REPORT Copy of CDs「コンセプト思考術オープンソース」

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川原郁雄


■昭和53年   
 早稲田大学建築学科卒。
□昭和55年   
 同大学院建築歴史専攻修士課程修了。
■昭和56年   
 株式会社乃村工藝社入社。
 旧西武百貨店新規出店、つくば科学博政府出展歴史館、横浜
 市立人形の家博物館、日本経済新聞社主催ジャパンショップ
 のテーマゾーン等、
 商業/文化/マーケティングコミュニケーション施設の基本
 構想に参画、
 主にコンセプトワークとデザイン戦略立案に携わる。
■昭和61年   
 株式会社スィーディーズ設立。
 都市再開発や企業施設の構想、新型のマンションやホテルや
 住空間関連商品のコンセプト開発などを手掛ける。
 その後、新車コンセプト開発、新AV商品コンセプト開発、
 コンビニ企業の新業態開発、コンビニ型IT事業構想などに
 参画する。
□2000年以降
 IT業界専門誌出版社の新規情報事業構想、
 知識創造の場と場のネットワークの観点から、事務機メー
 カーの商品開発や事業開発や企業ヴィジョンづくりに従事。


社会でそれなりの経験をさせてもらった  プロフェッショナルとして担うべき課題


■多様な業界でそれぞれ複数の大手企業の仕事をしてきた
 経験から、
 主宰川原はタンジュンな原理原則に気づかされました。
 それは、

「人と人の交流が開放系である
 自身の内的世界を外的世界に重ねてイメージするため、
 対内的にも対外的にもオープンマインドで冒険的である。

 逆に、

人と人の閉鎖系である場合はすべてがその逆になる。」

 ということでした。
 それは、
 「日本型の集団独創」の2つのタイプ

<家康志向>
「集団を身内で固定しておいて、その集団が独創する」
  知識創造体制

<信長志向>
「自由に活動している個人を適宜に集団に構成して、
  その集団が独創する」知識創造体制

 の発見につながりました。

 前者は、260年の江戸時代の幕藩体制と身分制度にお
 いて、社会的にも明示知として共有され、日本人の血肉
 になり、今でも日本人が誰彼に教わることなく無自覚的
 にとるのに対して、
 後者は、変革期に登場するパラダイム転換者とその集団
 の暗黙知に留まってしまうために着実に継承されないで
 きていることに問題意識を持つようになりました。
 そこで、
 <信長志向>の歴史的な研究*とその現代的な明示知化、
 促進ノウハウの体系化に取り組み始めました。

 (*<信長志向>は、織田信長だけでなく中世自社勢力
   の聖や一向一揆、堺の国際商人など、中世までは社
   会的にも優勢なものだった。
   江戸時代、幕藩体制において<家康志向>が圧倒的
   に優勢となるが、それが呈した限界に対して例外的
   に<信長志向>による抜擢と抜擢された者の活躍が
   あった。つまり両志向の合わせ技であったと言える。
   また武家社会に対抗した町人文化においては<信長

志向>の方が一般的で、その都市型消費社会に対応
   した集団志向は近代日本の出版や現代日本のサブカ
   ルチャーの創造体制や市場構造に継承されている。
   明治維新前夜の坂本龍馬の動き、戦後復興期のホン
   ダやソニーの創業や世界企業としての成長などにも
   現出している。)

 バブル崩壊(1991年)後の長引く平成不況において
 日本型経営が短絡的に全否定されました。
 そこで<信長志向>が敬遠ないし排除されるようになり、
 <家康志向>一辺倒化が蔓延していきます。

 具体的には、中間管理職のミドルを中抜きしてトップと
 現場エキスパートを直結する組織のフラット化が進展し
 ます。
 しかし野中郁次郎氏が指摘するように日本型経営の知識
 創造エンジンは、ミドルがナレッジマネージャーないし
 ナレッジエンジニアとして、トップの意味論とロワーの
 機能論を媒介する「ミドル・アップダウン・マネジメン
 ト」でした。この創造的なジェネラリストのミドルの中
 には、異業界異業種の企業のミドルと勉強会などを通じ
 てプライベンートにネットワーキングする外向きのネッ
 トワーカー的なキーマンがいました。
 彼らは、
 <家康志向>の内向きの垂直関係
 <信長志向>の外向きの水平関係
 を合わせ技するキーマンでした。
 彼らと彼らが担った<信長志向>が一掃されたことが
 日本の企業社会全体の知識創造性を限界的なものにし、
 ひいてはかつてあった創造的な雇用の流動性を奪った
 大きな要因になりました。
 日本型経営というと、終身雇用と思われますが、実際
 はバブル期以前の方が転職、独立、起業する正社員は
 多く、バブル崩壊後の日本型経営の短絡的な全否定か
 ら後、終身雇用が実質的には解体されたにも関わらず
 終身雇用を望む正社員が拡大している、というネジレ
 があります。


 <家康志向>にはそれならではの集団独創があります。
 問題なのは<家康志向>ではなくて
      <家康志向>一辺倒化です。
 これが組織を硬直化し社会を膠着状態に陥らせます。
 それは、◯◯ムラとか、◯◯天皇と呼ばれる権力者が
 いる組織を想い浮かべれば誰もが思い当たることです。
 そのような組織は<信長志向>を嫌い、社会的責務と
 して<信長志向>の第三者をまじえた会議体などが必
 要とされる場合も、それを身内でとりつくろって形骸
 化させていることも衆人の知るところです。

 本来の日本型経営には欠点もたくさんあり、その現代
 的な改善や国際的な改革を怠ったことは反省されなけ
 ればなりません。
 しかし、<信長志向>の外向きの水平関係のネットワー
 キングをするミドルが各人の意志と情熱で自由闊達な
 互恵を利他的に、恊働を世のため人のためにしていた
 のも事実なのです。
 トップ自らがネットワーカーとなって当時若造の私の
 ようなフリーランスを外部ブレインに抜擢することも
 珍しいことではありませんでした。総じて年輩者は、
 自分の部下や同僚でなくても若者を導こうとする気概
 がありました。ちょうど、地域社会で他所の子供でも
 大人が気遣うようにです。
 つまり、日本型経営は、知識経営的には、
 <家康志向><信長志向>の合わせ技だった。
 けっして身内で固まる内向き閉鎖的な<家康志向>
 一辺倒化ではありませんでした。

 この<家康志向><信長志向>の合わせ技を否定せ
 ず、終身雇用も温存したトヨタ、IYグループ、ソニー
 ショック以前のソニーなどが平成不況の時期に例外的
 に世界的に飛躍したのは偶然ではありません。
 彼らは、本来の日本型経営の欠点を払拭し長所を伸ば
 したのでした。

 私は<信長志向>がピークだったバブル期の前後に、
 会社員として会社の<信長志向>の仕事に参加して、
 バブル崩壊後にフリーランスとして<信長志向>の仕
 事をプロデュースして、その素晴らしさを体験しまし
 た。
 一方、バブル崩壊後の長引く平成不況で多くの日本企
 業は<家康志向>一辺倒化していき、組織と集団の知
 識創造を内向き上向き後向きなものにしていきます。
 有効な新商品や新規事業を打ち出せずに経営悪化して
 いく企業を私は目の当たりに見てきました。
 多くの<信長志向>の創造的なミドルが職場を去って
 いきました。

 私はいずれこうした経過を冷静に振り返る若い世代が
 いずれ出て来ると思います。
 彼らは必ず原点を振り返ります。
 「日本型」とはそもそも何なのだと、
 「日本型の発想思考」「日本型の集団独創」とは 
         いった何なんだと問うことでしょう。

 それに応えることは私の責務と考えます。

 本サイトのトップページはその問いに多角的に応える
 構成にしています。







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