REPORT of CDs「コンセプト思考術オープンソース」

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「日本型」ということを考える基盤



① 日本人の発想思考は、日本語の特徴を反映します。

② <ひらがなの大和言葉+漢字の漢語+カタカナの欧米語>からなる日本語は、
  古来中国の発想思考の成果と、明治以後欧州の、戦後はアメリカの発想思考の成果を
  有史以前からの日本的な枠組みにおいて調和的に統合してきました。

③ 日本人は集団志向であると言われ、「日本型の集団独創」もその延長で捉えられます。
  しかし、それは主にその2タイプの内の1つ「家康志向」のことであり、
  いま1つの「信長志向」のことではありません。
  そして、現代の日本社会の閉塞状況を打開することができるのは「信長志向」なのです。

* 以上の3点は、「コンセプト思考術」と密接に関係しています。


人間は母国語で物事を考えますから、
①と②が、話し言葉の4概念要素の組み立てを原理とする「コンセプト思考術」と関係するのは当然です。
しかし、どうして③も密接に関係すると言えるのでしょうか?
それを説明すると、こういうことです。
長文ですが、大切なことなので是非読んでください。



<家康志向>
「集団を前提として固定しておいて、その集団が独創する」知識創造体制は、
それが先鋭化していくと、身内志向、縄張り主義、排他主義になります。
共有する<目的>が固定され<手段>ばかりが論題になりますから、
ほとんどの場合、モノ割り縦割りの<送り手側のモノ提供の論理>に立ちます。
発想思考においては、話し言葉の4概念要素の内<モノ機能>の内容ばかりが優先されていきます。
モノ機能>の話し言葉とは、数字+単位、数式や化学式、システム、人間を物化して捉える制度などです。
単純明快な例としては、様々なセクターの既得権益というものが、カネという数字+単位の予算や、
そのセクターが独占するシステムや支配する制度による、といったことです。

<信長志向>
「個々の独創を放任しておいてそれを適宜に集団に組織する」知識創造体制は、
それが先鋭化していくと、抜擢主義、融合主義、開放主義になります。
多様な<目的>が臨機応変にクローズアップされ、その都度、その達成に最適の<手段>の担い手が選抜されるからです。
共有する<目的>で<手段>が連携され、ほとんどの場合、コト割り横ぐしの<受け手側のモノ提供の論理>に立ちます。
話し言葉の4概念要素の内<コト意味>の内容ばかりが優先されていきます。
コト意味>の話し言葉とは、天の意志、大義名分、理想、世界観などです。

家康と信長、ということでは、
家康は支配管理の送り手として幕府と武家社会の体制を百年の大計で確定的に固定しようとしたのに対して、
信長は天下を重商主義で発展させれば受け手としての天下人である自分の力が増すとして、天下の可能性を不確定的に拡大しようとした、
と解釈できます。
ただし信長のような天下人に限らない一般的な<信長志向>は、受け手として本人個人や本人が統治する天下などではなく、多種多彩な人民、生活者、消費者といった他者多数を想定しています。

<家康志向>は、江戸時代を通じて、日本人の血肉になり精緻に明示知体系化されました。
それは無自覚的に、本音で<モノ機能>を捉え、それを正当化したり合理化したりする<コト意味>を建前として固定する、
つまりモノが先で後からコトの意味をお題目的に乗せる、
そんな私たちの無自覚的にしてしまう自然体でもあります。



しかし、<家康志向>ばかりでは世の中は成り立ちません。

支配層の<家康志向>に対して、被支配層の対抗勢力やカウンターカルチャーというものが<信長志向>で形成されます。
具体的には、江戸の振興商業や町民文化の担い手は<信長志向>を徹底しました。
戦後の旧通産省の指導に対抗して自動車産業に参入したホンダ、
旧運輸省の指導に対抗して宅急便ビジネスを開拓したヤマト運輸なども<信長志向>を徹底しました。

また、<家康志向>ばかりが蔓延する組織や制度はやがて硬直化して破綻します。
そういう転換期には、必ず<信長志向>のパラダイム転換者が登場して事態を打開してきました。
明治維新のキーマンたちを幕藩の垣根を超えてネットワークした坂本龍馬はその典型です。
日本の近代化に貢献した明治・大正の各界のキーマンたちも、個人の裁量と信望に基づいて独創と抜擢を繰り返しました。

こうした<信長志向>は、現代のような、確定した知識ばかりを不確定な現場の実践よりも偏重する教育、
高度な専門分化によってタコツボ化して近視眼的になった専門家ばかりが個々別々に尊重される社会、
そうしたものの延長にはあり得ない世の中の動き、人々の動きでした。
よく「現代はすでに偉人の時代ではない」ということが言われます。
それは物事を一面的に捉えて英雄待望論を否定しているだけに思われます。
広い世間や世界を見渡せば、人間の関係性を転換すれば誰もが集団の構成員として英雄になれる、
そういうリーダーシップの可能性があるのに、それを閉ざしている日本人の<家康志向>の狭量さこそ否定すべきだと思うのです。

あらゆる方面で閉塞感を拭えないでいる現代の日本社会ですが、
<家康志向>の先鋭化と蔓延がここ20年の間に行き着くところまで行き着いて、それぞれの事態を硬直させ限界づけていると実感します。
それは、現在と過去の様相を両方体験して比較できる経験者ならではもてる実感なのでしょう。
そして、それぞれの持ち場役割のキーマンが事態打開をしていくためには、<信長志向>こそが不可欠であり求められている、と主張します。

硬直化し限界づけられた事態を打開しようとするキーマンは、
異なる意見や異なる専門、異なる持ち場役割の人々が、共通して対象とする<受け手側のモノ提供の論理>に立って、
建前ではない個々人の良心や信念としての<コト意味>を共有するところから、
自己をそして自己と他者との関係を立て直していかねばなりません。
これをせずには、世の中で革新や打開と声高に言われる事柄は何一つ実を結ばないでしょう。



ちなみに、「身内志向、縄張り主義、排他主義」も「抜擢主義、融合主義、開放主義」も、そして両者の対立も、日本に限ったことではありません。
古今東西の歴史のさまざまな場面や人々の日常において繰り返されてきたことです。

しかし、私たち日本人の場合には、日本語の特徴を反映した発想思考によって、
日本的な「身内志向、縄張り主義、排他主義」の有り方、日本的な「抜擢主義、融合主義、開放主義」の有り方というものが現象しています。

それは、
話し言葉の4概念要素の内の<コト感覚>と<モノ感覚>を言わばアニミズム的に一体化させて関連づけることを起点にして、
コト意味>と<モノ機能>ふくむ4概念要素の全体を一つの日本的な物語に組み立てる、
という有り方です。

これは、外国語に比較して数多い多様な身体語や擬態語を多用して、身体感覚をともなった情緒性を頻繁に表現し感受する日本語に由来するものです。
(専門的には、何がどうした、どうであるという本題である「命題」よりも、誰が誰に対してどのような立場で言うかという状況である「モダリティ」の方を重視する、という日本語のコミュニケーションの有り方を背景にしています。)

象徴的な例を上げれば、
慣用句「同じ釜の飯を喰った仲」は、それが良い親密さを意図していることから、<家康志向>の<コト感覚>と<モノ感覚>の一体化関連づけ
慣用句「袖すり合うも他生の縁」は、それが良い親密さを意図していることから、<信長志向>の<コト感覚>と<モノ感覚>の一体化関連づけ
と言えます。

以上のことが、<モノ機能>を偏重する、科学万能主義や金融資本至上主義やグローバリズムのアメリカ型の発想思考と異なるポイントです。
モノ機能>だけで体系化される物語は、低いコンテクストで、誰でもバックグラウンド関係なしに理解できたり、理解を深めて行けます。

また、以上のことが同時に、アメリカ型を抜本的に取り入れた現在の経済発展した中国ではなく、それ以前の文化大革命までの儒教国家以来、イデオロギーや理念という<コト意味>を偏重する中国型の発想思考とも異なるポイントです。但し、中国はいまだ一党独裁にあり、その支配原理はあくまで資本主義を道具とした社会主義であるという側面が拭えません。
コト意味>だけで体系化される物語は、高いコンテクストで、形而上的であったり時には神秘的であったりして抽象的で、その解釈は恣意的で何が正統とされるかは属人的であったり状況依存的であったりします。一神教の宗教そして儒教はその典型でしょう。


こと経済に関しては、経済がおおよそ数字と単位を土台としメカニカルなシステムである市場をめぐる概念である以上、<モノ機能>を偏重するグローバル化は避けられません。
中国の経済発展もこうしたグローバル化の上に成立しています。
しかし、そのことと、経済を国家や社会がどう捉え、どう位置づけて、国民の幸福と関連させていくかという問題とは次元が異なります。
中国でも、経済活動や消費活動についてはグローバル化してきているとして、生活感や人生観までが経済至上主義のままでいくかというと、それは分かりません。

そういう意味では、先進国としての経済発展を一通り終え、祭りの熱狂を振り返って地に足をつけて明日を見定めようとしている今の日本の方が中国の先行指標となるのかも知れません。
無論それは、日本が、GDPにおいて中国を抜き返すことに血道を上げる、などという従来次元の意識に囚われないことが前提ですが。

そしてその際、
「<コト感覚>と<モノ感覚>を言わばアニミズム的に一体化させて関連づけ、<コト意味>と<モノ機能>ふくむ4概念要素の全体を一つの日本的な物語に組み立てる」
というパラダイム構築の観点や手法が役立てられるはずです。
八百万の神やお天道様への信仰と同じ構造にあるこうした物語は、高いコンテクストなのですが、その方向性は、<コト意味>の抽象と<モノ機能>の具象を調和的に統合する、そういう文脈の高度さ深淵さを持ったり、持つことが求められます。

すでに、環境資源問題において世界の共通語となった日本語「モッタイナイ」などは、まさに持続可能社会化という文脈の高度さと深遠さを持つ、あるいは持とうじゃないかという意図を育みます。



以上のような「日本人の発想思考の特徴」や「日本型の集団独創」について、
ご興味ご関心をもたれた方は、以下に掲載するブログ記事を参照してください。

これまでの主宰の検討成果を主要書籍を紹介する形式で記録したものです。
①②③そして*についてのポイントとなる記事を抜粋してリストアップしました。




「日本人の発想思考の特徴」と「日本型の集団独創」
を考えるポイント

① 
日本人の発想思考は、日本語の特徴を反映します。


日本人の情緒性の土台は大和言葉のメカニズム(1/5)
(2/5)(3/5)(4/5)(5/5)

日本語が身体語や擬態語を多用することがいかに思考に働くか(1)
(2:振り返り)(3)

日本語と日本人の思考を特徴づける擬態語について(1)
(2)(3)(4)(5)

日本語の擬態語と身体語の特徴についての要点復習(1)
(2)(3)

日本語の身体語の特徴を中国語から探る(0)
(1) 頭(2) 耳(3) 目(4) 顔(5) 鼻(6) 歯(7)口(8)首(9)肩(10)胸(11)心臓(12)腰(13)腹(14)尻(15)手(16)腕(17)足(18)気(19)その他1/2その他2/2

② 
<ひらがなの大和言葉+漢字の漢語+カタカナの欧米語>
からなる日本語は、
古来中国の発想思考の成果と、明治以後欧州の成果、戦後はアメリカの発想思考の成果を
有史以前からの日本人の発想思考の枠組み「縁起にのっとった<情>起点」において
調和的に統合してきました。


「私たちが無自覚でいる「日本型」の構造 その6=暗黙知をネットワークする<和漢洋の言葉遣い> 」

<知><情><意>起点の発想思考の概観

科学と宗教の重なり領域である「暗在系」、そして「縁起」について
つづき

日本型の集団独創のポイントは、肌で感じ取る日本語と現場相対の触れ合い(年度末総括)

夢で老子や栗林中将に教えられたのでしょうか

<知><情><意>バランスあってすべてが始まる(1/10)
(2/10)(3/10)(4/10)(5/10)(6/10)(7/10)(8/10)(9/10)(10/10)

③ 
日本人は集団志向であると言われ、「日本型の集団独創」もその延長で捉えられます。
しかし、それは主にその2タイプの内の1つ「家康志向」のことであり、
いま1つの「信長志向」のことではありません。
そして、現代の日本社会の閉塞状況を打開できるのは「信長志向」なのです。


「家康志向の改善」と「信長志向の革新」、その合わせ技の知識経営(1)
(2:間章)(3)(4)(5:間章)(6)

「信長志向」の「社会的性格」を育む社会化ステップを探る(1)
(2)(3)

国内外で「転住民」雇用を拡大して日本を活性化しよう!

現代に重なる中世という時代とその寺社勢力(1)
(2)(3)(4)(5)(6)

「利休にたずねよ」に「信長志向」の光景を望む

こんな今だから「グローバル・ヒストリーの視角」が役立つ(5)
(6)

江戸時代における「日本型の発想思考」の集団独創化を探る(1)
(2)(3:間章)(3:補記)(4)(5)(6:間章)(7:結論)

『心性』=部族人的心性+社会人的心性(概念規定メモ)

部族人由来の原初的な「交易」の心性を探る(1)
(2)(2:追記)(3)(4)(5)(6:間章)(7)(8)

「わきまえ」の語用論と日本型集団独創の関係を探る(1)
(2)(3)(3補記)(4)(4補記)(5)(5:補記)(6:結論)

「交易する人間」の無意識的な求めとその現れ(1)
(2)(3)(4)(5)(6)(7:間章)(8)(9)(10)(11)(結論に向けた間章:12)(13)(結論:14)

発想ファシリテーション論において折口信夫を継ぐ(1)
(2)(3:間章)(4)(5:ふたたび間章)(6)(7:結論)

* 
以上の3点は、「コンセプト思考術」と密接に関係しています。


パターン認識としての<かたち・かた・か>

現実論として「情緒起点でする推量」と「パラダイム転換」の関係を整理する(1)
(2)(3)(4)(5 結論)

ひらがな=和語が発想を促進する回路を求める(1)
(2)(3)(4)(5)(6)(7:結論)

考え方=考えるその仕方を考える(1)
(2)(3)(4)(5)(6)(7:結論)












私たちが無自覚的でいる
『日本型』の構造



その1
「いき」


その2

 <モノクロニック>          と<ポリクロニック>

その3
<メッセージング>             と<ルーミング>


その4
<江戸ピアン>と<平安ピアン>


その5
<演劇的モデル>            と<ゲーム的モデル>


その6
暗黙知をネットワークする
<和漢洋の言葉遣い>


その7
「ミドルアップダウン・
マネジメント」の組織知識創造


その8
視覚的には効率的に、
聴覚的には繊細に
受発信する日本語


その9
「モノカテゴリーより関係性重視の東洋人と漢字の特性」


その10
「類感呪術」が日本型集団独創を促進する


その11 part1
「信長志向」は生活文化系において息づいている part1


その11 part2
「信長志向」は生活文化系において息づいている part2


その12 part1
日本語の母音主義がもたらす特徴的な発想思考 part1


その12 part2
日本語の母音主義がもたらす特徴的な発想思考 part2


その12 part3
日本語の母音主義がもたらす特徴的な発想思考 part3