17年目 〜産みの苦しみ〜

カップ戦優勝の余韻に浸った正月は過ぎた。新しい戦いに向けての準備を始めるとしよう。 現在の所属選手は熟成期を迎えた中堅が多い。今後の世代交代をどう図るか、が中期テーマになるだろう。 フィンランドから交換留学生として都立高校に来日しているヴィヒネンはシュトルツユースに所属しているのだが、 評価は上々。但し彼をサテライトとは言え、トップチームに上げると外国籍選手枠の1つを使ってしまう事になる。 それに正直、代わりに誰を切っていけば良いのか、悩み所だ。
32歳 バイティンガー          25歳 佐藤     18歳 岡本(坂元、岩村、コバレチュク、志木田)
31歳                  24歳        17歳 (十倉、常松、ヴィヒネン)
30歳 千代反田             23歳 阿部     16歳 (スラトマン)
29歳 岩下、森岡、水城、中村、宮田   22歳         
28歳 山形               21歳
27歳 源 、原 、和登         20歳         ※( )内はユース所属選手
26歳 路木、アシモビッチ、大石、ジャビ 19歳 青柳(能登、島)
さて、今年もスポンサーからの援助を加え、強化資金は約100億に。 経営的には随分と楽になったものだ。新スタジアム様様だな。昨年が不況で設備投資を控えたと言う事もあるか。 この資金で選手補強を行いたいのだが、今年の新人はどうだろうか。

今年は6人の選手と契約更改。皆5年の長期契約を結ぶ事が出来た。

阿部      33→ 90(5年) ヤングリーダーとしてボランチの位置でチームを統括。
大石      95→115(5年) スタメン争いは激化する。勝負強さを前半から発揮できれば良いが。
原       25→ 40(5年) 気付けば原も10年目。ムラッ気が無くなればレギュラー定着だが。
青柳      35→ 35(5年) 待望の大型FWはレギュラー出場が第1目標。
アシモビッチ 170→165(5年) リスボン仕込のゲームメークがいよいよ披露。
岡本      30→ 33(5年) 千代反田も戻ってくる今年はJデビューも難しいか?
今年から中盤のMFはY字型に、2列目を森岡、源、センターハーフにアシモビッチ、1ボランチが阿部と言う4人を 基本陣形にしたい。バイティンガーはユースのコバレチュクの指導も忙しかろう。但しそのキャプテンシーは 依然健在。今年もキャプテンはバイティンガーに。ゲーム中は水城、岩下が統括してくれるだろう。

選手との交渉を終えた頃、嬉しい知らせがもたらされた。 「会長ぅ、ラゴスFCの代表からお手紙ですわよ」昨年のプレシーズンマッチで遠征試合を実施した際の パフォーマンスを評価してくれたらしく、チーム提携、姉妹都市締結などの交流を希望してくれている。 幸い、新品川区長も姉妹都市の件は快諾してくれ、ここにラゴスとの10年間の姉妹都市が決定した。 期待の青柳は近い内にラゴスFCに留学に出すようにテクニカルスタッフに指示を出す。 また、21万人を超えたサポータークラブの予算は256百万と若干余裕を見た予算組みが出来た。 今年も温かい後押しを期待しよう。

早速のラゴスキャンプも検討したのだが、<南米カップ>に3度目の挑戦。 ところが緒戦サンチャゴFCに0−3と完膚なきまで叩かれ、早々に帰国。 うーん、まだ早かったかな。優勝はアスンシオンFCだった様だ。 すると篠原クンが「会長ぅ、ウチの選手たちは少し貧弱過ぎません?あんな格闘技選手はどこにもいませんわよ」 おいおい、シュトルツは格闘技チームじゃ無いんだけど。但し篠原クンの言う事も確かに一理ある。 基礎体力強化の見直しを図るためにクラブハウスにパワージムスピードジムを設置した。やや遅きに失したか。

3月からはJリーグが始まる。1stステージでの活躍がインターナショナルカップ本戦に代表として赴く最後のアピール。 年齢的に最後のチャンスとなる者が多いだろう。嗚呼、千代反田は遥かイタリアでセリエAに挑戦したが、 ラツィオFCのトップチームでは活躍できず、代表選出は難しい状況だ。 財務スタッフからは、来年の契約を控えている水城、中村に代えて青柳、岡本の起用を進言してきた。 流石に経営至上主義で戦力を出し渋る訳にはいかないが、財務スタッフの言い分にも一理ある。 と言うのはバックアッパーの育成という観点で、だ。しかし彼らも最後の日本代表へのアピールもあるだろうし。 ま、これは織田監督とテクニカルスタッフとの間で協議しよう。 開幕まで、もう間も無い。

Jリーグを戦う布陣の試金石となった一戦がある。ローマFCとのプレシーズンマッチである。 強豪相手に織田監督は青柳と岡本をスタメンで抜擢した。すると、1点ビハインドを覆したのは青柳。 森岡からのクロスを叩きこんだ。その後も一進一退をスーパーサブ大石の決勝ゴールで3−2と勝利。 織田監督も何やら頷いている。続く柏レイソル、大阪エステーラ、ガンバ大阪とのプレシーズンマッチも2勝1敗で 阿部は3試合とも10.0評価と期待十分。

1stステージを3日後に控えたスタッフ会議の席上で、織田監督から今年の方針が発表された。 世代交代を見据えて、リーグ戦は青柳、岡本の起用。水城、中村がカップ戦用員とされた。 そして第2GKのサテライト行きが伝えられた。昨年は監督が3人も代わる波瀾の一年となった。 今年は多少の事があろうとも、この方針を貫こう。

開幕戦はシュトルツスタジアムでの京都パープルサンガ戦。阿部の先制点を守りきれず引分け発進。 アウェイの2節仙台戦は青柳に代えて後半からピッチに立った大石の決勝ゴールで初白星。岩下のファインセーブが光った。 3節ではホームでいよいよ待望の青柳初ゴール。森岡を休ませ途中出場した山形も左を振りぬいて存在感を示す6点目。 ここまでは順風満帆だった。

躓いたのは4節の大阪エステーラ戦。プレシーズンマッチとは一転、ディフェンスラインは岡本の息が合わず、 裏を抜かれて4失点。相手GK上埜のファインセーブもあり0−4の完敗。信賞必罰の織田監督は岩下をサテライトに落とし、 佐藤を1軍練習場に召集した。GKに敗戦の責めを負わすと言うのか。

目が輝いたのは佐藤。念願の1軍ピッチでの動きにはキレが十分。5節はサガン鳥栖を相手に源、原の活躍で勝利し4位浮上。 ところが、ここから5試合連続で勝利に見放される。そしてその都度GKを入替える織田監督。 この5試合で唯一の得点が、2位柏レイソルからの青柳のヘディングと言うのも問題だ。10節終了時点で9位と低迷。 4月終了しヴィッセル神戸と清水エスパルスが首位を争っている。清水の市川は2ヶ月連続の月間MVPだ。

5月に入るとカップ戦の2回戦が始まる。 昨年準優勝のため、1回戦シードのシュトルツが対戦するのは柏レイソル。 この日を待っていたのは水城、中村の両ベテラン。アシモビッチのゲームメイクも冴え、シーソーゲームを3−2で制す。 勢いは持続し、最下位名古屋グランパスを原のゴールで1−0と辛勝。4勝目に一番喜んだのは織田監督だろうか。 カップ戦の2戦目はアウェーで苦戦するが、阿部のPK2本などもあり2−2でトータル5−4で3回戦進出。

ところがここ3試合ゴールマウスを守った佐藤が、15位大分トリニータに2失点。森岡の試合早々の退場では ゲームメイクもままならず。岡本を諦めて山形投入で攻めにかかるもボールはゴールネットを揺らす事無く6敗目。 岩下が帰ってきた11節。浦和レッズからまたしても青柳が同点ゴールを挙げるが、終了直前に集中が切れる。 88分にアリソンのシュートが無残にも岩下の指先を掠める。 気付けば順位は11位まで降下。この時点でヴィッセル神戸は優勝を決めた。

「会長ぅ、お客様ですわ。何だか、とても怒っていらっしゃるけど」 そうか、帝国AVとのスポンサー契約は10位以内だったか。 違約金350百万を支払った時に、財務スタッフからは監督更迭を求める声もあった。 しかし、今年は織田監督に賭けよう。幸い最近の緊縮財政でキャッシュフローには余裕がある。

「会長ぅ、今年も地元のお祭りに出資なさいますの? だったら、私もお願いがあるんですの。今年もレスラーフィギュアが欲しいんですの」 好きにしてくれ。

14位のアルビレックス新潟との14節は辛うじて2−1の辛勝。佐藤がゴールマウスを守り、カップ戦の3回戦。 ガンバ大阪とのホーム1戦目。吉原に先制を許すが、水城、アシモビッチが1ゴールずつを挙げて先ず先勝。 ホッとしたのか、最終節は5位ジュビロ磐田に1−4と大敗。源はレッドカード、原がケガと散々だ。 1stステージは12位で終了。何と言う体たらく。 カップ戦の2戦目にはゲームメーカーのアシモビッチも負傷するハプニング。 急遽山形をセンターハーフに据えるが3失点を喫し2−3で90分終了。トータル4−4となり延長戦突入。 岩下がファインセーブを見せると、スーパーサブ大石が値千金のVゴール。カップ戦はどうにか準決勝進出である。

17年1stステージ
 優勝 ヴィッセル神戸 勝ち点39 13勝1敗1分け 41得点 8失点
 2位 清水エスパルス 勝ち点30 10勝4敗1分け 36得点15失点
 3位 柏レイソル   勝ち点29  9勝4敗2分け 28得点17失点
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12位 品川シュトルツ 勝ち点17  5勝8敗2分け 17得点29失点

1stステージ終了後、チームの陣容が大きく変わる事になった。 先ずは千代反田の帰国である。残念ながらラツィオFCでのチャレンジは必ずとも成功とは言えず この7月の代表入りも叶うまい。 帰る者あれば去る者あり。中村が起用法を不満に感じたか、京都パープルサンガからの移籍希望に合意。 移籍金330百万で正式にチームを退団した。

GK佐藤のみが選出される淋しいオールスターを挟み、7月に入るとリバァセ スカウトが運命の出会いをもたらした。 パラグアイの至宝、チラバート(19歳)の入団である。 チラバートが元のチームともめて無所属だったため、移籍金無しの310百万で獲得できたのは大きい。

残念ながら7月のインターナショナルカップ本戦に代表を送り出す事は出来なかったが、 チラバート獲得のおかげで私は満足顔で代表戦をテレビで観戦する事が出来た。 惜しくも日本代表はチリ代表(1−2)、カメルーン代表(1−2)、チェコ代表(3−1)と1勝2敗の 1次リーグ最下位で姿を消した。優勝は堅守のアズーリことイタリア代表であった。

2ndステージを前夜に控えたオーナー執務室には、主だったスタッフが緊急召集されていた。 織田監督の進退とチームの今後についての討議だ。 チームに世代交代が必要と言うのも一理ある、青柳、岡本の抜擢は必ずしも間違いではないが、 プロである以上結果は必要。 カップ戦こそフルメンバーで勝ち進んでいるが、2ndステージの結果如何では更迭も仕方あるまい。 次に陣容だが、チラバート獲得で明らかにGK過多である。 佐藤は若く、契約期間も残っている。岩下は再来年に契約満了と共に放出の路線が固まった。 また、青柳、岡本は再来年の世界スポーツ大会を目標とし、その後ラゴス、ブレーメンへの留学を考えよう。 中村の移籍に伴い、右SDFは岡本を起用。帰国間も無い千代反田は水城と同様カップ戦用員とする。

2ndステージも開幕ダッシュはままならず、2試合連続で引分ける。京都パープルサンガ戦には移籍した中村は出場せず。 1stステージで圧勝した横浜FCにも0−2と良いところが無く、この敗戦を受けて佐藤がサテライトへ落とされた。 1stステージで惨敗した大阪エステーラにはなんとか大石が延長後半にVゴールを叩きこみ、2ndステージ初勝利。 練習ではヘディングの精度がイマイチと評された青柳だが、やはり上背を活かしたヘディングは役に立つ。 サガン鳥栖との4節に源のクロスにドンピシャ。そして今度は青柳のクロスに阿部が合わせる。2−0で勝ち点3を積上げた。

ところが、またしても5連敗が始まる。今回は織田監督にGKの度重なる入替えがディフェンスラインの不安定に 繋がるのではないかと意見したが、岩下で3連敗すると迷わず織田監督は佐藤を起用した。10節終了時点で遂に 最下位にまで順位が落ちた。これは何とかしなければ。集客も8万人を割り込むなど、影響が出始めている。 広報スタッフからは私の責任を糾弾する声もあると言う。

そんな中、カップ戦の準決勝の日が訪れた。約85,000人のサポーターが集まったシュトルツスタジアム。 私は100百万のプレミアを用意し、選手に発破をかける。織田監督も水城、そして千代反田を加えた カップ戦メンバーは期待に応え清水エスパルスの猛攻を耐え凌ぎ、後半に阿部のCKに路木が合わせて1−0と先勝。 左SDF路木のいぶし銀の働きに、プレミアを弾んだ甲斐もあった。神戸ではヴィッセルがアビスパ福岡に7−0と快勝している。

カップ戦の2戦目はアウェイで戦い辛かったが、スコアレスドローに抑えこみ強敵清水エスパルスを交わして決勝進出。 織田監督には世代交代を気にせずにベストメンバーでリーグ戦も指揮してもらった方が良いのか? 心配は的中。青柳、岡本をスタメンに戻した2ndステージは連敗が止まらない。 名古屋グランパス、大分トリニータに1点届かず最下位から逃れられない。

12節の敗戦を受けて、佐藤が今年何度目になるのかサテライト行きを命じられた。 しかし代わってゴールを守るのは岩下ではなかった。 織田監督はチームに合流したてのチラバートをいきなりカップ戦決勝の舞台に起用した。 岩下の心中は如何に。しかしチラバートは期待に応えた。2失点は喫したものの、ファインセーブを連発。 水城が貫禄の2ゴールを上げ、延長後半の長いクロスに飛びこんだのは森岡。 チームの1番人気がカップ戦MVPに輝く決勝ゴールを挙げ、 8年ぶりのカップ戦優勝である。

好事魔多し。直後の13節で大石が負傷退場。チームも延長Vゴール負けを喫し、これで8連敗。 アルビレックス新潟との雨中の14節に青柳が決勝ゴールを挙げて連敗は止まり、最下位を脱出したものの 最終節もジュビロ磐田に先制しながら競り負け15位で2ndステージが終った。年間順位も辛うじて降格を逃れる14位であった。 正直、J2からやり直すべきだと腹をくくってはいたのだが。まぁ、J1残留したからにはリーグのお荷物になる訳にはいかん。

サポーターの非難をかわすためではないが、スタジアムに アミューズメントコーナーを改築し、 レストランを新設する事にした。

17年2ndステージ
 優勝 清水エスパルス 勝ち点41 14勝 1敗0分け 38得点10失点
 2位 ヴィッセル神戸 勝ち点32 11勝 3敗1分け 39得点12失点
 3位 ジェフ市原   勝ち点32 11勝 4敗0分け 38得点19失点
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15位 品川シュトルツ 勝ち点10  3勝10敗2分け 13得点31失点
最下位 横浜FC    勝ち点 9  2勝10敗3分け 15得点28失点
13得点は2番目に悪い成績であり、31失点は16チーム中最多失点である。 チラバートがカンフル剤になるのか。 得点王は23ゴールで柏レイソルの水原清史、清水エスパルスのエマラが並んだ。シュトルツは原と青柳が7ゴールが 最多ゴールであったがランクインすら出来ず。 最優秀評価点は清水エスパルス、ヴィッセル神戸の主力が競い合った結果、平塚浪馬が7.8で勝ち取った。 その他、2ndステージの間には高架線路が完成し、鉄道路線が開通したり、 駅ビルが建ったりと品川区も大きく様変わりをしている。

強化スタッフとの相談の結果、チラバートを早くもアカプルコFCへ1年間の留学に出す事にした。 チラバートの潜在能力ならば苦も無くこなせそうだとの事だから、大丈夫だろう。 一年でも早く戻って、選手として活躍してもらおう。これは千代反田の轍を踏むまいという思いがある。 結局千代反田の留学は遅きに失した上で、選手生命を2年間棒に振ったようなものだ。

11月のプレシーズンマッチからは、フルメンバーで臨み大分トリニータ、ジェフ市原、サガン鳥栖に3連勝。 海外クラブを招いた4試合は僅か1得点で4連敗。但しミュンヘンFC、マルセイユFC、ブリュッセルFC、 ベロオリゾンテFCとの試合で得たものも多いだろう。 欧州選抜と世界選抜との試合にシュトルツのゲームメーカ、アシモビッチが欧州選抜の一員として招かれた。 2年前のジャビと同じく残念ながらピッチには立たなかったが、これも貴重な経験になっただろう。

12月に入り、ヴッセル神戸と清水エスパルスとのチャンピオンシップが開催された。 接戦の末、チャンピオンに輝いたのはヴィッセル神戸だった。あの舞台に早いところ返り咲きたいものだ。 気を取りなおして、今年最後のタイトル。ニューイヤーカップである。 昨年優勝のシュトルツは1回戦シードのため、緒戦はベガルタ仙台との2回戦からとなる。 選手たちのコンディションは最悪だったが、2点を奪取。ところが守備の要、千代反田が相手にPKを与える失態。 留学帰りの千代反田に精彩が無いのが気になる。

ジェフ市原との3回戦はアシモビッチの独壇場。青柳へのアシストと2ゴールと全得点に絡む10.0評価を得た。 青柳も2試合連続ゴールと調子が良い。一方、同じルーキーの岡本はレッドカードと対照的な試合だった。 準決勝はチャンピオンシップに手が届かなかった清水エスパルスが相手。 苦しんだ試合だったが、プレミア1億が効いたのか源が先制ゴール。得点王エマラに追いつかれるが、 青柳の3試合連続ゴールで2年連続決勝戦進出。

決勝戦前夜、執務室のドアを叩いた者がいた。「・・・そうか」

決勝戦はもつれにもつれた。 相手はJリーグチャンピオンのヴィッセル神戸だ。 今年は1stステージ、2ndステージは0−2、0−3と一方的な敗戦ながら、 カップ戦の決勝は3−2と競り合いをVゴール勝ちしている。 競った試合ならば勝機はあると思っていた。延長までもつれたが、何とか凌ぎきってPK戦に突入。 こうなると岩下の反射神経に頼るのみ。すると、神戸1人目のリーグMVP平塚を止めた。 2人目の城のキックもバーを叩く。シュトルツ3人目の源も失敗。嫌な流れを断ち切ったのは、やはり岩下。 斎藤のキックを止めると、シュトルツのキッカーは千代反田。

千代反田 「会長、私はこの大会を最後にユニフォームを脱ぐつもりです」
会長   「何だって?留学から帰ったばかりじゃないか。それは今期はカップ戦に集中してもらったが、来期は・・」
千代反田 「いえ、私の体は私が一番よく分っています。もう、この膝もボロボロだ」
会長   「済まない。この留学はラツィオとの姉妹都市の義理と言う訳では無いが・・・」
千代反田 「イタリアでの選手生活は貴重なものでした。悔いはありません」
会長   「ありがとう」
千代反田の最後のシュートは見事にネットを捕らえ、その瞬間に品川シュトルツのニューイヤーカップ 2連覇達成となった。 優勝カップを高々と掲げたのは千代反田。最優秀評価点選手に輝いたのは24歳の時か。 30歳の早過ぎる引退は、あの竹村を彷彿とさせる。 幸い千代反田はチームのテクニカルスタッフとして、今後もシュトルツを支えてくれると言う。 これからもよろしく頼むぞ。

『元日本代表CDF 千代反田充(30歳) 今オフ引退! チームスタッフに!!』


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