2007年09月29日(土曜日)

 (11:34)ネット(途中のニュースを除く放送時間)で100分の番組を収録するのに、やはり3時間の時間を要しましたね。午後8時半に始まって、終わったのが午後11時ごろかな。石川さんと最初に「終わるのは午前1時ですね」とか言っていたから、それよりは早かった。

 時間がかかるのはしょうがない。北京や上海(各3人の学生やビジネスマン)と結んで、スタジオにも日本の方々合計8人のビジネスマンや学生がいらっしていたので、手順を踏んでやるとそうなる。

 番組のあとは、「あああそこはこういえば良かった」というのが一つくらい必ず残るもので今回も最後のまとめの処は「こう言えば」というのが残ったのですが、全体には結構面白かった。私としては中国問題は個々の番組では取り上げてきたし、ゲストを迎えて討論したこともあるのですが、私以外は中国の専門家の方々と話が出来た、彼等の主張を聞くことが出来たのは面白かった。

 放送は明日です。 

  タイトル=日中国交正常化35年 新たな関係をどう築くか

  放送日時:2007年9月30日(日)第1部22:10〜23:00第2部23:10〜24:00

 まだ放送の前なので詳しいことは見ていただければ良いのですが、要するに私が一番言いたいのは中国は経済ばかりでなく政治も開発途上だということです。食品などの不祥事が起きると、中国は「まだ途上国だから」と言う。だからといって許せることと許せないことがあるのですが、実は政治が一番開発途上だということです。決して成熟していない。そこがこれからの一番の問題です。政治が成熟しないと経済も成熟しない。

 激論あり、対立ありで参加していて面白かった。


2007年09月28日(金曜日)

 (23:34)金曜日なのでTBSでラジオの放送だったのですが、朝の8時直前にやじうまに目をやったら、西脇君と伊藤りえちゃんが花を抱えてお別れご挨拶。局内なので音は絞ってあったのですが、二人とも今日が当面最後のスタジオ。

 西脇君は法務部だと言っていたな。彼はああ見えて司法試験合格者です。伊藤さんは出産のため(?)。お二人ともご苦労様でした。番組は始まったり終わったり。その番組の中でも、人が入ったり、出たり。それを繰り返す。一期一会です。でもいろいろなところでまた出会う。お二人には、「お元気で」ということで。

 この一両日はフィナンシャル・タイムズの記事が面白い。昨日の一面トップは中国が三峡ダム(Three Gorges dam)が地域の環境に壊滅的な打撃となる危険性を認めたという記事でこれが面白かったし、今朝の一面は以前このコーナーでも触れたことがある「sovereign wealth funds」に関する透明性確保の問題を取り上げている。

 三峡ダムは建設中の2001年に行ったのですが、当時からその建設決定とメリットについては疑念がもたれていた。格好の空襲ターゲットになるとか、上流からの土がたまって決壊の可能性ありとか、上下流の環境に壊滅的な打撃になるとか。今はそれが現実問題となっている。しかし作ってしまったものを壊すわけにはいかない。いかに保守し、利用するか。しかしこれがなかなか難しい。今問題となっているのは、ダムの上流で起きている地滑り、土砂などの沈殿、浸食など。下流では水流が弱くなったことによる藻の繁茂、水質悪化など。既に魚の住めない川になっているとの指摘が多い。

 ソブリン・ウエルス・ファンドに関しては、「透明性」の担保がなければ、欧州での同ファンドの投資は制約されるべき、との欧州委員会サイドの見方が紹介されている。まあそうでしょうね。日本の年金が結構腰を入れてイギリスの国債を売り買いしたときに相場が上下してサッチャーが怒ったことがあったのですが、同ファンドの持つ力は「The Seiho」以上ですから。

 今朝のウォール・ストリート・ジャーナルで一番面白かった発言は、株価市況記事の中に入っていた

"The market was concerned about housing, but it's such an old story,"
 かな。housing というのは日本では一般に「サブプライム問題」とされているものです。それが「懸念材料だった(was concerned)」と表現した後で、「しかし、それは随分昔の話(but it's such an old story)」と言い切っている。

 実際のところ、ニューヨークのダウ30種工業株指数は木曜日の引値で13900ドル台と、新値(14000.41だったかな)にあと一歩。「あんなの昔の話」とでも言って忘れないと今の現実が説明できない、ということはある。この問題については、今週のnews and analysis で取り上げておきました。


2007年09月27日(木曜日)

 (23:34)レギュラーではない番組の告知です。番組名は新BSディベート

  タイトル=日中国交正常化35年 新たな関係をどう築くか

  放送日時:2007年9月30日(日)第1部22:10〜23:00第2部23:10〜24:00

 今週は新聞などで特集記事が相次ぎましたが、この番組は北京や上海とも結んで進行する予定です。お楽しみに。


2007年09月26日(水曜日)

 (23:34)最近面白いと思ったニュースはこれかな。サムスンがアルマーニと組むという。日本の家電メーカーもどこかと組んだ方が良いのでは。デザインに問題がある製品が多いので。

MILAN -- Italian designer Giorgio Armani's announcement that he is teaming with South Korea's Samsung Electronics Co. to develop a line of high-end electronic goods underscores how top fashion houses are stretching the boundaries of the luxury-goods industry as they search out new products to brand.

Under the alliance, Mr. Armani will design electronics such as handsets and liquid-crystal-display television sets manufactured by Samsung, and will distribute them through his world-wide network of boutiques. He will unveil the alliance's first product -- a credit-card-sized cellphone -- at his fashion show in Milan today, the companies said.

Mr. Armani, 73 years old, is the latest Italian designer to plunge into the highly competitive electronics industry. Fashion house Dolce & Gabbana has introduced a gold-colored Razr cellphone made by Motorola Inc., and Prada has designed a touch-screen cellphone for South Korea's LG Electronics Inc.

 品質が良くてもデザインで抜かれている日本の製品はいろいろありますよ。加えてアイデアかな。アイデアとデザイン。日本も以前は悪くなかったと思ったのですが。


2007年09月25日(火曜日)

 (23:34)大臣がころころ替わるのが良いとは思っていないので「やはりこの人は続けるのか」と納得できる人もいるのですが、「あらら」という人も数多い。トップが変わったのに、ここまでメンバーが入れ替わらないのも珍しい。

 トップを変えると言うことは「雰囲気を変える」ということなのに、これでは「どこに変化を表すのだろう」と疑問に思う。まあ逆に、今回の内閣はとりあえずスタートにおいては「変化はいらない。安定が欲しい」ということなのだろう。

 結局安倍さんになかったのは、私が以前このコーナーにも書いた「闘争技術」だったんでしょうな。マスコミや党内の批判と向き合う技、部下の過去を調べ上げる技術(周りの人の技術とも言えるのですが)、自分の理念を伝える伝達術、危機を乗り切る能力。

 多分「理念」は述べられても、この「闘争技術」がなければそれを実現は出来ないのです。良い例が、同じ「社会主義」を唱えても、党内で闘争技術の優れた人間だけが生き残った過去の社会主義国家の例などを見れば良い。それに優れていたのがスターリンだったり、毛沢東だったりする。

 安倍さんの場合は、良い悪いの問題は別にして掲げた理念がでかかった(曖昧だった)割には、それを実現する手だてに対する具体性も、政治的連合の作り方も、人の動かし方も、国民とのコミュニケーションの方法においても、習熟には遠い状況だった。そうこうしている内に、理念に押しつぶされてしまったということでしょう。

 見ていると福田さんにはあまり「理念性」は感じない。そもそも政治家になるはずだった弟さんが亡くなったという現実の前に53才という遅いスタートを切った。彼が政治家になったときには、小沢・民主党党首はもう幹事長だったという。

 まあでも「このメンバーで民主党と総選挙を戦えるのか」という気はする。はっきり言って民主党も「どこから剥いてもあの3人」という状況だ。しかし「一回はやらせても良い」という新規性が民主党にはある。やはり選挙に勝つには、人物であったり、政策であったりと「旗」が必要だ。善し悪しは別にして、小泉さんは「旗」を見せるのが美味かった。安倍さんはそれを期待されたが、まったく逆に出てしまった。

 新内閣が出来て一応の落ち着きを日本の政治は取り戻しつつあるが、政権の行方という点においてはこれからもガタガタするでしょう。何せ衆議院と参議院で捻れている。大きな曲がり角の時期なのに、暫くカーブを切るのにも時間がかかる期間が続くと言うことです。


2007年09月24日(月曜日)

 (17:34)「どうしても(国民に)ご説明したかった」という気持ちは分かりますが、一国の総理だった人が恐らく総理として最後に行う記者会見としては、あまりにも寂しく、弱々しい会見だったように思います。

 一番明確におっしゃっていたのは、「いわゆるクーデターはなかった」という点だったと思う。つまり、麻生、与謝野両氏を巡るうわさ話を否定した。結果的に2回質問が出たので、2回否定した形。

 それにしても声は弱々しく、かすれ気味で、ろれつもあまり回ってはいない状況。「会見も続けられない状態」が見えた。明日には新総理が決まるのでもう意味はないかもしれないが、臨時代理を置かなかったのは本当に良かったのかという印象が強かった。

 掲げた看板(戦後レジームからの脱却、美しい国)に関する総括も聞きたかったのですが、それもかなわない体調とお見受けした。「地元の皆様の理解を得て、政治家を続けたい」とおっしゃってもいましたが、「それは可能かな」と思えるほど体調はよろしくない様子でした。体重も増えていないと。

 記者会見にもかかわらず、疑問点は一杯残った。安倍さんは一区切りつけたということでしょうが、今回の騒動に関してはAPECで特にブッシュとの会談でいったい何があったのかなどを含めて疑問だらけ、ということでしょう。

 まあでもこの記者会見で安倍時代は過去のものとなり、次の人々の時代が始まったと言うことです。日本の政治史には非常に特異な時期として記憶されそうです。


2007年09月23日(日曜日)

 (23:44)開票結果を最初に目にしたのは、上諏訪駅のレンタカー会社のオフィスでした。墓参りを終えて車を返していたとき。午後の3時20分過ぎだったと思った。麻生さんの票が197票と見て、「そりゃそうだわな」と思った。

 福田さんの圧勝筋書きのままでは、自民党の良識が問われてしまう。幕が開いたら勝負が決まっていたままの終わり方では誰も興味を持たない。論戦も期待したほど盛り上がっていたわけではない。やっと違いを見つけて、「あったあった」と騒いでいた程度。たいした論戦もないままに福田さんが圧勝していたら、「自民党はなんという党なのだ」という批判が出ていたに違いない。

 麻生さんが取った197票の内訳は、国会議員票が132、各都道府県連票が65票。党員投票をやった県について言えば、麻生さんの得票の方が僅かに多かったという。その票の出方と「9派閥の内、8派閥が福田支持」という圧倒的議員票差がそのまま出たら、乖離は大きかったに違いない。

 16人の派閥の麻生さんは結局議員票を132も取った。前回の総裁選で麻生さんが取った票は136でしたっけ。これは県連の票をも含む票ですから、相当な上積み。これで麻生さんがポスト福田の最有力候補になったと考える人もいる。しかしそこには「時間の経過」の要素を入れなければならないでしょう。数年先は分からない。

 福田さんに課された荷は重い。安倍さんのように高邁な理想を述べていない分だけ、スタート台は低いのでその後のやり方は楽かも知れない。しかし、当面最後の自民党政権になるかもしれないというプレッシャーはある。

 結局シナリオを書かないと国民を説得できない可能性が高い。しかしそのシナリオは用意されていない。それを早急に立てる必要がある。これはなかなか難しい作業だ。


2007年09月22日(土曜日)

 (18:44)金曜日は久しぶりにずっとやっている勉強会。参加者の数はちょい寂しかったが、小池さんが講師で非常に勉強になった。サブプライム問題をどう考えたら良いか、今後の問題点は何かを非常に整理できた。

 知らない単語、聞きかじったことがあるだけの単語がいくつかあったのですが、その中で「今後重要になりそうだ」と思ったのは「sovereign wealth fund」(「国富基金」 ?)ですかね。場合によっては一人のファンドマネージャーが巨額の資金を動かせる。中国2000億ドル、アブダビ8000億ドル、ノルウェー3000億ドル。

 むろんこうしたファンドでも投資は機関決定の面もあるのでしょうが、あるターゲットに絞ったら、相当力のあるファンドになる可能性がある。なんせ規模が大きい。そう言えば、「コスモ石油の筆頭株主にはアブダビ政府系投資会社」が最近の関連ニュースだったし、ユニクロはバーニーズ・ニューヨークをUAEに競り負けた。あの辺の国が動かせる資金は、桁外れに大きい。G7でも取り上げられる見通しという。

 なぜ欧州の銀行が次々に地下茎で繋がる地雷(線香花火という説もあるが)を踏んでいて、アジアが元気なのかについても発想が得られたのは収穫だった。どうやら欧州(の銀行)には思考やシステムの古い縛りがあり、それでああいう形でしか動けなかった可能性が高い。逆に今アジアが元気が良いのは、アジア諸国には90年代末の通貨危機の経験があったと思える。。

 影響が「水平的な波及にとどまれば良いが、垂直的な波及は問題」という指摘はその通りだと思う。改めて、エージェンシー、ジャンボ、Alt-A、サブプライムなどの言葉を思い出しました。

 小池さんの話によれば、海外の投資家は日本の市場には以下の理由であまり興味を持っていないという。

  1. 成長率が低い
  2. 投資しても文句を付けられる
  3. 今は日本以外にも投資できる先がいっぱいある
 なるほどと思いました。今週の後半は日本の株式市場もちょっと強かったが、世界の株価の動きから見ればかなり遅れていた。東京市場の出来高の6割を占める海外投資家がそう考えているとしたら、なかなか東京の株式市場は盛り上がりそうもない。少なくとも目先は。


2007年09月21日(金曜日)

 (12:44)ドル・円だけで為替相場を見ている人は、あまり気が付かないかもしれない。しかし、ドルは対ユーロ、対カナダなど円以外の通貨に対して正につるべ落としである。その落ち方の激しさに触れたフィナンシャル・タイムズは「ドルは各国通貨に対して15年ぶりの安値になっている」と報じている。

 ドル安は、隣国カナダのドルに対して米ドルが等価まで落ちたと言うことで象徴される。私がアメリカに行った1976年に等価だったのを最後に、カナダ・ドルはずっと米ドルに対して等価を下回ってきた。

 それを知っているだけに、カナダでゲットしたクオーター(25セント硬貨)がそのまま米加国境のトルゲートで使えてアメリカに入ってこれるのを私は不思議に思ったものだ。そのころのカナダのクオーターはアメリカのドル建てにすると確か23とか22セントの価値しかなかった。ところが、今は1976年以来30年ぶりに等価だという。カナダの連中も車を使ってのアメリカ入国へのうしろめたさが消えたに違いない。

 ドル安を顕著に感じるのは、ユーロ・ドル相場だ。この文章を書いている現在のユーロ・ドル相場は1.4075ドル近辺。1998年の末に欧州委員会が理論値から発表した1ユーロの対ドル相場は1.16675ドル(対円理論値は132円80銭)だったと思った。

 為替市場ではその後ユーロ安が進む。私の記憶ではユーロは0.82ドルまで落ちた。確かユーロの対円相場は86円程度か。つまり今はパリに行って「ホテルが高い」と思っている日本人も、86円で1ユーロを買えた時期があった。それが今は160円でやっと1ユーロが買える。

 そのユーロの対ドル安値(0.82ドル)に比べると、今の1.4ドルというのは「とてつのないユーロ高」だと言える。

 誰がドルを「15年来の安値」(6通貨の通貨バスケットに対して)に落としたのか。直接的にはバーナンキである。彼が議会で証言し、今週のFF金利の0.5%引き下げに関して証言し、「場合によってはもっと下げる」と語った。今の為替相場は金利本位制のところがある。もっと米金利が下がるとなれば、ドルはまだ金利が上がるかもしれないユーロなどに対して下がる。

 バーナンキの証言で一つそうだろうな、と思ったのは「(0.5%の利下げに関して)to try to get out ahead of the situation and try to forestall potential effects of tighter credit condition on the broader economy」と述べていることだ。これは私がかねて主張した「beyond the curve」の金融政策に相当する。

 ドル安がいつまで続くのか。金利が低い円に対しても、ドル安がどの程度進むのかは不明である。しかし、イギリスでの銀行取り付け騒ぎでも分かるとおり、世界の金融市場の混乱はまだ続くと予想することが妥当だ。


2007年09月20日(木曜日)

 (22:44)新しいエッセイが掲載されました。日経エコとしては第六回ですか。

 環境問題の第六回エッセイ

 始めると結構早く時間がたつものです。今回もモンゴルで考えたことです。

 そういえば、毎週木曜日に銀座のスタジオから出している番組で一緒の小原さんが多分ご自分で読むのでしょう、グリーンスパンが最近出版した「The Age of Turbulence 」の原本を持っていたな。随分厚かった。

 物議をかもしている本ですが、まあ連銀トップの人間だったからといって、言いたいことを言わないでおくというのも変だ。しかし、金融市場をその度に動揺させるのはどうかな。まあ市場もグリーンスパン発言に徐々に慣れては来ていると思いますが、何かと「tuubulence」が起きるのも何か迷惑。バーナンキはやりにくいだろうな、と思う。グリーンスパンの前任者のボルカーさんは、あまり退任直後には喋らなかったような(記憶がある)。

 彼女が読み終わったら「The Age of Turbulence 」は貸してもらおうと思っているのですが、その前に最近立て続けに

 「死体は悩む」(上野正彦)
 「外国人犯罪者」(岩田壽美子)
 「下流社会 第二章」(三浦 展)

 を読んだり、読みかけたりしています。上野さんの本は最初の「死体は語る」が良かったので、ちょっと期待して。今進行中です。岩田さんの本は実にデータフルです。ぎっしり詰まっている。しかし、それ故にちょっと本の運びが重いし、遅い。もうすこし端的に出来なかったかという印象。「第二章」もデータが重いのですが、もうちょっとうまく類型的に分析して欲しかった、という印象。

 野球が面白い。日本のセパ両リーグもそうだが、大リーグのアナ両リーグも。ニューヨークがボストンに1.5差というのは笑えるな。あと10ゲームちょっとある。私は地区優勝のために力を使いすぎるべきでない、という意見です。まあしかし馬なりだったら。

 松井はまだ全体的には調子は悪いと思う。一日一本ちょっとで打率が上がらない。しかし打点が99になったのは、良い兆し。110くらいにはして欲しいな。アレックスは142ですからね。


2007年09月20日(木曜日)

 (14:44)昨日いただいたメールですが、非常に「面白い」と思ったのは、「インドの株価指数と日本の株価指数が並びましたよ」というものでした。このメールの主は

 日経平均株価:16,381.54
 インドsensex:16,322.75

 とご指摘になった。実はsensex は今回のショック(8月の中旬から)で15000を大きく割る時があって、その頃ですかねインドのチャタルジーさんに別件で電話したときに株については「今は調整ですかね」と言っていた。それが私がちょっと忙しくしている間にスルスルと上昇してきたというわけ。

 今日の東京市場、ボンベイ市場は共に開場中で、引け値がどうなるかは不明。しかしトレンドは明らかにインド優位にある。ここに記録があるのですが、2003年末のsensex は5838.96だった。私の記憶では、その時のインドの新聞には「この株高は危ない。バブルだ」という表現が散見された。なにせ2003年一年間に2461.68ポイントの上昇だったのだから、そりゃそうだ。

 その後インドの政変(2004年総選挙でのバジパイ敗北)もあって、私の記憶ではsensex は4500くらいまで下げた。そこからの16300台乗せというわけです。実は同じような関係は香港のハンセン指数にも言えた。日経平均とハンセン指数が似たような時期があったのです。1万を超えたくらいでは、何回も日経平均とハンセン指数はクロスしたと思う。

 しかし今のハンセン指数を見ると、25730。今日も今のところ175ポイント高。日経平均が15000台だ16000台だでうろうろしているのと勢いが違う。上海の株価の上げも、「世界ではそんなことも起きているのか」というくらい先進国市場の混乱を横目に基調は上げ。

 むろん、インドや中国の株価の上げは言ってみれば「バブル」というのは、ある程度当たっていると思う。数日前かに中国の当局者が「バブルがはじければ、社会全体に大きな打撃になる」というようなことを言っていた。「バブル」という単語を使っていたように思う。

 それを承知で言うならば、それでも「世界の成長センターの移動」というのが一つの要因として挙げられると思う。まあこの問題は一つまとまった文章として書きたいのですが。

 ところで、政界の謀略と呼ばれるやつは、「誰が誰を追い落とそうとしているのか」という点をまず理解せねばならない点で、なかなか難しいものがありますな。誰かが優位になると、「そこには謀略があったのではないか」「誰かを追い落とそうとしてした」という情報や見方になる。

 麻生、与謝野、中川などの人物が登場する今度の謀略説。まあ、「麻生降ろし」という点では一応効果的だったような。しかし、麻生人気そのものを砕くことにはなっていない。恩讐がいつか新たな報復を生むのかもしれない。


2007年09月19日(水曜日)

 (23:44)雑誌ゲーテの企画もあって、夕方から山手通りと甲州街道の交差点にあるオペラシティの51階アップル社へ。うろ覚えだが、以前この近くにはマイクロソフトがあったような。とまれ、目的はipod touchを実際にこの手でいろいろいじってみるため。今現在で日本にまだ5台しかないうちの一台だそうです。

 ははは、最初から笑ってしまいましたね。ニュースは見ていましたが、タッチ感と画面の動きが軽快であると同時に、面白い。カバー・フローというビスタのような機能が付き、この機能はタッチばかりでなく、従来のすべてのipod に搭載された。

 ipod touchは重さ120グラム、幅61.8ミリ、高さ110ミリ、厚さ8ミリ。男の胸のポケットに容易に入る。一番のウリは、無線LANが入っているところでは登録さえすれば内蔵のitunes を通じて直接音楽をitunes storeからダウンロードできること。つまりPCというバリアが除去された。今まではipod はPCが出来る人しか出来なかった。しかしこれからは、ipod touch さえあれば、無線LANを通じて音楽をネットからダウンロードできる。むろん、itunes (従来のそれを使える)を経由しても、CDの音を移しても使える。

 出来ることは多い。音楽、ビデオ、写真の再生、ブラウザの閲覧(私のHPも簡単に出てきました)、ユーチューブの閲覧、カレンダー(PCのアウトルックなどとシンクロ)、時計(世界時計と目覚まし付き=バイブはなし)、それに電卓。これは使いやすかった。メールもヤフーメールやグーグルのGメールは可能。これだけで完全なコンピューター一台という印象。ただし音声通話は出来ない。そこがiphone と違う。

 音楽と写真、それにビデオを楽しくケイタイできるマシンという感じ。使うときには当然タッチするので、皮膚感覚というか、親しみがわくというか、なかなか面白い。使い始めると、しばらくは楽しくてやめられなくなる。指の動きだけで写真を伸ばしたり、縮めたり。マシンを横にすると、画面も自然に横になる。縦にすると縦になる。すべてタッチがベースです。

 電池がどのくらいもつか。音楽だけだと22時間だそうで、ビデオだけだと5時間。写真は2万枚入るそうだ。かなり綺麗だ。充電は空から満充電までに3時間。値段は16ギガ(3500曲)が48800円、8ギガ(1750曲)が36800円。

 うーん、なかなか魅力的なマシンで、まずは買って使ってみようかと。iphone は当面日本では売られないでしょうから。 ipod touch はアメリカでは先週末から販売が始まっているそうですが、日本は今月末までには売り出されるそうです。


2007年09月19日(水曜日)

 (04:15)FOMCが下した結論は、「FF金利の誘導目標も、公定歩合も0.5%の引き下げ」というものであり、かつ今後についても「必要ならさらに行動する」と新たな利下げの可能性を示唆するものとなりました。

 市場の大部分の見方が「FF金利の0.25%の引き下げ」に固まる中で、筆者は月曜日に書いた文章の中でも、「0.5%の引き下げの方が良い」と書き、一般に考えられている以上に大幅な引き下げを予想してきました。その理由は、FOMCの今回の決定以前の米金融政策が明らかに「behind the curve」だったと思われる点です。つまり金融市場で起きている事態からすれば金融政策が遅れている。

 これによって生じている事態というのは、FOMC声明の中にも示されている。「the tightening of credit conditions has the potential to intensify the housing correction and to restrain economic growth more generally」の部分であり、「クレジット市場の収縮が住宅市場の調整をより厳しいものにし、アメリカの経済全体の成長を制約してしまう危険性がある」ということです。

 つまりFOMCは「0.5%という短期金利の誘導目標引き下げをしなかったら生じるかもしれないアメリカ経済全般への(住宅不況が及ぼす)悪影響をある程度未然に防ぐ意図」を明確にした。日本の例を見るまでもなく、「住宅」に関わる信用状況は、一端悪くなり始めると加速度的に悪くなる。それを「未然に防ぐ(forestall)」には、0.25%の引き下げによる「meet the curve」(現状一致)ではなく、やや「beyond the curve」(先取り的な)の0.5%の利下げが必要だったと言うことです。これは考え方としては極めて全うな考え方です。

 しかし問題はある。「では0.5%下げたら、住宅市場の冷え込みがアメリカ経済全体に与える悪影響(adverse effects)を一部にしろ未然に防げるのか」という問題です。多分この問題については結論が出せない。しかし、「1.0%一挙にFF金利を引き下げる」という選択肢については「あまりにもアメリカ経済に対する危機感の醸成につながってしまう」という判断が下せ、「あり得ない」選択肢であったことを考えれば、(0.5%の利下げは)考え得る最高の選択肢になるだろう、というのが私の考え方でした。

 その点に関するFOMCの不安は、声明文の中に良く表れている。「未然に防ぐ(forestall)」といいながら、対照は「some of the adverse effects on the broader economy that might otherwise arise from the disruptions in financial markets 」と「some」であり、素直に前回FOMC以降の金融市場の状況を「have increased the uncertainty surrounding the economic outlook」という形で、「アメリカの経済見通しについては、不安感が高まった」と認めている。つまり、かなり大きな不安感を残しながらの0.5%というやや思い切った利下げをしたということです。

 意図としては「to promote moderate growth over time」(やや長期的には穏やかな経済成長を図る)ことを目的にしながら、インフレ状況を注意深く監視しながらも、「will act as needed to foster price stability and sustainable economic growth」(物価動向と経済成長の維持を両睨みにしながら、必要なら行動する)と述べている。「今言える全てのことは言ってみた」という声明です。「行動」にはむろん新たな利下げが含まれるが、「some inflation risks remain」と明確に述べた以上、「利上げも含まれる」と考えるのが自然である。「両睨み」ということはそのことを指す。

 いずれにせよ、FOMCが利下げをするのは2003年6月25日以来です。このときは1.25%から1.00%への引き下げだった。その後FOMCはFOMCは2004年の6月から17回のFOMC連続して0.25%の利上げをしてきており、2006年の6月に昨日までの5.25%に定着させた。つまり、4年3ヶ月ぶりの利下げとなる。声明の全文は以下の通り。

For immediate release

The Federal Open Market Committee decided today to lower its target for the federal funds rate 50 basis points to 4-3/4 percent.

Economic growth was moderate during the first half of the year, but the tightening of credit conditions has the potential to intensify the housing correction and to restrain economic growth more generally. Today’s action is intended to help forestall some of the adverse effects on the broader economy that might otherwise arise from the disruptions in financial markets and to promote moderate growth over time.

Readings on core inflation have improved modestly this year. However, the Committee judges that some inflation risks remain, and it will continue to monitor inflation developments carefully.

Developments in financial markets since the Committee’s last regular meeting have increased the uncertainty surrounding the economic outlook. The Committee will continue to assess the effects of these and other developments on economic prospects and will act as needed to foster price stability and sustainable economic growth.

Voting for the FOMC monetary policy action were: Ben S. Bernanke, Chairman; Timothy F. Geithner, Vice Chairman; Charles L. Evans; Thomas M. Hoenig; Donald L. Kohn; Randall S. Kroszner; Frederic S. Mishkin; William Poole; Eric Rosengren; and Kevin M. Warsh.

In a related action, the Board of Governors unanimously approved a 50-basis-point decrease in the discount rate to 5-1/4 percent. In taking this action, the Board approved the requests submitted by the Boards of Directors of the Federal Reserve Banks of Boston, New York, Cleveland, St. Louis, Minneapolis, Kansas City, and San Francisco.

 「全員一致の0.5%利下げ」というところが肝心だ。多分、0.25%の下げを最初主張したメンバーも居たに違いない。しかし危機の時は当局は「一致した強いメッセージを市場に出す」ことが必要だ。

 この強いメッセージは、市場にも伝わった。引けがどうなるか知らないが、「0.25%の下げ」でコンセンサスを形成していた株式市場では、ダウがこの文章を書いている時点(日本時間の午前4時過ぎ)でダウで262ドル、1.96%、Nasdaqで55.28、2.15%、SP500で34.16、2.31%上がっている。ニューヨークの株価本位制の外国為替市場では、FF金利の大幅引き下げにもかかわらず、円が全般的に売られてドル・円は115円の後半にあり、対他通貨でも円は全般に安い。バブル繋ぎ.....?

 ただしこの傾向が当面続くかというと、それは市場の受け止め方次第ということだろう。多少金利が下がっても、アメリカの住宅市場が置かれている苦境が解決するわけではない。「0.5%の引き下げを行わなければならないほど深刻なのか」という見方が台頭する余地はある。まだ暫く、不安定な市場が続くと言うことです。「Enjoy the party but dance close to the door !!」


2007年09月17日(月曜日)

 (15:45)試合そのものは面白かったと思う。4−3までボストンが迫って、オリティーズが9回裏満塁で出てきて....。まあ今年のリベラはドキドキさせる。今年はなんか彼が弱い。その前のシリングとジーターの勝負も見応えがあった。ワイルド・カード争いでも、ヤンキースは2.5差を保つことが出来た(シアトルは6.5で消えましたね)。

 しかし寂しいのです。両リームで日本人選手が4人もいるのに、誰も出てこない。まあ問題は松井君でしょう。バッターですから、本来は毎試合出てこなければならない。松坂は投げたばかりだし、岡島が出てくるような試合展開ではなかった。また、井川はまだ監督からどのくらい信頼されているか不明、というよりまだ「ない」と言った方が良いかも。今日もベンチでぼーーーとしていた。

 松井は、やっぱし膝が悪いのかな。特に9月の打率は著しく低い。確か2割にも達していない。松井なしでも勝てるヤンキースでは、松井は徐々に居場所を失ってしまう。ベンチの真ん中でじっと試合を見ていましたが、寂しそうだったな。明日のボルチモアとの試合には出て欲しい。

 テレビを見ていて「これは凄い」と思ったのは、7回の裏にファンが球場に入ったらしいのです。日本のテレビだったら絶対それを映した。追って映すはずです。しかし大リーグ代表制作のカメラは、一回もその球場に入ったファン(?)を映さなかった。映すと真似する人間が出る、という判断らしい。素晴らしい。

 野球と言えば、日曜日に狭山にお墓参りに行って帰ろうとしたら、西武対楽天の試合終わりとかち合ってしまった。おかげで大渋滞。凄まじかった。西武線も来ているのですが、圧倒的に車で来る人が多いようで、「時間を間違えた」とあとで反省。でも夕方でも暑かった。

 それにしても、自民党の総裁戦の熱よりも残暑の「暑」のほうがちょっと暑いのでは、と思うのは私だけ ? まあ次(総選挙)は政権がかかって絶対熱くなる可能性が高いので、今回は前哨戦とも言えるのですが。


2007年09月15日(土曜日)

 (20:45)「劣勢だからといって自分が降りたら(自民党は)終わり」という麻生さんの話は本当で、私もその点を金曜日のスタンバイで申し上げたのです。麻生さんは意地でも出ざるを得ない。「無投票」とならなかったのは当然ながら最低条件(自民党としての)を満たしたとは言える。

 しかし二人だけとは寂しい。お二人の年齢を足すと137で、69才に近い。形としてはもう一人若い人が出てもおかしくなかった、と思う。「振り子理論」で、安倍さんより平均1.5周り弱上の人が、落ち着いた政治経験の豊かな人が総理になるのはやむを得ない(それ以外出ないのだから)として、問題はこれから一段と明らかになる中身(15日の共同記者会見の段階ではあまり違わないとも言えるが....)。

 まあ次の内閣は「選挙管理内閣」との見方も出来るから、心中「俺も」と思っていた人も「次」を目指して自重したか可能性がある。自民党9派閥(「派閥」という言葉は sounds bad だ)のうち福田さんが8派閥の支持を得ており、唯一麻生さんを推しているのは彼の16人の派閥だけという状況は、新聞が報じているとおり「福田優位」と言えるんでしょう。

 そういう意味では、387票の自民党籍議員票の大勢は決まったように見える。しかし注意深く見ると、麻生さんの推薦人には鳩山(津島派)、甘利(山崎派)、中川昭一(伊吹派)、菅義偉(古賀派)など、派としては福田支持を表明している派閥の人がかなり入っている。これは麻生さんの「意地」以上の意味を持つかも知れない。

 つまり派閥の結束は、「体育会」から「同好会」に変質したと言うことだ。麻生さんの推薦人には麻生派からは一人しか入っていない。どちらの推薦人にも入っていない人達は、まだまだある23日の投票日に向けて、特に地方での票の動きを見守ることになるだろう。

 午後7時のNHKニュースによると、34都道府県が何らかの形で県内の党員による投票を行い、その結果として全部なり、票割りの割合を決めるという。小泉さんが都道府県の党員票を取った時は、確か「全部取り」だったから影響力が大きかった。今回は違うが、心理的には地方の票がどちらに向くかは大きい。なぜなら今の日本の政治の主役は「地方」だから。そういう意味では、都道府県の141票がどちらを向くかが結構大きなファクターになると思う。

 まあ仮に福田さんが自民党総裁に選ばれ、年内か、来年春か、もっと遅れて来年中にでも総選挙があるとして、今の段階では民主党の小沢さんと対決することになる。この対決が「国民がワクワクする対決」になるかどうかは、「政権交代がかかっている」と言う意味ではその通りだが、「福田という人と小沢という人」という人的レベルに落としてみると、相当「難しい」と思う人が多いのではないか。

 その点で、この世論調査は面白い。小沢支持と福田支持がまったく二つに割れている。しかし私の印象だが、138と言う応募数はいつもより少なめ。ということは、「迷いに迷って結局どちらを支持するか」を決められなかった人が多かったのではないかと推察できる。どちらの政党とも、「ワクワクするキャラクターに欠けている」とも言える(政治はワクワクしなくても良いという見方には一理あるが)。

 話を自民党総裁選に戻すと、テロ特措法や消費税に関する見方はほぼ同じように見える。前者については延長、後者については「検討せざるを得ない」だ。違いは対北朝鮮政策などに見えるが、私が一番国民生活に密着した重要な問題だと思うのは、「成長を実感できない人や企業、地方をどう取り込むか」にあると思う。いわゆる構造改革路線の変更の度合いと、その色合いの違い。

 既に温度差は浮き彫りになっている。麻生さんが構造改革の「光と影」を強調し、地方重視など改革の軌道修正と経済成長重視を鮮明にしたのに対して、福田さんは財政再建など原則維持を打ち出している。福田さんも格差是正などには「丁寧に対応したい」としたが、軌道修正よりも改革の推進に力点を置いているように見えた。ただし「地方重視」と言っても、一体何をするのか。その中身は今後詰められるのだろう。

 政治のニュースで今週末興味深かったのは、小泉前首相の政務秘書官だった飯島勲氏が13日付で小泉事務所に辞表を提出していたこと。ある人に言わせれば、「小泉さんは、飯島さんの言うことにノーと言ったことはない」そうだが、今回は明らかに違った。今回の総裁選では、小泉氏に立候補を求める1年生議員らの世話役を務めて、「(票がある程度まとまれば)小泉を動かす」とまで言っていたそうだ。

 しかし小泉さんは動かなかった。加えて、飯島さんが「ソリが合わない」と言われる福田さんを小泉さんは推した。飯島さんは「燃え尽きた」とだけ言っているらしいが、まだ61才。それはないでしょう。多分彼は本を書く。その本は相当面白い本になると思われる。


2007年09月13日(木曜日)

 (22:45)思っていたより多くの人が自民党の総裁選挙に出馬しそうな状況。予想された人、予想外の人。福田さんの出馬(意向)はやや予想外という人が多いだろうが当然あり得るし、数の論理から言うと非常に有力な候補だ。好き嫌いはあるだろうが日本の政治のテーストがかなり変わる可能性がある。

 出馬(意向表明)した人は、「自民党の危機」「自分の出番」と考えたのか、国会議員と都道府県の代表3人の合計528票(でしたっけ)の取り合いと言うことで、「党員投票の不確定要因」が消えたと考えたのか。何よりも政策を前面に立てて論争もして欲しい。

 しかし問題はあくまで、自民党が次の民主党との激突となる衆議院の総選挙を戦える内閣を作れるかどうかだ。心許ない印象もする。見飽きた顔ばかりが登場するからだ。新鮮味がないのだ。早く政策論争に発展して欲しい。マスコミも「数の論理」を優先に報道しているのは残念。

 自民党の中で数を取っても、来るべき総選挙で国民にアピールするかどうかは不明だ。国民の、選挙を、そして政党を見る目は厳しくなっている。早く顔ぶれが揃って、「では何をするか」の論争をして欲しい。その時間を作るために、投票日が19日から23日に延ばされたことは歓迎だ。所信表明は16日の予定。

 日本にとって政権交代は十分意味のある選択肢だ。政権が変わることによって溜まりにたまった澱が除去されて、政治の風通しが良くなると言うこともある。政党には常にキャラクターと政策を競って欲しい。

 ところで今日気になるニュースは、

 北朝鮮が年内に核施設無能力化とすべての核計画申告という核放棄に向けた「次の段階」を実行に移し、日本人拉致問題を含む日朝関係でも進展がみられた場合、ブッシュ米政権が北朝鮮に対するテロ支援国家指定を年内に解除すると決めたことが12日、分かった。複数の6カ国協議筋が明らかにした。

 6カ国協議の米首席代表、ヒル国務次官補は米朝関係正常化には核物質撤去などの「最終段階」実行が必要との立場を崩していない。しかし北朝鮮の取り組み次第では、完全非核化に先立って北朝鮮が米敵視政策の象徴とみなしていた措置が年内にも解除されることになり、米朝関係が劇的に進展する可能性が出てきた。

 というワシントン発の共同電だろうか。最近の動きを見ていると、ブッシュ政権の北朝鮮接近は明らかである。以前産経新聞が一面で「米朝接近」に関して長い特ダネ記事を載せていた。「日本人拉致問題を含む日朝関係でも進展がみられた場合」というのをアメリカがどの程度考えているかが一つのポイントだろう。実はあまり深刻に考えていない、という見方もある。朝日新聞のサイトには、次のようなニュースもある。
 北朝鮮の核問題をめぐり、米政府が連邦議会に対し、2500万ドル(約28億5000万円)の重油支援を行う準備をすすめると通告したことが分かった。ロイター通信が12日、議会にあてた政府文書を入手し、報じた。支援時期については明確になっていない。

 支援は北朝鮮の非核化措置への見返りで、北朝鮮が核施設の無能力化と核計画を申告する第2段階では、各国が95万トンの重油相当の支援をすることで合意している。初期段階で韓国がすでに5万トンを供給、今後は中国が支援をした後、米国が負担する手はずになっている。

 一説には、安部さんはシドニーで北朝鮮との接近に関してブッシュから「そうとう間近である」との強い警告を受けたという。安倍さんは拉致の問題故に首相になった面がある。それがインド洋での給油継続に職を賭すという発言に繋がったという。

 拉致が解決しないうちのアメリカによる対北朝鮮でのテロ国家指定解除は望ましくない。政治が空白の間にこの問題が出てきたことは日本にとっては深刻な話だと思う。


2007年09月12日(水曜日)

 (22:45)徐々に分かってきたこともあるのですが、依然として分からないことの方が多い安倍辞任劇です。なぜ辞任の理由がテロ特措法の延長問題だけなのか、「局面の打開・転換」が本当に出来ると思っていたのか、が一番大きな疑問でしょう。

 まずテロ特措法の問題は、外交問題ですからいろいろな形で国内政治の中でも、アメリカやその他諸国との駆け引きの中でも、押したり引いたりしながら落としどころを探る問題だと私は思っていました。何が何でも今の形で続ける必要はないし、日本の国際社会での存在感を失わない形で展開の余地はあったと思っているのです。

 しかしどうやら、シドニーで各国首脳に言われたのか、国内のどの問題にも増して安倍総理は「この問題が政権にとっての最重要課題」と考えたようです。日本国内にも、政治が取り組まねばならない数多くの問題があるのに。

 もっと不思議なのは、記者会見で「局面の転換・打開」など「局面」という単語を6〜7回使っているが、自分がやめれば局面が開けるという明確な展望が何もないなかでの辞任だった、という動かしがたい事実です。しかもその「局面」というのは、テロ特措法を通すということ一本になっている。これは次の総理・総裁まで拘束しかねない。

 首相が辞めたからと言って、明確な説明がなければ民主党として、また小沢代表として立場を変えることはない、というのは当たり前だしわかりやすい。その通りです。だから、安部さんがなぜ自分が辞めれば局面が展開すると考えたのかが分からない。

 記者会見で、小沢代表に党首会談を持ちかけたという話がありましたが、民主党の小沢代表や国対委員長に言わせると、自民党サイドから正式に党首会談の要請があったのは12日の午前11時の時点であって、それ以前は全く正式には党首会談の申し入れはなかったという。これは大島自民党国対委員長も認めているという。では、記者会見などで「(小沢代表との)党首会談」と安倍さんが何回も言ってきたのはどうなるのか。

 辞任に至るその他の、しかし無視できない状況、理由は出てきている。与謝野官房長官は、「総理が一言も言わなかったこと」で辞任決意に繋がった問題として、健康問題を挙げた。総理はシドニーから帰った直後から、「疲れた。政治的なエネルギーがなくなった」と言っていたという。事実その通りだったのだろう。安部さんの健康状態が優れないことは、よく知られていた。

 しかし1年近くやってきて、なぜ最近になって「疲れた」のか。総理の記者会見を見ると、「大変厳しい結果」として登場する参議院選挙での敗北が一番大きかったのだと思う。「私には求心力がない」という発言も、選挙結果、そしてその後の自民党議員を集めた会議での一年生議員からの厳しい指摘を受けての発言だと思う。「選挙に強い」と思われて総理になってもらったのに....という自民党議員側の落胆があり、その落胆が安倍さんには応えたのだと考えられる。

 しかしそういう気持ちは忖度できるが、だからといって施政方針演説の直後に辞めるのは、方針だけ発表して、「やはり方針に沿った政治が出来ません」というに等しい。国政に与えた打撃は相当大きい。これは安倍さんが、もう遅いかもしれないが、相当反省すべき点だと思う。混沌の中からこそ何かが生まれると言っても、今回の投げ出し方は相当酷いし、説明も明確でない。掲げた安倍さんのいくつかのカンバンはどこに行ったのか。

 自民党は次の総裁の選出に取りかかっている。国連総会への出席を睨んでの動きだが、もっと国内要因を考えた方が良いような気がする。今のように日本が曲がり角の時に、もっと考えるべき事がある。

 これは私の印象だが、局面局面で安倍さんは事態の持つ意味を少しずつ誤解し、間違った決断を下してきてしまっていたような気がする。総理になったときに、まず国民の関心の在処を間違え、数の論理で法案を通したのも、不祥事が起きてまず最初は守ろうとしたのも、世論とのボタンの掛け違い状態を悪化させた。

 辞めるという決断も、参議院選挙の直後だったらわかりやすくはあった。しかしそれをせず、臨時国会の施政方針演説を終え、代表質問のわずか2時間前に辞意を漏らした。誰が次の総裁になるか知りませんが、参議院を野党が抑えている事実は変わらない。総選挙が近づいたと考えるのが自然です。


2007年09月12日(水曜日)

 (18:45)このフィナンシャル・タイムズの記事に示されているポールソン米財務長官の見方はかなり当たっているんでしょう。問題は、こんな長引く問題を引き起こしたのがどういうメカニズムで、よって今後何をすれば良いのかについて世界的な合意が出来るかどうかです。

 ヨーロッパは以前からヘッジファンド規制の意見が出ている。しかしアメリカはそれに反対。今になって動き出したのは、格付け機関に対する監視・規制です。しかしどういう監視・規制下については何ら合意がない。

 例に挙げた「the Asian crisis and the Russian default of the 1990s or the Latin American debt crisis of the 1980s」よりも長く回復にかかるというのは、相当な長期危機だと言うことです。ただし、長期と言うことだけで、「どのくらい」というのは誰も予測できない。今後の問題です。

No quick end to turmoil, says Paulson By Eoin Callan and Jeremy Grant in Washington and Tony Barber in Brussels

The crisis of confidence in credit markets is likely to last longer than previous financial shocks of the past two decades, Hank Paulson, Treasury secretary, warned on Tuesday.

He said the uncertainty in credit markets would last longer than the turmoil that followed the Asian crisis and the Russian default of the 1990s or the Latin American debt crisis of the 1980s.

Mr Paulson was speaking in Washington as Jean-Claude Trichet, the European Central Bank president, warned that it was time for global financial authorities to tackle unregulated entities whose activities had contributed to the latest upheavals.

The comments came as it emerged that credit ratings agencies have been called to a special meeting in Washington by the umbrella body for the world’s securities regulators to explain how they rate structured financial products based on mortgage assets.

Like Mr Trichet, Mr Paulson said the complexity and global distribution of the securities at the heart of the credit crisis would prolong it. “We expect this period of turbulence to go on for a while,” he said.

Mr Paulson said he had been an investment banker at Goldman Sachs during the “Russian default, Asian crisis?.?.?.?and Latin American credit crisis” and expected this bout of uncertainty in credit markets was “going to take longer” to resolve.

US authorities expect that the uncertainty over valuing subprime mortgages could last for up to two years as many such loans reset to higher rates.


2007年09月12日(水曜日)

 (13:45)安倍首相が麻生幹事長など自民党幹部に「辞意を表明している」とのニュースは、ちょうど大阪から東京に戻ろうと新大阪のホームで列車待ちをしていた時でした。午後1時くらいでしょうか。

 午後2時から記者会見をするそうですから、それでかなりの事が明らかになると思うのですが、「私は辞めるので、代表質問に答えられない」と麻生幹事長に伝え、それを受けて代表質問の日程を大幅に繰り下げる決定が下されたと言うことは、もう動かし難い事実ということです。日経によれば、安倍首相は麻生幹事長に「私には求心力がない」と語ったという。

 第一報を聞いて最初に思ったのは、「安倍さんは過去に向きすぎていたのではないか」という思いでした。去年の秋に首相になる前に彼が書いた本「美しい国へ」を読んだ時の印象でした。祖父の膝に抱かれながら聞いた「安保反対」の話などが出てくるのですが、そうした自分の家系に繋がる人々の思いを、それは重要なことなのでしょうが、重く受け止め過ぎている印象がした。その後の価値観開示を聞いていても、そういう思いが強くした。

 むろん、安倍さんがあの本で語っているのは未来の日本であり、戦後レジームからの脱却も未来を見つめてはいる。しかし、どう読んでも彼自身の思いが過去や自分に繋がる華麗な家系の人々の思いに向いている印象がした。それは私の思い違いかもしれないが。

 それはある意味で、今を生きている日本の人々の思いと食い違いが生ずることを意味すると私は思いました。それ故に、その齟齬が大きくなれば、「安倍政権は短命になる」と考え、このサイトでもそうした分析を載せたことがあった。そうなってしまったのは残念な気がするが、あくまでも政治は主には現在と未来を向いていなければならないと思うので、ある程度やめを得ないという印象もする。

 不運な面もありました。彼が選んだとはいえ、あまりにも閣僚にはお粗末な人が多かった。やはりあの絆創膏は安倍政権の象徴になってしまったようにも思える。日本の政治の過去と小泉政治の負と思える遺産を背負わされたという面もある。しかし、辞任につながる道は、安倍さん自身が敷いてしまった路線のような気もする。

 後任は誰でしょうか。直ぐ総選挙とはいかないようなので、最有力は麻生さんでしょうか。麻生さんだったら、これはもう過去にではなく、未来に向いた政策を採って欲しい。しかしそうすんなりとは「麻生」で決まらないような気もする。

 行き詰まって政権を投げ出したような印象が残ったのは、日本の政治にとってよくない。野党はそこを攻めるでしょう。与党からも批判が出るに違いない。言い争いをしている余裕があるといえばそれまでだが、もうちょっと日本の政治が政策と理念を語るものになって欲しい、とも思う。


2007年09月11日(火曜日)

 (23:57)乗ったら「この列車は全面禁煙」と放送があったので、「もしかしたらこれもN700系」と思ったら、その通りでした。私が乗ったのは、9月1日から増便になったのぞみ29号だった。都内の用事がちょっと遅れて、いつもより遅い号車にしたら、それがN700系だったというわけ。

 今までは東京発は一日4本しかなかった。初の増便N700系だったのか、誰もあまり気が付かない(予約段階で)ようで、がらがらでした。ちょうど良かったんですよ。ケイタイ電話がちょっと警戒水域にパワー低下していたので、「これは充電できる」と。

 なんだか久しぶりの大阪行き。一週間パスしただけですが、前々回は本條君に誘われて有馬だったので、大阪泊まりは久しぶり。「久しぶり」ついでに言うと、久しぶりに本を読んでいます。チョコレートの真実というのです。原題は、「Bitter Chocolate」だと思った。

 確かにこの本を読むと、チョコレートが実に苦い歴史と環境の中で生産されているが分かる。中米が原産地のカカオ豆がマヤ文明の古代にどう扱われていたか、スペインに発見され王に献上されるプロセス。チョコレートという言葉が生まれる経緯。そして、コートジボアールなどアフリカ諸国に移植される過程と、その後のこの地域が辿った歴史。それに今でも続く悲惨な生産環境。

 ハハハ、読みながら思ったのはブランド・ショップ街に生まれているチョコレートショップや、疲れたときに無性に食べたくなるあの不思議な食べ物の奥に隠れている物語です。実はモンゴル疲れか、この本を読み始めたせいか、大阪のホテルに戻ったら甘いモノが無性に食べたくなった。

 「カカワトル」→「ショコラトル」→「チョコレート」と呼び方も変化したとこの本には書いてある。なぜ変化したか。「カカ」という語幹の音を避けようとしたのではないか、という紹介がある。「カカ」(caca、kaka)とは、スペイン語初めヨーロッパ諸言語で排泄物を表す幼児語だそうだ。あれ.....ブラジルのサッカー選手に.....

 コルテスのスペイン王への言葉の中に、「聖なる飲み物が抵抗力を高め疲労を回復」「何も食べずに一日中行軍することが出来る」とあるというが、確かにチョコレートにはそういう魅力がある。しかしカカオ豆は当初メソアメリカでは通貨として扱われていたという。それだけ価値が高かったと言うことだろう。地震対策にチョコレートを蓄えるというのもありかもしれない。

 それはそれで、この本はチョコレートという不思議な食べ物が持つ影の部分をたっぷりと描いているようだ。まだこれから読む部分が多いが、「bitter」という単語や「カカオ農園で働く子供たちはチョコレートを知らない」などという横帯がそれを物語る。ちょっと面白そうな本だ。


2007年09月10日(月曜日)

 (23:57)はっと気がついたら9月も今日で10日ですか。年末にかけての予定も結構入ってきて、しばし忙しい気配。考えたら、9月は最初しばらくモンゴルに行っていた。時間の経過が早いわけです。

 なんだか知らないうちに、週末から今日にかけてデパートを中心に小売り店舗をかなり見ました。別に買い物をするのでもなく、もっぱらウィンドウ・ショッピング的に。新宿の高島屋のメンズ(4、5、6、7の半分かな)を中心に見て、明治通り沿いに新宿三丁目に移動して丸井のCITY1を見て。

 CITY1は、この近くの映画館をほぼすべて収容した形になっているんですな。9階以上が全部映画館。六本木のヒルズの映画館に似ている。その代わりと言っては何ですが、伊勢丹の新宿通りの対面と、伊勢丹会館の隣のビル(映画館が入っていた)の映画館がほぼ全部(一部は残っていました)なくなっていることに気がついた。

 丸井は「1」と「2」を作って、今は「3」の建設中ですか。「1」は各階をほぼ見ましたが、一応若者作りですが結構高い物も売っている。従来の丸井にはない華やかな感じ。高島屋のメンズは週末だったにもかかわらず比較的客が少なかったのが目に付いたのですが、丸井には結構客が入っていた。

 メンズ館の2階、8階を大きく作り替えた伊勢丹も見ました。ついでに「Day Spa」にもちょっと寄ってみました。狭いので閉息感はあるですが、施設は整っている印象。シャワーがあったのが良かったな。ただし他のフロアと一緒に午後8時にクローズというのでは、昼間の職業の人には利用は難しい。

 落ち続けるデパートの売り上げ。この流れの中で、大丸と松坂屋が、伊勢丹と三越が経営統合を進めている。むろん経営の形も重要ですが、結局はそれぞれの売り場がどう変わり、どう顧客に商品やサービス、それにイメージを提案していくかが重要だと思う。結局は提案力がある売り場が勝つと思う。

 そういう意味では、伊勢丹の8階の、特にペンのこだわりコーナーなどは、ペン好きの私には興味がある。都内の各デパートではこのところペンのコーナーが一貫して縮小の憂き目にあっていましたから。もっともまだ見ただけですが。


2007年09月09日(日曜日)

 (23:57)安倍首相のシドニー市内ホテルでの発言「民主党をはじめ野党の理解を得るため、職を賭して取り組んでいく。職責にしがみつくということはない」(産経新聞から)は、何か的外れな印象がしますね。印象としては、「辞め場」を求めているようにも見える。

 記者会見をちらっと見た限りでは、「職責にしがみつくということはない」という部分は、記者会見での記者の質問を受けての答えをいったん終わって、もう次の記者の質問が始まったところで安倍首相が改めて若干躊躇しながら語ったように私には見えた。その瞬間に「こう言った方が良い」と考えたのか、「あらかじめこう言おう」と決めておいて、それを思い出したのかどっちか。

 しかし参議院選挙結果がどうであっても、「私は辞めない」と言っていた首相にしては、あまりにも簡単に約束手形を切りすぎた印象がする。それが例え今後の自民党のメリットであると考えたにしても、あまりご自身にはメリットがないように私には思える。しかも国民が非常に気にしている年金問題でも、財政の健全化でも、そして一般的に”格差”と言われる問題でもないことに、安倍さんは「職を賭」けた。

 外交問題が軽いとは言えない。安倍首相は「インド洋での給油問題を対外公約」と述べている。しかし、給油問題はいろいろな枠組みの中で考えることが可能だ。給油をただ単に続けることだけが方法ではないと私は思う。もっと日本の権益にかない、かつテロ対策になる方法だってあるはずだ。そこが私には分からない。

 ネットの日本の新聞サイトには、「民主党を揺さぶるとともに、世論の後押しを得たい狙いがある」という解説が載っている。そうだろうか。もっと安倍首相には押したり引いたりの中で知恵を出してもらいたいと国民は思っていたのでは。「世論の後押し.....」はどうかな。


2007年09月07日(金曜日)

 (12:57)水曜日にウランバートルで書き上げたものの、メール送出が不能だったことから日本への送りに苦労した文章が以下にアップされました。結局ワードでweb文章にして、FTPで自分の使っているサーバーの一部にアップし、それを受け手(編集)側に開いてもらったもの。写真もアップしました。

 日経エコ第五回エッセイ

 これとは別に、私のchat のコーナーにモンゴル関係の文章をアップしました。

 草原の風、都市の膨張


2007年09月06日(木曜日)

 (15:57)株とか、為替とか、金融市場の状況は先週末に出かけるときに比べて、それほど動いていない。まあ、アメリカがレーバーデーの3連休でしたから。

 変わっていないと言えば、市場の「不安定感」もそうなようで、昨日は欧州中央銀行(ECB)が、緊急声明まで出して「市場安定に貢献する準備がある」と。つまり、6日の理事会では利上げはせず、引き続き必要なら短期資金を金融市場に融通するというメッセージでしょう。多分利下げはない。

 実際のところ、市場の不安定感は依然として強い。ずっと言っているように、「どこに何が隠されているのか」ということ以上に、やはりアメリカの住宅市場の先行きに大きな疑問符が付いたことが同国経済の先行きに対する不安となっている。

 住宅に絡む問題は長引く。日本の例がそれを良く物語っている。一筋縄ではいかないのです。時間のファクターが非常に強い。例えFRBが利下げしても、後遺症は残る。日本もそうでした。とすると、今回の問題は尾を引く、と理解できる。いくら世界経済の成長の原動力が先進国からインドや中国など途上国に移ったとしても、世界最大の経済国であるアメリカの存在、動向は大きい。

 ECBが利上げを見送るということは、9月の日本の利上げは事実上非常に難しくなったということです。あと10日あまりに状況が大きく展開するとは思えない。市場は不安感を抱えたまま推移する、ということになりそう。ただし、今の状況を市場から手を引く時期か、徐々に手を染める時期と考えるかは、個人によって違うでしょう。

 ところで、今日の日経の「経済教室」は、解決策のない問題なんですが、分野外の人の指摘としてはなかなか面白い。「巨大ヌエ さらに解明を」と。ヌエとは「頭が猿で胴体が狸、尾が蛇で手足が虎の怪物」。

 経済は確かにとらえどころがない。今回のサブプライム問題も、問題の大きさの把握ではFRBも失敗した。私の友達で、「経済学では、全く反対の事を言ってもノーベル経済学賞を取れる可能性があるが、それは他の学問にない」という人がいる。

 確かに経済は捉えにくい。心理の側面が大きいし、それが織り込むファクターは無限にある。それを全部頭に、またはコンピューターに入れるのは無理です。例えば、6日の東京の株価の引け値を朝予測できた人はいないでしょう。朝300円も安かったのに、引けは100円弱高。特に大きな理由はなかった。

 それでも、予測の努力をしなければならない。そこが難しい。


2007年09月05日(水曜日)

 (23:57)窓側だったので出発時のモンゴルの風景と、そして着陸時の成田、それに東京の風景を見ながら、「要するに、日本とは非常に国土の隅々まで手の入った国だと言うことだ」と思いました。逆に言えば、モンゴルとは「手が入っていない国」ということになる。

 「手が入っている」という意味合いは、社会システムとか人間関係にも言える。「手が入っている」ことで、安心感を覚えることもあれば、安定感を感じることもある。しかし一方で、その安心感や安定感が物足りなさにも繋がる。もっと荒々しい何かがあっても良いのではないか、そんなものに縛られたくない、という。

 モンゴルは本当に「手が入っていない」。草原はそのままだし、誰も登ったことがないだろうと思えるような山がいっぱいある。ウランバートルはどう見ても、「手が入った」都市とは言えない。荒々しい。しかし、それはそれでおもしろ味がある。

 まあ場合によってどっちも魅力なんですよ。だから日本に住みながら、「時々モンゴルに行って馬に乗りたい」という人が出てくる。それはそれで分かるし、私もまた馬に乗りにモンゴルに行きたいとも思う。

 モンゴルと日本の地理を考えれば、それも頷ける。モンゴルの人は今はモンゴルに住んでいるが、いつでもmovingな人たちです。遊牧とはそういう意味で、ゲルを2トンまで背負える馬やらくだの背中で移動させ、大して財産もない生活をしている。

 一方日本の祖先は、結果的にではあるが移動の最終の地としてここに来た。東は太平洋だからもう動きようもなく、また大陸から孤立したことから、帰るわけにも行かなくなった。だから、一所懸命となった。

 一所懸命だから、国土にも社会システムにもいろいろ手を入れないといけない。しかし、明日はどこに動くか分からない遊牧民にしてみれば、たまたま居るこの地は、明日にはおさらばする土地です。「手を入れて」いる暇などなかった。ははは、対局で面白いじゃないですか。
 ――――――――――
 日本に降り立ってPCを開いてauのW03Hで接続を試みたら、全く問題なくメールの送信も出来る。モンゴルでは何がいったいいけなかったのか。メールが送出できない間は、しょうがないので日経ECOマネジメント用の原稿はワードをWebページに変換して、FTPで私のサイトにアップして、それを日本サイドで読み取ってもらいました。私の過去の経験だと、メールよりもFTPの方がはるかに信頼性が高い。

 15人もいると、それぞれがカメラを持っているから、入り乱れる。つまり自分のカメラではなかなか自分をではなく、他の人を撮ることもある。そうすると、あとで写真を交換しなければならない。私は途中で、私のPCをベースにしてカメラのメディアのコンテンツ交換をすれば良いと思って提案したのですが、あまり理解してくれる人はいなかったな。

 もっとも、最後の日にお一人とはメディアの中身交換をしました。あとあと楽だと思うのですが。まあ、同報メールででもいいんですが、それだとネットワークに負荷にはなる。自分の分の写真は富士フイルムの写真サービスに入れて送ってあるので、6日には出来上がります。

 日本に帰ってきた瞬間に凄く汗が。湿度が高い分だけ、日本は汗が出やすいのだと思いました。まあ雨でしたしね。明日は台風の影響で相当な荒れ模様のようです。気を付けないと。


2007年09月05日(水曜日)

 (05:57)多分これがモンゴルからの最後のアップです。全員揃っての夕食後は何をしたかというと、午後9時30分までやっているというデパートに。スカイ・デパートという名前でした。

 もっとも、「デパート」と言っても一階から三階までの3フロア。しかも各フロアの面積は日本のそれに比べると大きくない。一階に薄型テレビやステレオ、洗濯機など家電製品とかが置いてあり、二階が化粧品、食関連、時計、民芸品、宝石など。三階が男女の衣服という構成。ちょっとブランドものが置いてあったと思った。

 面白かったのは、食品売り場です。デパートの中では見るのが一番好きなコーナーですが、「あるかな....ないだろうな」と思って探した魚のコーナーは全くなく、ただ冷凍のサバだと思ったのですが、数匹置かれていただけでした。袋に入れられて。

 「これは凄い」というのは、羊の頭が丸ごと置かれていたこと。鯛の兜ではないのですが、本当に目がくりぬかれて置かれていた。カメラで撮ろうとしたら制止されました。どうやって食べるのだろう。兜煮、それとも焼き? 肉のコーナーは他に比べると充実していたな。鶏肉の唐揚げが美味しそうだった。ケーキは食品のコーナーに置かれていて、結構家族連れが来ていました。

 実はスカイ・デパートはウランバートルのデパートとしては二軒目の訪問先。もう一軒は5階まであって、規模も大きかった。しかしガイドさんによると、ウランバートルで高額商品が売っているデパートとしてはスカイの方が上だそうです。もう一つのデパートは5階の民芸品のコーナーが充実していたと思う。

最初の人食事のメイン。美味しかった。サラダ、うどんのようなスープの次に出てきた。モンゴルは結構野菜が美味しい  街で気付いたことと言えば、電話の賃貸業が街角に結構あること。売り子が一人いて、その前にタバコと電話が置いてある。最初なんだろうなと思ったのですが、カンバンがあって、「100TG」とか書いてある。「TG」というのはこの国の通貨の略称だから「電話を貸しているのでは」と思って見ていたら、その通りでした。

 ケイタイ電話をモンゴル(特にウランバートル)の人々も持っているのですが、プリペイドが多いそうで、しばしば使えなくなる。そう言うときに、「街の電話屋さん」に駆け寄るというわけです。

 街で一つ面白いと思った現象は、結構商店街らしいものが出来てきていて、これは1990年の自由化以降の現象だそうです。人通りの多いところのビルの一階は、例え直近まで人が住むアパートだったところでも商店を作った。この結果、こうした場所のビルの一階の賃貸料が上がったというのです。以前原宿にあったあるアパートを思い出しました。

 ウランバートルは若者が多い街です。皆結構楽しそうに、ワイワイがやがややっている。カップルが多かったな。結構手を繋いで。日本よりもカップル社会なのかもしれない。むろん、女性だけ、男性だけで食事、飲みをしているグループも見かけましたが、原則はペアリングのようです。印象ですが、多分ウランバートルは大学生が多いのだと思う。9月に入って学生が戻ってきている。

 時間の余裕があるので、食べ物のことを少し書きましょう。はっきり言って、食事は日本で出てくるものと変わっているという点で面白い。羊一頭が食用に供されるまでも見ましたが、やはり羊はモンゴルの人にとって主要食のようです。かぶりつきましたが、美味しかった。ちょっと塩を振るのがよろしいようで。あとは馬乳酒。ガイドのメグさんが家のものを持ってきてくれましたが、かなりしょっぱいヨーグルトのゆるいの、という印象がした。モンゴルの男は、あれを大きな入れ物に何倍も飲むのだそうです。

 先にも書きましたが、今のウランバートルは90年代の半ばから来ている人に言わせると、「あまりの変貌ぶりに驚いた」そうですから、多分あと5年後に来たらまたさらに大きく変貌しているんでしょうね。道路、水道などインフラがどの程度整うか、交通マナーがどの程度改善するか、など興味深い。

 我々が「モンゴルは今のままでいい」と言ってしまうのは、どうかなと思う。文化財に指定された人が非常に窮屈な生活を余儀なくされるようなものです。あの綺麗な草原にしろ徐々に変わっていくのでしょう。もちろん私も残して欲しい景観がモンゴルには一杯出来ました。しかし、そこにはまた人が住んでいることも確かです。

 そうですね、五年後くらいにまた来れたら......と。


2007年09月04日(火曜日)

 (23:57)早いもので、明日5日は早朝帰国の昼頃成田ですから、もう今夜が最後です。最後の日になってメールが受信は出来るのに送信が出来なくなったりとちっちゃなトラブル(原稿が送れないなど)はあるのですが、まあ15人全員無事で明日の帰国になりそう。良かった。大人数ですから、一人くらい動けないほど具合が悪い人が出るかもしれないと思っていたが、これも二人程度の小トラブルで終わった。

モンゴルの首都ウランバートルの街。実際より綺麗に映っている  最後の晩餐と言うことで、一人1分スピーチをしたのですが、全員初めてのモンゴル。いろいろな感想があった中で、多かったのは夜空の星と草原、そして風、さらに馬でしょうか。私は子供の時にかなり綺麗な星を見た記憶があるのですが、モンゴルの草原の夜の星はこれまた格別に綺麗でした。全員で長いすをかなりの数草原に持ち出して、ひっくり返って天空を眺めましたからね。あれが北極星だ、あれがひしゃくだと。

 草原。どこからとなく始まり、そしてずっと先まで限りなく続いているという印象。しかし所々にどうしてこんなところに、こういう形で出来たのだろうという山があり、その山には決まって数々の奇岩が乗っている。今にも落ちそうなのに、落ちないで、まるで人間が磨いたようにある。不思議です。その山の麓を草をなめながら進む羊や山羊の群れ。ヤクもいたな。鞍を付けて。

モンゴルの雲、空、草原、馬......  そして風。最後の4日は3日とも違ってかなり風が秋の風情。あと数日遅くまでモンゴルにいたら、秋のモンゴル、そしてちょっと寒いモンゴルを感じられたのにと残念な気もしますが、それでも頬に当たる風のなんと爽やかなことか。東京のように高層ビルなど遮るものとてない。モンゴルの良い思い出は、その大部分が草原にある。

 感想の中には、「この国はいったい何で食べるのだ」というもっともなものもあった。あまりに輝かしい歴史と、それに比しての今の後進性と力のなさ。モンゴルの人々もこの差には悩んでいるに違いない。悩んでも、資本や技術は海外、特に中国はロシアから来る。鉱物資源をもっていかれても、今はなかなか言えない。カナダも大きな権益をもっているようです。

 短い間でしたが、充実して実りある旅でした。メンバーが良かった。最後の日には孤児院や自然博物館、民族博物館なども見学した。ちっと買い物もしました。しかし、先日も書いたように、モンゴルが大きな課題を抱えていることは確かです。それは来る前に珍しく推薦された図書を全部読む中で予感がしたもの以上があった。

 残念なことはいっぱいあるのですが、歯がゆかったのは言葉が出来ないと言うことです。一つの目標は、「モンゴルの人々と交流する、話しをする」でしたが、出来たとは言えない。最後に運転手の方とメグさんを介してちょっと話した程度。何を考え、何を希望に日々生活しているかを含めて、インドでしたようにモンゴルの人々の生活の実態をもっと知りたいと思いました。この次の課題でしょうか。もっと長距離での馬での疾走と並んで。

 食べ物はどうなっているのか、というメール問い合わせがありましたが、またチャットのコーナーに長い、まとまった文章を書くときにアップします。


2007年09月04日(火曜日)

 (07:57)モンゴルとはどういう国かの一面を教えてくれる記事に出会いました。モンゴルの言葉は全く分からないので、「UBポスト」という英語の新聞から。

 この新聞には「On Saturday,540,000 Children Will Be Going To School」という記事があって、これが非常に面白かった。その記事の骨子は以下の通りです。

  1. 9月1日は、いつものようにモンゴルでは新しい学年(academic year 2007〜2008)の開始日であり、3ヶ月の夏休みを経て、54万人の生徒が学校に戻る。9月1日は法律で新学年の開始日と決められているが、今年は土曜日に当たったため、実際に生徒が学校に戻るのは9月3日の月曜日である

  2. 9月1日を新学年の開始日とすることは、昨年の大モンゴル国家創設800周年を記念した法律で決まった。この日はまず国歌を斉唱し、最初の授業は「聖なるモンゴルの歴史(The Secret History Of Mongols)」でなければならない決まりだ

  3. 教育・文化・科学省の規則によれば、公立学校の一クラスの生徒の数は35人と決められいるが、ウランバートルには地方から膨大な人口の流入があり、その結果首都の学校の一クラスの生徒数は50〜60人に達する見通しであり、一方では地方の学校の教室はガラガラという状況が生まれている

  4. 54万人(primary と secondaryと表現されている。日本で言えば小学校、中学、それに高校の一部か)の生徒は、749の公立学校と私立学校に通うことになる。1920年以来、50万を超す生徒が一斉に学校に行くのは初めてであり、教える先生の数は1万9500人である

  5. 小学校の1〜4年生の25万9000人については、今年から無料で学校給食が与えられる。一方今学期から国立、公立、または私立の大学に通うモンゴルの学生は11万700人である。大学の授業料は、これまでの5万トグログ(ゼロを一つ取ると日本円換算になるので、5000円)から13万トグログに急激に上がった

  6. しかし公立、私立を問わず、新しい教育法では職業育成大学(警察とか軍隊でしょうか)の生徒に毎月2万3000トグログの奨学金が支給される。一方、教育の質を上げるために、先生の月給や退職金も引き上げられた

  7. 今年だけで全国の学校260校が改装され、90の学校が増築された。約10の学校の改造・増築が9月1日に間に合わずに、9月の半ばには完成する予定である
 この記事によると、大学にいたる前の日本で言う小中高の教育は11年生なんだそうです。これは2006〜2007年後からそれ前の10年生から変更になった。しかし国際基準に合わせるために、2008〜2009年から12年生になるのだそうです。日本も12年生ですね。まあこれだけでも、モンゴルの諸制度が激しく変わっていることが分かる。

 私がこの記事でまず注目したのは、54万人という生徒の数です。なにせ総人口が260万人の国で、54万人もの生徒がいる。例えば日本の小中高校の12年間の生徒の数を推定してみると、年平均子供数が130万人だとしても1560万人です。総人口の約12%です。しかし54万人を260万人で割ってみると、約21%。日本に比べれば、かなり子供の割合が多い国だと分かる。つまり子供が一杯いる。

 次に印象深いのは、人口の巨大なウランバートルへの流れです。私が昨日であったモンゴル大好き日本人によれば、1995年くらいのウランバートルは人口が50万程度だったそうです。それが今は不法も含めれば100万人にも達しようとしている。ウランバートルの基礎教育学校の一クラスの生徒数が規定の35人から50〜60人になるというのも、そして地方の学校がガラガラというのも分かる。国全体がウランバートル傾斜している。

 だからこその、ウランバートルの凄まじさです。人の多さ、そして車の多さ。我々はバスで移動しているのですが、なかなか動かない地点が多い。しかも我先きの運転ですから、危ないこと限りない。我々が乗っているバスも「危うく」というのが何回もあった。あと5センチ.....という感じです。いつもバスの最前列に座っていたので、それがよく分かる。

モンゴルの雄大な山を背に  どんな都市でも、そんなに急激な人口増加をうまく吸収できるわけがない。実際の所、スラムとまでは行かないが、市内のあちこちにはここの住環境は悪いな、と思わされる箇所がある。インドや南米のスラムとは違うのです。市の一角に小さなゲルが一杯出来ている。しかしどう見ても綺麗ではないし、やや無秩序。その一方で、市の中心部にはシャングリア・ホテルなどが建設中。しかし道路はどこに行ってもガタガタという状況。

 それだけ人が急激に集まったら、私が昨日紹介したような遊牧社会の良さが失われるであろう事は容易に想像が付く。今でも遊牧民の生活はそうかもしれないが、ウランバートルでは気を付けろと本にも書いてあるし、行ったことのある人からもそう聞いた。我々の仲間はまだそういう目にはあっていないが、例えばメグちゃんのお姉さんは警察官で、よくメグちゃんに「夜は一人では絶対歩くな」と警告しているらしい。

 そりゃいろんな人が集まってきているのだから、スリ、ひったくり、置き引きなどは多いと想像される。デパートに入る時にも、さんざん「スリに気を付けてください」と言われた。まあガイドさんが予防線を張るときの典型的な警告にも聞こえるのですが、確かにいろいろな人がいるな、という印象。

 ウランバートルの人々の服装もまちまちです。伝統的な正装をしている人達も少数いる。年取った人達です。若い女性は、へそ出しルックで東京の原宿となんら変わらない。結構彼女らはダイナミックですよ。少々おなかが出ていても、太っていても気にしている様子はない。男では上下を来ている人はほとんど居ない。ネクタイ姿も見なかった。男は白いノーネクタイシャツにズボンという姿が多い。まあしかし、国民一人当たりの所得が500ドルの国(日本は3万5000ドル)ですから、贅沢なモノではない。その中を、ホームレス風の人が結構いるという構成。日本にあるようなブランドショップはまだ目にしていない。

 ガイドのメグさんが面白いことを言っていたな。我々が泊まっているホテルの近くもそうなのですが、大学が市内にはいっぱいある。そこから学生が出てくるのを見ていると女性が非常に多い。「どうして」と聞いたら、「モンゴルでは親は女性を大学に出したがる」と。その論理は、「男は何をしても食べられる。女性には教育を....」と。将来女性大統領がこのチンギス・カーンの国で生まれるかと想像するのは楽しい。

 日本に渡って成功した相撲取りのモンゴルでの地位は、高いらしい。日本では朝青龍の事業が有名ですが、ウランバートル市内には旭襲山記念ビルなるものを見ました。彼が国内で集めたお金で作ったそうです。次の選挙では「当選間違いない」という観測で、女性大統領も可能性ありですが、日本で相撲をとった経験のあるモンゴル人が、将来のモンゴルの大統領になる可能性を検討してみるのも面白いかもしれない。同じモンゴル出身の相撲取りでも、日本の女性と結婚したり、日本の国籍を取ると「裏切り者」と呼ばれるのだそうです。

 いろいろな意味で、この国は「歪んでいる」と言える。ウランバートル集中がその代表であり、ということは地方の人口は急激に減少しているに違いない。日本流で言えば、都市と遊牧社会のバランスの急激な変化ということです。「格差」と言えるのか知りませんし、モンゴルの人達がどう考えているかは知りませんが、日本人が考えるモンゴルは急激に変わってきている、ということです。


2007年09月03日(月曜日)

 (23:57)ウランバートルの劇場で、モンゴル大好き日本人に会いしました。短い間の会話だったのですが、非常に面白かった。

 その人が最初に来たのは、1995年頃だそうです。新潟の高田でご商売をしている本里さんという方ですが、まだウランバートルの人口が50万人程度。今よりだいぶ少ない。市場経済は始まっていたのですが、まだまだ不自由な経済状態で、「キオスクなんてのは蝋燭で夜は商売していましたよ」とはその人の言葉。まあ今でもゲルにはやっと電球と小さなコンセントが一つあるくらいですから。しかし今のウランバートルの夜は、街灯はないが店のネオンは結構華やかです。

初日は白馬、次の日は栗毛でしたが、二日目の馬はしっかり走ってくれました。楽しかった。  モンゴルの何がこの人をそれほど惹き付けているのか。端的に言って、その広さだというのです。どこまでも続くともしれない草原、そこで馬に乗ったりすれば日本では決して味わえない醍醐味がある、風も爽やかと続く。まあ同感です。それ以来6度いらっしているそうです。今回はお孫さんも連れて。

 この方が言っていた、「モンゴルに惹かれた話し」二題。ゲルに関わるものです。

  1. モンゴルの冬は寒い。寒い中でも遊牧の人々は移動する。移動しながらでは食事は作れない。でどうするか。移動中の家族は、ゲルが見つかるとそこに寄るのだそうです。そこが知り合いでなくても。そうすると、寄られた方は誰彼であろうと歓迎するのだそうです。食事を出し、馬乳酒を出し。そして送り出す。お互い様だという考え方で、まあ助け合いの精神

  2. さらに言えば、遊牧民というのはゲルを開けてどこかに出かけるときには、ゲルに鍵を掛けないのだそうです。なぜなら、いつ移動中の家族が例えば水を求めて寄るかも分からない。そう言うときにゲルに鍵が掛かっていたら移動中の家族が不便をする
 私も実際にウランバートルから離れてキャンプ場や実際にモンゴルの方が住んでいるゲルに行きました。そして、こんな素晴らしい景色があるものかと思いました。日本にはない景色です。青い空、白い雲、岩の多い頂上が研ぎ澄んだ山、奇岩の数々。そして何よりも、気持ちの良い風。移動しながら草をはむ羊ややく。地リスもいたな。ゲルが点在しているだけで、あとは起伏のある草原と切り立った山だけ。

 キャンプ場とは、ウランバートルから60キロのところにあるツェベグマー。ゲルでの一夜を体験するためで、ウランバートルを出て、 旭襲山の生まれ故郷の村(街)を過ぎ、チンギス・カーンの生まれた山を左手に見て、がたがた道を2時間以上走って。しかし着いたところは、「ここが中央アジアまで続く大平原の一部か」と実感できる場所の一角。

ガイドのメグさんと、ウランバートルの広場で  馬にも2日の夕方と3日の朝に合計2時間半ほど乗りました。モンゴルの馬は、我々が日本で見るサラブレッドとは二回りほど小さい。日本の戦国時代の馬も小さかったそうですが、ここの馬も小さい。しかしポニーよりはるかに大きいし、「力持ちですよ」とメグちゃんは説明していくれる。

 その馬の上に一人一頭で15人が揃って乗って移動。直ぐに乗れるようになる。ただし初日は歩きだけ。馬を走らせたり、右左に曲がらせるのはなかなか難しいと感じた。納得がいったのは2目です。馬を自由にして、持っていた帽子で馬の横腹を強く叩いてみた。先導してくれた遊牧民の子供そうやって馬を走らせているのを見たからです。

 走り出しました。やはる馬は走らないと、と思いながら300メートルくらい走ったかな。爽快でした。また乗りたいと。少し慣れるともっとうまく扱えるようになるのではないか、と。ちょっと自信過剰ですが。

 この馬に乗って、モンゴルの13世紀の連中が遠く欧州まで遠征したとは迂遠な話しですが、歴史的事実でもある。なかなか壮大で、本当にタイム・マシンが欲しい、行ってみてみたいと思う一瞬です。

 ウランバートルに戻ってきてからは、日本人捕虜で亡くなられた方の墓地(1500人以上の方が眠っておられる)、市内のデパートを見たりしましたが、特に興味を引かれたのは街の全体的な姿ですかね。急激に発展したということはるが、あまりにも無秩序で、インフラが整っていない。住宅地なのに水道が来ていないとか、どこに行っても土埃だとか。

 社会主義の残滓がやはり強く残っているのです。街の発展度の低さといい、デパートの店員の無愛想といい。しかし劇場の役者達はさすがに笑い慣れしていました。悪い意味ではなく。


2007年09月02日(日曜日)

 (08:57)それにしても、この国はなぜ全てが「チンギス・カーン」なんだろうとしばしば思う。

 空港の名前から、ホテルの名前、製品の名前、そしてモンゴルに関わる人々の記憶まで、何かといえばチンギス・カーンに絡む。一見したところ、モンゴルの高額紙幣も肖像はチンギス・カーンです。800年も前に生きた人なのに。

 理由の一つは明らかです。それは彼があまりのも偉大、有名、悪名高いからです。彼の子孫のその後の活躍も入れると、ユーラシア大陸の三分の二を支配する帝国を作った彼が人並み外れた人であることは明確です。北方諸民族の中でもそれほど強い、大きな集団から出たわけでもないのに、あれだけの帝国を作り上げた。軍事力、政治力が並はずれていることは間違いない。

モンゴル旅行の全員写真、キャンプ場で奇岩の山をバックに  しかしじゃあ他に人はいないのか、と思う。モンゴルの他のウリはと。多分私が知らないだけなのでしょう。歴史的には一杯面白い人物がいるに違いない。中国の天安門にいまだに毛沢東の肖像が掲げられているのは、彼が偉大だったという以上に、今の中国が政治的求心力を求めようとしたら、彼の悪事も分かっているし、政策の間違いもいっぱいあったが、結局毛沢東という人物に行き着くしかない、という理由があるからで、中国には他に偉人も一杯居る。

 モンゴルが独自の書を残さず、当時の彼等が何を考え、どう生きたのか分からないということも影響しているのかもしれない。モンゴル航空の中で読んだチンギス・カーンに関する長い記事によれば、彼は周りの人間誰にも自分の肖像を描かせなかったそうだ。だから今に残っている彼の肖像は、皆想像だというのです。

 一事が万事で、あれだけの帝国を作ったのに、書かれた歴史がない。その存在の歴史的な意味合いはあまり論じられない。記録がないからです。中国の歴史書、彼の子孫達に襲われた欧州の記録など、周辺情報しかない。そして凄まじい殺戮の果てに、あれだけの帝国を作ったという結論だけが突出し、攻められた方が野蛮人の集団と呼ぶ。「タルタル・ステーキ」はその名残です。しかしモンゴル人を含めてあれだけの帝国を作ったこと自体を賞賛する人々が世界中にいる。私にもそういう気持ちはある。

 それはやはり人類史における偉業だと思う。狭隘な国境の概念を、遊牧民の論理で木っ端みじんにし、貿易を盛んにし、欧州の人々にアジアの存在と技術を、アジアの人々に欧州の存在の思念を伝えたという功績も大きい。しかし、それにしても、なのである。

 理由の第二は、少し書きましたが「他に語るべき事がない」ということが大きいのだと思う。馬と騎射は、12世紀、13世紀、そして14世紀、そして軍の機械化、機構化が進むまでは圧倒的な戦略的優位さを保持できた。今でもモンゴルには200万頭の馬がいるそうで、これは人口比では世界でもっとも多いという。

 馬と騎射の戦略性が失われると同時に、モンゴルとその帝国は力を失い、そしてそのままずっと現在に至っている、というのが一際チンギス・カーンが目立つ理由でしょう。近代史を見ても、モンゴルをかつての世界を支配した状況から、世界に振り回される存在になってしまっている。

 ウランバートルは発展の途上にあるが、都市としては決して魅力溢れるようには見えないし、世界の都市に比べてもまだ貧弱です。モンゴルは地下資源が豊富だと言われて中国の企業が相当進出してきているし、欧米人も多い。しかし、石油は東部の方で少し出るくらいで、資源大国には遠い。

 輸出品、おみやげ物は何かと調べると、カシミア程度。それも日本の援助などでやっと工業製品としての存在感を高めている。要するに、今現在で「見るべきモノ」に欠けているのである。無論、この国が今のまま行くとは限らない。しかしそこにこそ、「モンゴルの課題」が見えるような気がする。

 そんなことを思いながら、市内観光→ゲル宿泊に行きたいと思います。


2007年09月02日(日曜日)

 (07:57)知っている都市で何処と似ているか、と問わ日本の地方空港の規模のチンギス・カーン国際空港れれば、「ベンガルール」と答えますね。旧バンガロール。インドの南のITで有名な都市です。

 まず同じように高地にある。ガイドのメグさんの解説によると、ウランバートルは標高1350メートルにあるそうです。相当高い。ペンガルールは確か900メートルくらいだったと思ったのですが、市の中心部まで悪路であり、車が右左と蛇行しながら行き交うこと、土埃が凄いこと、ビルがまばらなことなどが良く似ている。もっとも、ビルの近代化度、高層度ではベンガルールの方が上です。凄まじい資本がインドの街には入っていますから。ウランバートルはまだ巨額の資本が入っているという印象はしない。

ウランバートルでも人気のパブ。実に大勢の人が楽しんでいた  モンゴルの人口は270万人。うちウランバートルに正式に住所を持つ人間が70万人。しかし、実際には100万人程度がこの都市に住んでいるのではないか、と言われている。つまり全人口の三分の一が首都にいる。広い国土なのにもったいないと思うのですが、それには経済的理由があるのでしょう。建設ラッシュですから労働者は必要です。「韓国の全人口のうち、四分の一がソウルにいる」よりも集中度が高い。

 空港に夕方降り立ち、小型バスで市内を移動し、そしてレストランで食事をしてホテルにチェックインし、そこで一端解散。しかしガイドさんを含めて有志4人で夜の街にほんの少し繰り出しただけですが、いろいろ印象はある。

  1. 急ごしらえの都市であるということ。街の中にまでゲルが残っていて、近代的なアパートの隣がゲルと一軒家という印象で、まだまだ統一感は出ていない。道も酷い
  2. 道が酷いのに急激に車が多くなっている。モンゴルの公務員の平均月収は1万5000円程度だそうですが、50万〜70万円で入ってくる日本の中古車がよく売れているそうです。平日の渋滞は相当酷いらしい
  3. プリウスは数年前から入ってきているそうですが、総生活費の割にガソリンが高い(リッター100円と言っていました)モンゴルでは、人気があるそうです。しかし、韓国車もかなり目にしました。バスはありますが、公共交通手段が少ないウランバートルで急速に移動手段としての地位を車は上げている様子
  4. 物取り、ひったくり、置き引きなど軽犯罪は相当多いらしい。ただし殺人などは少ない都市だと。驚いたのは、有志3人とガイドさんで夜出かけるとき、「何があってもガイドのせいにはしません」という手書きの承諾書に署名させられたこと。それが慣行になっているのでしょう
  5. しかし実際に4人くらいで行動してみると、それほど危ない印象はしない。たまたま安全に移動できたと言うことだけかもしれない。ただし街灯というものが全くといって良いほどない。従って、夜のウランバートルは非常に暗い
  6. 箇所は限られているですが、アイリッシュ・バーなどいくつかのナイトライフの場所はあり、その場所には非常に多くの若者、外国人などがかなり賑やかに飲んでいる。そこにいる限りは、この町が実は危険であるという印象はしない
 そこで豪快に飲むウランバートルの若い女性グループといったところでしょうか。しかしあくまで我々は夜は「男3人、女性のガイドさんのメグさんの4人」でタクシー移動していますから、それが日常だとは思いません。

 今回のツアーは総勢が15人。旅慣れた人達が多い印象です。新聞記者、その出身者が多いので、まあガイドさんに対する質問が多いこと。ははは、私も相当質問する方ですが、ちょっとメグさんが可哀想なくらいです。

 ウランバートルは盆地です。川に沿って出来た街だそうで、当然ながら川に沿って長い。しかし空港に降りてまず感じるのは「ここは盆地だ」という印象であり、さらに言えば山には木が生えていない、ということ。一面が草原です。北京の北の万里の長城の、そのまたかなり北にある街という印象がする。普段はあまり雨は降らないのだそうですが、今年の8月はそうとう雨が降ったそうで、私はそうは思わなかったのですが、  明日行くゲルは通じないそうですが、ウランバートルにいる限り、インターネットや日本からのケイタイは違和感なく通じる。ウランバートルでもケイタイ電話の桁数は8桁と少ないのが良い。私は相変わらず旧ボーダフォンを使っていますが、問題ない。

 南の中国と北のロシアに挟まれた国・モンゴル。街のカンバンを見ると、ギリシャ語、ロシア語のような複雑な綴りのカンバンが目立つ。漢字はほとんどない。この国の言葉についてはまだあまり調べてありませんが、草原に無理矢理国境線を引いたような国で、中国のモンゴル自治区と合わせて、いずれ何らかの問題が起きそうな国でもあります。ただし今は国造りに邁進、といった風情。

 あと言えるのは、寒暖の差が激しいことでしょうか。昨日は昼間は24度でしたが、やはり夜になるとぐっと冷える。半袖ではちょっと難しいくらい。長袖が夜には手放せない。


2007年09月01日(土曜日)

 (07:57)ブッシュは何を発表し、バーナンキは何を語ったのかと思って朝起きたら、まずまず予想通りの内容、展開でした。

  1. ブッシュ大統領のローズガーデンでのスピーチ

  2. バーナンキのジャクソンホールでの住宅問題に関するスピーチ
 ブッシュが発表したのは、4点盛り政策とも言えるもの。
  1. 連邦住宅局(FHA)の近代化・改善。具体的には、支払い義務の引き下げや融資限度の引き上げ、価格査定の融通性引き上げにより、より多くの住宅取得家庭がFHAの融資を利用できるようにする

  2. 議会と協力し、連邦税規則の住宅関連状況を一時的に改訂して、住宅取得家庭が困難な時期に、税法上不利にならない形で住宅ローンの借り換えが出来るようにする

  3. 返済困難な住宅取得家庭が、借り換えする道を見つけられるように、取得住宅の差し押さえ回避のための措置を取る

  4. 今回のような問題が二度と起きないように、住宅ローン産業の透明化、信頼性、公正性回復を図る措置を連邦政府が取る
 ブッシュが今は市場が移行期にあって、「リスクのリプライシングをしている」「危機乗り切りには時間がかかる」と言っている部分はその通りだし、政府の役割が限られていると言っている部分(We've got a role, the government has got a role to play -- but it is limited. A federal bailout of lenders would only encourage a recurrence of the problem. It's not the government's job to bail out speculators, or those who made the decision to buy a home they knew they could never afford.)は「入るだろうな」と思っていた部分ですが、並んだ措置を見ると「総動員」というイメージがする。ブッシュ・スピーチの総動員ぶりは以下の通りです。
Yet there are many American homeowners who could get through this difficult time with a little flexibility from their lenders, or a little help from their government. So I strongly urge lenders to work with homeowners to adjust their mortgages. I believe lenders have a responsibility to help these good people to renegotiate so they can stay in their home. And today I'm going to outline a variety of steps at the federal level to help American families keep their homes. First, we're going to work to modernize and improve the Federal Housing Administration -- that's known as the FHA. The FHA is a government agency that provides mortgage insurance to borrowers through a network of private sector lenders. Sixteen months ago I sent Congress an FHA modernization bill that would help more homeowners qualify for this insurance by lowering down-payment requirements, by increasing loan limits and providing more flexibility in pricing. These reforms would allow the FHA to reach families that need help, those with low incomes and less-than-perfect credit records or little savings.

(略)

In the coming days, the FHA will launch a new program called FHA-Secure. This program will allow American homeowners who have got good credit history but cannot afford their current payments to refinance into FHA-insured mortgages. This means that many families who are struggling now will be able to refinance their loans, meet their monthly payments and keep their homes. In other words, we're going to start reaching out and making sure people know that this option is available to them so they can stay in their homes. Second, I'm going to work with Congress to temporarily reform a key housing provision of the federal tax code, which will make it easier for homeowners to refinance their mortgages during this time of market stress. Under current law, homeowners who are unable to meet their mortgage payments can face an unexpected tax bill. For example, let's say the value of your house declines by $20,000 and your adjustable rate mortgage payments have grown to a level you cannot afford. If the bank modifies your mortgage and forgives $20,000 of your loan, the tax code treats that $20,000 as taxable income. When your home is losing value and your family is under financial stress, the last thing you need to do is to be hit with higher taxes.

So I believe we need to change the code to make it easier for people to refinance their homes and stay in their homes. And to this end, I've called Senator Debbie Stabenow of Michigan and told her that she's on to a good idea with the bill that she and George Voinovich have submitted to the Senate. The House has got Rob Andrews of New Jersey and Ron Lewis of Kentucky introducing legislation that is a positive step toward changing the tax code so people aren't penalized when they refinance their homes. With a few changes in the Senate version and the House version, this administration can support these bills, and we look forward to working with them -- the senators and the members of the House -- to pass common-sense legislation to help us address this issue.

Third, my administration will launch a new foreclosure avoidance initiative to help struggling homeowners find a way to refinance. Secretary Jackson and Secretary Paulson are going to reach out to a wide variety of groups that offer foreclosure counseling and refinancing for American homeowners. These groups include community organizations like NeighborWorks and mortgage lenders and loan services, and the FHA, as well as government-sponsored enterprises like Fannie Mae and Freddie Mac. These organizations exist to help people refinance, and we expect them to do that.

See, it's easy for me to stand up here and talk about refinancing -- some people don't even know what I'm talking about. And we need to have a focused effort to help people understand the mortgage financing options available to them, or to identify homeowners before they face hardships and help them understand what's possible.

Finally, the federal government is taking a variety of actions to make the mortgage industry more transparent, more reliable and more fair, so we can reduce the likelihood that these kind of lending problems won't happen again. Federal banking regulators are improving disclosure requirements to ensure that lenders provide homeowners with complete and accurate and understandable information about their mortgages, including the possibility that their monthly payments could rise dramatically. In other words, we believe that if the consumer is better informed, these kind of problems won't arise -- are less likely to arise in the first place. Banking regulators are also strengthening lending standards to help ensure that borrowers are not approved for mortgages larger than they can handle.

This administration will soon issue regulations that require mortgage brokers to fully disclose their fees and closing costs. We're pursuing wrongdoing and fraud in the mortgage industry through the Department of Housing and Urban Development, the Department of Justice, the Federal Trade Commission, and other agencies. In other words, if you've been cheating somebody we're going to find you and hold you to account. And we'll continue to do our part to help improve all aspects of the mortgage marketplace that is really important to this economy of ours.

With all the steps I've outlined today we will deliver help and hope to American families who need it. We'll help guard against future problems in the housing sector. We'll reaffirm the vital place of homeownership in our nation. When more families own their own homes, neighborhoods are more vibrant and communities are stronger, and more people have a stake in the future of this country.

 バーナンキのジャクソンホールでの演説は、「これ以上タイムリーな演説はない」と一週間前から注目されていたもの。まず予想通りの発言ではなかったでしょうか。ポイントは「その必要が有れば、FF金利の引き下げなどの措置も取る」ということです。

 彼はアメリカの住宅市場の歴史を延々と述べる前に、次の2パラグラフで、今のFRBの決意を表明している。

It is not the responsibility of the Federal Reserve--nor would it be appropriate--to protect lenders and investors from the consequences of their financial decisions. But developments in financial markets can have broad economic effects felt by many outside the markets, and the Federal Reserve must take those effects into account when determining policy. In a statement issued simultaneously with the discount window announcement, the FOMC indicated that the deterioration in financial market conditions and the tightening of credit since its August 7 meeting had appreciably increased the downside risks to growth. In particular, the further tightening of credit conditions, if sustained, would increase the risk that the current weakness in housing could be deeper or more prolonged than previously expected, with possible adverse effects on consumer spending and the economy more generally.

The incoming data indicate that the economy continued to expand at a moderate pace into the summer, despite the sharp correction in the housing sector. However, in light of recent financial developments, economic data bearing on past months or quarters may be less useful than usual for our forecasts of economic activity and inflation. Consequently, we will pay particularly close attention to the timeliest indicators, as well as information gleaned from our business and banking contacts around the country. Inevitably, the uncertainty surrounding the outlook will be greater than normal, presenting a challenge to policymakers to manage the risks to their growth and price stability objectives. The Committee continues to monitor the situation and will act as needed to limit the adverse effects on the broader economy that may arise from the disruptions in financial markets.

 その結果は、ニューヨーク株式市場におけるダウ平均の119ドル、NASDAQの31ポイントの上げ(連休前だから、引け際にちょっと利食いが出ていますが)、10年債利回りの4.527%、30年債利回りの4.829%への上昇となっている。ただし、円相場は私が寝るときよりも全般に円高になっている。

 二人の頭にあったのはやはり「moral hazard」だったようです。故に、二人のスピーチは市場がもろ手を挙げて歓迎というものにはならなかった。バーナンキは「住宅市場は金利の変化に敏速には反応しない」といって、むしろ冷めた判断も示している。「(FF金利引き下げは)必要ならする」という姿勢に変化はない。

 それでも金融市場が一応の歓迎を示したのは、「対策が出揃ってきた」ということでしょう。行き詰まったヘッジファンドの名前も次々に出てきている。そういう意味では、一歩一歩問題はフロントイシューから「one of them」になりつつあると言える。



ALL RIGHTS ARE RESERVED.Copyright(c)1996〜2016 伊藤 洋一