7年目 〜悲願成就 J1を制す〜

昨年カップ戦を制し、Jリーグでも年間2位を収めた途端にスポンサー契約の申し出は増えた。 今年は外回りをする必要が無いくらいだ。 ワールドテレコム、帝都電話通信の大口契約を含めて10社との契約で潤沢な資金を基に 選手たちとの契約更改に臨む。今年は選手も大きな事を言ってくるだろう。 主力選手には出す。長橋とマルティンには165百万で納得してもらった。 長橋に至っては200%以上の増額だ。長橋は3年、マルティンは2年とした。 GKは最小失点を理由にごり押ししてきたが、ほぼ現状維持となる岩下92百万、袴田95百万を押しきった。 正直言ってチームの穴はGKだと踏んでいる。これまでGKコーチを付けた事も無い、 キャンプでも満足なバックアップを実施できてない。まだ彼らは真価を発揮してはいないのだ。 バイティンガーは留学を見越して3年契約で80百万維持。 和登、宮田の新人は微減の49百万で共に3年契約。

年初のスタッフ会議にて、加東不要論が持ち上がっていた。 中盤は森岡、バイティンガー、マルティン、長橋、山形、大野と頭打ちなのだ。 一人を留学させるとしても4人は固定される。 残るMFと控えGK、そして2人の新人DFでベンチは残り1人。 ここでどうしてもオライリー監督はFWの補強を訴えた。 確かに沢田、竹村の2TOPの後釜は必要だ。

私は加東をオフィスに迎えた。 真っ直ぐに彼の目を見つめる事が出来ない。 「分りました。こういう日が来るのだと、いつか思っていました」 すると加東の方から口を開いた。加東は続ける。 「私もサッカー選手だ。いつまでもピッチに立って居たい。 しかし昨シーズンをベンチで過ごして私の居場所が無いことに気付いたのです」 加東は怒りもせずに、ただ私の手を握り部屋を出ていった。 翌日のスポーツ紙の1面は彼を報じていた。 『大躍進 品川シュトルツの人気選手 加東が戦力外通告!』

そして、もう一人。 オライリー監督の構想から漏れたのは円藤だった。 円藤はまだ24歳、確かに彼も必死だ。私は已む無くもう一度繰り返した。 「円藤クン、君には申し訳無いと思っている。しかし、今年の戦力構想の中に君はいないのだ。 品川シュトルツの代表として、君とは契約が出来ない」 これ程までに辛い仕事があるだろうか。 私はその夜、浴びるほど酒を飲んだ。

チームスタッフは急ピッチで固められていった。 スカウト部に神部嵩光氏が自推で訪れたと言うが、 今年も岡津スカウトに留任をお願いした。 そしてチームのキャプテンは竹村を指名した。 竹村は一瞬驚いた表情を見せたが「まぁ、良いだろう」とキャプテンマークを受け取ってくれた。 竹村にはクウェートFCから、大野にはテジョンFCから、タイレンFCからは喜沢にオファーが あったがいずれも断った。たかだか3億程度の移籍金でチームの宝を譲れるものか。

岡津氏を筆頭とするスカウト部は早速新人FWとの交渉に臨んだ。 ところが上田克己は清水エスパルスに、片切叡山は柏レイソルと ライバルチームと契約してしまった。間中宏茂とは1月下旬まで難航したが契約年数で折り合わず アマチュアクラブと契約したと言う。こう言う年もあるだろう。 そんな中、加東が横浜FCと契約したと言う報告を受けた。 身勝手なことだが、新天地で頑張ってくれ、そう祈らざるを得なかった。 秘書は私の震える肩を見て言った。 「会長、泣いてらっしゃるのですか?」

スポンサーとの兼ね合いもあり、今年も海外キャンプの行き先を模索する。 リーグ最小失点だったディフェンス面は良いだろう。となると攻撃面か。 オランダ攻撃サッカーを学んでくるか。 オライリー監督の承諾の下、チームはロッテルダムで1ヶ月間のキャンプを行った。 キャンプの後にバイティンガーはリスボンに飛び、1年間レンタル移籍する事になった。 入れ替わりでリスボンから森岡が戻ってきた。今年の布陣はこんな感じだろう。

                       (控え)
     竹村
           沢田
        森岡
   大野        マルティン      山形
        長橋

    見吉 千代反田 喜沢          和登

        大幡              宮田

        岩下              袴田
営業部長から今年は入場料を少し上げてはどうか、と言う進言があった。 確かに優勝を目指して良いサッカーを見せれば、対価を得ても良い様には思う。 「それでは2ヶ月間様子を見てみよう」3月、4月は2,000円を維持する事にした。

今年J1に返り咲いたのはヴィッセル神戸とジェフ市原の2チーム。 開幕はそのヴィッセル神戸が相手だった。スタジアムは満員。 営業部長は満足げな表情を浮かべている。 ところが試合展開はそうもいかず。 気を許した訳ではなかろうが、いきなり先制される危うい展開。 辛うじて竹村の2ゴールで逆転勝利。

スロースターターだった品川シュトルツだが、4月は6戦全勝。 ホーム観客動員も3試合続けて満員となった。 長橋が3試合で10.0評価されるなど、すっかりチームの大黒柱となった。 当然月間MVPにも選出された。 サポーターも1千人以上も増え、営業スタッフはホクホク顔だ。

6節の柏戦では、スカウト競争に負け柏レイソルに入団した片切叡山が早速試合に出場していた。 悔しいが黄色いユニフォームが似合っているではないか。 これから永く我々のライバルとして活躍する事だろう。

4月は初めてカップ戦のシードを得た。 上旬にスタジアムにグッズショップを設置した。 かねてからサポーターの要望でグッズを購入したいと言われていたのだ。 私の認識も欠けており、現状のスタジアム用地には立地できないと思っていた。 長い間、サポーターの皆様には大変失礼な事をした。 あのサポーター離れの一因だったかもしれないと、深く反省。

相変わらず入場料2,000円で満員となるシュトルツスタジアム。 ところが4月はホームで東京ヴェルディ、ガンバ大阪にまさかの敗戦。 9節終了時で2位に順位を落としてしまう。 勝負どころの10節はアウェイのFC東京戦。 相手の退場にも助けられ前半で3点のリード。 後半はオライリー監督の気配りで和登、宮田がJリーグデビューを果たした。

5月に待望の連絡が舞いこんだ。 「会長、岡津スカウトから連絡が入りました」 U19代表の水城和宏クンと契約できたと言う。 年俸100百万に現れる通り、シュトルツ攻撃陣のカンフル剤となって欲しいものだ。

カップ戦の2回戦は大分トリニータ。アウェイの先勝に続いてホームでの第2戦。 今月から入場料を3,000円に上げた結果、スタジアムの半分近くが空いてしまった。 まぁ、展開の読める試合だったからかも知れないな。問題無く1−0で勝利し、3回戦進出。

1stステージに目を移すと、11節のジュビロ磐田戦で引分け、12節の横浜F・マリノス戦で敗戦。 ジュビロ戦はホームで8割ほどの観客入りだった。 13節は2位シュトルツと首位浦和レッズの天王山。 ホームには11,000人近くの入場者を迎える事が出来た。満員とならなかったのは残念だが已む無し。 相変わらずカウンターサッカーの浦和レッズ。 ならばカウンター対策として守り固め、相手にスペースを与えない。さすがオライリー監督。 逆にカウンターから西部から1点をもぎ取り、見事な勝利。 しかし勝ち点で追い着かず、この時点では首位は浦和レッズ。

14節は浦和レッズは清水エスパルスと、我がシュトルツは昇格したてのジェフ市原との対戦。 シュトルツ有利の下馬評であったが、さすがは昇格でチームの団結が固いジェフ。 前半は早いチェックの前に好機を作れず。 ただイエローカードを3枚もらった後半はジェフ市原の足が止まり、シュトルツが2ゴールを上げて 大事な勝ち点3を奪取。それにしてもジェフは暫定4位だけの力量は認めざるを得ない、良いチームだった。 ここで浦和レッズが敗れるとの連絡が。首位で最終節を待つ事になった。

チームに合流した水城が早速ベンチを暖める最終節。 相手は浦和を下して意気揚がる清水エスパルス。 アウェイの試合に、プレミア10百万を用意して当たる。 またしてもアウェイの笛がシュトルツに悲劇をもたらす。 見吉に2枚目のイエローが出され退場。 1点のリードを守るどころか、左サイドを抜かれて2失点。 これがJ1か。またしても優勝カップには届かないのか。 浦和レッズの相手は昇格組のヴィッセル神戸だ。万が一にも希望はあるまい。

「・・え? 本当ですか。会長、優勝です。シュトルツの優勝です。 ヴィッセル神戸が2−1で勝ったそうです。万歳。シュトルツ万歳!」 コーチが選手たちに顛末を伝える。 敗戦の後で、にわかには信じ難いがサッカーとはこう言うものか。 品川シュトルツにステージ初優勝が予期せぬ形で転がり込んだ。

10勝4敗1分けという結果は浦和レッズと全く同じ。 但し勝ち点はシュトルツの31に対して、浦和のそれは30。 今年は勝ち点1の差でシュトルツが優勝した。相変わらずの7失点は16チーム随一。 優勝賞金の10億で第2練習場に照明施設を増設し、 クラブハウスにラウンジデータ分析室を設置する事が出来た。

カップ戦も竹村のハットトリックなどで仙台を撃破し、チームは好調を持続。 そして中村がリスボンから帰ってきた。2ndステージに向けて死角は無い。 1軍枠が一杯なったので、宮田をリスボンに2年留学させる事にした。 基礎固めが不充分な気もしたのだが、サテライトで練習させるよりは良いのではないかという オライリー監督の示唆もあった。 3月から4ヶ月連続で月間MVPは長橋が受賞。 こんな時代が遂に来たのだ。ベストイレブンにも千代反田、大幡、森岡、長橋と4人を輩出。 疲れもあってか、オールスターでは千代反田、長橋、森岡が選出されるもののPK戦にまで もつれこんで、千代反田、森岡がこれを外してなんと0−3で敗戦。 7月はコンディション維持に努めよう。

世界スポーツ大会の本戦が行われる7月。 予選と同様に千代反田、長橋が代表入りし予選Aグループを戦う事になった。 ジャマイカ、デンマーク、フランスとの組み分けには、当初から苦戦が予想され、千代反田にかかる 期待も大きかったのだが、1分け2敗とグループ突破はならなかった。 千代反田は3試合にフル出場。フランスのデュキャナンのるような 突破を止める事こそ出来なかったが、勉強にはなった事だろう。 世界スポーツ大会はGグループを首位で勝ちぬいたイタリア代表が優勝した。

チームはその頃、オライリー監督の強い希望もあり、ゾーンプレスを採用すべく戦術練習に特化した。 サポーターも順調に増え、遂に3万人を突破した。 相変わらずの専門誌の戦力分析においてはオフェンス、ディフェンス、スタミナ、システムで3.5、 戦術はゾーンプレス採用を不安要素として3.1という事らしい。

とにかく2ndステージの開幕戦は鬼門の様で、今年もヴィッセル神戸に0−1で躓く。 3節では鹿島アントラーズ戦で森岡がケガをし、水城が初登場。 さすがに浮き足立ったか、好機を逸し1−1のドロー。 続くホームでのベガルタ仙台との4節は4−0の圧勝。和登がピッチに立つ余裕があった。 6節では柏レイソルとの因縁の対決。片切を千代反田が封じ込め、山形が決勝ゴールを上げて1−0で辛勝。 8節で京都パープルサンガに延長まで粘られるものの、9節まで6連勝で首位を独走。

ただし9節で千代反田が痛恨のレッドカード。 ホームに5位のFC東京で迎えた10節、千代反田の穴を埋めるCBには見吉を起用。 左に中村、右には喜沢、リベロは大幡は不動。 しかし急造バックラインをケリーが突破、決勝ゴールを上げたのはFC東京だった。 続く9位のジュビロ磐田にも連敗し、2位東京ヴェルディとの勝ち点差が肉薄。 ただし12節からは森岡が復帰し14節まで4連勝で首位をキープ。

この頃、ミーティングでチームに不和が。 何と袴田、喜沢、長橋、大野、山形、沢田、竹村、森岡、見吉と9人もの選手が人間関係の不満を持っていると言う。 しばらくゾーンプレスの全体練習を続けていたため、何かと束縛を感じていたのかもしれない。 練習方針を個人別に切り替える様にオライリー監督に指示を出した。

9月のカップ戦準決勝は清水エスパルスが相手となった。 敵のエースは上田克己。我がシュトルツを蹴って、清水エスパルス入りした曰く付きのストライカーである。 アウェイで1−1の引分けで迎えたホーム第2戦。 スコアレスドローのまま後半突入。ここで上田が一発退場。 前線にコマが不足したエスパルスを延長の末下して、2年連続決勝進出。

10月はカップ戦の決勝戦と、2ndステージ最終節が待っている。 まったく、品川シュトルツも凄いチームになったものだ。 本当につい2年前までは中位をウロウロしていたのかと思うと、オライリー監督にはいくら感謝しても し足りない。 私の感傷を他所に、カップ戦では柏レイソルを相手に2−1で勝利。 片切に先制を許すが、沢田が2ゴールで存在感をアピール。水城に刺激されて沢田も奮起しているのだろう。 大会2連覇を達成。大会MVPはまたしても千代反田が受賞。

この勢いで2ndステージ最終節を制して完全優勝といきたかったが、 清水エスパルスにカップ戦準決勝の仇討ちを許してしまう。エマラ、矢沖田に3ゴールを喫して 手も足も出ず。東京ヴェルディに勝ち点30で並ばれてしまった。 最後の3失点が響いて、シュトルツの得失点差は+9。対する東京ヴェルディは9失点で+12となり この結果、2ndステージ優勝は同勝ち点の下、得失点差3が命運を分けた。 ふぅ、楽ではないな、J1。12月のチャンピオンシップに標的を合わせて、もう一踏ん張りか。 得点王はジュビロ磐田の高原の21ゴール。竹村は15ゴールで6位に終った。 14位に森岡の10ゴール。沢田はポストプレイに徹してゴールが減った。 最優秀評価点には2年連続で長橋が7.7で受賞。 千代反田も2年連続で7.6で2位。森岡が5位(6.9)、大幡が10位(6.6)とランクインした。

1stステージ2位の浦和レッズが14位と低迷し、強豪横浜F・マリノスもチーム高齢化が 祟ったか12位にまで落ちこんだ。ジェフ市原が昇格初年度でJ2落ち、ベガルタ仙台も2年間の J1チャレンジが実らずJ2へと降格した。

優勝後に更なるFW陣の強化という事でU17代表の大石クンを獲得。 年俸は80百万。水城との2TOPを早く見てみたい。 大石が合流した11月に山形が2年間のリスボン留学へ旅立った。これで宮田、バイティンガーと留学枠は埋まった。 今後、和登、水城、大石も積極的に留学させたい。 留学先ももう少し検討してみたいのだが。

11月にはアジアウィナーズカップに初挑戦。 ところがその1週間前のプレシーズンマッチで沢田が右脚の脹脛をケガ。 オライリー監督の取った作戦は森岡のFW起用。 OMFには長橋を起き、センターハーフには中村を上げた。左SDFは見吉を加える。 もう少し山形の留学を待つべきだったか。帰国後にプレシーズンマッチで調整出来るように月初の出発としたのだが。 大会緒戦はカオシュンFC。 スクランブル体制のシュトルツが先制するものの、 試合終了直前のロスタイムにCKから同点ヘッドが無情にもシュトルツゴールに吸い込まれる。 こうなると流れはカオシュンFCに傾き99分に逆転弾を浴び、延長前後半が終了。 海外タイトルにはまだ早いか。

気を取りなおしてチャンピオンシップまでのプレシーズンマッチでコンディション調整。 GKの岩下の調子が今ひとつだと言う。最近の袴田の飛び出しは危ういところがある。 どちらを起用するか、本当に思案のしどころだ。 先ずはホームの初戦。3,000円の入場料にも関わらずスタジアムは満員。 沢田のケガは復調には至らず、森岡FWが続く苦しい展開。 しかしサポーターの応援が後押しし、竹村が値千金のゴールで1−0。 アウェイでは不調を押して岩下がゴールマウスを守る。 前園に1点を許すものの、またしても竹村が2試合通算の勝ち越しゴール。 1−1のまま試合は終了し、Jリーグ年間チャンピオンの座に就いた。

キャプテンの竹村が優勝カップを掲げる。 長橋がチームフラッグを力いっぱい振る。 森岡はユニフォームをスタンドに投げ込み、千代反田はオライリー監督と抱き合って喜ぶ。 大幡はケガの沢田に駆け寄る。 マルティンは私の姿を見つけると一目散に寄って来てくれた。 「カイチョ、シュトルツ優勝ネ。ボク嬉シイネ。ミンナ、喜ブネ」 日本に来て6年目。まったく上手くならない日本語だ。 「カイチョ、泣イテル。イツモ恐イ、泣ク、オカシイ」 大きなお世話だ、まったく。マルティンは可愛い息子のようなものだ。

ニューイヤーカップには報道陣も多く詰め寄せた。 緒戦のFC東京戦、2回戦の湘南ベルマーレ戦にはスポットでスポンサーも付いた。 3回戦の横浜F・マリノスを下して契約条件であったベスト4に進出。 ところが満員のホームの前でガンバ大阪の吉原にゴールを割られ、 カップ戦、リーグ戦との三冠は成らず。清水エスパルスがリーグ後半の好調を維持して優勝した。

今年の全日程を終えた暮れの1日。 「あの、会長にお話しがあるのですが、聞いて頂けますか」 何やら改まって秘書が私を呼ぶ。 「実は、秘書を辞めようと思ってます。 会長の下で、選手の皆さんと優勝を味わう事もできました。 今度は違う目標に向って、自分を試してみたいんです。 我侭だとは思いますが・・・」 7年前を思い出す。改築前の小さなクラブハウスで私を最初に迎えてくれたのが彼女だった。 「今年で、もう25歳になるんだね。 7年間、本当にありがとう。君のおかげで、どれだけ助かった事か。 本心を言えば、まだまだ居てもらいたいが、山口クンの新しい目標が叶う様に 私も祈っているよ」

随分と部屋が広く感じられる。 整理された資料に目を通す。 今年もほぼ満員の35万人を動員した。サポータークラブも1万人増か。 視聴率に目を移すと15%を超えている。帝国シネマの専務の顔を思い出す。 品川区も46万人を超えたそうだ。

来年はバイティンガーが帰ってくる。三冠を夢見るのは贅沢だろうか。 海外タイトルにも挑戦して、結果を残したい。


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