2010年09月30日(木曜日)

 (23:30)今日収録したBS11の「未来ビジョン」という番組は、10月30日(土曜日)の午後10時30分から30分間の放送予定だそうです。普段思っていることが結構長くしゃべれたし、面白かった。

 あ、そうそう、帰り際に同い年の生島さんから、不思議な題名の曲が入ったCDをもらいました。なんか不思議な題名のCDですが、彼としても思い入れがあるそうです。

 初めてBS11の番組に出ましたが、結構丁寧な番組作りをしていて好感が持てました。スタジオのスタッフの数も多かった。西新橋の交差点から歩いて直ぐのビルの中に収録スタジオがあって、これも便利でした。

 それよりずっと放送日が前の明日・金曜日(BSジャパン 夜10時24分から)の「世の中進歩堂」は、『凶悪強盗もたじたじ!?セキュリティ技術の進歩に迫る!』と題して、残念ながら日本でも必要になってきたセキュリティ対策を取り上げます。

 日本のセキュリティ技術の進歩とビジネスを牽引してきのはなんと言ってもセコムですが、今回は同社が開発中の最新の画像認識技術を応用した防犯システムのテクノロジーを紹介します。その一つの結晶である『セコムロボットX』は、なんと不審者を見分けることが出来る。

 さらに、最新のシステム『インテリジェント非常通報システム』は、画像から人間を判別するだけでなく、顔を隠しているなど様々な異常事態を判別、通報してくれるという優れものです。今や、我々の暮らしに欠かせない存在となったセキュリティ技術の進歩を御覧下さい。

 「世の中進歩堂」では、むろん今まで通り大学や研究所の先生達の研究にも鋭く迫っていきますが、企業が開発している新技術にも注目していきたいと思っています。なぜならそれらこそ、我々にとって一番身近なものだからです。テクノロジーにポイントを置いたビジネスを展開している企業を応援したい気持ちもある。

 金曜日には、「伊藤 洋一のRoundup World Now」も10時45分から通常通りあります。こちらはポッドキャストでもお楽しみいただけます。


2010年09月30日(木曜日)

 (12:30)何でもいつか終わるのですが、それでもその場に立ち会うと感慨はある。番組としては明日までですが、私や江川さん、それに三反園君が登場する木曜「やじプラ」は今日が最後でした。

私たちのサイドから見たスタジオ写真。私たちの写真はまだ届かないない....  「やじ」と名前の付く番組が一体いつからテレ朝の朝に定着したのか知りませんが、たしかずっと昔からだった気がする。吉沢さんがそのまま「やじうま」でやっていたような。来週から始まる新番組も「やじまる」?とか言う名前らしいので、「やじ」は続くのですが、まあ構成は大きく変わるらしい。

 よく「新聞読み比べ」の元祖番組と言われて、それについて新聞を読み比べているだけ、という批判があったことも承知しています。それだけだと、確かに新聞の締め切り(午前2時前)後のニュースは落ちるし、日本の6紙以外の見方は出てこないし、取材はおざなりということになる。狭い番組になりかねない。

 そう言うところに出て行くのであるから、私としては日本の新聞に載っていない早朝に起きた海外ニュース、新聞が取り上げていない背景などの情報をなるべく入れようとした。そしてなによりも、私自身の考え方を披露できたらと思った。スタジオに海外の新聞を持ち込んだことも多かった。使うかどうかは別にして。

 また経済を主分野とする人が他にいなかったので、生活や経済から見たニュースの解説にも重点を置いたつもりです。それがうまくいって番組に膨らみが作れたかどうかは視聴者の判断ですが、そういう気持ちは最後まで変わらなかった。番組としても、スタッフは取材のVTRもかなり多く制作する努力をしていたと思う。

 これは番組でも言ったのですが、夜の番組も4年以上やった身として言うと、朝の番組は過酷なんですよ。朝の短い時間に内容やニュースを詰め込む。我々が喋る時間も限られている。視聴者に「こういう面もあるのに」と思われたことも多かったのではないか、と思う。まあそれはこちらの技量不足ということでもある。

 スタッフなんかは担当の日は徹夜ですからね。女子アナは午前2時ごろ起きる。多分男性キャスターもそうです。私は午前4時に起きていたが、多分江川さんは午前3時半くらいです。朝の番組はそういう意味で、関係者全員にとって過酷です。

 そういう意味では終わってほっとという感じもある。木曜日の朝はちょっと今までより寝られる。まあしかし私にとっては、「やじプラ」は終わりましたが、それと同じような、いやそれよりちょっと早い時間帯の大阪ABC放送の朝の番組(おはようコール)を引き受けたので、一週間で早起きをしなければならない日は、依然として2日(火曜日、金曜日)ある。

 加えて木曜日の夕方のTokyo FM(FM東京)のTIMELINEという番組も引き受けたので、担当レギュラー番組の本数は逆に増えた。1減2増という感じです。

 私の10月以降の番組ラインアップはこのサイトにまとめておきました。私は担当する番組が長くなる傾向があるので、これが当面のラインアップになると思いますが、まあ番組は終わったり、始まったりです。

 レギュラー番組ではなく単発の番組は、今後も多いと思います。今日もBS11の番組の収録が午後ありますし、少し先では「地球アゴラ」BS1(10月10日)など。

 ところでネットで「やじまる」と検索すると、芸能担当のアナウンサーだった「矢島悠子アナウンサー」が出てくる。今朝会ったので、「番組の名前になっちゃったよね」と言ったら、「最近目が回るんです...あれ、私のこと....」などと。二人で大笑いしました。


2010年09月29日(水曜日)

 (10:30)セントレジス(St.Regis)ね。いいホテルですよ。ニューヨークは5と55のかどっこにあったと思った。そのSt.Regisが大阪で今週の金曜日、10月01日に開業する。

 そこで「大阪ホテル戦争」が起きる.....というのが、昨日のゴールド・アンカーのテーマだったのです。というのは、このセントレジスをきっかけに、インターコンチなどあと3つ国際的ホテルが大阪に出来るらしい。

 ええことじゃないですか。国際的ホテルが来ると言うことは、彼らがその都市を見限っていない、ということです。大阪は何かと景気が悪い。しかし、ホテルが来る。しかも国際的なホテルが。それは街にとって一つの活力になる。

 昨日は平野町のマーブルトレ(東横インの近く)で食事し、相変わらず旨い(サラダ、ペペロン、そしてブーチャン)なと思いながら3人で食事をしたのですが、考えたらセントレジス大阪がある本町はそれほど遠くない。で終わった後、ぶらぶらと歩いて行ったのです。5ブロックほどでした。南へ。

 行ったらプレオープンの形で稼働していて、ちょっと中を見せてもらったら、結構面白かった。見せてもらって、まあバーで一杯、あとはベランダでちょこっと話をしただけなので、お部屋とかは知りませんが、「開業を控えている」というちょっとした緊張感は伝わってくる。

 突然開業の日からお客様を迎えるというわけにはいかないので、既に宿泊しているお客様も多い。従業員の教育にもなる。ハードは結構お金がかかっている印象がしたな。その評価は人それぞれでしょうが、St.Regisは東京ではなくまず大阪で日本開業した。

 3人が集めた情報はざっと以下のようなものでした。

  1. 部屋のプライスレンジはHPのように高い(7万弱からのスタート)が、食事のリスト価格は抑え気味。お昼が6000円まで、夜が12000円まで。もっともワインなど飲めば高くなるが、全体的にお部屋代に比べて食事の値段は抑えている

  2. 集まっている従業員はほとんどがホテル経験者で、中でも同じ大阪の高級と言われるリッツ・カールトンから移った人が10数人いらっしゃる(バーテンさんもそうでした)

  3. 少なくとも開業から数日はかなり埋まっているが、一休.comなどではお手頃なプライスも既に提示されている
 ということでした。ホテルの開業は大変なんですよ。ハードは出来ますよ。しかしソフト、特にサービスは時間をかけて従業員の連携の上に成り立つ。開業早々は実際にはそれがしっくりこないケースが多い。あくまで一般論ですが。集まった従業員(厨房も含めて)は、いろいろな経歴を持っている分、お互いに分かりあえない部分もあるでしょう。

 それを実際にどうやってそのホテルのコンセプトに合わせて作っていくのか。それが一流と言われるホテルの試練だと思う。まあ私はそれが出来上がるのには最低1年かかると思いますが.......という話をアンカーでした。カンパリソーダチェックをしましたので、またしばらくして行ってみます。


2010年09月28日(火曜日)

 (13:30)アメリカの有力紙がこぞって尖閣問題での中国の振る舞いに関して社説や記事を掲載しているというので、全文を読んでみることにしました。実際になんて書いてあるのか。

 社説はワシントン・ポストのそれがhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/09/26/AR2010092603022.html?sub=ARにあって、タイトルは「Rising power」。まあその通りです。しかし書いてあることは辛辣です。例えば

Through it all, U.S. policy has rested on a roughly consistent hypothesis: The more the United States deals with China on normal terms -- promoting its prosperity and encouraging it to participate in international institutions, such as the World Trade Organization -- the more likely China is to evolve into a force for peace and stability.
 つまり、WTOなど国際機関に入れたり、中国の経済発展を促進するという普通の対応をアメリカがすればするほど、中国はより平和と安定を求める勢力になるという仮説がアメリカ側にほぼ一貫してあった。しかし、今回の事でこの仮説は崩れたとワシントン・ポストは主張する。その上で、
But in recent weeks, China's behavior has reminded the world that it remains an authoritarian state with national and territorial grievances -- and its own ideas about the political and military uses to which its economic might should be put.
 とワシントン・ポストは書いている。この部分が日本の新聞にも引用されている。読売は「中国が国家主義的で領土に不満を抱えた独裁国家のままであることを世界に思い出させた」と。しかしこれはちょっと乱暴な翻訳で、
「しかし最近数週間の中国の行動は世界に対して、同国が依然として民族的、領土的不満を抱えた権威主義的な国家であって、その経済パワーを政治的、軍事的にどう使うかに関して独自の考え方をしている国であることを思い起こさせた」
 とするのがより近いでしょう。ワシントン・ポストのそれで面白いのは、中国に関して「Rather, China's recent conduct looks more like 19th-century mercantilism」と指摘していること。「19世紀タイプの重商主義国家」と断じているのが面白い。

 ニューヨーク・タイムズのそれは、一般記事の中にありました。ニューヨーク・タイムズの「日本、中国、領土」と題する社説は24日に書かれていてちょっと古い。その後の中国の行動を見れば「おかしい」とニューヨーク・タイムズも見なしているのは当然でしょう。

 同紙には、日本が船長を帰したあとも謝罪と賠償を求めていることに関して、「その先に何を求めているのか?」という米政府当局者の戸惑いを掲載している。しかし実際の行動を見れば中国が最後は何を欲しているのかは明らかで、それは何とかして尖閣諸島の領有権を日本から取り上げる、ということでしょう。今すぐにではなくても。これは日米の今のポジションと正面からぶつかる。ということは一端中国の方が下がる可能性もある。

 しかし中国の腹が見えた今は、今回の問題以前の日中関係にはなかなか戻らない気がする。やはり中国が簡単に国際社会にコンフォームスするとは考えない方が良いようだ。日本はASEANやアメリカとしっかりと隊列を組まねばならない。


2010年09月27日(月曜日)

 (23:30)あえて「ガラパゴス」とシャープが名付けたのは、私は面白いと思う。なぜなら、「ガラパゴス島は生物が”独自の進化”」をした島であって、別に退化した訳ではない。他の大きな大陸とちょっと違った方向で進化したわけですから。

 自虐的に感じた人もいたかもしれない。そういう面もあるが、シャープの意気込みとしては、「ガラパゴス的日本のガジェット文化が、そのうち主流になる」というものもあったのでしょう。私は以前どこかのセミナーで、「ガラパゴス的発展」はそれはそれで「パワーである」と主張した。

 シャープ自体は「日本ならではのきめ細かなノウハウと技術を融合して、世界で独自の進化を遂げていく」と説明しているが、新製品については来年の春には海外でも売ると言っているので、日本だけの製品にするつもりはないようだ。それはいつか海外も大きな市場を取りたいという意志の表れでしょう。それを評価したい。

 しかし最後まで評価しきれないのは、実物を目の前にして実際に使ってみてはいないからです。ipad とどう違うのか、USBポートは着いているのか、重さはどうなのか。調べれば良いのでしょうが、12月に発売されるものを今から調べても仕方がない。まあ出たら一つは買って調べれば良い。

 形状もまだいろいろありそうですね。値段も決まっていない。見ると当然カラー表示でしょうが、ネットワーク接続はどうなっているのか、サクサク動くのかなど。まあipad の市場では日本のメーカーは完全に先を越された。その市場でやっと日本のメーカーが参入してきたのは歓迎できる。

 LGのテレビでの日本市場再参入も面白いな。やっと、「日本製品より高い」を売りにする韓国製品が出てきそうで、これが日本の消費者にどう受けるか。私の直感だとまだ苦戦は続くのでしょうが。


2010年09月26日(日曜日)

 (14:30)中国の「軍事管理区域とは」を調べながら、チベットでの出来事を思い出していました。それはチベットの水葬場(9月4日分に写真あり)に我々の小型バスが着いて、「水葬場とは珍しい。では写真撮影」という段階になった。

 川ですから、その下流に大きな橋があった。ツアーのコンダクターが、「ああそうだ、下流に大きな橋が見えますが、絶対そちらにカメラを向けないでください。中国では大きな橋は皆軍事施設ですから」「きっと山の上から皆さんのカメラの方向を見ていますよ....(冗談っぽく)」と。私は、「橋がそうだったら、中国では軍事施設はそこら中にあるじゃない」と思ったものです。

 中国では都市でも「撮影を禁止されている場所」は一杯あります。特にチベットでは。まず軍人は撮影禁止です。しかし街のあちこちに時には銃を携えて、時には銃を持たずに軍人が複数一単位で歩いているし、軍の施設の入り口には兵が配置されている。まあカメラの方向には気をつけないといけない。

 拘束されているフジタの社員4人がどういう状況で捕まったのかは全く知らない。その時によく使われる「軍事管理区域」という言葉も調べてもよく分からない。だからもしかしたら、たまたまカメラの方向に橋などに軍事施設が入っていただけかもしれない。ということは、中国旅行をし、その時カメラを持っていたら、皆同じリスクがあるということです。ただの旅行者も。

 そういう風に考えると、「チャイナ・リスク満タン」ですね。今は。中国外務省は、「謝罪と損害賠償を求める」から、「謝罪と損害賠償を求める権利を有する」に表現を変えてきた。おそらく、このままエスカレートすれば日中関係に極めて深刻な亀裂が入ることを懸念し始めたのでしょう。

 知らなかったのは、中国外務省が国内のネット世論などで袋だたきに遭っている、ということです。どうも最近数日の報道などを見るとそうなっている。弱腰を見せられなかった背景とも思える。

 しかし外交的に見ると、アメリカ、日本、ASEANの主要国は今回の一連の事件で明らかに対中警戒心を一段階高めた。孤立化したのは中国です。成長を急ぎたい中国が海洋権益を欲しいのは目に見えていて、あまりにも露骨だ。露骨であるほど周辺国は警戒を強める。

 問題は今の中国がネット世論(過激化する傾向が強い)をコントロールするすべを失っている様子であることだ。国が伸びている段階のナショナリズムは危険だ。漁船の件もそうだし、フジタの社員の件もそうだが、まずは事実関係をはっきりさせることだろう。今は事実よりは感情が先に走っている。特に中国で。

 ところで、NIKKEI特集 ルフトハンザ ドイツ航空presents 伊藤洋一のReal Europeの第7回として「デザイナーの吉岡徳仁さん」とのインタビューがリリースされました。この回は、ことさら面白かったな。深い人は、横にも深く考えている事がよく分かる。是非耳に入れてください。


2010年09月25日(土曜日)

 (23:30)今日読んだ新聞記事では、「On the Secret Committee to Save the Euro, a Dangerous Divide」というウォール・ストリート・ジャーナルの記事が一番面白かったな。

 この記事によれば、今年5月に「ユーロ崩壊」の一歩手前まで事態は緊迫化したという。その原因は、ギリシャ危機対応を巡るサルコジ・フランス大統領とメルケル・ドイツ首相とのパーソナリティの激しい衝突や、「 Deep differences on economic policy between Europe's frugal north and laxer south, between Germany and France, and between national governments and central EU institutions」であり、それが「 hindered an effective early response to the crisis」だったという。

 実に長い記事で、とても全文は紹介できないのでお読み頂ければ良いのですが、契約している人だけですね。しかしこの記事は、スパイ小説より面白い。

 この記事の中には、メルケルがサルコジに対して「I won't let you do this to me.」と述べた下りが紹介されているが、これは迫力がある。サルコジ大統領がカメラクルーを連れてメルケル首相との会談に臨もうとしたときの事だという。

 通貨に関する問題では、前原外相が同紙とインタビューをしていて、

Q: How does Japan justify its recent yen intervention?

A: In the discussion between President Obama and Prime Minister Kan yesterday there was talk about the renminbi. President Obama said to Prime Minister Kan that the yuan should be revalued. On the other hand, with respect to the Japanese yen, the yen has strengthened, more than indicated by the actual strength of the Japanese economy. There (were) also some speculative moves. So with a very strong determination on the part of the Japanese government, any further appreciation of the yen should be stopped. And with such a strong determination, intervention took place. Going forward, there may be a possibility for the Japanese government to show its very determined intent. Even so, Japan (would) maintain a very close coordination with the United States and European countries and will explain the position of Japan.

 と穏当な答えを出している。このインタビューはあまり面白くない。


2010年09月24日(金曜日)

 (20:30)今日の午後の中国人船長(日本の巡視船に意図的にぶつかった)の突然の釈放決定は、少なくとも「中国の驕り」を煽りかねない、理解に苦しむものです。しかも中国の対日圧力が高まったところで釈放決定が下された。午後のニュースを見て私は「あれ」と思ったし、そう感じた人が多かったのではないか。

 20日のこのコーナーで書いたように、今回の中国の行動には「時に乱暴」とも思えるものが多い。その理由に関しては、私は20日に「(中国の)焦りと驕り」という形で考えを記したが、例えば今回の決定が那覇地検のそれであろうと(仙石長官の言うように)、諸外国は「日本政府の決定」と考えるでしょう。だいたい地検が「外交的配慮」を決定の理由に挙げる方がおかしい。

 中国の横暴に困っているのはベトナムやインドネシアなどアジアに多い。先日のウォール・ストリート・ジャーナルには、アメリカとASEANが「対中姿勢の強化で合意した」とのニュースもあった。クリントン国務長官も、「尖閣諸島は日米安保の対象」と再確認した。

 中国も自らがとっている強硬策の結果を懸念し始めているときに、日本が表面的には一地検の”外交的”判断で要求に屈するような形になったのは、日本の将来にとって決して良くないと考える。ある意味で原則を曲げてしまった。

 特に対中政策で。「日本のサイドにつこう」と考え始めたアメリカやASEAN諸国も、ハシゴを外されたと思っただろう。本当に那覇地検が決めたのか、その他の圧力が働いたのか。いずれにせよ、事実関係の確認もしない形での今回の決定は、理解に苦しむ。あったはずのビデオはどうなったのか。

 ところで中国と言えば、私の最新のエッセイが公開されました。主に「中国の焦り」の部分を扱っています。


2010年09月23日(木曜日)

 (20:30)あらら、今度は重量挙げの会場の天井の一部が墜ちたのか。そして、一部の参加予定国は「もう今回のデリーでの英連邦競技大会には出場しないことを検討し始めた.....」と。インドにとっては随分な展開。

 しかし歩道橋が墜ちた後、今度は競技会場の天井。そして、選手宿舎は「居住不可」と判断され、さらにデリーでのデング熱の恐れもある....となると仕方がないのかも知れない。

India's mounting problems staging the high-profile Commonwealth Games are fast tarnishing the country's image, reinforcing perceptions that it can't perform like rival rising power China on the world stage.

Several countries were considering pulling out of the 54-nation sports competition Wednesday, during a second straight day of construction embarrassments, as other nations' athletes were set to arrive Thursday to begin training for the Games' start in 10 days.

Parts of the ceiling in a weight-lifting arena collapsed Wednesday. No one was injured, but the incident followed Tuesday's collapse of a footbridge that injured at least 25 workers. Indian officials raced to clean up the apartments for athletes after a top official of the games' organizing body described accommodations as "filthy" and "uninhabitable," with faulty plumbing and leaks that have led to flooding.

Countries' sports officials also have health concerns after a recent outbreak of dengue fever in Delhi, and critics have raised questions over whether poor building practices may also bode ill for security at the Games.

 ところで金曜日の夜10時24分からのBSジャパンでの「世の中進歩堂」は、『注目の最新テクノロジーが続々登場!秋の特別企画 世の中進歩堂総集編」』と題して、注目のテクノロジーを一挙公開。最近テレビなどを見ていると、この番組でやってきた新しい技術が次々に新製品を生んでいることが分かる。これは嬉しい。

 それから、「伊藤 洋一のRoundup World Now」で行った『ArecX(アレックス)6チューナーレコーダー』(ソフィアデジタル株式会社)10台プレゼントには本当に大勢の方から応募を頂きました。この番組そのものを実に多くの方が聞いていて下さることの証拠です。ありがとうございました。


2010年09月22日(水曜日)

 (15:30)私のインドに対する一つの興味は、「いつオリンピックが開催出来る国になるのか」なのですが、どうやらそのテストケースになると思われる英連邦競技大会(首都ニューデリーで10月3日開幕予定)は、直前になってテロ警戒以前の基本的な施設問題で大きな問題に直面しているようです。

 「英連邦競技大会」は読んで字のごとく旧英連邦に入っていた国々がオリンピックと同じく4年の間隔で開催する総合競技大会。しかしインドからのニュースによると、選手村の施設に対して「uninhabitable」(居住不可)と大会関係者からレッテルを貼られたのに加えて、今週に入ってこの大会用に建設していた歩道橋(footbridge)の歩道部分が落下し、負傷者が出るなど大失態が続いている。なにせ、競技開始の直前ですからね。

 インドでの今回の英連邦競技大会に関しては、「大会がテロの標的となる恐れが高いとして、オーストラリア当局は20日、渡航、滞在者に注意を呼び掛ける警告を出した」といった報道もある。

 インドの途上国としてのライバルである中国は2008年にオリンピックを大々的に挙行。だから私は「インドもやりたいに違いない」と思っているのですが、今のところテロから始まって工事の不手際などいろいろ出てきている。

 これは「ITとカースト―インド・成長の秘密と苦悩」にも書いたのですが、インドは人口に比して獲得金メダルの数が過去のオリンピックでは非常に少ない。ほとんどとっていないと言っても過言ではない。中国と大きく違う点だ。

 インドがなぜオリンピックで金メダルを取れないかは、一冊本が書けるような話だと思っているのですが、今の混乱状態を見るととにかく暑い気候を含めて、インドがオリンピックを開催するのは相当先になりそうだ。今見たウォール・ストリート・ジャーナルにはこんな記事が。

The head of the Commonwealth Games rushed to New Delhi on Wednesday for emergency talks with top Indian officials amid widespread anger over the country's frenzied last-minute preparations for the event, due to start in little more than a week.

Commonwealth Games Federation President Mike Fennell was to arrive here Thursday and had requested a meeting with Prime Minister Manmohan Singh, federation chief executive Mike Hooper told The Associated Press.

Mr. Fennell's arrival came as organizers struggle to cope with unfinished buildings, a filthy athletes' village, where excrement was found in some rooms, a bridge collapse, an outbreak of dengue fever and numerous other problems.



2010年09月22日(水曜日)

 (04:30)読んでいて悲しくなるほど、自信のなさそうなFOMC声明です。FRBはアメリカ経済の先行きを思い、悩んでいる。しかし、直ぐに行動することは避け、新たな金融緩和策は先送りした。「いつでも、新たな金融緩和策は打ち出すぞ」と決意は示しながら。

 読むと、景況判断に関しては「but」と「though」が多いことに気がつく。景気に留保条件を付けているのだ。加えて「slow」(鈍化した)とか、「continues to be weak」(引き続き弱い)、「remain reluctant」(依然として気乗り薄)、それに「at a reduced rate」(悪化したペースで)といった表現も目立つ。つまり、FOMCは今のアメリカ経済をとっても心配している。

 景気の悪さを懸念しているだけではなく、デフレ懸念も表明しています。第二パラの頭の「Measures of underlying inflation are currently at levels somewhat below those the Committee judges most consistent, over the longer run, with its mandate to promote maximum employment and price stability.」は明らかにそれでしょう。「最大限の雇用促進と物価安定というFRBの責務(mandate)を果たす上で妥当・合致したレベルをやや下回った物価指標が出ている」と訳せる。

 しかしFOMCは、現行の超低金利と言えるFF金利誘導目標を維持し、「reinvesting principal payments from its securities holdings.」(再投資による国債保有量の維持)の現行金融緩和の政策を続ける、と結論を下した。新たな緩和策を打つ出すにはやや時期尚早のイメージがあるのだろう。しかしながら、「新たな緩和策」実施への決意溢れる印象を市場に与えながら「The Committee will continue to monitor the economic outlook and financial developments and is prepared to provide additional accommodation if needed to support the economic recovery and to return inflation, over time, to levels consistent with its mandate.」と宣言した。

 つまり、「アメリカ経済を経済見通しと金融情勢の変換の中で引き続き監視し、景気回復と物価水準をその責務に合致したレベルに引き上げる為に必要と判断したら、追加緩和を行う用意がある」と。

 これが多数派の意見です。しかし、一人今回も「今のような緩和状態さえ必要ない」というFOMC委員がいる。Thomas M. Hoenigで、数回前のFOMCからずっと彼は同じ事を言っている。「今の緩和策、FF金利のターゲットなどは将来の不均衡の種」と。

 筆者はFOMC声明の全体的な印象からして、昨年6月のリセッション終了宣言にもかかわらず、National Bureau of Economic Research's Business Cycle Dating Committeeが指摘する「アメリカ経済の弱さ(複数)」が顕著であることをよくFRBは認識しており、次回の11月2日から3日にかけてのFOMC以前にFRBが緩和策を打ち出す可能性は十分ある、と見たい。

Information received since the Federal Open Market Committee met in August indicates that the pace of recovery in output and employment has slowed in recent months. Household spending is increasing gradually, but remains constrained by high unemployment, modest income growth, lower housing wealth, and tight credit. Business spending on equipment and software is rising, though less rapidly than earlier in the year, while investment in nonresidential structures continues to be weak. Employers remain reluctant to add to payrolls. Housing starts are at a depressed level. Bank lending has continued to contract, but at a reduced rate in recent months. The Committee anticipates a gradual return to higher levels of resource utilization in a context of price stability, although the pace of economic recovery is likely to be modest in the near term.

Measures of underlying inflation are currently at levels somewhat below those the Committee judges most consistent, over the longer run, with its mandate to promote maximum employment and price stability. With substantial resource slack continuing to restrain cost pressures and longer-term inflation expectations stable, inflation is likely to remain subdued for some time before rising to levels the Committee considers consistent with its mandate.

The Committee will maintain the target range for the federal funds rate at 0 to 1/4 percent and continues to anticipate that economic conditions, including low rates of resource utilization, subdued inflation trends, and stable inflation expectations, are likely to warrant exceptionally low levels for the federal funds rate for an extended period. The Committee also will maintain its existing policy of reinvesting principal payments from its securities holdings.

The Committee will continue to monitor the economic outlook and financial developments and is prepared to provide additional accommodation if needed to support the economic recovery and to return inflation, over time, to levels consistent with its mandate.

Voting for the FOMC monetary policy action were: Ben S. Bernanke, Chairman; William C. Dudley, Vice Chairman; James Bullard; Elizabeth A. Duke; Sandra Pianalto; Eric S. Rosengren; Daniel K. Tarullo; and Kevin M. Warsh.

Voting against the policy was Thomas M. Hoenig, who judged that the economy continues to recover at a moderate pace. Accordingly, he believed that continuing to express the expectation of exceptionally low levels of the federal funds rate for an extended period was no longer warranted and will lead to future imbalances that undermine stable long-run growth. In addition, given economic and financial conditions, Mr. Hoenig did not believe that continuing to reinvest principal payments from its securities holdings was required to support the Committee’s policy objectives.


2010年09月20日(月曜日)

 (23:30)中国の外交姿勢は以前はもっと繊細で長期的な視点に立ったものが多かったと思うが、最近はどうもどこか焦っている風情に見える。時に乱暴であり、日本の領海である尖閣列島沖で哨戒中の海上保安庁の巡視船2隻と中国漁船が、中国漁船の急な進路変更によって衝突した問題でも、その傾向が見える。

 そもそも事実を確認するのが当事者二国の最初の責任だと思うが、中国は最初から「事実はどうでも良いから船長を含む船員全員を返せ」で譲らない。日本の大使を何回も呼びつけたと思ったら、閣僚級の交流中止から、日本の上海万博訪中団の受け入れ拒否、スマップの公演中止と、次々とやや異常と思える措置を打ち出してきている。

 ここ数年の中国が資源獲得を目指してアフリカを含む世界中で権益を増やしていることはよく知られているが、中国は明らかに海洋権益の拡大も狙っている。急速な海軍力の増強がそれを物語っており、それによって実効支配をめざす海域を広げる動きを強めているからだ。

 今回問題が起きたのは東シナ海だが、その南の南シナ海では中国の漁船団に武装した漁業監視船が同行し、今年6月には中国漁船を拿捕したインドネシア海軍艦船と交戦寸前の状態にまでなったとも伝えられる。

 またこの一両日のニュースとしては、中国漁船が違法操業の疑いで韓国海洋警察に拿捕され事件も伝えられている。これは、「韓国済州島海洋警察庁が韓国排他的経済水域(EEZ)内で違法操業をしていた中国籍トロール船・遼章漁25068号(41トン級)を拿捕した」というニュース。同船は規定違反となる網目が50センチ以下のトロール網を使用していたという。

 船長はすでに済州島地方検察の取り調べを受けていて、「釈放には87万元(約1110万円)の罰金を支払う必要があり、それまで船長の勾留は続く」とされる。つまり、中国の漁船の他国領海侵犯、違法操業は最近になって増えていることになる。

 中国に行くと、例えば自分の新聞を列車の座席の横などに置いておくと、何の断りなしに近くの席の中国人がそれをとって読み始める、という光景を良く目にする。今回のチベット旅行(青海チベット鉄道)でも我々がお金を出して使っていた酸素吸入器具を、隣の中国人が何の断りもなく使い始めようとした。

 もしそういう感覚で、つまり「他人のものは自分のもの」的な感覚だけで領海を侵犯して魚を捕っているだけだとしても、それは国際感覚がずれているのであるから是正の為にも世界の常識を示す必要があるが、今回の場合は中国漁船が急激に方向を変えて巡視艇にぶつかってきている。

 「中国は大国になった」「多少の事をしても我々を守ってくれる」という認識が中国の漁業関係者の間に広まっているとしたら問題だし、それは日本を含む周辺国家全体が警告を発していかなければならないだろう。中国が韓国に対して、韓国が中国に対してどういう態度をとるか注目だ。

 私には、中国政府のやや乱暴な中国の外交姿勢の背景に 1)周辺の国に「中国は大国である」ということを認識させようという意識 2)中国国内に溜まる不満を外に向ける政治的力 3)日本の政治的意志を試してやろうという空気ーーなどを感じる。

 中国は今のような対外姿勢を続けたら、周辺国家の鼻つまみになるだろう。中国自身がそのことに気付くべきであり、日本は今回の問題に関しても日本の法律に基づいての厳粛な法の執行を進めるべきだろう。


2010年09月19日(日曜日)

 (23:30)テレビを見れない状態の時、午後6時を数分過ぎただけで、「(ケイタイの)速報が遅いな」と思うようになりました。白鵬の連勝が気になっている証拠です。大騒動の中でも名古屋場所に相撲を見に行った大の相撲ファンですから、気になる。

 白鵬が恵まれた環境にいることは確かです。一人横綱。日本人の力士に彼を脅かしそうな人は今はいない。豊真将などに期待はしているのですが、ちょっと上との対戦が弱すぎる。琴欧洲は精神的に弱いし、把瑠都はもうちょっと強くならないと駄目。

 しかし、「連勝を続ける」とは「馬から落馬」のように冗長な表現ですが、それはそれは大変だと思う。一瞬の判断ミスが負けに繋がる相撲ですから。

 そういう中で白鵬は55連勝まで来た。残るは双葉山の69連勝のみ。この二つを単純に比べることは出来ない。一年に開催する場所の数も違うし、当時は確か「制限時間」というのがなかった。テレビ中継を6時に終える理由はなかったので。

 それでも、朝青龍にぶつかっては負けていたときの白鵬を知っているだけに、よくここまで強くなった、と思う。精神的にも強くなった。先の場所でNHKが中継をやめたときには、「相撲が死んでしまう」と懸念を表明。よく言ったと思う。

 相撲は世界の様々な国で中継されている。モンゴル、ブラジル、ハワイなどなど。そういう意味では、「国内事情」だけでの中継中止は良くない。もっとも、相撲界は「不祥事の連発」を避けるべきですが。


2010年09月17日(金曜日)

 (23:30)なんかこの2週間ほど、そして今後しばらく「インタビューする、される、対談する」という仕事が非常に多い。今日は和田カフェの収録で渋谷でインタビューされたのですが、その前日の木曜日には雑誌VOICEの企画で、日下先生と対談した。「上品で美しい国家」以来。

 来週はインタビューする方が少なくとも二度ある。そのうち一回は、SHANADOO。これがまた楽しみ。ルフトハンザ航空 伊藤洋一のReal Europeでリリースされますから、楽しみにしてください。どんなアタイヤで登場するのか。ははは、聞きたいことは一杯ある。

 「(インタビュー)する、される」でも、「対談する」でもいいのですが、楽しいのは相手の意外な考え方、体験に触れられることです。最近では、吉岡徳仁さんは私にとってものすごく異分野の人で、「どうなるんだろう」と思ってインタビューを始めたが、結構な結節点があって非常に面白かった。9月27日にリリースの予定ですから、お楽しみに。彼の意外な問題意識が明らかになっています。

 「する、される」両方とも面白いが、あとで勉強になったと思うのは「インタビューされる」よりも「する」方です。未知の相手の世界に分け入ってそれを理解し、伝えるわけですから。される方は「知っていることを喋る」に過ぎない、ということになりがち。だから、インタビューするときはいつも、「された方も新しいことを知れた」と思ってもらえるようにしている。時間を使ってくれるのだから。

 インタビューするには、実は一番問題なのはこっちの引き出しの数です。相手の返事に対して角度を変えて質問できる力。うーん、私がそれを十分持っているかどうかは別にして、多くのことに興味を持つことが少しは役立つ。あとは、素直になることかな。ははは。分からんことはわからん。

 といいながら、ちょっと生意気な仕事も引き受けました。日経キャリアアップ講座の塾長。笑えますね。「塾長」ね。まあでも、ここで講師を務める日経CNBCのアナウンサーはいずれも一騎当千の強者。いや、女性に「強者」ではいかんか。二人の男性陣もいいですよ。

 今はいろいろな意味で「プレゼンテーション能力」がものを言う時代です。良いことを考えていても、良いアイデアがあっても、それをプレゼンできなければ、世に伝えられなければ意味がない。そういう意味では、「ワーキングウーマンのための」という前書きがありますが、ここの講師達は働く女性のキャリアアップにはことさら有益な示唆を与えてくれると思う。


2010年09月16日(木曜日)

 (23:30)久しぶりに銀座をちょこっと歩いたら、7丁目かな電通通りのヤナセが閉店していたり(7月15日だそうです)、並木通りの8丁目のショパールがなくなっていたり。ヤナセが閉めたのは大きな店だけに目立つ。

 考えたらこれらの店が開いている間は一回も入ったことはない。しかしあることは知っていたし、これらの店が銀座をある意味象徴していたのですが、何か寂しいですね。買い物をするわけではないのですが。

 以前「並木通り沿いに10軒の路面店の空きがある」とこのサイトに書いたのですが、着実にその数は増加している。あるビルは一階を含めてほぼ全部白カンバンだった。たまに寄るラーメン屋で親父さんと話していたら、「今年は去年より売り上げが20%減少しました」と。むろん政治のせいばかりではない。しかしあまり意味があるとも思えない政治ショーの間に、経済の痛みは進んでいる

 話は変わるが、今朝は「幹事長に一体誰がなるのか」という議論ばかりが展開していたが、岡田さんが受けた。私は今朝のテレビ番組でも言ったのですが、股裂きの党内事情の中で幹事長なんかやりたくない、という気持ちは分かる。損な役回りだと。しかし私は「岡田さんは受けるべきだ」と思ったし、そう言った。その岡田さんは、「天命だ」と言って日中に受けた。国民はちゃんと見ていますよ。川端さんが逃げたことも含めて。

 介入はまあ成功なんでしょうね。しかし介入後に85円台で相場が止まっているのが気になる。あまり固定すると、「操作している」ということになりますから。日本の単独介入に対する見方は様々だ。米下院歳入委員会のレビン委員長が「非常に困惑している」と語ったのは、全くの想定内でしょう。ミシガン州選出の議員であり、かつ彼の委員会が人民元の問題を扱う冒頭の発言ですから。

 中国は露骨にこの委員会開催に対応して人民元を史上最高値に誘導している。こちらの方がはるかに操作なのだが、「政治的なうまさ」はある。一方欧州委員会は15日に、日本が円高阻止を目指して市場介入に踏み切ったことを受け、「急激すぎる円高は景気回復を脅かす要因になる」との認識を示した。

 以前も書いたのですが、円相場がまるで炭鉱のカナリアのような役割を押しつけられていて、「円高=世界経済の危機」のような印象が強まるのは、日本ばかりでなく世界にとっても危険だ。よって、日本が単独介入しても大きな反発は起こらないと。実際に、世界の株式市場は全体には強い展開。ソロスの評価はさすがだ。

 しかしいつでもそうですが、「介入後」がいつでも難しい。今の85円台の安定は誰のために役立つのか分からない水準だ。財務相・日銀の介入姿勢は「82円台が防衛ライン」(仙石官房長官)というだけで、それを3円でも離れた相場をどうするかに関しては意見をお持ちではないようだ。

 市場をずっと見てきた人間に言わせると、政府が「ここが防衛ラインです」なんて表明するのは愚の骨頂。Wさんが言っている通り、酷い素人発言だ。しかし問題はそこではなく、「言われたからやった」程度の介入だといずれ市場から見透かされるということだ。

 夜遅くなって大阪からの客人。2時間ほど会いました。まあ朗報があった。いずれ紹介します。
 


2010年09月15日(水曜日)

 (06:30)終わってみれば、「え、何か変わった?」「(代表戦は)日本にとって意義あることだったの?」「円高はもっと進んでいるよね」と自問自答せざるを得ない現状。

 「この選挙で負ければ小沢氏の政治生命は終わる」ようなことも言われたのに、全くそんなことはない。411の国会議員のうち200人が小沢さんを支持したとなれば、「死ぬ」どころか、立派な対抗勢力。むしろ、新聞は「一兵卒が一番怖い」と書き立てる。

 政治は何よりも成果です。国民は政権に外交から経済まで、その舵取りを任せている。ではこの2週間の間に何が起きたかと言えば、円高進行で日本経済に対する見方はちっとも好転しなかった、かつ中国との関係はかなり緊迫してきた。そして、アメリカはアジアの同盟国の伝統的な呼び順を変えた。真っ先に来るのは韓国になった。

 そんなことはどうでもいい、という見方は出来る。しかし、勝った菅首相には、二つの点を忘れて欲しくない。なぜ勝てたか。第一は、「たった3ヶ月で日本の首相の首をすげ替えるのは良くない」という党員・サポーター、地方議員、そして国会議員の間にあった、ある意味での常識。この常識をあざ笑うことは出来る。しかし、無視しがたい常識だ。

 次に、相手がたった3ヶ月前に「政治とカネ」の問題で党の中枢から下りたばかりの小沢元幹事長だった、ということだ。相手が違ったら、菅さんの優位はかなりゆらいだと思う。「私は今までの調査で潔白だ」という小沢さんの主張にはやはり無理があった。

 つまり菅首相の大勝(? 総取り制だからな)は、菅さん自らの大きな勝利というよりは、「他に選択肢がなかった」という結果に過ぎない。党内で菅さんを最初から支持した有力者の大部分は、「積極的な菅首相支持」ではなかった。どちらかと言えば、「消極的」と言えた。

 二人の15分の立ち会い演説を聴いていて、「迫力がないのは菅首相だ」と私は思った。下を向いている時間が長かったし、言い間違えは多かった。とても練習したとは思えない。あの議員の前職を全部羅列していた場面では、気持ちは分かるが、冗長で「もうやめて」と思ったほどだ。会場からも失笑が漏れていた。野党時代の切れは失せていた。

 確か菅さんは「412人内閣」と言った。しかし民主党の国会議員は直前に一人辞めて411人になっていた筈だ。小さいことをあげつらうのではない。数は重要だ。消費税議論の時に、その除外年収に関して200万と400万の間で数字がぶれたときもそう思った。

 15分の演説全体も「何を言いたいのか」が全く分からなかった。「職」と何回も叫んだが、ではその「職」を「国家財政に負担なく生むのは企業だ」という認識がない。これは小沢元代表の演説にも言える。

 消費税にも触れなかったし、普天間問題にも触れなかった、と私は記憶した。もっぱら彼が語ったのは「自分の政治の原点」「人々の優しさや思いやり」に対する思いだけだ。ナイス。しかし今の日本は経済の行き詰まり故にそれらが欠ける事態も生じている。だとしたら、何をすべきか。

 「消極的な二つの理由」で菅さんを再び首相に選んだ民主党。まずは「ただちの分裂」はなさそうだ。小沢さんは「一兵卒」になるという。しかし二人の演説では、小沢さんの方が「外」を向いていた。菅さんの演説は「党内向け」「内向き」の印象がした。

 「圧勝」と言われる割には中味がない気がする。そこをどう肉付けするのか。党の支持が一本化した首相の腕の見せ所だ。とにかく彼に「切れ」が戻らないことにはどうにもならない。


2010年09月14日(火曜日)

 (11:30)代表戦の最後のご両人の15分間の演説を聴くために、早めに新幹線に。ほんまにどっちが勝つか分かりませんよ、これは。1222の全体ポイントの内の822を占める国会議員票の行方が実は読めない。

 だって無記名ですからね。最後の瞬間に書く予定の名前が変わることだってある。両方に良い顔をしている人もいるでしょう。もう締め切ったサポーター票に関しては、先週木曜日にビックリするような話を聞きました。

 一緒に食事をした人が、民主党の代表選の投票用紙が来たので、「該当者なし。いい加減にしてください」と返信したというのです。彼女はむろん民主党員ではない。知り合いの民主党議員の秘書から、「一人100人の義務があるから、サポーターに名前を貸して」と言われただけだというのです。むろん2000円は支払っていない。

 「私のように返信した人は多いのでは」と彼女。十分考えられることです。「×0.003」でしたっけ。とにかく軽い比重しか与えられていない。しかしこんな票まで混じるというのは、ある意味ではいい加減な選挙です。そんな投票で次の日本のトップが決まるとは残念。スタートして10年が立つ政党なんだから、もうちょっとしっかりしてもらわねば。

 この間に円はまた83円台になったし、中国からは大使が5回も呼び出された。既にこのコーナーではお二人について書きました。私の意見を。自民党から政権を取った民主党にはやってもらいたいことがまだ残っている。権力闘争ばかりでは、何のために政権を取ったのか分からない。

 しかし民主党政権の先行きは、どちらが代表の座を取るにせよ前途多難です。まっとうな政治が行われるかどうか分からない。月曜日に私が書いた文章です。

 今週は久しく日本の政治の最大の話題だった民主党の代表選挙の結果が火曜日に出て、"ほぼ"確実にその勝者が日本の首相の座に着く。「ほぼ」と若干の留保条件を残さざるを得なかったのは、先行き予測が出来ない民主党の権力争いの中で、党が代表戦後も一体でいられるかどうかについて若干の疑念があるし、政界再編のうねりが生ずる可能性もあるからだ。少なくとも代表戦における民主党の国会議員票は「党を二分する」ものになるはずで、これは今後の党運営に大きな禍根を残す。

 両派の議員が選挙運動中にメディアに盛んに出て議論をしたのはメディアジャック的には良かったし、自民党を陰の薄い存在にする効果はあったかもしれないが、明らかに党内に今後しこりが残る原因となるだろう。かつ、新代表が首相になって順調な政権運営が出来るかどうかは極めて怪しい。なぜなら、民主党は衆議院では307の圧倒的な議席をもっているが、参議院では与党とその立場を支持する議員の数は110で、自民党など野党と呼べる議員の数は132に達している。加えて、民主党は参議院で否決した法案を衆議院の三分の二で再議決する憲法上の力も持っていない。

 菅首相が続投となったら国民の大多数の選択(世論から見た)と同じ方向ということで当初は波風が立たないかもしれないが、そもそも組閣には苦労するだろうし、野党対策には全く展望が見えない。小沢首相ということになれば、何よりも「国民的不人気」との戦いが当初から予想される。衆議院の任期は残り3年だが、不人気の首相が野党を巻き込んだ政界再編がそれほど容易に出来るとは考えられない。

 ということは、「デフレ脱却」「円高抑制」「日本企業の競争力アップ」など多くの課題で新政権は当初からパワフルな政策を打てない可能性が高い、ということだ。大きな政策を打ち出す財政的な、そして政治的な環境整備がまだ出来ていない。円にしろ株価にしろ、秋晴れの動きがまだ出来ていないのは、そうした日本の政治状況が明らかな為と思われる。

 ま、あと4時間でどちらかに決まる。問題は「そこからどうなるか」ですね。


2010年09月12日(日曜日)

 (11:30)そう言えば、金曜日に新装なった銀座4丁目の三越に行きました。2時間ほどしか時間がなく全部は見れなかったが、6、7階にあるメンズの売り場と、9階以上、それにB2の食料品売り場を見ました。

 やっぱり売り場は広くなりました。特に9階以上のスペースが面白い。「銀座サロン」というのがあって、これが銀座には珍しい空間になっている。天井が高く、屋上の喫茶スペースにようなものが出来ているのです。

 地下の食品の売り場などもスペースが広くなった。やはり売り場面積が1.5倍になった効果は出ている。ただし二つのヒビルを引っ付けた影響というのはあって、新しい方には6階がない。5Mとなっていて、それが確か休館の5階と6階に繋がっている。

 まあ何回も行かないと、この新しいデパートの良さは分からないかもしれない。上のレストランは、「デパート初、東京初の店を中心に入れた」(そこの説明員の説明)ということで、確かに「ここにもあるのか」という店は少なかった。

 大阪での講演・パネルディスカッションは面白かったな。渋沢栄一が海外でも注目されているのは初めて知りました。まあ彼の「道徳経済合一説」は「CSR」に通じるところがありますから、注目されておかしくない。

 私がまず50分くらいお話をしました。京阪は100周年ですが、青海チベット鉄道は2000年代に入って造られた新しい鉄道。その差違や鉄道の目的地のラサに関して、そしてチベットに関しても少しだけ喋りました。撮ってきた動画が少しだが使えて良かった。

 感心したのは、プロジェクターの画像が凄く良かったこと。他の多くの会場で使われているプロジェクターとは写りが違うのです。「これ凄く写りが良いですね」と言ったら、「高かったんですよ」という答え。堂島リバー・フォーラムという建物の講堂で使われているプロジェクターです。

 議論も面白かった。玉岡さんがテレビでの印象と違って意外に熱く、しゃべりが長かったのにはちょっとびっくり。まあでも関西の再活性化に関する具体的議論があまり行われずに、「関西は力がある」という事実の確認だけで議論が終わってしまったのは、問題点を投げた私としてはちょっと残念でした。

 まあでも、今まで関西について思っていたことをまとめて語れたことは、私としては良かった。控え室で、一週間前に買ったというアイパッドを京阪のトップの社長の佐藤さんが嬉しそうに披露していたのが、ほほえましかった。「ここまで広がりが」と思わせた。

iphone、ipad はNHKオンデマンドで見たサラリーマンネオでも取り上げられていて笑えた。あとは「首都水没」が面白かったな。「渋谷」「溜池山王」「東京駅から浜松町」の再地域は危ないそうで、東京が50ミリの雨量を限界に設計されているという事実が記憶に残った。


2010年09月11日(土曜日)

 (07:30)つい一週間前に24時間の「鉄道の旅」をしたばかりと思ったら、今日はここでの講演・パネルディスカッション参加です。これから新幹線に乗って大阪に移動します。

 サイトを見たら、「最近大流行のツイッターによれば、基調講演を行っていただく伊藤洋一先生がつい先日までシルクロードの旅に出ておられたそうで・・・。講演あるいはディスカッションでお土産話がうかがえるかも知れません。」と書かれている。

 うーん、チート違う面もあるが、ここまで書かれたら、少し今回のチベットへの旅について触れねばならないでしょう。いろいろ写真も撮ってきてあるし、動画もある。それらをちょっと紹介しようと思っています。

 関西には毎週お世話になっている。今日はその恩返しのつもりです。活発な意見交換が行われることを期待したい。私の講演は、その土台です。それにしても700人という人々の集まりは凄い。

 うーん、今日の会場はwifi は大丈夫だと思うが、チベットに行く直前の講演会では失敗したポケットwifi はもって行こう。ネットが使える使えないでは絶対プレゼン内容が違うので。


2010年09月09日(木曜日)

 (15:30)今日の午後に行われた吉岡徳仁さんのインタビューは、予想した通り興味深いものでした。やはり一つの場所(分野)を掘れる人は、ちゃんと横も広がりを持てるんですよ。もの静かな中に、ちゃんとした観察眼を持ち、自分の考え方をはぐくんでいる。

 話はデザインの分野を超えて、日本の経済や欧州の文化の話にも展開しました。きっとリリースの9月27日には、聞けば「これは参考になった」と思われる筈です。世界的に活躍する、今ももっとも注目される日本人でデザイナーです。お楽しみに。

 ところで、明日の「世の中進歩堂」は、「植物が大変身!?花の色や咲く時期を変える重イオンビーム育種法」です。今回訪れた理化学研究所では、重イオンビーム育種法という新たな植物を生み出す研究が行われています。

 重イオンビームという放射線を植物の種などに照射することで、突然変異を誘発し、いままでにない性質の植物を生みだすという驚きの研究。それにより普通では現れない色の花や、花が咲く期間が長くなった新しい植物の品種が誕生します。

 さらに春にしか咲かない桜も一年中いつでも咲くようになり、稲などの農作物に重イオンビーム育種法を用いれば、地球規模の食糧問題にも役立つ可能性もあるという驚きのテクノロジーを紹介します。通常に戻る伊藤 洋一のRoundpu World Nowもよろしく。

 文章は、ECOマネジメント「BRICsの衝撃」の第79回がリリースされました。先日行ったチベットの話はまた別にして、立ち寄った北京での交通事情からちょっと「中国の成長の隘路」を考えてみました。

 man@bowの「10代で学ぶそもそも講座」は、「どうやって情報を“読む”か PART3」です。お楽しみに。


2010年09月08日(水曜日)

 (23:30)明日インタビューの相手をしてくれる吉岡徳仁さんを調べているのですが、会う前から惚れちゃうような人ですね。

 静かな語り口、それでいて素材からデザインまでの幅広い分野で持つ深い知識。それがなければ、あのデザインは出来ないでしょう。工業デザインであっても、それを超えているところがある。それがすばらしいと思う。

 9月6日から公開しているピーター・バラカンさんも面白かったな。チャンスをきちんと掴んだ人です。ここに過去のインタビューもあります。吉岡徳仁さんのそれは、9月27日の公開予定です。お楽しみに。


2010年09月07日(火曜日)

 (02:30)チベット旅行中に「これは役立つ」と思ったのは、「クラウド」でした。特にリコーさんのquanpは非常に有効でした。撮った写真や動画は、毎日自分のquanp アカウントに投げていました。投げてしまえばもう安心。守られますから。

 それは第一に、「旅行中にはカメラや、そこから写真や動画を移すPCに何があってもおかしくないので、quanpに投げておけばもう安心」ということが大きいが、チベットの場合は「予想されない事態への対処」(例えば写真や動画の押収など)という理由もあった。

 皆さんもそうだと思うが、旅行中の写真や動画は直ぐに溜まる。枚数が多くなりますから。撮影余地の残すために、私はメディア(例えばカードやUSBメモリー)を数多く持っていくことはせず(小さいからなくす危険性あり)、文章を書くためなどに持って行っているPCに移していた。今までは。

 しかし今回はクラウドとしてのquanp を多用しました。まず、その日の撮った写真や動画はその日のうちにquanp 内に旅行名とその日名義のプレース(フォルダに相当)をもうけて、可能なときに転送した。ネットはホテルの部屋でただで使えましたから。加えて、このday by day の文章を必ずquanp に投げておいた。それは、何があるか分からないラサで、写真・動画と文章データを安全に保護するための措置でした。カメラやPCの中に残しておけば、いざというときに危険にさらされる。

 実際に旅行中にはメンバーの一人が立派なカメラをもっていたが故に、「直近の数枚を見せろ」と兵士二人に誰何された。ジョカン寺で我々全員の前でです。世界を見ても、日本ほど何を撮っても怒られない国はない。チベットでは、空港内は当たり前ですが、大きな橋は軍事的理由からどれ一つとして絶対撮ってはならない。撮ると直ちに押収される。どこかで見ているのです。山の上から、双眼鏡で(?)。

 クラウドとしてのquanp は、ネットが通じている世界中で有効に使えると思う。まあ、国内でも同じだと思うが。今回それを実感した。「(quanpに)投げれたらもう安心」と思ったものだ。quanp に day by day のテキストファイルも投げたのは、やはり現地的には問題のある文章もあるかもしれない、と思ったからです。

 だから、こういうことも考えた。「撮った写真をファイルとして残すのではなく、直ちにquanpなどクラウドに投げるカメラ」があったら便利だ、ということ。写真の出来具合は、あとでゆっくり確認すれば良い。技術的には問題なく出来る。すっごく安心じゃないですか。

 同じクラウドでも、dropbox はちょっと怪しかった。といってもソフトウエア、サービスとしてのdropbox が怪しかったという意味ではない。チベットを含めて今の行政区分としての中国にいる間中、dropbox の「同期完了の緑マーク」が一度として付かなかった。なぜだか分からない。日本でdropbox を使っていてPCで同期作業が終わるとdropbox のフォルダにも、その中のファイルにも必ず緑のチェックがつく。

 それが中国にいる間ずっと、まず同期作業をしている様子がなく、従って同期完了の緑マークが付かなかった。ずっと不思議だった。ネットは通じているのに。何かがおかしいのです。中国のネットワークが同期を阻止しているとしか思えない。日本に帰ってきたらちゃんとデータ同期の緑マークは付きましたから。

 それにしても、帰ってくるとやることが一杯ある。頼まれていたこのサイト用の原稿を、大部分は北京からの飛行機の中で書きましたが、ファイナル・タッチに仕上げ、day by day の文章をアップし、来ていた郵便物を処理し、NHKオンデマンドで不在中のゲゲゲを見て(以前より面白くなくなったが、水木さんにスランプがあったのが意外).....と。

 あーあ、今日からまた暑い暑い日本で。「アジアのエアコンシティー」は良かった。


2010年09月06日(月曜日)

 (14:30)今日の午後、北京から羽田に帰ってきました。やっと遅れを解消し、その日のday by dayをその日にアップできるようになった。久しぶりな気がする。チベットに向けて出発した8月31日以来です。

 物理的にはチベットのラサからでもアップは出来ました。昨日も書いたように、ネットは繋がっていたし、多分FTPも問題なく出来ただろう。その日にあったことは、文章としてはその日に書いていましたし、いつも通り写真も自分で撮ったものが大部分でした。そうした方が良かったかもしれない。

 しかし、以前から「中国ではycaster のサイトが見れない」という報告もある中では、そして中国における全ての通信が監視されていると噂され、特にチベット関係はうるさいとされる中で、特にラサでは今回はその日その日のアップはしないことに決めていた。行く前からです。

 第一に団体旅行ですから、何かあってはいけない。何もないと思うが、今の中国にとってはチベット問題はセンシティブな筈です。それは私がこの目で目撃してきた。しかし、そうだからこそ、私は思ったままを書きたかった。だから「delayed」にした

 一日一日の印象を書きつづったday by day とは別に、近く全体の印象記をまとめる予定です。正直、今回チベットに行って良かったと思う。行って見るのと、見ないのとでは全く違う。チベットは、なるべく多くの日本の方に訪れて欲しいと思う。

 それにしても、ラサの街の彼方此方や郊外で見かける兵士は威圧的だし、チベットで一番神聖とされるジョカン寺が、中国政府の制服兵士に制圧されているかのように見えたのは、私にとっても衝撃だった。恐らく、チベットの人には屈辱だろう。

  1. 3年前のモンゴル紀行
  2. 昨年のブータン紀行
 に続く今回のアジア極地旅行。あくまで日本から見た「極地」のイメージ。しかし、チベットはアジアの中心、そうでなくても一つの大きな核だったことがある。日本が世界史の表舞台に出てくるずっと前から。

 その点を日本人は忘れがちだ。チベットは、大陸のど真ん中に位置する。チベット人が作った吐蕃王朝(7世紀初めから9世紀中ごろ)は時に唐を凌駕し、王女(文成公主)を人質に取った。今でもチベット仏教はアジア全域に強い影響力を持っている。チンギス・ハーンの孫であるフビライ・ハーンはチベット仏教に帰依した。だから今のモンゴルでもマニ車がいっぱいある。

 去年行ったブータンでも、人々は深くチベット仏教を信じていた。地理的に近いから当然と思う人もいるかもしれないが、それはやはりチベット仏教にそれだけの魅力があったのだろう。踊りなどはブータンとチベットでは良く似ている。良い悪いは別にして、宗教を忘れてしまった日本とはかなり違った世界だ。日本と違う。だから、面白い。

 また来年もどこかに行きたいものだ。「先進国を訪ねてもちっとも面白くない」と思っている私にとっは、非常に刺激を受けた旅だった。

 旅の最後の最後の北京で。北京の旅行業者の間では、チベットの評判が悪いのだそうだ。標高50メートルの北京から行くと、多くの旅行業者が高山病で倒れてしまうからが一つ。もう一つは、「恐らくラサで街を歩いている人の半分は私服警官で、そんなところには行きたくない」ということだそうだ。中国人が言っていた。

 本当かどうか知らない。しかし多くの人が「恐らくそうだろう」と言う。チベット人同士が、仲間内の会話にも気を付けている、という話しは聞いていた。だからあり得ない話しではない。チベット人でも、中央政府の味方をする人はいるだろう。しかし、普通に観光しているぶんには、何ら問題はないし、多くのチベット人が観光業でメシを食べていることも忘れたくない。

 ポタラ宮殿もあと3年で閉鎖される。それを知らないで行ったが、たっぷり見れた。それが良かった。また行きたい。


2010年09月05日(日曜日 delayed)

 (23:30)チベットのラサを離れて成都で乗り換えで、今夜は北京です。ラサを離れるのはかなり残念。本当は自分の目の前でヒマラヤ山脈を見たかったし、チベットという非常に興味深い民族の奥深いところを知りたかった。決して最後まで分かりはしないだろうが、一ヶ月いたら相当面白いレポートが書ける気がする。

異様だが荘厳ではあったポタラ宮殿にさようなら  ラサ空港でビックリしたのは、搭乗ロビーで全く偶然に朱建栄さんに出会ったこと。これにはビックリした。テレビの番組、具体的にはNHKのBSディベートでご一緒したことがある。上海に向かう途中だという。同じ時期にチベットに居たことになる。

 成都も北京も久しぶりです。成都は乗り換えだけなので、空港の外に出られなかったのが残念。。麻婆豆腐の元祖・陳麻婆豆腐の本店と、街角で麻雀をしているご老人の多さが印象に残っている。むろんニョキニョキと伸びるビルも。窓からちょと見えた。日本の企業も一杯進出していて、取材もしたことがある。成都空港では食事をしたが、やはりうまかった。

 北京は、スモッグで酷い天候でした。西寧に行くときも乗り換えで通過したが、その時も空の空気は酷く汚れていた。ついでに言うと、河の水色も酷かった。緑になっていた。今回は降りて食事場所まで移動し、そのまま北京泊だったのですが、日曜日の午後遅くと言うことで、郊外に出かけていた車が一斉に帰ってくるのとぶち重なって、酷い渋滞。北京空港のサイドから北京市内に向かう高速道路は、一本しかないそうだ。

 渋滞と言えば、内モンゴルから石炭を運ぶトラックなど1万台が引き起こしている中国の北部の大渋滞は、「420キロに達している」と、China Dailyという新聞に書いてある。その見出しは、「Monster traffic jam......again」となっていた。

 今回の旅行の中で一つ確認したかったのは、中国の銀行制度の健全性(?)チェックだ。2004年の4月の取材の折りに、確か北京の南京街だったと思ったが、中国工商銀行で作った人民元、日本円、米ドルのそれぞれ少額の預金がどうなっているかを、久しぶりに調べたかった。

 極少額だから、カレンシーに対する思惑があったわけではなく、とにかく当時中国のバンキングを調べるために実際に作ったのです。取材陣と一緒に。今回、それをラサで調べた。ごく最近出来たという中国工商銀行のラサ支店で。実は口座の暗証番号を忘れてしまったので入金も出金も出来なかったが、残高がどう動いていたかは調べられた。忘れていたが、口座維持には年間10元かかっていたそうだ。

 しかし毎年5元程度の利子が付いて、人民元口座の残高は30元ほど減っていた。日本円は1万2000円入れていたのだが、多分金利が低い状態が続いていたからでしょう、利子はなく同額だった。米ドルはほんの少し増えていた。いつか思い出すと思うので、しばらく口座はそのままにしておくつもりです。日本にもICBCの支店はあるが、中国で作られた口座はハンドルしない。口座は取材を許可してくれた中国の担当部署の担当者も帯同で作ったもの。

 今回の訪問では、いろいろな言葉も覚えました。まず「面子住宅」もその一つかな。中国の道は日本のそれと違って、敢えて走っていけばインドへも、パキスタンへも、そして遠くはヨーロッパまで通じている。チベットを走っている国際道路も多い。

 沿道の家々がみすぼらしいと国の権威に関わると、中国の中央政府は沿道の住民に1万元ほどを貸して立派な住宅を造るよう奨励するのだそうです。チベットの海外諸国に通じる大きな道の沿道の住宅は確かに立派です。私が三峡ダムを目指して田舎の道を一生懸命車を走らせた時とは違う。

 しかし中国でも住宅は1万元では出来ない。為替レートにもよりますが、1万元とは14万円弱ですから。いくら何でも無理。最低15万元はかかるそうです。で、1万元もらった住民は残りを借金して家を建てる。沿道の農家や、遊牧民、半農・半遊牧の民達です。見ると、どれもよく似た色形をしている。しかし、現金収入の少ないチベットでは借金を直ぐ返せなくなる。

 その結果は、立派な「面子住宅」も、中に入れる家具などあるのは一階部分だけ。二階は何も置いていない。確かに車から見ると、二階はスケスケ。窓も入っていないように見える。しかもお父ちゃん、お母ちゃんは借金返済の為に出稼ぎでおらず、家にいるのは祖父母と孫だけという家が多いのだそうだ。まだまだ貨幣経済に慣れていないチベットの人達が、陥りやすい落とし穴のように思う。

 高山病と並んで日本から数多くの問い合わせがあったし、私も興味があったのは「ラサ、さらにはチベット全体の通信事情」でしょう。日本でも大きく報じられたラサ暴動の後、チベットやラサの通信事情がどうなっているかは日本には伝わっていなかった。だから、BGANも持って行った。

 まずケイタイですが、これはコンテンツを含めてかなり自由に、スムーズに使えた。これはやや予想外。もっと規制されていると思った。ドコモもソフトバンク(私の場合はiphone4)も、メンバーの一人が持っていたauも、かなり角度高く繋がる。どこでも。ローミングですが、ラサやその近郊はほとんど問題がない。私は数年前にパスポートを三峡下りの船のセーフに置き忘れて中国の道なき道を忘れ物を取りに移動したが、その時でもケイタイは中国のどこでも通じた。今回もほぼそうだった。

 もっとも、今回はさすがに青海チベット鉄道のかなりの部分では「圏外」が出た。それは人住まぬ場所を移動するからで、自然でしょう。ケイタイではツイッターも楽に出来た。3Gだからちょっと遅いが、不自由はない。もっとも、データ量が多い写真は重い。通話は、声がちょっと遠いが、まあ言ってみれば「日本の感覚」でケイタイは使える。

 一番心配していたのは、ホテルのネットだ。「暴動後どうなっているか」については、日本でも情報がなかった。で対応策としてBGANをもって出かけたが、行ってみたら我々が泊まったホテルは「無料・使いたい放題」だった。一部の人達が、「伊藤さんのサイトは中国では見れない」と報告してくれた「http://www.ycaster.com」や「http://arfaetha.jp/ycaster/」も問題なく見れた。

さらばラサ、さらばチベット  我々が泊まったのはアメリカ資本と中国資本の半々の出資によるホテルだそうで、そういう環境もネット接続には有利だったのかも知れない。ラサで唯一らしいが、NHKも見られた(しかしラサで見れたNHKは、北京では見れなかった)。サッカーのパラグアイ戦は「放送権上の制約」で見れていないが。

 では日本のようにネットをフルに使えたかというと、それは違う。日本では私はツイッターのためのいくつかのPCに入れたtweetdeckを頻繁に使うが、ラサではついぞそのコンテンツが表示されることはなかった。ソフトウエアは起動するが、内容が出ないのだ。

 繋がらないという意味では、「http://twitter.com/」のオフィシャル・サイトも同じで、「Internet Explorer では twitter.com に接続できませんでした」と出てくる。要するに遮断されいるのだろう。なぜケイタイ(iphone4ではtweetdeck を使っている)を通じた通信ならokで、ホテルのネットを通じたネット通信では「no」なのかは知らない。このtweetdeck やツイッターのオフィシャル・ページのネットとケイタイの関係は、北京でも同じだった。つまりケイタイやスマートフォンでだけ、中国ではツイッターが出来る。

 「伊藤さんがラサに居る間、あまりツイッターをしないのは、きっとホテルのネット設備が悪いからだ」との書き込みがあったが、だからそれは違う。ちゃんとダライ・ラマ関連情報以外は99%のサイトを問題なく見れた。FTPも問題なく出来た。かなりの写真をサーバーに送ったから判る。

 しかしPCを使ったインターネットでのツイッターの通信は遮断されていたのだから、問題はあったし、不自然だった。恐らくダライ・ラマがツイッター・アカウントを持っいることは知られていて、ネットでの制限を掛けているのだろう。その一方で、チベット(というより中国)ではケイタイやスマートフォンを使ってツイッターをする人はまだ少ないからだろうか。

 ケイタイやスマートフォンで出来るのに私がラサ滞在中にあまりツイートしなかったのは、そのiphone4やケイタイを通じたツイッターが、ラサでか北京でか監視されている可能性が高かったからだ。そんな監視された環境でツイートしたくないし(最低限のツイートはしたが)、そもそもツイートするより街や人々を見て、例え短い会話でも現地の人と触れ合いたかったからだ。

 それにしても、乗り換えを含めてラサ、成都、北京と移動し、ラサでは郊外も走り回ったが、数年前に比べて劇的に車が増えている。道路を走っても、沿道にはディーラーの店舗が所狭しと出店している。その店の数の多いこと。しかし売れれば売れるほど、中国の渋滞件数は増加する。

 そういう意味では、「成長の隘路」に中国は直面しつつある。北京の市内で見かけた大きなマンションの窓は、その多くが夜は真っ暗だった。


2010年09月04日(土曜日 delayed)

 (23:30)昨日の朝から全く頭痛がしない。昨晩など大阪のホテルに居るのと全く同じような状態。お部屋は快適です。ラサでこのホテルだけだそうだが、NHKがライブ(ほぼ?)で見れる。番組はちょっと違う。土曜スポーツがなかった。日本の対パラグアイ戦勝利を見たかったのに。多分「放送権上の制約」で最初からダメだったでしょうが。もっともラサでNHKを見たのは全部で20分程度。外の方が面白い。

カムバ・ラ峠からヒマラヤの方向を臨む  話しが飛んでしまったが、それ以前は高山病の軽い後遺症で時々頭痛がしていた。しかしもう酸欠状態には慣れたのだろう。ナイス。その後も高山病の症状は出なかった。標高800メートル(諏訪)で生まれたから、というのは関係ないらしい。直近にどこで、つまり標高何メートルのところで生活していたかが重要だと。そういう意味では、素早く高山病を克服できるかどうかは、ひとえに体質・体調による。そういう意味では私は高山病で重い症状にならずにラッキーだった。

 旅のメンバーはいろいろな対策をして来ていた。東京で処方してもらったダイア...なんとかと言う薬を飲んでいる人もいた。酸素を盛んに吸飲している人もいる。しかし水をよく飲み、深呼吸が常なる薬だ。他のメンバーも徐々に軽くなっているようだ。ただし4日の朝はまだ頭が痛いと言う人が結構いた。

 9人のメンバーのうち3人が男、6人が女だが、今回のケースでは総じて男は強かった。もっとも男三人のうち、一人は高山登山が趣味の人で、キリマンジェロまで登ったという。もう一人は、いつも海外に出かけている屈強な元記者。それに風邪もめったに引かない私。

 女性は6人と数が多いだけ、今回はいろいろあった。女性メンバーの中の半分は対高山病の薬を日本を出る数日前から飲んでいたらしい。それでも夜中に鼻血が出ていた人もいる。一昨日一日を棒に振ってホテルで過ごし、昨日もポタラ宮殿に上るのに非常に難渋した女性もいた。高地での階段の上がりは、彼女だけでなく皆同じに厳しかった。

 日本人の場合、通常は10人がチベットに来ると3人は重い症状の高山病になるという。確率的に。割合から言うと症状が強く出るのは男性が多いという。年をとった方がダメかというとそうではなく、細胞が若い方がなりやすい、つまり若い方が高山病が悪化するケースがあるという。

ヤクにも乗ってみました。海抜4000メートル以上にしか住めないこの動物は、清い水、清い草を食べることで、チベットでは一番人気の動物。一頭500元すると聞いた。ヤク持ちは金持ち  こうした中、4日の午前中は海抜4700メートルのヤムドゥク湖が見えるカムバ・ラ峠までバスツアー。インドやブータンほどではないが、酷い道だ。しかもあちこち土砂崩れで修理中だ。これでも数年前に比べれば非常に良くなった道だそうだ。バイクが我々のバスに追い越される形で何台も登っていく。運転している人の顔を覗き込むと、コーカシアンだ。

 バスの中で聞いた話によると、ヨーロッパの連中の間ではチベットやネパールを自転車やバイクで走破するのが流行っているという。自転車やバイクは持ち込むケースもあるが、現地でレンタルするケースもあるという。ナイス。いつかバイクでやりたい。

 4日は生憎朝から曇っていて(時々軽い雨)、「峠では晴れてくれ」と祈ったが叶わなかった。それでも着いた直後はヒマラヤが見える方向は明るかった。それが上の写真です。それにしても、ヤムドゥク湖は綺麗な湖です。中国でこれだけ澄んだ湖を見れるのは希有でしょう。

 しかしこの綺麗な湖は緊張に包まれている。峠を見渡す一番良い場所には公安の施設がある。そして、そちらの方向にカメラを向けてはならない。この景色の良い地帯は、チベット人のインドへの亡命の通過点になっているとも言われている。だから中国中央政府の監視所がある。暴動後に出来たらしい。

 亡命に失敗して捕まると、チベット人はどうなるのか。そのまま監獄に入れられて一生出てこれないとも言われている。景色は綺麗だが、ダライ・ラマも亡命の時にこの峠を通過したということで、とても緊迫した場所なのである。

 午後はセラ寺でお坊さん達の哲学問答を見ました。セラ寺はもともとお坊さんの教育機関。その教育の一環として、月曜日から土曜日までの午後の一定時間に、寺の庭の一つで、お坊さん同士で哲学問答を展開。それが実に見応えがあるのです。

 片方(通常立っている)が問題を投げかけ、アクション豊かに相手を問い詰める。答えるサイドは通常は座っていて、投げかけた問いに対する答えが満足できなければ、立っている方はとことん突き詰めていく。この問答に関しては動画を撮ってきましたので、一本のチャットのコーナーの記事にしたときにアップします。

旅の途中にあった水葬場  それにしても、ラサは交通事故が多そうだ。旅行中に2件の事故を目撃した。さもありなん、と思う。とにかく運転が荒い。我々が乗ったバスの運転手もそうだった。良く前を見ずにどんどん追い越しを掛ける。黄色二本線の「追い越し禁止」場所でもお構いなしだ。ラサの空港で別れたときには、ほっとした。

 恐ろしい、そして想像を絶する数字を聞いた。それは日本で一年間で交通事故で亡くなる人は確か5000人強だが、人口15万人のラサだけで半年に事故死する人が3000人に達したという。直近の発表だそうだ。人口比では凄まじい割合でラサでは事故が起きていることになる。

 私はこの数字が信じられずに何回も聞いたが、「そうだ」とチベットの人は言う。思い当たる節もある。そもそも信号が少ない。そこに運転に慣れない運転手が急増し、しかもこれはアジア共通だが、横断歩道にも車が突っ込んでくる。我々もしばしば危ない目にあった。駐車場というものがない。止まっている車は全部歩道に乗り上げている。歩道に駐車の赤いマークをしてある場所もあるが、まあ無秩序だ。交通規則が守られているとはとても思えない。

 奇妙なことに、道の両サイドに白線が引いてあって、最初自転車用かと思ったら、誰も自転車に乗っていない。そもそも自転車の数はラサでは少ない。他の中国の都市に比べると。そこを大勢の人が歩いている。車の直ぐ横を。車から見ると、その先に街路樹などが植えられている。つまり車の直ぐ近くが歩道なのだ。事故が起きて不思議ではない。

 もうちょっと詳しい話しをすると、そもそも免許を取れる学校がラサでは少ない、足りないのだという。で車が欲しい若者はどうするかというと、まず買うのだそうだ。四輪のセダンは60万円ほどからある。買って運転を始めてから、免許はお金で後で買う、というのだ。これでは事故が多くなって不思議ではない。

 バスの中で面白い話しを聞いた。チベットでの葬儀について。これについては、調べたら既にサイトがあるが、私が聞いたのは以下のような内容でした。鳥葬に関する内容もかなり違う。

  1. チベットには5つのタイプの葬式がある。塔葬、鳥葬、水葬、火葬、土葬。「塔葬」は、歴代のダライ・ラマなどが葬られた形で、遺体を乾燥してミイラ化させる。ポタラ宮には歴代の霊廟があり、黄金で作られた座の上には今でも歴代ダライ・ラマのミイラが入っている

  2. 一般庶民の葬式は、大部分が「鳥葬」である。場所はセラ寺の裏側の山の斜面など決まっていて、死んだ人の体を完全に解体し(だからチベットでは解剖学が非常に進んでいるらしい)、骨など食べにくい部位から鷲に食べさせる。鷲は山の上から飛び降りてくる。最後は肉で、その順序で出さないと鷲が最初に満腹なって骨まで食べないそうだ

  3. 鳥葬は専門の人の集団がやり、その値段は決まっていないため(日本の寺に対するお布施もそうだ)、結果的に結構コストがかかるらしい。かつ、チベットでは死んだ人が身につけていたものを死んだからといって外してはいけないという。首飾りなど宝飾品の数々。家族・親族にお裾分けできず、葬儀に当たった専門の人の所有となる。それやこれやで、鳥葬を専門にやる人達は経済的には豊かだという

    チベットの道沿いの岩山に沢山ある階段。天上の死者に降りてきてもらうために沢山書いてある

  4. しかし、チベットの女性もそういう人達を「こわい」と考え、あまり結婚相手には選ばないそうで、そういう専門の人は生涯独身の人も多いという。一つ興味深いことに、お酒やタバコを好んだ人の内蔵は、鷲も嫌がって食べないために、鳥葬を専門にする人は鷲に提供する順番などに工夫を凝らすそうだ。とまれ、鳥葬があるが故に、チベットの人は鶏であろうとあまり食べないという(対して漢人は鶏肉が好きだ)

  5. 12才以下の子供は「水葬」にふされる。鳥葬をするお金がない家族も「水葬」を選ぶという。チベットでは葬式は特殊男性的な儀式で、例えば12才以下の子供が死んだ場合、それが例え母親であれ水葬の場には女性は参列できないという。「水葬」があるが故に、チベット人は決して川魚を食べない(中国人が入ってきて食べたとき、大騒動になったそうだ)

  6. 伝染病でなくなった人など鷲や魚に食べさせるのも憚られる場合には「火葬」にするという。伝染病者以外にも、高僧などが火葬にされるケースもあるという

  7. 最後は「土葬」で、日本も昔はこれが圧倒的だったが、チベットでも「過去の埋葬方式」となったようで、今ではほとんど行われていない、という
 私が詳しくチベットの葬儀方式に関しては書いたのは、その民族の特徴、人を葬るときのその土地独自の考え方が示され、それには合理性があると思うからです。ブータン旅行記でもこの点には触れました。鳥葬、水葬を考えて頂ければ良いのですが、ブータン同様、チベットにも「墓」と呼ばれるものはない。塔葬の塔は墓とも言えるが、それは極少数の権力者の霊廟。庶民の墓はない。日本が何処に行っても墓があるのとは全く違う。数字の数え方が似ていても、違う点です。

 しかし死者との紐帯が切れるわけではない。家族や親しい人は、死んだ人の死んだ日をよく覚えていて、49日の法要、三回忌、七回忌などなどをきちんとすると言う。写真のように、チベットの道を走ると、道沿いの岩山に白線で沢山の階段が書いてある。先祖や死者をたたえる祭りのおりなどに、沢山の死者に降りてきてもらうために描かれた階段だそうだ。

 生きている人々の気持ちが天に昇るための、そして天上から死者が容易に降りてこられるように書かれた階段。人々の思いが詰まった白い階段です


2010年09月03日(金曜日 delayed)

 (23:30)東京は猛暑続きで悪いような気がするが、ラサ入り口のサイドから見たポタラ宮は言ってみれば夏の間は「エアコンシティー」です。これは、インドのIT都市であるバンガロール(今のバンガルール)に付けられた名前ですが、私は一日ここで過ごして直ぐに、「ここももう一つのエアコンシティーだ」と思った。

 ホテルの部屋に入ったとき、エアコンががんがん入っていた。設定温度は19度だった。23とか24に上げようとしたが、21度以上には上がらない。ホテル全体の設定がそうなっているそうだ。「そうだ切ってしまえ」と思って切ったら、その後快適になった。それ以来、ホテルの部屋でエアコンは使ってない。夏でも最高気温はせいぜい22度程度。夜は10度前後。夏は「エアコン」具有の街でしょ。しかし冬は寒いらしい。雪は積もらない。紫外線が強くて直ぐ解けるという。

 ラサは日中外に出ると日差しが強い。ちょっとの時間でも焼ける。空気は爽やかだが、日差しがあるところは熱い。それが普通のラサですが、9月03日は起きたら雨だった。日中の雨は極めて希だそうだ。

 こうした中、市内観光で行ったのは

  1. ラサ観光の目玉である世界遺産のポタラ宮殿
  2. ラサという都市誕生の切っ掛けとなったジョカン寺(大昭寺)
  3. 時計回りが暗黙の了解となっているジョカン寺を取り囲む商店街の八廓街
 ポタラ宮の前の広場。依然はここにチベット人の商店街があったが、撤去された。その前の道路は北京東路まずポタラ宮だが、日本に伝わっていない一番重要な情報は、前庭に作っている博物館が完成すれば、今のようにポタラ宮に入ることは出来なくなるという点だ。つまり、今後2〜3年でポタラ宮は実質的に閉鎖されるということだ。見たい人は急いだ方が良い。大量の観光客を入れると城が傷むということと、かつてチベットの政治・宗教の中心だったこの宮殿を博物館化してしまおうという中国政府の意向もあるのだろう。

 日本で販売されている観光案内所にも書いてあるが、ポタラ宮はもともと「観音菩薩の住む場所」の意味で、よってその化身であるダライ・ラマの住む場所、つまりチベットの政治・宗教の中心地だった。しかし現ダライ・ラマ14世が亡命に追い込まれて以降は、中国中央政府の監視下に置かれていて、博物館下への道を歩んでいるとされる。

 その行き着く先にポタラ宮の閉鎖と前庭への宮殿文物の移管、博物館建設があると思われる。今でも公開されている部屋は、全部で999あると言われている宮殿のごく一部だが、それでも城の中の見学は迫力がある。歴代ダライ・ラマの霊廟などもあり、それが今後見れなくなると言うのは、極めて残念なことだ。

 この「宮殿」を観光客の一人として正面からつらつら見て判ることは、「この宮殿は事前に設計図を書いて建設していったのではなく、もともとの建物を継ぎ足していったら現在の形になった」ということだ。下から見ると極めて荘厳だが、実際には酷く左右が非対称なのです。そして出来上がったのは、「きっとダライ・ラマも迷っただろう」と思われる複雑な内部構造の建物だ。

 もう一つ書いておかねばならない事がある。それは階段を上がって城の中に入るのだが、それが高山病の後遺症に悩む人には非常に辛い、ということだ。日本から観光に訪れる人には事前に警告しておきたい。私は他の人に手を貸すほど余裕があったが、何人かは本当に踊り場で休み休みでしか上がれなかった。苦しそうだった。

お寺の前で五体投地する人々  最初は全部で階段が何段あるか数えようと思っていたが、上がるのに難渋している方々に手を貸していたら数えるのを忘れた。多分350段くらいはある。海抜3600メートルのサラ市内から一番上では160メートルくらい上がる。建設された歴史的経緯などは、案内書やネットのサイトを読んで頂きたいが、一つ思ったのは「人間の余剰生産力とは凄まじい」ということだ。

 ジョカン寺に行き、さらにそれを取り巻く八廓街を歩いて判ったことは二つだ。

  1. このお寺がチベットの人々がもっとも重視する巡礼の対象であること
  2. しかし寺院もその回りの商店街・八廓街も中国政府軍に完全監視・制圧されている
 の二点だ。書いておきたいのは、このお寺の回りには実に大勢の兵士、警察官が配備されている、ということだ。半数はAK47カラシニコフとも思われる銃を携行している。ちょっと緊張したのは、我々が兵士二人にカメラチェックされたこと。仲間の一人が実に立派なカメラを持っていたのです。たまたまカメラを向けた方向が悪かったのだと思うが、兵士に誰何され、直近2〜3枚の絵を見せろと要求された。

 一団で寺の前を歩いていた時の事です。実際には映っていなかったのだが、もし兵士が映っていたら”削除”を要求されるのだそうだ。その場面をカメラに収めるわけにもいかないので写真はないが、「そこまでやらなくても」と思った。

 実際に50メートル置きくらいに兵士の集団がいる。通りを見渡せるビルの上にも。ヘルメットをかぶり、迷彩服を着て、そしてほぼ例外なく迷彩服の兵士はサングラスをしている。顔を隠すためだろうか。

 ジョカン寺はチベットの人々が一番厚い信仰を集める場所、心情が純化する場所だからか。しかし、これは長い目で見ればチベットの人々の気持ちを傷つけると考えた。あれは凄まじい威圧だ。観光客である我々も強い嫌悪感を抱く。

 青海チベット鉄道の車窓からも五体投地で聖地を目指す人々を見かけましたが、私が見た限りジョカン寺が一番多かった。子供達も五体投地をしている。見よう見まねで。仏教の一番正式な、きちんとしたお祈りの方法。私もブータンでは三回やってみた。今回はスペースもなくやらなかった。

ジョカン寺から見た寺正面の風景  ジョカン寺の彼方此方には、延々と五体投地(グーグルで画像検索して頂ければと思います。凄まじい絵が出てくる)を繰り返す人々がいる。彼等は真剣だ。顔を見れば判る。来世を祈る人が多いという。通常は108回と言われているそうだが、聞くと「気が済むまで続ける」とも。しばし見とれてしまう光景だ。

 チベットに行くに当たって聞いていたのは、「とにかく臭いが酷い」ということだ。ポタラ宮もジョカン寺も。確かにジョカン寺にはマスクをした人もいた。蝋燭をともし続けるのにバターなどを使ったりするので、いろいろな臭いが確かに混ざっている。チベット人自身もあまり風呂に入らないと聞いた。しかし、たまたまかもしれないが、私は街や観光スポットでそれほど臭いが強いと感じたことはなかった。そもそも、臭いに直面するのも彼の地を理解する一つの方法だと考えている。

 この日の最後に面白い話しを。メンバーが買い物をしている間の土産物店で、そこのマネージャーや店員と私の三人で話しをしていたときだ。お互いにつたない英語で喋っていたら、突然マネージャーがチベット語と中国語が両方印刷してある新聞(8ページくらいしかなかった)を持ってきて、「日本の政治はどうなっているのか」と。その写真では、菅、小沢の両氏が頭を下げている。

 私が日本人だと判っているのでこの話題を持ち出したのだろうが、彼が「トップが3ヶ月で変わる国は珍しいですね」と。こっちは、「いやまあ決まったわけではない」としばし日本の政治論議。チベット人も関心を持つ日本の政治の混迷。世界中の人が見ているんだ、と。そう言えば、イタリアの印象も首相がころころ替わったときくらいに定まった。

 「商売はどうだ」と聞くと、「悪い、ダメだ」と。「なぜ。暴動のせい」と私が聞くと二人は顔を見合わせて、「世界的な景気後退、リーマン.....」と説明した後、「special situation もあったし」と。この「特殊事情」がラサの暴動を指すことは明らかだが、そうは表現しない。あの暴動は、当然だがラサに住む人々には凄くセンシティブな問題なんだと判る。

 暴動以後1年間のラサでは、むろん商売は上がったり。観光客も来なかったから。「観光と農業」のラサには痛い。酷いのはその一年間は五体投地も禁止されたというのだ。チベットの人々の命なのに。


2010年09月02日(木曜日 delayed)

 (23:30)ラサ(敢えて漢字表記すると”拉薩”)は海抜が3600メートル。富士山のてっぺんが3775メートルと言うから、ほぼその標高の所に都市がある、ということになる。人口は15万人。その7割がチベット人で、残り三割の圧倒的部分が漢人、あとは回教の人達。

 街のあちこちには2年前の暴動の残滓が見て取れる。街のそこかしこに3人、4人、5人一単位でそれぞれ別角度を監視しながら、銃を構えている迷彩服の兵士の姿がある。交差点にはあちこちにカメラが設置されていて、この街が依然として監視・緊張状態にあることをうかがわせる。

今でも綺麗に整備されているダライ・ラマ14世の使用館  3年ほど前から急に車が増えたそうだ。車を保有するのは、漢人の若者が主だそうで、確かに新車を数多く見かける。中国国内とあって、見知らぬ車(車種が多い)がいっぱいある。道路は広く、車はあまり信号がない街中を、時に喧噪に、時に静かに移動している。私の記憶違いかどうか判らないが、とにかく信号の数は少なかった。

 ラサに到着して真っ先に主催サイドから指摘(注意)されたのは、次の二点です。

  1. 街の中の彼方此方にいる制服の兵士にカメラを向けてはいけない
  2. 兵士を指さすような行為も行けない
  3. いつ誰何されるか判らないから、街の中を移動するときは例え団体であろうとパスポートを常に携行すること
 いつもどこを歩いても、何を撮影しても、誰と話しをしても良い街を歩き慣れている身としては、これはかなりの制約要因です。兵士は中国の中央政府から派遣されていて、街の様子を監視している。というより、銃を構えていていつでも戦える状態にある。監視の対象は、不満分子、騒動を起こしそうな連中であって、制服兵士の他に監視カメラがあり(東京やその他都市にもあるが、目的は違う)、そして実に数多くの私服警官がいると聞けば、気持ちは良くない。

 ラサは観光と農業の街なので、沢山の人に来てもらいたい。観光がなければこの街は成立しない。その一方で、新疆ウイグル自治区とともに、中国では民族的にも大きな問題を抱えた街としてある。

 日本から一緒のツアコンの方が、「ガイドさんはチベット人です。そのチベット人を困らせるような質問はよして下さい。最近はバスにも盗聴マイクが仕掛けれレているという話しもあります」と、これまた注意。これには困った。聞きたいことの半分も聞けない。まあその分は、じっと自分で見るしかない。

 長旅の後なので、2日の午前中はゆっくり休んで、午後から行動開始。見たのは

  1. チベット博物館
  2. ダライ・ラマの夏の離宮であるノルブリンカ博物館にあった女体で示されたチベットの地図
 だった。博物館は中国の中央政府がチベットの各地方に散らばっていたチベットの歴史的価値のある文物を集めた博物館で、視点はチベットと中央政府の融和にある。1990年代の後半に作られたにしては結構古びた建物で、歩き回るにも苦労する。広くて。

 見ながら思ったのは、5000年も前の文物とかいろいろ展示してあって、「一体人類はいつ頃からこんな高地にまで上ってきたのだろう」といった現実離れした発想でした。石器とか土器に文様を付ける櫛など、興味深い展示物はあった。

ダライ・ラマが街の人々の祭りを見た屋敷の前で  一つ言うと、チベット語(中国語とは全く違う)の2(に),4(し),9(く)、10(じゅう)の発音は、日本語のそれと全く同じだという。日本人の起源については、雲南に住む民俗だとかいろいろ説がある。日本人といっても縄文系と弥生系は違う。だから複雑なのだが、10までの間の数字の4つまでが一緒というのは、何らかの紐帯を感じざるを得ない。10が一緒なので、「じゅうに」「じゅうし」「じゅうく」なども一緒。

 ノルブリンカに関しては書きたいことがいっぱいある。ダライ・ラマはこの館からインドに亡命した。厳しい雪の道を通って。今の14世が使っていたいろいろなものが残っている。館そのものも綺麗に保存されていて、綺麗に色とりどりの花が飾られている。何十種類もの世界中のお札が置かれている。世界中から来た人が置いていったのだろう。日本円もある。

 ここに佇むと、チベットという民俗が置かれた今の状況を考えざるを得ない。是非多くの日本人に訪れて欲しい。説明によると、3年前までは日本のお客さんが本当に多かったそうだ。しかし暴動のあとはさっぱり。暴動の前は多かったのに、その後はさっぱりだそうだ。

 チベットのガイドさんの基本月給は1300元(2万円)くらいで、ツアーが入るごとに追加で一日30元、ヒマラヤ近くのラサから遠方だと60元とかもらうらしい。それにしても少額だし、お客さんあってのガイドだ。今チベットの日本語ガイドさんの中には、英語を勉強したいと思っている人が多いという。日本人の旅行客が減っているからだ。

 しかし一方で思う。我々が支払ったお金のどのくらいが本当に現地の人達の懐に入っているのかと。しかし行かなければゼロだ。日本人として何が出来るのか考えてしまう。

 チベットで恵まれているのは公務員だそうで、月給は普通は3000元だと聞いた。退職してからもかなり優遇されているという。

 ところで、そろそろ「高山病」の事を書いておきましょう。これは実にやっかいな病気です。私は頭痛止まりだったが、進んで吐き気にとらわれ、結局2日の市街ツアーに出られなかった人も出た。「高山病」をネットで調べると、例えばこのサイトなどもそうだが、大体が富士山登山における高山病対策が出てくる。しかし青海チベット鉄道は最高標高地点は5000を超えるし、チベットの中心であるラサはそもそもが回りから降りてきても3600メートルある。

 高山病はまずまず頭に来るらしい。頭痛がしたり、頭が重くなる。回りの人を見ていると、それに加えて顔がペイルになって、しばしば唇が青くなる。そしてむくむ。これらは高山病の一種である。そういう意味では、行った9人が全員が頭痛には取り憑かれたという意味では、高山病にかかったと言える。

 面白いのは、その頭痛も収まっても、あとで波を打つように戻ってくることが多いこと。つまりバラツキがある。人によって「ああ今日は良さそうだ」という人と、「今日はちょっと調子悪そう」という人が出てくること。これは予測がつかないそうだ。要するに酸素不足なので、それを補うことが最大の対策なのだが、吐き気まで行くとあとが大変そうだった。

ホテルの部屋にあった酸素吸入器  対策の一つは写真のような器具を使って酸素を時々補完してやることだ。ホテルの部屋には写真のように二本用意されていて、一本が35元と聞いた。ホテルの近くのちょっとした店では5元で売っていた。いずれにせよ、酸素を吸うとすっと頭は軽くなる。

 あとホテルにはもっと本格的なボンベで酸素を急速にかつ持続的に供給してくれる装置がある。メンバーの何人かはそれのお世話になって、体調を戻していた。しかし駄目な人も居たのである。

 きついのは、体を動かすときだ。歩くのも標高の高い所では疲れる。私のように、早期に高山病を乗り越えた人間にも、ラサでの移動はきつかった。東京の早足は、ラサでは通じない。あんな事を観光客がしたら倒れかねない。

 もっと大変なのは階段を上がることだ。「ぜいぜい」「どきどき」と、心臓が信号を出してくる。高所では何事もゆっくりしないと命に関わる」ということでしょう。一つ私が発見したのは、ゆっくり時間をかけてシャワーを浴びると、少し頭痛が治まると言うこと。それって、人間の体がシャワーの湯から酸素を吸収している証拠? 

 まあでも、食事も美味しいし、何と言ってもめったに来れない場所にいるのだから、本当に良い経験になる。大体夜明けが午前8時30分ですよ。日暮れは午後8時半過ぎ。チベットの人は「北京と二時間くらい時差があってもおかしくない」と言う。あの広大な国土が一つの時差ですからね。あえて言えば香港と同じ。

 笑えたのは、2日の夜食べた「きのこ鍋」の店。なんと店の名前が「人民公社」(サイトはhttp://www.dianping.com/shop/2317933)というのです。はいるとどーんと毛沢東の肖像が飾ってある。店員は皆人民服。二階に上がると、スターリン、レーニンなどなどの写真。

 「ここでは会話の内容にも気を付けねば」とか話していたら、これは文化大革命の記憶も多くの中国の人々、特に若い人々にとって「遠い過去」となる中で、「人民公社」や「毛沢東」が一つのファッションとして蘇ってきた証だという。結構混んでいましたよ。東京の銀座にも「キノコ鍋」を売り物にする店が出来ていますが、うーん、ブームの予感。


2010年09月01日(水曜日 delayed)

 (23:30)青海チベット鉄道は、以下の特徴を持つと多く青海チベット鉄道の窓から見える氷河の案内書やサイトには書いてある。

  1. 世界最高所の標高を通過(海抜5072m のタングラ/唐古拉峠)
  2. 世界最長の鉄道(全長1946 km)
  3. 世界最高所の高原凍土トンネル(風火山トンネル 海抜4905m)
  4. 世界最長の高原凍土トンネル(崑崙山トンネル 全長1686m)
  5. 世界最高所の駅(タングラ/唐古拉駅 海抜5068m)
  6. 世界最長の鉄橋(清水河特大橋・全長11.7キロ)
  7. 世界最高所の鉄橋(三岔川特大橋/海抜3800m)
 どえらい列車でしょう。どえらいことは他にもある。具体的に言うと以下の点だった。
  1. 我々が本来乗る予定の列車は、実は当初は09月01日の午前の列車だった。しかし直前になって「国務院の視察が大規模に入ったので、その列車の軟座(まあ日本で言えばグリーン)は使用不可となった」ということで、約半日の前倒し、つまり31日の夜10時40分の列車になった
  2. 「軟座が確保できる」という事情から31日夜という強行軍的な予定になったのだが、出発の直前になって確保した筈の列車の軟座も多くの国務院の方々が乗ると言うことで、結局我々は「硬座」に押し出された
  3. 世界最高所の標高を通過(海抜5072m のタングラ/唐古拉峠)ということで車内は「気圧制御」が出来ていると聞いていたが、実際には乗客が勝手に開けることが出来る窓もあって、我々の仲間が持っている腕時計タイプの気圧計測器から図れる標高は、各所で案内書通りの標高を示した(写真)。つまり気圧制御が出来ていなかった
列車には実にいろいろな人が乗っている。くつろぎタイム  など。常にこういうことが起きるのかどうかは知りません。しかし日本では「泣くこと地頭には.....」と言うが、中国ではやはり党と政府には勝てないということでしょう。

 実際に乗って感じたことは、「堅牢な作りをしている日本にはないタイプの列車である」「揺れは思ったほどではなく、その中で簡単に寝られる」「実に長い。我々は15号車に居て、食堂車は8号車で二回往復したが、その長いこと」など。

中国人のおじいちゃんが書いてくれたメモ。ここは塩田だぞ.....と  軟座、硬座という区別以外に6人がけと4人がけの左右に配置された椅子席というのがあって、そこで24時間を過ごす人もいる、ということだ。多分安いのだろう。沢山の荷物を抱えた親子連れなどが乗っていた。

 私は寝台車に乗ったのはこれが初めてだったので、他との比較は出来ない。しかし、三段のベッドの二段に入っていつも通り直ちに眠りに入ったし、その後も9人がコンパートメントを行ったり来たりしながら、まあ面白かった。

 景色は雄大です。雄大も長く見ると飽きて来るというのが今回判ったが、何と言っても「氷河」が見れたことが良かった。昔に比べてだいぶ小さくはなっているのでしょうが、それでもやはり存在感がある。多分飛行機の上からは沢山氷河は見ている。しかし、列車の窓から見たのはこれが初めてです。  硬座で我々が使った二つのコンパートメント以外はほとんどが中国人(二人欧米人がいた)だったが故に、面白い出来事もありました。私が廊下で外を眺めていると、中国人の老齢に近い男性が近づいてきて、中国語で「今走っているところはこういうところだ」(多分)と説明を始めてくれた。

 私は中国語がとんと判らないので、書いてもらったのが写真のメモです。要するに「この辺は標高は高いが昔は海で、それが隆起して今は全て塩田である」と一生懸命説明してくれているようだ。あとで西寧から乗ってきたガイドさんも入って会話をしていたらそういうことらしい。

 中国の普通の人達の生態が分かって面白かったな。なにせ24時間一緒にいるわけですから。例えば、車内のあちこちには鼻に入れると酸素が出てくる設備がある。そこにチューブ式の吸引機を差し込むのですが、それは有料です。しかしそれを我々が廊下サイドに使わずにつるしておいたら、中国の人が何の断りもなく使いに来た。「ノーノー」ってなもんです。

 青海チベット鉄道も、西寧を出て3時間もしてちょっと起きたら、携帯が一斉に繋がらなくなっていた。「ああもうずっとダメか」と思ったら、時々ドコモが使えたり、iphone4が使えたり、auが使えたり。日本からの電話がかかると、「ああここは使えるんだ」と。むろん、全部ローミングです。

 同室の人々四人の寝息、イビキはあまり気にならなかったな。多分私が最初に寝入ったので、私もしていただろうし、むしろこの空気の薄いところでまだみんな生きているという証拠になる。寝たり起きたり、車窓を眺めたり、トランプをしたり、列車の中を歩いたり。停車すると外に出てみたり。

社内は調整されていたはずだが、窓が開いていたりして仲間の標高計は5070を指す=世界鉄道最高所そういう意味では、硬座は良かった。

 24時間と言っても、なんだかんだ時間は過ぎるものです。結構話すこともいっぱいあるし、メンバーの一人が持ってきたトランプを楽しみました。だって、景色だけを見ていたのでは飽きる。

 日本では決して経験できない4000とか5000メートルですから、「高山病」の症状は出る。私に時々起きたのは頭痛。急いで水を飲み、深呼吸を繰り返した。それである程度収まる。あとはちょっと思考能力が落ちること。他の人達の症状では、目眩、立ちくらみ、食欲減退、眠りが浅くなる......などなど。高山病についてはまた書きます。

 終着駅に着いたのは、9月01日の夜9時50分くらいかな。予定より早かった。さすがに閑散としている。暗い。西寧もそうだったが、中国では駅が暗い。パンフレットなどには綺麗な駅舎が映っているが、そもそも写真は綺麗に映るし、昼間撮っている。夜の中国の駅舎は不気味です。

 ははは、ちょい緊張。閑散としているのに、あちこちに迷彩服を着た兵士の姿が見える。一つの兵士がツアコンの女性に近づいたので、「検査があるのか」と思ったら、その兵士はやおら荷物をもってバスまで運んでくれた。緊張が和む一瞬。

 そのままホテルへ。荷物をアンパックし、とにかくシャワーを浴びて、水を飲み、深呼吸を繰り返したら眠くなった。3年前に出来たホテルだそうで、小ぶりに見えて瀟洒な感じ。ベッドも良い。ネットの接続を確認し、メールに返信して、直ちに爆睡。

 ツイッターは青海チベット鉄道の中でも時々やっていましたが、インターネットはほぼ40時間程度不接触。私としては極めて希有な事態でした。



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