2013年01月31日(木曜日)

 (05:20)そりゃ発表されたばかりの米第四・四半期のGDPがマイナス0.1%の伸びとなる中では、「この表現に落ち着くよな」という感じのFOMC声明でした。

 「Information received since the Federal Open Market Committee met in December suggests that growth in economic activity paused in recent months, in large part because of weather-related disruptions and other transitory factors. 」とのっけから。最後の「other transitory factors」の中にGDPをマイナスにした政府支出の大幅減が入っているのかどうか。

 しかしそれ以外、具体的には超金融緩和に反対した委員の名前と論理が代わった以外は、前回12月のそれと非常にアイデンティカルな声明を発表してFOMCは閉幕しました。なにせ声明発表後のバーナンキの記者会見もなく、「バーナンキは記者会見が予定されている回に重大発表をする傾向がある」と言われている中では、もともと「新機軸」の表明はないと見られていて、その通りだったということです。

 例の「at least as long as the unemployment rate remains above 6-1/2 percent, inflation between one and two years ahead is projected to be no more than a half percentage point above the Committee’s 2 percent longer-run goal, and longer-term inflation expectations continue to be well anchored」は当然ながらそのまま、月間850億ドルの債券買いのオペレーションの維持もそのまま。

 米景気は「paused」(停滞した)と判断しながら、前回12月の声明と一番変わったバラグラフである第二でFOMCは「economic growth will proceed at a moderate pace and the unemployment rate will gradually decline toward levels the Committee judges consistent with its dual mandate」とも述べていて、FOMCは景気の先行きをそれほど懸念していないことが分かる。しかしトーン全体としては予算を巡る与野党の攻防の着地点が見えないだけに、警戒感は強めていると思える。

 今回の「Voting against the action」はEsther L. Georgeでした。理由は「 who was concerned that the continued high level of monetary accommodation increased the risks of future economic and financial imbalances and, over time, could cause an increase in long-term inflation expectations.」というもの。そりゃまあそうだ。バーナンキもそれは承知でやっている。

 前回の「Voting against the action」は Jeffrey M. Lackerで、彼は who opposed the asset purchase program and the characterization of the conditions under which an exceptionally low range for the federal funds rate will be appropriate. 」という論理だった。

 これは多分(確認していないが)、委員が交代したのだと思う。今年1月から結構な数のFOMC委員が交代した。声明全文は以下の通りですが、この声明で変わったことと言えば、ニューヨークのダウが少なくとも一時的に下げ幅を拡大したことぐらい。特に何かを期待していた、ということはない(と思う)のですが。

For immediate release

Information received since the Federal Open Market Committee met in December suggests that growth in economic activity paused in recent months, in large part because of weather-related disruptions and other transitory factors. Employment has continued to expand at a moderate pace but the unemployment rate remains elevated. Household spending and business fixed investment advanced, and the housing sector has shown further improvement. Inflation has been running somewhat below the Committee’s longer-run objective, apart from temporary variations that largely reflect fluctuations in energy prices. Longer-term inflation expectations have remained stable.

Consistent with its statutory mandate, the Committee seeks to foster maximum employment and price stability. The Committee expects that, with appropriate policy accommodation, economic growth will proceed at a moderate pace and the unemployment rate will gradually decline toward levels the Committee judges consistent with its dual mandate. Although strains in global financial markets have eased somewhat, the Committee continues to see downside risks to the economic outlook. The Committee also anticipates that inflation over the medium term likely will run at or below its 2 percent objective.

To support a stronger economic recovery and to help ensure that inflation, over time, is at the rate most consistent with its dual mandate, the Committee will continue purchasing additional agency mortgage-backed securities at a pace of $40 billion per month and longer-term Treasury securities at a pace of $45 billion per month. The Committee is maintaining its existing policy of reinvesting principal payments from its holdings of agency debt and agency mortgage-backed securities in agency mortgage-backed securities and of rolling over maturing Treasury securities at auction. Taken together, these actions should maintain downward pressure on longer-term interest rates, support mortgage markets, and help to make broader financial conditions more accommodative.

The Committee will closely monitor incoming information on economic and financial developments in coming months. If the outlook for the labor market does not improve substantially, the Committee will continue its purchases of Treasury and agency mortgage-backed securities, and employ its other policy tools as appropriate, until such improvement is achieved in a context of price stability. In determining the size, pace, and composition of its asset purchases, the Committee will, as always, take appropriate account of the likely efficacy and costs of such purchases.

To support continued progress toward maximum employment and price stability, the Committee expects that a highly accommodative stance of monetary policy will remain appropriate for a considerable time after the asset purchase program ends and the economic recovery strengthens. In particular, the Committee decided to keep the target range for the federal funds rate at 0 to 1/4 percent and currently anticipates that this exceptionally low range for the federal funds rate will be appropriate at least as long as the unemployment rate remains above 6-1/2 percent, inflation between one and two years ahead is projected to be no more than a half percentage point above the Committee’s 2 percent longer-run goal, and longer-term inflation expectations continue to be well anchored. In determining how long to maintain a highly accommodative stance of monetary policy, the Committee will also consider other information, including additional measures of labor market conditions, indicators of inflation pressures and inflation expectations, and readings on financial developments. When the Committee decides to begin to remove policy accommodation, it will take a balanced approach consistent with its longer-run goals of maximum employment and inflation of 2 percent.

Voting for the FOMC monetary policy action were: Ben S. Bernanke, Chairman; William C. Dudley, Vice Chairman; James Bullard; Elizabeth A. Duke; Charles L. Evans; Jerome H. Powell; Sarah Bloom Raskin; Eric S. Rosengren; Jeremy C. Stein; Daniel K. Tarullo; and Janet L. Yellen. Voting against the action was Esther L. George, who was concerned that the continued high level of monetary accommodation increased the risks of future economic and financial imbalances and, over time, could cause an increase in long-term inflation expectations.


2013年01月31日(木曜日)

 (00:20)着いたのは昨夜の10時ちょっと前。だからなーーんも見えません。周囲がどうなっているのか。途中の一部だけが高速という環境下の下の道はやはり結構かかった。午後5時には小倉を出たのですが、さらに途中夕食を総勢10人で取ったりしていたので。

 しかし良いのは、地熱発電の取材に来ていると言うことは、その近くに必ず温泉が湧き出している、ということです。我々がようやく到着した九重いやしの湯 大高原ホテルもそう。まあ山間の旅館とホテルの中間。部屋がしっかり分かれているのでホテル、という感じですが、全体的な風情は山間の温泉宿です。

 着いて直ぐに風呂を一浴び。私の場合はメークをしっかり落とすという意味合いもあるし、風呂が午後11時までと言われたこともある。しっかり温泉でした。ははは、明日の「八丁原地熱発電所」の取材はちょっと楽しみ。

 心配したのは雨、雪、風ですが(4台も持ってきているカメラの問題もある)、それはなさそう。ラッキーという感じです。私は集中的に午前中取材・ロケして、午後1時くらいには帰路に就きます。大分空港は車で2時間かかるらしい。

 日中の小倉でのTOTOさんの水栓のテクノロジーのロケは、身近なもののテクノロジーだけに驚きました。昔私たちが知っていた「水道の蛇口」ではもう全くない。精密機械の塊です。手をかざすと水や湯が出るのはセンターがあるからですが、加えて水流を利用した発電装置があり蓄電装置がありと、なにやかやで合計148もの部品が使われていた。

 説明に当たって下さった方が4人もいらっしたのですが、なぜならそれらの方は皆「開発に直接携わった方」だからです。開発した、その為に尽力した方が直接説明して下さい。最高じゃないですか。前の晩眠れなかった方もいたようですが、取材していて本当にこれらの方々の仕事に対する熱意を感じました。

 放送は2月21日の午後10時地球アステク(BSジャパン 午後10時)です。お楽しみに。なお今日木曜日のこの番組は、上の上の展望台ばかりでなく、なんと地下深くまで潜入してその宏大な街作りの思想にまで迫った「 知られざる東京スカイツリーの最新技術!/東武タワースカイツリー株式会社・テレビ東京」です。お楽しみに。


2013年01月30日(水曜日)

 (09:20)「あれれ」ってなものです。朝「地方(福岡)に来たら地方局の番組を」と思ってザッピングしていたら「あれ、この子見覚えがある」という子が出ていたのです。確信はなかった。しかし「天野さおり」さんでは、と。

 九州朝日放送の朝の番組「アサデス」っていうやつかな。「吉田沙織」という名前のアナウンサーが。確か以前「九州に行きます...」とメールをもらった記憶があった。確か当時はホリプロだった。

 で、ロケバスに乗った後調べたらいろいろサイトがあって、タレント時代は「天野さおり」だったとあった。「ああ、やっぱり」という感じです。「吉田沙織」は実名。ははは、以前番組で関係のあった人(アシスタント)がこうした活躍しているのを見るのはナイス。「地球アステク」の前身番組である「世の中進歩堂」(2008年10月から2011年の4月)のころでした。一年弱かな彼女が番組で働いてくれたのは。

 九州朝日放送のアナウンスルールにはこのようなサイトがあって、「そうそう彼女は若くして気象予報士の資格と取っていたんだ」と。しかし今はスポーツ担当らしい。頑張って欲しい。

 ところで、ワシントンの上田さん(旧姓・片山さん)から久しぶりにメールがありました。「"Too Big Too Fail"という映画を観ましたか?」と。彼女曰く「リーマンショックの舞台裏を映画化したものですが、すごく面白ろかったです」と。

 「ちゃんとしたものはiPad(itunes)でダウンロードできると思います。youtubeのサイトはhttp://www.youtube.com/watch?v=lBVUSViB6DIで、私もチラ見しましたが、バーナンキがとっても似ていた。笑えました。

 彼女も「ウィリアムハートのポールソンをはじめ、バーナンキやモルガンのジョンマックなど、キャストが全員(SECのクリスコックスとガイトナー以外)笑っちゃうぐらいよく似ていて、よく出来ているんですよ」と。「New York Timesの記者が徹底的に取材して書いたものなので、結構正確に出来ているらしいです。飛行機の中で観ると丁度よいかもしれませんね」とも。

 私もそのうち全編を見ます。面白そうなので。リーマンショックもちょっと昔の話になりつつある。


2013年01月30日(水曜日)

 (00:20)ちょっとしたことから、色々なことが分かるものです。

 大分の地熱発電取材に行くのは水曜日の夜からで、その前に北九州市の小倉の近くで「水栓のテクノロジー」(ちょっと不思議に聞こえるでしょう)の取材が水曜日の日中にあるので、火曜日の午後に大阪から山陽新幹線で同駅に入ったのです。一泊のため。

 「さて、ホテルは」ということでスマホで同ホテルを検索して、そこから地図のツールを呼び出して小倉駅からの大体の方向を定めて歩き始めたのです。近そうなので。そしたら、コレットを左から入って少し歩いていたら、向こうから警察官の3人組が来た。

 「うーん、方向はあっているはずだが、その方が確かだから一応聞いてみるか」と思って、「小倉東急インはどちらですか」と聞いたら、3人とも「はて」というような顔をしながらも、一人が「えっと、こっちの方向では」と言って、私が来た駅の方向を指さした。「えっ」と私が驚いていたら、一人は地図を取り出して、それでも「えっと、えっと」という感じ。

 「そんな筈は」と思いながらスマホを見ている私を見てもう一人の若い警官が、「スマホではどう出ているのですか」と聞くので、「これを真っすく行って堺なんとか公園を左に....と書いてありますが」と私が言っていると、地図を見ていた一人が「何しろ私たち静岡から来ていますので....」と。

 ははは、3人組で歩いていたのですが、この3人は静岡県警からちょっと長期派遣で来ていたのです(多分)。でも来て間もないのでしょう。「むしろ、地理を聞かれてちょっと困った」といったところだったのです(いや全体的雰囲気は良い印象でしたが)。わたしはこの瞬間に、「ああ、この街にはいろいろ全国から派遣された警察官が大勢来ているのだな」と思いました。なにせいろいろな事件(発砲)が起きていますから。応援が派遣されている、というニュースを思い出した。

 といって、街を歩いていて何か危険を感じると言うことはない。夕方でも、夜のちょっと遅い時間でも。多分そういうことが起きている地区は決まっているのでしょう。

 そんなこともありながら、午後の早い時間に小倉に入ったので夕方から夜にかけては数時間打ち合わせもあって博多に出かけました。旧知の馬場さんと会うために。小倉から博多は、新幹線なら17分、在来のSONICなどでも47分くらいで行ける。大阪と京都の関係です。

 博多はちょっと久しぶりでしたが、相変わらず活気がある街だと思いました。何しろ駅回りがとっても綺麗になった。阪急が進出して、以前はちょっと暗かった新幹線の出入り口などは驚くほど一新した。

 博多阪急の入る駅ビルを見たのは、デパートの上階売り場が閉まっている(夜8時過ぎだったので)時間帯でしたが、その上にあるレストラン街には結構な人が入っていたし、地下街など食品コーナーは開いていて面白かった。食べた後なので「いかんいかん」と思いながら、ちょっと買ってしまいました。和菓子を。

 面白かったと言えば、「太郎源」(ここはうまい)で食事をしたあと行ったキャナルシティーの不思議な空間(中国の方々向けのお土産コーナーのあるラオックスの一角)も「これはここ(福岡)にしかない」と思いました。なにせ資生堂のコーナーの直ぐ横に、SONYやキヤノンのコーナーがあって、その近くに時計が売っている。直ぐに「中国人の方々向け」と分かる。多分日中関係の悪化は、この店にはとっても痛手な筈です。

 短い時間でしたが、大阪・神戸以西でもっとも活気のある街・博多には、4月に仕事が入っていてゆっくり来る予定です。その時にまたこの街を探索します。


2013年01月29日(火曜日)

 (13:20)昨日から今朝にかけて大阪でタクシーの運転手さんなど何人かに「大変でしたね東京は。雪が凄かったんでしょう.....」と。ははは。「パーセプション・ギャップは、日本国内にもあるな」と。

あと「冬至」「寒紅」などが花を膨らましていました  その度に説明するわけです。「いえ、雪が降ったのは千葉で、東京は降っていません...」と。もしかしたら東京も東は降っているかも知れない。しかし私が住んでいる都心に近いところはまったく降らなかった。私の記憶では、午前7時半頃に皇居の周りを回っているときにちょっと舞ったぐらい。

 テレビのニュースがどう伝えたか知りません。移動中で夕方のニュースなどは見ていない。確かに千葉の「東関東自動車道」などが通行止めになったのは知っている。しかしなにせ東京都心は全く降っていないので面食らうわけです。

 で思ったのです。新潟の地震で、「イタリアのサッカーチームが東京に行くのは嫌だ」と言ったのは有名な話ですが、伝え方や伝わり方次第で、日本国内でも認識ギャップは生ずるのだな、と。新幹線で3時間弱の場所なのに、やはりギャップはある。

 ところで、今朝は番組のあと大阪城を一周したのですが、先日高松で梅の蕾が膨らんでいたのを目撃していたものですから、「もしかしたら」という気持ちがあったのだと思います。なにげに梅林に足が向いて、見たらもう花を持った種類の梅があった。写真がそうです。あと「冬至」「寒紅」などが花を膨らませていました。

 春の気配はそこまで、ということです。来週はもっともっと多くの梅の品種が花を開くのではないでしょうか。ここ当分、楽しみです。あの中の売店も多分店開きするので。


2013年01月28日(月曜日)

 (20:20)土曜日にちょっと紹介しましたが、「中国 目覚めた民衆 習近平体制と日中関係のゆくえ」(NHK出版 興梠一郎著)は参考になる本でした。兎に角話が非常に具体的。いろいろなメディアを通じて作者が「情報を集めている」と思える本です。

 山口・公明党代表の訪中と習近平総書記との70分の会談を受けても、中国の公船は日本の尖閣諸島沿いの領海接続水域に入ってきているし、中国サイドにはもっと大きな監視船を作ろうという動きもあるようだ。しかし2〜3日の中国側の動きでは分からない点もある。

 日本との対立を強調したいのは中国でも特に軍部でしょう。予算から人員までを獲得する格好の材料となる。しかし中国の今の首脳部が何を考えているかは「行動」で見る必要がある。誰と会い、それをどうメディアが中国国民に伝えるか。そういう意味では、この会談を中国のメディアが大きく伝えたと言うことは、それなりきに意味があると思う。

 ところで今週は週の後半に大分県の「地熱発電」の取材に行きます。明日の大阪での仕事を終えた後に九州入り。地熱発電ね。取材するのはこの発電所です。アメリカはシェールで「世界一の産油国」の地位をサウジアラビアから奪い戻しつつある。

 日本も何か目新しいエネルギー源が欲しい、と思っているのです。地熱発電はその面ではちょっと当面は力不足です。それほど大きなエネルギーは生み出しそうもない。しかし日本で豊かにあるエネルギー源(地下熱、蒸気)を使わない手はない。その意味で「何がどうなっているのか」が私の関心事です。


2013年01月26日(土曜日)

 (05:20)あそうそう、もう一つ注目したニュースはApple Loses to Exxon Mobil as World’s Most Valuable Companyかな。

 今見たらアップルの株価は445ドル台。高値が確か700ドルちょっと超え。それが2012年の9月だったと思う。確かに良く落ちた。ブルームバーグはそれを「37%の下落」と表現し、金曜日の株価の下落を織り込んでアップルの時価総額を4120億ドル、対してエクソンのそれを4170億ドルと記事では示している。

 まだわかりませんよ。その差は僅か。ここからアップルの株価が上昇すれば、同社はまた「世界でもっとも時価総額が高い会社」に戻れるかも知れない。しかし今の時点で言うと、700ドルを超えていた時期から見てアップルの時価総額は2450億ドルという膨大な金額で減ったことになるという。それだけ損をした人も居る、ということだ。

 もしかしたら期待過剰の700ドルだったのだろう。しかし今や懸念がある。ブルームバーグが書いているとおり「Even as Chief Executive Officer Tim Cook guided Apple to record iPad and iPhone sales, investors worry about management’s ability to keep producing hit products more than a year after the death of co-founder Steve Jobs.」ということだ。

 IT産業全体、SNS全体が「目新しい産業ではなくなりつつある」という側面もある。当たり前のもの、日常食べる米、パンのようなもの、という存在になりつつある、ということだ。19世紀から20世紀に変わる頃には、「鉄道株が跳梁跋扈していた」という歴史書を読んだことがある。ITは結局土管の側面が強いから、何が乗るかが重要で、「何が乗るか」で常に新しくなくては産業の魅力を保てない。

 思い出せばスティーブ・ジョブスの死は、2011年の10月の初めでしたね。アップルはその時既に「株価時価総額の世界一」と私が書いているので、多分そうだったのでしょう。それから一年余。彼の後を受けた経営者達の苦闘は続く、というわけです。なおアップルの凋落(?)に関しては、このポッドキャストで日本企業の今後とも絡めて分析していますので、聞いて頂ければと思います。

 それにしても、アップルの株価がドスン、ドスンと落ちたこの二日間では、マーケット全体としてはアメリカの株価はダウやSPなどから見て上げ続けている。金曜日はNasdaqも上げている。なかなか奥の深いマーケットだ。(なお、ブルームバーグのこの記事の株価は引け値ではないと思われます)


2013年01月26日(土曜日)

 (05:00)ウォール・ストリート・ジャーナルを読んでいて「へえ、中国の国営メディアは山口・公明党代表の訪中と習近平総書記との70分の会談を目立つ形で大きく扱っているんだ」と思いました。参考にした記事は

 「Mr. Yamaguchi's visit was featured prominently on China's national evening news broadcast on state-run China Central Television, which operates some outlets that have inflamed anti-Japanese sentiment in China in recent months. Experts say Beijing is trying to walk a fine line between keeping the dispute under control while trying to assuage many Chinese who see their leaders as weak on the issue.」
 です。ただし会談で何が話し合われたかについては、双方の発表カウントはちょっと違っている。新華社によれば、「The Chinese account, delivered by the state-run Xinhua news agency, said Mr. Xi reiterated China's position on the islands and said Japan "needs to correctly view history." But he called on leaders on both sides to "advance China-Japan relations to overcome difficulties and to continue forward with development," Xinhua said.」というのが中国側であり、これに対して山口代表の発言は日本側で報じられている通り
 「Mr. Yamaguchi expressed optimism that the territorial dispute "will certainly be resolved through dialogue and negotiations." The Japanese lawmaker also quoted Mr. Xi as saying that he would "seriously consider holding a top-level meeting" with his Japanese counterpart. The Chinese leader added, according to Mr. Yamaguchi, that "it's important to build up an environment" for such a meeting.」
 となっている。どちらも正しい可能性がある。中国は中国国民に知らしめるスタンスとしてその部分を選んだ、という側面があるだろう。しかし重要なのは、会談が持たれ、そしてその事が中国で「featured prominently on China's national evening news broadcast」という形で扱われた、という点である。

 多分、中国側も困っているのでしょう。現状の「尖閣を巡る問題」に。日本からの投資減少は中国経済には打撃になっているはずだし、そのことを習近平総書記も知っている。あと、本当に尖閣の周辺でスカーミッシュにしろ実際に戦闘行為に偶発的にも生じた場合、その落としどころが見えない。仮に中国側が負けたような形になったら、「体制の転覆」にも通じるかも知れない。紛争や戦争で負けて体制がひっくり返った例は歴史上枚挙にいとまがない。

 多分中国はウォール・ストリート・ジャーナルが指摘するとおり、「fine line」を設定しようとしているのだろう。今後に大きな懸念が残らない「落としどころ」だ。しかし今までさんざん国営テレビなどが国民感情を反日に煽ってきた経緯もあって、直ぐに沈静化には動けない。

 「 Experts say Beijing is trying to walk a fine line between keeping the dispute under control while trying to assuage many Chinese who see their leaders as weak on the issue.」
 というわけだ。それにしても、今週読み始めた「中国 目覚めた民衆 習近平体制と日中関係のゆくえ」(NHK出版 興梠一郎著)は面白い。現在の中国、今後の日中関係を読む上で非常に参考になる。とにかく話が具体的で例示的です。お薦めです。


2013年01月24日(木曜日)

 (15:00)今日は埼玉県和光市にある理化学研究所の仁科加速器研究センターに「日本発! 113番目の新元素」などの取材・ロケで来ていますが、その話はまた別の機会にするとして、昨日の東京ゲートブリッジ(TGB)の取材・ロケはスリリングで面白かったですよ。

私たちもこの歩行路の上を渡りました。200メートル以上行ったり来たり  何せ車がビュンビュン走っている橋の真下、海面から550メートルくらいの細い管理用の歩行路(下がめちゃ見える)を歩いて、橋桁まで行って最新テクノロジーを取材しましたから。取材チームのチーフから事前に「恐いようでしたら、別の場所でカメラを回しますから」と言われていましたが、実際に行ってみたらそりゃ恐いが、歩ける程度のスリリングさだった。

 思ったのは、あの場所は東京を新しい視点で見ることが出来る、ということです。よくマンハッタンも自由の女神の方向からダウンタウン(ウォール街)の高層ビル群を映し出す視点で描写されますが、東京もゲートブリッジから見ると、その視点が出る。夜になってパノラマモードでそれを撮りましたが、ナイスでした。東京のビル群もなかなかです。マンハッタンより横に広がっている。昼間も綺麗で一枚。

右遠くにスカイツリーが見える  この橋が一番綺麗だったのは、やはり夕刻から夜かな。派手さはないですよ。レインボーブリッジやスカイツリーなどのような。でも実に綺麗なんですよ。54メートル以上、98メートル以下という制約の下で作った橋ですが、実によく考えられている。見えるところにボルトは殆どありません。実に綺麗な溶接で出来ていて、だから橋全体がすっきりしている。(一部にありましたが、それは補修の跡だと)

 最新技術も各所に使われていました。「ひずみ検知」のシステム。従来の橋は担当者が行って目視、ないし打音検査していた。日本全国の古い橋、トンネルなんでもそうです。むろん、笹子トンネルもそう。

ライトアップされた東京ゲートブリッジ  しかしゲートブリッジはそれを瞬時瞬時で補足して、記録として去年の3月以降継続的に取っている。これは貴重でしょう。電機室で見ていましたが、実際に50トンクラスのトラックが通ると橋にひずみが発生することが分かる。どの車線にどのくらい重いトラックが通るのか。それによって橋がどうひずむのか、そのひずみが設計で許容される範囲かどうか。

 範囲を超えたら補修です。それを今まで日本のインフラは見て、打ってやっていた。最新技術なので欧州からは、「既存の橋に使えないか」、アジアからは「今度橋を作るが」と一杯くるらしい。

 インフラの健全性、保守が問われている今の時代。こうした新しい技術に磨きが掛かることに是非期待したと思います。放送は2月7日の午後10時から、BSジャパンの 地球アステク です。あ、そうだ今日のアステクは、「信州発!日本唯一の繊維学部/信州大学繊維学部」です。お楽しみに。  ところで、昨日橋のライトアップの瞬間をちょうご午後5時を挟んで走って動画にしました。ユーチューブに投げておきましたので、ご覧下さい。

 東京ゲートブリッジのライトアップの瞬間


2013年01月23日(水曜日)

 (15:00)「そんなこともあるんですか」とつい口をついて大声が出てしまいました。きっとこの文章を読まれた方もそう思いますよ。

牡蠣から出てきた大ぶりの真珠  写真の真珠を見て下さい。綺麗でしょう。外枠の飾りはあとからはめたものだそうですが、中味の玉(ぎょく)も実に立派です。でもこれ何から出てきた真珠でしょうか.....?

 正解は「牡蠣」(カキ)です。そう我々が通常食べる牡蠣から出てきたそうです。ある和食のお店のご主人に、「伊藤さん、これ何だと思います」と言われて「真珠」とは答えましたが、それが「牡蠣」から出てきたとは気がつきませんでした。言われてビックリ。そういえば、少し牡蠣の色をしている。

 調べてみました。真珠とは何か。回答は「パール(Pearl)とは貝から採れる宝石の一種である。真珠は貝の体内で生成される宝石である。生体がつくる鉱物であり、生体鉱物(バイオミネラル)と呼ばれる。貝殻成分を分泌する外套膜が、貝の体内に偶然に入りこむことで天然真珠が生成される。つまり成分は貝殻と等しい。貝殻を作る軟体動物であれば真珠を生成する可能性がある」とある。

 そうです。普通は真珠は日本では「阿古屋貝」を養殖する過程で作られる。阿古屋貝に手(異物など)を入れて「真珠壁」を作るように仕向けて真珠を作る。それが街で高値で売られている。

 しかし真珠は「貝殻を作る軟体動物であれば真珠を生成する可能性がある」と解説されているとおり、「牡蠣」からも出てくる事を初めて知りました。そしてそのご主人も、「何十年、何万個の牡蠣をむいたか覚えていませんが、私も初めてです」と。

 あまりにも縁起が良く、そして真珠も良い様子のものなのできちんと外枠を入れて、こうして仕上げてみました、と。ええですね。

 あれ、ということは我々も牡蠣を殻のまま買ってきて、自分で剥く場合にはごくごく希に中に「真珠」が入っている事ある.....ということでしょうか。皆さんも「乞うご期待」。


2013年01月22日(火曜日)

 (08:00)ははは、でもやっぱり嬉しいですね。予想外のケーキと集合写真。


まず出演者で

次に全員写真で


2013年01月21日(月曜日)

 (18:25)そっか、皆さんがあちこちに書き込んでくれるので、思い出しました。明日でした。私は「8掛け論者」ですから、まあ「50前後」ということです。もっともタニタの結構高い私の体重計は、私の身体年齢を37歳と表示します。マジで。基礎代謝が高いせいだと思う。

 それにしても、一昨日からちょっと遅ればせながら「自走式掃除ロボット COCOROBO」を使っていますが、結構面白い。インテリジェントで、話しかけると関西弁(設定したので)で答えてくる。勝手に話すし、笑える。あちこち動き回ってまずまず綺麗にしてくれる。

 加えて、COCOROBOをwifi登録して、このページなどを通じてスマホで操作できるようにすると、COCOROBO目線の動画が見られるし、結構笑える。

 去年の夏ぐらいかな、私が講師を務めた講演会で町田さんにお会いしたら、「伊藤さんがループって言うので、掃除機とスマホを繋げました」と言っていましたが、それがこの製品だったんですね。家の人間が誰もいなくなる週2回、ちゃんと働くようにセットしたので、その働きぶりをあとで見ようと思います。

 スマホを通じてデバイスを監視する、動かすというのは今後益々広がるでしょう。ちょっとした工夫で彼等は非常によく働く。床に細々したものを置かないとか、細い線は巻き込むので取り除いておくとか、椅子はテーブルにちょっと上げておくとか。

 コントローラーとしてのスマホと他のデバイスとの連携という意味では、車のナビ、風呂、鍵の確認、エアコン操作、電子レンジなどいろいろ考えられる。いつもばからしいと思うのは、夜家で「あそこまでどのくらいかかるかな」とGOOGLEのマップで検索するのに色々情報を入れて、また翌日いざ出かけると言うときに車のナビに同じ情報を入れざるを得ない時。あほくさい。絶対ループにすべきだ。

 シャープさん、ナイストライだと思う。うーん、ガラパゴスなどいくつかでがっかりでしたが、テレビ以外でもいろいろあるじゃないですか。IGZOも調子良いですよ。全然電池がもつ。でかいからかも知れないが、それでもナイス。


2013年01月20日(日曜日)

 (23:25)この週末に、ちょっくら一部IT機器の入れ替えをしました。

  1. 長らく便利に使ってきたバッファローのdocomoのポータブルwifi(ポケットwifi)を解約し
  2. 同時にauのiphone4Sの電話回線契約もカット(マシンは保持しwifiのみで動かす)
  3. 弱バッテリーの初代arrowsを解約して、IGZOのAQUOS PHONEに乗り換え
 ポケットwifiは以前は日本全国どこに行くにも持って歩いた。ホテル宿泊時もこれで済ませた。便利でした。しかしデジタル・デバイスがほぼテザリングが可能な、しかもLTEで可能になった今では持ち歩く必要が全くなくなった。それで、御世話になりましたが解約です。

 代わりに持ち歩かないwifiルーターを入れました。最初LTEテザリングがあるから必要ないかと思ったのですが、「電源が繋がり、かつwifi環境下でバックアップをとっています」みたいな機器(アップル系)が結構増えたので、wifiはいつも走らせておくのが良いかなと思って、NECの据え置き型を。これは速い。

 「4S」の電話回線契約解除は、「5」がメール取得や周辺機器を含めてまともになったため。あ、地図は駄目ですが、それはグーグルが代替してくれる。「4S」にはまだ色々残してあるし、wifiマシンとしてはバックアップとして役立つ可能性がある。

 arrows は一年ちょっとしか使っていないのですが、兎に角バッテリーが見る間に減る...みたいなところがあって、ちょっと我慢が出来なかった。バッテリーの突然死もありました。どうせなら新技術と思って「IGZO」にして見ました。さてどうでしょう。バッテリーの持ちは。

 あと使わなくなったアマダナ時代からのマシンなどなどを全部で4台ほど、docomoのワクチンプロジェクトに献上することにしました。処分しないと端末が増える。何らかの形で世の中のためになってくれたokです。

 トータルでは結構なコストカットかな。定額の毎月支払いが二件減りましたから。ルーターは一回買えば黙って働いてくれる。ルーターは伊勢丹横のビックロで1テラのメモリー共々買ったのですが、ポイントがたまっていたのでそれを使ったら、とってもトクした気持ち。現金が出ていきませんでした。

 それにしても、最近はシャープの製品が私の身の回りに増えた気がする。AQUOSもそうだし、COCOROBOも新参者です。きっちり長持ちして働いて欲しい。AQUOSはさすがに前機種よりはるかに電池が長持ちする。


2013年01月19日(土曜日)

 (23:25)今日は改めて「街はちょっと立ち寄らないと変わるな」と思いました。新宿三丁目の「ねぎし」(伊勢丹前、交番の裏側ビルの6階)が大改装し、そして赤坂の「田中屋」さんが店を閉めた。両方とも「えっ」という感じ。

すっかり変わった新宿三丁目のねぎし  昔からの「ねぎし」好きです。西武新宿駅の前の歌舞伎町のちっちゃな店(鰻の寝床みたいな)がスタートだったと思った。その頃からのファンです。その後大ガードの西側のなんとかいうホテルの裏側に出来、あとは凄い勢いで伸びて....という展開だったと思う。しかし、難しい時期もありました。牛の部位にはいろいろと問題があった時期がある。味もかなり変わって、これは嫌だった。

 以前の味の方が、そしてカウンターの上にいろいろお総菜が乗っていた頃(かぼちゃのサラダ、茄子の和え物.....)が懐かしい。新宿三丁目の店は昨年の11月に改装したそうで、「ちょっとねぎしじゃないみたい」と思いました。まあ「ねぎし」はギュータンの店としては便利で、ちょっと懐かしいのでたまに入る。今は銀座(コリドー街だったか)にもどこにでもある。

今年は赤坂も変わる  赤坂の「田中屋」さんは、昨年の11月に撤退したそうです。「田中屋」はもともとは練馬の環七沿いにあった店。昔は午後5時までしかしていなかった。ゴルフをした後、「さて田中屋に間に合うか....」と急いだものです。関越方向に行った場合には。

 そこがビル改装ということで最初銀座に店を移して、その後赤坂と銀座のデパートの一つに出店したと思う。赤坂の店だけが煙草を許していて、だから人が少ない時にしか行かなかった。夕方は駄目。でも閉店はショック。結構小腹を満たしに寄っていたので。

 「田中屋」も銀座の一店だけになった(と思う)。まあ銀座まで行けばよいのですが。その後には沙羅....とか言う、これも赤坂に以前からあった店がほぼい抜きで入っていた。「釜揚げうどん」を頼んだらなかった。ので頼んだ「鴨せいろう」は9割蕎麦で食べたがまずまず。

 まあ東京は蕎麦屋は特徴がある店が結構ある。楽しい。蕎麦そのものに特徴があるのに加えて、その周辺(だし巻き卵、板わさ、公魚の煮付け、辛み大根などなど)が良い店がいいなと思っていますが、荻窪とか淡路町や神田に良い店がある。

 関西にも蕎麦の店は多いが、味は苦労する。関西はやはり饂飩です。「街が変わる」という点では、近くミッドタウンに入っていた店40店舗くらいが入れ替わるそうだ。5年とかなんとか言っていた。どの店が出て行き、どんな店が入るのか....。


2013年01月18日(金曜日)

 (23:25)こんな事件も珍しい。時間がたてどたてど一体何が起きていて、今どうなっているのかがとんと分からない。人質が何人で、その方々がどうなったかも不明。安否が分かった人はいるが、まだ多くの人が不明だ。

 むろん地理的な事情がある。首都のアルジェから1300キロと報じられている。日本の南北くらいの距離があり、もっとも使える交通路である空港が閉鎖されている。軍以外誰も入れない。むろんマスコミは。

 しかし外部への情報の流出を嫌うアルジェリア政府の姿勢が大きいと思う。今の政権は、イスラム勢力との10年以上に及ぶ国内での戦いを制して実験を握っており、そもそも今回のようなイスラム過激派の行為には容赦ない。

 しかしその国内姿勢は、人権、人命を大事にする日米欧などの価値観とは衝突する。今回の一連の事件がのちのちどう評価されるか分からないが、「価値観の衝突」という観点から世界を考える上では、考えさせられる問題だ。

 それにしても、日本を問わず世界各国から彼の地に来ている人々の安全を願わずにはおられない。


2013年01月17日(木曜日)

 (22:25)車が数多く通る道は殆ど雪は消えました。しかしまだまだ人通りが少ない歩道などにはあちこちに根雪の形で残っている。例えば写真の代官町通りの歩道。

朝は危ないですよ  それにしても今日は皇居を周りながら、「昔はお堀でスケートをしたことがあるのでは」と思いました。というのはお堀のかなりの部分に氷が張っていたからです。

 東北地方の湖と同じように、寒い朝、日中も上がらない温度という状況が数日続いたと考えられる昔は、お堀も結氷し、人が乗れる状況になった可能性があるからです。許されたかどうかは知りませんが。無論今は無理です。お堀は「立入禁止」になっていますから。

かなり結氷状態に  しかし昨日にしても今日にしても、日中は非常に暖かくなって、穏やかになった。水曜日は昼前に新幹線に乗って名古屋まで行き、夕方にはもう帰ってきましたが、どちらも「のんびりした感じ」が良かったですな。名古屋は数ヶ月ぶりでしょうか。よく晴れていた。

 昨日と今日は、何よりも都内がのんびりしていたのが結構なことだと。月曜日と火曜日ははやり緊張が街全体に走っていた。あれだけ雪で、首都高も止まり、依然として寒く、あちこちでひっくり返る人を見ると。

 それにしてもアルジェリアでの事件は心配です。情報がよく伝わってこない。現地もそろそろ夜ですから。


2013年01月16日(水曜日)

 (10:25)おお、前進前進。いえね、ずっとグーグル・カレンダーやアップルのカレンダーを同期しながら使っているのですが、日本の祝日が掲載されないままで使っていた。不便なんですよ。昨日も、日経ヴェリタスの収録がなぜ火曜日か....とか最初悩む。その他のケースでも、ちょっと日本の祝日おさえは重要だった。

 で、ネットで調べたら直ぐに見つかった。そのネット記載の方法はちょっと古かったので、私が今さっきやった方法を記します。

  1. まずはGoogleカレンダーのトップページにいき、左カラムの下にある「他のカレンダー」をプルダウン
  2. すると、「おすすめのカレンダーを検索」という表示がでるので、そこに渡る
  3. 最後に、その中から「日本の祝日」の欄の一番右にある「登録」をクリック
 そうすれば、カレンダーに日本の祝日が掲載されているのに気がつきます。私はついでに関係の深い「アメリカの祝日」も登録しました。多分便利になる。iphoneではデフォルトの「カレンダー」を使っているので、それも「日本の祝日入り」に直すことにしました。グーグルのシステムサイドの情報変更はアップルには同期されませんから。

 私が試した方法は、http://www.apple.com/downloads/macosx/calendars/japaneseholidaycalendar.htmlにMac Airでアクセスし「download」です。OS的制約があるようですが、普通にはクリアできるでしょう。

 ついでにこのサイトURLの「japanese」の所を「us」にしたらそのままアメリカの休日を入れるサイトが出てきたので、これも「download」しました。ダウンロードを押した後2回ほど「いいか」と聞いてきたので、私はokを出しました。

 これで私の電子カレンダーは全て日本とアメリカの休日入り、となりました。前進!


2013年01月15日(火曜日)

 (18:25)どえらいことですな。新幹線ホームから東京駅の地下街を大手町方向に歩くこと22分。やっと「ちょっと腹ごしらえ」と思って向かったAsajiに着きました。経団連ビルと日経新本社の下。新幹線が東京駅に着いたのは、大阪発午後3時ですから定刻で5時33分東京駅着。

 歩きに歩いてAsajiに付いたのは午後6時5分前。午後7時から日経ヴェリタスの収録に備えて、が最終目標ですが、実に22分歩いた。予想以上にお腹が減った。まあそれはそれで....。

 いつもこの番組の為に大手町に来るのは月曜日なのです。大阪に行く直前。日経本社ビルの何階だったから、上の方で収録がある。午後7時からです。しかし今日は多分連休のせいでしょう、火曜日のこれから収録なのです。「家電の生き残り策は?」

 でも初めてですね。東京駅の新幹線ホームから、このもう消防庁に近い皇居近くの日経の新本社まで歩いたのは。階段を上がったり下がったり、そしてまた上がったり。Asajiには一つ好きなメニューがある。「エビのペペロン」。私はこれが上手いと思うので、何か所要があって日経の本社に来ると地下で食べる。

 ただこの店は、夜は喫煙を許す。これが臭い。だから、人が一杯にならない午後6時前に入るために結構急いで歩いたのです。しかしもう6時15分が近づいて煙草組が入ってきている。食べたら直ぐに出ます。

 煙草の煙の中で食事をする気はしない。


2013年01月14日(月曜日)

 (16:25)東京は都心でも午前10時を過ぎた当たりから凄い雪になり、そのうちに風も強くなった。一端所要で車で出たのですが、とにかく既に雪道に車輪をとられている車が多い。特にタクシーは。すぐ車を戻しに帰りました。危なすぎる

 それほど凄かった。既に私は関西への移動途中ですが、これも予定より大幅に遅れている。新幹線は20分遅れ(予定)くらいなのですが、兎に角、新幹線に乗る前に、地点と地点の移動に時間がかかる。雪は数センチ積もっているし、滑るし。

 しかしそれにしても、この大雪の中を新幹線は20分くらいの遅れ(小田原で雪の除去作業を実施など)ながらよく走りますよね。ほんと感心する。ネットを見たら「14日午後2時現在、京浜東北線、埼京線、宇都宮線、中央・総武線各駅停車、総武線快速電車、常磐線快速電車、東急池上線、りんかい線が運転を見合わせている」となっているのに、東海道新幹線は動いている。ナイス。

 それにしても東京市場が休みの中で海外の相場を見たら、ユーロ・円は一時120円台に乗せたようです。ユーロが強い。ドル・円も89円台の後半と90円突破に接近している。円安の方向での為替相場の動き。

 歓迎すべき事ばかりではない。日本が液化天然ガスにエネルギー源のかなりの部分を依存し始めた中で円安が起きると言うことは、日本からの巨額な所得移転が生ずることを意味する。ドル・円のドルの安値(円の高値)は77円前後でしたから、それに比べれば円は安くなったものです。

 基本的に私は今の円安は「高すぎる円の修正」と見ているので、もうちょっと円安が生じても良いと思う。株安の修正ももっと進むべきです。しかしいつまでも円が安くなり続けると言うことはない。それは頭の中に入れておいた方が良いでしょう。


2013年01月13日(日曜日)

 (23:25)あらら、北京はじめ中国の大都市に住んでいる人は大変だ....と思いました。ネットで『中国都市部、濃霧で有害物質こもる 北京は「危険」水準』という記事(吉岡記者)を見つけたからです。と同時に、「まだ悪化しいるんだ、特に冬だし」と思いました。

効率悪い資源エネルギーの使用でこの大気に。北京空港で  というのは、去年の8月末にウルムチから入ってサマルカンドまでのシルクロードの旅に行ったときに、乗り換えで北京の空港で6時間を過ごしたのです。その時の写真が右です。全員で「体調がおかしくならないのか」と話していました。

 兎に角空港は郊外にある筈なのに、100メートル先を見渡すのが難しい感じ。空気の綺麗な東京から来ると信じられない。黒くくすんでいるのです。太陽は必ずしも夕刻のせいではなく赤く見える。東京も昔は空気は汚かったが、「ここまで悪くはなかった」と思う。一説には、「北京の犬は昼間吠える。太陽が月だと思って」という冗談を聞いた。本当に北京では昼間に太陽が「薄く赤く」見える。スモッグでそうなる。

 その時、「まあ首都だし」と思ったのですが、移動先のウルムチの空気も悪かった。日本で想像すると「砂漠の中の街」「シルクロードの入り口の街」といった印象でしょう。従って空気は清く、遠くまで見通せなければならいない。ウルムチの朝。ウルムチにはもっとすがすがしい朝が欲しかった

 とんでもないのです。その写真が左です。確か朝早く起きて撮った。ちょっと先のビルが霞んでいる。霞ではなく明らかに大気が汚染されている。ウルムチでもそうですから、成都とか重慶、西安、南京などなど中国の大都市の大気の悪さは想像できる。

 記事によれば、「車の排ガスや建設現場などから出る有害物質を含んだ濃霧がたちこめ、北京市当局は住民に外出を控えるよう呼びかけた」という。「外出抑制要請」というのは尋常ではないでしょう。私は通過しただけで「この都市には住まない方が良い」と思った。

 記事には「中国紙によると、呼吸器を痛めて病院を訪れる人が増えている」と書いてある。さらに記事は、「北京では12日以来、濃霧の影響で見通しが悪く、航空便が遅れたり、高速道路が一時封鎖されたり、一般の道路でも渋滞したりしている。専門家によると、この濃霧が有害物質が拡散するのを封じ込めてしまい、大気汚染が深刻化したようだ。小中学校の一部では、子供たちの屋外での体育などの活動を取りやめた。」とある。

 そう言えば、ある人が面白いことを行っていた。『中国から来た観光客が日本の富士山の景観に感嘆するのは、富士山が世界でも希有なほど綺麗な形状をしている事に加えて、「日本ではあんな遠くの山が綺麗に見渡せる」という空気の綺麗さに感嘆しているのだ』と。そうかもしれない。


2013年01月11日(金曜日)

 (23:25)先日東京スカイツリーでロケ取材したあと、ソラマチをぶらぶら歩いていたら、本屋さんがあったんですね。半藤さんの「日本型のリーダーはなぜ失敗するのか」(文春新書)も買ったのですが、一冊面白い本を買いました。iphone5本です。

 この手の本を買うタイミングには、どうやら二つあるらしい。一番多いのは、そのもの(この場合はiphone5)を買ったとき。そりゃ「買うと同時に勉強しよう」と思うのが自然です。しかし買って直ぐには出ていないケースが多い。あとは購入とは時期を違えて買うタイプの人間。私は完全に後者です。しかもかなり遅れて。

 というのは、IT機器というのは自分の必要とすることは何でも直ぐに推測で出来るようになる。「こうやるんだろう」ぐらいでいじっていると出来る。「5」だったら「4S」の延長ですから、そんなに必要な機能を覚えるのに苦労しないし、時間もかからない。

 しかしある程度使いこなすと、面白くなくなる。というか、「もっと便利な機能があるはずだ」と思う。で、「うーん、使いこなしているようで、まだまだなんじゃないだろうか」ということで、「目を通しておこう」と思って買った。

 そしたら、続々と「へえ、こんなことも出来たんだ」というのが出てきた。のっけから「SIRIで電話やメールが出来る」というのを知らないことに気がついた。だいたい今まではSIRIを殆ど使っていなかった。でも因みに皆さん、「何何に電話する」「誰々にメールする」ってSIRIに向かって語って下さいよ。面白いことが起きる。「連絡帳」に入っている名前なら直ぐに、その他でも選択肢つきで相手を探せる。

 便利ですよ。全く指を使わなくても、全て音声で相手を呼び出しながら事を進められる。メールのばあいは同時にメーラーを起動し、タイトルを音声入力し、そして本文も入れられる。全く指を使わない。

 一冊読み通すと、とっても新しい技が身につきそうです。一つのマシンで「ああ、これが出来るんだ」となると、別のマシンを見る目も変わる。それが良いと思います。


2013年01月10日(木曜日)

 (23:25)今日聞いた一番面白い話は、「紅白で一番人々の心を掴んだ、話題となった歌は美輪明宏の”ヨイトマケの唄”で、その他の歌は全部その前座をしたいたようなもの」というものでした。私はミャンマーにいて紅白は全く見ていない、聞いてないから知らなかったのです。

 しかし放送の前に皆と年末・年始はどうだったという話していて、私が「そう言えば例の歌合戦はどうだったの」と聞いたらそういう話になり、「それは面白いな」と思った。

 だって古い唄でしょう。今調べたらwikiには1966年に美輪明宏自身が作詞・作曲したとある。当時も大きな反響を呼んだらしい。それが55年以上たって蘇ってきたということです。久しぶりに美輪さんが出てくると聞き、かつ「曲名」を聞いたとき、「へえ」と思った。

 というのも、唄の名前も、グループ名もカタカナや英語が半分以上を占めるようになったあの年末恒例の歌合戦(私は10年以上見てないが)で、「あの方の存在感はどうだろう」とちょっと思ったことを覚えていたからです。その方があの古い曲を持ち出す.....。

 建設土木作業がまだ手作業で行われていた時代の唄。悲しい唄です。その点では「過ぎ去った時代の唄」。しかし「それが人々の共感を呼んだ」ということは、人々がそれを回顧したのか、そうでなければ「今でも同じような悲しい仕事がある」と考えてその「今日性」に共感したということだと思ったからです。

 そりゃありますよね。サービス残業とか、過労とか、鬱とか。もし人々がそういう事であの唄に「今」を連想していたとしたら、それはそれで問題だと。そう言えば今日の東京FMタイムラインの特集は、「ブラック企業」でした。若者言葉で、「大量採用しながら、比較的短期間で離職・退職を強要するような、仕事が過酷な企業」という意味で出てきた若者言葉らしい。

 その部類に分類された企業は、例え「有名企業」であろうと若者が集まらなくなったと出演して下さった方が言っていた。多分唄のパワーが違ったんですね。色々出てきたグループでちょっと話題になっていたのもあった。私が数少なく知っている「金爆」とか。多分美輪さんが一番話題になったと言うことは、あの唄の歌詞に力があった、ということだと思う。

 その他の唄はもしかしたら、「聞き終えたら何も残らない」ものが多かったのかも知れない。知りませんよ、見てないから。しかしそういう気がする。あの唄は「かーちゃん」の唄でしたが、今は「とーちゃん」がそういう状況かも。


2013年01月09日(水曜日)

 (23:25)東京スカイツリー。もうすっかり東京の、そして日本のシーンとしてお馴染みになり、成田からバスなどで都心に向かっている時に見えてくると「ああ東京に、日本に帰ってきたな」と最近は思うのですが、今日は改めてその「知られざる」テクノロジーをロケ取材。

 タワーというと直ぐ上を見てしまいますが、実は大きな新テクノロジーの一つは地下にありました。スカイツリータウン、そして近接する東部鉄道の本社、自転車駐輪場などを結ぶ温水・冷水供給システム。

 これが実にうまく地中熱を利用しているのです。その上で水を夜の間に温めて「貯熱」しておく。水を冷却する方式にも斬新なものがありました。その上でタウン全体に冷水・温水を供給する。このシステムに使われている水の総量は7000トン。そこには「街作り」のアイデアがありました。

 その他にも東京スカイツリーには「雷研究」の最前線の装置(ロゴスキーコイル)が取り付けられていたり、今年5月から予定されている東京スカイツリーからの地上デジタル放送の電波送出装置なども見せて頂きました。

 この番組は、今月の最終日31日木曜日の地球アステク(BSジャパン 午後10時)で放送されます。お楽しみに。そして今日のアステクは、「クール・ジャパンと日本のものづくり」と題して、「バンダイ ホビーセンター」と「東芝機械」への取材分をお送りします。

 子供達、いや最近はそれで育った大人達にとっても大人気の「ガンプラ」。いまなお進化を続けているプラモデルですが、それを支える先端技術に迫ります。「累計売り上げ4億個以上」という「ガンダム・プラモデル」(通称ガンプラ)の知られざる真実に迫ります。

 驚きの技術がありました。異なる色、素材を一体成形する世界唯一の成形機がそれです。その最新鋭マシンがずらっと並んでいました。さらに多くのプラスチック製品を製造するのに欠かせない高速・精密な成形技術。そこから「日本のものづくり」の強さが見えてきました。

 木曜日午後6時55分からは東京FM Timelineです。明日のタイムラインは『社会問題としての「ブラック企業」。その傾向と対策』をお送りします。就職を間近に控えて学生さんには是非聞いて欲しい番組です。


2013年01月08日(火曜日)

 (12:25)ははは、今日ちょっと気にかけていたのは新幹線での大阪からの帰りが右の窓側、つまり海側だったので「逆サイドから富士山を見る」でした。昨年末に一度偶然に「海側の窓から見える富士」(その時も大阪からの帰り)を見つけたのですが、あっという間に通り過ぎて映像に収められなかった。「今日はトライ」と思ったのです。

 グーグルの地図で路線を進めて見ていたら、掛川を過ぎてしばらく、静岡駅の手前までで線路がほぼ真北に向かっているかのような区間がある。「ああ、ここだろうな」と思って、その地点への接近を見ていたら、大阪(午前10時)を出発して1時間35分ほどしてこの地点で富士山が見えてきました。「海側の窓の左側ながら、かなり中に寄った形」で。

 具体的に地図でどの地点かというと、小坂川緑地から用宗小石町から用宗巴町、さらに青木、そして寺田鎌田緑地、そして東海道線の駅「安倍川」まで。少なくともこの区間はグーグルの地図では東海道新幹線が真北に向かって走っている。大阪からは真北で、東京発は真南に向かって走るような場所です。そこでは海側に座席を割り振られても富士山が見える。

 その箇所を通過するのに約1分かな。かすかな命です。しかしちょっと面白い。映像に撮りましたが、かすみがかかっていてちょっと鮮明度が落ちる。また良い映像が取れたら差し替えます。東京サイドから言うと発車して57分くらい、静岡駅を過ぎて進行方向左側の車窓の後ろを見る形になります。

 なんと言うことはなかったが、ちょっと面白かった。まあバカなことをしていたので、予定していた原稿を一本書けませんでしたが。ま、いいか。それにしてもアップルの地図は全く役立たなかった。いつ改訂されるのやら。

新幹線の海サイドの席から見た富士山


2013年01月07日(月曜日)

 (19:25)昨年末からのミャンマー強硬ぐるぐる回りの疲れを癒すために、山梨県の河口湖畔や同県の秩父に近い温泉に入って骨休みをしておりました。「日本に帰ってきた」と実感するのは、ジャンガララーメンなどを食べるのもそうですが、やはり温泉でしょうか。

 それにしても、この地域の関係者はみんなこぼしてました。「笹子トンネルの事故でお客さんが減った」と。年末年始はさすがに満員だったそうですが、客室40くらいの旅館で事故から数えると「50組以上のキャンセルがあった」ということで、罪作りな事故だと改めて思いました。

 帰りは敢えて両面通行の中央高速笹子トンネルを通ろうと思ったら、勝沼のところで「大月には抜けられません」と表示。係員の方に「何故」と聞いたら、「安全の為」と。だったら「両面交通になった」なんて宣伝しなければ良いのに。

 もっとも正月明けで国道20号線の上りは非常に空いていた。渋滞フリーでした。大月から高速に乗ったのですが、車が本当に少なくて、「こんなに車の少ない中央高速は開通直後でもなかった」と思った次第。いつになったら、完全開通するんでしょうね。それまで甲府、その周辺、長野県中部の観光地はお客さん減に悩むことになる。

 あそうそう、バンコクの空港は皆さんご存じの通りクレジットカード番号を入れないとwifiが使えない。しかしローミングの3Gでiphoneは全く問題なく使えた。そこでクレジットカードの番号を入れるのが面倒だと思ったので、iphone5をケーブルでPCにつないで「ネットワーク環境の設定(wifi off)」で繋げたら、「ゲゲゲ」と思うほどスピーディに繋がりました。

 それまで写真を送るのにどえらく苦労していたのが嘘のよう。多分ローミング対象業者に繋がったと思うので、料金もそれほど高くないのでは(希望的観測)と。その時「うーん、iphone5のテザリングは使えるな」と思った次第。

 それにしても今日は都内が混んでいましたね。道路は空いていたが。何故かというと例の「挨拶回り」「祈願参り」でしょう。たまたま通りかかった日枝神社の周辺は、黒い背広を着た大勢の人々がうろうろしていました。恒例とは言え奇妙な習慣です。

 ま明日からは一応の儀礼が過ぎて、「平常通り」に近づくんでしょうね。それにしても日本は寒い。晴天は同じなんだけど、インレー湖の温度が懐かしい。


2013年01月05日(土曜日)

 (09:25)ついに10円来ましたか。88円台。ちょっとスピードが速い感じがする。しかし円安の方向(それが高すぎた円の修正であろうと)は年末に予想した通りです。

 このウォール・ストリート・ジャーナル記事の下にあるmonthly changeを見ても、なんだかんだ言いながら、アメリカの雇用(非農業部門)は、2010年の後半からずっと伸びてきている。これはちょっとした安定感です。

 ニューヨークのダウも40ドル強上昇して、新年最初の週を13435.21 ドルで終えた。なかなかの水準です。までも改めて言いますが、何もかも一直線ではいかない。このまま上がればスピード違反になる。

 ところで、ミャンマー旅行中に撮影した写真は適宜公開してきましたが、動画はなかなかアップできなかった。ネットの伝送能力の問題です。しかし日本に帰ってきて楽にできるようになりましたので、まずまずの出来の5本をユーチューブにアップしました。

 文章とはまた違って、「今のミャンマーの切り取り」になっていると思います。ユーチューブですから、解像度はちょっと落ちている。しかし私も間違って消したりしないように映像を投げれるのはラッキーな事です。

  1. ミャンマー最大の都市ヤンゴンの今
  2. ミャンマーとタイ、ラオスの国境「黄金の三角地帯」の町タチレクの昼
  3. インレー湖:湖上の漁業と農業
  4. パゴダ群に沈む壮大な夕陽=シュエサンドー・パゴダの上から
  5. ヤンゴンの壮大なパゴダ「シェッダゴン」


2013年01月04日(金曜日)

 (05:25)成田にもうすぐ到着します。約10日間という短い間でしたが、「今開きつつある国」であるミャンマーに関する私なりの印象を機内での簡単なまとめとしてですが、書き残しておきます。2012年から2013年の初めの期間の。特に時を記しておくのは、この国は少しの時間の経過で大きく変わるだろうからです。

 まず記しておきたいのは、「ミャンマーは綺麗でもあり、汚くもある国だ」という事です。インレー湖の湖面を渡る風、朝陽や夕陽の光をきらきらと反射する湖面、バガンの夕陽(そして恐らく朝陽)、そしてミャンマーのかなりの国土に見られる「トトロの森」、各民族ごとの印象に残る楽しい衣装の数々など、強烈なイメージとして記憶に残ったものは一杯あります。また来たいと本当に思う。

 ミャンマーの人々はと言えば、 fun-lovingです。ウィーさんが特にそうですが、彼が例外なのではなくミャンマー人同士の挨拶を見ていると、短い間に何か一つお互いに冗談を言っているように見えた。ノリも良い。滞在中に少なくとも3回(アカ族の正月の祭り、ホテルのガラ・パーティー、そしてバガンでのレストランでの出し物=主に民族の踊り)も「江南スタイル」を聞いたが、最後のバガンの夕食の時にちょっと「江南ダンス」を従業員の近くで披露したら、えらくうけた。愛想も良い。

 私が持った印象では、「身の安全」という意味からして、決して危なくはない国だ。ホテルを出て時には一人で結構歩き回りましたが、誰かに会ってもちょっと笑顔を送ると、笑顔が返ってくる。どこでも。だからミャンマーという国に居てセキュアーな感じがある。ナイスだ。犯罪にあう感じはなかった。

バガンの最後の晩にレストラン(野外)で披露された  しかし一方で汚い国でもある。特に目に付いたのは、色々なところで目に付く投棄されたゴミだ。緑と土色(やや赤い)のコントラストのある国土をしているのに、あちこちに見えるゴミ(しばしば白い)がこの国を汚くしているように思う。綺麗にしているところもあるが、これは残念だ。綺麗に掃除されているところもあるのだが。あとは乾期の土埃やレストランのキッチンの雑然とした感じなど。まあ綺麗になるのはこれからでしょう。

 「ミャンマーに行きたい」と思った方にお伝えしなければならない事がある。それは「決して日本の利便性、清潔さを求めてはならない」ということだ。お風呂でお湯が常に潤沢に出たのは、最後のバガンのホテル(Bagan Thiripyitsaya Hotel)だけだった。このホテルには日本の資本が入っていると聞いた。日本から研修生も5人ほど来ていたし、その他に日本語を喋る従業員もいる。しかしそこの風呂も、お湯をためると薄く濁っていた。

 他の宿泊した四つか五つのホテルは、「お湯は極めて出にくいか、出ても最初の10分ほど」だった。それも湯船にためると色濃く濁っている。「シャワーでさっさと済ました方が良い」と言われているようなものだった。それは「日本とのコントラスト、違いを楽しみに来ている」と思うことだ。また「大陸的粗雑さ」で、ホテルの建て付けは総じて良くない。

 ネット環境は劣悪だ。都市によって違いはある。しかし「時々繋がり、時たま速くなり、直ぐに繋がらなくなる」という状況だ。「速くなる」と言っても、日本のポケットwifiの域に達しない。空港のロビーにしてそうだ。だから相当遅い。

 かつ良いホテルにして「wifiが走っているのはロビーのみ」というところが多い。結構良さそうなホテルでもそうだ。全く無いwifi、LAN環境がないホテルも多い。チャイントンのホテルがそうだった。そういえば、部屋でネットが使えたホテルには私は最後までぶち当たらなかった。国のネット回線そのものが細いのだ。

 だから夕方や朝のホテルのロビーは、「ネットをつなぎに来た人々」(私以外は大部分は欧米人だった)がそこかしこに居るという状況になる。「どの場所で、いつがベターか」という情報が飛び交う。これは良い会話の切っ掛けになった。

 「飲み水や食事には気を付けねばならない」ということは、南アジアと同じだ。ミャンマーはインド、バングラデシュの隣国だ。この二カ国では水が、だから氷や野菜サラダなども注意しなければならない。日本人はミャンマーの水に慣れていない。油断するとお腹をやられる。

 ちょっと不便さがあるミャンマーのホテルでも、良い事がある。ランドリーが素早いことだ。きっとものすごく人手があるのだろう。出すとあっという間に出来上がってくる。仕上がりは総じて良い。だから思ったより少ない枚数で10日間を過ごせた。ちょっと衣類を持って行き過ぎた気がする。

 「それにしても」と思う。日本の1.8倍の国土に日本の半分以下の人口。平野でも山間部でも、湖上でも人類というのは実に多様な生活を、そして風習を育んできたとミャンマーで改めて思う。首を長くしている人、入れ墨をした人。それらは「他との違い」をつくって種族保存ははかった形跡が濃厚だ。そういう意味では奇想天外な風習でも合理性があると思うし、今の価値観だけでその善し悪しの判断は出来ないと思う。言葉が違ってきたのも、そういう背景があるかもしれない。

 土地は山ほどあるはずなのに、山の傾斜にもちゃんと田圃を作り、そして高床式の家を建てて人々が住んでいる。結構な数の子供はフルチンだったり裸足だったりする。人なつっこい。自ら寄ってきて何かを要求する子供も一部いたが、そうでない慎み深い子供達が多かった。ブータンと同じだ。

 多様性が好きで、どちらかと言えば好奇心が強い私のような人間には、とっても楽しめた国だ。長い歴史があり、神話があり、fun-lovingな人々がいる。急激な開放の中でこの国も大きく変わるだろう。「失って欲しくないものがある」などという出しゃばった気持ちはない。それぞれの国は、そして人々はそれぞれに変わる権利がある。それがまた楽しみだ。

 しかし2012→13年という変わり目の時にこの国に来て、本当に良かったと思う。間違いなく私が見たミャンマーはこの国のごく一部だ。時間も限られている。今度は雲南からゴールデン・トライアングルを抜けてタチレク、そしてチェンマイ→バンコクも面白いルートだろうな、と思っている。多分この旅はインレー湖やバガンのホテルのような利便性は一切ない。しかし「面白いだろう」と思う。

 思わぬ収穫もあった。なんとミャンマーには美味しい赤ワインがあったのだ。最初ヤンゴンのレストランで飲んで、あまりにもバリューなので、あとで酒屋に寄って買った。「ミャンマー・ワイン」は日本に持って帰ってどのくらい美味しく飲めるか知らない。

 そう言えば、ウルムチにも美味しいワインがあった。乾期を持つ地域では、ことのほか良質の葡萄が育つ環境があると改めて思った。


2013年01月03日(木曜日)

 (23:25)実質最後の3日は朝早い時間にバガンの空港を出てマンダレー、へーホーの2つの空港での乗客の入れ替えをこなしながら、昼前にヤンゴンの空港に到着。その後はお土産屋さんに行ったり、途中のうまそうな店(現地で人気があるらしい。店名は"フィー")に立ち寄ったり、最後には5年前に出来たというスーパーマーケットに行ったり。

食べるお茶などがありました。食材に限らず豊富だった  サンクトペテベルクもそうでしたが、旅の最後にその都市のスーパーに寄るのは「総集編」として面白い。その国の人達が実際に今必要としているものが一杯ありますから。寺や神社など過去の遺産・遺物ではない「current」「今」がある。最後にそれを確認するのだ。

 日本のそスーパーのようには洒落てはいない。しかし商品が一杯並んでいて面白かった。そこで働いている人、そこに買い物に来ている人の顔を見るのも楽しい。お坊さんもスーパーでの買い物をしていた。

 「(日本に)買って帰る」という気は起きなかったが、「食べるお茶」なんてのもあった。日本にはない商品も一杯ある。例えば停電の時に使うLEDライト。これは買ってきました。充電可能でオンにすると煌々と光る。停電が多い国ならではの製品だ。ヤンゴンの空港でトイレに入ったらちゃんとそれが置いてあった。シャン族のラーメンなど滞在中に食べた麺の即席バージョンもありましたので、それも買いました。

怪しい名前のメーカーの商品も一杯  お土産品で気に入ったのは、首からスポっとかけるタイプの布製の「もの入れ」です。二つも買ってしまった。ミャンマーの人はこれを皆やっている。体重のバランスが崩れなくて良い。ちょっとしたもの、例えばミャンマーのような国では「ウエットティシュー」などを入れておけば便利だ。パスポート入れにもなる。

 「開きつつある国」として当然あるだろうなと思ったのはゴルフ場。ありました。ヤンゴンとバガンの二カ所で見つけた。あれだけ広い国土故に、今後増えるのではないか。ヤンゴン市内には「ゴルフ・ショップ」も見つけました。しかし多分「芝付き」は悪いと思う。なにせ乾期がある。

 ヤンゴンは変わりつつある。ウィーさんが面白いことを言っていた。ヤンゴンで住所を聞いても「知らない」と言われるケースが多い。よくよく調べると隣だったりする。しかし普通のミャンマーの地方都市では、聞かれた人がその場所を知っていたら、自転車でも何でもそこまで連れて行く、と。都会なんですよヤンゴンは。

 夕方の飛行機でバンコクに飛び、そこで乗り換えて東京には4日の朝に着きます。


2013年01月03日(木曜日)

 (00:25)目玉の「パゴダ群に沈む夕陽」は実に壮大で綺麗でした。世界中から来た観光客が100段近い急な階段を上がってシュエサンドー・パゴダの上で太陽が遠くの山並みに沈むのを待ち、そしてその時が来るとざわめきと驚嘆の静けさが訪れた。「オー」くらいしか言葉がない。

見事なサンセット  太陽が沈むシーンもそうですが、その夕陽を正面から受けて浮かび上がった東側の大小数々のパゴダの群れもまた圧巻でした。写真を何十枚となく撮ってしまった。自然現象を写真に撮るのが難しいことを知りながら。特に太陽をとるのは難しい。沈んでも雲に夕陽が当たって、それがまた綺麗でした。写真を掲載しますが、やはり機会があったら皆さんに実際に見て欲しいと思います。

 昨日「金色の数多くのパゴダが、沈む夕陽を受けて一段と黄金に輝く時」と書きましたが、それは私の勝手な想像、というか調査不足でした。バガンのパゴダは黄金色は少なく、多分赤土を日干し煉瓦にした材質がそのまま出ている赤茶色が多かった。しかし夕陽が黄金色ですから、夕陽があたったパゴダはやはりその時は黄金色にはなる。

 バガン全体では「約2000のパゴダがある」(ウィーさん)ということです。そのうち約300がシュエサンドー・パゴダの上から見えるそうで、実際に見ると土と緑の大地の上に大小のパゴダがにょきにょきと建っている。殆どが赤茶色く、時々石造りの白っぽい大きなものがあるという具合。

 なぜバガンにこれほど多くのパゴダがあるのか。「ある時宝石の雨が降った。だから貧しい人もパゴダを建てられた」と説明された。しかし大小のパゴダの間を走っていると、それはまるでとっても大きな墓標のように見える。建てた人、家の名前のようなものが刻まれている。

 全体的なバガンの環境を言うと、土はやせて乾燥している。今はちょっとした野菜がところどころ作られているが、肥沃な土地ではない。そこに誰か王様か偉い人が大きなパゴダを建て、「そうしないと良い転生が出来ない」といった考え方が人々の間に広まって、それが「少しでもお金が出来た人はパゴダを作る」となったような気がする。

 日本でも例えば尾道では「商売に成功したらお寺を作る」という伝統というか風習があったと聞いている。人間はちょっと豊かになると、大部分のケースにおいて「死後」を考えた。それが一つの時代の風潮として「パゴダ群」となった気がする。

 ピラミッドも考えてみれば墓だが、パゴダは建前としては「仏様を祭った建物」だから違う。しかしどこかで「人間は死ぬ」という事実と結びついているように思う。つまりパゴダ群は明らかに「昔生きた人々の死後への”気”が入った建物が林立する場所」なのだ。そう思えば面白い存在だ。

 それにしてもパゴダの上にいるときには、世界中から人間が集まっているだけに「何かで押し合いへし合いになったら誰かが落ちるという惨事も」と考えてしまうほど高く、狭い場所での夕陽鑑賞だった。無論朝陽鑑賞も綺麗だそうだが、今回はそれはなかった。いつかやってみたい。多分絵(静止画、動画)で見るよりは、実際に自分の目で両方(sunrise とsunset)を見た方が数段良いだろうから。そうだ、今度は朝陽だ。

子供が上の親子仏と ガバンで  それにしてもバガンは面白い街です。もっぱらパゴダが一杯ある地域を狭い意味で「バガン」と呼ぶ。それが有名です。その周りにニューバガンという人の住む地域があり、それとはまた別にニャオといったか空港の近い場所に人々の住む地域がある。それら全体を「バガン(BAGAN)」と呼ぶこともある。

 いろいろな移動手段を使いました。昼の空き時間の1時間ちょっとは、パゴダ群の中を私と稲村さんは自転車を使って走り抜けて見ました。他の方々はマッサージ。良かったそうです。しかし私は自転車でパゴダ群の中を走る方を選んだ。パゴダが並ぶ中でその空気を感じたかったのです。建てた人々の気持ちが伝わってくるような気がした。インレー湖より暑いバガンでは、びっしょり汗をかきました。

 観覧場所のシュエサンドー・パゴダまでは馬車二台に分乗していきました。土道をもうもうたる埃を立てながら。大柄の人二人を乗せた馬車の馬は可哀想でした。馬は大体20歳になるまでは使うそうです。ポニーより一回り大きな馬です。ニューヨークの街並みを走っているような大きな馬ではない。しかし悪路をよく走ってくれたと思う。

 ミャンマーの人々が顔に塗る「THANAKHA」(タナカ)のミュージアムにも行きました。古くから使われている顔料だそうで、王様が使ったことから広まったらしい。グループの中に実際に塗った人がいて、その人は「気持ち良い」と言っていたが、「日焼け止め」に実際にどのくらい効果があるかは知らない。

 インレー湖ではほとんど見かけなかった日本からの人も、ガバンには沢山いました。日本人は「歴史」とか「古都」が好きなんだなと改めて。大きな三脚とカメラを持ち込んだ「中小企業の従業員ですよ。こんな時しか休みが取れないので」と語っていた自称”素人カメラマン”は、持っていた連射マシンで周囲の、特にボローニャから来たイタリア人カップルの賞賛を浴びていました。

 兎に角、シュエサンドー・パゴダは国際交流の場で面白かった。少し変な人が居て誰かを押したら、ビルの5〜6階くらいの高さですから、間違いなく重傷者、死者が出るのですが、日本のような囲いもない場所で、それぞれの国の人が常識を守って何事もなかった。

 日本だったら鉄製の囲いと入場制限をするだろうに。


2013年01月02日(水曜日)

 (07:25)インレー湖の畔のホテルを元旦の昼頃出て、マンダレー経由でガバンに来ています。古都。なんでもパゴダ(寺院)が一杯あるらしい。ウリは、「このパゴダ群に沈む夕陽」だと。金色の数多くのパゴダが、沈む夕陽を受けて一段と黄金に輝く時があって、それが実に美しいと。その絶好のシャッターチャンスの為に来たようなものです。私にとって。

元旦もやっていた村の小学校  有名なお寺に2〜3行くらしいが、私は「何年前に建てられた.....」とかいうことにも、寺院そのものにもあまり興味がない。それよりも、「人々はどうやって生きてきたか、今どうやって生きているか」に興味がある。この街は人々が住む場所とは違う場所に、専らパゴダ群として作られている、という。実は「人々が住む場所」の方を見たい。だからバゴダは「瞬間の撮影」の為に来たようなものです。

 そういう意味では、晦日と元旦の朝に歩いたインレー湖のほとりの村は面白かった。ホテルを出て片道30分の道を「行って帰って」で二日連続歩いた。車が通る道を一歩はいった土の道の周りの農家が面白かった。行き帰りで良い運動にもなった。

 ミャンマーの小学生と中学生が通学し、農耕用のトラクターが行き交い、湖で採れた魚を売る女性連れがおり、店を開けていつくるとも知れない客を待つ商店主(といって並んでいる商品はせいぜい数十です)がおり、路上のバイクの上で談笑する若者のグループがおり、家の中で家事をする女性がいた。人々は確実にそこに生きていた。皆薪をくべるかまどだった。

バガンの夕暮れ。綺麗でした  貧しい。埃っぽい。所在なくただ通りを見ている人が多い、などが印象です。しかし2006年にNHKの仕事で行ったハイデラバードの北のインドの農村よりはるかに豊かです。なによりも竹で作った高床式の家があり、多くは衛星放送のアンテナを持っていた。

 インドの農村で見た家は、面積が4畳半+半畳くらい台所だった。といっても畳はない。家の中が土間だった。薄暗い電球が一つ。かつ料理の道具は、汚い鍋が二つある程度。主人が借金苦を気にして自殺した家を訪ねたのだ。

 その家は村でもどちらかと言えば貧しい方だったが、いまでもよく覚えている。子供を抱えた女性が呆然としながら農業の手伝いをして生きていた。見る方も、インタビューする方も辛かった。しかしなんとこの部分は二日もかけて取材したのに、いろいろあって放送は出来なかった。残念だ。

 ミャンマーの村の方がベターなのだが、インドと違って「これはちょっと恐ろしい」と思ったことがある。それはミャンマーの田舎の結構あちこちで見られるのだが、そこでも「豚とニワトリの共同生活」がごく当たり前に見られることだ。これは「鶏インフル」の発生要件の一つとされる。鶏のインフルが豚を経由して人間に、という経路。

 実際に案内書を見ても、ミャンマーは「ちょっと油断すると危ない国」と書かれているし、「ミャンマーを旅行すると疲れる(温度、しばしば感じる不衛生などを原因に)ので注意」と書いてある。確かにそのリスクは特に郡部においてあると思う。これはインドを含めて南アジア全体に言える。実際に我々のグループでも体調を壊した人が二人出た。

 「どんなものを食べたのか」と聞かれれば、端的には「インド的タイ料理、中華料理、ベトナム料理」ということになる。しかし民族が138もあるミャンマーには、実に多様な料理がある。美味しかった順に言うと

  1. シャン族のラーメン
  2. アカ族(シャンの一部族です)のおこわ
  3. 豚肉と鶏のカレー
  4. トマト入り野菜天ぷら
 などだ。シャン族のラーメンはベトナムのフォーに一見よく似ているが、麺に総じて強い腰がある。チャイントンで食べたものとへーホーで食べたものはまたちょっと違ったが、「腰」の理由は「餅米」が入っているからだと思う。

 「おこわ」は竹筒に入れて暖めて食べたりするのだが、日本のお赤飯によく似ている。中にはジャガイモなども少量入れるらしいが、粘りけがあって良い。食べ物として安心感がある。カレーはベンガルのカレーより内容物の形が残っている。みずっぽくない。だからうまい。

村で魚を売る女性  知らない野菜も一杯出てきました。しかしとにかく食器やスプーンなどがホテルなど一部を除いて「大丈夫だ」とは思い切れないものが多かったし、ミャンマーのレストランのキッチンを除くとぎょっとすることが多かったので、私でも「警戒的試食」の域を出ていなかった。しかも食べているところが本当にここの普通の人々が食べている所ではない部分もある。屋台にも座ったが、食べるものは選んだ。

 料理の中でも火を目の前で通したモノはまず安心なので、それはバカバカ食べた。結構頂けるものが多かったように思う。美味しく。日本にはタイ料理は店として大量に出てきている。ベトナムもそうだ。ミッドタウンのフォーの店など好きだ。だからシャン族のラーメンも「(日本で)いける」と思ったのでウィーさんに言っておいた。

 あと二日なのでまあ大丈夫でしょう。私のお腹は。インドでもそうだったが、最後はちょっと冒険します。食べ物で。旅の初めに体調を崩すのはつらいので。ただし水では冒険しません。ホテルのボトルで通す。

 そうそう、ミャンマーの学校は、朝必ず朝礼があるようです。小学校でも中学校でもやっていた。生徒が温和しくをれを聞いているのが面白かった。


2013年01月01日(火曜日)

 (08:25)元旦の朝ふと目を覚ましてベッドの横に置いてあるホテルのちょっとしたお知らせの紙があるのを見つけました。見開きで、左側には「ここは寒いので毛布がクローゼットの一つに入っています。湯たんぽもあります。お電話を....」と書いてあるのですが、右には次のような言葉が書かれていました。

湖上での晦日の夜の風景 Dear MR YOICHI ITO

Take time to be friendly - it is the road to happiness.
Take time to dream - it is hitching your wagon to a star.
Take time to love and to be loved - it is the priviledge of the Gods.
Take time to look around - it is too short a day to be selfish
Take time to laugh - it is the music of the soul.

 「Gods」と当然ながら複数形だ。「誰か有名な人の言葉かな」と思ったら、最後には「ハウスキーピングのアシスタント・マネッジャー」の名前が。ははは、でも新年の朝に目にするにはナイスな言葉です。特に最後が好きです。

 旅も半分をとうに過ぎましたので、ミャンマーの自然について書いておきます。日本でもミャンマー情報はあふれかえるようになりましたが、「その自然」について書いてある文章はあまりないようなので。

ミャンマーの子供達の通学風景  とっても日本に似ています。まず他のアジアの国や世界の国ではあまり見かけない「トトロの森」がある。うっそうとした木々の緑、そして所々にある背の非常に高い木。トトロに出てくる木や森は概ね緑(紅葉もあったかな)ですが、ミャンマーもそうです。「緑が溢れている日本のような国だ」と思いました。

 2012年に行ったウルムチの火焔山(暑さ故に木が山に一本もないように見える)は例外ですが、中国でもベトナムでも北半球のアジアでは山でも木はまばらです。その長い歴史(といっても人類のそれですが)の間に、人々が木を薪に使ってしまったからというのもある。しかしミャンマーでは日本と同じように「トトロの森」が残っている。しかも多種多様な木々が。これが第一印象です。

 次に、これは何度もフライとしたこともあって分かったのですが、どこに行っても田圃がある「稲作の国」だということです。土が赤茶けて「これはちょっと使えないだろう」というところ以外は、水を張った田圃が一杯見られる。それも日本(例えば庄内平野)ほどではないが、かなりきちんと区画され、あぜ道が細いながらくっきりとしている。

 水を張った田圃があると思えば、田圃のあちこちから煙りが上がっていたりもする。飛行機から見るとそれが皆同じ方向にたなびいていて、なんとも良い、のんびりした気分になる。きっと収穫を終えたあと藁を燃やしているのだろう。兎に角年3回も収穫できる。あるところでは稲刈りをし、別の地方では水を張って田植えをしているという感じなのだ。田圃の風景はとっても日本に似ている。

 しかし無論のことながら、日本と同じではない。今は乾期なので酷い道路事情は猛烈な土埃を巻き起こす。その土埃が道路周辺の木々や草にこびりつく。綺麗な自然があるのに、国全体がちょっと茶色になったように見える。雨期はまた違うかも知れない。

 次にゴミが多い。道路、湖上のあちこちにぽいと捨てられている。目に付くし気になる。時々大量投機も目にする。掃除する人がいないわけではない。ヤンゴンでは箒を持って掃除している人を何人も見つけた。その区画は当然ながら綺麗なのだ。しかし綺麗な区画が限定されている。それが日本と違う。

煙が上がるミャンマーの田圃  日本にはない良い事もある。ミャンマーで実に豊かな果物が採れるし、近隣の諸国から輸入できる環境にある国だ、ということだ。車でちょっと運べばよい。マンゴー、バナナ、パパイア、隼人瓜などなど。皆食べたくなる。日本で食べ慣れた味とはそれぞれちょっと違う。バナナでさえそうなのだ。バナナは美味しいが、ちょっとねばねばする。しかし美味しい。

 今日は昼にゴバンだったかバガンだったかに移動します。そこに二日いて、その後はバンコク経由で日本に帰ります。日本の皆さんには、良いお正月を。




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