサブプライムローン関連商品に関する評価損の増加が白日のモノになり、プリンス前CEOが解任されるという騒動の中でです。シティの取締役会はこのバンカメ・サイドからの非公式な合体提案を、「totally out of hand」(即時に)拒否し、話し合いも行われずだったという。シティはその時新CEOを探していた。トップ不在では話も出来なかったと言うことでしょう。ルービンはそうした中で選ばれた。

 そうした動きがあった中での、アブダビ投資庁のシティへの75億ドル投資発表。金融市場の不安定の背景には、実にダイナミックな動きがあるということです。問題なのは、この記事のウォール・ストリート・ジャーナルの記事の見出し

Financial Firms,Capital Depleted,Hunt for Cash

Citigroup Board Spurns Overture About Merger,

 の前半部分です。評価損が膨らみ、そして今後も住宅ローンの生き詰まりが増える中では、アメリカや欧州の金融機関には「資本不足」の懸念が強まるだろう。以前書いた「Cash is King」の状況が続くと言うことです。キャッシュはまだ世界には潤沢にある。その一つの持ち手は政府系ファンドです。

 当局もこうした緊迫した状況を監視しているようです。同じウォール・ストリート・ジャーナルには「Nimble Monetary Policy Is Needed, Fed's Kohn Says」という記事がある。コーンFRB副議長の発言です。nimble とは「動きの早い,す早い」ということで、これは今のような状況下では「場合によっては利下げ」を意味する。この発言を受けて、ニューヨークの27日の株式市場は大幅に上昇している。関連する記事の書き出しは以下の通りです。

WASHINGTON -- A top Federal Reserve official said Wednesday that recent financial turbulence has undone some of the improvement seen in previous weeks, and repeated the need for "nimble" monetary policy to address economic risks.

The remarks, by Fed Vice Chairman Donald Kohn, suggest that interest rate reductions remain on the table even though policymakers adopted a neutral view of growth and inflation risks at their last meeting.

"The increased turbulence of recent weeks partly reversed some of the improvement in market functioning over the late part of September and in October," Mr. Kohn said in prepared remarks to the Council on Foreign Relations, adding that conditions in term markets "have deteriorated some in recent weeks." (See the full text of his speech.)

 ファイナンシャル・タイムズには社説に「Central banks offer liquidity vaccines」という興味深い見出しの文章がある。うまいですね。「liquidity vaccines」(流動性ワクチン)。ニューヨーク連銀が異例の年越し資金の供給を80億ドル分約束したことは先日触れました。確かに有効なワクチンになるかも。しかしFTが「流動性供給が社会的に受け入れられるケース」として次の二つを挙げているのは頷ける。
  1. 供給された流動性が、病気を癒すものであること

  2. その流動性が病気がそれ以上広がらないようにする効果を持つもの
   FTが指摘するように、今の中央銀行による流動性付与やもしかしたらあるかもしれないFRBによる新たな利下げが、こうした目的を完遂するものかどうかは不明である。FTが言うようにdiscount window を利用せよというのは正論だ。しかし、経済を預かる中央銀行としては「何をしているのだ」という声が怖いのかもしれない。

 ポイントは、金融機関同士の疑心暗鬼が収まり、彼ら相互間の貸出金利が中央銀行が設定している短期金利の誘導目標のレベルに落ちてくるか、でしょう。まだその確信は持てない。市場も疑心暗鬼を安心を繰り返している。


2007年11月27日(火曜日)

 (18:54)皮肉ですね。政府系ファンド(NWF)の動きを一番警戒していたアメリカが、政府系ファンドの代表格に救いの手を差し出してもらうとは。

 何のことを言っているかというと、日本の昼休み時間中に発表された米シティグループに対するアラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国政府の統制下にあるアブダビ投資庁の75億ドル(約8000億円)の出資。確かこのNWFの規模は8000億ドルだったと思った。世界で一番大きい。

 最後に掲載しますが、シティはこれについて声明を発表している。噂でも何でも何でもない。この報道で東京株式市場は反発しましたが、香港やボンベイはまだ下げている。昨日のニューヨーク市場の下げが今日はどうなるのか。引き続き不安定な動きを示すでしょう。

 ところで、フライトの行き帰りなどで二つの良い映画を見ました。

 マイティ・ハート
 Always 続三丁目の夕日

 上の作品は、2002年に年にパキスタンで取材中にテロリストに誘拐され、その後殺害された実在のジャーナリスト(ウォール・ストリート・ジャーナルの記者)、ダニエル・パールの奥さんが著した手記を映画化したもの。実に重い社会派ドラマになっている。事件の真相や、夫への愛をつづった奥さんの原作に感銘を受けたブラッド・ピットが製作を務め、妊娠しながらも懸命に夫を捜す妻をアンジェリーナ・ジョリーが熱演したものだ。

 事実に忠実に作っているのでしょう。ビシビシと当時の緊迫感が伝わってくる。パキスタンには行ったことがありませんが、インドよりは一段と複雑な政治勢力の対立があるのでしょう。その暗闇との戦いの難しさが伝わってくる。「Mighty Heart」は直訳すれば「強き心」ですが、本当にそうだと思いました。

 もう一作の「三丁目」は、プロデューサーの方と以前お会いしたし、一作目が非常に良かったため。今回も前回のほんわかムードがよく残っていて、結構単純なのに泣けますな。実に懐かしい感じがする。「続」とかはあまりいけない作が多いのですが、今回のは見て良かったと思う。

 シティがニューヨーク時間の26日夜遅くに発表した声明は以下の通りです。これだけ買ってもらっても、発行残高の4.9%に過ぎないという点を強調。アメリカ政府やマスコミの懸念を心配したのでしょう。

Citigroup Statement on Abu Dhabi Stake

November 26, 2007 10:53 p.m.

Citigroup's statement on receiving a $7.5 billion cash infusion from Abu Dhabi's investment arm.

NEW YORK, Nov. 26 -- Citi announced today that it has reached an agreement to sell Equity Units, with mandatory conversion into common shares, in a private placement to the Abu Dhabi Investment Authority (ADIA), a long-term investor committed to the U.S. capital markets, in the amount of $7.5 billion. ADIA's aggregate ownership in Citi's common shares, including the conversion of these Equity Units, will total no more than 4.9% of Citi's total shares outstanding.

"This investment, from one of the world's leading and most sophisticated equity investors, provides further capital to allow Citi to pursue attractive opportunities to grow its business," said Win Bischoff, Citi's Acting Chief Executive Officer. "It builds on a series of actions we have taken over the past several months to strengthen our capital base, which have included sales of certain non-strategic assets, the issuance of trust preferred securities, and the previously announced plan to use common stock to purchase 32% of Nikko Cordial in Japan. In addition, ADIA is a significant participant in alternative investments and emerging markets financial services, two areas in which we have major positions and have been expanding.


2007年11月27日(火曜日)

 (06:54)アメリカ、欧州の金融市場で、「年越し資金」の調達が大きな課題になってきている。「年越しのカネ」というと江戸の庶民の話のように聞こえるが、これが世界の金融機関で起きているということになる。ちょっと異常な事態だ。あとで触れるが、ニューヨーク連銀はこれに対する特別な声明まで出した。

 欧米の金融市場を中心に、「年越し資金」だ課題になっているのは、サブプライムローン関連証券問題をきっかけに金融機関の間での疑心暗鬼が高まって、資金の出し渋り、特にタームの長い資金の出し手が極端に減っているため。この結果金融市場の一番根幹のところである短期金融市場で金利が大幅に上昇。これが株式市場を含めて世界全体の金融市場を動揺させている。ニューヨーク連銀は週明けも確認されているだけで20億ドルの流動性の供給を行った。

 週明け26日のニューヨーク株式市場は、午前中はもちあい圏で推移したが、午後になってHSBCの発表をきっかけに急落。結局ダウは237.44ドル、1.8%も低下して、12743.44となった。先週末の181-pointの反発を全部消した。Nasdaqは55.61ポイント、2.1%の下落。S&P 500は33.48の、2.3%の下げで1407.22。

 この週明けの下げで、ニューヨーク三市場の10月高値からの下げ幅は累計で軒並み10%を超えた。これはニューヨーク市場で「調整」と言われる幅である。市場を動揺させたのはまたしても金融機関からの発表。きっかけは「HSBC plans to take onto its balance sheet structured investment vehicles struggling to raise money in the capital markets」というもの。

 これだけで見ると、今まで米銀の影武者と言われたSIV(structured investment vehicles)を自行のバランスシートの中に取り込むと言っているように見える。ということは、銀行の決算そのものが大きく悪化すると言うことだ。この日はシティグループの株価が最近では初めて30ドルを割ったことがニューヨーク市場で大きな話題になった。

 ウォール・ストリート・ジャーナルには、その健全性に疑念が持たれた金融機関として、Citigroup、Fannie Mae、Freddie Mac、E*Trade Financialなどの名前が挙がったと書いてある。

 もっとも安定していなければいけない金融機関の株価が大きく下げて、金融市場では「flight to quality」が起きている。この結果指標10年債の米国政府債の利回りは、週明け26日には過去2年でもっとも低い3.81%に低下したという。

 日本でもサブプライムローン関係の金融機関の損失が報じられ続けている。今朝のNHKは、農林中央金庫が保有しているサブプライムローン関連証券5000億円分で、今年9月までに400億円の損失が発生したと発表したと報じている。来年3月までの年間では600億円になる可能性があるという。もっとも捨てる神有れば拾う神あり。農林中央金庫は米国債も大量に保有しているので、「flight to quality」で値上がりした米国債で、「全体的には増益基調」と言っているという。投資多様化の成果か。

 短期金融市場の疑心暗鬼に対応する措置を発表したのは、ニューヨーク連銀です。26日に同連銀は以下の声明を発表した。参考までにサイトはここです。声明文は以下の通り。

Statement Regarding Repurchase Agreements Covering Year-End

November 26, 2007

In response to heightened pressures in money markets for funding through the year-end, the Federal Reserve Bank of New York’s Open Market Trading Desk plans to conduct a series of term repurchase agreements that will extend into the new year.

The first such operation will be arranged and settle on Wednesday, November 28, and mature on January 10, 2008, for an amount of about $8 billion. The timing and amounts of subsequent term operations spanning the year-end will be influenced by market and reserve developments.

In addition, the Desk plans to provide sufficient reserves to resist upward pressures on the federal funds rate above the FOMC’s target rate around year-end.

 「through the year-end」というのが重要です。普通ニューヨーク連銀の市場への資金供給はオーバーナイトが原則。まあ長くて2週間です。これは今回の危機に際して米金融当局が「長めの資金供給」で始めた。それでも足りないと、噂になっている「年越し資金不足」に今からニューヨーク連銀が取り組んでいると言うことになる。この声明文には、「year-end」とか「new year」という単語が4回も出てくる。「年末」が課題なのは、欧州の金融市場でも同じです。

 ウォール・ストリート・ジャーナルの記事を見ると、このニューヨーク連銀の声明は午後2時19分くらいにアップされていますから、ニューヨーク株式市場はこのニューヨーク連銀の発表(多分昼頃)があっても下げたということになる。とりあえずは「効果なし」だったということだ。まあしかし、今後当局のこうした努力を市場がどう評価するのか。

 まだまだ動揺が続く世界の金融市場、ということです。なによりも、世界の主要金融機関の健全性に対する安心感が市場に醸成されねばならない。今はそれがない。


2007年11月25日(日曜日)

 (23:54)23日にリリースされたラウンドアップを改めて聞き直して、面白かったな、と。私が中国南京出身の富士通総研経済研究所の柯隆(か・りゅう)さんに話しを聞いたものです。

 17回中国共産党大会が終わり、胡錦濤の政権が安定したと言われているが、実は「中国は不安定化している」というのが私の意見で、この点で柯隆さんと深い話が出来たのではないかと思っています。

 このインタビューはもともと30分のラジオ番組の為に収録されたものですが、ポッドキャストはインタビューのほぼ全部、約45分間をそのままアップしているので、聞き応えもあるのではないでしょうか。来年の春には彼と中国に取材に行きたいという希望が実現すると良いと思っています。ハハハ、また天安門で警官に職務質問されるかも。

 改めて紹介しますが、柯隆さんが日経から出した「中国の不良債権問題」は、今の中国を考える上で非常に参考になる本です。


2007年11月24日(土曜日)

 (23:54)フランクからの成田便はもの凄く混んでいました。ヨーロッパの航空会社は空前の高収益というニュースがあったが、頷ける。逆にこれだけ旅客需要が高いのに収益をあまり上げられない航空会社は、よほど経営がうまくないのでしょう。今回比較的空いていた飛行機は、フランクからベルリンへの行きの便だけでした。つまり、私の予想では世界的に航空機需要は非常に強い。

 成田からは新宿方面行きのバスが3分後に出るというので、それを拾ったのですが、私以外は全員が中国語を話す人達でした。台湾か大陸か、はてまたシンガポールの人かは知らない。しかし、こうした中国の人達が大勢日本を訪れてくれるのは良いことだ、と。そう言えば、さっき見た東京新聞のニュースに

 日本に旅行する韓国人の数が2007年は過去最高の年260万人ペースで推移、約40年ぶりに韓国に旅行する日本人の数を上回る見通しになった。日本の温泉などの人気が高まり、円安ウォン高で日本への旅行が割安になっていることが背景にある。

 国際観光振興機構の推計では、今年1−9月の旅行者数は、日本に来た韓国人が前年同期を24・9%上回る約196万人。逆に韓国側の推計では、同じ時期に韓国に出掛けた日本人は約164万人にとどまり、年間では220万人ほどになりそうだ。1968年までは、日韓を行き来する旅行者の数がそれぞれ2万−3万人程度と少なく、日本に旅行する韓国人の方がおおむね上回っていた。

 とある。中国との統計がどうなっているのか知りませんが、日本の10倍人口がいる中国が、日本人の中国訪問の数を上回るのは時間の問題でしょう。中国も韓国と同じように経済発展している。

 「ドイツに家電量販店はない ?」と疑問形で書いたら、杉岡さんが以下のメールを送ってくれました。

 メディアマルクトという欧州家電量販店の巨人がいます。この会社は、ドイツ語圏のみならず最新はモスクワ&サンクトペテルブルグにも進出していますよ。

 欧州での液晶テレビマーケットは、多分サムスン、ソニー、フィリップスが三つどもえ(トップ3)の戦いを演じており(ただし、ソニーはドイツでは弱い)、最近はシャープが猛烈に追い上げていると思います。

 そりゃそうですね。ただデパートに置いてあるというのは、デパートの売り場も魅力を失っていないと言うことでしょう。おっしゃるように薄型テレビの売り場ではシャープがもの凄く頑張っていました。一番良いところで行列を作って。梅本さんのサイトを見たら11月22日の欄に、「レスをつけてよ....」と。失礼。

 彼が22日のところに書いていることも面白い。手榴弾ね。ハハハ。あれ、ドイツであれだけ風車が増えたの知らないの.....。梅本さんもすっかり米東部の人ですね。昔はドイツ語圏の人だったのに。

 ここ数日の日本の新聞はさっき読み終えました。ミシュランね。笑っちゃいますね。あんなの全く参考にしません。


2007年11月23日(金曜日)

 (11:54)午前中は特に用事がなかったので、朝8時には起きて散歩に。ドイツ人は早起きと聞いていたので、「どんなもんじゃろ」と思って。確かに。もう開いている店が食べ物系、雑貨系を中心にかなりある。

 ホテルはミュンヘン中央駅(Hauptbahnhof)の直ぐ近くなのですが、デパートに行くにはどう考えても早いし、昨日通らなかった道をいったんまっすぐ歩いて、その後中央駅に戻るルートを取ったらかなり歩けました。オフィス街のようなところに出て、そこでイタリア人の店でお茶を飲んで、「デパートは9時かな、9時半かな」というところで、中央駅周辺に。

ミュンヘン中央駅を正面から  まだ時間があったので、駅の中を少し歩いたのですが、確かにでかい駅です。列車の行き先を見ると、ドイツ国内だけではなく周辺国の都市名が並んでいる。いつか欧州鉄道の旅をしてみたいものです。食べ物屋の店が一杯出ていて、ちょっとソーセージでもと思って美味しそうなやつを頼んだら、パンと一緒にくれてなかなか良かった。

 通りがかりのドイツ人に聞いたらカールシュタットは直ぐ近くだというのでまたちょっと歩いて、着いたのが9時20分くらいですかね。もうやっているかと思ったら、営業時間は午前9時30分から午後8時までと書いてあったような気がした。

 直ぐ近くにカウフホフもあったので、カールシュタットと比べながら二つのデパートを見て歩いたのですが、まあ置いてあるモノは歴然と違う。多分方針が違うんでしょうね。もう生産中止になったモンブランのボールペンに好きなのがあって、カールシュタットで「もしかして、これの在庫ある」と聞いたら、おばちゃんがちょっと哀しそうな顔をして「finish」と。これは多分英語。

 あとはもっぱら各階の見物。電気製品の売り場がまだ大きくて、日本のデパートにはない薄型テレビが一杯置いてあったのが印象的でした。日本のメーカーも頑張っていましたが、フィリップとかグルンディッヒとか日本ではあまり見かけないメーカーのものも。PC売り場もドイツのデパートにはあって、PCも各社揃っている。知らないメーカーが多い。ここでは日本のメーカーの製品はソニーくらい。ということは、ドイツには家電の量販店はなし ?

 食料品売り場は圧巻だったな。圧倒的にソーセージの占める地位が高い。これでもかといろいろなソーセージ、肉製品が置いてある。生肉以上にソーセージの占める場所が大きい。「魚はないのか」と思ったら、ちゃんと一角を占めていました。まあイタリアに近いミュンヘンなのであれだけあったのかもしれない。綺麗なお嬢さんが魚売り場の担当でした。いやそれとも、デパートに入っている業者 ?

 ベルリンがそうだったか忘れましたが、ミュンヘンの道には歩道と車道の間に一本道がある。そこには石畳が敷いてない。自転車道路です。専用らしく、そこを気付かずに歩いていたら、自転車で来たおじいさんに手で「おまえはこっちだ」と歩道の方を指されてしまいました。ハハハ。

 午後もう一つ絵を撮って、私は午後に帰ります。スタッフは残って取材続行。


2007年11月22日(木曜日)

 (23:54)BMWの本社を中心に取材。初めて「バイエルンの自動車工場」の本社の偉容を見ました。4気筒のエンジンをまとめたような形をしている。本社ばかりでなく、その周辺施設が固まっていて、まあ言ってみれば日本の豊田市みたいなものです。

 BMWは去年本社の直ぐ近くに「BMW WELT」(BMWワールド)という展示施設を作った。BMWの車をずらっと展示していると同時に、近い未来、少し先の未来にかけるBMWの考え方を示していて非常に興味深かった。BMWが今一番力を入れている新しい車にも乗ってアウトバーンを走りましたが、これは非常に良い経験になりました。

ミュンヘンにあるBMWの本社前で  ところで、ミュンヘンの街を移動していて一つ気が付いたことがある。それは、「インフラの逆転現象」です。旧東独の街として綺麗に復興されたライプチッヒに比べた場合の、ずっと西側だったドイツ第三の都市ミュンヘンの景観的、インフラ的遅れ。

 私が車の中でこの話しをしたら、カメラの横山さんも同じ印象をもったそうです。街を走っているトラムを見ても、明らかにライプチッヒの方が綺麗だし、線路の手入れの具合もミュンヘンよりライプチッヒの方が実に丁寧に出来ていた。街周りのビルもそうです。ミュンヘンの街中で見かけるビルは、すこしくすんでいて疲れた印象がする。それはライプチッヒのビルには見られなかった。

 例えばこの二つの街を1990年の初めに比べれば、印象は全く別だったに違いない。ライプチッヒがシャビーで、ミュンヘンが大都会に見えたはずです。しかしその後の18年ほどは、多分絶対的にお金は集中的に旧東に属したライプチッヒの方により多く投じられていたに違いない。

 いやもともと街の作りがライプチッヒの方が商人の街として洗練されていたのかもしれない。しかし、この二つの街が今醸し出している印象は、過去18年におよぶ公共投資、インフラ投資が東の都市に傾斜していた影響であるように私には見受けられる。

 「そんなことを言うと、ミュンヘンの人が悲しみますよ」とコーディネーターの田村さんに言われましたが、まあでも私の印象はそうだからしょうがない。明日もミュンヘンで取材し、午後のフライトに乗る予定。


2007年11月21日(水曜日)

 (23:54)途中いくつかのポイントで取材をしながら、ミュンヘンに着いたのは夜の9時前でした。ずっと車での移動。走る距離が長かったので、私はしばしば眠りに落ちていて、ずっと周りの景色を見ていたわけではない。しかしどの国でも同じですが、高速道路の走行は面白くもなんともない。田舎道をゆっくり走るのが良いのですが、許される場合と許されない場合がある。

北からバイエルン州に入ってしばらくの所にあった田舎町のレストラン  良かったのは昼飯の為にアウトバーンを離れて、バイエル州の小さな村の魚料理が自慢というお店に入ったときかな。写真がそれですが、中に入ったらアットホームな感じで、お年を召した5〜6組のご夫婦が静かに食事をしていた。特にぺちゃくちゃ喋るのではなく。

 まあ私はウッディ・アレンの映画のように、食事の時にとにかく良く喋るのは国民性というよりは、特殊都会的(どの国を問わず)な現象だと思っているのですが、ドイツでもそれが確認できたことが面白かった。何も話さずに、しかし仲のよさそうなご夫妻がじっと食事をしている姿をアメリカでも地方で何回も見ている。日本も同じです。対して都会では食事は喧噪の中で進む。

 写真のこのレストランは、ウエイトレスにいかにもドイツ的に太った、しかし愛想のよいおばちゃんを置いたなかなか親しみの持てる店で、じゃがいものふかし方などいかにも「ドイツ」を思わせる。こんな大陸のど真ん中に「魚レストランかよ」と思ったのですが、案外美味しかった。ああいう店を回るのも良い。

 ミュンヘンは食事のために近くのレストランに移動しただけなので、この街の印象はまだありません。ホテルは駅の近くだそうですが、夜の9時前後だからでしょうか、歩いている人はいやにトルコ人が多い。まあ、フランクフルトの駅周りよりは綺麗です。レストランに入ったらドイツ人やら、英語を話す輩が多かったので、そう言う人口構成の地域かなとも思っていますが、それはまだ明日になってからでないと分からない。小林君が

 ミュンヘンは全然雰囲気が違いますよ。山も多いですし、カトリックっていうのも大きな違いです。だから享楽的?バイエルン州の大手行HVB(ヒュポフェラインスバンク)がイタリア最大(欧州では2位)の金融コングロマリットUniCreditの傘下に入ったのもうなずけます。

 因みにバイエルンでは朝も昼も夜も挨拶はGruess Gott(ぐりゅーす・ごっと)です。これも北ドイツとは違うところです。

ドイツにはどこに行っても風車を発見することが出来る  というメールをくれているので、明日早速そのバイエルン州の挨拶とやらを使ってみようと思っています。よくミュンヘンの酒場でドイツ人の年寄りが日本人に近寄ってくると、「今度はイタリア抜きでやろう」と言う、という話しを聞きますが、通常はハノーバーに住んでいる田村さんは、「本当に私は何回もそう言われているんです」と。ドイツが最後に戦争に勝ったのは、1870年から約1年間の普仏戦争ですが、その後もドイツは負けの戦争をこれでもかと何回もやっている。好きなのか ?

 田村さんが、「ドイツ人から聞いた」ということで、イタリアの戦車に関するジョークを教えてくれました。

  1. 普通戦車には前進に3速ある。ドイツの戦車にはスロー前進、普通前進、全力前進があるが、イタリアの戦車には後退に3速ある
  2. イタリアの戦車にも前進が一速ある。それは何のためにあるか。イタリア人曰く「敵が後ろから攻めてくることもあるからだ」
 という内容だったと思った。ははは、日本のジョーク集に載っていそうな話しですな。ま私はまだ行っていないので、ミュンヘンの酒場で話しかけられてはいませんが。

 今週は世界の金融市場は「ugly」なことになっていますね。もちろん、移動中は無理ですがホテルに入ると市場もワッチしているのですが、株は下げ、原油は100ドルに限りなく接近し、そして「flight to quality」で政府債が買われている。引き続きアメリカ経済の先行き(リセッション懸念)、それに世界のクレジット・マーケットの先行きに対する懸念(世界の金融機関の巨額評価損)が強い。

 まあアメリカは22日からほぼ4連休になり、日本も23日が祝日。頭を冷やして考える時期でしょう。ニューヨーク市場ではSP500が今年これまでの上げ分を失った。つまり昨年末引値に比べてマイナスになった。再来週はアメリカに行きますので、実態把握といきたい。

 それにしても、ドイツは何処に行っても風車があるし、よく見れば私たちが食事をしたレストランの屋根にもちゃんと太陽光をエネルギーに代える装置が装着されている。その徹底ぶりには感心します。


2007年11月20日(火曜日)

 (23:54)ははは、ビターフェルトについて書いたら、今はワシントンにいる梅本さんから興味深いメールが寄せられました。彼はドイツ語の大家で、ハンブルクにもベルリンにも長く滞在した。以下のメールでした。

 伊藤さん

 ドイツ旅行記、楽しく拝読させていただいてます。ご指名(?)もかかりましたので、ちょっと一言。

 汚染物質たれ流しだったビターフェルトの化学プラントですが、ご存じかもしれませんが、これを作ったのは日本のプラント会社なんです。70年代にビターフェルトだけでなく、東独の化学プラント建設を日本企業が請け負いまして、当時から日本では、大気、水質汚染で当然ながら基準があって、順守が義務付けられていたんですが、東独じゃ当然そんな規則はなし。東独政府に「お値段は多少上がりますけど、普通はつけます」と言うと、「そんなもん不要」と断られ、たれ流し状態で引き渡したそうです。

 操業していた当時は、近くのアウトバーンを走るだけで、車内にとんでもない異臭がただよいました。ハレの街では、臭くて夜にホテルの窓を開けられなかった記憶があります。いまの時代では、企業倫理の問題として、こんな受注はとれないんじゃないでしょうか。

 ちなみに、70年代当時の日本はまだ金満国ではなかったですから、プラント建設では日本の建設労働者、とび職まで東独に長期滞在していたそうです。社会主義国で退屈だったせいか、かなりの数の日独混血落とし子がビターフェルトで誕生したという話もあります…。

 最近のドイツでは、ずいぶんとレストランで出る食事は軽くなってきてはいるんですが…。やっぱり日本と比べると、量は多いですよね。食べ過ぎに気をつけて、旅行をお続け下さい。ちなみに私は、このドイツとアメリカに住んで、体重7Xキロをなんとか維持しております…。

 うーん、まあ取材旅行だから旅行記か。ちょっと抵抗があるがいいでしょう。そういう事だったのですね。日本の企業がプラントを作ったとは知りませんでした。「そんなものは不要」とか、「近くのアウトバーンを走るだけで、車内にとんでもない異臭」「かなりの数の日独混血落とし子」というのが面白い。

東ドイツ時代のトラバント  ところで、引き続きライプチッヒとビターフェルトを取材しています。ここには「Solar Valley」がある。谷なんて何にもないのに「valley」とは、カリフォルニアのシリコン・バレーの向こうを張っているのですが、なかなか面白い取材が出来ました。

 ところで、ベルリンから車でこの地域に移動し、さらに車で移動を続けていて非常に面白いことに気が付いた。以前も例えばハンブルクからシュベリーン、さらにはベルリンからポツダムを経てシュベリーン、さらにはポーランドの国境越えまで車でしているのでその時もちょっと感じてはいたと思うのですが、今回改めて強く感じたことです。それは、「ドイツは平坦ででかい」ということです。

 車での移動も比較的短時間これまでもしているが、今までの私のドイツは点の移動が主でした。つまり飛行機を使う。点と点を移動して都市の中で活動し、いろいろな人と会うことが多かった。しかし今回は完全に一週間近く線、または面を移動する。これまで私が移動した何百キロは、全部平坦。整地された畑があり、それを区分する一列の細い木の並びがあり、時々灌木の固まりがあって、要するにどこまで行っても平野なのです。

 ドイツの地図を改めて見ると、ミュンヘンなど南に行くとちょっと様子が違うようですが、北から中部さらにももうちょっと南にかけて、山らしいものは一つもない。ライン川もゆったりと流れる。つまり、どえらく平野なのです。「ここには人間が住める」という場所は山ほどある。特に開発がつい最近になった東ドイツ地域を移動しているからでしょうが、「時々村が点在する」というほど農地が続くのです。これだと食糧自給率は高く維持できる、と思う。

水を勢いよく出すと跳ねが来るホテルのシンク。意図的 ?  ドイツの面積は35.7万平方キロメートルで、37.8万平方キロの日本の約94%。世界の国を面積順に並べると、「....日本、ドイツ....」と並んでいる。順位は60位と61位です。だから非常に近い。しかしその形状たるや大きな差がある。つまり、日本の形態は山あり谷ありですから、非常に皺が寄っている状況。対してドイツの国土は皺に相当する山や谷が全くといってよいほど存在しない。その分だけ稼働面積が多いのです。しかし人口は日本が1億2700万人、ドイツは最新の統計で8240万人です。

 ドイツは明らかにすきずきしている。平野を走ると、本当に「ようけい空いているな」という印象です。まあその分、面白くも何ともない。慣れると。どこに行っても景色は同じ。畑があり、ところどころに樹木帯があり、そして村がある。屋根はどこでも茶色が多くて、思い出すのは青島の街です。むろん元祖はドイツです。

 ビターフェルトの街で一台のトラバントを発見しました。今回初めて。実に懐かしい。小さな車体、窓に向かってむくれたボンネット、固そうな座席、ドイツ人の体など入らないだろうと思える後部座席、細いハンドル。シュベリーンの街で石畳の朽ち果てた古城の周りをトラバントが走っているのを見て、車が中世にあるわけはないのだが、「この国は中世だ」と思ったことを今でも思い出す。

 今回見たトラバントは駐車していて、しかも壁崩壊、製造会社の倒産という幾多の試練を乗り越えたきたからでしょうが、単体で見るとよく整備されているし、綺麗です。しかし隣に駐車していたベンツと比べるとえらく小さい。日本にもって帰りたいような、帰りたくないような。この小さな車に大きな東ドイツの住民が、そして今はドイツの人が乗っているのかと思うと、少し笑えます。

東独自由化運動の発祥の地ニコライ教会に取り付けられた太陽光発電の状態を示す掲示板  一つ面白い写真を。ホテルのシンクです。駅の中心のラジソンというアメリカの中西部によくあるホテルに泊まっているのですが、そこのシンク。非常に浅い。で、水を一杯に力強く出すと自分に飛んでくる。そこで、少ししか出せない、という仕掛けになっている。

 もしかしたら、ホテルが客による水の出し過ぎを抑止し、コストを下げるために作ったのかもしれないと思うが、一方でこれは政策的に水の出し過ぎを抑制する目的で、州や連邦の方針に沿って出来ているモノかとも思う。実際にそれくらい、ドイツの、特にこの地方のエネルギー節約や再生可能エネルギーに関する方針は一貫しているのです。

 夜撮影したので分かりづらいかもしれませんが、あの東独自由化運動の起点になったニコライ教会にも太陽発電装置がつけられていて、夜ですから「0」ですが、今どのくらい発電しているのか、いままでどのくらい発電したかを表示している。道を走るとそれこそ数え切れないほどの発電用風車がある。地帯として、太陽発電のセルを作っている会社を中心に「Solar Valley」があるといった風情なのです。

 もう「公害の異臭」はしない。そう言う意味では、この地域も前進している。明日はミュンヘンに向かいます。また線を残しながら。


2007年11月19日(月曜日)

 (23:54)「見本市」の発祥の地・ライプチッヒは実に綺麗な、そして落ち着いた街です。歴史の臭いがぷんぷんする。ベルリンでの1989年末の壁崩壊当時はどうだったか、私は想像することしかできない。しかし、壁崩壊後に確か梅本君と行った同じザクセン州のドレスデンから想像すれば、今よりは多分かなりシャビーな街だったに違いない。

聖トーマス教会のバッハ像の横で  しかしそれでも、この街はもともと商人の街として出発している。だから、街並みなどはずっと綺麗だった筈だし、「見本市」に多くのお客さんを迎える準備が出来ていた筈です。歩くと「メッセ」(messe)と名前が付いているビルがいっぱいある。東独時代もああいう建物の中で、見本としての商品が展示され、その見本をベースにして規模の大きな商品の取引が行われていたのでしょう。

 街は歴史そのものです。何よりも、ヨハン・セバスチャン・バッハがトーマスカントル(教会音楽を取り仕切り、その付属小学校の教職にも当たり、さらにはライプツヒィ街全体の音楽監督も兼ねる役職 1723-1750年)をやった聖トーマス教会がある。最初の写真がバッハ像です。中に入ってみると実に荘厳な感じがする教会です。また東独からの民衆解放の発火点になったといわれるニコライ教会が直ぐ近くにある。この教会でのミサをきっかけに、汎ヨーロッパ・ピクニックが始まったとも言われる。その他にも、有名なパッセージやケラーなどがこれでもかと街の中心に並ぶ。

 日本との関係も深い。森鴎外の独逸日記には、このライプチッヒを初めとするドイツでの4年間が詳細に記されている。ライプチッヒの下宿の寡婦の話から始まって、彼が観察した当時(18884-1888年)の独逸が記されている。ライプチッヒに関する彼の面白い記述がある。明治17年10月24日のところです。

 おほよそ独逸の都会のうちにて、ライプチヒの如く工場多きはあらじ。煤烟空を蔽ひて、家々の白壁は日を経ざるに黒みて旧りたるやうに見ゆ。(なるべく原文)
荘厳な教会の内部  つまり、当時から大工業地帯で煙突が林立していたということでしょう。直ぐ近くのビターフェルトが一大化学工業地帯で、その後「世界で一番汚染された街」に指定されたことは先に書きましたが、要するにドイツのこの辺はルール工業地帯と並んでドイツの産業の核だったということです。この地方もそうですが大量の褐炭が出る。露天掘りだった。その穴が今は池になっている。

 ルールでも大量の石炭が出来るし、「ルールに青空」が当時のブラント首相が掲げた政治的スローガンであることは良く知られている。鴎外の日記を見るまでもなく、ドイツは昔から汚染に悩んできた、ということです。東独時代は、経済力や技術がないのに、西ドイツに負けるなでその国土全体で汚染が進んだ。だからこその環境保護運動の活発化です。まあライプチッヒはそういう意味では、商人の街であると同時に、工業都市でもあったということです。

 「50万前後の街にしては商店が多すぎる」というのが原田氏の感想ですが、確かに街の中心部は、これでもかと綺麗な商店が軒を連ねている。カウフホフやカールシュタットなどドイツを代表する百貨店もあるし、中央駅には安売りで伸びたスーパーもあって、ここにも行ってみましたが、アメリカとコストコと日本のスーパーの中間のようなビジネス形態をとっていて、非常に面白かった。

 取材の関係でも、あちこち行きました。いろいろ思うところありですね。明日も一日ライプチッヒの周辺を取材します。


2007年11月18日(日曜日)

 (21:54)ベルリンを出て、昼頃から南下。途中工事でアウトバーンが大渋滞。何ということはない工事をしているだけでした。全員でブーイング。

 今日の最終目的地ライプチッヒに行く前に、近くのビターフェルトに。旧東ドイツ最大の化学工業地帯だった街で、統一後にこの町は統一ドイツ政府と環境保護団体グリーンピースによって「世界でもっとも汚染された町」との烙印を押されたという。今は寂れた、静かな街です。

ビターフェルトの街の中心に書いてあった落書き。「職がなければ、見込みもなく、将来もない」と書いてある  東独当時「最大の化学工業地帯」だった街が今のように静かになってしまった背景は、競争力の喪失。壁崩壊後は老朽化などで西側企業との競争で破れて、ここの工場は次々に繰業停止を余儀なくされたという。見ると確かに稼働していない工場がこれでもかと並んでいる。一説には9万人いた労働者の半数が職を失ったと。街、というより村に見えましたが、静かになるはずです。

 街の中心で見付けたのが、最初の写真の落書きです。読んで字の通りです。この落書きや街の様子を眺めながら、私は何故か中国の瀋陽を思い出していました。瀋陽は中国最大の基幹産業の街だった。それが今は酷い寂れようで、私が訪問した中国の都市では一番寂れていた。

 むろん、瀋陽はビターフェルトより遙かに大きな街です。しかしかつての繁栄を失ったという意味では非常に似ている。新たな産業の導入が街の再生の鍵なのですが.....。

 わずか数日なのですが、ドイツについていろいろ気が付くことがある。まず第一に、ドイツ人は食べ過ぎる。アメリカの国民病である「肥満」の問題を、アメリカと同じように抱え込みつつあるように見える。まだアメリカほどではないが、私は今のまま行ったらドイツはアメリカの二の舞だと思う。

 コーディネーターの田村さんが面白い話しをしてくれた。ドイツでは、「少量で美味しい」ものを食べさせてくれる店は確実に潰れるというのです。何よりも量が問題だと。まあそういう意味では、アメリカのシカゴに似ている。

ドイツで導入された無線利用の貸し自転車  ついでに言うと、普通の値段の店で美味しい店はまずない。私はそれを知っているので、「ドイツ出張中に数キロでも痩せたら成功」と思ってきているのですが、何せ出てくる量が凄い。「もったない」精神を発揮すると大変なことになるのですが、そうは言ってもある程度は食べないといけない。まあ私の問題ではなく、肥満はドイツ人の抱える大きな問題になりつつあると思う。

 次に、整列が出来ないドイツ人を発見した。私はドイツ人は整列がうまいと思っていたが、ベルリンのテゲール国際空港のタクシー乗り場は酷かった。「mess」です。皆来たタクシーを勝手に拾って乗っていく。東京駅や日本中で見られる規則正しさは全くない。

 東欧などから来ている人が多いせいでしょうか。ハンブルクではこんなことはなかったと思ったのですが。それともドイツ人が変わってしまったのか。可愛い顔をした女性が、私たちより後ろに並んでいたにもかかわらず、来たタクシーをとっとと拾って行ってしまったことには驚愕した。

 でもドイツでは一つ面白いモノを発見しました。無線で管理の「貸し自転車」。この自転車は写真の通り赤い。そこに電話番号が書いてある。その電話番号に電話してキー番号をもらい、それを入力。それでダンです。あとはクレジットカードで支払うのみjの番号を入力する。そうするとその時点で自転車が借りられる。何処にでも行け、そして何処にでも乗り捨てが可能だというのです。

 これは良いアイデアだと思いました。環境にうるさいドイツ人は自転車好き。本当に数多くの自転車を見かけるのですが、これだと観光客も何処でも自転車を借りられる。私たちが見かけたのはブンデスターク(連邦議会)の前でした。

 私たちの運転手さんが、「ハンブルクにだって乗っていけますよ.....」と。いや、冗談ではなく。このシステムは面白いと思いました。無線で管理する、管理人なしの貸し自転車。なかなかのアイデアだと思いました。


2007年11月17日(土曜日)

 (23:54)早くも取材開始で、特に午前中は興味深い人、動きに遭遇しました。今まで持っていた自分のエネルギーの今後に関する考え方を変えなければならないと思うような事実にぶち当たりましたが、それはまた元旦午後7時からのNHKBS1の番組を見ていただければと思います。

今もベルリンの旧東地区に残る旧共産圏を感じさせる商店の棚  取材の途中の車の中やレストランで、運転手さんとか取材相手のドイツ人と話しをしていると、1989年の末まで分断されていた街の歴史が、この地域に住むドイツ人一人一人の履歴、経歴や人生に落としている大きな陰、実に大きな影響力にしばし愕然とする。運転手さんは物静かな芸術家タイプなのですが、話しを聞くと壁が落ちるわずか3ヶ月前に1才の子供と奥さんを連れてリスクを承知で東ドイツから西ドイツに逃れた経験を持つというのです。

 日本でも何回も放送されましたが、ベルリンの壁の崩壊に最後はつながったと言われる汎ヨーロッパ・ピクニック(パンヨーロッパピクニック、ハンガリー語: Paneuropai piknik、ドイツ語: Paneuropaisches Picknick、1989年8月19日、オーストリア共和国ブルゲンラント州に食い込むハンガリー領ショプロンで開かれた政治集会)に参加して、「もう遅いかも」と思いながらも、西ドイツへの移動を敢行した。

 勇気が必要だったと思う。しかし、その3ヶ月後にベルリンの壁には若者がよじ登って、あっけなく、そして皆が「いったい何が起きたんだ」と言っているうちに壁も、そして東ドイツも崩壊し、時間を置かずにドイツは統一された。「自分がリスクを犯したわずか3ヶ月後に壁が崩壊してどう思ったか」と聞いたら、「こんちくしょうと思った」と正直に語ってくれた。

 今日一番取材に長い時間を使った環境NGOの事務局長は、奥さんが旧東ドイツの出身。ポーランドを旅行中に奥さんと知り合い好きになったが、結婚する決意をしたものの、東ドイツの奥さんが西ドイツの彼とすんなり結婚できるわけもない。1年以上も西と東の政府を巻き込んで交渉した結果、彼は奥さんと正式なルート(といっても西と東のバーターのような交渉結果)で結婚したという。彼は仕事でフランスで当時働いていたのですが、壁が崩壊したと職場の友人から聞いたときには、「冗談だろう」と思い、本当に壁が崩壊したと確信したのは翌朝に新聞を読んだ時だったという。

 ベルリンで生きている多くのドイツ人一人一人に、「あの時代」「あの時」に関する思い出があるんでしょうね。「壁」が落ちても、1990年の西ベルリンと東ベルリンはまるで別の国(一方は先進国、一方は貧しい貧困国)だったので、雇用の問題、西の人の東に対する偏見など、ドイツ人には「心の壁(wall in the head)」が残っているとずっと言われた。

 私は東ドイツ出身のメルケルが首相になったとき、「これでドイツ人の心の中に残ったもう一つの、そして最後の壁もなくなったのかな」と日本に居て思ったものです。ギャオの番組の最後の言葉に「心の壁崩壊か」を使ったこともある。しかし壁崩壊のわずか3ヶ月前に西ドイツに亡命した運転手さんのこの問題に関する意見は、「確かにメルケルも、もう一人の野党の代表も東出身で、そういう意味では大きな前進だ。しかしだからと言って、ドイツ人の気持ちの中に刻まれた心の壁がなくなったかといえば、そうは言えない」ということでした。

 再来年には、「壁崩壊20周年」があり、その後には「ドイツ再統一20周年」がある。もう壁の崩壊というあの衝撃的なシーンをこの目で見たことのないドイツ人も増えているのが現実です。

 2001年の年末から2002年の年始に来たときに泊まったウェスチン・グランドというホテルの周りにも行ってみました。ホテルからフリードリッヒストラーセをしばし歩きながら、そしてホテルの前からブランデンブルク門の前へ車移動で。懐かしかったですね。街も綺麗になって東の面影はかなり消えた。しかし、この上の写真の商店の棚のように旧東を感じさせるシーンは、ベルリンのかつての東側に色濃く残っている。下の写真は、ドイツ・ワールド・カップを目指して作られた新しいベルリン中央駅です。ガラス張りで中にも入ってみましたが、綺麗な駅でした。

去年完成したベルリン中央駅  ノスタルジーという英語がありますが、ドイツには「オスタルジー」という言葉があるそうです。東を意味する「オスト」と合わせて「オスタルジー」。かつての東ドイツを懐かしむ心と言うことでしょうか。

 私にとってオスタルジーは、当時走っていたトラバントという車とか、シュベリーンで鮮明に刻まれたまるで中世のよみがえったようなシャビーな街並み、痩せて無精髭を伸ばしたドイツの男性、薄汚いビルなどですが、その多くは消えつつあるように見えた。そういう意味では、旧共産圏を思い出させるような商品展示棚などは、私にとっての数少ないオスタルジーだ。もっとも1990年の東ドイツ側の商店には、こんなにモノが置かれていなかった。シュベリーンの商店に入ったときには、昔の農家の土間のような印象だったし、棚には数えるほどの品物しかなかった。

 一方、12月のインドネシアでの気候変動枠組み条約の締約国会議にも報告され、京都議定書に定めのない2013年以降の温暖化対策の議論に大きな影響を与える「統合報告書」が、バレンシア(スペイン)での「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」で採択された。地球温暖化の被害を小さくできるかどうかについては、「今後20−30年間の排出削減努力と、それに向けた投資が大きく影響する」などを内容とするもの。

 報告書は、「温暖化の影響を小さくしようとすればするほど、温室効果ガスの排出を早い時期に減少に転じさせなければならない」と述べ、一刻も早い行動が不可欠なことを訴える内容となっているという。同報告書は、公表済みの3つの作業部会報告を基に、20世紀半ば以降の温暖化は、人間活動が原因である可能性が「かなり高い」と結論して、今世紀末の平均気温は20世紀末より最大6・4度上がるとも予測しており、さらに温度上昇が加速するなどに関し、近年懸念が高まっていることに言及しているという。

 11月のベルリンはどんよりと雲がたれ込め、いつも霧雨のような雨が降っている天候でみれば日本から見た我々には温暖化とはほど遠いように思えますが、確かに地球全体を見ればその兆候は否定しがたい。行動の必要性は高まっている、と思う。


2007年11月17日(土曜日)

 (00:54)成田を金曜日午後1時過ぎに出て、フランクフルトに着いたのが現地時間の午後6時ちょっと手前。時差は8だから、8+4.5で12時間以上かかったことになる。フライトは順調でした。相変わらず混んでいる。エコノミーは超満員でした。航空需要は世界中に依然として高い。気温は摂氏4度と放送が言っていました。

 そのままベルリンに移動したのですが、トラブルといえば旅行社がくれたパンフレットに掲載されていた「乗り継ぎ用の入国審査場所」が既に変わっていて、かなり離れたところに移動していたくらい。予定では午後8時20分のベルリン行きに乗り継ぐ予定でしたが、さっさと手続きを済ませて見たら午後6時35分に同じフルトハンザのベルリン行きがあったので、それに乗せてもらって午後7時40分にはベルリンに。

 ベルリンに最後に来たのは2002年の年末年始です。杉岡さんにポツダムとかシュベリーンに連れて行ってもらった。彼は今モスクワをへて、日本の証券会社に勤めている。最初のユーロ紙幣が2002年の年始に出たのです。夜中にタクシーでシティバンクのATMでユーロ紙幣をゲットしたことを今でも覚えている。その紙幣は今でも持っています。

 その時も寒かった。その前は確か1990年、ベルリンの壁が落ちて直ぐでした。壁が残っていて、ブランデンブルク門の周辺を歩いた記憶がある。確か小林君と一緒だった。ポーランドにまで行ったと思う。その時のシュベリーンは惨めなものでした。今でも鮮明に思い出す。それが2002年には綺麗に西側化されていて、90年に歩いたシャビーな東ドイツ側のベルリンがブランド街になっていて非常に驚いた記憶がある。

 今回は空港に原田氏に迎えに来てもらっていたので、そのままホテルにチェックインして、他のスタッフと4人で外に出たのですが、やはり北国ですね。昨日まで雪が降っていたということで、この日もちょっと雨模様。道路が塗れている。確かに寒い。

 まだ到着したばかりで、おまけに暗いので良く分からないが、明日から街の様子などを見て回りたいと思う。


2007年11月16日(金曜日)

 (09:04)日経エコサイト用の第10回コラムがこのサイトにアップされました。ご一読を。サイトが少しデザイン更新されている。

 あと、金曜日の朝のスタンバイのズームアップ+で、川島なお美さんの鎧塚さんとの結婚に関して、面白いトークを収録しましたので、お聞きいただければと思います。ズームアップ+は毎日昼頃にはアップされます。


2007年11月15日(木曜日)

 (06:04)「攻めの農業」を提唱している私としては、今年1ー9月の日本の農林水産物輸出が対前年同期比で19.1%も増えた、というのは嬉しいニュースです。金額は3061億円と農林水産物の輸入額に比べれば小さいが、伸び率には勇気づけられる。

 これは農水省が先週発表した数字で、増えたのは主にアジア向けだという。アジア全体で見て経済発展により富裕層が増え、こうした需要層に対して売り上げが伸びたためだという。内訳は、農産物の輸出額は13.0%増の1560億円。仕向地別では、香港には牛肉や牛乳、台湾にはリンゴやナシといった果物の輸出が増えたという。

 コメの輸出を再開した中国向けも増えているという。水産物も香港や韓国を中心に1426億円と27.2%も増えたという。木材など林産物も11.0%の増加。アジアの経済発展以外には、世界的な日本食ブームも背景にあるとの見方もある。

 農水省は今年5月に策定した品目ごとの輸出戦略をベースに、国内の農家などに海外のニーズを提供したり、大使館などを通じて日本の農産物の良さをアピールしたりするなどして輸出を後押しする考えだというが、これは当然でしょう。工業製品の良さを世界にアピールした日本は、農林水産物でも世界にその存在を示せると私は考えているのです。農産物輸出では、特に北海道に頑張ってもらいたいと思っています。

 ところで、昨日見たFTで気になったニュースは、中国のインフレ率上昇でしょうか。数字にすると10月は昨年同月比で上昇率は6.5%に達したという。主に値上がりが激しいのは、食料品。10月の6.5%の中国のインフレ率上昇は「10年来の大幅な上昇」とFTには書いてある。これは二つのことを意味する。

  1. 中国の金利を今後も引き上げられる可能性が強く、これが上昇を続ける株価に与える影響を考えざるを得ない状況
  2. 貧困層が食料品を買えなくなる事態と、それが社会的不安定につながる危険性
 後者の深刻さを物語るように、FTには温家宝首相が今週月曜日に北京の貧困家庭(複数)を訪れて、物価の抑制する(bring prices under control)と約束したという。どうやって抑制するのかは書いてない。中国では重要な食料品である豚肉がこのところ大幅に上昇して、これが中国の貧困家庭のフラストレーションを高めている、と伝えられていたが、これが数字でも確かめられた。

 FTによれば、10月は食料品が対前年同月比17.9%、豚肉に至っては54.9%も上がったという。さらに、野菜は29.9%、鶏卵は14.3%も上昇したという。これでは貧しい家庭は生活できなくなる。

 だから、温家宝首相もわざわざ北京の貧困家庭を訪れた。民衆の不満の高まりを今のうちにガス抜きしておく必要性を感知しているということです。ただし価格統制すれば、今の市場経済が体制として強まっている中国で、需給関係が崩れる可能性がある。中国経済はインフレ率の上昇の中で、よりいっそう難しい舵取りを迫られるということです。

 加えて、中国の富裕層の頼みの綱である株価が落ちれば、中国経済の矛盾は拡大することになる。


2007年11月14日(水曜日)

 (06:04)地獄まで落ちる相場もなければ、天国まで上る相場もない。どちらもその一歩手前で止まる。

 まあ、長く市場に携わっている人間の一種のカンのようなものですが、昨日夕方のテレビ番組では、「短期的には相場は反発する」と予想しておきました。まずはそれが当たった。

 今終わったばかりのニューヨーク市場の上げは大幅です。ダウ工業株30種平均は2.46%、319.54ドル上がってかなり深いところまで13000ドル台を回復。引け(まだ数字が変更になるかもしれませんが)は、13307.54ドル。もっと値上がりしたのは、今まで売られてきたNasdaqで実に3.46%、89.52ポイント以上も上がって2673.65。

 東京もそうですが、ニューヨークもかなりの指標で月曜日引けの段階で「下げ過ぎ」の兆候を見せていた。だから昨日の東京も下げ渋った。株が下がると言うことは、当該企業が買収しやすくなると言うことで、今の世の中が存在し続けるという前提に立つと、どう見てもこの株は買える、というレベルは厳然としてある。

 しかし重要なことは、実は大幅反発という市場ムーブメントは、下げ相場の時に表れやすい。なぜなら、上げのエネルギーがそれだけたまるからです。ショートの積み上がりや、「これだったら買っても良い」という見方の投資家が増える。

 今の世界には潤沢に資金はある。収縮ではなく、偏在している。それが動けば、相場は動く。割高になってしまった商品市場から逃れた資金が、割安になった株に向かったと考えれば、理解しやすい。今回の世界的な株安を起動した金融株の下げは、昨日の東京市場で反転の兆しを見せていた。火曜日のニューヨークの株価大幅反発も、今まで売り叩かれていた金融株の反発が先導した。ゴールドマンは一日で8.4%も上昇。

 まあでも、不安感は残りますよ。金融機関が損を出し切ったという確信を市場は持てない。損出しの波がちょっとバックミラーに掛かってきたかな、という状況。これからは、当たり前ですが弱気と強気が交互に出てくる市場になるでしょう。まあでも事が事ですから、弱気の時期の方が暫くは長いんでしょうね。下げるときはドスンと。上げるときは、昨日のニューヨークのような事を織り込みながらも、基本的には慎重に。

 金利の切り替えがアメリカの住宅ローン市場で進むのは、来年もかなり進んだ段階です。それまでは差し押さえとか、住宅建設の不調は続く可能性がある。相変わらずFRBは難しい金融の舵取りを迫られる、ということです。


2007年11月12日(月曜日)

 (19:04)役所もやれば出来るという話しは昨年のこの時期も書きました。新宿の都庁に国際免許を取りに行ったら、「凄く早くできた」という話しを書いたときです。

 で、今年も月曜日の朝一(午前8時30分ですが)に都庁に行って、一番にオフィスに入って、いったい何分で新しい国際免許をもらえるか時間を計測してみたのです。そしたらオフィスに入ってから5分、オフィス内で私が申請書を書き終えてから2分で新しい国際免許が出来上がってきました。ハハハ、感動ものです。

 国際免許が必要なのは、去年のエタノール車(E85)に続いて、ドイツでの取材で新しいタイプの車に乗る必要性が高くなったため。どんな車に乗るのかはお楽しみです。2008年の元旦午後7時からNHKBS1の2時間番組「地球特派員スペシャル」で披露されるはずです。

 取材といえば、新宿で国際免許を受け取ったあとは、土田君と千葉に。ネット上で急速に伸びてきた本屋さんの物流センター見学のため。やっと「ああ、自分がネット上で入れた注文がこうして処理されているのか」と理解できました。その他インタビューなど。11月20日の関西テレビの夕方の番組「ニュースアンカー」で放送される予定。

 もう一つ番組の紹介をしてしまうと、23日のラウンドアップは中国を研究している人にとっては聞き逃せない内容だと思う。私自身が柯隆(か・りゅう)さんの話しを聞いていて、非常に中国の現状と今後について理解が進んだし、自分の考え方を確認できた。この番組は、放送が終わった後はポッドキャストにもアップされる予定。

 改めて紹介しますが、「中国の不良債権問題」は良い本です。


2007年11月12日(月曜日)

 (07:04)本を一冊紹介します。「イスラム金融入門」です。私も日経ビズポッドキャストで話題に取り上げるので勉強のために読んだのですが、なかなか良くまとまっていて面白かった。

 ま普通は「イスラム金融」になんて興味を持ちませんよね。私もそうだった。しかし調べてみたら、HSBC、モルガン、シティなど世界で名だたる金融機関が真剣にこれに取り組みだしたし、一方ではイスラム教国が多いアラブ諸国の石油輸出代金は急増している。そして一方で、トルコでも女性がスカーフを巻くようになってきたことで示されるイスラム社会全体の純化も進みつつある。関連諸国の金融も純化の可能性が高い。

 ということは、「イスラム金融」が世界でも伸びてくると言うことですが、実際にそうらしい。規模は1兆ドルという説もあるし、年間の伸び率もある見積もりによれば40%にも達しているという。日本の金融機関、関係者も当然注目せざるを得ない状況。

 イスラム金融ではコーランの教えで「利子」が禁じられている、というのは良く知られている。私もそれは知っていて、イスラム金融というのは利子という概念を使わずに、いかに資金を回すかだという風に思っていた。それは間違ってはいないのですが、その他にもイスラム金融というのは面白い仕組みがある。

 まず「シャリア」かな。この本によれば、シャリアとは「人のあるべき生き方を示す道」ということらしい。融資は投資もこれに基づいていなければならない。コーランが禁ずること、事業には資金を回せないというのです。酒造メーカーには融資も、投資も出来ない。博打もダメ。豚肉を扱ってはいけないと続く。

 面白いのは、イスラム金融機関には何がシャリアに合致しているのか、違反しているのかを決める委員会として「シャリア・ボード」が設けられる。それが、「これはいい、これはダメ」ということを決める、というのです。

 しかしこのシャリアはなかなかの優れものでなければならない。英語が出来、イスラム教のシャリアに詳しく、かつ金融とその仕組みを知らねばならない。麻雀で言えばリャンシの上の三役縛りというわけです。なかなかいない。シャリアは大学教授などが掛け持ちでなっているらしいのですが、彼等の所得は相当高いらしい。ま、シャリア・ボードでの審査は、言ってみれば「デューディリ」です。

 また面白いと思ったのは、「お金に色はない」というけれど、「これはいい、これはダメ」とシャリアに基づいてお金の行き先に評価を与えていくのは、考え方としては「社会的責任投資」(SRI)に似ている、と思いました。吉田さんもそういう考え方のようです。

 この本には、イスラム金融の形がいっぱい紹介されている。65ページには融資関連だけでも存在するイスラム金融の形が名前付きでずらっと紹介されている。覚えきれません。覚えたのは、ムダラバとムラバハくらいかな。ハハハ。

 債券取引(スクーク)もあって面白い。ビズポットキャストでも取り上げますので、乞うご期待。本は面白かった。


2007年11月10日(土曜日)

 (23:59)講談社の間渕さんから連絡があって、「日本力」の文庫版の出版は、2008年、つまり来年の1月20日だそうです。また接近したらここにアップします。

 ところで、今日の土曜版ワールド・ビジネス・サテライトは面白い話題が多かった。まずスケジュールの管理はPCや電子手帳よりは紙の、普通の手帳の方が支持者が多いという話し。これは趣味の問題ですから、どっちが正しいというわけではない。しかし、私も結局は「手帳支持派」です。

 何よりも優れているのは、手帳の一覧性と携帯性。人と話しているときに予定を書き込むのにコンピューターを起こす人はいない。時間がかかる。またケイタイを取り出して予定を入れる人もいるが、あまり好きではない。どうしても過去を見直す時にも肉筆が入っている手帳がいい。

 もちろん会社はスケジューラーでお互いの予定を摺り合わせしていますが、それらはあくまでも「公」の予定です。夜の飲み会の予定まで会社のスケジューラーに入れる人はそうはいないでしょう。会議や打ち合わせが主です。

 食糧備蓄の話で調べて面白かったことがある。それは、日本人が廃棄したり、必要以上に消費している食糧を合わせると年間3000万トンに上るという事実。廃棄はコンビニ(11%)、スーパー(8%)、メーカー(5%)、一般家庭(7.7%)、外食産業(5.1%)などの合計で、これが1800万トン。加えて1200万トンを日本人は必要以上に消費しているという。

 日本の食糧輸入量は、少し前の統計ですが大体6000万トンですから、その約50%に相当する量を、廃棄したり、必要以上に消費しているということになる。これは改善の余地ありですよね。ということは「腹八分目」にするだけで、日本は相当の食料輸入を減らせることになる。

 あと番組でも言いましたが、日本の農業に対する考え方を、「世界で食糧が余っている時代」の考え方から、「これからは恒常的に足りなくなる時代」に切り替えていく必要性があると思う。それは休耕田や休耕している畑を少なくし、そして農業を担う主体をきちんと育てると言うことです。

 それには株式会社のより自由度の高い農業への参入を認めることなどを進めるべきで、オーストラリアのように大干ばつにもなっていないのに遊んでいる農地がいっぱいある日本は、かなり食糧生産を増やせる余地があると思う。となれば、今は39%に沈んでいる食糧自給率も上がるという訳です。

 そろそろそういうことを考えていかねばならない時代に入ってきたと言うことです。


2007年11月09日(金曜日)

 (15:18)以前書いて講談社に出してあった「日本力」の文庫版まえがきのゲラが出来上がってきて、それをじっくり手直し。文庫版のまえがきは結構力を入れて書きました。状況も変わっていますから。

 一時の悲観論からは抜け出たものの、日本経済への先行き見通しは依然として晴れない。特にサブプライムなど過去にはなかった問題が世界経済を揺さぶっている最中だからです。行き過ぎたアメリカの金融資本主義の蹉跌が、余剰資金の多すぎる今の世界経済と市場を揺さぶっている。

 しかし人間は最後はリアルなモノに囲まれて生活しなければならない存在です。金融資本主義は富を生み出すのは素早いかもしれないが、揺らぎ出すと軸を見付けるのは難しい。今は価格そのものが消えているセクターもあって、何よりもプライシングが出来ない。よって、メリルだ、シティだ、モルガンだという名だたる金融資本が巨額の損失に揺れている。やがて自己資本の問題に直面するだろう。

 それはそれで世界経済の一つの危機だが、私の印象だとそういう中でも日本経済の居場所は比較的しっかりしている。「日本力」はそれを知ってもらうためにも役立つ本である。文庫版も、いや、文庫版だからこそ多くの方に読んで頂きたいと思っています。

 出版は最終的には決まっていませんが、2007年末から来年初めにかけてになると思います。講談社+α文庫から。


2007年11月08日(木曜日)

 (00:18)昨日一番面白いと思ったニュースは、「世界で最も美しい資産家とされるスーパーモデル、ジゼル・ブンチェンさん(27)が最近のドル下落を嫌がって、ヘアケア商品の広告出演契約をドルではなくユーロ建てにしてほしいと要求した」というもの。

 アメリカやイギリスのメディアが6日に報じている。この報道によると、ブンチェンさん(ブラジル人)は俳優のレオナルド・ディカプリオさんの元ガールフレンドで、米誌フォーブスによると、1年間の稼ぎは約3300万ドル(約38億円)に上るという。総資産が170億円に上る最もリッチなスーパーモデル。

 今回、アメリカの家庭用品大手プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)と広告契約を結んだが、相手がアメリカの企業でも下落が著しいアメリカ・ドルではなく、ユーロで契約料を受け取りたいと要求しているという。

 まあそうでしょうね。今見たら、ユーロ・ドルは既に1.47ドル台になっている。無論ユーロの対ドルの史上最高値。このところのチャートを見ると、ユーロが対ドルでほとんど一直線に上がっている。ドルで受け取るお金は、使わないでいるとみるみる目減りする。産油国が陥っているジレンマと同じです。だから例えばユーロ建てにしてみると、原油価格はそれほど上がっていない。弱い通貨のドルで表示するから、資源価格が上がって見えるという側面もある。原油の100ドル越えは近そうですね。

 円は今は113円台の前半ですが、京都から新幹線で戻ってくる間にちらっと見たら112円80銭近辺があったようです。つまり円は対ドルでは強い。ドルが今は最弱通貨になっている。円高は石油を含む資源価格の日本にとっての購入価格を引き下げる効果があるが、輸出には打撃になる。日本の株式市場の反応が気になるところで、実際水曜日の東京市場は朝方強かったのに午後は下落した。円高が響いている。

 今回のドル安はちょっと根が深いかもしれない。なにせ、アメリカ経済はサブプライム問題という根の深い問題に直面しているからで、円は金利が異常に低いという問題を抱えながらの対ドルでの上昇圧力、他の通貨に対する下方圧力という展開となっている。しばらく対ドルでの円高警戒モードだと思います。

 ところで、京都では毎年の同地経営者との懇談でした。大阪の企業はかなり本社を東京に移してしまったが、京都の企業はしっかり残っている。少しの時間でしたが、いろいろな企業の方と話が出来るのは勉強になる。高台寺はライトアップを開始したそうですが、紅葉はまだ。まあでも12月を待つほどでもないらしい。こちらは日程の選択が難しい。


2007年11月07日(水曜日)

 (10:18)結局、小沢さんは辞意撤回ですか。今朝の新聞がいろいろ書いているからあまり新たに書く気にはならないのですが、まあでも分かりませんね。なぜこういう展開になったのか。憶測は出来ますが。政治の世界はどんでん返しですからどうなるか分かりませんが、民主党には当面大きな打撃でしょう。夕方の議員総会と記者会見で何をおっしゃるのか。

 ところで非常に参考になる本を読みました。富士通総研経済研究所上席主任研究員である柯隆(か・りゅう)さんが書いたの「中国の不良債権問題」という本です。副題が「高成長と非効率のはざまで」となっている。

 言うまでもなく、今の中国の高成長にはいろいろな問題が付随していることが指摘されている。貧富の格差拡大、環境破壊、投資過多と消費の盛り上がり不足などなど。しかしこの本は中国が抱える広範な問題の中でも、特にいまだに政治意志で融資が曲げられるケースが多い銀行融資と、それが容易に不良債権になる中国の金融に関わる問題を取り上げている。

 取り扱い箇所を絞った本だが、それ故に深く掘っており、その掘った地点から一点突破の形で中国が抱える周辺の多くの関連した、そして時にはあまり関連しないが大きな問題が浮き彫りになってくる。

 柯隆さんとは一緒に中国に何回も行っている仲だが、かねてより彼の手になる本を待ち望んでいた。多分忙しくてあまり本を書く暇もなかっただろうし、書くのだったら経済学の基本に照らして中国経済を論じたいという希望のあったのだと思う。実にしっかりした本だ。

 ジャーナリスティックに問題を騒々しく取り上げるだけでなく、今の中国経済が直面している問題を静かに掘り下げているのが良い。上海万博が終わって2年ほどした2012年頃に中国経済の大きな曲がり角が来るという予測には、頷ける点が多い。

 成長し、今の中国国民に「統治の正統性」を示さねばならない胡錦濤政権。しかし成長が容易に歪んでしまって、それが中国国内に政治的不満を鬱積させるという実態。そしてそれを是正できないジレンマ。中国の今と今後は我々日本人にとっておおいなる関心事項だが、この本は一読に値すると思う。


2007年11月06日(火曜日)

 (15:55)紅葉が深まった新千歳から関空行きの飛行機に乗って大阪に入り、関西テレビの番組を追えた後、まだ紅葉の観光客は増えつつあるものの、ちっとも紅葉が始まっていない京都に入っています。

 札幌の運転手さんは紅葉について、「今が盛りですよ」と言っていましたが、正直言って札幌の紅葉はあまり綺麗ではなかった。千歳空港から札幌に向かう列車の中でも思ったのですが、あまり枝振りの良い木がない。つまり葉っぱが少ない。大規模な農地開墾が進んでいるということでしょうが、それが紅葉が大規模に綺麗には見えない一つの理由でしょう。

 京都は全く紅葉の気配はない。運転手さんや地元の人は、「12月に入ってからじゃないですか」と。しかし事前に計画されたイベントは11月の中旬からが多いし、京都旅行もそれで計画で練られている。

 気候の変化については、札幌でもいろいろな話しを聞きました。いつもは取れない場所(海)で魚が捕れる、西日本の稲作は猛暑で駄目だが、昔は米生産には向いていないと言われている北海道での稲作が今年は好調だとか。

 今朝のNHKのニュースが、九州の南部で熱帯にしか見られなかったカタツムリが繁殖していると報じていましたが、日本全体が温暖化する中で、動植物の生態系が徐々に変わってきていると言うことでしょう。

 札幌の運転手は、「今朝はゼロ度でした。もう1、2週間で雪が舞います」と。寒かった訳です。しかしその寒さが食べ物を美味しくする。


2007年11月05日(月曜日)

 (23:55)東京から来た感じでは、特に夜はもう冬の印象です。大部分の人はコートを着て、「寒い」といって肩をやや丸めて歩いている。頬に触る空気は、確かに寒い。

 久しぶりの札幌です。去年の7月末に来ているので、1年と3ヶ月ぶり。日経BPさんが開催したビジネスフォーラムの基調講演のため。結構大きなフォーラムで午前中には商談会があって、東京はもちろん秋田や青森からもビジネスマンが来たらしい。

 北海道は経済的には引き続き厳しい。雇用創出産業の欠如が原因です。夜のすすき野などタクシーの大行列。「今日はまた月曜日ですから」と運転手さん。「この4年くらいで1000台増えましたから」と供給過剰を嘆く。

 注意してみていたら、私がずっと前から気にしている「タクシーのドア開け」がまだ横行していて、客待ちのタクシーの3割は既に寒いのにドアを開けている。

 「開けていないと、迎車だと思われてしまうのですよ」という運転手さんもいるが、見れば「空車」だと分かるので、冬の寒い時期はドア開けはやめた方が良いのではないかと思うのです。福岡が元気になってきた割には、札幌はまだで、何故そうなるのか、どう対処したらよいのかのアイデアなどを含めてお話ししました。

 しかし街が綺麗になってきている面もある。伊勢丹と提携している丸井今井(デパート)の地下が先週から改装オープンになっているというので行ってみましたが、確かに人出も多く、食品も綺麗に並んでいる。

 札幌に来て思うのは、「食材が美味しそう」というものですが、つい何品か買ってしまいました。その中で、ふくらかという店で一番行列が出来ていて、私も4個買って夜の会食の場で4人で食べましたが、まあまあですかね。

 札幌は今の季節は毛ガニやらなにやら、いっぱい海の食材がある。最近は北海道の寿司屋が何軒か東京に店を出していて、日常的に北海道の海の幸が食べられるのですが、やはり本場は良い。

 ところで、代表への残留を求める党執行部の要請を「心の整理が必要だから」といって小沢さんは留保の姿勢を示したらしい。もうこうなってくると、彼がどう決めるかはわかりません。せっかくの時間をもらっておいて、「やっぱり辞めます」というのも考えにくい。

 逆に、「そういうことなら」と無条件で代表に戻ってくるとも思えない。いったんは小沢さんが「これは行ける」と福田さんと話し合って進めた自民連立を、民主党の役員会は小沢さん抜きで「(それは)駄目だが」と条件付けしている。一方が条件を付け、一方が条件を付けないというのなら、ちょっとバランスを欠くように思う。

 「同じでいるためには、(自分も)変わらなければ」と言って代表になった小沢さんだから、「今度は自分が変わる」というかもしれない。しかし、何よりも露呈したのは民主党の人材不足と言うことだ。戻っても、小沢さんの求心力はこの騒動の前より格段に低下すると考える。

 小沢さんが出す最大の条件は、「危機感を持って、民主党員全員が次の選挙で勝つことに全力目指す」と言ったことになるのではないか。昨日は、「このままでは、民主党は次の選挙では勝てない」と言ったばかりですが。ですから、「矛盾」が積み重なりつつあるという気もする。


2007年11月04日(日曜日)

 (18:55)記者会見が40分も遅れた間に、菅代表代行や鳩山幹事長はまず慰留を試み、それがダメだと分かると「(記者会見では)何をおっしゃるんですか」「最後は民主党の立場を考えて会見して下さいね」といったことを迫ったんでしょうね。でなければ40分も遅れない。

 その割には、小沢さんの記者会見は率直なものでした。辞表は預かりという形になっているのですが、福田首相の連立提案を今の民主党が取り得る一つの道と考えて敢えて自分が持ち帰って諮ったのに、「(それが)私が選んだ役員に否定されたことは不信任を受けたに等しい」と彼は言った。

 そこまで言ったら、辞意を翻し代表で居続けることは難しいでしょう。民主党が「それでも代表でいてくれ」と頼むのは、一端拒否した「連立」に、再び走ることを認めるに等しい。それは民主党は出来ないでしょう。

 ということは、記者会見前に書いた通り、与野党のトップが1ヶ月余で二人とも辞めることになる。自民党は安定感のある次のリーダーを選んだ。しかし民主党は先ほど書いたように次の代表選考は難しい。

 小沢さんは辞任を表明するだけでなく、非常に重要な、場合によっては民主党に大きな打撃になりそうなことを言い残した。

  1. 民主党は政権を取るには力量不足
  2. 次期衆議院選挙での勝利は厳しい
  3. 連立参加が民主党政権樹立の近道
 といった点だ。1.2.は代表として今の自分の党に自信が持てない、と言っているに等しい。今の民主党の中では、小沢さんは一番といっていいくらい政治的経験がある。その人が執行部から抜ける訳だから、余計民主党は「力量不足」になってしまう。

 そしたら力量を感じさせる人を次の代表に選ばなければならないが、そしたら渡部恒三さんかというとそうはいかない。では、菅、鳩山。ここでは、またあの二人かという既視感がある。岡田さんを推す人が多いが、「力量十分」と言えるのか。前原、野田か。実に難しいのです。

 小沢さんは、「混乱のけじめ」を付けると言って、実はそれ以上の混乱を民主党に残した。もっと言えば、小沢さんは党を割るかも知れない。新たな「自自連立」(自自公かもしれないが)の可能性もある。小沢さんのおかげで政権に一歩近づいた民主党は、逆に小沢さんのおかげで政権から遠ざかることになる。少なくとも当面は。小沢さんが「壊し屋」との非難を回避するのは難しい。

 私が望ましいと考えていた日本の政治の姿は、例えねじれの状態でも二大政党制の下で歩み寄れる政策では政策協議を進め、粛々と政治を前に進める政治です。政権交代も念頭に置いている。だってそうじゃないですか。両党の党首が「連立」まで考えるんだったら、考え方はそれほど乗り越えられない訳ではない。連立ではなく個々の党になっているから政局が生じて、その政局が政策を妨げていると認めたようなものだ。

 小沢さんはせっかく参議院のほぼ多数派をもらったのに、今回辞任することになって「国民に申し訳ない」と述べた上で、「自分の存在が党にマイナス」と述べた。「自分の存在がマイナス」とはつい1ヶ月前に聞いた台詞だ。安倍首相も確かそう言っていた。その人は辞めれば精算される。しかし残された者は次の体制を作り上げるのは容易ではない。

 小沢さんの辞め方も納得性に欠ける。


2007年11月04日(日曜日)

 (14:55)昼寝をしていて起きて、テレビを付けたらどこかのチャンネルが「小沢代表が辞意を固める」とフラッシュで報じている。昨日ああいう文章を書いただけに「あり得る」と思ったものの、見間違いないかなと思っていたら、ケイタイに「民主党の小沢代表が辞任の意向を固めた」と出た。これは時事通信の速報だ。

 ネットを調べたら、読売新聞のサイトが

 民主党の小沢代表は4日午後4時、党本部で緊急の記者会見をする。自民党との連立政権構想をめぐる責任を取って辞任する意向を表明すると見られる。

(2007年11月4日14時18分 読売新聞)

 と伝えている。東京新聞のサイトにも、「持ち帰りに批判」「党幹部が慰留」とある。この手の報道は、朝日と日経のサイト以外にはすべて出ている。「慰留している」ということは、翻意の可能性があるのか。

 恐らくない。小沢さんとはそういう政治家だ。事を起こし、ダメだと一回撤退してきた。今回もそうではないか。今の時点の記事には、「合計3回に渡って党首会談を受け、連立の提案を即座に断らないで党に持ち帰り、党内を混乱させたこと」となっている。表向きはそうなるかもしれない。

 しかし、見ている我々として知りたいのは小沢代表が実際には何を考えていたのかである。連立は実は小沢さんが持ち出したのではないか、給油には実は賛成だったのではないか、連立の後の政権では何をしようとしていたのか、辞任したあとの民主党がどう展開すると思っているのか、など。記者会見に同席できたら聞きたいことはいっぱいある。ははは。無理ですが。

 安倍さんが辞めるときもこんな感じでしたな。まず報道が流れ、それから当人が記者会見する。これで1ヶ月ちょっとで日本の最大与野党の党首が相次いで辞める。ちょっと異常な事態ですね。

 まあでも、記者会見を待ちましょう。まだ1時間ある。一寸先は闇が政治の世界ですから。小沢さんが辞めて、仲間を連れて自民党に戻ったりしたら、大きな、世界も仰天する政界再編になる。まあないでしょうが。


2007年11月03日(土曜日)

 (23:55)与党または連立与党が衆参両院の多数を握り、最後には国会で法案を通せた古き良き時代から、衆参がねじれ、加えて与野党が対立姿勢を強める中で重要法案が一本も通らない今の状況へ。新事態への対処は大きな課題だ。なぜなら、「ねじれ」は民主党が衆議院で多数を取らない限り最低6年続く可能性があるからだ。

 今の日本の政治のトップに座る二人の人間として、「ねじれ」という新しい事態への解決策を考え、ともに模索したことは理解できる。二人に日本の政治への責任感はあったと思う。しかし、福田首相と小沢民主党代表は、「大連立」という納得性に欠けるルートを先ず密室で話してしまい、国民は全くの蚊帳の外に置かれたというのが今回の騒動だろう。そんなことが可能なら、我々の選挙での投票の意味はどこにあるのか。

 これは自民党と民主党の両方で指導部の若返りを促す可能性が高い。「では誰が」というところで人材不足が露呈する日本の政治の現状だが、少なくとも二人がとても古い政治観の持ち主であることが明らかになってしまったからには、世代交代はあまり時間を置かないで起こるだろう。

 思い返してみると、安倍政権の一年間には強行採決の連発が見られた。「数の力」が前面に出たあの国会の姿は異常だったが、そこから一転して、今度は衆参の多数派がねじれたことによって、重要法案が一本も通らないという事態になっている。どっちも正常ではない。今の日本は戦後の人口増加時代から減少時代への切り替わり期にあり、いろいろな制度が方向転換を必要とする時期にある。ハンドルは動かさざるを得ず、それに必要な法案はいっぱいある。

 今の事態を正確に予測していたかどうかは別にして、「ねじれ」を選択したのは国民である。スキャンダルもあったが、「なんでも強行採決」の安倍型政治手法への不満・不安から、国民は民主党に参議院選挙で大きな議席を与えた。国民の側に「参議院だからいいや」という軽い気分もあっただろうが、それでも国民が選んだが故の「ねじれ」だ。ということは、国民は「ねじれ」の中で政治をやってみなさいと日本の政治家に求めたと言うことだ。

 だから今の日本の政治に必要なことは、すべて政局に結びつけてあらゆる法案で与野党が対立するということではなくて、合意形成ができるものから成立させる、「ねじれ」の中でも日本の政治が法律を生み、予算と通すことが出来ることを示すことだった。私の理解も、与党(連立を含む)が衆参両方を握り、最後は野党を押し切れた緊張感なき時代に決別し、まったく違った緊張感を日本の政治が持たされたことは良いことだ、というものだった。

 しかし二人の政治家が一週間に二回(三回とも言える)も密室で何を話しているのだろうと思っていたら、日本の政治にもたらされた新たな、そしてある意味では歓迎すべき緊張感からの、安易な脱出方法だった。もちろん「大連立」という単語が先行していて、では二人がどの段階まで話していたのかは詳らかではない。密室で行われていたのだから。しかし一説には「閣僚の割り振り」までしていた、という。

 小沢民主党代表の責任は、党内で厳しく問われるだろう。まず第一に彼はアメリカのシーファー駐日大使との会談をテレビの前でしてみせてまで、「密室では政治はしない」「談合はしない」と宣言した。その舌の根が乾かないうちの一週間に二度三度の福田首相との非公開会談である。その内容は漏れ伝わってくるだけだ。原則を打ち出しておいてそれを覆すのは国民に示した姿勢に合致しない。細川政権の末期に出た小沢さんの政治手法を思い起こした。

 多分小沢さんの頭には既に「代表辞任」の文字がちらついていると思う。状況証拠から言えば、民主党の鳩山幹事長などは「与党の情報操作」と呼んでいるが、「連立」は福田さん以上に小沢さんの頭の中にあって、それが顕在化したのだろう。かなりの確率で、小沢さんが持ち出したものとも考えられる。

 そうでなかったら、連立の話を「党の持ち帰る」なんてことはしない。小沢さんは「持ち帰って、他の民主党の幹部を連立でまとめられる」と考えたのだろうし、恐らく福田首相にもそう言っているに違いない。福田首相は「大丈夫ですか」とも聞いたという。普通の政治感覚ではそうだ。しかし小沢さんは「できる」という腹づもりだったようだ。そこが良く分からない。

 そこには「次の衆議院選挙では勝てない」との彼の読みがあったのかも知れない。国民の感覚で言えば「もう一つある」議院である参議院での3年に一回の選挙では国民は議席をくれたが、国政により大きな発言権がある衆議院ではそうはいかないかも知れない、という代表としての焦り。

 「それだったら連立もある」という思いと、もう一方には「6年間も政局絡みだけで日本の政治が展開し、結果的に日本の政治停滞を招くのも政治家としていかがなものか」という真摯な考え方も、小沢さんの中にはあったのでしょう。しかし民主党が「まかせられる」政党であることを示し続ければ、私は次の衆議院でも民主党が勝つチャンスはあると思っているのです。

 しかし逆に小沢さんは、自分の党への自信のなさを示してしまった。しかも連立の実際的な実現可能性は極めて低かった。今の小選挙区制では難しい。連立したら選挙区では連立として一人の候補者を絞らねばならない。これは自民、民主、それに自民と連立与党を組む公明党の議員達にとって非常に大きな不安材料だ。逆に、社民党や共産党には伸びるチャンスだった。だから中選挙区制への復帰論が出てくるのだろう。しかしこれは安易だ。仮にだが、小沢さんが辞めた後の民主党の代表選びは難しい

 連立構想の立役者と噂されるは某新聞社の最高幹部だ。日本のプロ野球の人気を低迷させる数々の騒動の立役者でもあったが、この幹部がどの程度影響力を及ぼしたのかは私は知らない。しかしそんなところから出てきた発想に、国民から選ばれた政治家が右往左往しているのを見るのは寂しい限りだ。

 もっとも、福田首相が連立の発想を持ったのは前回の参議院選挙結果が出た頃からだという。「ねじれ」の乗り切りには、確かにアイデアが必要だ。そして首相になり、インド洋における自衛隊の給油活動継続に関する法案も通らない状況で、一段と「連立」の魅力は高まっていたのだと思う。一方の小沢さんには、「自衛隊派遣に関わる恒久法」の発想があった。しかしこの二つを簡単にエクスチェンジしていいものだろうか。

 恐らく今の日本の政治に必要なのは、「ねじれ」の中でも法案を通し、予算を通す枠組みを作り出す知恵だろう。それが生み出されるまでは、インド洋の給油活動中断は、日本が国際社会の中で何を期待され、どうやって生きていけるかを見る上でも、多少長引いてもかまわないと思う。

 日本はアフガニスタンでもっと出来ることがある。アフガニスタンが安定を取り戻さないのは、まともな産業がなく、雇用が生み出されていないからだ。だから若者がテロやけしの栽培、それに雇ってくれる軍閥に走る。既にこの点で日本が貢献を開始していることは評価できる。条件が整えば、給油も再開したらよい。

 二大政党があって、それが時に対立しても政治が進む、というのが理想である。なぜなら「ねじれ」は今後6年間だけでなく、継続的、断続的な存在かも知れないからだ。それが二大政党制の意味でもある。その二大政党が連立してしまったら、国民の選択肢は貧しくなる。またもや大連立与党の横暴が生じかねない。

 今の段階では、二人の間から出てきた「大連立」は貧しい発想である。自民、民主両党には「ねじれ」の中でも日本の国益と将来の為に政治が出来る形と実績を示して欲しいものだ。恐らくそのためには、政局と政策の分離が必要だ。


2007年11月02日(金曜日)

 (16:55)日経エコマネジメントの第8回コラムがアップされています。引き続きインドを取り上げています。

「エンタな解体新書収録後の一枚」  ところでインドで思い出しましたが、先日「エンタな解体新書」という番組の収録に参加したと書きましたが、写真が実際の放映より先に私の手元に送られてきましたから、ちょっとそれを掲載します。

 確かこの服をニューデリーのチャタルジーさん行きつけのテーラーで買ったのは2005年です。先日も書きましたが、採寸までして作ったのです。インドに何回も行っていますから、記念に。その国を好きになった証拠です。

 しかし日本ではなかなか着る機会がない。今までギャオの番組や日経CNBCの番組で合計3回くらい着たかな。ははは、番組のコンセプトを聞いたときに、うーん着てみるチャンスかなと思って。実は2着作った。この白いやつとは別に、薄いグレーの奴を。それはまた別の機会に着てみるつもりです。

 スタイリストが持ってきたとしたら、とても着られない。自分の持ち物だから着られる。まあ一応、スタジオの方々には「全く違和感がない」という話が多かった。ははは、お世辞かもしれませんが。

 おっと、番組は3日、明日ですが午後3時30分から午後5時24分まで。「人間の面白行動を切る!!」が言ってみれば副見出しです。なかなか面白いと思います。お楽しみ下さい。


2007年11月01日(木曜日)

 (20:55)うーん、中村紀洋の涙にはほろりときましたね。本当に彼にとってはいろいろ苦しいことがあったシーズン。日本シリーズMVPとなれば、涙も出るでしょう。インタビューで「中日ドラゴンズの皆さん、有り難うございました」と素直な言葉がありました。

 今年の中日が違うと思ったのは、クライマックス・シリーズの前でした。レギュラーシーズンで優勝できなかったからということで、落合監督が丸坊主にした。あれは選手のやる気を引き出したと思う。「監督がそこまで思っているのなら」と。三度目の正直ということもある。

 巨人は中二週間ほど空いたと言うこともあったが、監督の選手掌握の部分でやはり軍配が落合監督に行ったんでしょうね。しかし巨人もかなり力が付いてきている。来年は面白いかもしれない。

 しかし、途中から見ていた試合で思ったのは、「やはり山井投手のパーフェクト試合達成。日本シリーズの優勝を決める試合でのパーフェクトを見たかった」ということです。正直投手交代が告げられたとき、「なんていうことをするんだ」と思いました。

 結果は分かりませんよ。あのまま山井を投げさせたら、打たれたかもしれない。しかし私の山勘から言えば、山井でも9回の表のファイターズの攻撃を抑えることは可能だったと思う。

 まあ落合監督も3点差だったら、山井を代えたなかったのでしょう。しかし、しかしです。球場からも9回表が始まるときに、「やまい」コールが起きていた。あそこで一瞬私も力が抜けました。岩瀬も三者凡退にハムを打ち取って、二人の投手での「パーフェクト」。

 あれ、複数投手でのパーフェクトというのは、去年だったかヤンキースがどこかにやられていたと思う。


2007年11月01日(木曜日)

 (03:55)結構悩んだだろうし、議論も白熱したんでしょうが、注目されていたFOMCは以下の声明を残してFF金利誘導目標と公定歩合の0.25%引き下げを発表した。FF金利は4.5%となり、公定歩合は5.0%となった。

Release Date: October 31, 2007

For immediate release

The Federal Open Market Committee decided today to lower its target for the federal funds rate 25 basis points to 4-1/2 percent.

Economic growth was solid in the third quarter, and strains in financial markets have eased somewhat on balance. However, the pace of economic expansion will likely slow in the near term, partly reflecting the intensification of the housing correction. Today’s action, combined with the policy action taken in September, should help forestall some of the adverse effects on the broader economy that might otherwise arise from the disruptions in financial markets and promote moderate growth over time.

Readings on core inflation have improved modestly this year, but recent increases in energy and commodity prices, among other factors, may put renewed upward pressure on inflation. In this context, the Committee judges that some inflation risks remain, and it will continue to monitor inflation developments carefully.

The Committee judges that, after this action, the upside risks to inflation roughly balance the downside risks to growth. The Committee will continue to assess the effects of financial and other developments on economic prospects and will act as needed to foster price stability and sustainable economic growth.

Voting for the FOMC monetary policy action were: Ben S. Bernanke, Chairman; Timothy F. Geithner, Vice Chairman; Charles L. Evans; Donald L. Kohn; Randall S. Kroszner; Frederic S. Mishkin; William Poole; Eric S. Rosengren; and Kevin M. Warsh. Voting against was Thomas M. Hoenig, who preferred no change in the federal funds rate at this meeting.

In a related action, the Board of Governors unanimously approved a 25-basis-point decrease in the discount rate to 5 percent. In taking this action, the Board approved the requests submitted by the Boards of Directors of the Federal Reserve Banks of New York, Richmond, Atlanta, Chicago, St. Louis, and San Francisco.

 声明を読んでまず気が付くのは、最初の部分。「第三・四半期は経済成長は solidだ」と言っている点。確か前回の米経済成長に対する見立ては「moderate」だった。つまり良くなっている。これは後述するこの日午前発表のGDP統計が良かったからだと思われる。それを織り込んでも、さらに「strains in financial markets have eased somewhat on balance」でも利下げした、という点がまず重要です。

 声明の次の特徴は、「第三・四半期はしっかりしていたが、今後は住宅市場の調整が強まることもあって、経済の拡大ペースは落ちる」と予想している点。つまり将来(今年最終四半期と来年にかけて)を懸念している。そして9月の0.5%利下げと相まって今回の利下げは、「should help forestall some of the adverse effects on the broader economy that might otherwise arise from the disruptions in financial markets and promote moderate growth over time」と述べている。

 「should help」以下は前回と同じ単語を使っている。「もし利下げしなかったら生じたであろう米経済全体への悪影響を未然に防ぐのに役立つはずだ」と利下げを正当化。私が受ける印象は、事前に言われた「保険的利下げ論」をFOMCが採用したように見える、というものだ。

 その次に「The Committee judges that, after this action, the upside risks to inflation roughly balance the downside risks to growth.」と言い切っているのは、議論が残るところだろう。今のアメリカの住宅市場が合わせて二回、0.75%の利下げで本当に調整終了の段階に進むのかどうか。まあ他のセクションが利下げで活発化するので、相殺できるという議論なんでしょうが、これはどうでしょうか。住宅は非常に息の長い投資だし、不動産価格の波は大きく長い。

 対して、インフレ圧力は原油相場の94ドル台を見ても高まっている。実際にこの声明でも、「recent increases in energy and commodity prices, among other factors, may put renewed upward pressure on inflation」とインフレ警戒の色を強めている。「renewed」ですからね。この表現は前回9月18日の前回FOMCにはなかった。

 「インフレ上昇圧力が再燃」と表現しながら、それでも利下げをせざるを得なかったFRBのジレンマは深いし、その点に関しては議事録が発表されるのを待たねばなりませんが、随分議論もしたでしょう。

 一方、FOMCの声明発表前に午前中に発表された米7−9月期のGDP統計は、予想外のものでした。この統計を見てニューヨークの株価は上昇し、ドルも久しぶりに対円で115円台に乗せた。

 発表された統計によると、同期の米実質GDPの伸び率は3.9%に達した。8月中旬のサブプライムローン問題の顕在化による米経済先行き不安や株安があったものの、個人消費の堅調やドル安もあっての輸出の増加によって、アメリカ経済は第二・四半期の3.8%、第一・四半期の0.6%よりも高い伸び率になったことになる。つまり、第三・四半期の統計が改訂されなければ、アメリカ経済は第三・四半期までは今年は加速を続けたと言うことだ。

 中身を見ると、住宅部門で住居用住宅投資は20.1%の減少を記録した。これはGDPを1%ポイント押し下げる効果があったとされた。しかし消費は3%も増加し、これがGDP統計を2.1%ポイント引き上げたほか、輸入よりも輸出の伸びが大きかった結果、国際貿易分野でGDPは1%ポイント引き上げられたという。つまり、7−9月期を見る限り、住宅分野の冷え込みは、米経済の他の部門に少しも波及していないことになる。

 もっとも既に一ヶ月がたった今年の最終四半期については、「米経済は鈍化する」との見通しが一般的。まあアメリカの統計のことだから、7−9月期についても「大幅修正」の可能性がある。

 GDP統計やFOMCの利下げ発表を受けて、ニューヨークの株価は今現在ダウで120ドル以上上げ、為替は115円台の前半。



ALL RIGHTS ARE RESERVED.Copyright(c)1996〜2016 伊藤 洋一