原典を読む 6.クックワジーの手紙(1745年)
ウィリアム・クックワジー(William Cookworthy: 1705-1780)は、英国初の硬質磁器窯であるプリマス窯の創設者です。同窯の設立は1768年ですが、彼はそれより20年以上前から硬質磁器に関心を持っていたことが知られており、その根拠とされるのが、彼が1745年に友人のリチャード・ヒングストン(Richard Hingston)宛てに書いた手紙です。1745年と言えば、チェルシーで(もしかしたらライムハウスでも)軟質磁器の製造が開始された頃ですが、それと並行して(主としてボウにおいて)米国の磁土を用いた硬質磁器の製造も模索されていた時期です。
ボウはこの前年、1744年に硬質磁器製造の特許を得ています。そこで使われる磁土は、今回ご紹介するクックワジーの手紙にも登場する米国の土です。米国からこの磁土を持ちこんだのは、フィラデルフィア出身のアンドリュー・ドゥシェ(Andrew Duche)だとされていますが、今回の手紙に登場する「米国で磁土を発見した人物」の氏名は明らかにされていません。また、彼が持っていたとされる(硬質)磁器サンプルが米国製なのか英国製なのかも不明で、19世紀以来これまで多くの論争を生んできました。
最近では、2007年に発行されたパット・ダニエルズの著書"Bow Porcelain 1730-1747" (下記参照文献の1)が、この手紙を詳しく分析しており、いわゆる「Aマーク」作品との関連で興味深い論陣を張っています。この文献は、この手紙の全文(磁器に関係ない記述もかなりあります)を、原典に当たった上でそれに忠実な形で掲載しており、今回はこれを底本にして、関連部分を読んでみることにします。
原 文 仮 訳 Plymouth 27th 5th Mo 1745
... I had lately with me the Person who hath discover'd the China Earth, he had Several Samples of the China Ware of their making with him which were I think equal to the asiatick - twas found on the Back of Virginia where he was in Quest of Mines and - having Read Du Halde - Discov'd Both the Petunse and Kaulin - tis this Latter Earth he says is the Essential thing toward the Success of the manufacture. He is gone for a Cargo of it - having Bought the whole country of the Indians where it Rises They can import it for £13 p. Tun and By That means afford their china as cheap as common Stoneware - But they intend only to go abt 30 p. Cent under the company - The Man is a Quaker by Profession But seems to be as Thorough a Deist as I ever met with - he knows a good deal of mineral affairs but not funditus...プリマス 1745年7月27日<注1>
…私は最近、磁土を発見したという人物に会った。彼は、彼らが製造した磁器製品のサンプルをいくつか持っていたが、それらは私には東洋の製品と同等に思えた。その磁土は、彼が探索したバージニアの後背地で発見されたもので、彼はデュ・アルド<注2>を読んでおり、ペトゥンツェとカオリンの両方を発見した。彼によれば、後者が製造の成功に欠かせない土とのことである。彼は、それが産するインディアンの土地を購入しており、それを船荷で送り出そうとしている。彼らはトン当たり13ポンドで輸入することができ、それゆえ彼らの磁器は一般の陶器と同様な安価となる。しかし彼らは会社<注3>の下では30%までしか意図していない。この人物は職業的クエーカーであるが、私がこれまで会った中で最も徹底した理神論者である。彼は鉱物に関してよく知ってはいるが、完璧というわけではない。…
<注1>日付に関して、原文では「第五の月」とあるが、クェーカー暦(クックワジーはクェーカー(Society of Friends)教徒)では、3月が「第一の月」であるため、「第五の月」は7月に当たるという。手紙の消印も7月になっているとのこと。
<注2>デュ・アルド(Jean-Baptiste Du Halde: フランス人)は、その著書"The General History of China"(仏版は1735年に、英版は1736年に発行)に磁器の製造方法を記載している。
<注3>この「会社」が何を指すかについても論争があり、ボウ磁器会社を指すという見方と、東インド会社を指すという見方がある。
関連文献
1. Pat Daniels "Bow Porcelain 1730-1747" Chapter4 (pp.69-75) 手紙の全文掲載
2. F. Severne Mackenna "Cookworthy's Plymouth and Bristol Porcelain" pp.21-27
3. Frank Hurlbutt "Bristol Porcelain" p.1 and Note6 (pp.123-124) 手紙の全文掲載
4. William Chaffers "Marks and Monograms on Euroean and Oriental Pottery and Porcelain (14th revised edition)" p.910
5. Hugh Owen "Two Centuries of Ceramic Art in Bristol" pp.7-8
(2012年9月掲載)