2011年09月30(金曜日)

 (14:24)ロシア行きの前から、そしてロシアからの帰国後に精力的に進めていた『「NIKKEI特集 ルフトハンザ ドイツ航空presents 伊藤洋一のLive Europe」』関連のインタビューが今日からリリースになります。

 ははは、この一連のインタビューは面白かったな。とっても。第一回は

 千住真理子さん

 です。バイオリニストとして世界で活躍する千住さん。昨年デビュー35周年を迎えた日本を代表するバイオリニストですが、今回は音楽との関わり、一目惚れ状態となった名器ストラディバリウスとの出会い、それらを育んできたヨーロッパに対する深い思い(プラハ大好き女子でした)、などについて話を聞きました。

 日本画家である千住博氏、作曲家の明氏とともに芸術家三兄妹としての活躍が注目されていますが、インタビューは肩の凝らないものとなりました。(笑)たっぷりの。しかしその中に彼女のプロ根性がよく出ていたと思います。はっきり言って彼女、お茶目でしたね。顔が生き生きとした、素敵な方でした。(参照 http://arfaetha.jp/ycaster/diary/11/09/07.html

 このインタビューはPCでも再生できますし、ポッドキャストでもお聞き頂けます。文章でも。ポッドキャストのサイトは

 itunes.apple.comの中のここです。

 なお、今後以下のスケジュールでインタビューがリリースされます。メンバーが面白いでしょ。

第2回(10/14) ソムリエ 田崎 真也さん
第3回(10/28) ギタリスト 村治 佳織さん
第4回(11/11) 女装家  ミッツ・マングローブさん
第5回(11/18) ルフトハンザ ドイツ航空 ブルーノ・ボービンガーさん

 「いったいミッツさんと何を話したのか.....?」って。それはその時までの秘密です。村治さんはかわいらしい方でしたね。本当に。田崎さんは、ある意味ダイナミックでした。ブルーノさんには、これからお会いします。


2011年09月29日(木曜日)

 (23:24)私の身の回りの阪神ファンの間で、真弓監督の評判がすこぶる悪い。彼等は、「真弓を辞めさせろ」と異口同音に言う。まあそうなんでしょうね。29日も絵に描いたような逆転(というより再逆転)負け。

 これで対ヤクルト3戦連続の逆転負け。その前もヤクルトに3連敗しているので、対ヤクルト6連敗。今年のヤクルトが強いことは認めるが、ちょっと首位のチームに負けすぎでしょう。球児の出る幕がないままの試合が12も続いている。ファンも見限ったのか、27、28日の試合を見ると、球場には阪神ファンが疎ら。だから入場者も2万人に届かない。人気チームの試合にしては酷い(ヤクルトの人気低落も酷いが)。

 野球をやるのは基本的には選手だ。28日の藤井の落球も、「だから真弓が悪い」と言ってしまうのには無理がある。投手陣が今季12球団で一番四球を出しているのも、直接的には真弓監督の責任ではない。選手にも甘えがあると思う。

 しかし私がずっと以前から言ってきた真弓監督の「理解しがたい行動」の最たるものは(これは2年くらい前にテレビでも言ったのだが)、「審判に抗議に行かない」という点だ。監督自身からは、「行くのもばからしいからやめた」と言ったコメントが多い。

 しかし抗議は「判定のひっくり返し」を狙っていくものではない。いくら抗議しても判定がひっくり返るケースは実は少ない。そうではなく、「(審判への)抗議は選手やチームの為に行くもの」である。判定でアウトになった選手の気持ちを晴らす、理不尽に見える判定に怒りの気持ちを持つチームを代表してそれに抗議する、そして時にはチームを奮い立たせる。

 過去の名監督は実にこれがうまかった。あの川上でさえも抗議で退場したことを見たことがある。しかし、私の記憶では、真弓監督が抗議で退場した記憶はない。あれでは選手が気持ちを高められないし、チームとしてまとめられない。

 最近の関西のスポーツ紙は、「真弓、辞めろ」の大合唱だ。これほど球団(社長?)とファンの気持ちが離れ続けているケースも珍しい。口の悪い人は、「真弓は安いからだ(球団がなぜ使っているのかに関して)」とか、「真弓はゴマすりがうまいのだろう」とまで言う人もいる。

 やっぱり監督としては、好き嫌いはあるのかもしれないが、落合さんの方が優れていると思う。その監督は中日を去る。セリーグはますます人気がなるなるような気がする。来季は。大リーグも終わってしまって、野球好きの私としては、「あとは何を見ればいいんだい」という気持ち。あそうか、ソフトバンクの日本シリーズ進出を見ないと。

 ヤクルトに3試合連続して終盤に逆転負けして阪神の選手の気持ちもダウンなんだろうな。それでも阪神球団は真弓を代えないのだろうか?

 イチローの200安打ならずは残念だが、彼なら38歳で迎える来年は何か残してくれる気がする。このままじゃないでしょう。私がファンである松井選手については、無論期待しているが、彼自身の気持ちがちょっと揺れているのが気になる。


2011年09月28日(水曜日)

 (23:24)水曜日は、防衛省技術研究本部の先進技術推進センターで一日取材でした。来月の末放送の「防衛省の最新技術を大公開」(ちょっと大げさですが)との番組に向けた。目黒区にあのような施設があることさえ知りませんでした。恵比寿ガーデンの直ぐ近く。

 今回取り上げるのは、ミサイルとか戦車といった大型の装備ではなく、隊員の安全を守ったり、特にまだ用途は決まっていないものの、将来役立つかもしれない興味深い研究。具体的には

  1. デジタル技術(情報処理、狭い範囲でのwifi通信、GPSなど)の応用による装備近代化、それに関連した zero casuality (死傷者ゼロ)の実現に向けた各種研究・実験
  2. 信管打ち抜きなどの手法による爆弾処理でのロボット利用
  3. 世界で初めて出来た”球体型”をしたホバリング、水平飛行、遷移飛行まで可能な、そして最高時速60キロが出せる飛行体
 など。最初の技術は、隊員が身につけて夜間でも周囲を監視しながら、そして本部などと通信しながら適切に行動できるようにする、言ってみればウエアラブル・コンピューターの隊員への活用。

 ある程度想像していたような技術でしたが、その実験服は今はまだちょっと重い。実際に現場で使えるようになり、かつ全体的な戦闘隊形の中でどう有効に使うのか、きっちりした位置づけが出来るのかは、今後の課題と見ました。

 「爆弾処理のロボット」は、不発弾の処理などに使えそうだなという印象を受けました。一番面白かったのは、「なぞの飛行物体」です。番組(今の予定では10月27日放送予定)でじっくり見て頂ければ良いのですが、これを考案した佐藤さんのpdfがここにあります。実に実に興味深い体型、方式、航路の飛行体となっている。

 ところで、明日の地球アステクは、7月以降の12のネタから厳選した「先端科学大集合!秋の特撰集」です。見逃があった方、エッセンスをお届けしますので、今度こそお見逃しなく。


2011年09月27日(火曜日)

 (23:24)まだ時々すっごく眠くなるのは、シベリア鉄道後遺症?。ま、いつものことですがね。寝られるときには全部寝る。ははは。

 それにしても、世界の金融市場の動きは激しい。先週は絶望的に株価が下がったと思ったら、今週は思いっきり週初から上がっている。「いったい、どっちなの」と。言えるのは、市場全体が不安定になっていると言うことでしょう。この不安定さは暫く続きそう。

 今週初めの上げについても、

  1. ギリシャ支援のヨーロッパの基金が拡大されそうだ
  2. ECBが金利を引き下げそうだ
 などが指摘されている。しかし基金の拡大は各国の承認待ちの案件であり、一番肝心なドイツの評決は木曜日だったと思った。ECBの利下げに関しては、「下げても小幅」というのがもっぱらの観測。その利下げによって国債が買われ直すというのはないでしょう。

 今日海外の新聞を読んでいて一番「そうだな」と同情申し上げたのは、ギリシャのパパンドレウ首相が今ドイツに行っていて、そこでドイツの経済人の会合でスピーチをしているのです。彼は盛んに、「ギリシャは superhuman effort」を払っている、と強調している。直訳すれば「超人的努力」となる。

 「だから、ドイツの皆さんちょっと我慢してみていてください」ということでしょう。しかしギリシャの国民のそれとはまた別の意味で、ドイツの国民の堪忍袋の緒は切れつつある。結局この問題は、「当該国民が相応の負担を覚悟し、それを受け入れる」か「EUに財政規律を各国に持たせる強制力を付与する」しかないと思う。規模拡大では実はおっつかない、というのが私の見方です。

 ところで、明日(水曜日)の早朝から夕方にかけて、私の新しいエッセイが二つ公開されます。

  1. ECO JAPANの「伊藤 洋一のBRICsの衝撃」
  2. そもそも講座「第50回 米国が抱えた問題」
 です。両方ともカレントの問題を考える上では、役立つと思います。お読みいただければ幸甚です。


2011年09月26日(月曜日)

 (23:24)フェスブックからのメールが減って、メーラー(私はサンダーバードを使っていますが)に余裕が出てきた。これまでは、フェースブックからのメールがずらっと並んで、どれが有用なメールか分からないほどだった。

 メールが来たのは9月21日かその前日だったと思った。「Facebookからお送りしている、お知らせメールの量を減らすために、新たな試みを試験的に実?施いたします。本日より、個々のお知らせメールの多くを配信停止?とし、代わりに、人気がある記事のダイジェストメールをお届けし?ます。」と。

 「ダイジェストメール」ね。来たかな?ま、自分で見れば良いので、それまでのように膨大なメールが届く事態が止まったのは良かったと思う。ツイッターやgoogle+からもメールが来ているが、あれも止めてくれて結構だと思う。ネットワークに負荷もかかりますし。


2011年09月25日(日曜日)

 (23:24)今日の「いま世界は」のゲストはサヘル・ローズさんでした。確かに滝川クリステルさんと似ている。よって綺麗です。

 彼女が言っていたことを、番組の中味になっていたかいなかったかに関係なく挙げると、

  1. イランでは結婚は必ず親が決める。バザールなどで見つけた良い男性を調べて(親の財産とか)、娘に勧める
  2. にもかかわらず、イランの家庭では普通は女性が財布を持つ
 でした。イランは日本では政治的な側面からしかあまり伝えられていない。無論、それも重要です。しかしその問題は語られすぎている。私が興味があったのは、国民がどうやって生活しているかでした。

 「結婚は親が決める」というのは、インドに似ている。ネットは使用人口は増えているそうですが、フェースブックなどの反政府的なツールになりそうなものは禁止されているという。それは中国に似ている。いつか行ってみたい国です。

 それにしても、この3連休でかなり寒くなりました。風邪を引いている人が多い。ちょっと油断すると、確かに風邪を引く。気をつけましょう。


2011年09月23日(金曜日)

 (06:24)当初声明を出す予定ではなかったものの、週後半の著しい金融市場の混乱を見て、G20はPDFで一枚の声明を発表しました。その声明全文は、Communique of Finance Ministers and Central Bank Governors of the G-20 Washington DC, USA, 22 September 2011というタイトルで、ネットサイトに置かれています。市場に影響を与える可能性があるのは、以下の文章でしょう。

We are taking strong actions to maintain financial stability, restore confidence and support growth.In Europe, Euro area countries have taken major actions to ensure the sustainability of public finances, and are implementing the decisions taken by Euro area Leaders on 21 July 2011. Specifically, the euro area will have implemented by the time of our next meeting the necessary actions to increase the flexibility of the EFSF and to maximize its impact in order to address contagio n. The US has put forward a significant package to strengthen growth and employment through public investments, tax incentives, and targeted jobs measures, combined with fiscal reforms designed to restore fiscal sustainability over the medium term. Japan is implementing substantial fiscal measures for reconstruction from the earthquake while ensuring the commitment to medium-term fiscal consolidation.
 しかしこれも、「何か新しい」という中味ではない。この声明を受けたヨーロッパの株式市場は前日の厳しい下げから反発していますが、これはこの声明に一応の市場安定効果があったにしても、かなりの部分は自立反騰の領域でしょう。問題はこれからです。

 各国が、そして地域が何をするのか。しかし、今の世界経済で各国が簡単に動けないのは皆知っている。この声明のキーワードは「heightened downside risks」です。この「downside risks」は今週のFOMCの声明にも使われていた。ニューヨーク市場の金曜日の引けの動きが来週の市場のイントロを決める。

 ところで、昨日は田崎真也さんとの対談でした。無論存じ上げていましたが、お会いするのは初めて。しかし若い頃の共通の思い出の場所もあり、田崎的ワインワールドの話、それから今の趣味、そしてヨーロッパへの思いなど、面白かった。年齢も近いし、楽しい対話が出来ました

 インタビューの始まる前に経歴を見させて頂いていたら、「ローマイヤ」という名前が。銀座のソニービルの並び4軒ほど新橋寄りにあったドイツレストランですが、何と田崎さんの仕事のスタートがここだったというのです。驚きました。私は、もうなくなってしまったこのドイツレストランが大好きで、よく行っていたのです。「アイスバイン」(豚肉の料理)を食べに。確か一階にソーセージなどを売っていて、二階、三階がレストランだった。

 田崎さんはそこの3回で若い頃ワインの何たるかなどを見て、フランス行きを決意された、と。「ローマイヤがなければ、今の私の人生はない。あそこはワインを含めていろいろ揃っていましたから」と。今は「ローマイヤ」という名前は、デパートへの出品に極たまに見られるだけです。

 「肉は豚」というのも一緒でした。多くの人が「肉は牛」と言う。しかし私はこの10年ほど「肉は豚」派です。しゃぶしゃぶから何から。田崎さんも「魚、トリ、豚しか食べない」と。これには共感しました。ただしイベリコ豚の焼きを例えば塩・胡椒で食べるときは「白ワインがあう」と田崎さん。さすがだと思いました。

 やはり『「NIKKEI特集 ルフトハンザ ドイツ航空presents 伊藤洋一のLive Europe」』の為の収録でしたが、その他にも興味深い話が沢山。HPが出来上がったらまた紹介させて頂きます。多分、面白いインタビューのシリーズになります。何せメンバーが多彩です。


2011年09月22日(木曜日)

 (04:24)Richard W. Fisher、Narayana Kocherlakota、Charles I. Plosserという前回と同じ三人の反対者を抱えながら、FOMCは「ツイスト・オペ」に踏み切りました。中味は、

To support a stronger economic recovery and to help ensure that inflation, over time, is at levels consistent with the dual mandate, the Committee decided today to extend the average maturity of its holdings of securities. The Committee intends to purchase, by the end of June 2012, $400 billion of Treasury securities with remaining maturities of 6 years to 30 years and to sell an equal amount of Treasury securities with remaining maturities of 3 years or less. This program should put downward pressure on longer-term interest rates and help make broader financial conditions more accommodative. The Committee will regularly review the size and composition of its securities holdings and is prepared to adjust those holdings as appropriate.
 となっている。つまり、「FRBは2012年6月末までに残余満期が6年から30年の財務省証券4000億ドル分を買い入れ、と同時に残余満期が3年ないしそれ以下の財務省証券を同額売却する」というもの。結果、FRBの保有財務省証券の平均満期(average maturity)の長期化(extend)が生ずる。

 何のためにするのかについてFOMCは、「This program should put downward pressure on longer-term interest rates and help make broader financial conditions more accommodative」としている。つまり、「この計画で長期金利には下方圧力がかかる”筈”で、全般的な金融情勢をより緩和的にできる」と述べている。

 「4000億ドルという額」は別にしても、「ツイスト・オペ」そのものは、かなり前から金融市場が予想していたものでした。結果、既に長期金利にはかなり下方圧力(FRBの言う)がかかっていた。

 このFOMC声明で新たな長期金利の下げが実現するかどうかは不明だ。この声明のあとにニューヨークの株価が下げ幅(ダウで見た)を拡大しているのは、現時点では理解できるマーケット・リアクションである。ただし引けはまだ分からない。

 FOMC声明は8月に決めた2013年央までのゼロ金利政策(0〜0.25%でのFF金利のフィックス)の持続と、各種証券の再投資を発表している。再投資に関しての声明部分は、

To help support conditions in mortgage markets, the Committee will now reinvest principal payments from its holdings of agency debt and agency mortgage-backed securities in agency mortgage-backed securities. In addition, the Committee will maintain its existing policy of rolling over maturing Treasury securities at auction.
 となっている。つまり、「こんなにやってますよ」というアピールだ。しかし「当初1日の予定だったFOMCを2日間にして議論した」割には、あっさりしたFOMC声明になっているし、反対論は解消していない。「民間銀行がFRBに保有する準備預金に対する金利を引き下げる方法」やQE3、それにウォール・ストリート・ジャーナルが予想していた「インフレを招かずに失業率を低下させるための明確な経済的な目標採用」などは見送った形になっている。

 前回と今回で反対者の数が同じであって減っていないということは、「FOMC内の議論の深まりはなかった」と理解できる。。なぜなら、8月のFOMCで反対論を述べた3人(冒頭に紹介した)は、今回「additional policy accommodation at this time」(現時点での追加緩和)そのものを「支持しない」として反対票を投じているからだ。

 この3人の前回(8月9日)の反対理由は、「who would have preferred to continue to describe economic conditions as likely to warrant exceptionally low levels for the federal funds rate for an extended period.」で、2013年央までのゼロ金利確約への反発だった。今回は「追加緩和そのものに反対」となっている。

 哲学論争は残ったままだ。ということは、アメリカの政界が哲学論争(”階級闘争”とまで言われる)を展開する中で、IMFが20日に「米国とユーロ圏の実質成長率は2011、12年ともに1%台にとどまる」と予測した「世界経済の危険な新局面」は、FRBからの金融政策での新機軸もないなかで、依然として視野の中だと言える。

 なおFOMCの声明全文は以下の通り。今回FRBのHPは声明発表に関して、「Federal Reserve issues FOMC statement」というタイトルをつけた。今までは「FOMC statement」だけだったと思ったが。しかしこれには特に意味はないでしょう。

 景気認識については、8月9日の時点より若干明るい単語が増えた。しかし8月認識時点で急速に落ちた景気が、「底バイしている」というのがFRBの基本的認識だと思う。にもかかわらず、景気の先行きには「there are significant downside risks to the economic outlook」(著しいダウンサイドリスク)があるとした。国際金融市場の緊張などで。

Release Date: September 21, 2011

For immediate release

Information received since the Federal Open Market Committee met in August indicates that economic growth remains slow. Recent indicators point to continuing weakness in overall labor market conditions, and the unemployment rate remains elevated. Household spending has been increasing at only a modest pace in recent months despite some recovery in sales of motor vehicles as supply-chain disruptions eased. Investment in nonresidential structures is still weak, and the housing sector remains depressed. However, business investment in equipment and software continues to expand. Inflation appears to have moderated since earlier in the year as prices of energy and some commodities have declined from their peaks. Longer-term inflation expectations have remained stable.

Consistent with its statutory mandate, the Committee seeks to foster maximum employment and price stability. The Committee continues to expect some pickup in the pace of recovery over coming quarters but anticipates that the unemployment rate will decline only gradually toward levels that the Committee judges to be consistent with its dual mandate. Moreover, there are significant downside risks to the economic outlook, including strains in global financial markets. The Committee also anticipates that inflation will settle, over coming quarters, at levels at or below those consistent with the Committee's dual mandate as the effects of past energy and other commodity price increases dissipate further. However, the Committee will continue to pay close attention to the evolution of inflation and inflation expectations.

To support a stronger economic recovery and to help ensure that inflation, over time, is at levels consistent with the dual mandate, the Committee decided today to extend the average maturity of its holdings of securities. The Committee intends to purchase, by the end of June 2012, $400 billion of Treasury securities with remaining maturities of 6 years to 30 years and to sell an equal amount of Treasury securities with remaining maturities of 3 years or less. This program should put downward pressure on longer-term interest rates and help make broader financial conditions more accommodative. The Committee will regularly review the size and composition of its securities holdings and is prepared to adjust those holdings as appropriate.

To help support conditions in mortgage markets, the Committee will now reinvest principal payments from its holdings of agency debt and agency mortgage-backed securities in agency mortgage-backed securities. In addition, the Committee will maintain its existing policy of rolling over maturing Treasury securities at auction.

The Committee also decided to keep the target range for the federal funds rate at 0 to 1/4 percent and currently anticipates that economic conditions--including low rates of resource utilization and a subdued outlook for inflation over the medium run--are likely to warrant exceptionally low levels for the federal funds rate at least through mid-2013.

The Committee discussed the range of policy tools available to promote a stronger economic recovery in a context of price stability. It will continue to assess the economic outlook in light of incoming information and is prepared to employ its tools as appropriate.

Voting for the FOMC monetary policy action were: Ben S. Bernanke, Chairman; William C. Dudley, Vice Chairman; Elizabeth A. Duke; Charles L. Evans; Sarah Bloom Raskin; Daniel K. Tarullo; and Janet L. Yellen. Voting against the action were Richard W. Fisher, Narayana Kocherlakota, and Charles I. Plosser, who did not support additional policy accommodation at this time.



2011年09月21日(水曜日)

 (20:24)今日は二人の、楽しみな方とのインタビューでした。非常に個性溢れる。

村治佳織さん

かわいらしい方でした ミッツ・マングローブさん

 不思議に思われる方も多いでしょうね。なんでこの二人なんだ、と。いえ、私が10日ほど日本にいなかったので、『「NIKKEI特集 ルフトハンザ ドイツ航空presents 伊藤洋一のLive Europe」』のためのインタビューが今週に固まってしまったという訳です。でもこのお二人とのインタビューは非常に楽しみでした。村治さん、ミッツさんとも全く初めて。

とにかくでかい。意外に謙虚  村治さんはかわいらしい方でしたね。写真の写り方によって大人びて映っている写真もあるのですが、右側に掲載した通りおちゃめな、ひょうきんな一面も持っておられる。ポーズとしては私が村治さんにギターのヘッドで軽く頭をつつかれている、という構図。

 スペイン大好き人間のようで、一年のうち3〜5ヶ月はもっぱらマドリードで過ごすそうです。いいですね。そしてロンドンでだったり、マドリードでだったりして音の収録をする。闘牛大好き。光と闇が素早く入れ替わるスペインが好き。ナイス。今使っているギターは比較的新しいそうですが、やはり見せてもらったら素晴らしいスペイン風の文様が入っていて綺麗でした。インタビューは意外な面が見えて面白かった。

 ミッツ・マングローブさんとのインタビューは時間的に村治さんとの後、正に台風が東京に再接近している中で行われて、窓を打つ風や雨の音がマイクに入らないか心配になるくらいの状況下でした。しかし、それ以上に、キャラがキャラですから、インタビューがドラマチックでした。

 いや、テレビでは見られない側面がうんと見えましたし、話の内容も非常に高尚で、生き方とか、考え方とかが見えて私には興味深かったですよ。是非リリースしたら聞いて下さい。かなり意外な面が出たと思う。そっち系の話も面白かった。海外での。ま、でかいですわ。でかい上に、7センチのヒールが。

 明日以降の番組のお知らせです。東京FM TIMELINEですが、今週は「ほんとうはすごい 日本の産業力」を取り上げます。悲観論に釘を刺そうと思います。

 次に「地球アステク」で、今回は「若返りの謎をトコトン科学!」ということで、日本医科大学老人病研究所の太田成男教授に登場願います。

 本当のところ、人はなぜ老化するのか。なにか秘密があるはずで、老化を防ぐ新発見のメカニズムを老人研究所の太田先生に問います。金曜日の二つの番組(スタンバイラウンドアップ)はいつも通りです。

 今週の日曜日には、BS朝日の夜7時からの「今世界は」があります。ありゃ、今週は何をするんだろう。


2011年09月20日(火曜日)

 (14:24)今日これまでに、面白かった(興味深かったという意味で)こと。

 まず言葉。「痛くもかゆくも......」。久しぶりに会った芸能担当レポーターに、「いなくなってどう?」と聞いたのです。ロシアに行く前に、非常に有名な司会者(お笑い系)が問題を抱えて一般人になった。つまり担当していたテレビ7本(?)を全部降りた。思い出して、その後どうなったのかなと思ったのです。

 直に帰ってきた言葉がこれでした。ははは、まあそうなんでしょうね。「....がいなくなったら」と思えるケースはある。しかしそれにしても、本当にいくなって痛いケースは希です。人間の世の中というのは、誰かが何らかの形で埋める。映画「トゥルーマンショー」のエンディングのようなものです。あっけない。特にテレビは。

 次に記事。読売のスポーツ面にあった「なでしこの組織力絶賛 FIFAがW杯技術報告書」が面白かった。まず「女子ワールドカップ・ドイツ大会のHP」に行って写真を楽しんだ後(懐かしいがまだリアルです)、レポートを探したら「FIFA Women’s World Cup Germany 2011 Technical Report and Statistics」というページがあった。読売の記事の原文はこれでしょう。

 読売の記者は全文を読んだのでしょうが、私は全文(100ページ以上ある)を読む時間がないので、会長の挨拶文だけを読みました。

The amazing final between Japan and the USA was a terrific treat for the spectators. The Americans tried their best to reclaim the world title but the organised, fair and courageous Japanese never gave up and became the first Asian world champions.

As a symbol of this emotional win, Homare Sawa, the experienced captain (five Women’s World Cups) and the driving force behind the Japanese team, finished as the leading goalscorer and was also crowned as the best player of the tournament.

 「emotional win」ね、まあそうですよ。涙が出た。その後に「Homare Sawa」が出てくる。ブラッター会長は日本チームを、「the organised, fair and courageous」と称賛。でもね、あまり「オリンピック、オリンピック」とプレッシャーをかけないようにしましょうね。読売新聞によると、このレポートは2011ドイツ大会の技術的に「特筆すべきこと」として
  1. DFラインを含めた攻撃の組み立てのレベルアップ
  2. 相手がプレーを予測できない個人と組織の質
  3. 前線の選手の素早い動き出しと、そこに供給される完璧なパス
 を指摘した。日本チームは体力的には明らかに劣っていた。つぶされるケースも多かった。しかしだからこそ、「organised」で独創的なプレーが出たのだと思う。災い転じて....だ。何か弱点があった方が、改善の道が見える。

 ドイツやアメリカは最後は「個」に頼った。そうしたチームはいいところまで行ったが、勝てなかった。FIFAの報告書が言う「サッカーの潮流」が変わりつつある証拠でしょう。ま、世界のサッカー界の人が結構読む報告書なんでしょうな。FIFAの技術報告書(Technical Report and Statistics)というのは。相手も、今度は研究してくる。日本の女子サッカーチームには、その先を行って欲しい。


2011年09月19日(月曜日)

 (18:24)久しぶりに新幹線で大阪に向かっています。静かで揺れが少ない。シベリア鉄道の揺れと遅さと重さが、ちょっと懐かしい。windows マシンのデスクトップのガジェットが引き続きロシア連邦サンクトペテルブルクの天候を示している。温度は「11度」と。多分昼間なのに。

 ところで、飛行機の中と帰ってからちょっと書き加えて、

 「瓦解した帝国、先進国への跛行的な前進〜2011年シベリア鉄道・サンクトペテルブルクの旅」
 という長い文章を書きました。後半はday by day の再録ですが、前半の分析部分は新たに書いたものです。思い出したら、まだまだ書くことがあることに気づく。暫くしてもう一度書き直す可能性もありますが、とりあえずの私の印象記です。

 日本の新聞をちらっと目を通したが、ニュースがあるようなないような。明日の朝のコールは何をするのだろう? 悩んでいるんだろうな。それにしても列車は混んでいる。東京駅も人でいっぱいだった。そうか、3連休の最終日か。人が動くのは良いことだ。


2011年09月18日(日曜日)

 (23:24)日本は暑かったんですね。ウラジオストックから日本への飛行機の中でキャビン・アテンダントの方(ウラジオストック航空のロシアの若い女性の方)に、「今日本は何度とおっしゃいました?」と聞き直しました。31度でした。低ければ10度(サンクトペテルブルク、イルクーツク)の世界にいましたから、空港に降り立ってちょっとくらっとしました。

 「もう終わってしまったのか」という気持ちと、「やっと日本」という気持ちと。でも最初のロシアだったので、実に楽しかったし、興味深かった。見るもの聞くもの。最近はいつものことですが、成田に降り立って大体都心にはバスで向かうのですが、「日本の車は静かに、秩序だって走っている、かつ一台一台が綺麗だ」と思いました。しかしその一方で、「道が細い」印象が改めてしました。

 サンクトペテルブルクを夕刻に出て9時間飛んでウラジオストックで一端荷物と一緒に降り、国際線に移動してそこから成田まで2時間半。一日の三分の二以上は空港、航空機の中だったのですが、「人の波」を感じました

 サンクトペテルブルクの空港では、明らかに旧ソ連邦のアジアの国々から来ている「働く人達」の波を見ました。皆黒っぽい服を着て、大きなテープでぐるぐる巻きにした荷物を持っていた。あの「ぐるぐる巻き荷物」は、当然ながら手荷物検査を通ってから巻きます。

 ウラジオストックから成田への飛行機も混んでいました。日本人7割だったような気がした。ロシアの方も多かった。空港で「フェースブックで見ていました」という日ロ間の貿易に携わっていらっしゃる方に話しかけられました。そういうご商売をされている方が多いんだろうと思いました。無論、我々のような旅行者もいたでしょうが。

 最後に備忘に。今回の旅で最初から忘れて「しまった」と思ったもの。世界で使えるコンセントアダプタ。今の旅は、「充電の旅」でもある。カメラ、ケイタイ、PCなどなど。いつものバッグでないので(今回は大きめを用意)、忘れてしまった。ずっと稲村さんに一つ借りていた。申し訳ない。

 少し疑念を持ちながらも持って行って良かったものは、まずはトイレットペーパーです。「紙」はやはり日本のが一番サイズから紙質からして良い。海外のトイレットペーパーはごわごわしていて、かつ細い。なぜだろう。2本半持って行って大部分使ったのは、別にトイレだけでなくいろいろに使ったから。ティッシュも日本のが一番良い。

 持ってくるべきだったと思ったもの。固形石けんかな。ホテルサイドにはいろいろ用意されている。大体がシャンプー一体型の液体です。しかし顔などは綺麗にならない。というか、すっきりしない。「固形石けんが欲しい」と思いました。

 持って行ったが必要なかったものは、万が一の時の靴の代え。今回も使わなかった。ま、運動靴なので逆に一回使ってみても良かった。持って行って無駄だったもの。麻雀道具。シベリア鉄道で暇になったらと、小型のものを持って行った。しかし、そんなスペースも、時間もなかった。高価なものではないので、セルゲイ君にあげてきた。

 持って行って凄く役立ったもの。iphone。シベリアではなかなか繋がらずに「役立たず」と思っていたが(ドコモの方が繋がった)、西に行くに従って、また時間が経過するに従って「これはいい」と思った。何よりも、時差を自然に補正してくれた。iphone を見れば現地時間が分かった。mac air も時差補正は自動だった。windows pc はダメだ。

 次にiphoe が良かったのは、フェースブックやツイッターの確認に最適なツールだったからだ。今回の旅は別の視点から言うと「フェースブックの旅」で、イルクーツクのターニャもそうだったが、特にサンクトペテルブルクのセルゲイとは早々に「友達」になって、いろいろな情報を交換した。彼は私がサンクトペテルブルクから送った写真などを見ていたし、質問に答えてくれたり。そうそう、彼がHPを教えてくれた。http://www.varlamoff.com/jp/welcome.htmlです。日本語です。そのうちもっと充実すると思います。

 疲れたので、また寝ます。明日は、ジャンガララーメンかCoCo壱番屋のカレーを食べよう。海外から帰ってくると無性に食べたくなる。あそうそう、昨日書いたiphone の数字は、やはり位置情報だそうです。越智さんが教えてくれた。


2011年09月17日(土曜日)

 (07:24)iphone の「マップ」で現在位置を検索し、出てきた場所にピンを落としてみたら

夕陽を浴びるエルミタージュ冬宮 ヴォルホフスキー通り1
サンクト・ペテルブルグ
サンクトペテルブルク
ロシア
199004
 と出てきた。かつそれを自己メールしたら、「59.945456,30.291533」という数字が出てきた。この数字は何だろう。あとで調べてみよう。知っている人がいたら、教えて欲しい。今私は出発当日の朝、Sokos Hotels(市内に三つあるらしい)の中の「Sokos Hotel Palace Bridge 」にいる。

 sokos hotels の親URL(http://www.sokoshotels.fi)を見ると、国の識別が「ru」ではなく、「fi」になっている。フィンランドのホテルなんだ。地図を見ると、フィンランドは近い。車で走れば直ぐの距離だ。

 そう言えば、ロビーにサウナの写真が彼方此方に飾ってあった。そうだ、サウナに入ってから帰国しよう。17日に夜行でウラジオストックに行き(9時間と聞いた)、そこで国際線に乗り換えて、18日の午後には東京だ。旅の最後はやや良いホテルで良かった。10日間ほっておいたら、髭も爪も伸びた。

 それにしても、サンクトペテルブルクの「Dvortsovaya Naberezhnaya」という名前の川(ネバ河)沿いの道を通り、かつ河口で流れを二つに分けている大きな島(なんてったかな)の先頭に右折したところの夜景は綺麗だった。右手にエルミタージュ美術館の冬宮がライトアップされ、かつ上流の橋がキラキラ点滅している。

そして夜景のエルミタージュ冬宮  都市の夜景が綺麗になるためには、どうしても水が必要だ。都市だから川、河が中心となる。水面に映るライトアップされた夜景。本当は高台が近くにあるともっと良いのだが、それがなくてもサンクトペテルブルクはヨーロッパの都市の中でもっとも夜景が綺麗であると思う。むろん、昼間も綺麗な街だ。水質以外は。

 綺麗と言えば「エカテリーナ宮殿」も素晴らしかった。サンクトペテルブルクの中心部から1時間ほどのライド。この宮殿はネットでも詳しく紹介され、写真も多く、今リンクさせていただいたサイトは比較的よくまとまっていると思う。ページは数ページに渡る。わたしがこの館を移動しながら思ったのは、

  1. すさまじい富の集積であり、そのツケを回されているのは多分ロシアの農民達(農奴)だろう。すさまじい美しさ、壮麗さは、凄まじい収奪の結果でもある
  2. しかしそうであっても、人間社会がつい300年ほど前までそういう構造をしていたことは事実で今から否定し難いし、これだけの壮麗な建物を建てられるということ自体は人類にとって一つの足跡だ
  3. かつエルミタージュとは違って、ここは徹底したドイツ軍の攻撃の対象になって正に廃墟のようになったが、その修復にかけたロシアの人たち努力と時間は称賛に値する
 と思った。修復はまだ終わっていない。まだ公開されていない部屋がいっぱい(20以上)あるのだ。破壊前の写真を見、材料を揃え。そして職人がこつこつと作る。最初に建てた当人達は、その後の宮殿が辿った運命を全く予想できなかっただろう。人間は20年もその時代が続くと、「これは永遠に続く」と錯覚するものだ。

 サンクトペテルブルクは今でも優れた観光地だが、今後もその地位を譲らないと思う。なにせ意図された綺麗さがある。昼も夜も。せいぜい300年の歴史ではあるが、ある意味ヨーロッパの歴史、歴史的建造物、人物歴が詰まっている。見所が一杯だ。この街が今後も確実に抱えるのは、洪水と駐車場の問題か。駐車場はもう激しく不足している。各運転手の駐車の仕方も酷い。

 昨日サンクトペテルブルクの街の色、建物の色が良いと書いたが、セルゲイ君に聞いたら「ピョートル大帝の命令で、”目に優しい””街を明るくする”という狙いから、緑、青、オレンジの淡い色が義務づけられた」と答えてくれた。”黒”をどうしても建物の色にしたかった人は高い罰金は払い、その子孫は今でもそれを払っているという。

 それにしても、私が紹介したエカテリーナ宮殿のサイト(http://www.eonet.ne.jp/~nostalghia-1983/zapishite2/petersburg075.html)を作った人は、かなり時間をかけて作っている。説明を聞いたばかりの私は、昨日のセルゲイ君の説明とダブらせると蘇ってくるものがある。

こぼれた血の上の救世主の教会の前で  最後の公的な見物、観察はChurch of our Savior on the Spilled Blood(こぼれた血の上の救世主の教会)という恐ろしい名前を持った教会だ。その説明はまたしても借り物サイトに頼るが、この教会は「建設に21年、修復に24年」とセルゲイ君が強調していたのが記憶に残った。それにしても、凄まじい修復執念だ。それには本当に敬意を払いたい。

 もう一つ昨日疑問があった。「貯金がないとしたら、どうやって高価な車を買っているのか」だ。殆どの人は借金だという。ちょっと心配になった。恐らくロシアの人々が”ローンでの買い物”を始めたのは最近だ。だとしたら、ローンが経済(家計や国の経済)に及ぼす影響を本当に知ってくるのはこれからだ。

 中には、「お金を貯めて買う」人もいるらしい。しかし「少数だ」とセルゲイ君。土地は国有だが、建物の部屋は買えるらしい。外国人も。確か結構な広さの、結構な場所の、結構良いマンションが「2000万円」と彼が言っていたような気がした。ここに数年住む人には良いかもしれない。「皆で出し合ってくれれば、私が......」と降幡さん。ははは、ちょっと興味がある。私も数ヶ月滞在したい。しかし、いかんせん遠い。

 一つ覚えた。イルクーツクでもそうだが、ちょっと綺麗な場所に行くと必ず結婚式を教会で挙げたばかりのカップルの一団に出会った。主に友達を引き連れて移動しまくっている。こっちで写真を撮り、あっちで写真を撮り。サンクトペテルブルクには飾ったベンツ(ベンツ?)のストレッチが結構な台数あって、それで来るカップルが多かった。

 誰でもいい。「ゴーリコ、ゴーリコ、ゴーリコ.....」と大声で囃す。ロシア後で「にがい」という意味らしい。するとカップルはブチューーーーーーとキスをする。甘くするのだ。そう言われたので、エカテリーナ宮殿の近くに居るときに、車で乗り付けてきていた新婚ほやほやカップルに向かって我々で「ゴーリコ、ゴーリコ、ゴーリコ.....」と大声で言葉をぶつけた。

 そしたらそのカップルは(新婦はちょっと太めだったが)立ち止まって、結構ディープなキスを展開してくれた。ははは、ナイス。


2011年09月16日(金曜日)

 (09:24)今日はスタートが午前10時でちょっと遅い。長旅だと老いも若きも本当は「半日くらいの自由時間」があった方が良いので、運営サイド(稲村さん、セルゲイ君に)に「今日の出発は昼頃にしよう」と提案したら、「エカテリーナ宮殿は予約時間がありますから」と言われた。そう言えば、エルミタージュも緩い予約制だった。あれ、去年行ったチベットのポタラ宮も予約ではなかったか。旧社会主義国の特徴?

 それでもちょっと遅いスタートは嬉しい。散歩ができるし、文章も書ける。ちょっと掻き落としていた、おっと「書き落としていた」ことを書く。

  1. サンクトペテルブルクという街の綺麗さは、その色にある

  2. ロシア人は貯金なし

  3. 日本人のロシアンティーの飲み方は、世界では通用しない
 という三点だ。

 サンクトペテルブルクという街が綺麗で実に好感が持てるのは、この街が沈みつつある悲しい街だからではない。「修復は行われているし、全部沈んだら、その上に建物を建てれば良い」(セルゲイ君)ということもある。サンクトペテルブルクが綺麗な街でいられるのは、パリのように高さ制限があることもあるが、私の理解によればその色合いの統一性にある。

MR.SUSHHIという店の宣伝だった  市内のかなりの数の建物が、淡いピンク、淡いブルー、淡いオレンジ、その混合などある意味統一されている。昨日行った冬宮は薄い緑色がすこし入ったベース空色だった。市内を移動していて明確に色を主張する建物には、逆にこちらがはっとする。それほど少ない。

 つまり、「淡い」ということが特徴なのだ。インドの「ピンクシティー」のように、街全体が統一的に同じ色になっているのではない。あそこでは宮殿も、街の壁も、そして商店もピンクだった。昔王様がその色が好きだったのだろう。サンクトペテルブルクにはそういう色の統一性はない。「淡さ」が統一されている。

 看板もそうだ。私が市内で見かけた一番色を強調していた看板は、ドストエフスキー館のはす向かいのXショップのブルーだ(時間がなくて入れなかった。向学と社会の許容度を調べるために入りたかった)。目立ったから覚えている。しかし色を主張する建物は少ない。

 今は新しい建物とて建設が許されないサンクトペテルブルクだから、街が作られた頃からの哲学なのだろう。もっとも、ナチス軍に取り囲まれた約3年間は、ロンドンと同じように偽装したという。ピンポイントの爆撃を避けるために。ロンドンの建物にはつい最近までその「黒滲み」が残っていた。

 サンクトペテルブルクはそれは感じない。銅像などは「丸ごと土で埋めた」そうだ。いろいろなやり方をとったから、戦争が終わって比較的素早く修復できたのだろう。ナチスはエルミタージュを攻撃目標から外していたという。占領したら欲しかったから。

 話がずれた。なぜそうか。パリは綺麗な街だが、「統一された色調」はない。ベルリンは猥雑だ。ロンドンは黒にくすんでいる。マドリードは統一感を欠いたパリだ。だからサンクトペテルブルクはヨーロッパの街の中でも異彩を放つ。

 私の勝手な見方だ。サンクトペテルブルクはエカテリーナなどなどロシアの皇帝達が「ヨーロッパの仲間入りをするのだ」とパリなどをまねて作った。高さ制限はその名残だ。しかしマネだけでは面白くない。きっとそれを超えたい気持ちがあったのだ。だから「色の淡さ」を一つのウリにしたかったのではないか。今日セルゲイに聞いてみよう。

 「セルゲイ」と言えば、夕べホテルに帰ってきて毎日山ほど来るfacebook 関連のメールの中に、「Varlamov SergeyさんからFacebookの友達リクエストが届いています」というのを見つけた。誰だか分からない外国人から友達リクエストが届くことはよくある。ちょっと怪しい写真だったりする。そういうのは丁重にお断りしている。「後で」だ。

 しかしまず名前がセルゲイだし、その下を見ると「鳴門教育大学」とある。「あ、あいつだ」と思った。その中味は歪んでいる。「友達110人・写真11枚・ウォ-ルへの投稿10件・グループ11件」とある。友達が110人もいるのに、「投稿10件」。「私は怠けています」と言っているに等しい。そう言えば「HPやブログも考えたが、「忙しくて」と言い訳を言っていた。俺だって結構忙しい。

 「varlamov sergey」をフェースブック検索したら、山ほど同姓同名が出てきた。最初に出てきたのは「eurocupうんちゃら」だった。仕方がないので「varlamov sergey  鳴門」で検索したら当たったが、これも彼ではなかった。ま、今日聞いてみよう。でも「鳴門教育大学」が私に友達リクエスト。確実だ。だからもう「友達承認」しておいた。

 また話があっちに行った。「ロシア人は貯金なし」は面白かった。バスの中で、「何でもご質問は」とセルゲイ君が言うので、「ロシア人はいまどうやって暮らしているのか」と聞いて、その枝質問として「貯金は」とか「財布はどっちが持っている」(女性サイドらしい)などと聞いた。まずたまげたのが、「ロシア人は貯金がありません」だった。

 答えを要約すると、「ロシアは共産主義の国だった」「医療も、暖房費も限りなく安かった」「皆同じ給料で、貧しいが助け合って生きてきた」「だから、貯金なんてしなくても生きるだけならなんとか出来た」ということだ。所得水準が低かったと言うこともあるのだろう。しかし、「貯金なし」の習慣は今でも残っているらしい。しかしだとすると、街を走っているドイツの高級車などの代金は全部借金か?また質問が出来た。

 セルゲイ君が問わず語りに子供の頃の話をバスの中でし始めた。7家族が住むアパートだったそうだ。風呂は一つ、手洗い・顔洗いそして便所も一つ。キッチンも一つ。7家族の共同生活だったそうだ。朝の手洗い・顔洗いの混雑は酷かったらしい。そりゃそうだ。みんな同じ時間帯に勤めに出るし、学校に行く。

 キッチンにはコンロは家族の数だけかろうじてあったらしい。子供達は学校から帰るとこのキッチンでどの家族のお母さんが何かを作っていても、それをもらえたという。子供達にとって、「飯炊きおばさんが7人」いるようなものだ。「子供達にとっては幸せだった」と。日本の江戸時代の長屋状態だ。この話は面白かった。

 「今は違います」とセルゲイ君。皆家を借り(月5万くらいからあるらしい。降幡さんはそこに興味を持った)、キッチンも風呂も別々だ。所得もばらけてきた。ロシアの人々にとっては、「that is the problem」なのかもしれない。しかし共同生活は過去の話だ。もう戻らないだろう。

エルミタージュ美術館での”大統領撮影スポットで”  ちょっと深入りしてやれと思って、「じゃ、私が個人的にサンクトペテルブルクでの案内を何日か頼んだら、一日いくらでやってくれる」と聞いたら、「この前名古屋のパチンコ屋のオヤジかなにかが来た時には、チップだけで5万円だった」「しかし本当に安くやるときもあります」と「両サイド提示のはぐらかし」にきた。ははは、笑える。プライスリストは非公表らしい。そのうち稲村さんが、「事務所を通せ」とか言い出した。

 しかし彼は賢い。「あまり高くすると、次から仕事が来なくなる」「高いギャラになって”自分は偉い”と思ったらだめじゃないですか」と。説教されているのかと思った。若いのにそれに気づいている。日本では勘違いしている人が多いのに。セルゲイのそれは、私の考え方でもある。人生自然体。

 我々を乗せた小型バスがKGBの前を通りかかった。彼がアネクドート(ロシア語では滑稽な小話全般を指すが、日本ではそのうち特に旧ソ連で発達した政治風刺の小話ーwikiの説明)を紹介してくれた。サイトに載っていないので紹介する。

  1. KGBの建物は4階建てが多いサンクトペテルブルクの中では7階建てと高い。で、市民の間ではこう噂されていると。「KGBの7階からはシベリアが見える」

  2. KGBの建物が1度火事になった。ある市民が電話してきた。「もしもしKGBさんですか?」。KGBの担当者「そうですが、今は仕事をやめています」。また電話。その繰り返し。KGBの担当者「なぜなんなに何回も?」。市民「あまりにも嬉しくて.....」
 二本目は詳しく覚えていない。要するにKGBは嫌われる、恐れられる存在だったと言うことだ。狭いアパートでは、「隣に声が漏れるのを心配して、KGBの悪口も言わなかった、子供にも言わせなかった」そうだ。「今はそんなことはない」とセルゲイ君。チベットは今、昔のソ連だ。

 「日本人のロシアンティーの飲み方は、世界では通用しない」は笑えた。私とロシアとの出会いは、ニューヨークのカーネギーホールの近くの「Russian Tea Room」(確か)だったので、そうとは知らなかったが、日本に帰ってきて「ロシアンティーにはジャムを入れる」が”当たり前”になっていて、その後はその風習を当然だと思っていた。

 しかし彼は言う。「そんなロシアのティーの飲み方をするのは日本人だけ」と。たまに蜂蜜は入れるらしい。ただしそこまで。「じゃ、日本人的ロシアンティーの飲み方(with ジャム)は誰が始め、はやらしたんだ」と思う。とにかくロシアの人たちは、日本人が来てティーを頼み、ジャムが来ないのを不思議がっているのを不思議に思っているという。

 彼は続けて言う。「ボルシチ」に「トマトを入れるのは日本の孤立した習慣だ」と。あの赤にトマトを連想するのは私にも分かる。しかしロシアではボルシチにはトマトは入れないそうだ。あと何か一つ言っていたが、忘れた。確かピロシキの話だった。「揚げ」の。日本の製法は違う、という話だった。確か。

 私たちがサンクトペテルブルクの日本食屋で感じた違和感を、彼は日本のロシア料理屋で感じているという。「日本でうまいロシアレストランはないの」と私が聞いたら、彼は即座にこういった。「ありません」。

 彼は言う。イタリアより美味しいイタリア料理、フランスより美味しいフランス料理の店が日本にはある、と。しかし、ロシア料理について言うと「日本は不毛の場所だ」と。しかし、その本場のロシアで食べても、私は「ロシア料理には切れがない」「多様性に欠ける」と思う。

 まあこれはもう、「舌の違い」だ。


2011年09月15日(木曜日)

 (23:24)あらら、レストランから帰ってきて「そのうちホテルのバーに行こう」などと思っていたら、ついうとうとして2時間も寝てしまった。行った日本レストラン(後で報告します)でちょっと笑いすぎて疲れたのか、それとも時差のせいか。

 昨日の話の続きから書いてしまおうと思う。一本前の書き込みでセルゲイ君の発言として「しかし、メドベージェフが勝つ。プーチンとメドベージェフは今でも非常に仲が良い。メドちゃんが勝つのはプーチンも承知(だそうだ)」と書いた。それを裏付けるような記事を「St.Petersburg Times」という新聞のこの記事(別に写真)に発見した。URLにナンバリングがしてあるから、長く残してくれると思う。

リンクも張っておいたが、ロシアに対する政治観を一変させてくれる新聞記事  笑えるでしょう、この風刺絵は。プーチンがメドべージェスを押さえつけている。しかし目を丸くしているメドベージェフはプーチンの口を右手を挙げてふさいでいる。そしてこの記事の最初の方には、「In practical terms, they are just flip sides of the same coin. 」とある。

 日本に多い「プーチンかメドべージェスか」といった議論を笑い飛ばしている。「It makes no difference whether Putin or Medvedev is the next president.」と喝破。その書き出しは、

It was really pointless for observers to have spent the last three years asking the question: “Who is better, Medvedev or Putin?” and to have worked themselves up over the conundrum even more during the run-up to elections each fall.
 勉強になる。それは置くとして、今日の二つの目玉はドストエフスキーの館とエルミタージュ美術館だ。まず世界でももっとも有名な作家の一人・ドストエフスキーの館は、既に一階が半分くらい地下に沈んだ四階建ての建物にあった。生涯貧乏で、出版社に生活費を前借りしては小説を締め切りに追われるようにして書いていた人生だったようだ。追われてもあれだけの作品が描けるのだから天才だ。

 彼とその家族が実際に住んでいたアパート(小さいマンションの一室)を見せてもらった。彼が使った机があり、死んだソファーがあり、そして死んだ時刻を示す時計がある。彼の一生についてくどくど書くつもりはない。ネットで調べて欲しい。この建物の入り口の真ん前に、セックスビデオのショップがあった。何故だろう。

 私がずっと考えていたのは「ロシア的精神」なるものについてだ。この北国、特にサンクトペテルブルクには、その地理的条件にふさわしい、またそれが生み出した”精神”が宿っていると思う。ロシアの男が皆ちょっと暗い顔をしているのは、そのせいではないかとも思った。「暗い」と言ったら失礼か。「厳しい顔」というのがいいかもしれない。

 サンクトペテルブルクで学生時代、KGB(本部が川沿いにある)時代の一部を過ごしたプーチンも、しばしば「ロシア的な厳しい顔」をする。それは我々も日本のテレビのニュース画面で見ている。「何を考えているのだろう」と時に不安になる。

 セルゲイ君によれば、「サンクトペテルブルクはシベリアよりも厳しい」という。沼地で湿度が高く、寒くて雪も降る。半年もが日本で言う冬だ。洪水もある。そもそもここはスウェーデンからやっと奪い返した土地だ。そこに急いで大都市を建設した。しかし沈みつつある。

 なんらかの”特殊な、他とは違う精神”が宿っておかしくない。多くの作品がこの「厳しい街」で生まれた。憂鬱な冬、または冬の長さがポイントかも知れない。「人間とは何か」を考えるにしても、たっぷり時間が確保された街だ。

街の遊び  「ロシア的精神」があるのか、あるとしてそれは何かはまだ私には分からない。しかし、聖ニコラス大聖堂の2階で合唱隊を伴った大きなミサの一部を聞きながら、「ここには何かが宿っているかも知れない」と思った。スペインやイタリアのそれとも違う。それにしても、なぜ寺院、教会は”金色(ゴールド)”にこだわるのか。日本の寺もそうだ。地位が高くなれば金の量が増えるかのようだ。

 エルミタージュの所蔵品の一部については、今調べたら私は2004年10月07日(木曜日)に江戸東京博物館で見ている。その時に「もちろんエルミタージュも現地で現物を見るのが一番良いのですが、まあそれはまたの楽しみに」と書いていた。だから、やっと実現したというわけだ。

エルミタージュから来た物品、絵画はすごく輝いていました。エカテリーナ二世が使った黄金の馬車よりも、彼女やその親族が様々なおりに作った宝石が素晴らしかった。宝石と言っても、時計にしてあったり、ブローチにしてあったり、様々な機能物になっているのですが、それが未だに輝きを失っていないのは見物でした。

 絵も素晴らしいものが多い。どちらかというと写実的な絵ばっかしですから、何を描いているのか、何を言いたいのかは比較的よく分かる。そういう意味では、非常にわかりやすい展覧会になっている。集められているもの、作られたものも、言ってみればドイツ人であるエカテリーナ二世という個性の結実.....

 とも書いていた。実際にこの地に足を運んで見た第一印象を言うと、「とても見切れるものではない」というものだ。一日でも一週間でも、一ヶ月でも無理だ。驚くことに展示品は収蔵品の3%だと。かつ世界中でエルミタージュ展が開かれている(筈だ)。国外にある美術品展物品も多いだろう。

 「よう集めた」とも思うし、「なんと壮大な」とも思う。”壮大”とは収蔵品の範囲でもあるし、それに要した時間でもある。「体制が違えどもの継続」は称賛に値する。何でも幅広くある。だから、見切れない。結局自分の見たいもの、好きなものをじっくり見るのが正しい。勉強して戻ってくる。また帰国して、また見に来る。

日本食like  それにしてはちょっとサンクトペテルブルクは遠い。降幡さんがたとえ短期間でもの移住に興味を示した。「そしたら我々も宿が出来る」的な話になった。見た絵や彫刻品は不思議と頭に残る。そして、記憶に蘇る絵が集められた架空の部屋の片隅にたたずむ自分を発見する。また来たい。描いた人、作った人の気持ちに入り込むのは、多分とっても楽しい。

 話は変わる。夕飯は市内の日本料理を名乗る店だった。ものは試し。面白い。料理の順序は「寿司→味噌汁→タコサラダ→イカ天+揚げロール→デザート」だった。一つ一つを写真に撮った。正直言って気分良く食べられるものとてなかった。しかしそれが現実だ。日本人の従業員は一人もいない。試せて良かった。

 店の経営サイドの女性とセルゲイ君にいろいろ質問した。矢継ぎ早に。返答の中から面白い情報を拾うと

  1. サンクトペテルブルクでの外国料理の人気順位は、1.日本食 2.イタリア.....ビリ=中華料理 ゼロ=韓国 だそうだ

  2. 世界のどの都市に行っても常に数で日本料理店を上回る”中華”は全く人気がないそうだ。「最低の料理と考えられている」と。かつての中ソ紛争の影響? そういえば、エルミタージュでも日本が中国に勝っていた。韓国は見かけなかった

  3. 店は朝9時に開店し、朝の6時間でやっているそうだ。つまり21時間営業。もう6年もしている。当時は他に無かったから。しかし今は他の料理を圧倒する300店舗も日本料理と称するものを提供する店がある。従業員は総勢100人居る

  4. 韓国の焼き肉料理はゼロだと。Hyundaiの連中もがっかりだろう。何故か。消防が火を許さないそうだ。韓国は車では結構頑張っている。しかし料理ではスタンディングはない
 車の話をまたちょっとする。サンクトペテルブルクも凄まじい数だ。既に書いたように多様だ。メーカーも揃っている。ただしハマーしかGMの車は見なかった。ロシアではGMはまだ復活していない。数ではセダンが多い。しかし印象を素直に述べれば、「SUVが存在感を示す世界」がロシアの車社会だ。

 BMWでたとえると、それは「X3」の世界ではない。ましてやBMWジャパンが今日本で一押している「X1」の世界ではない。「X5」、さらには「X6」の世界だ。「X5」では日本では大きすぎて使えない車庫が多い。「X6」なんてロシアで初めて見た。5と6がけっこうな数走っている。

 ベンツでも、トヨタでも、kia でも、そしてアウディでもSUVが目立つ。もっともロシアでは高さ、大きさなど関係ないのかも知れない。だって、まだ機械式の駐車場を見ていない。ビルも新築できないサンクトペテルブルクでは、機械式の駐車場を作ることなど無理なのだろう。かといって、日本のようにビルが簡単に取り壊されてパーク24になることもない。

 つまり、「止まれる場所」に止まっている、というのが実態だ。きっと、「車庫証明」なんて必要ないんだろうな。明日はエカテリーナ宮殿に行く。私にはちょっと興味がない部分だ。しかし郊外に出る。それが楽しみだ。
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 ところで、私の最新作である「ほんとうはすごい 日本の産業力」を「買いました」というメール、ツイッター、フェースブックでのお知らせを沢山頂いている。ありがとうございます。多くの方に読んでいただきたいと思います。

 加えて今日は、エッセイが二本リリースされました。一つは「存在感増すブラジル経済【5】世界第4位の航空機産業」です。ブラジル特集も、いよいよ佳境に入ってきました。ブラジルについて本当に驚くのは

ブラジルが中国やインドなど他の開発途上巨大国(BRICsを含めて)と一線を画しているのは、その産業構成である。なんと今日本が三菱のMRJで参入を目指している航空機産業でヨーロッパのエアバス、アメリカ合衆国のボーイング、カナダのボンバルディア・エアロスペースに次いで世界第四位の地位を占めていること
 です。もう一本は、そもそも講座です。今回は「ヨーロッパの情勢」を取り扱いました。


2011年09月15日(木曜日)

 (07:24)サンクトペテルスブルクに入ったので、電波状態が非常に良くなった。ホテルも市内中心部にあり、欧州全体をチェーンにしている良いホテルなので、ログインとパスワードの数字をもらえば無線LANが心地よく動く。ケイタイもそれぞれの提携先に”安定的”に繋がって、なんの不自由もなくなった。シベリアはそれが結構難しかった。

 ですから、世界で、そして日本で何が起きているのか全部分かるようになった。鉢呂さんの後が元官房長官の枝野さんになっただとか、ヤクルトが連勝しているだとか、日馬富士が二敗してちょと綱が難しくなっただとか、さらにヨーロッパ、特にギリシャの危機が深刻化しているとか。

 そう言えば、昨日は私の本である「ほんとうはすごい 日本の産業力」が14日に書店店頭に並んだ筈だ。この目で確かめられないのが残念だが、多くの人に読んで欲しい。また事前に収録して来た「地球アステク」は、日本時間の15日夜の放送の筈だ。

 東京大学生産技術研究所の須田義大教授を取材した「未来の交通システムに乗る!」だ。面白い乗り物だったな。ここサンクトペテルスブルクには、トロリーバスと路面電車が両方走っている。加えて、圧倒的な車の数。あそうか、今夜BSジャパン午後10時。皆様、御覧を。

 日本や世界で起きている事に関しては、いろいろな人がいろいろな事を言っているでしょう。私はせっかくの機会なのでこのロシア第二の都市についての記述を続ける。初めて来た国なので、とっても面白い。引き続き「私がみたまま」の話が中心になるが、括弧でくくった部分はセルゲイ君のお話が中心だ。

 サンクトペテルスブルクが都会である最も確実な証拠と思われるのは、綺麗で若い女性の数がだんちに増えたことだ。今までのロシアの女性のイメージはがらっと変わる。セルゲイ君によれば、この街は「ヨーロッパのデトロイト」と呼ばれているらしい。トヨタも日産もフォードも工場を持つ。

 しかし恐らくモスクワが政都だとすると、この街は商業・工業中心の街なのだろう。ロシア中から若い女性が出てきていると思われる。彼女らは皆「ロシアのおばさん」とは違う。スキニーでスタイルが良くて、おしゃれだ。歩き方も速い。やはり女性が生き生きしている。

 次に英語が結構通じる。今までのロシアの都市は無理だった。ウラジオでもイルクーツクでも。しかし肝心な店では英語がまずまず話せる人が少なくとも一人はいる。これは助かる。意志が通じると言うことは、重要なことだ。

 ウラジオストックの街を走っているのは圧倒的に日本の車で、その事情はイルクーツクでもあまり変わらなかった。しかも中古車が中心だから、圧倒的に右ハンドルだった。しかしサンクトペテルスブルクの車は圧倒的に左ハンドルだ。ロシアという国の東端では右ハンドル、西端では左ハンドル。笑える。

 かつ車種は、ドイツ車(BM、ベンツ、アウディ、VW)あり、日本車(トヨタ、日産、本田に加えて富士重工や三菱も)あり、韓国ありで多様だ。それだけで、多様性を感じる。ロシア製も走っている。写真はロシア製のジープタイプ。しかし一見し、「これじゃ売れない」と思う。

 ”国産”にプーチンが力を入れても、無理でしょう。そう言えば、トラバントにちょっと似ている。トラバントと言えば、私は見なかったが旧東ドイツのそれが走っていたそうだ。稲村さんが言っていた。逆にそれは素晴らしい。あの「手で押しても潰れそうな車」(1990年に私も東ドイツで見た)がいまだ動いていること自体が、ニュースだ。まあ一種のクラシックカー?

かっこ悪い典型のロシア車  時差で5時間ほどがプレゼントされたんで、午後2時から行動開始でいろいろなところを見た。カザン聖堂が一番面白かったかな。このサイトがあったので、「あれ中は撮影禁止なのに」と思ったら、やはり外の写真と動画が中心だ。立派な教会だ。セルゲイ君によれば教会の中もスリが多いらしいが。まだ誰も被害に遭ってない。今日はいよいよエルミタージュ美術館だ。エルミタージュとは、フランス語で「隠遁者の部屋」。

 セルゲイ君とは、機会を見ては意見の交換や、彼の意見の聴取を続けている。来年の3月の大統領選挙の見通しだとか。これはイルクーツクのターニャも同じ意見だったのだが、日本ではあまり知られていないミハイル・プロホロフという実業家が一つのポイントになるという。

 調べると彼はニッケル会社から身を起こして、大富豪になった。今はニュージャージーネッツ(米NBAの有力チーム)のオーナーでもある。このサイトに掲載されているインタビューはなかなか面白い。あとでその話も出てくる。ロシアのGDPを食い散らす汚職・賄賂(ソ連時代の遺産だが、今でもあらゆるところで蔓延っているという)や天然資源枯渇後に備えたロシアの競争力のアップ(人材を生かす、と)、欠陥のある司法制度などについて。個人的に成功したら、「皆のために働きたい」と。

 しかし自ら「プーチン大好き人間」と自称するセルゲイ君の見通し・解説が面白かった。大統領選挙は、あと一人か二人をあわせて4人〜5人が立候補する。プーチンもメドベージェフも。しかし、メドベージェフが勝つ。プーチンとメドベージェフは今でも非常に仲が良い。メドちゃんが勝つのはプーチンも承知(だそうだ)。

 「つまり、全員がプーチンの手の中で踊っている」と彼。へえ、そうなんだ。let me see。「なぜプーチンが好きなのか」という私の質問に、「彼はスマートだ」とセルゲイ君。そう言えばセルゲイは眼鏡を取ってちょっと厳しい顔をすると、プーチンに似ている。そう言うと彼は喜ぶ。「プロホロフという名前の人物」はあまり知らなかった。覚えておこう。

 あと二つ。セルゲイ君から聞いた、面白い話。

  1. ロシア語には方言がない
  2. ロシア人は略さない
 ソ連は言葉も中央の言葉を強制したらしい。しかし方言があれば残るはずだ。きっと新しい国なのだ。イルクーツクでもサンクトペテルスブルクでもせいぜい300〜400年の歴史。方言が広がるには時間が短い。

 こうして書いていてもいらいらするのだが、ロシアでは名前から地名からやたら長い。セルゲイも実は長いそうだ。彼はよく日本人の癖を知っているから、「私をセルと呼んでください」と言う。配慮はナイス。しかし、これは日本に関する中途半端な知識だ。日本人は、対象物を三〜四文字で呼びたがる。だから「セルゲイ」はそのままでいい。「セル」では逆に呼びにくい。旅のメンバーは皆「セルゲイ」と呼ぶ。

 サンクトペテルスブルクなんて発音も書きも面倒くさい。「サンクト」で、またウラジオストックも「ウラジオ」で良いじゃないか、と日本人の私は思う。大体、「サンクトペテルブルク」なのか「サンクトペテルブルク」なのか私などィ考えてしまう。しかしセルゲイ君に聞いたら、「私たちは長い名前に慣れている。ロシア人は短縮はしません」と。

 そう、勝手にしてよ.....という感じ。うーん、今後「サンクト」と自然に書いちゃうかも。よろしゅう。


2011年09月14日(水曜日)

 (09:24)男の右手が静かに、そしてそれを愛おしむように動いていた。左に右にゆったりと。まるで何かが終わったときのように。

 イルクーツクからサンクトペテルスブルクに向かうロシア国内線の中。8割方の込み。アイルを挟んだ私の左斜め前は、ロシア人の男女だった。20代か30代初め。健康そうで、がたいが大きい。最初は奥に女性がおり、アイルサイドに男がいて、男が三席列の真ん中に頭を落としていた。

 いつ入れ替わったのか知らない。多分どちらかがトイレに立ったあとだ。男が三席のうち窓側の二席を占めるように仰向けになり、そしてその上に女がこれまた上向きで横たわった。男も女も寝て(寝たふりをして)いる。

 最初は気がつかなかったが、ふと見ると男の手が女性の胸の上で左右にゆっくりと動いている。がちっと結構深い谷間に入り込み、右に左に。あくまでもゆっくりと。女は反応はしていない。しかし、女はTシャツ一枚。どこでもさわってもらえる態勢で、そのうちTシャツが上がって、お腹も出てきた。

見えてきた宮殿  あやや、この二人の男女のロシア人は一体何をしていたんだい(知っているんだけど)、と思ったら、その前を子供が通った。でも状況は同じ。子供は何も考えていないように見えるが、その二人の前を行ったり来たり。

 あはは、「ロシア人もなかなかやるじゃないか」と思っているうちに、飛行機は目的地(サンクト)に近づいた。それまで暗かった機内が明るくなった。機はディセンディングを開始した。

 二人がちょっとポジションを変えた。もう男の右手は女性の胸にはない。残念だ。もうちょっと続けて欲しかった。ところで今何時? イルクーツクから夜明けをずっと追って、今はサンクトの時間で午前7時半だ。朝にしては、ちょっと面白い見せ物だった。

 ――――――――――

 ところで到着したばかりのサンクトペテルスブルクはこれからゆっくり見るのだが、第一印象は「段違いに都会だ」ということだ。日本人の奥さんと子供二人(一姫二太郎 7&2)を徳島県の鳴門に残して、夏の間日本から出稼ぎをしに来ているセルゲイ君が説明してくれる。

 人口は460万人で、モスクワの1200万人に次いでロシア第二位の都市。ベルリンから飛行機で3時間の距離にある。今凄い日本ブームだそうだ。日本食のレストランが300あると彼は言っていた。確かに空港からのバスの移動の道すがら、らしき店が一杯見える。

 と言っても、「イタリアンと一緒」とか「タジキスタン料理と一緒」と混在状態だ。日本人の経営者は一人もいなくなったらしい。ということは、寿司にマヨネーズをかけるタイプ? 一回は行ってみたい。なぜ寿司取扱店が増えるのか。「(寿司は)小さいのに高くお金を取れる」かららしい。

 それよりも面白かったのは、「沈む街」という話だ。スウェーデンに税金を取られない自らの港を持ち、ヨーロッパに近いところということで、もともとは沼地だったところに街を作った。それが今のサンクトペテルスブルクだという。

水と宮殿との調和が美しい  イタリアやフランスから一流の建設家を招いて造ったし、よく杭打ちもしたという。しかし、建設が終えた瞬間から今に至るまで街全体の建物が沈下しているという。実際によく見ると、建物の入り口が沈下で狭くなっていて、一階が地面にのめり込んでいるのが分かる。外から見ると一階が地下になり、2階が一階になりつつある。しかし建物の中ではあくまで地中に埋まっても一階は一階だ。

 杭打ちの関係で、建物全体が均等に沈むという。笑える。仮にかしいだらやばい。かしがないために、隣の建物との隙間はない。支え合って静かに沈んでいる街、というイメージだ。しかし街全体には活気があり、久しぶりにヨーロッパを感じられる。沈むと言ってもゆっくりだ。

 ロシアの皇帝達は、ヨーロッパの一員になりたくてこの都を作った。パリに似ているとも、ベルリンに似ているとも言える。しかし戦争では悲惨な歴史を持つ。またそれに関しては取り上げるが、大祖国戦争(1941〜45年)には当初80万が死んだと言われたが、よく計算すると150万が死んだという。飢えと爆撃。今はその痕跡はないようだ。じっくり見たい。


2011年09月13日(火曜日)

 (23:24)「その映画は見ておけば良かったな」と思いました。「おろしや国酔無譚」。井上靖さんの小説も読んでいなかった。

 ロシアの、しかもシベリアのイルクーツクの地に来て、これだけ数多くの日本人の足跡に触れる事が出来るとはあまり予想していなかったし、それが1990年代に映画になったことも不明にして結びつかなかった。無論映画の題名は覚えている。しかしまだ見てない。イルクーツクでも、これから私たちが行くサンクトペテルブルクでも、大規模なロケを行ったようだ。

 驚いたことに、イルクーツクには「金沢通り」があった。写真の通り。同市と金沢市が姉妹都市関係にあることから、一つのイルクーツク市内の通りが金沢に因んで名付けられた。しかし、「(金沢市には)イルクーツク通りという名前の通りがあるとは知りません。何故ですか?」とターニャに聞かれても、直ちに返事を持ち合わせていなかった。

 そしてその通りの一番奥手にあるのが、1994年に建立された大黒屋光太夫の碑です。生命を生む卵が一つ、それをくり抜いたとも思える背の高い碑の前にある。卵の前には、「露日交流の記念碑」という短い文章が、ロシア語と日本語で書かれている。

 バスの中で、iphone で「大黒屋光太夫」に関して検索して、ちょっと読みました。小谷野先生の話と合わせて、「あのロシアを、鉄道でもしんどいシベリアを」馬と徒歩で横断した日本人達に驚愕しました。何人かは亡くなり、足が凍傷になってロシアに帰化した人もいた。大黒屋光太夫の記念碑 小谷野先生によれば、「大黒屋光太夫 帝政ロシア漂流の物語」(2004年 山下恒夫著)などが良いという。帰って読もうと思う。

 我々が泊まったホテル(ロッジというか、山小屋)の直ぐ近くに「日本人墓地」があった。カタカタで60人の方の名前が刻まれている。抑留の間に亡くなった方々と聞いた。綺麗に花が飾ってあり、その周りはロシアの方々の墓が広がっていた。ロシアは土葬だそうだ。寒いだろうに。しばし合掌しました。

 ターニャがいろいろなことを話してくれた。彼女の日本語は、ところどころおかしい。しかし全体的にはしっかりしているし、聞いていれば何を言っているのか分かる。何よりも熱心なのが良い。

  1. イルクーツクは水力発電が盛ん。よって、モスクワより電気料金が安い。四分の一らしい
  2. その結果、この街の周りにはアルミなど電力を激しく使う産業が集積している
  3. シベリアのモノの集積都市で、日本向けの最大の輸出品は木材である
 など。冬のイルクーツクを知らないからだろうが、近くにバイカル湖という湖もあるし、ちょっとの間なら居ても良いかなと思う。バイカル湖水族館にも行った。面白かったな。固有種のバイカルアザラシが実際に泳いでいて、そのまん丸さは笑えた。これは動画で撮影した。そのアザラシが食べている魚もユニークだった。

 やはり現地の方と長く話していると、自分のその国に対する知識が改まって良い。「ロシアは毎年70万人口が減っていると聞いたが」とFTの話を引用したら、彼女は

  1. 実際の所、90年代の経済危機の時期には人口は大きく減少傾向になった。どの家でも子供を一人しか産まなかった
  2. その結果、保育園や幼稚園、小学校もがらがらになった。皆が社会主義からマーケット主導への経済の中で先行き不安感が強かった
  3. しかし、今のロシアでは徐々に人口は増え始めている。それは経済が安定したからだ。男性の平均寿命は60歳を超えたと思う
 ということだった。ま、60歳でも若過ぎる。そういう彼女自身、5歳の息子にせがまれてもう一人を産む決心をして、今は妊娠三ヶ月だという。その割に凄く動く女性だが、彼女からロシアの年金制度、企業と従業員などとの関係も聞くことが出来た。彼女には感謝だ。彼女の一人息子が、赤ちゃんが生まれたらと「練習したい」ということで、お人形さんを買ってくれと言っている、という話は可愛かった。

 私がシベリア鉄道の旅をしているとサイトで読んで、いろいろな方がメールを下さっている。通信状態が悪く、全部に返信できないでいる。しかし、1993年という混乱の最中にイルクーツクにいらっした方が、当時の写真までスキャナーで読み取って送ってくれた。貴重だ。木の博物館には私たちも正に今日行って、送っていただいた要塞も見てきました。当時のマーケットの写真が良かった。

 梅本さんからは、自分のシベリア鉄道乗車の際に、おっかなびっくり飲んだ飲み物について。ターニャに聞いたら、まだあるそうですよ。まだまだいろいろな方から、「こうだった」とか「参考になる」だとか。

 しかしここはイルクーツク市内でなく、バイカル湖の近くの村。日本人墓地の直ぐ近く。無線LANがないホテルだった。ある予定だったのだが。よって今日隣の遅いwifiがあった緑屋根のホテルまで行って使わせてもらった。サンクトに行けばもうちょっとまともな対応が出来そうです。

 明日の朝は午前3時に移動を開始します。


2011年09月13日(火曜日)

 (10:24)バイカル湖はでかいですよ。改めて書きますが、「日本の面積の10分の1」ある。琵琶湖の50倍。よく見ると、それは日本の本州の形によく似ている。月が欠けた形とも言える。三日月型なのでその巨大さにもかかわらず、狭いところでは対岸が見える。特に冠雪の山は。

 何よりも驚くのは、「世界の淡水の25%をこの湖が持つ」とされる点だ。これは凄いことじゃないですか。「ロシアにはそんな資源もあるのか」と思う。もともとは深海が陸に囲まれたまま隆起し、淡水化したとされる。出来たのが2500万年前で、「世界最古の湖」かつ「世界最大の淡水湖」だそうだ。

 深い海だったので、今でも湖でもっとも深いところは水面から1637メートルに達するとされる。この辺の標高(海抜)はせいぜい450メートルだから、バイカル湖の湖面から見て下に尖ったコーン(いや出刃包丁)のようになっている湖底は、海面よりかなり下と言うことになる。もし地下水脈があれば、今でも多少の塩が混ざってもおかしくない。私の勝手な想像だ。近く変動で、バイカル湖は毎年1センチ幅を広げているという。

 昨日線路沿いにずっと(考えたら列車は3時間近くバイカルの湖岸を走っていた)見ていたバイカル湖は、風が強かったせいか濁っていた。しかし冬は透明度が高まるのだそうだ。「43メートル先が見透せる」時もあると書いてある。その時は、「世界一二の透明度の高い湖」だという。

 驚くのは、固有種として「アザラシ」がいることだ。湖にアザラシがいるというのが、凄い。あと1500を超える固有種が住んでいるそうだ。冬は全面凍結するという。きっと寒いのだろうな。

 しかし、バイカル湖が全面的に結氷している姿も見て見たい。「御神渡り」はあるのだろうか。あるとすると、凄まじい音がすると思う。しかし日本でも長野県の諏訪湖以外に「湖の氷が氷結し、ある程度進んだ段階で氷全体が盛り上がって線を作りながら割れる」という話はあまり聞かないので、無いのかも知れない。(と思ったら、ターニャがバイカル湖にも氷が割れて盛り上がる、と言っていた。凄い音だろうな)

 これは私が勝手に考えたのだが、「バイカル湖は世界の湖の中で、一番人の命を数多く飲み込んだ湖かも知れない。知られているだけで25万人のロシア革命時の泊軍の人々(貴族やその軍隊)が湖底に沈んでいる。その他にもこの湖にはいろいろな悲劇が伝わる。だから、句にも詠んでみた。今日これからバイカル湖はゆっくり見る。

ロシアの駅舎は綺麗なところが多い。イルクーツク駅もそう  イルクーツクには、昨日の夕方6時10分に着いた。ロシアの駅舎は、ウラジオストックがみすぼらしかったが、その他は結構堂々としていて綺麗だ。日本の駅舎が絶対使わない色をしている。白が基調で、そこに薄いブルーを使ったり、草色を使ったり。ハバロフスクの駅舎は綺麗だったが、イルクーツクの駅も良い。冬見れば、また違った趣があるのかも知れない。

 街は綺麗だ。実は明日、イルクーツクは建設されてから350年の記念日に当たるという。日本の多くの都市のように、「気がついたら出来ていた」というのとは違う。「誰がいつ、誰の命令で入植して」というのが分かっているのだ。ロシアは意図的に東方進出を図った。

 この街のガイドであるターニャさんによれば、この街は大火(1879年)に1度見舞われた。その前は家々は全部木造だったそうだ。しかし大火のあと、家や建物は石造りに切り替えられたそうだ。そして、この古い町には当時(100年以上前)に建設された古い建物が大部分残っているという。ナポレオンもヒットラーも、この街には遠く及ばなかった。

 この街を愛したのはチェーホフだ。彼がイルクーツクを「シベリアのパリ」と呼んだ。私にはちょっと疑問だが、一つは街が小さいことにある。人口は今でも70万人。以前は間違いなくシベリアの中心都市だったが、今では〜〜スクと名が付く街が育ってきた。

 ふと思った。「スク」とは城壁か。そう言えば沖縄では「城」を「グスク」と言う。日本の縄文人が弥生人に押されて北と南に分かれたことはよく知られている。そしてその縄文人は、シベリアのかなりの部分を支配していたブリヤート人などと繋がりがある、同じだという学説もあるそうだ。

ロシア人は花が好き  壮大な話だが、素人の私には「スク」と「グスク」から勝手な想像をするしか能がない。いつか調べたい。と思って、ターニャに聞いたら、「スク」とは、ロシア語の語尾変化の一種で、意味はないという。あーあ、大発見だと思ったのに。(笑)

 冬は寒いらしい。特に一昨年はマイナス40度があったそうな。しかしガイドのターニャが、「日本ほど寒く感じない」と言う。彼女の言葉をそのまま引用すると、「湿気が日本は高い」「イルクーツクは湿気が低い」と言う。確かに今朝シャワーを浴びて頭をシャンプーしたが、見る間に乾いた。頭の毛を短くしたことは確かだが、これには驚いた。

 雪はあまり積もらないそうだ。だから、車は「冬タイヤ」を10月頃に付けて、翌春まで。

 「家の中は冬でもとても温かい」
 「だから、イルクーツクに来る観光客は、冬の方が多い」
 「昔は日本人が多かったが、最近は韓国、中国の人が多い。特に中国人は良いホテルに泊まる」
 「ヨーロッパからはドイツ人」

 と彼女は言う。もう一つ彼女の言葉で面白かったのは、アメリカ大陸では白人とインディオが激しい戦いを展開した。しかし、ロシア人とブリヤートなど現地人はあまり対立しなかった、という。互恵的であったのだ。

 ロシア人は農業を得意とし、その産物をブリヤート人に提供した。農機具などを含めて。対して狩猟民族のブリヤート人(その他にも民族はいっぱいあるらしい)は、ロシア人に毛皮などを提供した。

 イルクーツクには雑多な顔をした人がいる。民族の数は半端ではないそうだ。まあ、エリツィンを見てウクライナの人々が「あいつはアジア人だ」と言った話は頷ける。先にバイカル湖は「日本の本州の形によく似ている」と書いたが、ターニャが面白い神話を教えてくれた。

 むかし極東には島がなかった。そこで神は今のバイカル湖の部分を切り取って、今の日本の位置に島を作った。それが日本だ、という話だった。ははは。実際にはバイカル湖の大きさは、日本の東京から青森に相当する。小さい。しかし、形は本当に良く似ている。


2011年09月12日(月曜日)

 (11:24)へえ、こんなところで彼らは会ったんだ、というのがウラン・ウデです。メドベージェフと金正日が会った場所です。会談はつい最近行われた。私たちの列車がその街に止まったのが、現地時間で午前10時50分くらい。25分止まった。

ウランウデの熊像の前で。ロシア人との交換撮影  「世界を征服する」(ウラジミール)とか、「東方を征服する」(ウラジオストック)とか、意味のある単語を並べて名前や地名にするロシアですから、ウラン・ウデも何か意味があるのでしょう。しかし、それはブリヤート語でロシア人もあまり知らなかった。

 首脳会談があった割には、小さな街です。人口37万人、1997年で。だらかもっと増えているのでしょう。モンゴルに向かう列車の起点らしい。それにしても、今まで出会ったシベリア鉄道の街としては大きい。

 しかしゴミだらけで、こんな小さな、汚い街でよく首脳会談をやったと思う。しかも、金正日は駅からかなり離れた兵舎を会談場所としたいといったという。飛行機を使わないのも、そんな場所を会談の場として選ぶのも、人づてに聞く彼の「警戒心」「猜疑心」の強さかも知れない。

 駅で止まっている間に、ホームに降りてみました。寒い。温度計を見たら10度でした。ということは、イルクーツクも寒いと言うことです。いよいよバイカル湖の寒さが実感できる。ナイス。

 この列車が東京と同じ時差を持つそのイルクーツクに着くのは、午後6時くらいらしい。この列車は、案外のところ時刻正確に動いている。列車の中で働く人もかなり熱心に働いている。具体的に言うと、我々の車両は現地の人が乗る車両より若干良い。その廊下には絨毯が敷いてある。

売り子の女性と。日本と同じで”いらんかい”と。親しくなったら、ほおキッスも  その絨毯の上にカバーを掛けるのだが、それを毎朝同じ女の子が一生懸命やっている。綺麗に揃えて絨毯が汚れないようにするのです。何回か手伝おうとしたが、「自分がやる」という雰囲気だ。食堂のおねえちゃんも、無論太めだが結構愛嬌がある。私は「ダダダ」の連発挨拶で親しくなった。

 ところで、午後1時過ぎからバイカル湖に沿って南下し、その後北上する線路の形になっている。直線距離にすればたいしたことはないが、線路がそうなっているのだから仕方がない。でかい湖だ。またこの湖については書くが、日本の十分の一の大きさだという。電車の左側には、雪を被った山が並んでいる。結構な景色だ。

 ここで我々をウラジオストックからずっとエスコートしてきてくれたギル・ヴィターリーさんについて書きたい。英語表記すると、「Gir Vitaliy」となる。最初名前をなかなか覚えられなかったが、この綴りを見て「ありゃ、vitalityから後ろの方の t を抜いた形だ」と思ってから、完璧に彼の名前を言えるようになった。

 32歳の若者です。まだ結婚はしていない。樺太出身の、顔だけ見たら日本人。しかしソ連生まれのソ連育ち。無論今はロシアですが、彼が生まれ、そして育ったのはソ連だ。ウラジオストックの大学で日本語を学び、これからも日本語を生かして日本の企業(進出企業)で働きたい、とおっしゃる。良い青年です。

 彼にコンタクトを取りたい方は、「vitaliy.jp@gmail.com」か、「+7(902)505-16-90」に。凄いと思いません。「.jp」と「.com」が両方入っているメルアドなんて、なかなかないですよ。

 彼はイルクーツク到着までです。お世話様でした。我々はまだ時々モンゴルのガイドをしてくれたメグちゃんとも連絡を取っています。というより、彼女が日本に来た。ま、そういう関係を続けたいと思っています。


2011年09月12日(月曜日)

 (10:24)ああびっくりした。ゴルフに遅れる夢で目が醒めた。隣の久井さんによれば、「ベッドから落ちそうだった」と。そういえば、直近のゴルフは随分前に約束して、コンファームが来なかったものだから(そういう態度が駄目ですね)、忘れて先輩に大目玉だったな。

シベリアの電柱。なぜか支えがあるものがある  もう諦めて常にチェックしているわけではなく、大きな駅で止まったときのみ「どやろ」と思ってメールなどをチェックしようとするのですが、多くのケースにおいてドコモのケイタイは「select net」と出てきて、要するに「業者を選ばせよう」とする。ロシアに入って「Megafon」を選んでいるはずなのに、うるさい。

 iphoneは前から選んでいる「Beeline」が繋がらなければ「圏外」と出るので、分かりやすい。だからもっぱら列車に乗ってからは、僅かなチャンスで繋がったときに、まとめて情報をゲットしている。ナデシコが中国に1−0で勝ってトップ通過で、二位が北朝鮮だとか。

 昨日の午後は句会を開きました。窓を見ながら、みんなで俳句(と称するもの)を作った。その成果が以下です。ちょっと多く出来すぎて、本当は私が選別したいのですが、その力はない。中には面白いのもありますから、出来た句全部を掲載します。(と書いたが、やはり多くなりすぎて、私が勝手に間引きした)

酩酊や 跳ぶ白樺に 涙を乗せ

白樺や 原生林に 酔い暮れて

酔いきたり 秋色荒野 汽車走る

なくがごと 白樺の群れ 揺れ動く

秋ロシア 太平楽の 汽車走る

シベリアの 冬が恋しい 平和人

人眠る 北シベリアに 早き秋

秋平和 越冬語るは 一等車

ウォッカに 頭脳目覚める 北の旅

ロシアなる 大地に似合う 樺の色

酔うほどに 秋の深まる バイカル湖

秋冷の シベリアに咲く 花ありて

望郷の シベリアの風 地平線

満月が みなもに映える ロシアの子

シベリアで みなもに映える 満月かな

夢列車 満月の下 ひた走る

シベリアに 墓標のごとき 白樺ぞ

シベリアに つかの間の秋 汽車走る

ウォッカに 酩酊の友 高笑い

ウラジオに 寺の名残ぞ 秋が往く

レーニンを 知らぬ子もいて 秋ロシア

秋のどか 北シベリアの 冬遠く

バイカルで 失せし命に 思い馳せ

バイカルに 凍てし命を いつくしむ

バイカルに 眠る御霊や 冬近し

凍てし海 荒ぶる風や 死者の声

白樺が 墓標に見える シベリア路

シベリアの 月を映して 河静か

黄金に 色づく樹々に 日の光

鱒売りや 冬に備えられ 駅に立つ

白樺の 森を引き裂く 朝日かな

シベリアの 落日雄々しく 胸を射る

錦秋の シベリア走る 鉄の音

秋暮れて いつまで続く へぼ碁かな

シベリアの 線路に落とす 秋の糞

 失礼しましたね。最後の句は説明がいる。要するにシベリア鉄道のトイレです。とても写真をお見せする気にはならない。綺麗に掃除されてはいるので撮影はしました。しかし、ちょっとね。要するに、抜けているのです。そのまま下に。一回弁があって止まり、その後水を流すと、やや角度を付けて線路に落ちる。とても貯めていては処理しきれないんでしょうね。とにかく7日間も走る。そのまま小にしろ、大にしろどすんと下に落ちる。

 それにしても、9日に乗ったからもう4日目。凄く飽きるのではないかと思っていたが、そうでもない。結構気分は変わる。景色も最初は山がなかったが、徐々に標高が高くなる中で出てきて、モンゴルの草原(結構山がある)のようになったり、また平原になったり。それにしても、「冬のシベリア」が見て見たい。

 それにしても酒を軽く飲みながら、つまり酩酊しながら開いた句会は面白かった。私は「酩酊」と「白樺の木(樹)の白」を詠みたがったが、むろん完成にはいたっていない。最初のが私の試作品です。句をずっとやっている市岡、降幡さんによれば、何でもまず作ってリファインすれば良いとのこと。俳句なんて作ったのは45年ぶりだ。

 上のかなりの数の句は、誰がどれを作ったとは書きません。一番数多く作ったのは、やはり降幡さんです。ナイス。


2011年09月11日(日曜日)

 (23:24)やっぱし、シベリア鉄道からの通信は不便です。大きな駅などで列車が停止しているときに、ドコモではMegaFonに、iphoneではBeelineに繋げることが多い。しかし情報は取れても発信は難しい。だからHPの更新は出来ない。

 多分、工夫して無理すれば出来る。しかし、しないことにした。それは、このまま繋げるとすると「従量制でどうぞ」というメッセージが出るからだ。ウラジオストックでは、バスの中でも「定額制でつながりました」とメッセージが出て重宝したのに。

 内陸に行くとそもそも日本のケイタイが繋がりにくくなり(現地の人たちのもそうだろうが)、そしてほとんどの期間において切れる。「圏外」表示です。そして通信業者を指定しておいても、それがしばしば自然に外れる。特にドコモの場合。「従量制でのパケット通信」は、後の請求が恐ろしい。

シベリアの夜明け  私は音声接続をあまりしなかったが、トライした人によると「向こうの声(日本)は聞こえるが、こちらの声は届いていない」「変な電話と思われて切られた」という話が多い。普通のケイタイ通話がそうだから、データ通信はもっと難しいと思う。

 列車が止まっているとき以上に、動いているときは繋がりが悪い。だから、駅ごとにさっと情報を仕入れて、「ああ、鉢呂経産大臣が辞めたのか」「野球の結果は?」と情報をチェックするわけである。この手の旅行ではいつも、私が唯一外部の情報をゲットできる人間なので、皆さんに「何が起きています」と報告する役割だ。やはり現地を見るのが第一なので、日本の情報は最小限に。

 退屈するだろうと思っていたが、結構そうではない。夕暮れに地平線に陽が沈むのを見たり、夜明けにもまた陽が昇るのを見る。何度かシャッターチャンスがあるから、それを待つ。夜はやることがなくなるので、狭い部屋に8人くらいが入って、酒を飲みながら馬鹿話だ。これが結構時間がたつ。

 ちょっと眠くなると寝る。1時間、2時間と。昼間寝ていられるのは、この列車のメリットだ。普段決してない時間の長さを寝ている。ナイス。常に揺れているのは、私はあまり気にしない。

 あと一晩寝て、そして夜まで移動して、やっとイルクーツクに着くが、それまでの時間の過ごし方はほぼ見通せた。もう一生乗ることはないだろうシベリア鉄道。ここは名残を惜しむ時間帯に入る。

 私たちの車両の直ぐ隣が食堂車だ。いつも来るメンバーは決まっている。オーストラリア人の夫婦と、我々と、そして若干のロシア人。他の人たちは何を食べているのだろう、と思う。きっと持ってきたモノを食べているのだ。我々も昼はウラジオストックで大量に買い込んだ、また日本から持ってきたモノを食べている。

 初日はウラジオストックの旅行社の社長(?)が差し入れてくれたカニだった。今日はカレーの予定だ。明日はラーメンか。持ってきたものを費消しないと鞄が重たいままだ。私は既にカットが入っているカステラを4本もってきたが、既に3本は費消した。この調子でいくと、イルクーツクに着く頃はかなり鞄が軽くなる。


2011年09月11日(日曜日)

 (08:24)ずっと窓から景色を見ていると、「でかいな」とか、「まだ人類は増えても収容する土地はあるじゃない」とか考えてしまう。来る前に読んだ本によれば、ロシアの面積は日本の45倍。永久凍土の場所があるにしても、でかい。車窓からそれが分かる。

 ほんとうに時々街があり、車が走っているのに出くわす。しかし、それ以外は行けども行けども草原、その中で主に白樺林が続く。極東地方で樹木が多く、シベリアの深部に行くほど木は少なくなるという特徴はあるが、総じて緩やかな起伏だ。ちょっとした山はあっても、要するに人っ子一人いない草原と林の連続である。

 こんだけでかいのに、人口は日本より2000万人ほど多いに過ぎない。しかも毎年70万人減っている、とフィナンシャル・タイムズに書いてあった。ということはそれほど遠くない将来に、日本の人口と等しくなる。日本も減っていますが、まだ数万のレベルだ。

 FTには、「ロシアは将来、国境警備も出来なくなる」と書いてあった。本当にそうなるかどうかは知らない。しかし大変な過去と現在を抱えた国であることは確かだ。ロシアを構成する一番大きな民族はスラブだ。しかしこれは、英語で言う「スレーブ」(奴隷)につながるとも言われる。民族の過去として、なかなか厳しい。

 ずっとヨーロッパの文化から遅れていた民族だった。その憂鬱と厳しい冬が音楽と素晴らしい文学を生んだのかもしれない。旅の終わりに行くサンクトペテルブルクは、エカテリーナ二世が「追いつきたい」という一心で作った帝政ロシアの都だと言われる。その位置も、モスクワよりヨーロッパに近い。

ロシアの大地に沈む夕陽。地平線に落ちる夕陽は、久しぶりでした  ロシアはナポレオンもヒットラーも最後は寄せ付けなかった。そのあまりもの大きさと、その大きな国土を移動している間に敵軍に必ず襲ってくる冬将軍が大敵だった。それしても、ヨーロッパの列強はなぜその強さの絶頂でロシアを攻め、そして失敗して没落するのか?

 冬将軍そのものは、ロシアの人々をも苦しめた。明後日到着するイルクーツクのバイカル湖では、赤軍の追跡を逃れて数千の元貴族などが僕(しもべ)や軍隊を連れ、総勢100万人以上で逃げたが、極寒のバイカル湖の上で、遮るものとてない強風(体温を奪う)と寒さで、25万人以上の人が湖上で死に、そのまま湖上で凍結し、そして春には解氷とともに湖底に沈んだと言われる。ロシア革命の時だ。その他の人も全滅だったと言われる。

 そういう意味では、「冬のロシア、冬のシベリアに来たかった」という気がする。きっと寒いんだろうな。風もあって。私も零下15度くらいまでは知っているが、それ以上は想像の世界だ。昔西麻布にあり、今は銀在にあるアイス・バーなどちょろいものだ。どうせ短時間しかいないから。

 ナポレオンもヒットラーも、正確にはどの辺まで侵攻したか知らない。どちらもロシアに大打撃を与えはしたものの、結局はこのでかい大地が持つ底知れぬ懐の深さと寒さに負けた。きっと南にいて想像するには、ロシアのでかさと寒さは限界を超えているのだと思う。机上の空論で作戦を立てても、そうはいかない。想定外の連続になる。なにせロシアはかなりの国土がまだ荒野なのだ。

 これだけでかい国土。その下には一杯いろいろなものが埋まっているような気がする。プーチンがウラジオストックに来たのは、天然ガスのパイプラインが通じたからだそうだ。まだまだ何かありそうだ。アラスカをアメリカに売ってしまったにしても、まだロシアは天然資源では豊かな国だ。

 しかしロシアを少し歩いただけだが、まだまだ貧しい国だと思う。何が足りないのかと考えたら、やはり工業だ。ロシアはいろいろ作れる。プーチンが日本からの輸入車に高い関税をかけたのも、自分が株を持っているかどうかに関係なく、ロシアにも乗用車メーカーはあるからだ。

 しかし、ガイドのビダリさんが言う。「新車なのに、日本の中古車に劣る。スタイルも良くない」と。それではロシアの人も、他国の人も買わない。恐らく日本でロシア製の車に乗っているのは、いたとして大使館の人ぐらいだろう。ドイツ車は山ほど走っている。

 なぜロシアでは工業が駄目なのか。超大国の一翼を担って核や宇宙では世界を席巻したのに。ここからは私の推論だ。多分、一つには極寒のロシアでは、スペックを他の国とは変えなければならないからではないか。よく落ちるボンバルについて言われるのは、「カナダという寒い土地で作られるこの航空会社の飛行機は、温かいところで使うとどこか狂う」ということだ。

 今私が乗っているシベリア鉄道の車両にしても、「こんなにでかく重くしなくても」と思う。冬の雪を想定しているのかも知れないが、フロアが高いところにあるような気がする。極寒のロシアでは必要なのだろう。しかしこのスペックでは世界には売れない。そんな地理的理由によるスペックの違いが、一つ思い浮かぶ。

 加えて寒さが人間の活動に与える影響だ。あまり寒いと人間は外に出なくなり、労働意欲は失われる。「酒でも飲んだ方が良い」となるのではないか。これは想像だが、寒い地方では家族が集まり、酒を飲んだり、お茶を飲む習慣がある。寒さ故の死と隣り合わせの世界では、ある意味刹那的になるのではないか。それにしても、「ロシア」から工業製品が想起されないのは、この国の先行きを懸念される。

 ロシアには奇妙なところがある。時差が11もある。腕時計を合わせるのが大変だ。GPSケイタイはその点便利だ。中国があれだけでかいのに時差なしもおかしいが、11もあるのは凄い。

 凄いはいいが、なんと東京とイルクーツクが同じ時差域に入るのだ。だからシベリア鉄道で移動していても、夜明けは凄く遅く、よって夕暮れも遅い。10日にロシアの大地に沈む太陽を撮影したのは午後7時49分だった。夜を短くしたかったのか。

 もう一つ面白いのは、ロシアでは駅舎や鉄道の中の時計が、すべてモスクワ時間になっていることだ。だから10日の夕食は、列車の中の時計では午後1時ごろに摂った。凄い話だ。運転上そうした方が良いのだろうが、これも「おつりの計算が我々とは違う人たちの発想」なのかもしれない。

 ま、これだけでかくて北にあれば、なかなか異なる常識を持っている人であることは分かる。前提が違うのだから、話をしなければ多分お互いに分からない。そういう気がする。


2011年09月10日(土曜日)

 (11:24)ずっと列車の中。喋ったり食べたり。それでも時間が余るから、文章を書き貯めることにする。

 二人一部屋であることは既に書いた。入り口から右と左にベッドがある。一つのそれは私には十分だが、ちょっと体の大きい人には厳しいかも知れない。トイレは一車両の両サイドに各1。堅牢だが、古い作りをしている。トイレットペーパーはあるか、ないか。だから日本から少し持ってきた。

たまたま寄ったホテルで行われいた大きな経済会議の会場前で、キャラクターと  一番の悩みは乗客用のシャワーがないことだ。一車両に一人の車掌さん(女性)がいて、彼女らのためにはシャワーがあるが、「だいじょうぶかいな」という代物。ま、タオルを水で濡らして体を拭いてしのぎ、本当に困ったら使わせてもらうことにする。

 列車の中の温度は、まだ9月の前半ということもあるのだろうが、温かい。特に陽の光がある時には。だから、コンパートメントの中では短パンとTシャツで過ごしている。しかし夜はちょっと寒い。上に一枚が必要だ。我々の車両の隣が食堂車で、コンパートメントからは列車の進行方向から見て右側(モスクは行きだからか)しか見れないが、食堂車では両サイドの窓が見える。ナイス。

乗車前の最後のレストランで出てきた大きなカニ。味はまずまずだった  予想に反して、全10人が一同に会することができる場所がないので、”ご講義”を開催する場所がないので、予定をどうするのかこれから考える。心配していた充電施設は、一車両に3箇所あって、これはなかなか便利。充電は問題ない。

 問題があるのは、予想通り通信だ。ウラジオストックではバスの中でもL05Aで定額通信がつながったが、列車の中ではこれが機能しなかった。まあでもこんなもんでしょう。お湯はいつでも出てくる設備がある。

 それにしても、なぜロシア人というのはなぜそろいもそろって「俺は.....に不満なんだ」という顔をしているのだろうか。私の印象かも知れないが、特に男性の顔は暗い。若い女性には精気があるような気がする。今でもロシアの男性の平均寿命は58歳だ。それと男性の顔の暗さには関係があるような気がする。

 ハバロフスクに着いた。「30分の停車」というので、皆で外に出る。綺麗な駅だ。本当に綺麗だ。西に行けばもっと綺麗な駅が多くなるのだろうか。


2011年09月10日(土曜日)

 (05:24)朝5時少し前に目が醒めた。ずっと移動している。昨夜の午後10時過ぎのウラジオストック発から。ゆっくりした揺れの中で。前後にも、左右にも、そして斜めにも、時々素早く、時にゆったりと常に揺れている。重層的な揺れ。日本では経験しない。

ウラジオストックは車が多すぎる。9割が中古の日本車  窓の外を見れば、満天の星だ。一緒に目をさました久井さんが、「今オリオン座が見えました」と教えてくれた。彼は登山家・写真家だ。今年の11月には登頂ではないが、チョモランマの近くの5000数百メートルの山に挑戦する。

 時々日本から持って来たケイタイの一つ(ドコモ)の受信針が三本になり、そしてそのほんの少し後には「圏外」と出る。今どの辺を走っているのか、皆目検討がつかない。

 それにしても、何だろうこの移動体は。はっきり言って鈍重な印象がする。走り方から、トイレのドアまで。しかし基本的には移動している。自らの車体を大地に食い込ませながら。そして、途中の駅だろうか、人を下ろすわけでもなく止まり、そしてまた移動する。隣のコンパートメントの市岡さんや降幡さんのいびきが聞こえる。

 日本の新幹線に乗っていても、地に食い込みながら移動している、という感覚はある。抵抗があって初めて列車は前に進む。しかし新幹線の場合、それは時にミズスマシのようだ。速い。音もシュー・・・・という音だ。しかしこの列車は、あくまでゴー・・・・ゴットン、ゴトンだ。決してスマートではない。

 大きな虫が、自らの重さを大地に知らせしめるかのようにゆっくり加速し、暫く走り、そして減速する。その繰り返しだ。この列車はスピードを上げても、決して大地から離れることなく、車輪を線路に食い込ませながら。余計な心配だが、保線は大変だろう。日本の新幹線、特に東京ー大阪間は時に大地から浮遊したような印象を受けるときがあるが、この電車にはそういうことは決してない。

 動力は電気だ。この電車と、ほぼ四日間の付き合いになる。部屋は二人部屋。ウラジオストックから終点のモスクワまでは7日間ののりっぱらしい。それはかなわん。私たちはイルクーツクで降りる。それでも3泊4日の移動だ。

 総勢9人。加えて、ずっと同行してくれる稲村さん。去年のチベット、その前のブータンも彼女が案内してくれた。そしてウラジオストックから現地の案内をしてくれているビダリさん。彼は樺太の出身だ。

ウラジオストックのスーパーは、特に食材に限ると非常に豊富だった。他は貧しいが、食べるものは豊。これは驚きだった。  時間はたっぷりある。昨晩の乗車前の夕食会では、小谷野さんが江戸時代に時化で伊勢から樺太に流され(それも数ヶ月にわたって)、その後130両ほどのお金を持っていたために”大商人”と間違われたこともあり、また本人の能力や資質をロシアの人々に認められてエカテリーナ2世に謁見した大黒屋の話は面白かったな。

 彼は日本に戻ってきた。鎖国の江戸時代に。スパイとして疑われながらも、一途に望郷の念で帰ってきた彼に、幕府は「苦労したな」ということで毎月3両の生活費を支給したという。この話が40分。また食事をして次に私が、関西からの重鎮もいたが「カウンターから日本が見える」のさわりを15分ほど。

 繰り返すが、時間はたっぷりある。こうしてメンバーが一人一人お話をしていく、ということを車中でも計画している。ははは。私の次の講話の題材は、「円」です。まだ明るくならない。夜明けが楽しみだ。

 それにしても、ウラジオストックのデパートではその古色蒼然ぶりに驚いたが、列車に乗り込む前に買い込みに立ち寄ったスーパーの食材の多さには驚いた。ロシアの人々の「食べること」への熱意を感じた。ロシアの食事は、決して特においしいとも思わないが、今回これまでの数回の食事は、予想よりは良い。

 かつての共産圏の「ほとんど物がない店」を知っている私からすれば、「ロシアもこんなにモノが溢れる、特に食材が溢れる国になったのか」という印象がする。

 日本のきらきら光る食材に慣れた人間には、全体に「ちょっとくすんでいる」印象はする。しかし、ロシアでは収穫できないような果物から、「ロシアの大地そのものから生まれたもの」(肉やジャガイモ)までが、ヤマのように並んでいる。国民一人あたりのGDPは、まだ日本の四分の一くらいだろうか。しかしロシアは確実に豊になりつつあるように見える。

 書いても今すぐネットにアップできないので、文章を貯める。車中で「定額ネットサービス」をトライしてみたが、「接続先を変えろ」「従量にしろ」とかうるさい。次に送れるのはハバロフスクの停車時、それともイルクーツクのホテル。ま、時間はたっぷりある。


2011年09月09日(金曜日)

 (23:24)何に一番驚いたかって、「プーチンがロシアで一番大きな国産自動車会社の株主」ってやつかな。で彼は、ウラジオストック経由でロシアに流れていた日本車(中古車)に高率な関税をかけて、ロシア製の車の販売を促進しようとした。

こんな冗談の通じる方々と一緒です  仕事が干上がったのがウラジオストックの連中です。一大産業だった。二回スト・デモを平和裏にやった。三回目はプーチンが「いかん」と。しかも現地(ウラジオストック)の警察はなぜ住民が怒っているのか分かっているので何もしない。

 それが分かったプーチンはモスクワの警察部隊を連れてきて、徹底的にこの三回目のデモ・ストを取り締まった。その結果は、「多分ウラジオストックの人間は、ロシアのどの都市の人たちよりも”プーチン嫌い”になった」(現地の人の言)という結末。国家の最重要人物が、国の大企業の株を持ち、その業績に寄与することを平気でする。凄いですね。

ウラジオストックはそうは言ってもかつて軍港だった  言ってみれば、これは世界のレベルでは途上国です。で実際に、かなりの部分で「ロシアはまだ途上国だ」と思える。ホテルの風呂の水が濁ること、石鹸などが臭うこと、道が土埃だらけなこと。信号の数が少ないのも途上国です。駐車の仕方も凄い、というか酷い。交通ルールはないに等しい。人々の着ているものも貧しいかな。国営のデパートを見たが、依然の中国のそれのような売り場の作りをしていた。

 しかし車の数は先進国です。凄い数。凄まじい数の日本車、特にトヨタ車が街を走っている。以前は「99%は日本の車」だったらしい。しかしプーチンが関税を高くしたので、今は「90%が日本車」という状況らしい。当地は右側通行だが、日本車がそのまま入ってきているので、ハンドルは大部分が右です。

結婚式の花嫁  街には酔っぱらいがけっこういる。お乞食さんも。しかしこの町の特徴かも知れないが、若い人が多い。まだ若い街で、坂が多いのでそのうち良い年になるのかも知れないが、今はまだまだという感じの街です。

 「ウラジオストック」はロシア語で、「東方を征服せよ」という意味らしい。1862年とかに作られているので、本当に若い街、ロシア帝国の「東進運動」の先頭に立った街です。いろいろ見ている。国営デパート。ドイツの艦船を14隻沈めたロシアの潜水艦。切符が無くても駅舎に入れるので、ウラジオストック駅にも。ロシア人の結婚式にも出会ったな。


2011年09月08日(木曜日)

 (23:24)成田を午後4時前のフライト(ウラジオストック航空便)で飛び立って、時差二時間を入れてウラジオストックに着いたのが午後9時前でしたかね。しかしそこからが長かった。ホテルに着いたのは午後11時半だった。通常は1時間で空港からホテルに着くはずなのに。倍以上かかった。

夕闇に包まれたウラジオストック空港  市内が大渋滞だったのです。理由がありました。プーチンが今日からウラジオストックに来ていて、天然ガスのパイプラインが当地まで開通したことを祝う祝賀行事がコンサートを含めて行われていたらしいのです。

 「ロシアで交通渋滞が起きるのは、モスクワとウラジオストックくらい」(現地のガイドさん)といわれる車の多いこの街で、中心部の2路線が通行止めになったらしい。「通行止め」の発表があったのが二日前。で突入してみたら、やっぱり大渋滞ということらしい。

 冗談でみんな(総勢10人)で「Russian Puzzle」とか言ってふざけていましたが、徐々にお腹は減るしで.....。何せ表が駄目なので裏に回ったのですが、狭い道に対向車が一杯、こっちからも一杯、そして交差点は信号もなくスタック状態。昔こういう状態をニューヨークではなんと言っていたかな、なんて思い出していました。

 とにかく、運転手さんが席から降りて、彼方此方に行って「こっちに移動しろ、あっちに行け」と忙しく動き、それに補助の人が周りを説得しまくってやっとホテルに着いた状態。「プーチンは人気なの」とそのガイドに聴いたら、「そんなことないですよ」と彼。まあ、ウラジオストックの街をこれほどの交通渋滞に巻き込むようでは、市民の評判は落ちる、と納得。

 実は空港に到着したのが夕刻時もすっかり夜のとばりに接近していた頃で、街は車のフロントライトの中でしか見ていない。全体に暗いのです。節電中の東京より。しかし幾つかの事が分かった。

  1. 街中いたるところで工事をしているので、凄くほこりっぽい。車がみな土埃に塗れている
  2. つい最近読んだ案内には、「人口60万」とあったが、今日ガイドさんに聴いたら「人口80万人」と。つまりウラジオストックは急膨張している
  3. 市の中心部に入る手前のところに、建設中だが光り輝くマンションが建設中だったりして、街の景観が大きく変わりつつある
  4. 坂が多いということから(街全体が坂道になっている)は、サンフランシスコに似ていなくもないが、それだけの落ち着きと美しさはない
だって真ん前から車が来るのが分かるでしょう。おかしい  といった印象でしょうか。空港もシャビーだし、もう街の中の駐車マナーと言ったら、驚き桃の木。そもそも信号が少なすぎる。車の量にしては。もうマナーもあったものではない。しかし中国人の運転よりは落ち着いている。渋滞しても、誰もいらいらしていない。どいてもらってこちらが手を振ると、ニコッと笑顔を返してくる、という状況。

 そうそう、知りませんでしたがウラジオストックは来年のAPECの会場だそうです。それで街中が工事だらけになっている。APECってそんなに準備が要りましたっけ。その時の日本の首相は誰でしょうかね。

 ま、明日は少し市内観光しますから、日本(と言っても成田からで、新潟からだと1時間ちょっとです)から飛行機で2時間ちょっとのこの街の印象を記したい思います。ただし、明日の夜10時にはシベリア鉄道に乗りますから、無線LANが飛んでいるわけでもない、電源が一車両一つしかないような鉄道ですから、4日ほど後のイルクーツクのホテルまでは、音信不通になる可能性大です。

 二つほど注意されました。一つ「治安は悪い」と。貴重品は肌身離さず。次に「パスポートは列車のコンパートメントを離れるときでも携行せよ」と。ロシアの人々も、常にパスポートは持って歩いていると。ただし、チベットのように「警察官にカメラを向けるな」なんてのはなかった。

 それでは皆さん、その時まで。


2011年09月07日(水曜日)

 (20:24)朝7時前の新幹線に新大阪で乗り、9時半頃東京に着いて、そのまま大手町の日経の本社に。楽しみにしていた人とのインタビューの為です。好評だった昨年の『「NIKKEI特集 ルフトハンザ ドイツ航空presents 伊藤洋一のReal Europe」』の続編として『「NIKKEI特集 ルフトハンザ ドイツ航空presents 伊藤洋一のLive Europe」』が間もなく紙面、ポッドキャストなどで始まるのですが、その第一回収録のためでした。

 インタビューのお相手は千住真理子さん。千住さんとは2007年の12月12日にお会いしていて、その時は彼女のストラディバリウスでの演奏をわずか3メートルしか離れていないところで聞くことがきたのですが、それ以来。その時、少しお話もしました。ですから「お久しぶり」という感じ。

 聞き役の私がドキドキするほどの今日のインタビューでしたから、是非皆さんにも聞いて頂きたい、読んで頂きたいと思っているのですが、ちょっと中味を紹介すると(全編公開時にはまた告知しますが)

  1. 千住さんが持っている音楽への、そしてそれを育んだヨーロッパへの思い
  2. 特に彼女が大好きなプラハという街の印象(「街が音楽を奏でているみたい」と千住さん)
  3. 欧州の観客と日本の観客がホールで放つ”空気”の違いと、その”空気”に動かされ、時にそれを動かし溶かす醍醐味
  4. 特に自分が手に入れたストラディバリウスである「デュランティ」との出会いの際に受けた強い、そして表現しがたい衝撃(お母様ともどもだそうです)
  5. 常日頃その名器にかけている時間とケアの大変さ(毎朝起きて数時間は”バイオリン筋肉”を落とさないために演奏されるそうです)
  6. そして今でも音色を少しずつ変えるストラディバリウスの不可思議な力
  7. それを一人で作り続けたアントニオ・ストラディバリ(1644年 - 1737年12月18日)という人への思いと、彼への驚嘆の言葉
 などなど、実に息をのむほど自分としても入り込めたインタビューでした。いやあ、今思い出してもドキドキする。写真はインタビューを終えたあとでの一コマ。今思い出すと、2007年のその時聞いたのは
  1. G線上のアリア(J.S.バッハ)
  2. 主よ、人の望みの喜びよ(同)
  3. 愛の挨拶(エルガー)
  4. 夜想曲 第二番(ショパン)
  5. ツィゴイネルワイゼン(サラサーテ)
 の5曲でしたが、それは『やっと「デュランティ」と名付けられたストラディバリウスが自分の思い通りの音を出し始めた頃』(千住さん)とのことでした。彼女がこの名器と対峙し、自分の思うとおりの音を出すのに5年かかったと。

 千住さんは今日本中を飛び回っている。「今は本当に海外の演奏家が来ない」と嘆いていらっしゃったのが印象的でした。千住さんは10月26日に「日本のうた」というCDを出されます。千住さんが今まで演奏してきた音楽は、そのほとんどがヨーロッパ。

 しかし3.11への思いもあり、「素晴らしい日本のうたを演奏したい」とのことで、お兄様の千住明さん(作曲家)の監修で「荒城の月」「浜辺の歌」「夕焼け小焼け」などが聞ける。「千住真理子が奏でる「デュランティ」での「日本のうた」というわけです。その後千住さんは11月16日には「アべェ・マリア」を新譜として出されます。

 コンサートも大きな予定があります。来年の2月22日午後7時から、東京オペラシティコンサートホールでワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団との、「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」(チャイコフスキー)、『交響曲第九番「新世界より」』(ドヴォルザーク)などを手がけるそうです。是非行きたいと思います。

 ところで、番組の紹介です。私自身は明日からロシアに行ってしまいますから、実際にその時に体を持って行かねばならない番組はお休みです。しかし事前に収録できるものは、予定通りの放送です。

 具体的には、明日8日の夜10時BSジャパンの「地球アステク」は、私にとって念願だったスーパーコンピューターを扱います。スパコンについては、今年は日本の「京」が世界一(演算速度毎秒8126兆回)になって大きな話題になりましたが、今回は「地球シミュレータ」を取材対象としました。

 この世界的に有名なスパコンは、2002年からほぼ2年半に渡って世界一でした。今は単純演算速度では64位。しかし重要なのは、「地球シミュレータ」は特定の目的を与えた実効演算速度では、今でも世界一、二を争う能力を依然として持つと言うこと。2009年にそれまでのシステムが古くなったので、完全バージョンアップ。私たちはそれを見せて頂きました。

 普段入れないところまで入れて頂き、この輝けるスパコンのいろいろな機能を見せて頂きました。「地球シミュレータ」ですから、例えば世界的な気象情報や温暖化に関する気温変動(産業革命以前と比較しての)など「地球」に関わる演算をしているのですが、その他にも産業用の演算(飛行機の翼計算、新薬開発、タイヤの性能アップなどなど)もいっぱいしている。

 膨大なデータを3Dで表現することのできる「ブレイブ」も面白いですよ。もちろん気候変動に加えて産業面での応用事例など様々なシミュレート映像もお見せします。

 伊藤 洋一のRoundup World Nowは、ロシアからの放送も考えましたが、ここは人気の二人とのインタビューを組みました。私のニュース解説がなくなりますが、お馴染みの二人の方の素晴らしいお話をお楽しみ下さい。


2011年09月06日(火曜日)

 (23:24)今日読んだ記事では、実現性はともかくニューヨーク・タイムズ「Europeans Talk of Sharp Change in Fiscal Affairs」という記事が一番面白かった。

 そうなんですよ。今のEUを解体しないとしたら、その方向性しかない。つまり、通貨と金融での統合ばかりでなく、”財政”でも”統合”を目指す方向です。以前から指摘されていたことです。

 しかし、複雑な民族、国家意識の衝突がありますから、国内政治と一番密接に関連している財政に関しては、これまでEUの首脳もあえてこれを目指す発言を表だってはしてこなかった。なぜなら、”財政”でも統合を目指すとなると、各国の国内勢力から「EU反対論」が噴出するからです。

 自分達が選んだ政府に対しても、ギリシャやイタリア、それにスペインの若者達は、「俺たちはそんな条件は飲めない」とデモ、ストを繰り返している。「a central financial authority」(下の文章に出てきます)から、ああせい、こうせいと言われて、彼らが例えば「福祉切り下げ」に同意するとは思えない。

 加えて、これまでの経緯があるだけに新しい考え方の方向で直ぐに事態が(各国の政治家が)動くかどうかは不明だ。しかし、私は個人的には方向性は「これしかない」と思う。EUを解体するのでなければ。無論、各国でのEU条約の改正が国民投票にかけられた時には、非常に多くの問題が発生するでしょう。この記事で一番のポイントは、

The idea is to create a central financial authority-with powers in areas like taxation, bond issuance and budget approval-that could eventually turn the euro zone into something resembling a United States of Europe.
 です。「a United States of Europe」(欧州合衆国)ね。アメリカの初期13州が、分散していた権限(財政を含めて)を徐々に合衆国に収斂させていくプロセスを検討しているという。随分昔のことですが、それくらいしか前例がないということでしょう。

 正直言ってかなり難しいと思いますよ。しかし今の欧州が危機に立つことだけは確かであり、危機の深刻さが事態を動かす可能性がある。それは、「統合か」それとも「分離か」。今の欧州は明らかにその岐路に立っている。

 危機のEU、それに伴うユーロ安の衝撃を受けているのは、永世中立が国是でユーロという統合通貨にも参加せずに単独通貨(フラン)を維持しているものの、激しいユーロへの値上がり圧力に直面するスイスです。日本と同じ悩みを抱えている。そのスイスが

The Swiss National Bank set a limit on how far it will let the Swiss franc rise against the euro, the bank's most aggressive attempt yet to rein in the soaring currency.

The SNB said it would buy euros in "unlimited quantities" should the single currency fall below 1.20 francs, setting the stage for what could be a long battle by the bank to defend its action in the face of surging concerns about debt problems in the euro zone and the U.S.

 という方針を明らかにした。「buy euros in "unlimited quantities"」(無制限ユーロ買い=自国通貨フランの売り)というのが凄まじい。1ユーロが1.2フランを下回るようなユーロ安フラン高の事態に対しては、無制限にユーロを買い支え、自国通貨フランを売る、つまり人工的にフラン高阻止の状況を作り出す、というのです。

 日本のケースに当てはめてみると、例えば「70円以上の円高は絶対許さない。このラインを徹底介入ポイントにする」という方針です。無制限にドルを買い、円を売る。外貨準備がメチャ増える。それでもやる、という方針。日本での円高被害と同様に、フラン高でスイスの輸出産業が被っている打撃は大きい。

 スイスは日本と同じように自国通貨高に激しく悩んでいる。「これは大きなデフレ圧力だ」とスイス国立銀行。G7の直前にこれを打ち出したことに、この欧州の山間の、しかし世界から尊敬を集める国の決意が感じられる。

 しかし直ぐ思い出すのは、1992年のポンド危機です。このときもイギリス政府は、一定レベル(忘れましたが)以上へのポンド安を許さないとして徹底介入を宣言した。しかしジョージ・ソロスを先頭とする投機筋(呼び方には異論があるが)の攻撃に最後はポンドの下落容認に立場を変えさせられた。ある晩の、ある時点でポンドの下落を許したのです。その時の激しい値動きは、今でもよく覚えている。

 問題は二つ。スイスが結局は市場から押し切られた場合はどうなるのか、そして日本はその種のことが出来るのか、というものです。タバコを値上げする云々ではなく、もっと根源的なこうした問題を野田政権には考えて欲しいのですが、どうもそこまでは考えていない様子。

 スイスの決意発表は、フランを10%ほど対ユーロで下げた。そのおかげで、日本円は米ドルに対して1円ほど円安に動き、今は77円台の半ば。スイスは小国だからそれが出来ている面がある。日本が同じ事をやるには、相当大きな覚悟と根回しが必要です。


2011年09月05日(月曜日)

 (23:24)ちょうど時間が空いていたので、夕方 の「なでしこ」の対オーストラリア戦を 見ましたが、まだ本来のらしさは見ら れなかったような気がしました。それでも勝つのだから、強い。

 ワールドカップ優勝から一ヶ月。「この間に体調をちょっと崩す選手もいた」 と佐々木監督が述べているとおり、多分各選手にとっては「嬉しい過密スケ ジュール」が続いたと思います。そりゃ、体調はおかしくなる。

 テレビの番組なんて、待たされることが多い。加えて、自分の事を聞かれるの ならまだしも、「あの選手はどうですか」と。そりゃ、気を遣います よ。多分 彼女らは、この一ヶ月の間「気疲れ」したと思う。

 ところで、いろいろな方から「ロシア情報」「ロシアの思い出」などをメールやSNSで頂いています。矢津さんという方から、以下のようなメールを頂きました。  

伊籐様

今度はロシアに行かれるとのこと、レポートを楽しみにしております。
私は旧ソ連時代を含め数回ロシア(モスクワ)とウクライナ(キエフ)に行きま
した。もう一昔前になりますので相当変化しているのではと思います。

飲み物・食べ物で思い出に残っているのは、何よりもウオッカとチーズとキャビ
アです。最初の訪問時はモスクワ−キエフは汽車で移動しました。乗るとコン
パートメントの壁一面に様々な種類のウオッカが並んでいてビックリ。美人の随
行員(共産党員の監視役)が準備してくれたものです。ウオッカでは赤唐辛子を
浸した真っ赤なウオッカがおいしかったことを覚えています。ロシア人に言わせ
ると最も効く風邪薬でもあるとのこと。彼らはウオッカを飲むときは必ずチーズ
をつまみにします。私は今でも焼酎のつまみはチーズです。

キエフではドニエプル川に、訪問した研究所所有のヨット(と言っても実は砕氷
船を改造した大型船)に乗り、中州でパーティを楽しみましたが、旧ソ連時代は
キャビアが振る舞われましたが、ソ連崩壊後はお金が無くキャビアは消えていま
した。

また、モスクワで有名なレストランに行くと、食事が出てくるまでに2時間かか
りました。当時はこれが当たり前でした。「サービス」とか「おもてなし」とい
う概念が存在しない社会だったのです。

 シベリア鉄道の食事は、「ウオッカとチーズとキャビア」とはいきそうもありません。カップヌードルを大量に持って行きます。「食事が出てくるまでに2時間」はちょっと勘弁ですね。もうそれはないでしょうが。

 メールありがとうございました。楽しみです。何が起きるか。


2011年09月04日(日曜日)

 (23:24)「ルックスはこの通りだから、支持率はなかなか上がらないと思います」とは野田新首相の代表戦での言葉。いやいやどうしての今週末での相次ぐ高支持率発表です。

 社によって違いはある。しかし直近の菅首相の最後の時(10%台の後半)から50パーセンテージポイント近く上がっている調査もある。菅前首相が”金魚”だとは思いませんが、野田さんが本人の言うとおり”どじょう”だとすると、国民が「いよ、待ってました」の首相という感じの率が出ている。一部の人には案外の出来事でしょうが。

 各新聞社の調査で違いがあるのですが、「自民党支持者の中でも高い野田支持率」とあったり、「むしろ野党にとって頭痛の種」「民主党、土壇場の支持率急回復」という記事もある。国民は、二人の「踊る、そして踊らされた首相」の後だけに、「泥まみれになって仕事をする」と言っている内閣にとりあえず「やってごらん」と言っているように見える。

 もっとも「60%台の支持率」は、私の記憶では菅前首相の2回のスタート時もそうだった。菅さんはその後「めざましい支持率の低下」に見舞われた。以前書いたように「テーマ替え」をする度に、国民は菅さんへの支持を下げた。またか、と。

 野田政権は、少なくとも「高い旗印」は掲げていない。オバマ政権からは、「普天間を何とかやってくれ」と言われているようだが、簡単な約束はしていない。そういう意味では堅実なスタートです。

 関門はいくつもあります。自分が選んだ閣僚のスキャンダルなど。怪しい人が何人もいる。それに何せ「綱領」のない政党ですから、どんな発言をする人が出てくるか予想が付かない部分がある。ただし、私は前の二人のように「俺は出来る」という雰囲気を振りまかない分だけ、野田首相には土俵が広い感じがする。

 ところで、今日は昼間久しぶりに結婚式でした。確かここ4〜5年はなかった。以前もその兆しがあったのですが、「随分と変わったな」と思いました。良いことです。むろん仲人の挨拶などなし。新郎側の仕事関係の人が主賓として喋って、もう私の乾杯の音頭ですから。式も簡略化されている。

 イントロと最後にVTRがあって、これが面白かった。式場がこちらを売りにしているのが分かる。特に式の最後にもうこの日の午前中の挙式(教会)でのシーンがつい2時間前のことなのに映し出された。しかもよく編集されているのです。

 料理云々よりも、映像の方が記憶に残った結婚式で、なかなかいいと思いました。


2011年09月03日(土曜日)

 (11:24)7日の仕上がり・著者送りだと思っていたら、私の新しい本です3日の朝に10冊だけ私の新しい本「ほんとうはすごい 日本の産業力」(PHP出版)が到着しましたので、サイトでは紹介します。一般書店店頭売りは確か14日からですが、サイト(下に例示)では既に予約が始まっています。

 今回は基本的には本屋ペースの本作りとしましたので、実は自分の本でありながら装丁も初めて見ました。三菱のリージョナル・ジェットであるMRJを使っている。日本はなんだかんだといって、既存産業のどこでどこに負けたとかいう話が中心になる。しかしそんなことばかりを言っていても仕方がない。

 産業構造は変わるのです。それはテクノロジーが変わるし、時代のニーズも変わるからです。いつまでも「既存産業で負けそうだ」という話をしていてもしょうがないと思うわけです。過去に拘泥していたら新しい時代に移行することが出来ない。

 そういう問題意識を持ちながら今回の本は書きました。日本が本当に産業力で劣っていたら、今のように円高が続く訳がない。円高がいいとは言いません。しかしその背景には基本的には強い日本があり、日本は今後の成長のために、そして国民のwell-bing のためにその拡大しつつある産業力を使うことが出来る、と思います。

まず10冊届きました  今回の本では、「新聞やネットの活用法」にも力を入れました。要するに「情報を読み取る技術」というものです。私がそれに特に秀でているとは言いません。ただし長くその仕事に携わってきたことは確かで、それが出来ないと自分の考えをまとめることが出来ない。

 そういう意味では皆様のお役に立つ本かと思います。参考までにこの本を予約できるサイトを紹介すると

  1. Amazonのサイト
  2. セブンネットショッピング
  3. 紀伊国屋
 です。


2011年09月02日(金曜日)

 (14:24)“シベリア・サンクト行き”がいよいよ一週間後に迫ったので、そろそろややこしい問題から解決しておこうと思って、二つの携帯電話会社の支店で相談してきました。

 去年のチベットでは、旅行中一回もHPの更新をしなかった。ま、いろいろ問題がありましたから。で今回もそういう事態になるかな、と危惧しているのですが(なにしろかなりの部分鉄道移動ですから)、それでも何が出来るかをチェックしようと思って。今の私にとって海外で一番気になるのは、通信状態です。

 まずドコモへ。意外な発見がありました。データ通信に関して。それは、元々LO5に入っていたシムカードをバッファローの3Gwifi(ポケットwifi)に入れてルーターとして使っているのですが、後者はもともと海外ローミングの機能がないことが分かった。しかし、もう使っていない「L05」がドコモのWORLD WINGの対象であることが分かったのです。ハードは家に残っていた。

 つまりシムカードをまた入れ替えれば良い。PCサイドの設定が必要ですが、これが定額の範囲内で使えたら、それはそれで素晴らしい。繋げる先は「MegaFon」というロシアの全国的な携帯電話会社らしい。ここにつなげば、海外でも定額で通信できそう。音声通信は、どこでも問題ないでしょう。契約通りです。

 次にソフトバンクに行って、改めて契約環境をチェック。ケイタイ(スマート)には訪問地に到着すると、「どの携帯電話会社に繋げ」と支持が来るのですが、一応備忘の為にここに残しておきます。

  1. 「設定」→「一般」→「ネットワーク」で、まず「データローミグ」をoff
  2. 「設定」→「キャリア」で、「VimpelCom」を選択
  3. その上で、「設定」→「一般」→「ネットワーク」で「データローミグ」をon
 という手順のようです。一時はまたインマルサットかと思ったが、去年は持って行ったきり全く使わなかった。通信状態は良かった。HPを更新しなかったのは、その他の理由です。

 今回の旅は、成田からウラジオストク航空でウラジオストクに飛び、翌日にそこから3泊4日のシベリア鉄道の旅を行い(ほとんど移動と聞きました)、イルクーツクで下車して2〜3日滞在して、今度はアエロフロートでサンクトペテルブルク(帝政ロシアの首都)に行ってちょっとゆっくりして、その後ウラジオに戻り、その後東京へ、という道程。

 ロシアは全く初めてです。食事はまずいらしい。聞いたところ。口の悪い友達は、「最近、メシのまずいところにばっかし行っていない」と。まあそうなんですよ。モンゴル、ブータン、チベットなどなど。足回りの良い、食事が美味しいところはいつでも行けますから。

 昨年は青海チベット鉄道でしたが、あとシベリア鉄道に乗ればもう長い列車はいいかな、と。乗りたい列車はいっぱいありますが。ですから楽しみです。あとサンクトペテルブルクも楽しそう。めったに旅行先を調べることをしない私ですが、今回はちと調べて行こうかな、と思っています。今回は、9人の楽しそうな方々との旅行です。


2011年09月01日(木曜日)

 (09:24)エッセイが二つ同時に公開されましたので、紹介します。

 一つは存在感増すブラジル経済【4】ハイパーインフレからどう脱出したかです。いよいよブラジル特集も佳境に入ってきました。

 次に金融そもそも講座です。”世界銀行”の可能性に触れてきましたが、なかなか難しいという話です。

 あと今日からの番組を紹介すると、

  1. 東京FM タイムライン(今日午後6時45分)
  2. 「空間構造システムで日本牽引」 地球アステク
  3. TBSラジオ 森本毅郎スタンバイ(金曜日午前7時から8時までの出番)
  4. ラジオ日経 伊藤 洋一のRoundpu World Now(金曜日午後10時45分から)
 来週の火曜日には朝と晩に大阪のテレビ局(朝日放送関西テレビ)でそれぞれニュース番組があります。


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