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11月28日 

号泣する準備はできていた 江國香織 新潮社

昔、森瑤子さんが書いて書いて書きまくっていた頃、私はまだ
20代前半で、熱心に読んだり、読み過ごしたりしていた。
彼女が亡くなった時、「惜しい」という人もいたけど、「もう
書けなかっただろう」なんていう人もいた。
先のことなんてわからないし、要するに彼女は、あんなにもた
くさん書いた、ということよね。

この頃の江國さんも書きまくっていると思う。でも、なんだろ
うな、森さんのような「叫び」は聞こえてこない。森さんは命
を削っているようなところ、あったもん。

「噂の真相」って雑誌では、江國さんには不倫相手がいること
になっている。私にとって真実はまあどうでもよいし、彼女の
私生活を知りたいとも思わないんだけど、なんだろうな、その
記事を読むたびに(何度か載った)、近しいものを感じる。と
いうと、私が不倫してるみたいじゃん。そうじゃなくて、なん
というか、その心にある満たされなさに。それは、森瑤子の満
たされなさとは違うものなんだけど。

そして。
最後の「そこなう」に涙した。
不倫相手が離婚して2人で旅に出る。でも幸せじゃない。幸せ
になれない気がする。だって、私はこれまで細心の注意を払っ
てあなたのことを愛しすぎないようにしてきたんだもの。もう
歯止めがなくなっちゃうのよ。あなたは本当に私のことを全部
受け止められる? 

私は、ここに恋愛のリアリティを感じるんだ。
山本文緒さんの書くものこそリアルで、江國さんの書くものは
夢物語、なんていう人もいるけれど、どう感じるかは人それぞ
れだと思う。ドロドロしてりゃ、リアルってもんでもないよね。

 

11月10日 

アッコちゃんスタイルブック 矢野顕子 角川書店

月刊カドカワの連載をまとめたもの。1991年発行。
この頃の月刊カドカワって面白かったんだろうなあ。

証言構成「わたしのキライなことば」が笑った。
浅田彰さんは、
「ただいま、ご紹介にあずかりました○○でございます」がイヤ
なんですね。紹介されたんだから、素直にしゃべればいいんだっ
て思います。

井上陽水さんは、
手紙なんかもらって、「追伸」なんて書いてあるのを見るとイヤ
だなと思う・・・らしい。

岸田今日子さんは、「生きざま」がキライ、矢野顕子さんは
「子育て」がキライ(育児はいいのに)、ばななちゃんは
「堅気」がキライ、なんだって。

誌面には、龍一さまも惜しげなく登場。仲良しだったのよね。
本当にね。

 

11月9日 

anego 林真理子 小学館

彼女の書くエッセーは好きなのに、小説が好きじゃない理由が
わかった。エッセーに登場するのは、彼女自身で、彼女は「美
人じゃなく、アタマがずば抜けてよくもなく、男にこびるのが
下手で、買い物ばかりしてしまう、ミーハーな」自分ってのが
好きで、それを書いているから読んでいても楽しい。でも小説
の女主人公に対して、彼女はいつも辛辣で、そこに私の求める
「愛」はない。「きれいに見える女でも心の中はこうなのよ」
ってのを解き明かすのがテーマなんだ。だからイヤなんだ。

anegoは、30歳を過ぎたある女性のこと。仕事ができて、頼りに
なって、後輩から好かれて、もちろん男性にもモテて、でもな
ぜか結婚できない。(しないんじゃなくて、できない、という
ふうに林さんは描く。そこもまたなんというか、嫌味)

ただ普通に「好き」って感情はないわけ?
主人公はいつも計算する。この人は自分を幸せにしてくれる人
なのか? 仕事ができて、スマートで、服装の趣味も悪くなく、
女友達から賞賛され、おいしいレストランをたくさん知ってい
て、洒落たプレゼントを贈ってくれる、そんな人かって。
結果として、そういう男性を好きになることはあると思うけど、
それを理由として好きになるってのもなあ。

『合コン、お持ち帰り、セクフレ、不倫、泥沼・・・女性なら誰
しも経験してきた、思い出すだけで“痛すぎる”恋愛のすべて
のパターンがある』というのが帯のうたい文句。
こういううたい文句にできる小説が、わざとらしくなく書ける
ってのが、彼女の才能よね。
そして、そういう場数をぜーんぜん踏んでいない私だから、つ
いていけないんだろう。ううむ。でもさ、やっぱ愛は愛でしょ。

編集会議 11月号

というのが、「エッセイストになる!」というテーマで、林真
理子さんが書いていたので、思わず買う。
世の中にはエッセイストになりたいと考える人がきっとたくさ
んいるんだろうな。他人のエッセイを読んでは「こんなの書け
る」って思っている人も多いんだろうな。だからこういう企画
が出てくるんだな、と買ってからふと複雑な気持ちに。
がしかし、林さんのインタビューはけっこう面白かった。彼女
のエッセーは好きだし、言うことも好き。この人は基本的に親
切だと思う。こんなことを普通人は、話さない。みんなわりに
もったいぶるもん。前にも書いたけど、この人の小説は嫌いだ
けど、この人は好き。

しかし、エッセイ誌上添削は、どうかなあ。いやあ、これなあ。
あと「出版業界横入りガイド」ってのにあった「雑誌業界のギ
ャラ金額はこのぐらい」っての。これ、こんなに安いの?
ほんと? それどこの雑誌? 私そんなじゃ服買えないよ。
と思いました。つまり、もっと稼げることもあるよ。
(と、がっかりした人がいたなら伝えたい。)
しかし、私もそんなことは言っても年収1000万クラスじゃなく、
つうことは、やっぱそのあたりに壁があるわよね。うん。

マリコ・ジャーナル 林真理子 角川文庫
ウフフのお話 林真理子 文春文庫

凝りだしたら、止まらない・・・ってほどではないけど、図書
館に行ったついでに借りてきた。
「こうすれば強運の女になれる」って話の中で、
「女の運というのは、たいていが男の人によってもたらされる」
とあった。こんなことを書くのがこの人のいいところだと思う。
本当に。
そしてこの話は、私も実感する。まったくもってそうです。
私なんて、本当にそうです。
結局のところ、男性とうまくやりあえないと、仕事はできない。
いつだったかな、男性社会で出世するにはどうすれば?という
質問に誰かが「どの男が権力を持っているかを見極めること」
と答えていたけど、私はそちらの臭覚は弱い。というよりも見
極めるなんて、失礼千万だと思う。
でも、男性とうまくやれないと仕事はできない。

ただし実感であっても、やっぱり私は男性とうまくやるコツっ
てのは・・・なんてことを書けない。もったいぶるのじゃなく
て、なんというか、さらっと書けないから。実感としてうまく
書く自信がないから。林さんはそのあたりがすごくうまいと思
うんだな。

しかし、林さんは、
「オレは一生懸命仕事をしてきたから、会社のなかでもオレな
りの場所がある。だからきっと君を守ってあげられる。嫌なこ
とから守ってあげられる。本当だよ」
と言ってもらったんだそうだ。これは確かにうっとりするでし
ょう。確か皇太子さんも「雅子さんを、一生全力でお守りいた
します」だったか。
男性って女性を好きになると「守ってあげたい」と思うものな
のかしら。私はその点でだけは、いつも遠慮しているな。守っ
てほしい、と思うんだけど、出せない。というのは、「重い」
と思われることがイヤだから。

ある作家の人に、私は編集者にとってものすごくラクな相手だ
ろうと言われたことがある。さっぱりしているから、付き合い
やすいらしい。
仕事相手でも、友人でも、家族でも恋人でも、私はたぶん全部
さっぱりしてる。そして、本当の私はこんなじゃないなどと、
つぶやいたりもせず、走り続けている。さっぱりする必要があ
ってさっぱりしているんだと思う。とにかく今は前へ前へと進
まなくちゃいけないからね。

でも、思うんだ。林さん、夫は本当にあなたのこと、守ってく
れた? 

やがて幸福の糧になる 柳澤桂子 ポプラ社

なんとなく名前だけは知っていた。確か学者系の人、と思って
いたんだけど、手にとってみたらば、けっこう大変な人生を送
っている人であった。原因不明の病気に悩まされて30年余り。
日本の医療の問題点も興味深いけれど、その間、どうやって仕
事をこなし、どうやって子供を育てたのかがもっと知りたかっ
たな。だんなさんとはうまくいっているのかしら。

医療を受ける力のある人、たとえば英語で医学論文を読める人
はよいけれど、そうでない人はどうなるのですかと質問されま
した。私は、日本人全部が医学に対してそのような態度を取ら
なくてもよいと思います。できる人が、できるだけの努力をし
ていくことで医療は変えられると思います。

というあたりに、わりと納得した。そう、意識の高い低い、知
識の有無、思考力のばらつき、今の世の中では、時に高い人が
遠慮しなくちゃならない場面がある。小学校の授業なども、指
導要領の改定などを見ていると、どうもそんな面がある。
でも、医療などは、能力の高い患者がそれを出し切ることで、
変えられる部分がすごくあると思う。医者を高みに置きすぎて
いるから。

がんから始まる 岸本葉子 晶文社

そしてまたまた、能力の高い患者さん。
しかし、この人はすごいな。頭もいいのだろうけど、何より気
力がすごい。このレベルの気力を維持できる人はいないだろう
し、気力で病をねじ伏せられる気がした。

「病は気から」という言葉、確かにそれが当てはまる場面もあ
るとは思う。私があまり風邪を引いたり寝込んだりしないのは、
ひとえに気力かもしれない。
でも、なんでもいいんだけど、「子宮内膜症」とか、あるいは
「がん」とか、そういう病までを「気から」とは言えないだろ
う。言われたところでどうしようもない。
でも、この人の回復の過程を読んでいると、気力の重要さをひ
しひしと感じた。
ちっとも病や不幸にひたっていない文章もえらい。

青豆とうふ 安西水丸 和田誠 講談社

おじさんたちのほのぼのエッセイ、なんだけど、たぶんこうい
うのを読んで、「私でも書ける!」と思う人が多いんだろうな
あ。うん。という感じの内容。2/3くらいで終わりにしちゃった。

ファッションファッショ 山田詠美×ピーコ 講談社

一番笑ったのが、おすぎさんの話。

ピーコ:
岸田君ってほんとおバカなのよねえ。そこがかわいいんだけど。
そういえば「ぼく映画評論家になります」と言って、おすぎか
ら「がんばってねえ。悪いけど私、自分の領土を侵すものは全
部潰すけど」と言われてたわ。

おかまっぽさが最高!

 

10月11日 

買った本

新潮45 10月号

「名古屋アベック殺人」少年少女たちのそれから
というのが、読みたくて。
そして早速読んだけど、気分が悪くなった。自分が子供を持っ
て私は初めて「どん底」を想像できるようになった。
どん底というのは、こんなふうに自分の子供を殺されてしまっ
た時。仕事で大失敗しても、借金を抱えても、たぶんどん底に
はならない。
子供がこんな風にして他人に殺されたら、私の中の何かが再起
不能になると思う。残された部分で生きていくことは可能かも
しれないけれど、それは死を抱えて生きるということだろう。
二度と心の底から笑うことはない、ということにすら気づかな
いでただぼんやりとしてしまうんじゃないだろうか。

だけど、その事件を起こした加害者の少年少女の母親たちは、
そんなふうな情緒を持っている母親ではなかったみたい。子供
は荷物でしかなかったような、早く産んで、早く捨てて、行っ
てしまったお母さん。子供が殺されようが殺しをしようが自分
の人生になんの影響も及ぼさない人生を送っているお母さん。

私はこれまで、子供の犯罪を親の責任とする風潮にはどうして
も乗れなかったけれど、これを読んでいると、親の役割放棄の
深刻さが理解できた。だけど、もともと責任を負えない親とい
うのが存在する事実をどうやって解決していけばいいんだろう
かと思った。責任を追及する次元じゃない。この親たちは。

そして、この記事のテーマは「更生は可能か」というものだっ
たんだけど、更正をどう解釈するかなのだな、と思った。人権
派の弁護士にとっては、社会生活に復帰することが更生なのだ
ろうし、そういう意味では、この少年少女たちはもう更生して
いる。たぶん今のところ再犯はない。
だけど罪を償うというのは、どういうことなのかと思う。
反省すること? 涙を流せば許される? 賠償金を一生かけて
支払い続ける? 一生刑務所に? はたまた死刑が妥当?
罪を償うのにも、能力がいると思う。大阪の小学校で何人もの
子供を殺した宅間という人は、死刑になったところで、償った
ことにはならない気がする。だけど被害者にとっては、彼が死
ぬことよりも反省することのほうが重要なのではないだろうか。

家庭の大切さをどんなに政府が説いても、それが本当に必要な
人には届かない。

en-taxi 03 扶桑社

よかった、出てた。
いつ休刊になるか、と勝手にはらはらしながら発売日を楽しみ
に待つ。もっとも注目している坪内さんの「アメリカ」は、今
回は新しい展開はなかった。
『「食」の氾濫文脈』ってのが、わりに面白かった。
でもさらに食のジャーナリズムっていうかまあ食批評の分野に
ついてもっと幅広く知りたいなと思った。山本益博さんが出て
康夫ちゃんの毒舌が光ってた80年代の話、もっと知りたいな。

彼が彼女の女だった頃 赤坂真理 講談社

彼女と阿部和重くんが、同じ時期に話題になって、文藝という
雑誌で確か対談をやっていた。文藝が「J文学」とか言ってい
た時期。赤坂さんは、それ以降小説は出なくて、どうなの?と
思っていたらばようやく出た。
川上さんと小川さんの新刊も気になりつつ迷ったけれど、とり
あえずこれだけ買うことに。

エコノミカル・パレス 角田光代 講談社

角ちゃんの本を買ったのはは「カップリングノーチューニング」
以来。あ。佐内さんとの共著は買ったな。
雑誌以外では真っ先に読み上げたのだけども、ううむ。
私は、わりにがつがつ生きているタイプであり、この手のもの
を嫌いなのかと思ったけど、ぜんぜんイヤじゃなかった。
というよりも、とてもよくわかる気がした。

「資本主義社会にどっぷりつかって生きていくわけにはいかね
ーぜ。本当の自由ってなんだ?」

そういう気持ちに賛同はしないけど、「本当の自由」にすがり
たい気持ちはわかる。つまり「ここではない、どこかへ」なん
だ。専業主婦だった頃、自分が仕事をしない理由をあれこれ考
えていた。働くと家庭が乱れる。食事が貧相になる。本当の幸
せってなに? 私の場合は、ここではないどこかを求めるので
はなく、ここにいていい理由が、「幸せ」だった。
専業主婦でいることが、幸せを追求していく基盤だと思ってい
た。でも、幸せって、いろいろある。

この主人公の女性は、雑文を書きつつ、バイトにもいそしむ34
歳の女性。まあそれはよし。
ある箇所で、人気テレビ番組のノベライズをやって・・・なん
て出てきたんだけど、この手のライターに、ノベライズの仕事
が来るものだろうか? と思った。
彼女は、定収入のない、わりに不安定なライターであるけれど
も、人気番組のノベライズならば、きっとまとまったお金にな
るだろうと思う。ベテランがやるとまでは言わないけど、しょ
ぼいライターのやる仕事じゃない。
まあつまり、それは角ちゃんの無意識が働いているのかなーと
思ってみたり。ライターをひとくくりにして、それでまあ、あ
まり誇りのもてない仕事って。
ううむ。それって私の妄想かもしれないけど。なんかそのあた
りの角ちゃんの無意識の匙加減に思いを馳せた。

anego 林真理子 小学館

こちらの主人公は33歳。微妙な年頃なのかしらね。
思えば私はその頃仕事をはじめたんだ。

文藝春秋 11月号

ふと手に取ったらば、岸本葉子さんの癌告白があって、びっく
りして買った。
配偶者のいない40代の女性がひとりで癌と戦う。心細いことだ
と思う。文章を読んでいると、友人などの気配もあまりなくて、
人ごとながら、心配になった。もう告知から2年くらい経って、
とりあえず再発はしていないそうだ。がんばってほしい。
しかし、月に締め切りが20本あるって、すごいな。

このまとまりを書くのに1週間以上費やした。
なんだかねえ。

 

10月6日 

ア・ハッピー・ラッキー・マン 福田栄一 光文社

書店で何気に手にとってみたら、著者のプロフィールがあま
りにシンプルで、これがデビュー作の書き下ろしと聞いて、
「へえ」と思って買ってしまった。
デビュー作で書下ろしって、持ち込みでもしたのかなあ。
それで読んだんだけども、まあ面白いといえば面白い。
でも普通。下手じゃないけど。

トーキョー偏差値 林真理子 マガジンハウス

彼女のエッセーって、働く女の必需品というか、ストレス解
消にもってこいだよなあ。読みやすくて、笑えて、適度に毒
がある。
これは、ananの連載エッセーをまとめたもので、美女入門パ
ート4にあたるんだけど、一年前にすでに1冊分にたまってい
たのに、すぐに単行本にならなかったみたい。
林真理子大先生でも苦しいんだろうか。パート1からどんどん
部数は落ちているとはいえ、そこはでも林真理子なのに。
と、勝手に出版裏事情に思いを馳せてしまった。
彼女は、ananが似合う作家でいたい、ようなことをどこかで
書いていたけど、たとえば、anan編集部が林真理子のエッセ
ーを切りたいと思ったとしても、もう大御所過ぎて、それは
言い出せなくなっていたりとか、まあ今はそうでなくても、
今後そうなっていったりとか、あるんだろうか。こんなに続
いちゃったらやめてもらうのも大変だろうなーなんて。
しかし真理子先生、たくさんのエッセーをあちこちに書いて
おられるけど、やっぱこれが一番面白いと私は思う。面白い
っていうか、彼女的に、これに一番力を入れているのではな
かろうか。
まあいずれにせよ、突然連載の打ち切りを申し渡されて、人
間不信に陥るようじゃ、フリーの資格なし、だよな。
と、突然打ち切りを言い渡されるときの林真理子先生を想像
して、励ましつつ読み終えた。
なんか、フリー的生き方にばかり思いを馳せている今日この
頃。つらいのかしら。わたし。

美女入門 パート3 林真理子 マガジンハウス

と、パート3を読んでいないことに気づき、早速買う。
楽しく読み終える。

低温関係 亀山早苗 WAVE出版

前々から読んでみたいな、と思っていた。
低温関係にある男女。
たしかにつまらないとは思う。波乱万丈な恋愛を楽しむより
も、とりあえず自分が傷つかない恋愛の方法を探るなんて。
でも、じゃあ恋はすべて熱くないといけないかというと、そ
れもへんな気がする。最近、芸能界だってあまり「熱愛報道」
ってない。文学界だって、昔は芸者さんやらホステスさんや
らを取り合いして、作家同士が大喧嘩なんてことがあったみ
たいだけどもそんなの今は全然聞かない。

土曜日、夫がめずらしく、休日出勤をした。
突然、「本当に会社に行ってるのかな?」と考えてみた。
いなかったりして。今は用があっても携帯電話にしちゃうから、
会社にいるのかいないのかは、わからない。
でも、どっちでもいいか、と思った。べつにいてもいなくても。
って、まあたぶんいるとは思うんだけど。
でもまさにこの「別にいてもいなくてもいいか」ってのが、彼
女の言う「低温関係」なんだろうな。
なんか、私は夫と深い世界に行くことを避けているのかもしれ
ない。深く交わろうとしていないのかもしれない。
夫が何かに悩んでいたとしても、「自分で解決してね。私、忙し
いから」って思っている私、というのは、まさしくこれまでずっ
と私が抱えてきた、不満な夫そのものだ。
ずっとさびしくて、そして仕事に打ち込んで、そして私は途方に
くれる。

 

9月15日 

ニッポニアニッポン 阿部和重 新潮社

読書人(単に本を読む人という意味)にとって、積読がはけ
るほど、嬉しいことはない。読書人っていうか、単に私にと
って。本は買う派の私は、読むスピードよりも買うスピード
が早く、本棚のあたりの気流が重々しい。
「あの本、読んでないんだよなー」と思いつつ、微妙にタイ
ミングをはかっているのだけれども、本当に、ふと「これ読
もう」という気になる。こういうきっかけというか、縁って
のが、自分でもよくわからない。『キャッチャー〜』だって、
買って何日もたってから、ふと読み始めた。
今回のは、熟成期間は2年だった。

で、小説。
私は、なぜか阿部和重くんが好き。この人の書く小説が。
私が好きになる要素は何もないのに、なぜか好き。
私はふだん暴力がものすごく嫌いで、それは単に「暴力」じゃ
なくて、暴力的なものすべてが、すごく嫌いなのに、なぜか、
この人の描く暴力は気にならない。

この小説は、トキを通して、国家に挑戦しようと考えた少年
の話。少年は、いわゆる「やばい」感じの子。引きこもって、
妄想にふけって。

たぶん、小説の組み立て方が好きなんだろうなと思う。
登場人物の思考回路をものすごく綿密に積み上げていくから。
文章もスタイルがあっていいと思う。
吉田修一さんのは、上手だとは思ったけれど、何か「特別」
な感じがしなかった。阿部和重くんのは、なぜだか「特別」
な感じがする。「好き」ときっぱり言い切れる何かがあるん
だよな。

 

9月7日 

翻訳夜話 2 サリンジャー戦記 村上春樹/柴田元幸
文春新書

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読み始める前から、読
み始めたんだけど(翻訳夜話1がとても面白かったので)、
当然のことながら「キャッチャー」を先に読んでから読むと、
とても楽しめた。

これを楽しむために、キャッチャー読んだ?ってくらい。
なんといおうか、それはとても知的な楽しみという感じで、
柴田さんの「Call me Holden」は、なかなかキュートだった。

春樹氏の丁寧な訳者解説は、本来、単行本のほうに収録され
るはずだったのに、サリンジャーと出版社のもともとの契約
によりそれができず、こちらに掲載された。
つまり、サリンジャーは、自分の作品を解説されることを好
まない、というわけだよな。でも春樹氏は、彼の生い立ちに
始まるとてもていねいな解説を書き、でもさ、これ、逆だと
どう? と思った。
つまり、春樹氏が自分の作品に、生い立ちにまでいたる詳細
な解説を、どこの馬の骨ともわからない外国人が書いて、作
品と一緒に出版したら。

彼も、そういうの、いやがるような気がするんだよな。
それとも外国でなら許すのかなあ。
もちろん、村上春樹の研究本は、あれこれ出ていたとしても、
作品に収録するとなるとやっぱり違うと思う。
でももちろん、「自分がやられたくないことを、人にするな」
みたいなことが言いたいわけではなくて。
そういう矛盾を発見したことが、楽しいっていうような。

『en TAXI』という雑誌に坪内祐三さんが、村上春樹はサリ
ンジャー、嫌いなんじゃなかったのか? みたいな文章を書
いていて、これもまた興味をそそる。ってなんか、私、オタ
ク? でもこれもまた、彼が今、サリンジャーを翻訳する意
味があったのか? なんで今頃? と矛盾を書いていて、楽
しかった。(次号発売もかなり楽しみである)
春樹氏を、別に批判、非難、するつもりは本当にまったくな
くて、まあ親しい人をからかうような感覚で、「でもさ、自
分だってそれやられると、ヤでしょう?」みたいに、あれこ
れ矛盾を探っているのであった。

あー、この読書日記はぜんぜん冴えないなあ。
まあいつもべつに冴えてるわけじゃないけど、やっぱこれは
オタク的感想だな。ま、いいさ。

 

9月3日 

キャッチャー・イン・ザ・ライ J.D.サリンジャー
村上春樹訳 白水社

なんてことはない一冊。
などというと、感度の鈍い人間だと思われてしまうだろうが、
そう感じたもんなー。しょうがないよなー。
これに感動するには、歳をとりすぎていたんだろうか、と考え
てみたりもするけれど、いやまあそうじゃないな。
若くても、たぶんそんなには感動しなかったろう。
なんでだろう。なんでだろう。
たくさんの人が熱い思いを抱いた小説らしいのに。

浅井健一くんのうたに「サリンジャー」というのがある。
詩だけを見た限り、これまたなんてことはないんだけど(私に
とっては)、「小さな恋のメロディー」といううたは、もしか
すると、『ライ麦畑・・・』なのかもと思った。

 

8月31日 

僕の小鳥ちゃん 江國香織 新潮文庫

これまでそんなに興味を持たなかった一冊で、読み飛ばしてい
たんだけど、縁あって読むことに。
角田光代さんによる解説に、
あなたはこの中の誰に近しい?
誰に憧れる?
なんてのが、あったんだけども、それはもちろん迷う暇もなく
私は、小鳥ちゃんに近しく、彼女に憧れる。

自由で、わがままで、さびしい小鳥ちゃんは、彼女のようにき
ちんとした人に憧れる。
小鳥ちゃんの、ひとりが好きだけど、ひとりはさびしい、とい
う、その微妙な感じが、すごくよくわかる。
だから、老夫婦のところでも、にこにこと過ごしていたことも
すごくよくわかる。

彼女の場合は、どちらも本気だと思う。
「ぼく」だけじゃ、退屈してしまう。彼の前では、彼の前での
自分しか、出せない。
でももちろん、老夫婦だけでもつまらない。彼らの小鳥ちゃん
でばかりいると、自分が失われてしまう。
どちらも大切だし、どちらにも誠意を持ってる。
でも、どちらかを選ぶとか、どちらが大切とか、そういうのと
は、違う。
結局は、どちらにも属さない、属せない。
だから、誰も本気で心配してくれない。
「おまえは、オレのものだ」って言われたら、逃げ出すくせに、
そんなことを言ってもらえない自分の人生を悲しく思う。

彼女は、きちんと毎朝早起きをして、きちんと車を磨いたり、
一日の計画を立てたりする人で、私には、決してできない、
充実した生活のにおいのする人。
すごく、うらやましい。
彼女みたいな人間になりたい、とは思わないけれども、そうい
う人生を送る人間を「いいな」って思う。素敵だなって。

でも、もしかすると、彼女は案外、山本文緒的浮気を繰り広げ
ているかもしれない、と思ってみたりもする。
「私って、実はダメ女なの」というような崩れ方を、もしかす
るとしてしまう人なのかもしれない。

ああ、そう。
先の話に戻ると「おまえはオレのもの」的な発言を、私も何度
かしてもらったことが、あるけれど、あれは本当に、微妙な感
じ。当然そんなことを言ってもらうからには、仲がよいわけで、
そこでその瞬間には、条件反射のようにうれしい顔をしてしま
うのだけど、帰る道すがら、それは喜ばしいことなのか、嘆か
わしいことなのか、光栄なことなのか、不名誉なことなのか、
考え込んでしまう。そんな状態は長くは続かないのになって思
ってしまったりとか。それで逆にさびしくなっちゃったりとか。

それで、私が出す結論は、「たぶんきっと本当に好きな人なら、
そういわれるとうれしいはずだ。でも、私は思ったほどうれし
くない。つまり、彼のことそんなに好きじゃないってことなん
じゃない?」
かくして、愛はさめる。
最高に盛り上がってさめていく道すじ。

自分の恋愛経験を振り返る趣味はあまりないんだけど、
「愛し合って、最高の幸せが持続する時間」ってのを、私は知
らないのかもしれない。いつも傾斜がある。上っているか下っ
ているか。
それはもちろん相手の問題ではなくて、私の問題だと思う。
つねに、「この人のこと、本当に好きなのかな、わたし」と
問いかける自分がいる。
これって、ダメダメだよな。真実の愛はいずこ。 

 

8月22日 

とるにたらないものもの 江國香織 集英社

江國ワールド。
たぶんこれを読んで「は?」と思う人もいると思うんだけど、
私はわりに好き。この人の独立独歩なところが。
この世界をキライと思う人もいるだろうけど、彼女はそのあた
りをまったく意に介していない感じ。
(本当かどうかは別として・・・案外気にしているかもしれないけ
れど・・・そんなふうに感じるってのが、私には重要。)

放送室の裏 松本人志・高須光聖 ワニブックス

前に読んだ『放送室』よりは、ずいぶん充実していた。
まっちゃん(&ハマちゃん)の尼崎時代を、幼馴なじみたちが
語る、という内容だけど、私は、この手の本が好きで、例えば
ロッキングオンなんかをたまに読むのと同じ理由なんだけど、
「世に出る」人がどんな道をたどったかってのは、なぜか感慨
深いものがある。
世に出るってことを私がものすごく重要視しているということ
ではないけれど、本人たちにとってはたぶんものすごく重要な
ことで、無名の人生かどうかで(どちらが幸福かという問題と
は別に)ものすごく違ってくるだろう。
ここで別の選択をしていたら、この人たちの「今」は違ってた
のね、なんて思いながら読んでいると、ああ人生って面白いよ
なーとひとりしみじみしてしまう。
まっちゃんにとっては、相方にハマちゃんを選んだってのが、
分岐点だったのね。

美女たちの神話 森瑤子 講談社

森さんの本はたくさん読んだので、たまに読んでいないものを
見つけるととてもうれしい。
これは小説ではなく、ヨーロッパやアメリカで活躍した女性た
ちのストーリー。マリリン・モンロー、オードリー・ヘップバ
ーン、イングリッド・バーグマン、フランソワーズ・サガン、
ジャクリーヌ・ケネディ・オナシス、シャネルにエディット・
ピアフなど15人。
特に誰、ってのは読む前も、読んだあともないけれど、印象に
残ったのは、みんなたくさん稼いでたくさん遣ってたのねって
こと。私なんて甘いわ。
ただし、やはりお金を必要以上に遣うというのは、どこか不安
定な人に多いのね。
私が、お金を遣うことに対してうまく気持ちのバランスが取れ
ないのはきっとそこなんだと思う。
私は、自分の不安定さをどこかで客観的に意識しつつ、ふと気
付くととても主観的にお金を遣う。
ただ、彼女たちを見ていると、自分で稼いで自分で遣って、人
生万歳って感じがするわね。(ただし、ジャッキーは夫の稼ぎ
を猛然と使った人)あとで落ちぶれようが、どうなろうがしっ
たこっちゃないわよってね。必要以上に幸福な晩年に憧れない
ことだ。
イングリッド・バーグマンは、あまり買い物癖がなかったよう
だけれども、彼女は幸福な晩年を送ったようだ。
きっと安定した人だったんだろうな。
夫と子どもを捨てて、イタリアのロッセリーニのもとに行って
しまったとしても、彼女の心にはまっすぐさしかない。
心の安定とは、どうやって保てるものなのだろう。

 

8月9日 

デッドエンドの思い出 よしもとばなな 文藝春秋

本を買うときは、いつもまとめ買いなんだけど、これは、たま
たま通りがかって、あ、新しいのでたんだ、と手に取ったらば、
帯に「これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きです」
というばななちゃんの言葉。ぱっと買って、さくっと読んだ。

で、結論から言うと、好きじゃなかった。
でもこれを否定していいの?と思うと日記がかけなかった。
この小説を好きだと思う人はいっぱいいると思うし、この小説
が必要な人もいっぱいいると思う。
普通に言って、いい物語なんだと思う。
ただ、私は好きじゃない。

私は、人生に癒しって求めない。
というと、買い物はなんだ、エステはなんだって言われそうだ
けども、なんというか、癒しって、心を安らげるという、ただ
それだけのシンプルな意味ならば、もちろん必要だけど、私以
外の、誰かや何かに、癒してもらいたい、とは思わない。
小説も、ただ世界を提示してくれれば良くて、その結果癒され
る種類のものは、確かにあるけど(その1つはばななちゃんの
ムーンライトシャドウだ)、癒されていく過程ってのには、そ
んなに興味がない。

そういえば、「ハゴロモ」もあまり好きじゃなかったんだ。
どうしてだろう。
と、思ったら、思い出した、そう。
「傷ついている主人公」という設定が気に食わないんだ!
世の中には、傷ついている人はもちろんいっぱいいるし、私と
てボロボロのずたずたに傷つくことも、ヒリヒリする経験も、
ないことはないけど、私の場合、傷ついたとしても、どこかに
避難したり、素晴らしい出会いを求めたりはしない、したくな
い、というよりも、そんなことをしてうまく癒されたためしが
ない。要は、自分でしか解決できないと思ってる。
偶然の出来ごとって、そんなには起こらないもん。
そんなのを期待するよりも、自分で動いたほうがラクだもん。
だから、この世界にどうもひたれない。
人に傷つき、人に癒され、がばななちゃんの持つテーマだとし
たらば、たぶん私は、自分に傷つき、自分で癒し、がテーマな
んだろうな。
ムーンライトシャドウも、傷ついている主人公の回復の物語だ
けど、これは、「回復」であって、「癒し」ではないと思う。
回復は自分の力で元気になる感じ。癒しは他力本願な感じ。
たぶんものすごく微妙な違いなんだと思うけど、私にとっては、
それってものすごく重大だ。

と、熱心に語っているのは、これまでわりに彼女の書くものに
は親近感を持っていたから。今回は、親しみを感じなかったけ
れども、たぶん微妙な違いで、また私の好きな種類の作品も、
書いてくれることだろう。

 

8月4日 

買った本。
最近の私の、本を買う時の、あの妙に冷静な気分。
何度も書くけど、本当に自分じゃない気がする。
これまで本を買うモードに入ると、やけに高揚して、浮き足立っ
て、欲望が胸の辺りにぐるぐるとうずまいて、買えば幸せになれ
る、くらいな勢いで、あれもこれもと買っていた、あの心理って、
あれは本当にいったいなんだったんだろう。

といいつつ、今日、靴を買った。55000円。 Oh,my god!
ちゃうねん、でもな、あたし、ほんま冷静やってん。
冷静に必要やと判断してん。

類語大辞典 講談社

ある雑誌の書評欄で見て、欲しくなった。
文章を書いていて、言葉が浮かばなくて、動詞だとこうだけど、
そうじゃなくて、形容動詞ではどういえばいいんだろうとか、普
通だったら堪能って書くよな、でも最近みんな「堪能」使いすぎ、
もっといい言い方ないわけ、ってイライラした時とか、に役立ち
そうな本。

とるにたらないものもの 江國香織 集英社

内容はわかってる・・・というと真実ではないけど、なんかきっ
と江國ワールドな本だろうということは簡単に想像がつきつつ、
ちらちら読むのにいいし、と言い訳をして購入。

村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ 三浦雅士 
新書館

翻訳夜話2 サリンジャー戦記 村上春樹 柴田元幸
文春新書

この2冊と少し前に買っていた、キャッチャー・イン・ザ・ライ
(村上春樹訳)と、もっと前に買っていたen-taxi(坪内祐三さ
んのアメリカ)を気分に合わせてごちゃまぜに読んでいる。
もしかするとどれ一つ完読しないかもしれないけれど、こういう
だらだら読みって結構好き。

 

7月20日 

宮本輝全集 第2巻 錦繍 避暑地の猫 新潮社

輝さん第2弾は、錦繍。
これは、とてもよかった。思うのだけれど、最近こんなふうに文
字のぎゅっと詰まった小説ってのは、はやらなくなっちゃったの
かなあ。推理小説だと、わりにあるけれど、普通の小説ではほと
んどない。行間を読む系の、ゆるい小説も好きなものはあるけれ
ど、こんなふうにぎちぎちに文字が詰まっているものもすごく好
きなのよね。と、前に書いたのと同じことを繰り返してしまった。

お嬢様で、頑なで、凛々しくて、自分の考えをきちんと持ってい
て、美しくて。そんな女性をそりゃあ男の人は好きだろうなあ、
と思ってしまうのだけれど、でも以前読んだものほど、いらだた
しくはなかった。
ただなんだろう。私が求めている「深み」がたぶん輝さんの小説
にはないんだな、と思ったりした。
「深み」などという言い方はちょっとえらそうなんだけど。

と、言いつつ、引き続き読むつもり。

『避暑地の猫』は、ミステリー風だったけれど、ミステリー的な
味つけはそんなにうまくなかったように思う。でも小説としては
なかなか面白かった。

全集には、別冊のようなものがついている。春樹さんのもそうで、
ファンは、それが読みたくて買うようなものでしょう。
で、輝さんのにもついているのだけれども、これについているも
のではなくて、別のについていたのを図書館で立ち読みして、あ、
やっぱりこの人はいや、と瞬間的に思ってしまった部分があった。

例えば、小説が書けなくて、暴れまくって家の中をズタズタにし
てしまった話とか、軽井沢に建てた別荘に鳥が巣を作ったけど、
その鳴き声がうるさくて小説が書けないと巣を壊してしまったり
とか、あるいは、子どもの声がうるさくて、迷惑とか、自分のお
母さんを軽井沢に連れて行くのに、自分が付き添わないところと
か。
小説を書くって、べつに特別でもなんでもないと思う。
人ができないことをやっている、とは言っても、そんなの小説に
限らない。絵だって、歌だって、大学教授だって、車の営業だっ
て、スーパーのレジ打ちだって、それぞれに大変だと思う。でき
る人はできて、できない人はできない。みんな平等だと思うわけ
じゃない。才能の種類は、全部違うということ。芸術とそれ以外
だけが違うわけじゃない。

自分が特別だと思うのは悪いことじゃないと思う。
でも自分だけが特別だと思うのは間違ってると思う。
人と比べないと、自分が特別だと思えないなんて、まだまだ甘い
んじゃないかな。

だれかのいとしいひと 角田光代 白泉社

角ちゃんは、ずっと昔に「カップリング・ノーチューニング」を
読んで、あんまり好きじゃないなと思ってしまい、読まなくなっ
ていた。その頃、確か「文藝」がJ-文学とか言ってややミーハー
な展開をしていたんじゃなかったろうか。でも私はひいてしまっ
た。だけども「文藝」がそんなふうに展開したくなった気持ちは
わかる。すごく「今」な感じがするもん。このまったり感。

収録されている8つの短編のうち、一番好きだったのは「だれか
のいとしいひと」。終わっていく恋の切なさといとしさってのに
私は弱いんだなあ。

あしたはうんと遠くへいこう 角田光代 マガジンハウス

主人公の1985年から2000年までの15年間を途切れ途切れに描いて
いる。

その時に気付かないことっていっぱいある。「そんなに好きじゃ
なかったけど、考えてみれば、あの人が今まででいちばん私のこ
とを大切にしてくれた男の人だな」なんて。気づいてもどうしよ
うもないし、そのとき気付いていれば幸せになれたのかというと、
そういうものでもないように思う。
失うものがあり、得るものがある。そのふたつの価値なんてわか
らないけれど、決断しなくちゃ、前に進めない。
とはいえ、角ちゃんの小説は何かを意図的にきっぱりと決断する
ようなことはない。そのあたりがいかにも「J」な感じ。

泣いた赤鬼は、たくさんの親切な村人と仲良しになれたけれど、
気付くと親友を失っていた。
もうあともどりはできない。
それが人生ってもんですわね。

角ちゃんのもまた読むとするか。
ふと林真理子の「ワンス・ア・イヤー」を思い出したんだけど、
考えてみれば、林さんは、やっぱり「古い」系だなあ。
文字つまり系。好きだけど。

最後の息子 吉田修一 文藝春秋

「最後の息子」というその言葉は小説にでてくるんだけど、いい
なと思った。詩的にいいんではなくて、感覚として。
ただ、輝さんの小説を読んだ後だから、「ああ、これが最近の流
行なんだわ」と思ったりして。
つまり起承転結を作らない。伏線は伏線のまま。ゆるやかな結末。
もちろんそれはそれでいいんだけども。
この前、青山真治と続けて読んだために、2人がごちゃごちゃに
なっていたけれども、なんとか「吉田修一」という人がいる、と
いうところにまでは到達した。
ので、またこの人のも読もうかと。

しかし、今回の4冊はすべて図書館本。
最近の私のストイックな生活ってなんだか素敵。

 

7月11日 

放送室 松本人志 高須光聖 TOKYO FM 出版
ふにゃふにゃ日記 菜摘ひかる 主婦と生活社
手紙の行方 山口智子 ロッキング・オン
文藝 秋号 河出書房新社
CASA BRUTUS 8月号 マガジンハウス

久々に本を買った。
最近、物欲が著しく低下していて、どうも買うのが億劫。
菜摘さんの本は、もうこれで読んでいない本はなくなるのかな、
と思うと、今日でなくてもいいのかもとうじうじ思ってしまった。

『放送室』は、まっちゃんが好きだから。
で、もう読んでしまった。ラジオの番組のトークをまとめたもの
だけど、これは、編集がまずいのでは?
ネタを全部詰め込むのではなく、厳選したネタをディープに入れ
込んだ方が面白かったんじゃないかしら。読み応えが全然なく、
残念。ところどころ、かなり笑えるんだけど。
おかんの手料理ばなしは、2人の息子を持つ私としては、将来、
こうして「あいつの弁当しょぼかったよなー」と語られることの
ないような弁当を作らねばと、決意せざるをえなかった。
(でも、たぶんその時期になったらそんな決意は忘れていると思
う。)

『手紙の行方』は、なんとはなしに、ずっと気になっていたので。
でも、ちょっとだけ読んでいたら、どうしても、文章の下手な部
分が目に付いてしまった。私ってやな女ね。ごめんや。

文藝は、川上弘美特集につられて。彼女のインタビューっていつ
もなんか面白い。ある意味、小説より好きかも。

カーサ・ブルータス。六本木ヒルズの特集が読みたくて。
みんながみんな特集を組んでいるこのご時世、ブルータス様はど
のように料理なさったのかしら、と。
って、えらそうに。実は私もかなりなヒルズ通だと思っていたん
だけど、知らない店がたくさんあることを発見した。とほほ。
しかし、「レストラン批評」ってのはどう?
プロであれ、アマであれ、難しいものがあるよなあ。
プロはプロなりに。アマはアマなりに。
おすすめの店だけ語るのでは、物足りないけれど、けなすのは、
ほんと難しいと思う。よっぽどの覚悟がないとできないよな。

 

7月5日

海岸列車 宮本輝 宮本輝全集10 新潮社

輝さんの書く女性が今ひとつ、好きではない・・・と思い込んで
いるのだけれども、「本当にそうなのかな?」という思いもあり、
図書館で借りてきた。
女性については、ぜんぜんいやではなかった。ただまあ、それは
当然だけど、なんらかの好みは反映されているよね。うん。

小説としては、ああ、そう、昔の小説ってこうだったよなーと、
思った。縦糸と横糸がきっちりと張り巡らされていて、いろんな
ものを詰め込みつつ、物語が破綻しないまま、最後を迎える。
これは、新聞小説だったそうなのだけれども、うん、まあ確かに
いかにもな感じ。でももちろん、ぜんぜん悪くない。字がぎゅっ
と詰まった感じはすごく好き。

25歳の若い女性と、40代の働き盛りの男性の恋が物語の中に出て
くる。男性のほうは、かっこいい。仕事ができて、ユーモアもあ
って、時に少年で、時に紳士で。
でも妻と子がいる。結婚生活は、まあうまくいっている。
途中、その病弱な妻が亡くなるのではないか、とハラハラした。
でもそれって、安易な展開じゃん?と思っていたら、ちゃんと生
き抜いてくれて、ほっとした。
結果からいうと、2人の間の恋心は発展しないまま。
それはよかった。よかったし、この小説の書き手は男性で、ああ、
男性もこういう書き方をするんだ、と思った。
女性が書く男心、となんとなく似ている気がしたから。
ただし、これは新聞小説。リアルな読者の反応も作者の耳に入っ
たろうから、「男性的な思い」だけで物語をひっぱれなかった面
もあるのかしら?

しかし、男の人ってやっぱりそうなのか、と思ったのは、その25
歳の主人公が、19歳の頃、妻子ある30代の男性と深い仲だったと
いう事実をどうしても受け入れられなかったということ。
「黙っていたほうがいい」とその40代の男性は言うのね。
「君のために、ではなくて、相手の男のために」。
まあつまり、男はそういう女性の過去を飲み込めるほど、強くな
いんだそうだ。そんなものなの?
そこに出てくる、もう一人の女性も、男性経験に関して、とても
暗い過去を持っているのだけれども、それが結婚後何年かたった
後で、夫に知られ、暴力をふるわれることになる。
彼女の場合は、黙っていたのだけれども、「どうして秘密にして
いたんだ」と殴られ続けたわけですね。
ううむ。
男の人って、そんなにも心が狭いのかしらん。
女は、そういう過去を命がけで、隠していなくては幸せになれな
いのかしら。ううむ、ううむ、ううむ。

20代の頃の私ならば、その男性の心情ってのを憎んだと思う。
冗談じゃない!って。
でも今は、自分に置き換えて考えると、確かに私も言わないかも
な、と思ったりもする。というのは、全部あけっぴろげにするこ
とが、「本物の恋愛」とも思わないから。
でも、もし何らかの過去が夫に知られ、それがもとで暴力などを
ふるわれたらば、毅然と離婚するだろう。
それこそ、冗談じゃない。

 

6月

愛のモンダイ 素樹文生 メディアファクトリー

素樹さんのエッセーは、嫌いではもちろんないんだけども、個人
的にはもうちょっとだけ詰め込んで欲しいといつも思う。
ただエッセーってのは、難しいね。
昔はすごく好きだったけど、最近は全般的にうざったい。
読むのが。
歳をとったのでしょうか。
素樹さんのも、若い頃読むときっとはりきってメール書いたろう
なあ。
気になっているのは、車をどうしたかということ。
次のエッセーに出てくることを期待。

プラナリア 山本文緒 文藝春秋

直木賞受賞。うまいと思った。この本で直木賞をとりにいった、
みたいなことを何かで文緒さんが言っていた気がする。
そういうの、好きだなあ。
しかし、内容はというと、やっぱりどうして?と。
例えば、表題作。
がんを患った主人公。やるせないのは、わかる。ただそのやるせ
なさの出方が、私が共感できる範囲とはぜんぜん違う。
わざと人の気を悪くするようなことを言ってしまう、ということ。
「私は乳がん」と露悪的に口にする。周りが引くとわかっている
のに。そのあたりがものすごく幼稚な感じがして、いや。
相手の迷惑を考えろ、ってことが言いたいわけではまったくない。
私も、相手の迷惑をきちんと考えられるタイプじゃない。
好きなことをしゃべっては反省して、の繰り返しだし。
じゃなくて、「自分がやりたいことはなんなのか?」ってことを
もっと真剣に考えてくれよ、と思う。それが自分を大事にすると
いうことなのではないのかしら。
そこがどうしても、私にとって受け入れがたい部分。

ファースト・プライオリティ 山本文緒 幻冬舎

ちょっと短すぎるかなあ。私は文章からにじんでくる光景をかみ
しめるのが好きなので、この長さはちょっと物足りない。
でも、これは全般的に毒が薄くて、ほのぼのしていた。
「チャンネル権」は好き。「ボランティア」もまあまあ。
「嗜好品」の毒は嫌いじゃなかった。
でも、本屋で「どっちを買うか」と言ったら「プラナリア」かな
あ。

ルージュの伝言 松任谷由実 角川文庫

最近、ユーミンをよく聴いている。十分すぎるほど、大人の女が
今ユーミンを聴くって、どうよ、と突っ込んでみたりもするけど、
そんなことはいいのさ。昔を懐かしんでというよりは、けっこう
現役として聴いている。ってべつに今、恋をしているわけじゃな
いけど。

ユーミンはずっとだんなさんと一緒に仕事を続けてきたわけだけ
ど、いい夫婦だなあと思った。
正隆さんも、他の人と仕事がしたくなったことはきっとあったろ
うと思う。わかんないけど。同じ人とばかりやっていると、自分
の可能性を十分に開拓できないようなジレンマがあるだろうし。
それに、ユーミンとやっていると、ぜったいにどうやったって自
分は黒子的な存在になる。それをつまらなく思ったことはなかっ
たのかしら。
でももちろん、ユーミンにしたって「アレンジャーを変えたい」
と思ったことはなかったんだろうか。
アレンジャーを変えて、新境地ってのはよくあるから。
でも、そうすることなく、ずっと作り続けていて、2人のそうい
う絆が、単に仕事相手としてじゃなくて、夫婦の間に成立してる
ってのが、すごいなあと思った。
って、勝手に絆を作り上げてるような気もするけど。
でも、音楽業界ってのもあれこれ大変で、裏切った、裏切られた
って話もごろごろしている中、こうして、支え続けてくれるパー
トナーがいたってのは、大きいだろうなあ。
でもまあそれも彼女の人徳なのだろうな。
この本にそういうことが書いてあるわけではないんだけども、な
ぜか、読みながらそんなことばかり考えてしまった。

『ラブソング書いていても、ラブソングを書いているとは思って
ないの。ラブソングという設定を借りて、もっとほかの風景とか
をいいたいの。日の光や水の影や。』

それはすごくわかる、と思った。この人の詩には、そういうとこ
ろがある。だから好き。「海を見ていた午後」という歌は好きで
はないけれど、このタイトルはすごくいい。
暑くてけだるい午後に、クーラーのきいたレストランで、けむる
ような海をただぼんやりと眺めている光景ってのが、なんか思い
浮かぶもん。

♪同じ景色に 心を動かして
 バックミラーで 微笑みあう♪

こういうの、私にとっての「最高に幸福な瞬間」。

そして私は一人になった 山本文緒 幻冬舎

文緒さんの小説によくケチをつける私だが、江國さんと文緒さん、
どっちかにインタビューできるとしたら、文緒さんにしたい。
って、こんな日記を書いていると知れたらば、受けてもらえない
か。ははは。いいさ。
でも、江國さんは、なんとなくわかってしまって、突っ込んで質
問ができない気がする。逆に文緒さんは、私のもっている世界と
かなり異質だから、ものすごく興味がある。なぜ? どうして?
この世界はどこから生まれてくるの? どんなふうに自分を反映
させてるの? かなり具体的にいろいろと問うてみたい。
林真理子さんの小説にも、私にとって好きではないタイプの女性
がいろいろと出てくるけど、なんだろうな、林さんの小説は、ど
うも「作者の意図」が見えやすい感じがして、そこが好きじゃな
い。文緒さんのは、作者の自己顕示欲が、のっぺりとしていなく
て、そこはいいなと思う。
あ、そうだ、宮本輝さんのも、なんとなく作者の自己顕示欲が感
じられて、そこがちょい苦手なんだ。AMYの小説なんて、もろ
自己顕示欲だけど、こっちはなぜか好き。なんででしょ。
文緒さんへの個人的興味で読んだが、わかるような、わからんよ
うな・・・っていうか、わからん。

モルヒネ 安達千夏 祥伝社

「あなたが欲しい」から、何年経ったかな。
よく頑張ったなーと思った。
死への誘惑、というのが、うまく書けているように思う。
私は、一般的には前向きな小説が好きだけど、こういう静かな世
界を描いている小説もわりに好き。
恋愛も激しくなくて、でも、なんというか、恋愛って激しいばか
りが能じゃないと思う。孤独が好きで、でも人とも触れ合いたく
て、というような人たちの恋愛ってたぶんこんな感じだ。
会話文だけ、もうちと工夫したほうがよいんじゃないかしらね。
でもまた次の作品を待っております。静かに。

瞬きもせずに 氣志團 綾小路翔 ロッキング・オン

よかったよ。まじで。
あんた、えらいやんって。
バンド論ってのが、わりに好きで、辻仁成の「音楽が終わった夜
に」とかも興味深く読んだんだよな。
たとえば、昔、サザンって、桑田圭祐の才能が9割みたいなバン
ドで、ほかのメンバーってのは、どう? ただ単に桑田さんと出
会えてラッキー? とか、とても失礼なことを考えたんだけど、
桑田さんが自分のやりたい音楽を実現するために必要なメンバー
なのだろうかな、と思う。

氣志團も紆余曲折。團長もいろんなご苦労がおありで、でも苦労
を売りにするわけでなく、というよりも、目標のある人ってのは
今、何をすべきかってことを必死になって考えているから、あれ
よね、苦労に気付かないのよね。振り返ってみて、確かにあの頃、
大変だったのかも、オレ、みたいなね。
そういうのって好きだ。

首輪 佐藤亜有子

とある友人が熱烈にほめていて、手を伸ばした。
しかし笑ってしまったんだけど、誰かがディープに好きだという
世界は、安易にわかるもんじゃないのね。きっと。
私も「国境の南、太陽の西」がかなりディープに好きだけど、そ
こまでディープにほれ込んでしまうと言うのは、その小説がかな
り個人的、ということだ。

しかし、読み終わって、人の感想を見に行くまでこれが「短編集」
だとは知らなかった。最後の最後に盛り上がる長編、と理解して
いたんだけど。
最初の3つを短編として書いた意味がわからない。長編としてなら
ば、まあ理解できる。
首輪は、よかった。でも、なんとなく小川洋子の「密やかな結晶」
の中で、主人公が書いている小説に似ている気がする。

 

4〜5月

PAY DAY!!! 山田詠美 新潮社

安心して読んだ。好きとも嫌いとも、いいとも悪いとも思わなかっ
た。それが彼女の今の力量なのだなあと思う。なんというか、
円熟? マンネリじゃなくて。

双子の兄妹の恋。
若いな、と思う。永遠だと思えるほどの甘さが、実はものすごく陳
腐なものだった、といつか気付くんだよね。
2人のそれぞれの恋は、私からすると明らかにいつか終わる恋。
10代の頃は、恋に対するパワーがあって、ちょっと惚れっぽい。
すっごくお似合いじゃなくても、恋におちちゃう。
2人とも、これからもっとたくさんの恋をするんだろうな。
もっと広い世界に出て行けば、さらにいい男やいい女に出会う。
広い世界には、恋もきっといっぱいあるよ。
でもね、たぶんその一番最初の恋こそが本物だったと思うんだろう
な。陳腐だから本物。

バイブを買いに 夏石鈴子 角川文庫

下ネタというのが苦手で、男の人とはもちろんのこと、女同士で
も、私はほんとうにさっぱりまったくその手の話をしない。
で、この本も、実は私はこのタイトルって隠喩?みたいなものだと
思っていた。
このタイトルをどんなふうに料理するんだろうと思って、わくわく
していたのに、そのままずばりだった。
ちょっと拍子抜け。
エッチでやだってんじゃなくて、もうちとひねってほしかった。
まあでも全体としては楽しく読んだ。
悪くない。

豊かに生きる 朝吹登水子 世界文化社

サガンの翻訳で知られる、朝吹さんのエッセー。
ううむ、うむうむうむ。
という感じ。

紙婚式 山本文緒  角川文庫

単純に面白かった。
抑揚のない物語ってのが、割りにすきなんだと思う。
「土下座」と「ますお」は、オチがよかった。
文緒さんの小説は、主人公に対する視点がちょいといじわるだっ
たりする。
あくまで、私が感じる、ということなんだけど。
それがイヤだな、と思うときと、うまいな、と思うときがあって、
ここに入っているのは、うまいな、の部類だった。
ちなみに、イヤだな、と思ったのは、「恋愛中毒」。

風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険 菜摘ひかる 光文社文庫

菜摘さんの本もついにあと数冊になってしまったような気がする。
これは、これまで読んだ中でもっとも痛くない。風俗嬢菜摘ひか
るができあがるまで、という感じ。
淡々と、SMだのイメクラだのソ-プだので仕事をするひかるちゃ
ん。自暴自棄な感じはまったくない。
ただただ職業として積み上げている。

小学校1年生か2年生の頃の体験が書いてあった。老人にスカー
トをめくられて、パンツの中をのぞかれたという話。
それがひそかにショックだった。
女の子は、大なり小なりそういう経験を持つのだなあ、と。
確か、「ファイト!」のヘルス嬢、豹ちゃんはもっとハードな体
験があった。
私とて、電車の中で痴漢にあったり、人気のない道端で、変なも
のを見せられたり、家庭教師にいきなり襲われそうになったこと
がある。私の場合すでに高校生以上になってからのことだったの
で、「ただの変な人」で済ませられたけれど、小学校低学年でそ
んな経験があったとしたら・・・と思う。
私が娘を持っていたら、本当にそれだけは避けたいと思うだろう。
男性の、理性に包まれていないむき出しの性欲の対象にされてし
まったこと。NOも何もいえなかったこと。力で抵抗できなかった
こと。性に対する無力感がそんなところからできあがるとしたら、
どうなの? 男性にとっては一瞬でも女性にとっては一生のこと
だ。
風俗に行けばいいじゃんって、ことでは解決しない。もちろん。
結局のところそういう欲望を沈めるのは、女性しかないの?
理性じゃ無理なの?
もちろん理性じゃなくて、特定の愛する女性でもいいわけだけど、
いずれにせよ、できる人はできて、できない人はできないという
ことなのかしら。

と、ぜんぜん関係ない感想になってしまった。

沈黙 村上春樹 

全国学校図書館協議会というところが出した、小さな小さなブック
レット。書店で目に付き、さらりと買ってきた。
この本を最後まで読み、ふむふむ、春樹氏にしてはやけにストレー
トなメッセージだわい、なんて思ってそのまま本棚にしまった。
そして幾日かたち、「村上春樹全集」をパラパラと眺めていたら、
入っているではないか、「沈黙」。
なんとこれは、「レキシントンの幽霊」に収録されていた短編だっ
た! 
わたくしは春樹ファンであり、当然「レキシントンの幽霊」を読ん
だことがあり、しかもそれは比較的最近のことである。
でもここまで記憶がないってのは、なんなんだろう。
読書している瞬間がすきなのだよ。
何も残らなくていいんだよ。
と思うことにするがでもやっぱりちょいとショック。
これがまだばななちゃんの小説だったらば、笑ってすませる。
ま、彼女のは入ってきやすい分、忘れるのも早いんだよな〜って。
でもこれは春樹様だったのに。むう。

顔 葉加瀬太郎 TOKYO FM 出版

仕事がらみで読んだのではあるが、心に残ったところがあったので
メモ。
「小説を書きたいんです」とか、「作曲家になりたいんです」と
か、「画家になりたいんです」とか。
言う人は多いけど、言ってる暇があれば、曲を作ってみれば?
という素朴な疑問を提示しておられた。
画家になるには絵を描かなきゃ始まらないわけで。
なのに、最後まで描きあげもせず、「画家になりたいけど、どうす
ればいいのでしょう?」と聞いても仕方あるまい。

といいつつ、私自身、昔はずいぶんと迷いの中におり、「どうすれ
ばいいの?」状態ではあった。仕事を探している状態のときなんて
いくつもの職業を思いついては、却下した。
でも例えば、料理研究家になりたい、と思ってからせっせと料理を
するのではなく、せっせせっせととにかく毎日懸命に料理を作り続
けた先に、料理研究家という職業があるのだと思う。

じゃあ、私は何が好きなんだろう、何に夢中になれるんだろう、と
考えると、それがまた「なんにも好きじゃないよ」と泣きたくなる
こともある。
それがわかんないから苦労してんじゃん!って。
わかんないときは、わかんない状態にひたるしかないんだろうな。
道は、開く時には開く、と思う。
要は待てるか待てないか。

月の砂漠 青山真治 角川書店
パレード 吉田修二 幻冬舎

立て続けに読んだので、私の中で2人はかぶってしまった。
青山真治さんのほうがクールで、吉田修二さんのほうがバタ臭い。
でもなんというか、最近は男性作家もいっぱい出てきてるんだな
あ、としみじみ。
みんな頑張って書いてくれ。

青山真治さんは、名前がかっこいいと思う。シャープだけど優し
いような感じがして。
作品もまあわりにシャープで、でも問いかけもあって、でも重くな
くて、でも読後になんとなく心に残るものもあって。
という感じ。
でももうひと息何かが欲しいです。

パレードは、読みやすくてふつうに上手。
登場人物たちの日常と異常をもうちょいとだけ丁寧に描いて欲し
かったかなあ。

思うのだけれど、私は宮本輝さんが書く女性ってのがどうも好き
じゃない、のはなんでだろう。
べつに私が気難しいわけではない。青山真治も吉田修二もぜんぜ
んアリだった。

 

5/1 2003

江國香織編 活発な暗闇 いそっぷ社

海の見えるレストランに行ってきた。
大好きなベクトラのハンドルを握って1時間。オダアツを終点で降
り、海までの道を一直線に走る。防波堤の手前にある白い小さなレ
ストランが私の目的地。
買ったばかりのKEITA MARUYAMAの服を着て、詩集の入った鞄を提
げて、ひとりで。

最高に幸せだった。
4月は相当頑張って働いたし。
「自分へのご褒美」なんて、甘えた言い方はまったく好きじゃな
い。これは、ご褒美なんかじゃなくてね、メリハリよメリハリ。
ちゃんと自分でコントロールした自分の人生の中の、張りの部分。

そこに持っていった詩集が、これ。
料理と料理の合間に、パラパラとページをめくり、目に留まった
のから読む。あちらこちらに飛びながら。

でもまずはカーヴァーの「ぼくの船」。
くすくすと笑ってしまった。
本当に楽しそうね。でも、大丈夫なの?
あまりに無邪気で、よわっちい。
船って、それはこれから書くぼくの小説のことかなって思った。
僕はね、なんでも書けるよ、書いてみせるとも!
男の人の無邪気な部分って大好きだ。

谷川俊太郎さんの「手紙」は、胸にことんと落ちた。
手紙も電話も会うことも、みんな違うよね。

「朝の食事」。
どうして、最近私は「ダメになってく2人」ものに弱いんだろう?
「停電の夜に」もそうだった。
むむ?
でもこれ、好きだ。

「女王様のおかえり」
いいよね。貧乏な女王様。でも威張ってる。

詩は、これまでひとりの人の詩集を読むのが好きだったように思
う。でもこれはいいな。

料理はすみずみまでおいしかった。
詩集も洋服も、この日のために準備したみたいだった。
詩集の装丁までも、今日にぴったりだった。
車に乗り込んだ時に、ふと、森瑤子さんのことを思い出した。
自分で購入した与論の別荘で、「ママの夢はかなったのよ!」と叫
んだ、その時の幸福感、すごくわかる。

でも、まだ私は別荘を買ってはいないし、夢をかなえてもいない。
「死ぬわけにはいかないよ」と念じながら車を走らせた。
130キロの安全運転。

 

3/31 2003

Piss 室井佑月 講談社文庫

人と人とはわかりあえない。
そう思ってる。
でもそれは結論じゃない。
それが、始まり。

前に書いたんだけど、また書くことにした。

私が一番好きな映画は「あんなに愛しあったのに」というイタリ
ア映画。知っている人は少ないくらいのマイナーな映画だけど、
とても好き。いつ見ても泣いてしまう。
その感情をそのまま理解してくれる人はいないと思う。

だけれども、私がこの映画をどれくらい愛しているか、わかって
くれる人はきっといると思う。
「好きだ」という感情の中身はわからなくとも、輪郭を理解して
くれる人はいる。
理解しようと近づいてくれる人はいる。

そこから、少しずつ少しずつ互いの距離が近づいていく。
人生は、過程だと思う。
少しずつ、「他」を知る。
お互いに。

人と人とはわかりあえない。
でも、仲良くしたい。

PISSを読んだとき、激しく揺さぶられたのは、結論としての、
「わかりあえない」を提示された気がしたから。
それは、私のまったくわからない世界だった。

私には、いわゆる「健全な向上心」がある。
私の人生は、それが前提になっている。
他人からすると、私のそんな生き方はうざいかもしれないし、こ
れまでがラッキーだったからよと思うこともあるだろう。
でももうそれは持って生まれたものだから、いいも悪いも仕方な
い。
ただ、自分の生き方を誰かに、一方的に押し付ける気はない。幸
せは上にしかないわけじゃないし、幸せにならなくてはいけない
わけでもない。
すべては自分次第だし、自分次第だということを理解していなく
ても、それがその人の生き方なんだと思う。

風俗という職業に何をそんなにびびっているのかと、自分でも不
思議に思うけれど、そこでは、職業というものが持つ尊厳と、自
己が持つ尊厳が、どうしてもうまく存在できていない気がする。
そのいびつなゆがみの中で、自我がどんどん透けていく。

職業に貴賎はないと思う。ライターも風俗も変わらない。
そう思っていた。でも、もしかするとそうじゃない?
私は私が書いたものが評価されればうれしい。
でも、彼女たちは?
男たちに評価されるのは彼女たちの性。
それは、自分自身の存在意義と微妙に一致しない。
どうしてなんだろう?
どうして、彼女たちはあんなにも切ないんだろう。

何かが違う。
風俗という職につくこと。
風俗という職を選ぶこと。

人と人とはわかりあえない。
それがスタートなのか、結論なのか、わからなくなっちゃった。

 

 

3/25 2003

村上春樹全作品1990-2000 2
国境の南、太陽の西
スプートニクの恋人
村上春樹 講談社

サガンの小説で一番好きなのは、『熱い恋』で、
江國さんの小説で一番好きなのは、『ウエハースの椅子』。
そして春樹氏の小説で一番好きなのは、『国境の南、太陽の
西』なのである。

全集は、春樹氏による『解題』を読むためだけに買っている。
まああと、コレクション的意味合いと。

この解題を読んで、ちょっとだけ泣いた。
いや別に、感動的なことが書いてあったというわけではない。
私がこの小説が好きだという理由がわかって、それがなんと
なくうれしくて。

この小説は、彼の他の作品とは少し毛色が違う。
でも、私は一番好きだ。
でも、理由がうまく語れなかった。
作者の言葉を読んで、そう、そうなの、と思った。

「自分が大切にしたいことは、なんだろう」。
それを繰り返し、考え続けること。
結論なんて出ないけれど、「考える」という行為に対して、
誠実だということ。
そこがきちんと描けているから好き。
春樹氏の解題を読んで、ようやくそこに思い当たった。

毅然としたところのある小説が、好きだ。
「毅然としたところのある」というのは、それは私のかなり
個人的な感覚なんだけど。

『国境の南、太陽の西』は、どんよりとしている。
でも、きちんとしている。

 

3/24 2003

いつか記憶からこぼれおちるとしても
江國香織 朝日新聞社

朝日新聞のサイトに、江國さんのインタビューが載っている。
10代の頃、なりたかったのは、洋服のデザイナーと裁判官と
それから果物屋だったそうだ。
ゲラゲラ笑ってしまった。

高校時代は、私の人生の中の最大の暗黒時代で、ぜんぶがぜ
んぶつらかった。
何がなんやら、と思う。
でも、この妙に研ぎ澄まされた、大人になる直前の感覚は、
なつかしい。
男の子はこの時代、もっとどんよりとすごしているのではな
いだろうか。だから、高校生同士の恋愛ってうまくいかない
のではないだろうか。
って、単に私がそうだったというだけなのかもしれない。
というか、恋愛って、結局のところ、全部終わるしな。

満たされているようで、満たされていない。
大人なようで、大人じゃない。
幸せなようで、幸せじゃない。
不幸かもしれないけれど、決定的に不幸じゃない。
愛し合っているのに、さびしい。

江國さんの書くものは、だいたいが好きで、それはなぜかと
いえば、そういう感覚を描くのがうまいからだろう。

サガンもそう。
最近、読んでいないけれど、私にとっては、この2人、けっ
こう似ているんだよな。

 

3/23 2003

編集者と渋谷のホテルのティールームで打ち合わせをして、
終わったのが9時半。2人でホテルを出て、246沿いを歩い
ていたら、不意に「じゃ、僕はここで」と立ち去られてしま
った。
そういうとき、間違っているとは思うんだけど、呆然とする。
こんな雑然とした街で、しかも夜に、いきなり私をひとりに
しないでって。改札まで見送ってよ。切符買う間もちゃんと
待っててよって。

基本的に、私が間違っている。
だって、彼は単なる仕事相手で、特別、大事にしてもらわな
くてはならない理由なんて、まったくない。
それはわかってるんだけど、でも、私は女の子なのに、と
思う。心の中でちょっとだけ憤慨する。

相手が女性なら、なんとも思わない。
基本的に私はなんでもひとりでできる。

だけども、私にとって、男の人は「守ってくれる」存在だ。
重い荷物を持ってくれたり、帰り道を心配してくれたり、
食べきれない料理を平らげてくれたりする存在だ。

だから衝撃を受けた。

菜摘ひかる
恋は肉色 光文社文庫
菜摘ひかるの私はカメになりたい 角川文庫
えっち主義 角川文庫
えっちな気持ち 角川文庫

「男なんてみんな誰でも女と見ればやりたくて」という世界を
よく知らない。私も人並みに、電車の中で痴漢にあったことく
らいはあるけれど、そういう問題じゃないんだろう。
たぶん私はそこに目をつぶって生きてきたんだと思う。

性の対象として自分が存在することに対して、私は恐ろしく無
知なんだけど、だけど、彼女だって、性の対象として存在する
ことに最後まで慣れることはできなかったんだな、と思う。

自分自身の存在意義。

お金を得ること。
相手に喜んでもらうこと。
他者を通じて、自分の価値を見出せるのはいいことだと思う。
自分を客観的に評価してくれる人がいないことで、ブルーにな
るのは家庭の主婦だって同様だ。

家事と、風俗業との間に大きな違いは感じない。
行為としても価値としても。
それはつまりすべての意味で。
主婦も医師も弁護士も会社員もライターも版画家もバーテンダ
ーも風俗嬢も、何かが大きく違っているとは思わない。
それぞれがそれぞれの個性と能力と状況に応じて、職業を選択
した結果だ。
それによって、収入も環境も友人も生活も、異なるけれど、そ
れはそれ。

だから私は彼女の職業について、とやかく言うつもりはない。
彼女は、必死に探し続けた。居心地のいい場所を。
でも、見つからなかった。

残念だけど、小説(えっちな気持ち)はそんなにうまくはな
い。彼女が先を急ぎすぎたのかもしれない。
書くことは上手だったと思う。
彼女もある時期は、自分の才能に励まされていたんだと思う。
でも、それが続かなかった。
続かなくても、もっと自分を肯定できる人だったら、もう少し
耐えられたと思う。
そんな時もあるさって、思い過ごせたんだと思う。

風俗業でも満たされず、書くことでも満たされない。
行き場が見つからないよ。どうすればいいんだよ。

そんなにも瞬間、瞬間での、存在価値を見出すのは無理よ。
食べて、仕事して、時々楽しくて、時々悲しくて、好きな人が
いて、キライな人もいて、好きな人とだけ過ごすわけにはいか
なくて、いやな思いもいっぱいして、でも、笑っちゃうような
できごともいっぱいあって。
生きるってそういうこと。

存在するだけで、よかったのにな、と思う。
でも、どうしようもなく、つらかったんだろうな。
何を拒否して、何を受け入れて、何が楽しくて、何を憎むか。
わかんないよって。
誰か教えてよって。

ご冥福をお祈りいたします。
天国の住み心地はいかがかな。

結局のところ、水商売と風俗の違いはなんとなくわかったけれ
ど、イメクラと性感ヘルスとソープの違いはわからないまま。
ひかるちゃん、どうせなら、そこまで教えてよ。

 

2/20 2003

Piss 室井佑月 講談社文庫

人はひとりだと思う。
わかりあえる人なんていないと思う。
でも、せめて仲よくしたいと思う。
いろんな人と、いろんな形で。

これを読んで、私の胸の深いところが、がつんとした。
「仲よくしたい」なんて、世間知らずな甘えた人間の理想
でしか、ないんじゃないかと。
「仲よくする」の反対語は、「けんかする」でも「憎しみ
あう」でもなく、「仲良くできない」なのだと思う。
例えば私が、彼女たちと仲よくしたいと近づいても、彼女
たちが持つ心の深い部分での悲しみを傷つけるような発言
をものすごく無邪気にしてしまうのではないか?

例えば、
「そんな簡単にやらせちゃだめだよ」って。
例えば、
「もっと自分を大事にしてくれる人を見つけなよ」って。

私は、もう親から自立しているつもりでいるが、それでも
もし、私が交通事故でも起こして大きな借金を作ったら、
親に頭を下げてお金を貸してもらうと思う。
もし、夫に好きな人ができて、その人に散々貢いでいっぱ
い借金を作って、挙句行方不明になったりしたら、たぶん
私は実家に戻るだろう。
親じゃなくてもいい。
親ではなくても、たぶん手を差し伸べてくれる人は見つか
る。
自然にそう思うということ。

そんな私の言葉が、彼女たちに届くのかな。
「仲よくしたい」
それっていったいなんなんだろう?

男の人に関して言えば、私は彼らの性的部分をまったく知
らないで生きてきたと思う。それもまた、じぶん的にほん
と、がっくりした。
私は、「風俗に行く」男の人を知らない。
もしかすると、行っている人はいるかもしれないけれど、
少なくとも、その手の話をしたことがない。
というか、この次に読んだ菜摘ひかるの「恋は肉色」で、
初めて、水商売と風俗の違いを知ったくらいなものだ。
なんたること!

・・・引用

連れて行かれるのはいつも居酒屋かファミレスで、品性に
も知性にも無縁な馬鹿話で機嫌をとられ、勘定はいつも割
り勘、そのくせ店を出た途端、早くやらせろ入れさせろの
ちんぽ汁がどうのときて、ただ寄り添いあって歩いている
はずがいつの間にかおまんこに指が潜りこんでいる。おた
がい、哀れだったらない。

・・・終わり

私は、たぶんおそらく、私を安く使おうとする人がキライ
だ。仕事でいうならギャラの問題ではない(それもちょっ
とあるけど、それがすべてじゃない)。友人でいうなら、
それは誠意の問題だ。恋愛でいうなら、たぶん愛情の問題
だ。
まっすぐに向き合って欲しいと思う。私と。
この人は、つないでおけばトクだ、なんて考えで近づかな
いで欲しい。
すぐにやらせてくれそうだ、とか、ギャラが安くても文句
を言わなさそうだ、とか、そんなことで近づかないで欲し
い。

そんな匂いのある人を切ることに、私はまったく容赦しな
い。
それが私だし、私の強さだし、絶対に曲げられない部分だ
し、それがあるから生きていける。

ひどい目にあうこともたまにあるけれど、私は、たぶん私
に合う人が、友達でも仕事相手でも恋愛相手でも、ぜった
いにどこかに存在する、と信じることができるから、嫌わ
れることに対して、かなり平気でいる。

そんな私の、「仲よくしたい」は、どうなんだろう?
個人的に嫌われるのなんて、ぜんぜん問題じゃない。
そんなことはどうでもいいよ。

私がショックだったのは、私が思う「仲よくしたい」は、
ただ単に、私を守る意味しかなかったんじゃないか、と
思えたこと。

電車でカバーもかけずに読んでいたら、前に座っていた同
世代のサラリーマンが、チラチラと私の顔を覗き込んだ。
みてみると、帯に「どんなに犯されても、私は絶対、汚れ
ない」とあった。

犯されるってのとは、ちょっと違うし、汚れる汚れないの
問題ではないだろう。ここにあるのは。

私が、排除した男の人たちを、受け入れる女の人がいる。
ありがとう?
ごめんね?
そんなじゃないけど、世の中にある「汚れ」というものを
一切拒否して、突き進んでいる私が、「仲よくしたい」な
んておもっちゃ、だめなのかもしれない。

そんな生き方もあるんだって、心の中に大切にしまってお
こうと思う。

 

 

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