2008年06月30日(月曜日)

 (01:02)雨が凄かったので、「一件や二件はあるかな」と思って走り出したのです。そしたらやはり二件。

 事故渋滞、それに事故です。日曜日は朝から酷い雨。土曜日に車で移動したので、帰りも車じゃないといけない。しかし高速に乗る前から「何かありそうだ」と思っていたのです。雨の日は事故が多い。「まああるだろうな」と思って乗った。全行程は200キロもある諏訪から東京までなので。

 一つは一宮御坂のあたりで。これは事故処理の対象になって1キロほど前から渋滞していた。ここで20分ほどを失ったのですが、事故現場はまだ残っていて、2車線の真ん中あたりに回転して前後のバンパーが脱落した車が一台。だからきっと回転してどちらかのサイドに当たって止まったんですよ。

 もう一つは、事故処理の対象にもなっておらず、どうやら私が通過する直前に起きたようで、これも多分車がスピンしてどちらかのガードレールにぶつかって回転、そのまま中央高速の下りの真ん中に止まってしまった。神奈川県に入ってからだったと思う。

 これは危なかった。前の車が3台ほどブレーキを掛けたので「おかしいな」とスピードを落としたので助かった。もしかしたら私の車の100メートルくらい前で起きたことなのかも知れない。はっと気がついたら、その車が止まっている。道の真ん中に。

 スピードを落としていたので、左を抜けて通過したのですが、正直言って危なかった。車体の大きいトラックなどは目の前でこの手の事故が起きたら避けようもない。とすると、玉突き事故になりかねない。道路の中央に止まった車の中に人がいたかどうかも確認できない僅か数秒の話でした。

 雨が強いときは、普段とは違う気を遣わないといけない。タイヤと道路の間にハイドロブレーンといいましたっけ、一種の膜のようなものができて車体が浮く。しかも前の車が見えないほど高速走行の車の後ろは見づらくなる。何かの拍子にハンドルを取られるんでしょうね。雨の日の事故は、車が勝手に回転して起きるケースが多いようです。

 これは不思議なのですが、八王子を過ぎたら同じ雨の状況なのに、あまり前の車のはねが上がらなくなった。それまでは凄かったのに。道路の舗装の仕方が違うのですかね。雨の道、特に高速道路は危険です。ちょっと運転に慣れないと、コントロールを失う。

 まあ人生普通に送っていても、リスクはあちこちに存在する。高速道路の真ん中に車が止まっているなんて普通は思わないじゃないですか。ちょっとスピードを抑制気味に走っていたのが良かったと。

 それにしても大部分の車は50キロ規制のところをかなりのオーバーで走っていた。二件を目撃しましたが、事故は起こるべくして起きている印象を受けました。


2008年06月29日(日曜日)

 (09:02)最後は一人の方が「お出来上がり」になって、メチャメチャになりました。そいつを帰すのが大変だった。

 「日本一校歌が長いことで有名」私の出身高校は、毎年この時期に同窓会を開くのです。学校が出来てからもう軽く100年以上たっているので、まだまだ私より二回りも上の人がずらっと役員をやっている凄い同窓会なのですが、それを機会に同年卒業生が集まろうという会合があった。

 同学年で、そうですね300弱いたかな。そのうち約1割弱、といっても25人くらいですが、それが集まった。顔の分からない連中も最初はいたが、「何部の誰々」と自己紹介が始まり、飲んでいるとだんだん思い出す。

 いろんな職業に就いていますよ。皆さん。むろん、「就いていた」という人ももういる。千葉の総合病院で麻酔科の部長をやっているが、「死にそうなほど働かされている」という奴もいれば、「この歳になって、やっと設計が出来るようになったな」と言われているが、「設計の世界はそんなもの」という建築家もいる。

 今年の6月で会社の役員を退任し、執行役員人事部長になったとか(その関係が私にはよく分からない)、監査役になったとか、そういう連中もいる。自分で会社をしている連中も多かったし、1票差で前回は負けたが、「今回はトップ当選した」という県会議員もいる。

 女性も二人見えていました。ははは、当時の私の高校は、たしか女性は全同学年の1割くらいしかいなかった。聞くと、出席した2人を含めて、1割の女子達はあちこちで活躍しているようですね。声楽家もいれば、学校教育に携わっている人もいる。地元に残った人もいれば、その他で働いている人もいる。それは男にも言える。

 そうそう、「事務所で仕事中に倒れたが、ちょっと重役風の奥まったコーナーで仕事をしていたので、50分間発見されずに死にそうになった」という奴も居たな。彼のメールを事前に見て、私は「こりゃいかん」「今の内に皆の顔を見ておかねば」と。

 ははは、それは半分冗談ですが、夕方6時30分過ぎから飲み始めてまず3時間以上。そこからまた場を変えて3時間弱。日本経済論、政治論、加えて宇宙の成り立ち、ファーブル。ははは、脈略もなくどえらい話がいっぱい、蛾のように飛ぶ。一晩たったら霧散していましたが。

 「これだけ飲んで、これだけ全員で喋りまくったら、誰か出来上がるだろう」と思っていたら、案の定高校を卒業してからもよく麻雀をしたM君が完全に出来上がった。そいつがまたうるさい。声もうるさい。騙して早く帰した。

 写真も撮りまくりました。全部で50枚くらい。全員の顔を一人一人。スピーチの最中に。ははは、公開できるものはないな。焼いて全部幹事に送ります。私の2冊の本(カウンター日本力)と一緒に。幹事さん、ご苦労さん。

 「これから毎年」ということになった。全員の経年変化は面白いかも知れない。


2008年06月27日(金曜日)

 (22:02)たまには雑誌にまとまった文章を書くのも良い物だ、と。

 木曜日は忙しくて見逃していたのですが、今日雑誌社(PHP)の方からメールが来て同社の雑誌「VOICE」(7月号)に書いた「省エネ市場は日本の天下」が26日の朝日新聞の「論壇時評」で「今月の注目論文」に選ばれた、と。

 改めて見たら確かにそうで、新聞もニュースのところばかりでなく、あちこちを読まないといけないと思いました。本とか、そうでなければ比較的短いエッセイが私の書き物の中心だったのですが、この論文は10000字ほど書きましたかね。最終的には8000字前後に短くしましたが。今注目のGMなどの会社の将来も占っている。自分でも書いていて面白かった。

 短めのエッセイですが、今週書いた新しいエコ関係の2000字ほどの記事がアップされました。これもちょっと面白い視点だと思います。地球の人口が正に2008年に「半分が都市に住むようになった時代」から発想しました。

 このポッドキャスト番組に関しては、先週日経の担当者から面白い資料をもらいました。この番組は2005年の10月に始まって、それ以降2年半も毎週続いているのですが、その間の月間アクセス数の推移統計。

 それによると、最初の月、つまり2005年10月の月間アクセス数が18万3509で、それが過去最低。つまりそれからは2006年には20万超であまり伸びていなかったのですが、2007年の半ばから劇的に、かつほぼ一直線に伸びて今年4月に50万を超え、5月は55万5262アクセスとなった。

 ということは、一ヶ月はほぼ4週ですから、一回当たり10万人もの方に毎回アクセスして頂いている、ということです。最近は対前年同月比の伸び率は毎月150〜200%になっている。聞いていて下さる方の数が、前年同月の2.5倍から3倍に毎月なっているということです。聞く方が能動的に動かねばならないメディアですから、ちょっと嬉しいですね。

 毎回10万人以上の方にアクセスして頂いているうち、かなりの方にはリピーターになって頂いているのだと思います。海外の方も多い。それは頂くメールなどで分かる。ついでに言うと、ラウンドアップとの併用の方も多い。ポッドキャストを毎週2本もやっている人はあまりいない。そういう意味では私は珍しい人間ということになる。まあ今後も出来るだけ続けます。聞いていてくれる方が多いのが分かったことは、凄く力になります。

 ところで備忘の意味でちょっと記しておきます。ベトナムの6月のインフレ率は5月の25%を上回る27%になったと発表。日本の5月の消費者物価の上昇率は10年ぶりの伸び率でしたが、それでも1.5%ですから、27%というのは想像を絶する。


2008年06月27日(金曜日)

 (05:02)「何かやっているな」とその時思ったのですが、やっぱりやっていたのですね。

 何の話かというと、新幹線です。もう何週間か前ですが、「あれ、JRはそのうち新幹線で無線LANが使えるようにすると言っていた。とすると何かもうしているかもしれない」と思って、東京駅で無線LAN基地を探してみたのです。ラップトップをONにして。

 そしたら、コンピューターの「ワイヤレス・ネットワーク接続」の表示欄に何個か「N700」という基地が出てきた。確か「セキュリティの設定が有効」なスポットとして出てきた。

 その時「ああ、何かやっているし、案外利用できるようになるのは早いかも」と思ったのです。「有効」ですから、それ以上進まなかった。そしたら、今朝以下のニュースがあった。日経新聞のサイトです。

 JR東海は26日、東海道新幹線「N700系」の東京―新大阪の全区間で、車内のどの席からもインターネットを利用できるサービスを来年3月に開始すると発表した。新幹線でネット接続サービスが導入されるのは初めて。

 16両編成の車両に計32カ所の無線LAN(構内情報通信網)のアクセスポイントを設置。高速走行中やトンネル内でも安定した接続環境を維持し、メールやネットの閲覧を可能にする。

 また「のぞみ」が停車する6駅の待合室だけに整備している無線LANを東海道新幹線の全17駅に拡大し、コンコースなどでも利用できるようにする。 (00:49)

 来年3月ですか。ちょっと先ですね。まあでも真っ先に思ったのは、家のロケフリ経由で新幹線の中でも全チャンネルのテレビが見れるようになる、ということです。全チャンネルというか、家で見られるケーブル会社(JCOM)経由の全テレビを、というわけです。

 MLBも見られれば、日経CNBCも見ることが可能。むろん、地上波も。まあ音は出せないでしょう。しかしちょっと便利ですね。今の私の印象だと、新幹線のルームの中は、そこがまた良いのですが、日本国内で一番情報から、特に映像情報から隔絶された場所です。

 それはそうと、ニューヨークのマーケットはちょっと大変なことになっていますね。まだ終わっていないのですが、引けまであと1時間という今の段階で、ダウは355ドル以上下げているし、原油はバレル140ドルを上回っている。

 ということは、ドルが安いと言うことで、ドル・円は106円台(昨日は108円がらみだった)、ユーロ・ドルや1.5756ドル前後。まあ今週の金融レポートで、「市場はアメリカ政府の意志を確かめに行くだろう」と書いたのですが、まあそういう展開です。ここ一両日にちょっと先行きを分析してみたい。


2008年06月26日(木曜日)

 (17:02)先週の水曜日にチャタルジーご夫妻と食事をしたと思ったら、今週はまたインドの方と話をする機会がありました。毎月一回ほどやっているインド関係の会合の場で。なぜか特定の国のイベントが重なる。

 インドの方とは、今は慶應義塾大学の教授をしておられるアフターブ・セットさん。元の駐日インド大使。完璧とは言えないが綺麗な日本語を喋る。会合では英語と日本語を半々くらいで。

 最近でこそ日本のインドに対する関心も深まっているのですが、まだまだであり、この深耕には相当力がいるという話になった。氏が強調していたのは、インドには日本研究の組織(大学に付属組織などを含めて)が結構あるのに、日本サイドにインドを組織的に研究している組織がない、という点。彼は「scattered」という単語を使っていた。研究者も。

 しかしインドに進出している日本の企業の中には、現地のニーズを組み込んで教育に投資するところとかいろいろ動きが出来ているらしい。セットさんは、「インドの最大の弱みは教育(特に初等教育)であり、特に職業訓練が必要な人が多い」と。日本の企業はもうそういうところに結構力を入れているらしい。歓迎すべき動きでしょう。

 印僑のパワーとか、世界のダイヤモンド市場を徐々にインドが支配しつつある現状とか、NASAの研究員に占めるインド系の割合の高さ(15%だったかな)とか。彼は言わなかったのですが、私が一つ付け加えると、今進行中の大統領選挙の中でインド系の州知事が副大統領候補になってもいる。

 そういえば私は去年もインドに行かなかったし、ちょっとご無沙汰。そろそろインドに行かないと行けない。

 ところで、今日のアジア・ウォール・ストリート・ジャーナルの最終面の「エネルギー欄」はちょっと虚をつかれた感じで面白かった。日本の新潟県などで食べるためのお米ではなく、それ用のお米を作って、それをエタノールにする動きが始まっているというのです。日本の雑誌や新聞は、なぜかそういう報道をあまりしない。

 この記事にはそうした動きをしている方の名前や組織まで出てきていて、興味深く読みました。こうしたプロジェクトがうまく行けば、日本のガソリン需要の1.7%が将来は賄えるという。

 まあしかし私の意見は一貫して、木くずやそこら辺に生えている草からエタノールを作る「第二世代バイオエナジー技術の振興」ですな。やはりお米をいくら食用ではないにしても、エタノールにするのには心理的な抵抗感がある。日本酒というアルコールを造っているのですから比較的簡単なんでしょうが、やはり心の抵抗感というか......


2008年06月26日(木曜日)

 (05:02)予想通りFOMCはFF金利の誘導目標を2.0%に据え置きました。注目されたのは声明の文言ですが、私にとっての一番の驚きは「The Committee expects inflation to moderate later this year and next year」という文言でしょうか。

 4月30日の前回の声明では類似した表現として、「The Committee expects inflation to moderate in coming quaters」が入っていた。理由については「エネルギーやその他商品価格の上昇が頭打ちになり、設備稼働率へのプレッシャーが緩和するから」が明確に根拠が指摘されていた。

 しかし今回の声明では「今年の残る期間と来年にはインフレ率は緩和すると予想する」とだけ書かれているだけで、その理由がない。理由がないのにインフレ率は「moderate」すると予想しているのである。これは意外だ。重要な予想について根拠を示さないのは、声明の信頼性に関わる。

 今回の声明はさらに、前回は「頭打ちが予想される」とされたエネルギーやその他一部商品価格に関して、「引き続き上昇している」(in light of the continued increases in the prices of energy and some other commodities の部分)としている点。全く前回のFOMC声明が事態を読み間違っていたことを認めたようなものだ。

 その上で声明は、「the elevated state of some indicators of inflation expectations」と前回までの声明にはなかった「一部インフレ期待指標の高止まり」に触れて、「uncertainty about the inflation outlook remains high」と「インフレ見通しに対する不安感は依然として高い」と述べている。何か納得性に欠ける声明である。

 据え置き決定にもかかわらず、一人が「利上げ」を求めて反対票を投じている。Richard W. Fisherである。空は前回4月30日のFOMCでは、全体が引き下げ(2.25%→2.0%)を決める中で、「据え置き」を求めた。その時同じように「据え置き」を求めてプロッサー(Charles I.Plosser)は今回は体勢に乗って「据え置き」に賛意を表した。声明の全文は以下の通り。

June 25, 2008, 2:10 pm

Federal Reserve Statement on Rates

The following is the text of the Federal Reserve’s statement following the June meeting:

The Federal Open Market Committee decided today to keep its target for the federal funds rate at 2 percent.

Recent information indicates that overall economic activity continues to expand, partly reflecting some firming in household spending. However, labor markets have softened further and financial markets remain under considerable stress. Tight credit conditions, the ongoing housing contraction, and the rise in energy prices are likely to weigh on economic growth over the next few quarters.

The Committee expects inflation to moderate later this year and next year. However, in light of the continued increases in the prices of energy and some other commodities and the elevated state of some indicators of inflation expectations, uncertainty about the inflation outlook remains high.

The substantial easing of monetary policy to date, combined with ongoing measures to foster market liquidity, should help to promote moderate growth over time. Although downside risks to growth remain, they appear to have diminished somewhat, and the upside risks to inflation and inflation expectations have increased. The Committee will continue to monitor economic and financial developments and will act as needed to promote sustainable economic growth and price stability.

Voting for the FOMC monetary policy action were: Ben S. Bernanke, Chairman; Timothy F. Geithner, Vice Chairman; Donald L. Kohn; Randall S. Kroszner; Frederic S. Mishkin; Sandra Pianalto; Charles I. Plosser; Gary H. Stern; and Kevin M. Warsh. Voting against was Richard W. Fisher, who preferred an increase in the target for the federal funds rate at this meeting.


2008年06月25日(水曜日)

 (09:02)ロンドンの小鹿さんが教えてくれたのですが、今朝の日本の新聞に載っていないベトナム情報としては、「金塊輸入の一時停止」(英フィナンシャル・タイムズ)というのがある。ベトナムはこのコーナーで何回もお伝えているように凄まじいインフレ。ベトナム国民は自衛措置として金塊を輸入して購入していた。それがベトナムの貿易収支を悪化させ、ドンへの売り圧力になっていたという。これに対して政府が動いたというわけです。

 ベトナムのインフレ率は5月が25%。誰も自国通貨など持っていたくない。実際に行ってみると、ドンで支払おうとすればかなり札を集めなければならない。最高紙幣は50万ドンです。ベトナムの商店では平気でドルでの支払いを受け付ける。日本ではそんな商店はないでしょう。

 通貨であるドンも弱い。実際のところ私がいたたった一週間の間に、円とドンとの為替レートは1円=165ドンから170ドルに軟化した。たった5日間に起きた相場変動です。では国民にとって、何がインフレ対処策として良いか。まずはドル紙幣の保持でしょう。ベトナムのレストランでは、既にメニューがドル建てになっていることはお伝えしました。

 別の方法が、金塊の購入だったようです。ベトナム戦争を経験したベトナムの人々は、「財産の保全手段」としての金には昔から馴染んできた。それが再燃したのは当然なのでしょうが、フィナンシャル・タイムズによれば今年上半期の貿易赤字は、昨年同期の52億ドルに対して172億ドルになったという(6月はまだ終わっていないが、FTにはそう書いてある)。2007年一年間の貿易赤字が124億ドルだったというから、今年上半期の貿易赤字の額は異常だ。

 ドンは私がベトナムに居た6月11日から、一日の変動バンドが対ドルで2%に拡大された。それまでは1%のバンドだった。今朝の日経にも「インフレ加速、市場混乱」という記事がある。市場経済に慣れていないベトナムの社会主義政府は、どうも見ていると動きが鈍い。というか、何をして良いのか分かっていない。中国の方がよほど日本の経験などを学んでいる。

 問題は、外資がどう動くかです。私がいたときはまだ外資は先行きを心配しながら、まだ投資の勢いを鈍らせてはいなかった。インフレは世界的な現象とはいえ、ベトナムは世界的インフレの最も深刻な国のチャンピオンになってしまった。

 インフレはロシアでも年率15%以上に達していると言われるが、直近で動いたという意味ではインドです。インド準備銀行(中央銀行)は24日にレポレートを0.50%引き上げ8.50%にした。預金準備率も0.50%引き上げ8.75%とした。レポレートの引き上げは今月に入って2度目。6年ぶりの高水準。

 ロイターによると中銀は声明で、「金融政策の最優先事項はインフレ圧力の高まりを回避し、インフレ期待をしっかりと抑制することだ」「金融政策によって、明らかに強まっている需要圧力に緊急に対応する必要がある」との認識を示しているという。

 心配なのは株ですな。先週ニューデリーから東京に来たチャタルジーとは木曜日に食事をしたのですが彼は「12000くらいになれば嬉しい」と言っていました。そこに来たら買うと言うことでしょう。以前に比べて随分弱気になった。

 それにしてもニューヨークの株は下げ止まらない。昨日はプラスになる場面もあったのですが。まあ、日本時間明日早朝のFOMC声明待ちでしょうか。


2008年06月24日(火曜日)

 (23:02)何を思ったのか、そのタクシーの運転手さんが突然私に話しかけてきたのです。彼の主張はこうです。  

「どうしてですかね。女性のお客さんは、必ず目的地に着いてタクシーが止まってからやおらおサイフをバッグから取り出し、その上で財布を開け、代金を支払うのです。着いてから財布を開けるので時間がかかる。これが耐えられないのです。対して、男の方は大部分のケースでは目的地が近づくともうおサイフを出しておられる。そしてお金を用意する。どうしてこんな差があるんでしょうか......」

 と。うーん、まあそう言われても、私にも何とも言えない。しかし、私の目の前でタクシーが止まったケースにおいて、確かに大部分の女性はタクシーが止まってから慌ててハンドバックからおサイフを出して、それから小銭入れを出して支払いをしている。どうしてなんでしょうか。

 自分の事を考えてみると、目的地が接近するともう大体お金の用意をしますね。必要な枚数の千円札と、それに小銭の手持ちを計算してポッケが軽くなるように組み立てる。タクシーの運転手さんに言わせると、男は私のような人が多いそうで。それは、男は直ぐにタクシーから出て、次のことをやりたいため ?

 新幹線の中で本を一冊読みました。『「猛毒大国」中国を行く』というのです。ははは、安いからと言って中国製の食品を食べている人、漢方薬は体によいといって中国製に依存している人は是非ご一読を。

 私も中国には何回も行っているので、「まあそうなんだろうな」と思う事が一杯ある。またそれを傍証するような事件が一杯起きている。ギョーザ事件も何ら真相は解明されていない。ダンボールの肉まんの事件も、その後いっさい報道はない。「偽卵」というのが私には衝撃的でした。

 この本を読んでいると、中国の体制転換は格差というよりももっと人間の基本的人権である環境のような問題が契機になる可能性がある、とも思えてくる。この本にも書いてあるように、中国の支配構造は共産党を頂点としながらも、地方では地方官吏、宗族、黒社会など実に複層的になっているようで、今後どうなるか分からない点が多いのですが、この酷さは中国の人々でさえももう耐えられないだろう、という気がする。

 中国の食品の汚染が広範にわたっていることは分かったとして、なぜそれがなくならないかでしょうが、それはやはり子細なことには興味がない共産党という組織の欠陥でしょう。問題が大きくなってからしか、表面的な対応しかしない。とにかく掲げている目標は、現実からえらく乖離していても、とにかくでかい。大の前では小はあまり気にならない、ということでしょう。

 次の一冊は「大名屋敷の謎」と決めているのですが、これも面白そうな本です。


2008年06月23日(月曜日)

 (09:02)いろいろ問題があるようですが、副都心線はなかなか便利です。土曜日だったか所用があって渋谷に行かねばならない、「ではどう行くか」と。せっかくだから新宿三丁目を経由して副都心線で、と思ったのです。

 三丁目の駅は結構綺麗に出来ていて、丸ノ内線の先頭から降りたら直ぐ右サイドに副都心線の駅。待っていたら、「急行」という列車が来た。東武とか西武の列車と繋がっているので、その関係で急行かと思って乗ったのです。もっとも都営新宿線などで地下鉄に入ってからも急行があるので、「もしかして」とも思いながら。

 そしたら、新宿を出た地下鉄は途中にある駅を飛ばして一気に渋谷に到着した。「これは速い」というわけです。JR山手線でも代々木があり、そして原宿があって渋谷に行く。ということは、副都心線では池袋から新宿に直接来る列車もあるということですかね。乗ってないので知りませんが。その逆も ?

 それにしても、土曜日の伊勢丹の混み具合は凄まじかった。直ちに撤退したいと思ったくらいです。で日曜日に行ったらちょっと人が少なかった。伊勢丹の人と話していたら、「高島屋さんはもっと凄いですよ.....」と。副都心線の三丁目駅は、一番北の出口が新宿通の下に、一番南が高島屋の下にある。

 副都心線から高島屋には、ただ上がればよいようになっているそうで、影響が大きいという。それにしても、交通体系の変化は人の流れを大きく変えると思いました。今までは伊勢丹と高島屋は新宿では不便なデパートだった。小田急や京王の方が便利さでは勝っていた。しかし、そのファクターさえ変わってしまった。池袋のデパートも大変でしょう。

 でもな、あんまり混むのはいただけないな....なんて勝手に考えています。


2008年06月21日(土曜日)

 (09:02)ははは、ちょっと休みなく動いていたら疲れましたな。この週末は一つの講演以外はゆっくりと、と。その前に、

 話題その一

 久しぶりに彼と会ったのです。もう就職しているのでたまにしか会わない。「で、3階の屋上には行ったことがある?」と私。彼は、「何回もあるよ・・」と。

 彼とは我が家の息子です。彼は3階屋上から児童が落ちて亡くなり大きな問題となっている杉並第10小学校の卒業生なのです。この小学校は我が家から歩いて1分もしないところにある。私自身この学校の校庭でキャッチボールをしたり、身体を動かした。今もそうです。

 彼は86年に開校した確か最初の生徒。それ以前のスギジュウ(我々地元の人間はそう呼びます)は環七を挟んだ妙法寺の並び(環七から見て)にあった。今はセシオン杉並のある場所です。

 学校を設計した77才の人が、「3階には生徒は入らないと聞いて柵を設けなかった」と言っていて、学校側もそれを認めているようですが(生徒が入るとされた2階には同じ天窓に柵がある)、少なくとも我が家の息子の証言によれば、開校当時から生徒は3階の屋上に出ていたことになる。よく今の今まで事故が起こらなかった、というのが印象です。

 このスギジュウは、その前は蚕糸試験場だったところに出来た。広大な敷地を持つ試験場だったが、私が高円寺に移ってきたときには、もうあまり使われているようには思えなかった。それが今の蚕糸の森公園とスギジュウになった。

 といってもこの2つは分けられているわけではない。まるで公園の一角に校庭があり、その先に小学校があり、それをちょっと左に折れると丸ノ内線「東高円寺駅」という状況。校舎に隣接して温水プールも作られていて施設は素晴らしい。私は「東京都のモデル校である」とずっと聞いてきた。そりゃそうですよね。まるで公園の中にある小学校なんて、そうは全国にもない。

 これは木曜日のテレビ番組でも言ったのですが、「モデル校とされた」ということは、同じような構造の小学校があちころに出来ている可能性がある。ちょっと心配な点です。校舎の中にもむろん入ったことがあるのですが、確か教室の境目がなくて、私から見れば面白い構造をしていた。今はどうなっているのか知りませんが。

 毎日地下鉄に乗り、降りたときにはこの小学校の前を通る。「小学校」という場で死者が出たことは残念です。

 話題その二

 金曜日は品川のスタジオで夕方から「ニッポンの食卓大研究」というNHKの番組の収録だったのですが、そこでマーティ・フリードマンというギタリストと知り合いました。ははは、知らなかった。経済の域で生きている人間にとっては「フリードマン」とは、ミルトンですから。

 控え室で話していて面白かった。ワシントンDCの出身らしく、5年前に日本に来た。その前に日本語弁論大会に出てもいた、という。日本語はうまい。しかし、「CO2」を知らなかったし、海の水がしょっぱく、川の水がそうではない、というようなことも知らなかった。まあ音楽の分野の人ですからね。とにかく面白かった。「淡水魚」「深海魚」「養殖魚」とは何かなどなどを教えたり。

 彼が話していて面白かったことは、

  1. 日本に来てびっくりしたことは、とにかく料理番組、食べ歩き番組が多いということだ。アメリカには有線テレビで一つの局がずっと料理をやっているが、それだけ
  2. 日本人はあるレストランで4人で食事しているとすると、必ず他の店についても話題に挙げて、「あそこは美味しい」「あそこはまずい」と話をする。しかしアメリカ人は決してそんなことはしない
  3. とにかくアメリカ人は魚について知らない。やはり肉が重要で、野菜もあまり食べない.....
 と。そう言えば私も4年間いて、アメリカで料理番組を見たことはないような。そういう話をしているときにスタジオ内のテレビはテレ朝の夕方の食べ歩き番組を流していた。しばしば木曜日の朝に私の隣に座るスポーツアナが、分かっているのかどうか知らないが、「これはうまい」とか言っているようでした。音は絞ってありましたので。

 番組は7月2日の午後10時から一時間半弱で放送されるようです。こちらは総合。

 話題その三

 その時にマーティに付いてきた二人のマネージャーのうち、一人がエーベックスの人で、その人から「The Coca-Cola TVCF Chronicles」というのをもらったので、家に帰って見たのです。コカコーラの宣伝を集めている。

 見た記憶があるシーンが結構ある。昭和37年から平成元年までのコマーシャル・フィルムが入っている。ストーリーではなく、瞬間、瞬間のピクチャーで覚えているのだな、と思いました。

 いっぱいいろいろなタレントさんが出てきている。男性は今何をしているか知っている人が多い。加山雄三、ワイルドワンズ、矢沢永吉などなど。井上順もいたような。

 しかし女性は今は何をしているか全く分からない人が多い。早見優さんは知っていますが。だいたい誰だかも分からない。一般的に言って、女性タレントの命は短いと言うことでしょうか。


2008年06月19日(木曜日)

 (11:02)今日読んだ新聞記事では、アジア・ウォール・ストリート・ジャーナルの「Globalized Inflation」が面白かった。その指摘は主に次の通り

  1. 今の世界的なインフレは、原油や食糧価格が下がれば落ち着くという種類のものではない。ヨーロッパ中央銀行の7月の利上げを確実にし、全世界で猛威をふるっている今のインフレは、世界的な緩和気味(loose だからもっと意味が強い)の金融政策にこそ原因がある。具体的にはFRBの信用不安対策としての超足早な金融緩和、それに日銀の低金利政策である

  2. 90年代初めから数年前までの「goldilocks」(適度な成長、低いインフレ)の時代には、「規制緩和」「グローバライゼーション」それに「生産性の向上」の三点セットがインフレを低い水準に抑えてきた。しかし、今は再規制の動き、保護主義の台頭(特に食糧で目立つ)、それに生産性の伸びの鈍化が進行していて、デフレ圧力は弱まっている(筆者はこれに加えて途上国での労働賃金の上昇を指摘しておきたい)

  3. FRBのスーパー緩和政策は、自国為替相場をドルにペッグしているかバンドの中に押し込めていた多くの途上国(ベトナムもそうだった)の金融政策を同じように緩和基調にした。つまり、FRBは事実上、これら諸国にインフレを輸出している

  4. 我々の試算によると、GDP加重平均の世界の政策金利平均は4.3%前後である。対して世界のインフレ率平均は5.0%であり、この結果世界的に見た実質金利はマイナスである。真っ先にエネルギー価格と食料品が値上がりを始めたが、その他の商品も今後これに続くだろう

  5. 各国のインフレ率決定要因を、世界的なインフレ傾向などグローバルな要因が支配する傾向が強まっている。過去15年におよぶ市場間の統合が、このトレンドを加速した。単純化して言えば、今のインフレは各国別の現象と言うよりは、もっぱらグローバルな現象である

  6. そうした中で各国中央銀行が自力でインフレ率を引き下げようとすれば、自国経済を著しく弱くするまで引き締めを行わねばならなくなる。例えば7月にECBが0.25%の利上げをしたからと言って、EUのインフレ率が沈静化するだろうか

  7. 世界各国の中央銀行のインフレ目標は、野心的に過ぎるものである。これらの目標は、世界経済のインフレに関わる環境が良好なときのもので、各国の政策担当者はこの間の環境が変わったことを理解しなければならない。実現できない目標をいつまでも掲げておくことは、中央銀行の信頼性を損なう
 最後の結論をおかしなところに落としている文章だが、今起きていることに認識としては途中まで極めて正しいと思う。私がこの文章を最後近くまで書いてきたとしたら(認識が似ているので)、2週間ぶりのテレビ朝日の朝の番組で述べたように、「(いか釣り漁船の休業に関連して)今のインフレは国民国家の範疇を超えていて、世界的に取り組みが必要だ」という点を持ってくる。

 「政府は何をしている」「補助をしないのか」という意見には、もっともな点はある。しかし原油高、食糧高、そして広がるインフレという現実から見ると、国民国家別の施策は最終的な解決策になっていない。市場経済の形を見直す、モデレートする方法を考える、それを世界の首脳が考え場を設けるという事しかできない。洞爺湖サミットはチャンスだが、直ぐには結論は出ないだろう。

 しかし、今のままだと本当に世界経済のランドスケープが変わってしまう。変わること自体は、良い方向に行けば良い。しかし、今の世界の経済、社会の乖離は良くない方向に向かっていると思う。


2008年06月18日(水曜日)

 (23:02)東京新聞の方々との飲み会の話題にもなったのですが、副都心線は、北から池袋、新宿、それに渋谷の3地区の人の流れを相当変えているようですね。

 実は出張中に、ポッドキャストの聴取者などから、「週末の伊勢丹は大変なことになっています」といったメールを頂いていました。「へえ」と思っていたのですが、飲み会のメンバーの一人によれば同デパートの先週末の人出は従来の週末よりも5割も増加したそうな。今までの混雑でも閉口しているのに、加えて5割増とは凄いことだと。

 私としては、新宿から渋谷までの明治通り沿いがファッションなどの店が多くて、あの辺が動けるのが嬉しい。駅も出来たそうです。特に明治通り沿いの原宿から渋谷までは、結構面白い店の続きになってきていて、地下鉄の開業でどう変わるかが興味の対象。

 もっとも最近はそれ以前に「ダイヤの乱れ」が話題になっているようですが、機会があったら今週末にはちょっと覗いてみたいと思っています。どないなっているか。

 そうだ、書いているうちに思い出したのですが、二軒目に寄った結構よく伺うちょっとしたワインの店で、店の人が面白いことを言っていた。環境問題の深刻化には中国の社会・経済情勢の大きな変化が背景にあるというような話の流れの中で彼が我々の話に加わってきて、

  1. ワインの世界でもその傾向が強くなっていて、最近ではマカオでまた大きなホテルが出来たこともあって、東京にも人材引き抜きの動きが広がっている
  2. 美味しいデザートワインなどが結構日本に来ないで、中国の業界に流れている
  3. ロマネコンティが平気で100万円近くするようになっているのは、明らかに中国での需要の増加が背景にある

 というような話だった。私は業界に詳しくないので彼の話が正しいかどうかは知りません。しかし、どうも彼自身にマカオの人材に関連した話が来ているように私には聞こえた。行くかどうかは知りませんが。まあマグロから何から、ひたひたといろいろな業界に影響が出ているんでしょうね。

 ちょっと背筋の寒くなる話だったので、我々3人は一人2杯をいただいたところで、10時前にはとっとと退散しました。ははは。


2008年06月17日(火曜日)

 (23:02)新幹線の中で、中村俊輔の「察知力」を読み始めました。中田よりはハデではないが、プロ好みのする、そして長く頑張って、今でも日本代表の中心であるサッカー選手。

 自分でも言っているが線の細い感じで、気も弱そう。あまり饒舌ではない彼が、どういう人生を送ってきたのか、何を考え何をして今のようなトップを守り続けているのか、なぜ海外を活躍の場に選んだのか、一流を続けられる理由などなど、冗長なところはあるが、結構面白い本に仕上がっている。

 いくつもキーワードが出てきますよ。

 「引き出しの数」
 「サッカーノート」
 「壁」
 「考えること」
 「学び」
 「妥協しない」

 それに題名にもなっている「察知力」。「危険」というのもこの本の、というか彼のキーワードかな。サッカーは危険を察知するのがゲームだし、自分の今後にも危険を察知して生きている、と。

 ヨーロッパに行ったのは、「引き出しの数を増やす」ためだそうです。実際に増えている感じがする。スコットランドではリーグ最優秀選手ですから。またフリーキックの名手ですが、その時、つまりフリーキックを打つ時の心境も披露している。彼は「常に考える。考えることで成長できる」と語る。

 「なるほど」と思ったフレーズは「細かいことを感じるか、感じないか、考えるか、考えないかで、人の成長は違ってくる」。まあそりゃそうですよね。変化を感じ取る、それも細かく感じ取る力は、私のように社会を見たり経済や政治を見ている人間にも、そして人間関係でも重要なことだと思います。良い本です。将来は指導者、もっと具体的には監督になりたいそうです。

 将来は日本代表の監督でしょうか ? その前にいろいろありそうですが。

 ところで、スポーツ話のついでと言っては何ですが、私にとっての今日の一言は「a touch short」でしょうか。早起きしたらテレ朝が全米オープンの18ホール・プレーオフをやっていた。16番から見たのですが、その時はミディエートという選手がその前3ホール連続でのバーディで一打差でリード。しかしタイガー・ウッズが18番でPAR5を2オンしてバーディ。並んでサドンデスに入って、最初の7番ホールでティーショットをバンカーに入れたミディエートが負け。

 まあでもどちらに転ぶか分からない試合で、4ホールだけですが見応えがあった。試合後のインタビューは二人とも爽やかだったのですが、ミディエートが悔しそうに、しかし笑顔で使ったのがこの言葉。日本語で言えば、「紙一重」「ほんのわずかな差(で負けた)」でしょうか。タイガー使っていた「back and forth」(流れが行ったり来たり)というのは確かにそうです。彼は12番までで一時は3打差で優位だった。

 それにしても、タイガー・ウッズという選手のパワーをまざまざと見せた戦いだった。


2008年06月16日(月曜日)

 (22:02)朝方東京に戻ってきましたが、「日本はなんと涼しく、かつ爽やかな場所か」と思いました。まあその前数日がどういう状況だったか知りませんが。帰ってきて行き慣れた場所数カ所に行くと、一週間前の日本の事がすべてがフラッシュバックしてくる。

 それにしても、良い経験でした。東南アジアの一つの国にこれほど長くいたことはない。居て空気を吸っていれば、何かを感じる。むろん取材目的はあって、それは7月19日の「地球特派員」(BS1 午後10時10分から)に放送されるので、楽しみにしていただきたいと思います。

 今のアジアが置かれている経済の状況、中国、日本、アジアの関係、しいては世界経済全体を理解する上で非常に参考になるはずです。私がベトナムに居る間に、日本では色々なことが起こった。ケイタイで速報は来るし、日本のテレビを見れる。しかし、ベトナムに居るときはベトナムを中心に考えようと思っていました。

 これからまたちょっと離れた目でベトナムを見ていこうと思っています。むろん、その他の事も。


2008年06月15日(日曜日)

 (22:02)帰国の前に一移動。14日に午後3時過ぎまでかかったハノイでの取材を終えて、もっぱら国道一号線を車で北上。ベトナムと中国の国境を目指して。車は平地では時速70キロで、山登りの道では平均50キロで走って「国境まであと車で一時間」(ハンさん)のランソンの街に宿泊。

ベトナムも中国との国境が接近する北部になると山、また山である。  ランソンとはベトナム北東部の中国国境との町で、ベトナムと中国の南寧、さらには広州を結ぶ交通と商業と軍事上の要地である。西のラオカイとともに古来中国軍の侵入路だった。1979年の中越戦争により国境は閉鎖されたが、1992年再開されたという。

 国境というのはいつでもちょっと興奮する。日本には陸上には国境はない。平地に引かれた国境では、常に何かがコライドしている。つまり何らかの衝突がある。アメリカとメキシコの国境をメキシコサイドから取材したのも良い思い出ですが、あの時もメキシコの人々の思いとアメリカのそれは衝突していた。

 ベトナムはハノイを離れて北上すればするほど山が多くなる、というのが特徴です。道はもっぱら少しずつ登っていく。車が少なくなり、中国の南部で見た山の風景が展開する。日本のそれと違うのは、日本だと直ぐに道の近くを流れている川の水が綺麗に、かつ透明になるのですが、14日のベトナムの北部の川は濁っていた。どうもかなり雨が降ったようです。

 我々が走った国道一号線に沿って鉄道が走っている。ベトナムには基本的には鉄道はこの一本しかないという。この鉄道が北に延びると同時に、南に行けばずっとホーチミン市まで貫く。しかしほとんどのところは単線です。移動の車の中から、一度だけ走っている電車を見た。確か3両編成だった。多分客車だった。

 ベトナムと中国は国境でコライドしていた。同じ社会主義の国なのに、対カンボジア政策で反目し、1979年には一ヶ月に渡って戦火を交えた。はっきりした数字は公表されていないが、双方で5万以上の死者を出した。

 70年代のカンボジアはクメールルージュのポルポト政権。中国はこれを支持していた。後で明らかになるのだが、ポルポト政権は国内で虐殺を繰り返し、国際的非難を浴びていたが、ベトナムはこのカンボジアのポルポト政権と対立。大規模に侵攻し、同国のかなりの部分を占領した。

 それによって大虐殺は終わったとされるが、これに対して中国は自分の支援国を占領したベトナムを「懲罰する」と称して、まず56万の軍隊を国境に集結し、79年2月17日に国境を越えてベトナムに侵攻し、ベトナム東北部を占領した。しかし中国軍にはかなりの痛手があったとされる。その時にランソンの街は一ヶ月に渡って中国によって占領された。「殺された人もいた」とハンさん。彼女はさらに、「中国の人は何を考えているのか分からない」と。

 ランソンは国境の臭いのする街です。どこか落ち着きがない。携帯電話と扇風機の店が異常に多い。陽が暮れてから着いたので、その日は出かけずに一泊。
 ――――――――――
 15日は朝7時過ぎにはホテルを出て、一路国境へ。検問があり、それを通るとまた検問という状況。しかし、事前に話はと言っているのでそれほど時間がかかるわけではない。ずっとベトナム側の国境警備の人が我々について監視すると同時に、ちょっと質問すると一応の答えはくれる。

 国境はこれみよがしに存在するのではなかった。大きな印があるわけでもなく、道の切れ目としてあった。左の写真で私と省の二人の役人(若い女性ですが)が立っている横のラインがその境界です。そこで舗装が違っているのです。よく見ると、ベトナム側から歩いていった切れ目の先には、漢字で「中国国道322号線終点」と書いてある。つまり、その切れ目が中国の国道の終点と言うことです。逆に言えば、それがベトナム側の終点でもあり、始点でもあるということになる。

 その国境から相互に60メートルくらい離れたところに建物がある。通関の関連です。ですから、私たちはベトナムから入ったが、実際の国境は簡単に跨ぐことが出来る。片足をベトナム側に、もう一方を中国側に置くことが可能だし、実際にそうしてみました。中国領だがビザがいらない領域というのが国境にはある。25メートル幅で。

 切れ目から実際には更に進んで、体全体を20メートル以上中国側に起きました。ですから、ベトナムのビザしか持たないのに中国領内に入ったという不思議な状況になった。国境のない日本では味わえない状況です。

彼女らは若くても省の役人で、我々の国境取材に付き合ってくれました  中国側にカメラを向けて二つあるトンネルを撮っていたら、それに気付いた中国側の警備員が、「ここはダメだダメだ」とちょっと顔色を変えて近づいてきた。やはり緊迫感はあるのです。恐らく中国側から入っていれば、カメラは全く問題なかった筈です。

 中越戦争終了後、国境が開かれたのは1993年だと聞いた。徐々に交通量が増えたのでしょう。まあ、国境も同じトラックで越えられるようになるのは相当先でしょうが、とにかくこの二つの国が地続きであり、それ故に紛争も抱えたが、いったん仲良くなればモノの行き来も活発になると言う状況。

 やや緊迫感のある国境に立ち会うのは、旧西ドイツと東ドイツを隔てていたベルリンの壁、旧東ドイツとポーランドの境、メキシコとアメリカの国境、そして今回のベトナムと中国の国境。飛行機では国境は簡単に越えられますが、陸づたいはなかなか難しい。

 一応の取材が済んだ後は、またハノイへ。また少し取材をして、あとは帰国準備。私は帰りますが、チームは今後も絵を撮り続ける。良い番組になってほしいものです。


2008年06月14日(土曜日)

 (07:02)ははは、もっと早く気付けば良かったな。本当に情報がないんですよ。珍しい。朝英語の新聞がホテルに届いていない。昼頃だと言うんです。ホテルの問題かも知れませんが。だから、通貨の切り下げや金利の引き上げも東京に調べてもらった。うーん、このサイトを知っていればもっと早かったかもしれない。

 このVietnam Newsという新聞のサイトは、今後もベトナム情勢を把握する上で役立つと思う。記事がどういう残り方をするか知りませんが、一応検索サイトもあるし。今日のこの新聞の記事で面白いと思ったものは

  1. 庶民のインフレへの懸念を共有していると大統領が言明したという記事
  2. 大発展する都市に対して、ベトナムの農村の窮状が深まっているという記事
  3. ホーチミン市の空気汚染の悪化が進んでいるという記事
  4. 20日間も下げ続けていたベトナムの株が反発したという記事
 などなど。最初の記事はベトナムに入ってからずっと聞かされてきた問題。5月は25%のインフレ。そりゃエンゲル係数の高い庶民を直撃しますよ。ストも起きる。朝を抜くベトナム人が増えたとも聞いた。

 都市近郊ですが、ベトナムの農村地帯にも行きました。ディープでした。「"There is still a big gap between urban and rural people in terms of literacy and school drop-outs."」という記事は本当なんでしょうね。

 ホーチミンもハノイも、空気汚染は本当に酷い。この記事には、ホーチミン市の場合、350万台のバイクと40万台の自動車の60%は排ガス基準(政府の)を満たしていない、と書いてあった。350万台 !。同市の人口は750万と聞きましたが。

 たった一日の新聞記事の中でもその国の大きな流れが分かる。12日の同紙には、ベトナム中部で砂漠化が進行中で、ベトナム国民8500万人のうち、2000万人が影響を受けている、という記事もあった。

 やっとこのサイトに気付いたと思ったら、日曜日の夜には帰国です。そろそろ頭の帰国準備をしないと。ははは、ベトナム一色でしたから。


2008年06月13日(金曜日)

 (22:02)ベトナムがいいのは、大方どこで何をしていても脅威というものを感じないことです。お前は知らないだけだという人もいるかもしれませんが、今日も一人でタクシーに乗って出かけたが、「何か起きるかもしれない」という予感はしない。言葉が全く話せなくても。運転手は正直だし、英語を話せる人は皆親切に教えてくれる。

ハノイのパークソン・デパート  もっともそれは私の感覚だけであって、旅行者の命には別状はないかもしれないが、ベトナムも少しは物騒になっているのかもしれない。いくら取材好きといっても日にちが過ぎてちょっとデジャブーになってきたので、仕事が早く終わったので夕方からタクシーを拾ってデパートに行ったのです。ハンさんからハノイ一番と聞いたパークソン(ははは、この建設中という表示が今時珍しい)いう店に。

 思ったより立派なデパートでした。ホーチミン市のダイヤモンド・プラザ(2階)よりも数段良い。階数も6階くらいまであって、メンズもきっちり置いてあった。驚いたのはゴルフ用品売り場が相対的に他の売り場より充実していたこと。音がしたので覗いたら、試打を従業員がしていた。スイングになっていませんでしたが。「ハノイ周辺にどのくらいゴルフコースがあるのか」と店員に聞いたら、「10くらい」と答えてくれた。

 時計もいっぱいあったな。ベトナムの人は時計好き。まああまり高い時計はなかった。女性ものはかなり揃っていました。トリンプの製品とかもあって、面白かった。あと寝具などなどに日本の製品が数多く置かれていた。

 話がずれました。「予想よりはいいデパート」だったのですが、各階の全ての出入り口に日本のCDショップや家電量販店に見られる盗難防止磁気装置がいかめしく置いてあること。しかも置いてあるだけではなく、各装置に監視員が一人付いて目を光らせてる。これは女性でした。

猥雑さが消えると、ハノイの街も車のライトが綺麗になる。大部分はバイクですが  かつ、店内には男性警備員がこれでもか、というくらいいる。常に鋭い目をして歩いている。もっともそれはダイヤモンド・プラザでも同じ事だった。ということは、モノが取られる、盗まれると言うことがあるのでしょう。だから警戒している。デパートの話ではないのですが、バイク泥棒も当然いると聞いた。

 面白かったのは最上階。最上階に「Family Supermarket」という、まあコンビニのような店が入っていて、あとは食堂街になっている。食堂と言ってもKFCだったり、ロッテリアだったり、ちょっとしたSUSHIの店があったり。ははは、ちょっとビックリ。食事をしながらしばらく見ていました。人間観察。

 次々に人が来る。高級デパートの上なのですが、皆サンダル履きです。ハノイの立派な、オフィシャルな履物というわけです。サンダルが。結構家族連れが多い。デパートの他の階よりよほど混んでいた。せっかくだからと思ってスーパーでペリエを、それにベトナムらしいボールペンを選んで、買って、お金を出したら、「硬貨」が戻ってきたこと。99年に私が来たときには、硬貨はなかった。

 聞いたら2004年頃発行されたらしい。しかし今も流通量は少ないようです。めったに返ってこない。タクシーで通用するのは紙幣だけです。<そのタクシーには苦労する。数字が大きすぎて、いくらなのか分からない。メーターは多分ゼロが二つか三つ切り捨てて表示されている。


2008年06月13日(金曜日)

 (06:02)ははは、正直言って1999年に来たときには「シンガポールに行かねばならないが、ではちょっと弟一家のいるベトナムに立ち寄って見ておこう」といった軽い気持ちでした。弟から、「今タンロンというハノイ周辺で一番大きい工場団地を作っている」と聞いても、「へえ.....」くらいだった。まあでも、道路沿いの団地は車窓ごしに見た記憶がある。

タンロン工業団地の大きな、高い看板  しかし今回事前に取材予定地の中に「タンロン工場団地」というのを見付けて、「あれ、これって...」と思い出し、びっくりしたというのが本当のところ。まあ田圃か何かだったんでしょう。しかし将来を見込んだ住商が工場団地(industrial park)を計画し、ベトナム政府がそれを支援し、そして弟の勤める建設会社が団地造成を請け負った、という関係だったのでは。

タンロン工業団地の中にあるほたる食堂の店内。多くの日本の方々が食事をしていました  関連資料を見ると、97年に立案されたと書いてある。まあそのころだったのでしょうね。彼が家族を連れて赴任したのは。12日の昼はその周辺の取材に前もって、団地内のほたる食堂で全員で食事。たまたま弟を知っている人がいたりして、面白かった。

 まあ今ベトナムではホーチミンの周辺でも、ハノイの周辺でも大規模工場団地造成が続いている。当時は大きかったタンロンも、規模としては小さくなってきた。ただし既に稼働している、という意味では十分に整備されていて、住商が作っただけあって多くの日本の会社が進出。

 ちょっとびっくりしたのは、日本国内の食堂が最初に引っかかると思ったら、グーグルで「ほたる食堂」と検索したら、即ハノイのそれがかかった。まあいろいろな人が思いを込めてネットに書き込んでいるのでしょう。何か非常に懐かしい名前の「食堂」ですから。私も店内の写真を一枚。

 ははは、当時は70年代の後半にはもうニューヨークに居た私の方が「兄弟の中では国際派」と冗談ながら思っていて、99年に来た時は「彼もやっと外国勤務か?」なんて思っていたが、その後彼はずっと基本的には海外。直近でもらったメールはチュニジアからでした。写真も添付して、「橋を造っている」とあった。

 日本の建設会社の海外進出というか、活路というか、その一つの象徴のようになっている。まあ、今は彼の方が国際派でしょう。居住した国の数も彼の方がはるかに多い。私は海外には随分行っていますが、80年代の初めから基本的には日本で、ドメちゃんですから。

 まあでもあちこち移動し、取材をしていて思うのは、「この国はまだベトナム戦争の傷を引きずっている」ということです。私が取材先でベトナムの人から借りてかぶってみたベトコン(vietcong)帽子は今でもあちこちで見かけるし、少し年を取った人と話していると、「当時は道の直ぐ脇に穴が掘ってあって、空襲の時は直ぐにそこに避難した」とかいう話が出てくる。

まだ多くの場所で使われている緑のハット  私が知っている限り、ベトナムの人は世界で一番小柄な印象がする。大きい人もいるが、総じて小さい。まあ中国でも、北の人が大きくて、南の人は総じて小さいので、地域性もあるのかもしれない。しかし、長く辛い戦争の影響だったのかなとも思う。

 99年に私が来たときには、ハノイ市内の大きなビルと言えば日航ハノイだけだった(と思う)。ちょっと郊外に出ると、体の不自由な方も多かった。戦争の負傷の後遺症の方も多かったのだろう。

 当時に比べれば跛行的にではあるが、街は綺麗になっている。しかし、全体的に見られる貧しさは、「あの長い戦争の間は発展の機会を奪われた」という点が大きいのではないか。そうでなかったらもっと豊かになっていたはずだ。日本はその間一貫して経済大国の道を選んだが故に今がある。

 11日にベトナムは「不思議の国である」と書いた。一つの不思議は言葉です。耳に入ってくる印象としての。優しく、優しく聞こえる。男の人が話していても優しく聞こえる。彼等の表情は豊かなのだが、穏やかで優しい。中国や韓国の人の持つ、ある意味での積極性、ある意味では攻撃性がない。「この優しさで、よくアメリカと戦ったし勝った」とも思う。私もたった数日間いるだけで、間違っているかもしれませんが。印象としてはそう思う。

 両親を敬い、目上を尊敬し。働いている人に聞くと、「両親に育ててもらったのだから、両親に給与の一部を送るのは当然」と皆優しく言う。私に言わせれば、「一部」ではない。「かなり」だ。もらっている給料と、送っている額を聞くとそう思う。儒教の伝統が強く生きている。

 とにかく暑いし湿度も高いので、その点はちょっと大変だが、国としては非常に興味が持てる。面白い国です。
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 ところで、最新エッセイが日経BPさんから公開されました。ハハハ、海外にいても原稿の締め切りが来るんですよ。毎週のもあるし、隔週もあるし、月間もある。慣れていますが。


2008年06月12日(木曜日)

 (07:02)やっぱりベトナムはバンドを拡大していたようです。と同時に利上げした。複雑な操作です。

 ロイターなどのソースによると、ベトナム中央銀行は10日にインフレ抑制のため、基準金利を12%から14%に引き上げた。同時に11日の通貨ドンの公式レートを10日の水準から1.96%下回る水準にすると発表した、という。今まではドンの一日の切り下げ幅は1.0%に限定してきたから、概ねバンドを2.0%に拡大したと言うことでしょう。実質的には通貨の切り下げを行っている、ということです。

ハンさんの推薦で行ったフォーの店。メチャおいしかった。お値段はお一人様150円弱。ここが探せたら偉い。冬は大行列だという  それにしても、基準金利の12%から14%への引き上げは大幅です。しかしインフレ率が5月の最新統計で25%ということなら、それも仕方がない。金利を上げると、一般的には経済は活動を弱める。企業が個人が、お金を借りられなくなるからです。となると雇用とか、給与とかに響く。インフレ25%という中で、ベトナムに進出している企業の労使関係は緊張している。ストが起きているところもある。

 ベトナムは発展はしているが、いろいろな問題を抱えている、ということです。ベトナム中銀はまた、リファイナンシング金利を13%から15%に、公定歩合を11%から13%に引き上げた。主要金利の引き上げは今年に入って3度目。

 インフレは中国でも、インドでも進行中。中国国家統計局は11日、5月の工業品出荷価格指数(卸売物価指数)が前年同月比で8.2%上昇したと発表した。4月の8.1%から上昇幅は拡大し、2004年10月以来3年7カ月ぶりの高い水準。中国の物価高は食品価格の上昇が主導してきたが、工業製品にも波及する懸念が強まっている。

 一方、インド中央銀行は11日、政策金利のレポ金利(市中銀行に貸し出す翌日物の貸し出しレート)を0.25%幅引き上げて8%にすると発表した。足元の卸売物価指数の上昇率が8.2%と4年ぶりの高水準にあり、4日のガソリン価格引き上げでさらなる上昇が見込まれるため。レポ金利引き上げは07年3月以来。

 インドは今年に入って現金準備率の引き上げで物価上昇に対応していたが、本格的な利上げ局面に入る。ムンバイの株価はどう動くのか。来週はインドからチャタルジー君が日本に来る予定なので、ご意見拝聴といこう。
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すさまじい本数の電線がハノイの街の上を覆う。電線の多い日本から見ても驚く本数であり、その多くはたわんでいる  ところで、ハノイと言えば電線です。それはそれは凄い。99年に来たときもそうだったのですが、今回改めて「これで危険じゃないのだろうか」と。写真は交差点の大きな電柱を上に向かって撮ったものですが、これを見ても「何でまとめられないんだろう」と思うのですが、問題は電柱と電柱の間の電線です。

 本数が多いせいか、ものすごくたわんでいるのです。つまり、電柱と電柱の間では、電線が何本かは人間の頭ほどに垂れ下がってきている。「危ないだろうに」と思うわけです。

 「最近は停電が多い」とハンさん。ハノイでも電力需要が鰻登り。工場向けも時々供給が止まるようで、この点は「ベトナムのインフラ不足」の一因に挙げる人が多い。日本では停電というのはほとんど経験しない。日本の電力会社の人に言わせると、「日本の電力料金は高いが、停電率が低い」と。それは事実です。

 停電にはいろいろ思い出がある。ニューヨークにいた70年代の後半には、ニューヨークの大停電に遭遇したし、インドでは数日間の間に5〜6回停電した。インドの停電はホテルで遭遇したので、確実に3分ほどで回復。自家発電が起動するからです。しかし、数分でも真っ暗闇の中に置かれると、ちょっと不安なものです。


2008年06月11日(水曜日)

 (10:02)うーん、さっき読んだウォール・ストリート・ジャーナルの

Inflation's Bite Worsens Around World
China, Vietnam Show Fresh Stress;
Bond Investors Bet Fed May Raise U.S. Rates
 という記事に以下の記述があるから、昨日ベトナムは通貨の切り下げに相当することをしたんでしょうね。バンドの拡大とか。こちらは情報がないんですよ。私はベトナム語を読めないし、英語の新聞は配達が遅い。
Inflation worries are heating up around the world and jolting financial markets in the process.

On Tuesday, China's stock market was the latest to feel the blow, with the benchmark Shanghai Composite Index tumbling by 7.7%, to its lowest close this year. The drop came after the government escalated its efforts to remove cash from the financial system in an attempt to tamp down inflation.

Also Tuesday, officials in Vietnam devalued their currency, in a step aimed at easing market pressures related to soaring inflation rates.

 インフレ率と言えば、日本でもじわじわというか、急激にというか上がってきている様子ですね。5月の国内企業物価は前年比4.7%上昇した、と。これは27年3カ月ぶりの伸び率だという。

 日銀発表によるもので、2005年を100とした国内企業物価指数(速報値)は108.7と前年同月比4.7%上昇。上昇は51カ月連続で原油や鉄鋼原材料、穀物などの価格上昇が続いていることが影響したという。また前月比の伸び率は1.1%で、消費税引き上げや導入の影響を除くと1980年4月以来、28年1カ月ぶりの高い伸びとなったという。

Developing economies -- some of which fought bruising battles to tame inflation in the 1980s and 1990s -- seem particularly vulnerable. Many economists started the year worried that the biggest threat facing these economies was weaker growth, in the wake of the U.S. slowdown. Instead, inflation is turning out to be a potentially bigger problem.
 まあでも、上記のウォール・ストリート・ジャーナルの記事のように、途上国の打撃が一番大きいんですよ。


2008年06月11日(水曜日)

 (09:59)ホーチミン市から来るとよく分かるのですが、ハノイはベトナムの首都と言っても、以前はサイゴンといい、今でもベトナムの人々がサイゴンと呼ぶ南の商都に比べると見劣りがする都市です。人口も半分ちょっとだし、資本の投下具合が違う、という印象。

市の中心部にある文と武のゴックソン寺  まず街並みが昔ながらというか、綺麗じゃない。歩道など歪んでいるし、立ち並ぶ商店なども埃っぽく、かつ狭く小さい。ホーチミンにはいなかった子供の物乞いがホテルの前にもいる。

 ホーチミンで取材した何人かの人の中で、少なくとも二人(二組)は「ハノイから移ってきた」という発言をしていた。ハンさんにも聞いたら、「職もあり、資本も集まっているのでハノイからホーチミンに移る人も結構いる」ということだった。

 高層ビルを資本投下の代表例だとすると、本数はホーチミンの方が数倍多い。ニョキニョキ出来ている印象だったが、まだハノイは数えるくらいしかない。官庁の街という印象だが、一歩ハノイを出ると工場団地や新開発の街が出来つつあり、またハノイ市は行政区を拡大して大きくなって登場するそうなので、例えば10年後には大化けしている可能性はある。

多分ODAで出来た道なんでしょう。日越の協力を表したようなモニュメント。最初にこれを見たのは99年だと思う  火曜日に夕方時間が出来たので、観光スポットはどこかと探し、一人でタクシーを拾って運転手さんに頼み、「ゴックソン寺」「ホーチミン廟」など数カ所を回ってみたのですが、インドのタージのように驚愕するものはない。紫禁城のようにあの独特の茶色が目に付く古い建物が多い。

 一つ面白かったのは、ベトナムも昔は漢字文化だったと言うことが改めて分かったと言うことです。ゴックソン寺には漢字の文字が山ほどある。ではベトナムはいつ漢字を捨てたのか。それは多分フランスの統治時代です。アルファベットにする方が、フランスにも都合が良かった。注意深くベトナム語を聞いていると、当然ですが表音文字であることが分かる。

 中国に千年とも言われる支配を受け、次はフランス。そして日本。この細長い国は苦難の連続だったわけです。戦後はアメリカとの戦争。その後遺症は99年に来たときには鮮明に残っていた。手や足を失った人が目に付いた。今でもその傾向があるのですが、人々は小さかった。その時よりも背丈の伸びた人が増えたように思う。

 非常に面白いことがある。取材した韓国人も、台湾の人も、そして恐らく日本人も「ベトナムとの相性がよい」「居心地が凄く良い」と揃って言うことだ。フランス人やアメリカ人も聞いてみようと思うが、いつもあまり仲が良くない日中韓の三カ国から、「相性が良い」と言われるベトナム。不思議の国でもある


2008年06月10日(火曜日)

 (22:59)取材を終えてちらっと為替の動きを見たら、ドル・円が107円台ですか。後で述べますが、ブッシュ発言やポールソンの為替介入も辞さないという発言を受けてドルが上昇している。まあその根っこは、今週の月曜日に書いたレポートで指摘しておいた「アメリカによる金融、さらには外交政策としてのインフレ抑制・ドル価値維持政策」にあるのですが。

 アメリカがインフレ抑制と、それとの関連でドル価値維持政策に舵を切ったことは、アラブ諸国との関係の中では理解できる。しかし今現在アジア、特に経済のある意味での危機が取りざたされているベトナムにいると、このままのドル価値の諸国通貨、特にアジア通貨への上昇は、これら諸国にとって非常に重荷になる、と思う。

 月曜日のホーチミン市の新聞「Saigon Times」の一面の見出しは、「PM Dung says Vietnum has no plan to devalue dong」でした。これは市場に根強くある「ドン切り下げ観測」を打ち消すためのものです。重要なのは、そういう観測が出ていると言うことです。彼がもっと言っていることで重要なのは、「ドンを完全フローティングにすることを検討したが、それはベトナム経済にとってプラスにならない」と結論した、ということ。ということは、実質的な切り下げを検討した事実はあると言うことです。首相は、ベトナムの対外収支の動き、それに経済自体は強い抵抗力を示している、と述べている。

 そして火曜日のハノイの新聞「THANHNIEN DAILY」の一面左の記事は、「IMF says it isn't in talks with Vietnum on loans」となっている。ベトナムがIMFからの借り入れ、それは起きうる対外収支危機(今年年初から5ヶ月は経常収支は10億ドルの黒。しかし貿易収支は赤基調)への対処でしょうが、を話し合っていることはない、という見出しです。ということは、市場に根強い観測があると言うことです。

 しかしそうした状況の中でのドル高。ベトナムは現在前日の基準値に対して、当該日のドンの上下幅を対ドルで1%に規制している。本来は2%なのだが、それを厳しく運用。しかしそれでも、最近はドル高・ドン安が止まらない。止まらないのは、株安と同じです。ドンが安くなれば、原材料価格が上がって対外収支が悪化する。一方の輸出は有利になるはずですが、輸出は世界的な景気悪化の影響を受けている。

 その一方でベトナムのインフレ率は凄まじい。昨年が12.6%、今年これまでは25%と言われている。加えての株安、そしてドン安。ベトナムに限らず、アジアの諸国はドルがあまり高くなると厳しいところが多い。中国がそうですが、インフレに対処して金利を上げれば、国内の経済活動が厳しくなる。また庶民の企業や政府に対する目は厳しくなっている。

 ちなみに上海の株式市場は7.7%も下げて、3072.33と大台割れ寸前まで来ている。預金準備率の1%引き上げという先週の発表がきっかけ。アジア株安を受けて東京の株も安い。

 備忘のために、アメリカのブッシュを初めとする当局者が何と言ったかをロンドンのTIMESの報道に見ておきます。

President Bush betrays fears over economy with strong dollar call

Gerard Baker and Tom Baldwin on board Air Force One

 President Bush issued a call for a rise in the value of the US dollar on currency markets yesterday in a signal of mounting official alarm in Washington about the effect of the slumping greenback on the world’s largest economy.

 In an exclusive interview with The Times on the eve of the United States-European Union summit in Slovenia, Mr Bush expressed concern about the dollar’s continuing weakness and said that he favoured an appreciation in the US exchange rate.

 “We want the dollar to strengthen,” he said on Air Force One as it crossed the Atlantic bound for the summit.

 The President did not suggest that the United States was preparing to back its rhetoric on the dollar with any formal intervention in the exchange markets. He said that the “relative evaluations of economies will lead to that dollar strengthening”.

 Henry Paulson, the US Treasury Secretary, in an interview on American television yesterday, hinted at a growing inclination in Washington to prop up the dollar. Mr Paulson said that he “would never take intervention off the table”. The dollar rallied 1.3 per cent against the yen to Y106.23 amid hopes of intervention. The euro fell 1 per cent to $1.5626.

 ブッシュは明言しなかったが、ポールソンが「介入も否定しなかった」と。ここまで言うとは、月曜日の段階では私もあまり予想していなかった。アメリカの金融政策、為替政策が変わったことは指摘しましたが。金利が直ぐには上げられないとなると、まずは「talk up」ということなんでしょうが。

 まあ一言で言えば、世界の市場はちょっときな臭い


2008年06月10日(火曜日)

 (06:59)月曜日は朝からホーチミン市を北に行ったり、綺麗なとは言えない池の上にあったレストラン。客はわれわれだけでした南に行ったりと結構移動しながらの取材。取材の成果はまた番組(7月19日夜10時10分からNHKBS1)を見て頂ければ良いのですが、それとは別に目が飛び出るほど驚いたことがありましたので、その話を。

 ホーチミン市からある程度離れた工業団地の午前中の取材を終えて「さあ昼飯」という段になったのですが、エアコンの効いたレストランを探したがない。「うーん、もう仕方がない」と妥協したら、森の中の右上の写真のようなレストランに落ち着いた。京都には川床料理という夏に非常に良い食形式が鞍馬の上、貴船にあるのですが、「これは池床料理だな......」と冗談。

 私たちの他には全くお客がいないんですよ。まあ平日の昼間だということもあるのですが。「本当に料理が出せるのかな.....」という風情。私は何も注文する気がせずに、コーディネーターのハンさんとDの橋本君が「万が一」のために用意してくれたサンドイッチをかじっていた。

 ところが、考えたらここはレストラン。そりゃ何か頼まなければ悪いですよね。私が周囲の写真を撮っている間に誰かが「焼き鳥」を頼んだらしいのです。二本。それがちっとも出てこない。サンドイッチを食べ終えても。午後の取材が迫って来つつあるのに。日本だったらあまり時間を置かずに出てくる。焼き鳥だったら。

 そこで「どないなっているんだろう」と私が見に行ったのです。そしたら、右の写真のようになっていた。瓶の下にスミを入れてそこで火を起こして、それで瓶全体を熱し、それによって丸ごと絞めた鳥をゆっくり焼いていた覗いて本当にびっくりしました。冗談で「今絞めているんだよ」とか言っていたら本当だったし、丸焼きにしているとは思わなかった。ははは、笑えました

 まあ時間をかけて焼いていましたからね。これなら「鳥インフルエンザも大丈夫」という感じです。しかし時間が刻々と過ぎゆく。出てきたのが左の下にある写真の完成品でした。よく見ると、ちゃんとお頭が付いている。じっと見つめられると、「全部食べてね」と言っているようだったので、二本(実際は二羽)も頼んだので、一つは食べて、もう一つは渋滞になったときの社内食用に。  移動時間が長かったので、あいも変わらないバイクを群れをじっとみていて、もっぱら女性なのですが大体2割の人がタイのバンコクで見かけるようにマスクをしていることに気が付きました。日曜日のホーチミンもそうだったのですが、月曜日はその数が増えたように思えた。

 実は日曜日のホーチミン市はマスクをしてバイクを運転しなければならないほど空気が汚れているようには思えなかった。しかしそれは日曜日だったから、ということと、道が比較的整備だれている市内だったためだと月曜日になって分かったのです。

 平日になると、トラックは市内での通行を禁じられているのですが、その地域から外れると大型トラックは我がモノ顔で一杯走っているし、道は土っぽくなるしですさまじい粉塵。「これだったら女性がマスクを装着するのはよく分かる」と思いました。最近のバンコクは知りませんが、今でもそうでは。中には四輪車に乗っていても、大きな、そしてしばしばカラフルなマスクをしている女性もいる。

完成品としては納得の見事さ。美味しかった  ベトナムは信号が少ない、というのは99年に来たときから感じていたのですが、今回「ロータリーが多いからだ」と気が付きました。フランス人が街を作り、フランス人が今の文字を作った国ですからそうなったのだと思いました。信号があるにはあるが、圧倒的に世界の他の都市に比べて少ないのです。

 だから、慣れない我々にはロータリーは怖いですよ。自分で運転しているわけではないが、あれはタイミングの取り方が難しい。自分でやれと言われたら、あの交通量の多い、四輪と二輪と、加えて自転車が大量に通行している中では難しいと思う。
 ――――――――――
 なにやかやあって、夜8時のフライトに乗ってハノイへ。またまた持ち込めないものが出てきて(水分でした)、「もったいないからみんなで飲もう」という話になって、ちょっと全員でラッパ飲み。ははは、初めての経験でした。

 ハノイに着いたのは午後10時前。私が前回香港からのフライトで降り立った掘っ立て小屋ではなく、その時作っていた立派な空港でした。今日からハノイ、その近郊で5泊くらいします。温度表示を見たら28度。ちょっと涼しい。


2008年06月09日(月曜日)

 (06:59)それはとってもベトナムらしい光景でした。

 市の中心部。ユーチューブに投稿もある「SAO」という名前のカフェは、ホーチミン市に数あるカフェの中でも流行カフェの代表格と紹介されているところですが、食事のあと5人揃って行ったのです。「人気の場所を」と頼んだこちらサイドの求めに運転手さんが応じて選んでくれた。さすがに良い感じ。3階まである。

いい感じのホーチミン市のカフェ”SAO”の店内から見た雰囲気  一階が一杯で、我々が座った二階の席から見た店の雰囲気は左の写真の感じ。日曜日の夜だからなのか、日曜日の夜にもかかわらずなのか知りませんが、とにかく皆さんのんびり。いろいろな集団がいる。

 実は私が一番驚いたのは、店に入るときには気が付かなかったのですが、出てしばらく見ていたときに気が付いた。それは店の外に実に綺麗に並べられたバイクでした。右の写真です。同じHONDAの同じ型のバイクだけが、選りすぐられて綺麗に並べられている。

 見ていると以下のような手順で右下の写真のようになる。若者中心に来店する人は、大部分がバイクで乗り付ける。次々に来ます。大体が二人、三人乗りで。店の車庫係(3人は居ました)は、そのバイクをアンロックで預かり、もし写真の車種だったら、それを店の前に実に綺麗に並べます。

店の前に綺麗に並べられた高級HONDA車。同一車種だけを選んで駐車させている  他の車種のバイクだったらどうするのか。見ていると、持って行く場所が全く違うのです。半地下になっている車庫だったり、歩道も車道側だったり。歩道の店側には実に綺麗にHONDAのこの車種だけを綺麗に並べる。

 ハンさんに聞いたら、「この車種はいいですよ、高いですよ....」と。つまり日本の感覚だと、店の前に例えばベンツのEシリーズの同一タイプだけを並べる、という感じなのです。トヨタのレクサスでも良い。とにかく同一車種というのが重要です。

 高いバイクを買えなかった客から文句が出ないのか。知りません。多分でないんでしょう。これだけ店の前に完全同一タイプのバイクが並ぶというのは、ホーチミンのバイク乗りの間でもこの車種のステータスが確立しているということでしょう。ほんまにビックリして、感心しました。店の人気の秘密なのかもしれない。と思ったら、隣の店もカフェでしたが、そこまで徹底はしていなかった。

 非常に重要なのは、この手の店がホーチミン市に出来たのは「ここ数年だ」(ハンさんの話)だということです。つまりベトナムの経済が97年のアジア通貨危機を乗り越えて、外資を受けながら成長して、その果実が国民に渡り始めた時期。

ホーチミンの最初のデパートの賑わい。フロントの一番目立つところにパナソニックのテレビが  実は、ホーチミン市で約4年前に出来た初めてのデパートにも行ってみました。SAOというカフェの直ぐ近くにある。Diamond Department Storeです。韓国系の企業が集まっているダイヤモンド・プラザの一、二階。韓国資本のデパートだといいます。重要なのは、この店がデパートしてホーチミン市では口開けで、「出来たのが4年前」(ハンさんの話)だと言う点。

 つまりデパートも、そしてカフェもここ数年の現象だということです。街の様相が変わったのがつい最近だと理解できる。デパートと言っても小さいですよ。また異常に警備員の数が多いのも特徴。しかし小さくしただけで、それ相応のものは一応揃っている。ダンヒルもあれば、モンブランのショップもあった。ヴィトンもあったかな。

私が”出会い系広場”と名付けたサイゴン大教会の前  じっと見ると、日本で普通に見られるような、例えば時計でもフランク・ミューラーのような高いものは置いていない。機種も限られている。しかし一応揃ってはいるのです。一つ「ないな」と思って見たのはメンズ。まあ男はベトナムではTシャツにサンダルですからね。女性モノは結構あった。

 もう一つびっくりしたことがある。ダイヤモンド・プラザからホテルに帰る途中に、サイゴン大教会の前を通ったときだ。実に無数のバイクが広場に集まっていて、これも無数の男女が何をする出もなく、普通に喋りながら時間を潰している。

 それこそ無数の....という表現が当たっている。よく見ると教会に向かって右サイドのエリアにも実に多くのバイクが止まり、その回りに人(大部分が若者です)の輪が出来ている。「(彼等は)何をしているのですか....」とハンさんに聞いたら、「別に何もしていないのでは....」と。

 現地の人が依然としてサイゴンと呼ぶホーチミン市の6月の夜は暑い。教会の前に皆でバイクで乗り付けて喋っているのが楽しいのかもしれないし、私が一瞬思ったように「出会いを求めて、リアルに」ということかもしれない。

 しかし、面白い光景でした。


2008年06月08日(日曜日)

 (21:59)ベトナムの株の話はしましたから、今度は為替の話しを。ログを見たら、当時の円とドンの為替レートは「1円=100ドン」と書いてある。今回はどうか。

もうなくなるというので早起きしてシクロに  ホテルで少しのドルをドンに換える為に為替ボードを見たら「1円=166ドン」となっていました。つまり著しい円高・ドン安になっている。通貨の弱い通貨が抱える基本的な問題は、経済学の教えるところによれば、インフレです。日本は景気は悪いがインフレ率が低いので円高になる可能性がある。

 ベトナムのインフレ率をネットで調べたら外務省のページが出てきて、そこにはこう書いてある。

シクロの前に並んだバイク。よく見るとヘルメットには女性らしいデコが  GDP(経済)成長率(2007年速報):8.48%(2006年は8.17%)
 インフレ率(2007年速報):12.6%(2006年は6.6%)
 失業率(2007年速報):4.64%(2006年は4.8%)
 外国投資(認可ベース、2007年速報):203億ドル(前年比+70%)
 貿易収支(2007年速報):▲124.4億ドル(2006年は▲50.6億ドル)
 輸出(2007年速報):483.9億ドル(前年比+21.5%)
 輸入(2007年速報):608.3億ドル(前年比+35.5%)
 2006年が6,6%に対して、去年が12.6%。これは凄い。通貨が安くなるのは自然です。経済成長率の8.4%を遙かに凌駕している。外国の投資が増えていることもあるのでしょう、対外収支は赤に。外務省のページには更に以下のように書いてある。
(1) 1989年頃よりドイモイの成果が上がり始め、1995〜1996年には9%台の高い経済成長を続けた。しかし、1997年に入り、成長率の鈍化等の傾向が表面化したのに加え、アジア経済危機の影響を受け、外国直接投資が急減し、1999年の成長率は4.8%に低下した。

(2)その後、成長率は改善し、2000年には6.7%、2003年には7.2%、2005年には8.4%、2007年には8.5%と推移。特に2000年から施行された会社法により、民間企業の設立手続が簡素化された結果企業設立が加速し国内の景気回復に貢献しており、2005年11月には会社法の改正法案が国会を通過した。近年ベトナムは一層の市場経済化と国際経済への統合を推し進めており、2007年1月、WTOに正式加盟を果たした。  他方、慢性的な貿易赤字、未成熟な投資環境等懸念材料も依然残っている。

土地使用権利書  その結果、ホーチミン市内の主なレストランでは、メニューリストがドル建てという奇妙な現象が起きている。多分、インフレ率が激しいが故に、ドン建てのメニューは頻繁に作り替えないといけない。で、最初からドル建てにしてある、ということでしょう。

 ドル建てなのでドルで払う。お釣りはドンというところが多い。通訳のハンさんによると、特に外資系なのでは給与もドル建てになっているところが多くなっているのだという。さて、ハノイではどうでしょうか。ホーチミンは圧倒的にドルの世界である。円はあまり好まれない。

 紹介した外務省の資料を改めて見直すと、私が前回来た99年は最近ではもっとも景気が悪かった時、ということが分かる。ハハハ。しかし「未成熟な投資環境」と言っても、インフラなどは道路で見ればインドよりよほどいい。やはり法律面でしょうか。しかし同じように所有権関連法律が依然として曖昧な中国の企業の投資が増えていることがビルに着いている名前で分かる。「新華集団」とか。中国に関しては、ここに長い記事があるし、この本でも長く扱った。

 でもまあ、ベトナムは相当猥雑な市場経済になっていますね。街を歩くと盛んに声がかかる。私だけじゃない。「お兄さん.....」「カラオケ....」「若い......」と。無視しても相当長い距離付いてくる。誰にでも....。

 それにしても、今ホーチミンの街は大いに変わりつつあるようです。それを後で。


2008年06月07日(土曜日)

 (23:59)予定通り5時間30分ちょっとのフライトでホーチミンの空港に到着。午後2時半ぐらいでしたかね。凄い夕立の中。飛行機の中から稲妻がはっきり見えましたし、空港に降り立っても凄い雨。

今回のチーム。加えてコーディネーター兼通訳のハンさん。ホーオジさんの前で  それにしても、あんなに空いていた飛行機は実に久しぶりでした。燃料代の高騰が原因でしょうか。おかげでゆったり。JALとベトナム航空の共同運航便というやつで、ちょっと古い機体でしたが、まあ快適。

 ホーチミンの空港は99年の記憶とはかなり違って綺麗になっていました。詳しい印象などは7月の放送(NHKBS1)に映像とともに出すので、先だって詳しく出すことはしません。しかし簡単な印象だけ言うと、空港は建て直したんでしょうね。綺麗になっていた。ハノイの空港がどうなっているのか楽しみ。

 それにしても暑い。33度。空港でチームと落ち合って、そのまま市内に。ホーチミンの市内を走るのは初めてですが、99年に来てハノイに数日居たときに比べた時のベトナムの変化には直ぐに気が付く。

  1. 相変わらずバイクが多いが、四輪自動車も増えていること
  2. バイクに乗っている人が全員ヘルメットをしていること
  3. 自転車に乗っている人が著しく減少したこと
  4. 圧倒的に日本と比べて若者が多いこと
 ヘルメットは少し前に義務化されたのだそうです。日本の昨年の交通事故死は6000人を割ったのですが、人口8000万ちょっとのベトナムの年間交通事故死は、どうやら1万人を超えているらしい。そこでヘルメットの義務化が実施された。

土曜日の夜のホーチミン市で見かけた結婚式。なかなか華やかだった。  今後展開する取材ではいろいろな狙いがあるのですが、私的には今年の春に買ったドコモの705がどのくらい使えるかも一つのポイントだった。空港に着いて電源を入れると、最初は「圏外」表示。「どうしてだろう」と思っていたら、そのうちバリサンになった。

 しかしパケットを通じての情報は取れない。しかしメールは入ってきている、というちぐはぐ状態。数時間たっても状況は同じ。ケイタイで日本の新聞が読めないし、リモートメールもダメ。通話は出来ます。しかしケイタイメールも不安定。うーん、今年の春まで持っていたボーダフォンが懐かしい。

 ホテルは無線LANが使えるのですが、それほど安定はしていない。54と表示があるが、結構遅い。まあ海外ではトラブルにぶつかった方がいろいろと勉強になる。なぜベトナムでパケット通信がうまくいかないのか、知っている方がいたら教えて頂きたいと。まあ前回来たときは弟に、「ベトナムのプロバイダーは一社しかない」と言われて、アップもダイヤルアップでしたから。その面では進んだ。

 マーケットは活気に溢れていましたね。消費水準は着実に上がっているように思えた。店も綺麗になっているし、商品も家電、AV関連などは日本とあまり遜色のないものが多い。「商売は?」と聞くと、「まあまあ」と答えが返ってきますが。


2008年06月07日(土曜日)

 (13:59)チート勉強しようと思って、フライト中にベトナムの英字紙を持ってきてもらって読み始めたら、まず「Stocks meltdown continues,VN-index slips further」という記事。メルトダウン(溶解)とは凄い。一瞬、5月の雇用統計の悪化を受けた金曜日のニューヨーク株価の3%近い下落の話しかと思ったら、ベトナムの株価の話題でした。

 こんなに下げ続けているとは知らなかった。年初来の株価の動きがVN指数で示されているのですが、ほぼ一貫して下げ続けている。年初の高値が921.07で、この6日付けの新聞に安値と記されている数字が390.08とあって、「これで21日間連続の下げ」とも記述されている。

 去年の今頃ですかね。「ベトナム株は有望」と言っていた人もいたな。まあ当時の資金が今はまだ去りつつあるのでしょう。皆が見限ったときは「人の逆を行く」が成立すると思うのですが、まだそこまで行っていない。

 商いが薄い、つまりilliquid なので機関投資家が売ると誰も買えないうちに株価が下がる。「ここで買わなければ後悔する」という見方はあるが、まだ有力な買い手の登場は期待できない状況.....と書いてある。

 ありゃ、と思いました。「自分がベトナムに行くときはいつも景気が良くないときだな」と。99年11月に行ったときは、97年のタイのバーツ危機を発端とするアジア通貨危機の後遺症で、ハノイも景気が悪かった。

 確か市内に日航ホテルだったと思ったのですがあって(今もあるかどうかは知りません)、とにかくそのホテルに人は少なかった。弟一家と最後の夜はそこで食事をしたと思ったのですが、「夜はビル全体が暗くてあまりにも恥ずかしいので、ホテルの従業員が順番に部屋の明かりを付けて回っている」という冗談を弟の嫁さんから聞いたような。

 今どうしてそのような状態になっているか、は向こう9日間の楽しみです。

 ベトナムは依然として中国と同じ社会主義国。「土地はどうなっているのだろう」と思っていたら、格好の解説記事があって、

  1. ベトナムの土地は人民のものであり、政府の排他的の管理・監督の対象になる
  2. 個人、および組織による土地の所有は許されない
  3. しかしながら、個人、および組織は「土地使用権(land use right)」を得ることが出来る
  4. この「土地使用権」は、国家による割り当て(allocation)か、または国家、さらには現行の土地使用者のアサインによるリース契約によって合法的に手に入れることが出来る
  5. 土地に付帯する建物やその他の資産に関しては、所有が許される
  6. ベトナムの国内組織、ベトナム国民、または海外在留のベトナム市民は、商用、非商用を問わずに土地の割り当てを受けるのかリースするのかを選択できるし、後日リース契約を割り当てに変換することも出来る
  7. 100%の海外資本企業は、ベトナムにおける投資プロジェクトを実行する上で出来るのは、土地のリースだけである
 このシステムだと、国家の力が強くなりすぎますな。86年のドイモイ以来、ベトナムでは貧富の格差、役人の汚職などなどが起きているということですが、そりゃ起きるでしょう。「強すぎる政府」は中国で最大の問題ですが、ベトナムも同じような問題を抱えていそう。

 中国の場合も土地の使用権は期間が非常に重要なのですが、ここにもいろいろな規則が書いてある。まあ言えるのは自国民優先という姿勢ですが、50年なり70年の期間が来ても「国家は延長することが可能」と書いてあって、まあ中国と同じようなシステムです。「そんな先のことは誰も考えない」という。

 土地の私有が認められないということは、市場経済を取り入れていてもその形は日本やアメリカ、ヨーロッパとはかなり変わってくる。その辺もベトナムの発展ぶりと一緒に見たい。

 どの程度の国民所得の国かと調べたら、一人当たりGDPが外務省のサイトで809米ドル(2007年 IMF推定値)とある。うろ覚えだがインド程度ということか。中国よりは低い。中国は既に1000ドルを超えていて、小康社会は3000ドルが狙いだと聞いた。

 まあなんだかんだ言っても、「seeing is believing」です。久しぶりのベトナムは楽しみです。


2008年06月06日(金曜日)

 (00:59)インフレ圧力の強い時代に各国の中央銀行が欲しくなる物→強い自国通貨、という展開でしょう。

 今週は3日にアメリカが「強いドル」を所望する姿勢を鮮明にしたと思ったら、5日にはECBが「域内政策金利は下がるどころか、上がる可能性がりますよ」とトリシェの口を通じて警告。この結果、このところ対ドルや対円で下げていたユーロ相場は急騰した。

 トリシェの発言は以下のようなものです。

  1. (域内政策金利を4%に据え置く決定を下したと述べた後)EU域内では物価安定に対する上昇リスクが増大した

  2. その結果、定かではないものの、欧州の政策金利に関しては引き上げられる可能性がある

  3. ECBは、(物価上昇リスクに対して)警戒状態にある
 「今年の夏には、いや秋には確実にECBは政策金利を引き下げるだろう」というのが一般的な予想だったから、トリシェの発言は外国為替市場で大きく材料視された。よく言われる「タカ派発言」であり、ニューヨークのブラウン・ブラザーズ・ハリマンの為替アナリストはアメリカの新聞に対して、「This is significantly more hawkish than any expected」(予想より遙かにタカ派的な発言だった)と述べている。

 トリシェは、「金利は上がるかもしれない」と言っているだけで、「(インフレ抑制の観点から)強い通貨が欲しい」とは言っていない。そう明確に言っているバーナンキの発言との大きな違いである。

 しかし、金利の引き上げ、その結果としての米欧金利の拡大を受忍するという姿勢であり、それは「強いユーロもある程度仕方がない」という姿勢(受動的かもしれないが)に繋がる。トリシェ発言の結果、バーナンキ発言の効果は少なくとも対ユーロではかなり相殺された。

 まあ日本は、欧米に比べればインフレ圧力は弱いと思われている。その影響は、円安という結果で外国為替市場に現れるかもしれない。その兆候は既に出ているが。


2008年06月05日(木曜日)

 (15:59)滋賀県草津市の日東電工での取材が予定より早く終わったので、中途半端に東京に帰るより久しぶりに京都の寺社でも見るかと思って、水曜日の夕方はまず金閣寺に。

 実に久しぶりです。もう10年くらい行ってなかった。銀閣寺でも良かったのですが、それは改修中であることを知っていた。山腹の大文字の印が大きく目に入ってくると寺は直ぐで、全体像が入るところまで来たら、「以前見たときより綺麗になった」と思いました。夕暮れの金閣寺はいい。あの黄金色が鈍く輝いているのです。

 観光客もいるにはいましたが、4時半ともなるともう少ない。欧米人や中国、韓国の人が多かったな。あとは一組の修学旅行生。あの手前の池や石との、そして背景の緑豊かな山との調和だな、と改めて思いました。

 次に考えて、「これも久しぶり」と思って賀茂御祖神社に。もう夕暮れという時間ですから、全く観光客は少ない。通称は「下鴨神社」と呼ばれているところですが、神社の由来から歴史までゆっくりと見ることが出来ました。

 明治元年の写真が残っているのですが、今とあまり変わらない。むろん大きな木などは倒れていますが、ストラクチャーは変わっていない。タクシーの運転手さんと話していたのですが、アメリカはああ見えて思慮深い国だと。京都には爆弾を落とさなかったのですから。日本だったらどうしたでしょうか。
 今回の京都で記憶に鮮明に残った言葉は、夕食をいただいた店の女将さん最後におっしゃった「また賑やかしにいらっしてください.....」でした。「にぎやかし」とは、良い言葉だと思う。頭に残りました。


2008年06月04日(水曜日)

 (07:59)FRBだからそりゃいつも「ドル」を注視してはいるでしょう。しかし今回のバーナンキのように「財務省と協調して....」という形で、当局が「今のドルはちょっと心配。だからロックオンして監視しています」とはっきり表明したのは、私の記憶では非常に久しぶりだし珍しい。

 講演も久しぶりにじっくり読みました。結構面白い。世界的な貯蓄余剰をどうするかなど彼としても対策はないのですが、今回生じた危機の背景としてバーナンキが挙げている要因はよく理解できる。昨年の8月からの危機発生の原因について、バーナンキが「長期的視点から」として挙げたのは三つです。

  1. 著しい価格上昇を伴ったアメリカにおける90年代半ばからの住宅ブーム

  2. 貸し手と借り手双方がクレジット・リスクを喜んで取るに至った金融ブーム(credit boom)

  3. 開発途上国、それにエマージング諸国での前例なき力強い経済成長
 まあここまでは今までも彼は言っていたと思う。面白いのは、この三つの現象が「In the financial sphere, the three longer-term developments I have identified are linked by the fact that a substantial increase in the net supply of saving in emerging market economies contributed to both the U.S. housing boom and the broader credit boom.1」(エマージング市場経済諸国でのネットでの貯蓄大幅増加が、アメリカの住宅ブームとより広い意味での金融ブーム発生に寄与したことで、この三つの要素がリンクした)と指摘している点。

 私が知っている代表的な例は、マンハッタンです。中国やインド、それにロシアのお金が大量に流入して、サブプライム問題がこれだけアメリカ経済を痛めつけている状況の中でも、マンハッタンは不動産ブームに沸いている。貯蓄過剰と、運用競争。この二つが過去10年に異常に進展した。先行して今も続いているのですが、このブームと米金融のメッカであるニューヨークでの金融ブームの背景となった。

 ドルの話しに戻ると、彼は最後の方にインフレとの問題意識の中で、私の印象ではやや唐突に以下のように述べている。

In collaboration with our colleagues at the Treasury, we continue to carefully monitor developments in foreign exchange markets. The challenges that our economy has faced over the past year or so have generated some downward pressures on the foreign exchange value of the dollar, which have contributed to the unwelcome rise in import prices and consumer price inflation. We are attentive to the implications of changes in the value of the dollar for inflation and inflation expectations and will continue to formulate policy to guard against risks to both parts of our dual mandate, including the risk of an erosion in longer-term inflation expectations. Over time, the Federal Reserve's commitment to both price stability and maximum sustainable employment and the underlying strengths of the U.S. economy--including flexible markets and robust innovation and productivity--will be key factors ensuring that the dollar remains a strong and stable currency.
 そう言えば最近米財務省がペルシャ湾岸諸国に、「通貨のドル・ペッグを維持して欲しい」と要請したという。様々なメディアが小さく報道していた。バーナンキのドル安警戒発言は、財務省の一連の動きとリンクしているのでしょう。

 バーナンキ発言は効果があった。104円台の前半にあったドル・円は105円台の前半になったし、1.55ドル台だったユーロは1.54台に落ちた。つまりドル高になった。多分財務省に頼まれたんでしょうな。「財務省と協調して、外国為替市場の動向を注意深く監視する作業を継続している」なんてのは、G7の声明かと思ってしまう。

 注目すべきは下線を引いた部分です。「we are attentive to ....」の部分。「attentive to」という単語は「よく注意している」という意味だが、今まであまり金融関係で当局者が使った記憶はない。国内金融政策上は、「ドル安はインフレ対策の上で好ましくない」というシグナルです。こういった以上、ドルが大きく下げたら介入も視野にあるということでしょう。

 米金融政策の対インフレ・シフトは、以下の文章にも読み取れる。

Overall economic growth was quite slow but apparently positive in both the fourth quarter of 2007 and the first quarter of this year. Activity during the current quarter is also likely to be relatively weak. We may see somewhat better economic conditions during the second half of 2008, reflecting the effects of monetary and fiscal stimulus, reduced drag from residential construction, further progress in the repair of financial and credit markets, and still solid demand from abroad. This baseline forecast is consistent with our recently released projections, which also see growth picking up further in 2009. However, until the housing market, and particularly house prices, shows clearer signs of stabilization, growth risks will remain to the downside. Recent increases in oil prices pose additional downside risks to growth.
 この文章が、日本の新聞の「利下げ打ち止め」報道に繋がっている。今までの米金融当局の金融政策が、「金融不安対応、景気悪化対応」であったとすれば、明確に「インフレ対応」に移行しつつあり、FRBはその観点からドル(の下げ基調)も見ているということだろう。


2008年06月03日(火曜日)

 (23:59)正式な幕引きはまだない。しかし、それは限りなく終わりに接近した、ということでしょう。

 AP通信は日本時間の3日深夜に「3日夜にクリントン氏がオバマ氏の勝利を認める」と伝えた。対してクリントン陣営は以下の声明を出した。非常に短い。わずか二行である。

The AP story is incorrect. Senator Clinton will not concede the nomination this evening.
 「APの報道は間違っている。今夜は認めない」といっているだけだ。と言うことは4日には、またはその後には認める体制に入った、ということだろう。既にビル・クリントンはクリントン家の二回目の大統領選運動が終わったことを認める発言をしている。

 APは以下のようにも報じている。これが興味深い。ウォール・ストリート・ジャーナルに載っている。

The AP had said Clinton advisers made a strategic decision to not formally end her campaign, giving her leverage to negotiate with Sen. Obama on various matters including a possible vice presidential nomination for her. She also wants to press him on issues he should focus on in the fall, such as health care.
 つまり、今まで掛かった経費が借金になっているという問題もあるのでしょうが、クリントン氏は「正式な選挙戦からの撤退は表明しない」というのです。戦略的決断として。何が狙いかというと、「オバマ氏との交渉力の確保」。この辺がヒラリーの粘り腰でしょうか。

 何を交渉するのか。この記事によれば、「ヒラリーを副大統領候補にする件」「秋の本選挙で民主党が焦点とすべき問題、例えば彼女が力を入れてきた医療保険などでの押念の件」だという。

 「オバマ・ヒラリー」のいわゆるゴールデン・チケットと言われる組合せですが、本当にそうなのかどうか。どう考えても折り合いは良くないし、新政権での「私の分野」というのをヒラリー・クリントンは求めるでしょう。アメリカ国民もあれだけ非難しあった中の二人、しかも両方とも新大統領になったら「初物」の組合せをどう考えるのか。

 一つ印象的なのは、アメリカの二大政党の一方の党で、大統領候補に同国の歴史上初めてアフリカ系の人が選ばれことになったという事実です。まだ「候補」だが、そのこと自体が非常に大きな意味合いを持つことは確かです。ある意味では、アメリカという国が持つダイナミズムを強く感じる。アフリカ系の国民はアメリカ全国民のせいぜい15%ですから。民主党という政党に限って言うと、その限界を超えた。人を見た。これはそれ自体に非常に大きな意味があると思う。

 今まで民主党の候補者選びが非常に面白かったので、アメリカでも日本でも報道の中心は民主党に、そしてこの二人にあった。これから秋に向けては、オバマとマケインの二人に焦点が当たる。あらゆる意味で対照的な二人。今年の米大統領選挙は、「アメリカ」という国が分かる選挙になるような気がする。


2008年06月02日(月曜日)

 (23:29)話には聞いていましたが、東京のベトナム大使館はどえらいところにありました。環状7号線の代々木八幡からちょっと入ったところ。あれじゃ、地図を示されても分からない。

 ネットで事前に改めて調べたのです。我が家から遠くない。ナビをかけたら10分ちょっとでした。行ってみたのです。曲がりくねった道に迷い込んで、勝手にナビは「目的地周辺です。注意して進行して下さい...」で終わり。

 仕方がないのでまず駐車場探しです。これが苦労した。10分ほど探して3台しか駐められない時間切りの駐車場の一台分がやっと空いていて、そこに駐車。そこから大使館探しです。最初親切そうな人がいる八千代とかいう銀行に入った。しかしムダでした。誰も説明できない。

 そこを出て困ったな....という顔をして歩いていたら、こちらをちらっと見るその家のご主人そうな方が。そのちらりが「教えてくれる態勢かな」と思って、誘われて聞いたら、「おお...」とか言って、教えてくれた。御親切に。こちらが紙を差し出すと、「ペンある。持っているだろう....」と。「俺は昔ジャーナリストだった」と。怖いが優しい感じの方。

 さらさらと地図を書いてくれて、しかもその方の娘さんと思われる方が、子供を自転車に乗せて、「近くに行きますから、そこまで.....」と。助かったと思いました。娘さんが「良く聞かれるんですが、どうにも説明が難しいんです.....」。別れた後しばらく歩いたら、向こうに先に着ていてくれた原田さんが。ハハハ、良かったほぼ時間通りです。

 迷路を進んだのは、ビザの為です。7日からベトナムへ。前回ベトナムに行ったのは、99年の11月5日から70時間ほどでした。シンガポールで講演を頼まれたついでに、たまたまその時弟夫妻がハノイに居たので寄った。

 当時書いた文章を読み返してみると、

  1. ベトナムには紙幣はあるが硬貨はない
  2. 四輪車1台に対してバイク(セ・ホンダ)20台の割合
  3. ハノイに新空港が建設中
 などと書いてある。街の雰囲気やバイクに家族を乗せて走る人々の姿、そして最後にハノイで見た水中人形劇などを鮮明に思い出します。どう変わったのか、を見るのが楽しみ。前回は確かホーチミン市はシンガポールへの乗り換えだけだった。今回はそのホーチミンから入り、ハノイが最後です。9日間ほど。


2008年06月01日(日曜日)

 (23:29)朝からえらく良い天気なので、久しぶりに自転車を引っ張り出しました。あれだけ天気がいいと、車じゃない。歩くか自転車です。

 といってもただ走るだけではと思って、「そうだタウンワッチングだ」ということで、高円寺の商店街に行き、そして阿佐ヶ谷の商店街に行きと移動に自転車を使った。のんびりと。高円寺の商店街でも阿佐ヶ谷の商店街でも自転車禁止道路がありますから、そこは徒歩で。

 じっくり見て回って思ったのは、「この2つの商店街は全く違った存在になりつつある」ということです。阿佐ヶ谷の商店街は、言ってみれば昔ながらのごった煮の商店街です。なんでもある。和菓子屋もあれば電気屋もあり、スーパーもあれば、小型の家電量販店もある。ラーメン屋があり、和食屋がある。

 しかし高円寺は違う。特に南口の商店街は私の印象では半分以上が、ファッション古着屋さんです。そしてその大部分が若者用。歩いている人が違う。その結果、高円寺から消えた商店類が結構ある。昔はあった和菓子屋が全部なくなった、玩具屋もない。そして特徴的なのは、表参道や原宿と同じように、「ちょっと横に入った道」にも、つまり隠れたようなところにも店が出来て、そこにも客が入っている。

 歩いている人種も違う。高円寺は明らかに地元の人と言うよりも、天気の良い日曜日なので高円寺以外からわざわざ何かを見つけに来た、という人達が多い。圧倒的にデートコースになっている雰囲気がする。服装も多種多様。阿佐ヶ谷は昔ながらの「商店街の日曜日」という雰囲気。

 中野もどちらかというと阿佐ヶ谷に近い。ずっと思っていたのは、

「なぜ高円寺だけ違ってきたのか」
「街としてキャラが立ってきたのか」

 ということです。まあご存じない方は高円寺を一回見て回って下さい。それはそれは面白い。

 入って値段を見てみると、そこそこ高いものもある。かつ特徴は、ウリとカイの両方をやっている店がある。デパートやスーパーが客から衣類を買うということはないので、明らかに衣類に関して新しい商売が高円寺では始まっていると言える。

 一体なぜこのような商店街が出来たのか。多分複合的な理由です。まず社会風潮から言うと、「買ったら永久所有」という衣類に対する過去の概念が希薄化したことでしょうか。自分の持っているものもそうですが、まだ着られる、もったいないものはたくさんある。

 第二に、「いろいろなものを着たい」という欲求もあると思う。次々に買っていたのでは、お金ももたないし、置いておくスペースもなくなる。必然的に今まで着ていたものを売って、それに代わるものを買いたい。それはデパートやスーパーはやってくれない。

 第三は、「新しいものだけを売る」という商売が陳腐化している可能性がある。循環社会を作っていた江戸が戻ってきたとも言える。私もデパートなどで買い物をすることが多いが、「こんなに新しいものばかりを買っていていいのかな」という疑問は持っている。最近デパートで新しい、綺麗な商品を見ても、あまり心が動かされない。古着屋に行くと、逆に何か面白いものはないかと探してしまう。

 ではなぜ、中野でも阿佐ヶ谷でもなく高円寺なのか。多分経路依存的な側面があるのでしょう。どこかの店が核になって、この手の店が広がったとか。また客観情勢としては、阿佐ヶ谷や中野よりはアパートやワンルームが多くて、学生とかそれに近い種類の人間が昔から多かった、というような点もあるかもしれない。これは私の直感です。

 まあ機会があったら調べてみようかな、と思っています。高円寺の商店街には、「なぜこうなったのか」を知っている人がいるかも知れない。だって追い出された商店群もたくさんあるのだから、経緯は知っているでしょう。



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