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コラム14.ロンドン磁器窯の攻防(含:忘れられた四兄弟の逆襲)


 18世紀ロンドン(近郊を含む)の磁器窯といえば、チェルシーとボウ、「英国最古窯」の地位を競うこの両窯が何と言っても有名ですが、実は他にも(しかも4つも)あるのです。それらほとんど知られざる存在だったロンドンの窯は、1980年代から2000年代にかけて次々と正体を現し、大きな注目を浴びました。以下、チェルシーとボウも加えた「ロンドン六兄弟」の動静について簡単にまとめてみます。


@チェルシー(Chelsea:1745-69年頃)
 チェルシーは「縮小の歴史」をたどっています。貴族や富裕層向けの高級品に特化した窯、英国最古の磁器窯(おそらく)、という評価・認識により以前から圧倒的な人気を誇ってきた窯ですが、だからこそ、あれもこれも「チェルシーに違いない」とされてきた傾向は否めません。1920年代には、チェルシーのフィギュアのうちのかなり多く(基本的には錨マークがついていなくて、パッチマークのあるもの)が、実はダービー作品であることが判明し、コレクターの間に「ブーイングの嵐」を巻き起こしました。

 金色の錨マークについては、いまだに混乱があります。もちろん偽造品は別にして、このマークのついた1769年以前のチェルシー真正作品とみなされてきたものの中にも、実は1770年以降のダービー作品(チェルシー・ダービー期)がかなりあります。「経営者が変わっても窯は窯なので、1770年以降をデュズベリー経営期のチェルシー窯と呼んで何らおかしいことはない」という主張もありました。でも、最近はそれも雲行きが怪しくなってきました。チェルシーは「窯」としての歴史を1770年代初期に終えており、その後は単なる「ダービー窯の絵付け分室」であったと考えられるようになったためです。

 チェルシーからの分離としては、「ガール・イン・ア・スイング」にも触れないわけにはいきませんが、これは結局、ロンドンの別の窯として確立されましたので、以下に項を改めて記します。


Aセント・ジェイムズ(St. James:1749-54年頃)
 かつて(今でも?)「ガール・イン・ア・スイング(Girl-in-a-Swing)」と総称されていたフィギュアを中心とする作品群は、1920年代にその存在が認識されるようになって以来、最初はチェルシー初期の実験的作品群だと考えられていましたが、1960年代にその説は否定され、窯不明のまま、代表作である「ブランコに乗った少女像」をそのままグループ名にして呼ばれてきました。以前から、チャールズ・ゴウイン(Charles Gouyn:チェルシー窯の初期経営者の一人)が関与していたとは考えられていましたが、結局、1990年代に入って文献上の発見(なんとフランスの文献!)によって、ゴウインがチェルシーから分かれた後にセント・ジェイムズにあった窯で作った作品であることが裏付けられました。(ただし、今でも窯跡の正確な位置は分かっておらず、発掘もされていませんから、完全な決着とは言い切れないかもしれませんが。)

 この窯の作品は、フィギュア(約30種類)や「おもちゃ(Toys)」と総称される封印、香水瓶、小箱などが中心で、食器類の実用品はごく限られた数しか確認されていません。明らかに装飾品・愛玩品に重点を置いた窯ですが、ゴウイン本人が宝石商であったことと関係していると考えられています。


Bライムハウス(Limehouse:1746-48年頃)
 この窯は、例えて言えば「英国磁器界のツタンカーメン」といったところでしょうか。文献上は旧来から存在が知られており、それどころか、チェルシーやボウと争う堂々の「最古窯」候補なのですが、実際の作品が一つも知られていない謎の窯でした。しかし1989年にバーナード・ワットニーがロンドン美術館のスタッフを従えて行った窯跡の発掘によって、ついに念願の真相が明らかになりました。その結果は、従来ウィリアム・リード(リバプール)作品だと考えられてきたものが、実はライムハウス作品だったというものでした。当該作品群をかつてウィリアム・リード窯に判別したのも、他ならぬワットニー自身であり、若干皮肉な成果ではありました。

 ライムハウスには独自形状の作品が多く、また、1740年代中後期の英国製ブルー&ホワイト作品をほぼ独占製造していた(しかも完成度が高い)と見られており、ライバルであるチェルシーやボウとは異なる路線を(短期間ではありましたが)突き進んでいたと思われます。いずれにしても、今やライムハウスは、英国磁器界で最大の人気窯の一つとなっています。(「耳より情報」2010年9月4日の欄参照。)


Cヴォクソール(Vauxhall:1751-64年頃)
 この窯も1980年及び1987年に行われた窯跡発掘で、その作品群の一端が明らかになった窯です。従来ウィリアム・ボール(リバプール)作品だと考えられてきたものが、実はヴォクソール作品であったという結果まで、上記ライムハウスの例と似ています。(話は逸れますが、これら発掘の結果がリバプール磁器の分類にもたらした影響は当然のことながら甚大で、ウィリアム・ボールは今でもその作品がどこにあるのか特定できずにいますし、ウィリアム・リードは同じリバプールのリチャード・チャファーズ作品を大幅に判定換えして自らの作品とするなど、「世紀の大混乱」といった状態です。)

 リバプールからの引っ越し以外にも、ロントンホール後期フィギュアの多くがヴォクソール作品と再判定されていますし(あるいは、されつつありますし)、ヴォクソール閉窯後もボヴィー・トレイシー(Bovey Tracey)、プリマス(Plymouth)、ブリストル(Bristol)の各窯へと関係が続いた(経営者や職人の移転、作品の型の継続)など、興味深い側面をたくさん持った、今後の研究成果がまだまだ待たれる注目窯です。


Dアイズルワース(Isleworth:1760-1805年頃)
 ロンドン六兄弟の末弟であるアイズルワース窯は、19世紀の文献には記述があったものの、その後20世紀末まで、何と一世紀以上に渡って全く研究が進まなかった(言及すらされなかった)、本当に「忘れられた」存在でした。1990年代に入って窯跡付近で破片群の発見があり、1997年にアイズルワース作品に関する初期的研究成果が発表されました。21世紀に入って、さらなる発見と研究の進展がありましたが、まだまだ十分な解明がなされたとは言えない状況です。

 現状で確認されているアイズルワース作品は、全てブルー&ホワイト作品で、従来、主としてダービー作品として分類されていたものでした(他には、ボウやロウストフトに分類されていたものもあります)。ダービーはもともとブルー&ホワイト作品の少ない窯でしたが、その少ないブルー&ホワイトのうちのかなりが、ごっそりアイズルワースに引っ越しをすることになったわけです。しかし、アイズルワースは窯の活動期間が非常に長かったことことが分かり、今後もっと多様な作品が判明する可能性もあります。こちらも目を離すことができない窯です。


Eボウ(1744-74年頃)
 最後になりましたが、ボウ窯です。おそらくロンドン各窯の中で商業的に最も成功した窯でしょう。高級装飾品から日用品まで、またカラフルな色絵の大作からブルー&ホワイトの小品まで、極めて幅広いラインナップを誇った「磁器百貨店」的な窯でした。一方で磁土に牛骨灰を混ぜて焼成時における安定度を増す技術を生み出した革新の窯でもありました。

 ボウに関しては、19世紀からの窯跡発掘に基づき早くから研究が進み、近年ではあまり大きな出入りのない、研究上は比較的安定した窯でした。しかし、21世紀に入ってから、1740年代の最初期の作品をめぐる論争が騒がしくなってきました。ボウは最初の特許を1744年に取得していますが、この特許に基づく磁器製造が実際に行われたのかどうか、またそれがどのような磁器だったのかは不明なままです。米国産の磁土を用いたもの(硬質磁器か?)であったとされていますが、実際の作品の特定はされていませんでした。一方で、アルファベットの「A」マークが記された製造元が未判定の作品群があり、これが1744年特許に基づくボウ最初期の作品だという主張がなされているのです。この説に対しては懐疑的な見方も少なくありませんが、もしかしたら、ボウは英国における「最古の磁器窯」だけでなく、「最古の硬質磁器窯」の称号まで獲得することになる可能性を秘めているわけです。


(2010年11月掲載)