Trans Andes1,Salta/アンデス越え1、サルタ (2004.03.05-2004.03.10) パンアメリカンハイウェイを北上し、ラ・セレナという町からアンデスを越えてアルゼンチン北部へと抜けるルートをゆく。アンデスの山岳地帯の入り口にあるビクーニャという村で昼食をとり、未舗装の山岳地帯へと入っていった。このビクーニャ付近はピスコというぶどうの蒸留酒の生産地で、険しくそして乾いた白い山岳地帯に緑のぶどう畑が広がっていて、なんだか無理のある風景だ。そこまでして酒が飲みたいか?と思うほど無理がある。(もちろんアンデスから流れる清流が、この地帯の畑を潤しているのは言うまでもない。) ビクーニャを出てしばらくすると、樹木1本生えることにない砂と岩の赤茶けた山岳地帯に入る。途中まで清流が近くを流れており、砂漠特有の猛暑でだれた体を冷やすのに好都合だ。アンデスの絶景の中、少しずつ標高をあげていく。途中国境を通過したが、チリ-アルゼンチンの国境越えは慣れたもので簡単に通過。しかしこの辺りから、気温がぐんぐんと下がってきた。標高は2,500mくらいか。山中のダートロードは狭く、歪曲していてハイペースでは走れない。時折、路面の砂やガレ場に少しだけ鬱陶しさを感じて進む。 標高が上がるにつれ気温が下がり、3,500mを越えるとさすがに頭痛がしてきた。基本的にはバイクにまたがっているだけなので息苦しさはないが、確実に空気が薄くなってきている。これまでの人生で3,000mを越える高所は経験がない。どうやらこれが高山病らしい。標高4,000m付近までくると、アンデスの険しい山々は美しくも厳しい表情となり、高山病による頭痛と零度近い寒さで相当しんどい。周囲には氷の塊が青白く牙をむいているのが散見された。 こりゃ、かなわん! ということで一気にアンデスを下る。峠を越えてしばらくすると、幸い道は舗装化されていた。アルゼンチン側の国境管理事務所に着いたときには日が暮れてしまった。山を下っても頭痛はとどまることを知らず、もうその辺りで野宿ができないかと、国境の人に尋ねるがだめだという。ずいぶんと疲弊していたのが分かったのか、自宅に帰る職員のひとりが彼の暮らす最寄りの町まで先導してくれて宿をとることができた。宿はカバーニャというバンガロータイプのところで自炊ができた。持っていた米とサッポロ一番でラーメンライスを作り、果てしなく深い眠りにつく。 翌日はすっきりと目覚め、高山病からも完全に回復した。アンデスの裾野の未舗装悪路を前進する。眼前に広がる景観はすばらしいものがあるが、この周辺は舗装路がなく、町や村も少ないのでやや大変だ。それでも途中の町や村にはちょっとした安宿があり、困ることはない。着々と北上し、ワインの産地のカファジャテを経由、カチという小さな町からひと山越えてアルゼンチン北部の都市サルタへ向かった。カチから峠へ向かう道は快晴で舗装もよく最高だったが、峠付近に雲がかかっている。雲の中へと入ってゆくと、完全な雲霧で視界が悪くなり、未舗装のうえに雨も降り出した。そういえば南米に来てから雨に降られたのはこれが初めてだった。3ヶ月ぶりの雨中走行だ。小さな川がいくつも路上を走り、泥を跳ね上げて全身ぐちゃぐちゃとなる。峠を越えたサルタ側は雨は降っていないものの曇天だ。サルタの町に飛び込み、宿で休息をとる。 サルタは中規模の都市で、コロニアルの旧市街が美しく活気がある。町をぶらぶら歩いていて気持ちのいい町だ。ライトアップされた夜の町は欧州の町並みとさほど変わらない。ここからは再びアンデスを越えて、南米最大のハイライト ボリビアへと進むため、ここでマドリッドから積んでいた予備の新品タイヤに交換しておく。サルタに滞在している間はずっと曇天だったが、タイヤ慣らしで周辺を軽く走り回る。アンデスの支脈?となるこの辺りの景観はアンデス同様に雄大で、サボテンの群生が見られる。サルタへの帰り道、フフイ近郊にある温泉に立ち寄るが、温泉プールしかなく水着が必要だったので止めた。(どうも今回の旅は、全体を通じて「温泉運」が悪い。下手な観光地よりはよほど情報を入手しているつもりなのだが。) |
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