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浅野琢也の雑記帳28 2016年01月01日〜??月??日

あさのたくやのざっきちょう TakuyaAsano Web 平成28年


2017年 8月10日

『黒の試走車(くろのテストカー )』(1962年)増村保造
監督作品を観た。大映の黒シリーズ『黒の○○』一作目の
作品だ。大衆が車にスピードと豪華さを求めていた高度経済
成長時代の映画である。タイガー自動車では新車「パイオニア」
を開発している。テストコースで事故が起こり、計器を積みす
ぎてバランスが崩れて事故が起こる。エンジンのパーワーが
ありスポーツカーとして開発していたらしい。この新型車の
開発の情報をライバル会社のヤマト自動車が元関東軍の特務機関で
情報将校をしていた重役の馬渡がパンドラという飲み屋に出入り
しており。パンドラの女性を使って企業秘密を盗み出している。
タイガー自動車東京本社企画第一課長の朝比奈はパンドラに
出入りしてるライバル会社の重役の馬渡に恋人の宇佐美昌子に
接近させる。新車のデザインがライバル会社に盗まれていて社内の
産業スパイを探し出したりヤマト自動車の会議室を撮影して口の
動きから新車の販売価格を解読したりタイガー自動車の入院している
社長の個室で打ち合わせしていた内容が看護婦に盗聴されてヤマト
自動車に漏れていたり業界紙や産業別労働組合や出入りのコピー機屋
など色々な所から情報を集めて新型車の売り出しで勝とうとしていた。
タイガー自動車は価格戦略で勝利してパイオニアの売れ行きは絶好調に
なるかと思われたとたんに発売後、数時間にもかかわらず、パイオニアが
東海道線のつばめと踏み切りで事故を起こす。事故を起こした芳野貫一と
いう男は、踏み切りでエンストしたと言う。エンジンの製造番号1番の
車だった。この時代の車は、ギヤを入れてクラッチをすべるようにつなぐ
この操作が出来ないとノッキングする。踏み切りでエンジンがかからない
時は、ギヤをローに入れてセルモーターを廻して踏み切りを脱出する
方法があるが現在のオートマチックでは出来ないワザだ。
自動車メーカーを辞めて恋人の昌子と結婚する。
ラストは、「パイオニアね。あれに乗って、新婚旅行に行くはずだったわ」
「バカだったよ。僕は」「でもキレイな車ね」「汚い車だよ。
汚れてる。真っ黒だ」で終わる。戦後が終わり高度経済成長が始まった
時代の映画で戦争経験者がビジネスの世界で一線で働いていた時代なので
倫理観が現在と異なるが興味深く楽しめる作品だった。



2017年 7月13日

『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊 』(2017年)
ヨアヒム・ローニングエスペン・サンドベリ監督作品を観た。
夏に観賞するのは海の映画が良いみたいだ。最後の海賊という
サブタイトルなので最終話のような感じもするがエンドロール
の間に寝室にフジツボが残されて次回作や続きがありそうな
場面がある。今回の話は、天文学者の女性が星の配列からポセ
イドンの槍が隠されている島を見つけ出す話だ。島が見つかり
槍の隠された場所は、島にちりばめられた宝石の輝きが星空と
同じに配置されており輝くべき部分が1つ輝いておらず日記に
付いていたルビーをはめ込むことで輝く仕掛けになっていた。
ルビーが鍵になっている。ポセイドンの槍を破壊すると呪いは
消えるという結末だった。



2017年 7月11日

『メアリと魔女の花』(2017年)米林宏昌監督作品を観た。
スタジオジブリが解体されてスタジオポノックで製作された
映画だ。7年に1度しか咲かない「夜間飛行」という花をめぐる
冒険だ。主人公は花を発見して空を飛ぶ「ほうき」で魔法の大学
に着いてしまう。かつて魔法の国から盗みだされた花でメアリを
育てている叔母が魔女だったり「エンドア大学」で変身の魔法を
めぐってトラブルになり呪文の神髄で「すべての魔法」を終わら
せてメアリが魔法の力を失う。という流れだ。使い魔の猫が
冒険へと導いてくれる。魔法と科学を融合させているみたいだ。
ストーリーは平凡な少女の夏休みの冒険話といった感じだった。



2017年 7月 6日

『忍びの国』(2017年)中村義洋監督作品を観た。会話は現代の
言葉づかいで解りやすい。伊賀の国とは住んでいる人のほんどが
忍者だ知ず驚いた。原作者の「和田竜」は史実をベースにした
作品が多い。「のぼうの城」は小説を読んでから映画を観て面白
かった。それで期待してみて面白かった。十二家評定衆の家同士の
小競り合いで死人が出ても平気だ。下忍の命は軽いが納得する
境遇と扱いだ。向かい合わせに2本の線を引いて殺しあい1人が
倒れ真ん中の死体で川という字が出来上がるような戦いに盛り
上がる。伊賀の国では、政(まつり)ごとは十二家評定衆が
決めている。織田との戦までもが十二家の策が戦の前から始ま
っていたらしい。戦乱の時代には大名に雇われて金を貰い暮らし
ていたが織田信長の天下統一のため伊賀の周辺の資金源であり
雇い主の大名が潰されてしまい雇い主の大名が激減してしまう。
伊賀の忍者は、他国の戦争の為に雇われ金をもらって戦を
するとこで生活が成り立つ。伊賀の忍者は田畑も持ってはいるが
主な現金収入は戦争をする国があってこそもたらされている。
忍術という武力を売り利益を得るのが当然の国だ。一応は掟で
国が攻め込まれた時は戦うと決められているが金にならない
戦のため意味を持たないようだった。
矢を避けきれず足を負傷した子供の忍びがいた。無門の説明に
よると、孤児として幼少時に他国から買われてきたのだとい
う。このように人さらいによって伊賀の国に連れてこられて
忍者の技を叩き込まれる。だから命が軽く扱われている。
伊賀の国で生まれ育った上忍とは違うようだ。
その為なのか訓練中に命を落としても弱かったと誰も
同情しない。弱かったから仕方が無いと思うのが当然の国
みたいだ。「虎狼の輩」しかいないので手出しするなと
織田信長でさえ戦を禁じていたほどの国という設定だ。
自国で戦が始まれば報酬を払ってくれる雇い主はない。報酬が
無く生まれ育った国という意識もない。伊賀のど真ん中に城を
築く事も日当が高ければ手伝い城が完成すると仕事が終わり
日当が貰えないからと爆破してしまう。のぼうの城では金に
転ばぬ者という感じで今回は、金で気持ちいいほど転ぶ。
「天正伊賀の乱」という実際にあった話がもとになっている。
無門が主人公で仲間の伊賀忍者が金にならないと国を捨てて
他国に移り住もうとするが戦で首を取ると金を払うというと
伊賀に戻り戦うモチベーションが金という所が面白い。
走りながら忍びの黒装束に着替える場面や皆平楽寺に集まりは
するが城や国より己の肉体と忍術が財産みたい部分がある
みたいだ。伊勢国の北畠家に信長の息子、織田信雄を養子と
して送り込んだ。そこで北畑家を滅亡させてしまう。
無門は織田信雄の寝所に忍び込み話しをして首をあづけて
おくと言って織田信雄に恐怖感を与えて立ち去る。いつでも
暗殺できると知らせ心理的に追い詰める。立ち去る途中で
牢に捕らえられている北畑家の姫に織田信雄の首を取り父の
仇を取ってほしいと名器「小茄子(茶入れ)」を報酬として
渡される。北畑家の姫は無門に敵討ちを依頼して仕事を
受けてもらい安心して自害する。この「小茄子」があるので
無門は伊賀の国を捨てて逃げる下忍に「信雄の首を取った者
に5000貫文だ!」と、金で煽り味方にして織田軍と戦うことに
なる。今までの忍者のイメージと違う、新しい忍者像を知り
衝撃的だった。将来を考えるという計画性がなく、「お金」
で動く傭兵のようだ。敵も味方も人の死をなんとも思わない。
命の軽い扱い。虎狼の輩と言われる流浪集団で国や家を守る
意志などまったくない行動。「伊賀の者はみな人ではない。
狂っている」と思われる状態だ。この「忍者達」の行動が
面白おかしく見た。無門も幼少の時に人さらいに連れて
来られたので自分の本当の名前を知らない。お国という妻が
毒の吹き矢で死ぬ時に無門に問うと無門は知らない答える。
お国は無門の境遇を気の毒がって息を引き取る。
2年経ち。織田軍を撃退した伊賀の忍びの評判は、天下に
鳴り響いた。諸国の大名達から、下忍の派遣依頼が激増し、
十二家評定衆の懐は潤った。これに、怒った信長は、
信雄を総大将として、信雄が前回1万で負けたので
の4倍の4万の軍勢で伊賀を総攻撃した。伊賀の忍びを、
滅亡させるが、生き残った忍び達は全国へ散った。
伊賀は焼き払われ、忍びの国は滅亡する。このような戦争で
利益を得る忍びは滅亡するどころか現代にも生き残っている
事がナレーションと現在の群集の映像で表していた。
伊賀の国から無門は消える。一度は織田一万を軍勢を退けるが
4万の軍勢で伊賀は滅亡させられる。無門は「ねずみ」と呼ばれ
ているお国が可愛がっていたみなしごの少年を育てている。
下忍の無門に親兄弟は無くさらってきたお国が唯一の家族で
人間らしく家族を持つことで人間としての感情を持つように
なったと思われた。戦闘シーンのアクションは土遁の術で
地面に潜って敵が近づくのを待ったり槍で刺さたと思ったら
変わり身の術で木の人形を身代わりにしたり忍者の術も楽し
める映画だった。



2017年 7月 2日

『いかレスラー』(2004年)河崎実監督作品を観た。
いかレスラーという突拍子もないタイトルだが『大怪獣モノ』
『ねこラーメン』と退屈しないで面白くみられる。名作とまでは
いかないが、鑑賞者がゆるいテーマでリラックスして見られて
意外と退屈しない。しっかりツボを抑えている作品が多い。
イカとタコが出てきたと思うと異種格闘技になり『えびボクサー』
かと思ったらシャコが出てきた。甲殻類でパンチ力が強いしので
シャコだったら面白いと思っていたら、すでに作っている人がいた
のにビックリした。バルタン星人っぽい造形にホクシングを加える
と面白いと思っていたら2002年のイギリス映画で『えびボクサー』
があった。しかもシャコだった。プロレスをテーマにした映画だと
「タイガーマスク」や「お父さんのバックドロップ」(2004年)が
あったけど、『いかレスラー』は、作り物感が見えていても納得して
しまう構成だなあと思いながら楽しめる映画だった。3人が親子だと
いうラストも良いのではと思った。



2017年 6月30日

『ハクソー・リッジ』(2016年)メル・ギブソン監督作品を観た。
アメリカのヴァージニア州で育ったデズモンド・ドスは、
元気に兄弟と野山を駆け回り喧嘩もする少年だ。
デズモンドとハロルドが取っ組み合いの喧嘩をしていても父親の
トムは止めないで、喧嘩の仕方を兄弟にアドバイスしていたが、
デズモンドは落ちていたレンガでハロルドの頭を叩き意識を
失わせてしまう。この事や青年時代に母親と喧嘩する父に銃を
向けた経験があり、デズモンドの信仰に対する強い信念が出来上がった
と思われた。そんな少年期を過ごしていた。成長したデズモンドは、
怪我人をベルトで止血して病院に運ぶ。怪我人は足の動脈を怪我して
血が噴出していたドスの止血が適切だった。そこで看護師のドロシー・
シュッテと出会い恋をする。動脈と静脈の違いとか怪我人の止血に
ベルトを使ってスボンから手を離すと落ちるみたいな会話だった。
第二次世界大戦は、続き国が志願兵を募り周りの友人達は次々と
入隊していく。そんな時代でもデズモンドは過去の体験から、
「汝、殺すことなかれ」という聖書の教えを守っている。
そして「衛生兵であれば自分も国に尽くすことができる」のではと
考える。父親は無理だと言うが困難な事だと解った上で陸軍を
志願する。配属されたジャクソン基地で厳しい訓練を受け仲間と
泥の中を這いずり回り、障害物によじ登る。狙撃の訓練になり銃に
触れることを拒否しているが他の訓練はこなし、「人を殺せないだけ
です」と主張している。上官のグローヴァー大尉やハウエル軍曹に
「戦争は人を殺すことだ」と言われるがデズモンドは頑固に断る。
その為、銃に触れないため射撃の訓練が出来ずグローヴァー大尉から、
除隊しろと言われる。そのため上官と兵士たちの嫌がらせあるが
デズモンドは耐えて除隊もしない。入隊前に予定していたドロシーと
の結婚式には、ライフルの訓練が終わっていないという理由で外出
許可をもらない。結局、命令拒否で軍法会議にかけられてしまう。
その時、第一次世界大戦で生き残った父トムは当時の軍服に勲章を
付けて当時の上官であり現在の准将に掛け合い准将の手紙を持って
軍法会議に乗り込む。そしてデズモンドの「皆は殺すが、僕は助け
たい」という願いを受け入れさせ訴えが取り下げらた。
そしてドスは部隊で衛生兵として働くことが許される。
1945年5月に沖縄に派兵されグローヴァー大尉に率いら
れ「ハクソー・リッジ」に到着する。先発部隊が6回登って撃退され
て壊滅した激戦地だと聞かされる。150mの絶壁をネットが
垂れ下がっている。崖を登ると、日本兵に反撃されその場に
留まるこもできず前進するしかない状態になる。
地下から現れる日本兵に攻撃され艦砲射撃の為に撤退命令が
出されるが負傷して動けない兵士は残されている。
他の衛生兵は見捨てて撤退するがデズモンド・ドスは残り重傷の
兵士達を崖からもやい結びしてロープで下ろす救助を続ける。
戦死した兵士の遺体がすごくリアルで腸が飛び出していたり
ネズミが死体をかじっていたりしていた。そんな過酷な戦場で
銃をもたないデズモンド・ドスは敵兵を倒すことは出来ない。
負傷した兵の下に布を敷いて銃を担架の棒にして崖まで
引きずって助けた。この時に今から銃を練習するのかと言われるが
崖から下ろす。あと1人救わせてほしいと繰り返し75人以上を
助ける。日本兵も2人救助するが死亡している。
過酷な戦場で今までの戦争映画では見たことの無いような臨場感の
ある映像だった。劇中で白地に赤い赤十字のマークが標的にされ
やすいと言う場面があり他の兵士と同じヘルメットを被り戦場を
駆け回る姿に驚かされた。日本兵の描写では切腹して部下に介錯
される将校の場面もあった。ドスはハクソーリッジで負傷し、
その後に結核に罹患して除隊する。ハクソーリッジの戦いで75名の
負傷兵を救出し、良心的・兵役拒否者として、はじめて名誉勲章を
与えられ伝説的な英雄となるが除隊後も大変な人生だったように
感じた。激戦地の沖縄は、未だに基地などの問題を抱えている。
戦争の傷は癒えるのに(心の傷も戦地の傷も)深く長くかかるから
この映画も創られたと感じた。


『大怪獣モノ(だいかいじゅうモノ)』(2016年)河崎実監督作品を観た。
モノは角から電磁パルスを発し、あらゆる電子機器を無力化してしまう。
イルカやカモノハシが備えている能力らしく納得してしまった。
超理化学研究所が開発したセタップ細胞で人間が巨大化して怪獣と戦う
設定だがアメコミでは有り触れた設定だと劇中で話す場面があり観ていて
スッキリしてしまう。スパイが狙っているのがセタップ細胞かと思ったら
巨大化してもサイズがあうパンツだったりして笑える。怪獣の角が兜みたいで
外国人にウケそうだ。環境団体の外国人が「セーブ ザ カイジュウ」と
プラカードを持っていたり笑えた。怪獣との戦いも昭和に流行ったプロレス
のワザだったり悪の遺伝子を配合したら頭に悪と剃りこみが入ったレスラー
になってタワーのアンテナを凶器として反則ワザに使ったり怪獣が高齢出産
していたりと笑わせてくれた。怪獣はもののけ峠に出現したので「モノ」と
いうネーミングだった。ラストでタマゴを返すと地底に戻っていった。



2017年 6月26日

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(2016年)
ギャレス・エドワーズ監督作品を観た。
物語の時系列は『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の直前で
ありレイア姫がデス・スターの設計図を手に入れてデス・スターをルーク・
スカイウォーカーが破壊する前でありデス・スターの設計図を手に入れる
までのエピソードだった。ローグ・ワンというのは帝国軍から奪った貨物
シャトルで帝国の基地に着陸しようとする。帝国軍の管制塔はコールサインを
確認しボーディーは「ローグ・ワン」と答える。
カイザー寺院の元、僧侶は視力障害があるが杖や弓を使い座頭市みたいに
強かった。
銀河帝国軍は究極兵器であるデス・スターを完成させる。反乱同盟軍は、
開発者ゲイレンの娘のジン・アーソの協力を得てデススターの設計図を奪う。
1977年に公開されたスターウォーズの直前のストーリーにつながる。
レイア姫が持っていたデス・スターの設計図を手に入れてルーク・スカイウォーカー
がデス・スターを破壊する40年前に観たストーリーの直前のストーリーに続く。
ラストに登場するレイア姫が初めて観たスターウォーズへと繋がり懐かしかった。
ライトサーベルのエネルギーがカイザー・クリスタルだと知った。
タイトルのローグ・ワンの意味を調べたら「はぐれ者」というような意味で
独立愚連隊みたいで面白いネーミングだと感じた。



2017年 6月23日

『ぶっつけ本番』(1958年)佐伯幸三監督作品を観た。
昭和二十一年品川駅に松木徹夫が戦地から引揚げ列車で帰って来た所から
映画は始まる。仲間のカメラマンが引揚げ列車で帰ってきた人々の
ニュース映像を撮影している。再会を喜び報道映画社に復帰する。
戦争で仲間のカメラマンが50人も亡くなったという話が出てくる。
戦後の混乱と荒廃した日本を映した実在のカメラマンを
モデルに、仕事への執念と挫折、仕事と家庭の両立などを
が描かれている映画だった。テレビが普及していない時代は
映画館でニュース映画が流されていた。動画を見られる場所
が限られていた時代からテレビへと以降していく過渡期の
様子が感じられる。使用されているカメラは、ゼンマイを動力にして
いると思われる。下山事件や血のメーデー事件などの事件や事故の
映像などから船舶事故など様々なニュースを取り続けて南極探検隊の
出発で船に乗り込み降りるタイミングを逃してしまうなど体当たりで
カメラを廻し続ける。そして帰国して10年が経ち激動の戦後を
記録しつづけた松木はチーフになる。戦後の日本史を取り続けて
自分がかつて引揚げ列車で戻って来た品川駅で引揚げ列車の
ロング一発の映像を撮影する為に線路に下り列車に轢かれて
亡くなってしまった。子供にプレゼントを贈り毛糸の帽子をプレゼント
されたクリスマスの直後だった。その後、報道の速報性はテレビに
敵わないとテレビ局へ転職するカメラマン仲間が多くなっていく。
戦災孤児の親探し運動の取材で感動的な映像を取っていた松木の功績に
対して数年後にブルーリボン特別賞を授与されるが松本は他界しており
妻の久美子が代理で表彰式に出席している。その授賞式で後輩が
カメラを廻していた。その姿が松本が生きてカメラを廻している映像と
オーバーラップして映画は終わった。カメラのフィルムが高価
(銀塩フィルム)で取り直しが出来ない時代で、今みたいにドローン
などでの撮影が出来なかった時代に懸命な工夫をして危険な場所でも
体当たりでカメラポジションを得て懸命に働いたカメラマンの姿には
驚かされる作品だった。劇中でカメラをキャメラと呼んでいた。
フランキー堺が主演した映画で、「私は貝になりたい」という作品も
印象的だったと事を思い出した。


2017年 5月24日

『帝一の國』(2017年)永井聡監督作品を観た。古屋兎丸原作なので
ライチ光クラブをイメージしてしまい劇場で観賞しようか悩んでいた。
永井聡監督作品は『世界から猫が消えたなら』(2016年)を昨年に小説を
読んでから観賞していた。私の場合は犬とか猫の映画には興味を持って
しまう。親からピアより学校で生徒会長になって出世を期待される青春は
最近の若者みたいに学校で生徒会で時間を取られるよりゲームしたり受験
を重視する平成時代の青春とは違い昭和の懐かしさを感じさせてくれる
映画だった。「井の中の蛙大海を知らず」「されど空の深さ(青さ)を知る」
という感じに選挙方法が変わってラストのどんでん返しが面白かった。



『ゴースト・イン・ザ・シェル』(2017年)ルパート・サンダース監督作品を観た。
アニメの設定と若干異なっている。ミラ少佐の本名が草薙素子で、親元が離れて
移民が多い無法地帯で恋人と生活していたがハンカ・ロボティックス社によって
襲われて過去の記憶を消される。その後「公安9課」で働いていた。過去の記憶は
架空のものだった。捜査を続けていくとロボティックス社が黒幕だとわかる。
全て機械化されたボディに、
人間の「脳」だけを埋め込み全身強化された「義体」へ移植される。
初めての試みというオウレイ博士に身体のメンテナンスを受けたり荒巻課長のもと
バトーやトグサたちを率い多くの犯罪やテロを鎮圧していた。芸者ロボットを
使ったテロはアニメ版を思い出させる。「クゼ」という謎のハッカーを探して
いくと自分の過去を知ることができる。
クゼは「過去を全て奪った」のだといいう。少佐がよく見る中国風の小屋の幻覚と
同じ模様の刺青を発見し実際に小屋がありハンカ・ロボティックスの多脚戦車と
交戦になる。戦闘でボロボロになった少佐をバトーが連れ帰る。ロボテクスの
カッターは総理から逮捕の許可がでて荒巻課長はカッターが銃を抜いて抵抗した
のでリボルバーで銃弾を打ち込む。アニメでは荒巻課長は銃を撃つキャラでは
ないが北野武が荒巻課長を演じているので違和感が少ないと感じた。
義体の修理が終わり少佐は母親と自分の墓を見る。そして「もうここに来る
必要はない」と母親をハグする。少佐はミラではなく、草薙素子として生きる。
そして草薙素子は公安9課の「少佐」として次の事件のためにビルの屋上から
ダイブする。事故で義体になったアニメと設定が若干変更されているが実写
なので良くまとまっていると思った。映像はアニメを観るより画像の情報量が
多いためなのか目が疲れる感じがした。公安9課の草薙少佐としてこれからも
活躍してくれそうなラストだった。



2017年 5月01日

『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016年)中野量太監督作品を観た。
銭湯を営んでいる双葉の夫、一浩が湯気の様に蒸発してしまう。
双葉は、パン屋で店員のバイトをして娘の安澄を育てている。
しかしパン屋で倒れてしまい病院でステージ4の末期ガンで余命が
2ヶ月だと告知を受ける。娘の安澄は、学校での人間関係がうまく
いっていない。探偵を使って蒸発している夫の一浩を探し出す。
見つけた時に夫がカレーを作るために持っていたレードル(おたま)で
頭をポカンと叩くが角で叩いてしまい一浩が丸い所でと言う場面が
パチンコに行くと言って蒸発してしまったダメ人間ぽさを感じらせる。
長期休業していた銭湯を再会させたり娘の安澄の産みの聴力障害のある
母への再会を果たさせたり自分を養護施設に置き去りにした母親の
居所を探したりと余命の宣告を受けてから思い残すことの無いように
頑張る姿が印象的だった。毎年、タカアシガニを送ってくる安澄の
産みの母との再会。旅先で知り合ったヒッチハイクの青年との交流や
家族でしゃぶしゃぶを食べる場面や富士山の絵と鯉の絵が描かれた
銭湯、幸の湯が再開し、はっぴを着て番台に座る安澄など風呂と美味い
料理が目を楽しませてくれる。双葉の生い立ちは、幸福とは思えないが
ラストの銭湯の煙突から出る色の付いた煙が天国と地獄を連想させる。
ヒッチハイクの青年も銭湯を手伝ってた。余命と死・家族との絆など
重い内容だけど風呂と料理の場面が旨く調和して後で余韻を感じることが
できる作品だった。



『裸の太陽』(1958年)家城巳代治監督作品を観た。
 国鉄で働いている青年と紡績工場で働いている女性
との恋愛の話だった。機関車で釜焚きをしている木村雄二
は紡績工場で働いている、ゆき子という恋人がいる。
紡績工場の近くで汽笛を鳴らして帰りを知らせるあたり
が、のどかな感じだ。
ふたりは10万円の結婚資金を目標にして貯金をしている
がまだ1万7千円しか貯まっていない。
喫茶店で、ふたりの公休日に海水浴に行こうと水着を買う
など相談している。水着を買うお金を通帳から引き出そうと
ハンコを取りに、寮に戻った木村雄二のところに日頃から
素行が悪いと仲間から思われている(酒・競輪・無断欠勤)
前田(仲代達矢)が現われて2万円貸してくれと言う。
同郷で、にかと庇ってやる雄二は何か大変な訳のありそうな
前田の様子を心配して貯金を全部貸す。そのため海水浴の
水着が買えなくなってしまう。前田は、きっと競輪に使って
しまうかも知れないと相談しないで金を貸してしまったことに
ゆき子は怒りだして2人のデートはケンカをしながら街を歩く
ことになる。すると「海水着キズモノ大売出し」の看板を発見
する。ワゴンに海水着が山積になっている。
店主に「大きな穴が空いててもいいから400円にして。男女
セットで」と交渉すると「仕方ない、コイツは大きなキズが
あるから 400円にしましょう!」って、海水パンツと水着に
 ハサミで切りこみを入れてキズモノにしてしまう。ハサミ傷を
腰のあたりに着けるのにはビックリする。
ゆき子は寮に帰り水着を縫いつくろう。後ろ身ごろ傷がラストの
プールの場面で見える。海水着が買えたので 明日は何とか
海に行けると思っている。
 しかし翌日にまた前田が無断欠勤してしまい雄二は代わりに
勤務する事になり、海に行けなくなってしまう。
その後に河合富子が前田に貸した金の礼をいいに来た。昔、
前田は富子を愛していた。富子はそれを知らずに他へ嫁いで
しまていた。前田は富子が忘れられなかった。最近になって
前田が富子に会い、富子の夫が胸を病んで困っていることを知る。
その為に前田が金を工面をしていた。木村もゆき子も前田の愛情に
感動して昔の仲良しに戻った。前田が、お金を昔好きだった女性が
結婚した夫の手術代の為に貸したことが分かる。
 劇中に登場する歌が面白い。汽車はシュッポ・シュッポと音を
立てて走るがザッザ・ザッザと石炭をくべないといけない。

「石炭くべろ、燃え上がれ シャベルを突っ込め
 釜焚け 釜焚き 釜焚こう! 僕らは働くぞ!」

 仲間達が建物の中で合唱の練習をしている。釜焚け 釜焚き 
釜焚こう! 輝く汗をかけ! と歌が聞こえてくる。
 木村とゆき子は2人で、夜、仕事が終わってから 近くの公園の
プールに忍び込み真っ暗なプールに飛び込むとプールの管理者が
音を聞きつけて電気を付けて2人が泳ぐのを黙認してくれる。
水着の腰のあたりにつくろった跡がみえる。
楽しい音楽が印象的で爽やかな青春映画だった。



2017年 4月30日

『スキャナー 記憶のカケラをよむ男』(2016年)金子修介監督作品を観た。
ピアニストの講師がコンクールの前に失踪して女子高生の秋山亜美が
お笑いコンビ・マイティーズを頼り捜索を頼む。コンビが活動を中止して
いるが所属する「峠プロダクション」に仕事を依頼して残留思念(物や場所に
残った記憶や感情)をスキャニングして読み取る能力「スキャニング」で
一世を風靡していたがインチキだと疑われ芸能界から消えていた。
マイティ丸山が1人、商店街のイベントにて毒舌芸で笑いを得ようとして
いたが前置きでしくじり、ステージを下ろされる状態だ。しかも借金が
あり金に困っている。相方であった仙石和彦の所を訪ねるとマンションの
管理人をしているらしいが熱帯魚の水槽が置かれた広い部屋に住んでいて
引きこもりみたい生活をしているが優雅感じがした。仙石和彦(野村万斎)
は物や場所に残っている残留思念を読み取る力があるが思念が強いと身体に
影響を受けて暫らく能力が使えないという所がリアル感を出している。
「記憶はウソを付く」というセリフどおりに犯人が意外な人物でだった。
お笑いの世界は、ポールダンシングボーイズで以前に観ているし
音楽の世界は、プライドで観ているので両方の映画を撮っている金子監督
らしく良く出来ていた。犯罪の芽が幼少の記憶だった。幼少期の影響によって
大人になってまで事件を起こすのは、残留思念より怖いと感じた。



『神田川』(1974年)出目昌伸監督作品を観た。赤い手拭いマフラーにして
という歌が有名だが映画が作られているのは最近知った。
大学の人形劇サークルの人間関係と学生の恋愛や妊娠といった思いテーマが
詰まった作品だった。ラストの2人の関係が終わってゴミ箱から赤い手拭い
が、はみ出しているラストで終わった。
銭湯に行くシーンは無かった。24色のクレパスで彼女の絵を描きはしなかったが
赤いクレパスで台本に絵を描くシーンはあった。
かぐや姫をベースにした人形劇が劇中で出てきたり川に人形が流れていく場面
など早稲田大学の建物が劇中に登場し1970年代の大学生の生活スタイルが印象に
残った。昭和の感じがする懐かしい街並みや下宿の学生生活など今の時代には
残っていない。昭和の生活を思い出させてくれる作品だった。



2017年 3月30日

『本日ただいま誕生』(1979年)降旗康男監督作品を観た。 原作は、
曹洞宗大垣法永寺住職・故小沢道雄の自伝的小説で 「本日ただいま誕生
足無し禅師」なので、お坊さんの姿の植木等が曹洞宗大本山永平寺の本堂で
お経を唱える瑞世式の所から 映画が始まった。そして場面は昭和20年12月の
雪の中を走る汽車に変わった。第二次大戦で右肩を負傷して、捕虜となり敗戦で
シベリアに 抑留され貨車で移送される。貨車の中で連隊長からお守りを家族に
届けるように頼まれる。その貨車の中で連隊長は息絶える。 大沢雄平は、
その時に零下40度を越える貨車の中で両足が凍傷になる。軍医より両足を
切断しないと死んでしまうと言われ大沢は、 苦悩し両足の切断を選ぶ。
生死の境を乗り越えて、帰国の為に港まで汽車で移送される予定が線路が
破壊されており四名の兵隊が 担架を担いで港に向かう様に言われる。しかし
4人は途中で担架を置いて大沢を満州の荒野に置き去りにしてしまう。現地の
人に置き去り にされている所を発見され棒を立て白い布を目印になるようにして
担架のまま放置され中国の兵隊に保護される。そうして、引揚船に 乗り敗戦し
荒廃した日本に帰国する。再会した母は、足を無くした姿を見て「よう帰って来た」と
涙した。 義足を着けて歩行訓練を行い、お守りを預かった上官の佐伯の母娘の家に
寄宿して生活する。その時、大沢雄平は従兄弟の高子と知り合う。 駒沢大学に編入
していたが、骨が伸びてしまい再手術を受ける。そして傷痍軍人の患者会のリーダーと
なり国会で陳情や交渉を行う。 その実績や信用で病院の片隅に貸本屋やパンを扱う
許可を受けて小さな商売を始める。 その頃に、大沢雄平を満州の荒野に置き去りにした、
横田・坂本と再会する。 2人は土下座して許しを乞う。その2人と大沢雄平は小さな会社
甲陽物産を設立する。リンゴや昆布などの商いを始めパチンコ赤球も繁盛する。
母親が亡くなり葬式をあげる。草原に彼岸花が咲いている。大沢雄平は、高子の
生活実態を知り、彼女を愛し始める。 しかしヤミ屋に毛の生えた商売では、朝鮮戦争が
終わり大資本が小売や流通に 参入され倒産しそうになる。坂本が相場で一攫千金を
目指すというが大沢は、騙されるのを見抜いていても200万円を渡す。 甲陽物産は
600万円の資金が用意できず倒産する。大沢は、看板持ちで日銭を稼ぐが義足の足が
腫れてしまう。 高子との生活を送るが子供が出来るが高子が子供を堕ろしてしまう。
その結果、別れてしまう。 1人で部屋で過ごしていると大阪に行った横田が坂本が警官に
撃たれて死んだ事を知らせに訪ねてくる。そして大沢雄平が見ている前で刑事に 逮捕される。
知人の不幸や自分の不幸と困難が続く。大沢雄平は、橋の下でリストカット して入水自殺を
考えるが、持っていた剃刀で川の水で頭を剃り僧侶のいでたちで放浪する。ベットハウス・
一泊100円の朝日旅館という 木賃宿に泊まり傷害の前科6犯という吉岡という親分に風呂場で
頭を剃るのを手伝ってもらう。乞食坊主殺すにゃ刃物は要らぬ雨の3日も 降ればいい。
と周囲に歌ってウケる。吉岡は関西の極道の手伝いで白いスーツを着て別れ際に喜捨だと金を
渡してもう会えないかも知れないと 旅立つ。そして雨が降り一緒に泊まっていた当たりやが雨なら
仕事がしやすいと出かけて当て逃げされる。 67歳の年老いた娼婦に引退の話をして救急車で
養老院の病院に同乗し養老院に身とも引受人となる事で入れた。そこで川崎の蕎麦屋に孫がいて
伊豆の旅館に死んだ(たぶん)息子の嫁がいるから探してほしいと頼む。「歩くのが仕事」と言われ
自分の足を見て笑って引き受ける所が 植木等らしいと感じた。そして大沢雄平は、老婆に頼まれ
川崎の蕎麦屋で「まり」を引き取る。 「この子は、口がきけないから愛情もお金も人一倍かかる」と
言われる。そして駅のストーブで暖を取っているホームレス達と知り合う。 「まり」とホームレスの女性
「さよ」は、海辺で遊んでいる。大沢雄平は、ホームレス達と野宿する。1人のホームレスが質問する。
あんた念仏や禅で往生できるか?救いとは、生きること! 「救われたいと思う心が迷いじゃあないのかな〜」と
いう禅問答があり 眠っている時に夢で「救い」とは何かと問われ、うなされて目が覚める。そして1人に
なりたいと「さよ」に「まり」の面倒をみてほしいと頼む。 男のホームレスが首を吊ろうとしていると「まり」が
無言で自殺を思いとどまらせる。「まり」の姿が消えて「さよ」が探し回り警察に 聞きにいって帰らせて
もらえなくなり、ホームレスが知らせにくる。自殺を止められた男性と「さよ」と「まり」の3人で暮らす方向で
話がまとまりそうになる。大沢雄平は、古びたお堂の中で仏像を前に義足を外して、「世の中の人は、
みんな自分の苦しみと戦っている。 足が無くなったんじゃない、足は最初から無かった」「安住の棲み処も、
求めず本当の生き方を探す」と決めてホームレス達と別れて 1人旅立つ。砂浜を歩く大沢雄平の姿が
小さくなり岩と砂と海が印象的に映される。そして画面は曹洞宗大本山永平寺へと変わり 「終」となる。
植木等が兵隊から大学生そして社長となり最後に僧侶となる時には、笑いがあり深刻な場面も笑いながら
前に進もう とする映画を感心しながら観おわった。



2017年 3月29日

『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016年)岩井俊二監督作品を観た。
 ネット社会とスマートフォンが普及した現在社会を良く表していると
感じました。SNSのアイコンの被り物の宣伝を初めは、婚礼衣装の角隠し
の変形かと思っていましたが映画を観てアイコンだと気づきました。
派遣の教師という職業の七海がネットで買い物をするように結婚相手を
みつけて結婚式を挙げるがスグに別れてしまい両親が離婚している為に
帰る家が無く月給100万円の住み込み「メイド」になる。
そこには、結婚式の代理出席バイトで知り合った真白が住んでいた。
アムロが色々な仕事を紹介してくれて住む所を世話してくれたり
影で様々な情報を与えてくれる。真白は、女優だがAVの女優で死期が
近い病気だった。七海がカンパネルラで真白がリップヴァンウィンクル
というSNSの名前だった。そこからリップヴァンウィンクルの花嫁という
タイトルになったみたいだ。銀河鉄道の夜を連想する話の流れだった。
少年の親友が溺れて死んでしまうのと毒を持った貝で死んでしまう違い
はあるが水や海に関係した死に方をしている。カンパネラは銀河鉄道で
七海は最後に1人暮らしできる部屋に落ち着く。家具はアムロが使える
粗大ゴミで揃えてくれ報酬を渡してくれる。人間関係が希薄な時代の
人間関係を表現した作品だった。



2017年 3月22日

『オーバー・フェンス』(2016年)山下敦弘監督作品を観た。
佐藤泰志の原作で映画化された作品『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』
に続く「函館3部作」の最終章と言われています。
主人公は故郷の函館に戻り職業安定所(現代のハローワーク)からの紹介で
職業訓練校に通う。訓練校の同級生達との会話がリアルだ。別れた妻と子供
もいる。訓練校の科目対抗ソフトボール大会の試合でフェンスの先に見える
自分自身の越えなければならない壁としてフェンスに向かいバットを振る。
職業訓練校を舞台にした映画は、山田洋次監督の学校がありましたが、
手に職をつけて学校を出ても就職先が無いというリアルな現実を巧みに表現
している感じがしました。年金貰う年になって学校のソフトボールの試合で
孫にカッコいいところを見せようとするお爺さんとか水商売での仕事に誘わ
れる青年など職業訓練校があった時代を思いださされた。


2017年 3月22日
第70回記念 日本アンデパンダン展が六本木の
国立新美術館で開催されます。会期は2017年3月22日から
4月3日までです。詳細は、美術館のサイトで確認して
ください。


2017年 3月 9日

『ラ・ラ・ランド』(2016年)デミアン・チャゼル監督作品を観た。
アカデミー賞受賞作品なので話題の映画だ。雰囲気やストーリーの
流れは、ニューョーク・ニューョークを思い出させる。
天文台の近くの丘でタップダンスを2人で踊る時にタップダンス用
の靴に履き替える場面が印象的だった。白と黒のコンビの靴が、
お揃いになって不自然な部分だから印象に残った。冬・春・夏・秋・
5年後の冬の時間の流れ、そして高速道路を降りる所で渋滞しているが、
5年後の冬の上る道は渋滞していない。1人芝居で劇場がガラガラで
会場費も捻出できない状態がラストでは、満席でスタンディング・
オベーションに変わっていたりする。
パリの叔母のセーヌ川に飛び込んだ話で「画家に詩人に女優という
夢追い人」を例に挙げる。女優しとして映画や舞台に上がるミアと
ジャズ・ピアニストとしてステージに上がるセブとのすれ違いが
ストーリーの中心みたいだ。「大人になり夢を変える」という
セリフが夢より実現可能なリアルを選択するのが大人だと言っている
ような感じがした。ゼブが『理由なき反抗』の「弾は抜いていたのに」
というセリフを言って二人で映画館で映画を観るが、その映画館は
のちに閉館している。沢山の映画をオマージュとして参考にしている
ことは、昔、観たような懐かしい気分にさせてくれる。
セブとミアの恋は実らず、ミアには結婚した夫と子供がいる。
セブとミアが結ばれていたと仮定した5年間が走馬灯みたいに
流れる場面の後で2人は、見つめ合って終わる。
音楽が、もっと印象深く耳に残ると、より良かったと思う。
私の個人的な感想は全体に身につまされる映画だと感じた。
冬に橋からセーヌ川に飛び込んで一ヶ月間も風邪をひいた
叔母さんの話で何処の橋だったか考え・もし真冬にミラボー橋から
セーヌ川に飛び込んだらベラボーに冷たいと考えてしまった。



2017年 2月26日

『ひそひそ星』(2015年)園子温監督作品を観た。
 宇宙宅配便の配達員をするアンドロイドのヒロイン鈴木洋子が、
昭和レトロな部屋で水道のパッキンが経年劣化して水がポタポタと
落ちる状態で生活と移動をしている。
テレポーテーションが可能になり瞬時に、時空を移動できるように
なった未来でも人類は、相手に何かを届けたいという気持ちを宇宙宅配便
を使用することで時間と距離を感じる方法で行ってる。宅配便の配達を
行うアンドロイドのヒロインが木造建築みたいな三角屋根の長方型の家の
形をした宇宙船で生活していた。台所と全自動洗濯機とコックピットに
設置されているマシンナンバー722と共に宇宙空間を移動してる。
ウルツ星やパラスゼロ星など様々な惑星に到着すると配達先で待って
る人に大切な思い出の品をとどけている。
人類は何度も大きな災害や戦争など繰り返して、その度に人間の数が
減っていった。宇宙は今、静かな平和にな状態だ。機械が宇宙を支配し、
人工知能を持ったロボットが全体の8割、人間は2割になっている。
人間は宇宙全体で滅びゆく絶滅種に認定されている。
人間以外の生命については、触れられていない。
科学は進化して完結している。しかし人間は昔と同様に、100年生きる
と次第に消えてしまう。ロウソクの火のようにはかない。
アンドロイドの鈴木洋子は、船内を掃除機でなく箒で掃除し、船内の
テープレコーダーに音声で旅を記録し、半田ゴテで故障を修理し
、長い宇宙空間の移動時間を過ごしている。アンドロイドなので人間同様
に日常生活を送らないでも済みそうな気もするがSFに出てくる宇宙空間を
コールドスリープで過ごして老化やエネルギーの消費を少なくするみたい
感じでもない。時間と距離と生活して過ごすことが意味を持っている
ようなイメージなのかも知れない。
運んでいる荷物は帽子や鉛筆、洋服などで、重要に見えるものではない
みたいだが送る人と受け取る人の双方の思い出の品なのかも知れない。
形見分けを生前に行っているのかも知れない。思い出の時間を共有した
相手との思い出の品を移動時間をかけて届けているとい事みたいだ。
ほとんどがモノクロの映像の作品で一部カラーになる場面がある。
セピア色にノスタルジーを感じるような雰囲気のある作品だ。
ブルゾンの背中にSUZUKIとプリントしてあるので一瞬、オートバイ屋
の仕事着かと思ったが主人公の名前だと気が付いた。
足で空き缶を踏んで足に空き缶がくっついたままにしている客が
面白い音がすると言う場面が30デシベル以上の音で人間が死んでしまう
という場面へと続いていく流れになっていた。
園子温監督が2013年に設立したシオンプロダクションの第1回作品だ。
「愛のむきだし」が宗教と生殖を表現して「地獄でなぜ悪い」が打ち上げ
花火のような人生の終わり方を表現しているのに対して静かに消えていく
人の一生を「ひそひそ星」では表現しているような感じがした。



2017年 2月21日

『帰ってきたヒトラー』2015年 デヴィット・ヴェント監督作品を観た。
ヒットラーという難しいテーマを上手く映画化していると関心した。
毒にも薬にもなる映画だなあと感じた。見ていて退屈しないしこういう
視点で取るのもアリかなあと感じた。
「あらすじ」はウィキペデイアに書かれているので、そちらを参考にして
ほしいと思う。お笑い芸人から政治ネタへとシフトしていき人気を得て
いく姿やインターネット時代に順応して武器にする適応力には感心させ
られた。犬を射殺する動画によって人気が急落する流れは、映画の中で
「犬と猫と子供は殺すな」という現代の映画製作の原則を批判している
のかも知れないと感じた。


『母 小林多喜二の母の物語』2017年 山田火砂子監督作品を観た。
三浦綾子の小説を原作らしているが、小林多喜二をモチーフにした
映画は色々ある。そのため関係する映画を鑑賞している層が観ることが
多いと思われる。劇中で山本宣治の話が出来て『武器なき斗い』1960年の
山本薩夫監督作品を思い出してしまい。つい比較してしまう。右翼の凶刃に
倒れた労働農民党の代議士・山本宣治の映画が面白かったので頭の中で
映画としての完成度や面白さほ比較してしまった。
おまけに劇中のバイオリンの曲が「チャイコフスキー」のヴァイオリン協奏曲
(コンチェルト)だったので『オーケストラ!』とダブっていまい又、BSで放送
されたばかりで劇場で観てBSでも観たので、またまた比較してしまった。
プロレタリア文学で有名な小林多喜二の、波瀾万丈に満ちた生涯を
小林セキ(1873年 - 1961年)を中心に描いた作品だが、多喜二が東京に
上京した時に弟のバイオリニストの弟と母セキが上京していた話は知らなかった。
おはぎを作っている場面が印象に残っているが、目新しい発見は、この2点だった。
「ショパンってどんなパン」というセリフが少し笑えるかも知れない。
数年前に映画「時代を撃て・多喜二」というドキュメンタリーを見ているので
小樽に2枚の多喜二の絵が残っている事が印象深く残っていて絵を描く多喜二の
描写が欠けているみたいに感じてしまい『百合子、ダスヴィダーニヤ』も観て
いるので(浜野佐知監督作品)みたいな宮本百合子の上品なイメージと解離して
いてあまりスッキリと出来ない感じがした。
映画を作る側には、予算や原作通りという足枷があると思うが、過去に似た
ジャンルやモチーフの作品が公開されたいる場合は、私同様に鑑賞している
可能性が高い。観客の求めるハードルが高くなるので難易度も上がると
思う。
『百合子、ダスヴィダーニヤ』の方はリュブリャナ国際G&L映画祭で
「ピンクドラゴン賞」(審査員賞)受賞している。映画制作費などの予算で
なかなか思うような映画を完成させられない時代だと感じた。
後は、多喜二の没ごに第二次世界大戦が終わりセキはプロテスタントとしての
生涯を終える。まあ、そんな流れだった。私の個人的に嗜好では宗教色が濃すぎて
なんだか後味が良くない印象を受けた。



2017年 2月19日

『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』(2016年)デヴィット・イェーツ監督作品を観た。
1926年のアメリカ・ニューヨークに船でニュートが現れる。ゴットファーザーのシシリアからニューヨーク
に船でニューヨークに移民する場面を思い出したがニュートはイギリス人なので悲壮感はない。
ニュート・スキャマンダーが持っている 革のスーツケースはドラエモンの四次元ポケットみたいに
沢山の魔法動物を入れられるというか何処でもドアみたいに魔法動物が生息できる環境を持っている
みたいだ。
スーツケースのスイッチを切り替えると中身が普通の旅行者が持っている旅行道具に変わり税関で
疑われない仕掛けになっている。ニュートは世界中を旅して発見し集めた希少な魔法動物を保護して
絶滅を防いだり観察や記録をのこしたりしてるようだ。米国魔法省では魔法の杖を持ち込むには
許可が必要だったり魔法使いの存在をノーマジ(ノーマジックの略で魔法が使えない人間)に知られない
ようにしている。新セーレム救世軍、「人間界に魔女が紛れ込んでいる」と演説していた。
 ニュートは世界中の絶滅の危機に瀕している魔法動物たちを保護しているイギリス人の魔法使い&生物学者だ。
広大な空間に繋がっている不思議動物たちが出てきてニューヨーク中が大パニックになる。
銀行の前で、そっくりのスーツケースを持っていた男ジェイコブ・コワルスキーの鞄と間違えてしまう。
ジェイコブは缶詰工場の労働者だが
ベーカリーを開業するため銀行に融資を頼みに行くが担保になる資産が無くスーツケーツには
ドーナツなどパンの見本が入っているが銀行の担当者は、機械化して大量生産したパンでないと
利益が出ないと融資を断る。スーツケースの取り違えで巻き込まれた男とニュート、そして
アメリカ魔法省の調査官ニューヨークの魔法議会で働く魔法使いティナ
の女性が絡み合い魔女の弾圧を行う新セーレム救世軍のメアリー・クリーデンスの養子。
気弱な青年で、メアリーの暴力に耐えながら、影でグレイブスからオブスキュラスを持つ子供を探せと
アメリカ合衆国魔法議会長官であるグレイブスは「その子供はオブスキュラスを生む」という話を
実行している。
ティナの元上官で、度重なる人間界への何者かの関与について調べていた。魔法使いを迫害している一家の
クリーデンスとコンタクトをとっていた。
ニューヨーク五番街の道路を破壊した「黒い影を見た」と言われる目に見えない魔法動物らしい
闇の力だとかカモノハシみたいな魔法動物・ニフラーが貴金属を収集する魔法動物などが登場して
銀行や宝石店で事件を起こす。
 虐待された子供が強力な魔力を持ったオブスキュラスを持つ子供をもって人(魔法使いを含む)を殺害して
しまう事件が起こり新聞社を経営する父親の息子でアメリカの上院議員が殺害される。
 過去に、魔法を使うことを禁じられた魔法使いたちの力が暴走した際に、闇の力となってしまう。
虐待され魔力を得た子供(オブスキュラスを持つ子供)は10歳までしか生きられないと考えられているが
生命力が強く成人に達した男性が犯人で施設に入れられた幼い妹がいる。殺された魔女のわらべ歌
みたいものを歌っているシーンがある。なんとか救世軍の児童擁護施設で暮らしているようだ。
アフリカで、魔法を使ったことで囚われていた少女から切り離したオブスキュラスをトランクに保管している。
ニューヨークで大事件になるが事件も解決して映画は、エンディングへと向かう。
魔法使いにしか記憶を消す魔法は使えない。「ノーマジの記憶は全員消さなければいけない」場面
すれ違いざま 匿名の支援者から、「銀の卵の殻」が渡されベーカリーを開店させることが出来る。
ニュートとの友情とか、ベーカリーで売ってるパンが忘れているはずの魔法動物たちの造形に
なっているなどディテールにもこだわった映画だった。



2017年 2月18日


『猫ラーメン大将 THE MOVE』(2008年)河崎実監督作品を観た。
中野にある大怪獣サロンの常連客に受けるネタがトッピングされた映画だった。
内容は、原作である漫画の「猫ラーメン」を良く煮て出汁を取ったような感じ
がした。父のスパルタ教育に耐えられなくなった大将は、ついに家出して様々な
職に付く医者にタクシーの運転手に鮨職人を経験するがスグに転職してしまう。
そして将来を思いつめて入水自殺を考えて川に飛び込もうとしていた大将に
一杯のラーメンが渡される。そしてラーメンの力に引き寄せられラーメン修行を
経てラーメン屋を開店させる。
その後、猫が作るラーメン屋としてマスコミにも取り上げられるなど話題が尽きない。
親子ラーメン対決など楽しませてくれるイベントや面白い客や大将の家庭環境など
凝った作りの映画だった。マンガやアニメをベースに実写版まで作っている。
伊丹十三監督の『タンポポ』1985年や『ラーメンガール』(英: The Ramen Girl)
2008年ロバート・アラン・アッカーマン監督作品(アメリカ映画)といった映画の
影響を受けていそうな感じだった。
面白い部分を凝縮したラーメンのスープみたい内容だった。
最近では、ニューヨークにもSAPPOROのほかにもラーメン屋が開店している
らしい。
猫ラーメンは結構、笑える映画なので内容を忘れてしまうが楽しめる映画だった。
「時には娼婦のように」の替え歌「時には醤油のように 普通の味でお食べよ」
という歌が耳に残った。
『猫ラーメン大将 THE MOVE』(2008年)河崎実監督作品を観た。
中野にある大怪獣サロンの常連客に受けるネタがトッピングされた映画だった。
内容は、原作である漫画の「猫ラーメン」を良く煮て出汁を取ったような感じ
がした。父のスパルタ教育に耐えられなくなった大将は、ついに家出して様々な
職に付く医者にタクシーの運転手に鮨職人を経験するがスグに転職してしまう。
そして将来を思いつめて入水自殺を考えて川に飛び込もうとしていた大将に
一杯のラーメンが渡される。そしてラーメンの力に引き寄せられラーメン修行を
経てラーメン屋を開店させる。
その後、猫が作るラーメン屋としてマスコミにも取り上げられるなど話題が尽きない。
親子ラーメン対決など楽しませてくれるイベントや面白い客や大将の家庭環境など
凝った作りの映画だった。マンガやアニメをベースに実写版まで作っている。
伊丹十三監督の『タンポポ』1985年や『ラーメンガール』(英: The Ramen Girl)
2008年ロバート・アラン・アッカーマン監督作品(アメリカ映画)といった映画の
影響を受けていそうな感じだった。
面白い部分を凝縮したラーメンのスープみたい内容だった。
最近では、ニューヨークにもSAPPOROのほかにもラーメン屋が開店している
らしい。
猫ラーメンは結構、笑える映画なので内容を忘れてしまうが楽しめる映画だった。
「時には娼婦のように」の替え歌「時には醤油のように 普通の味でお食べよ」
という歌が耳に残った。 『猫ラーメン大将 THE MOVE』(2008年)河崎実監督作品を観た。
中野にある大怪獣サロンの常連客に受けるネタがトッピングされた映画だった。
内容は、原作である漫画の「猫ラーメン」を良く煮て出汁を取ったような感じ
がした。父のスパルタ教育に耐えられなくなった大将は、ついに家出して様々な
職に付く医者にタクシーの運転手に鮨職人を経験するがスグに転職してしまう。
そして将来を思いつめて入水自殺を考えて川に飛び込もうとしていた大将に
一杯のラーメンが渡される。そしてラーメンの力に引き寄せられラーメン修行を
経てラーメン屋を開店させる。
その後、猫が作るラーメン屋としてマスコミにも取り上げられるなど話題が尽きない。
親子ラーメン対決など楽しませてくれるイベントや面白い客や大将の家庭環境など
凝った作りの映画だった。マンガやアニメをベースに実写版まで作っている。
伊丹十三監督の『タンポポ』1985年や『ラーメンガール』(英: The Ramen Girl)
2008年ロバート・アラン・アッカーマン監督作品(アメリカ映画)といった映画の
影響を受けていそうな感じだった。
面白い部分を凝縮したラーメンのスープみたい内容だった。
最近では、ニューヨークにもSAPPOROのほかにもラーメン屋が開店している
らしい。
猫ラーメンは結構、笑える映画なので内容を忘れてしまうが楽しめる映画だった。
「時には娼婦のように」の替え歌「時には醤油のように 普通の味でお食べよ」
という歌が耳に残った。




2017年 1月25日
 新年明けましておめでとうございます。

と言いますか・・・「明けました・あめでとう
ございます」と言うべきなのか迷いますが
 年賀葉書のクジの発表と同時に、すでに
解散はしましたが(社)NDC・日本デザイナー
クラブOB会の電話連絡網で互いの安否を
確認しあう作業に、追われていました。
 私の分担は、やっと片付きました。
私の個人的な手順は、年賀状が届いているかを
チエックして届いていない場合は、まず
@アトリエやA自宅に電話して、B携帯電話に
電話して連絡が取れない場合(移転などで番号が
使われていないとアナウンスが流れる)は、最後に
C電報を打ち115番からの報告を受ける。という
流れにしています。デジタル時代ましてネットの時代に
古い手法を使うと思われるでしょうが
高齢で視力や耳も衰える先生方も、おり
ますので現在も、このようにしております。
まず命と健康を大切にして威風堂々と今年も
行きつづけたいと願っております。
皆様の、ご多幸と健康を願っております。


2016年12月27日

『第七の封印』(1957年)イングマール・ベルイマン監督作品を観た。
十字軍の遠征が終えてスウェーデンに帰る途中の騎士が死神とチェス
の勝負をして死に勝とうとする場面が印象的だ。黒死病がヨーロッパ
に広がり役者は、髑髏の面を被り死や終末を連想させて司祭は、恐怖
を煽る話をすると献金があつまるというようなセリフがあった。
死神は、鎌を持っていないが印象的だった。神学校を出て神父になった
知人が盗賊になっていた。日本だと乱世でお坊さんが破戒僧になってい
たみたい感じなのかも知れない。騎士は死神とのチェスに負ける。
自分の城に帰り妻と再会するが死神に導かれて死の舞踊を踊りながら
一列に歩いていく。白黒で難しい映画だった。丁度、今の時代に見た
からネガティブに感じてしまったのかも知れない。平和と安全と安定
がいかに大切かを感じた。ローマ時代の政策に「パンとサーカス」と
いう例えがあり「大砲かバター」かという例えもあるが日々の暮らし
の維持が大切だとNHKの朝ドラマを見ているので考えさせられた。
10年もの間、城を留守にして妻を置いて遠征できるのは、家族の
安全で安定した暮らしが出来る領地があるからだと思うが詳しくは
解らない。最近、将棋やチェスは人間よりコンピューターが勝った
というニュースを見たので死神とチェスの勝負をコンピューターに
変わってもらえば勝負は付くのか気になる。



2016年 8月10日

『シン・ゴジラ』(2016年)庵野秀明監督作品を観た。
ゴジラが初めて現れたという設定でシン・ゴジラのシンは
新しいという意味と進化するという意味がありそうだ。
踊る大捜査線のノリに国家や外交に取り入れて現在の社会
を表現しながらもスクラップ・アンド・ビルトによる再生
など深く考えさせられながら集中して見られる内容だった。
ラストの「終」の書体が昔みたゴジラと同じで懐かしい
感じを出していた。東京駅とゴジラや高層ビルを作戦に
使うなど様々な設定と工夫がされていて日本の映画製作の
デジタルとアナログの技術の融合と熱意を感じる作品だった。
見える恐怖と見えない恐怖の融合と無力感と復興への希望が
ゴジラのDNAから放射能の除洗技術へ活用できるという設定
で込められてもいるみたいだった。久しぶりに映画を観たと
いう満足感と満腹感を得られた。


『男はつらいよ』と『男はつらいよ 奮闘篇』を観た。
48シリーズもあり設定が良く解らないまま何作品か観て
いたが妹さくらと印刷工場で働く諏訪博と結婚する一話で
博の父親が北海道の大学の教授だったり『奮闘篇』では
車寅次郎の産みの母親が芸者で京都で働いている事など
知らないままだった。障害者の描写も入っていて驚かされた。
ラーメン一杯が80円だった時代でもあった。現在は800円
だから一桁も違うと感じた。1969年8月から1995年までで48作品
もあり『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』
が1997年まで続いていた。集団就職で上京して働く若者が
いた時代からバブルの崩壊まで長く続いた作品だけど
社会構造の変化で露天商も消えてしまった。2016年の今では
商店街もシャッター街になり人間関係も希薄になったと
感じる。この2作品で寅さんの生い立ちと人物設定を理解
するのに役立った。あまり気にもしないで恋をして失恋する
パターンの映画だと思って観ていたが家庭環境が複雑なので
距離を置いた恋が続いていると言うことだと気がついた。
寅さんの特徴は、鉄道での旅で車寅次郎だけど自動車は
使わないで商品は現地調達できるのが不思議な時代まで
シリーズが続いていた事にも改めて気が付いた。


『野火(のび)』(1959年)市川崑監督作品を観た。
とうもろこしを焼く薪という意味らしい。戦場で結核に
なり小隊から入院せよと野戦病院に行くがマラリヤ患者
が多くて入院できない。病院は、医薬品も無くベットもなく
食料もない。治療を受けるというより寝て死を待つだけみたい
状態みたいに見える。補給が無い状態みたいだ。
感染症なので隊にいることも出来ず、さつまいもを5日分の
食料と自決用の手榴弾を渡されて戦場をさまよう状態になる。
降伏しようと白旗を出して歩いていった兵士が撃たれてしまう。
いきなり白旗を出しても相手が動いているため降伏の意思まで
確認も判断も出来ない状態みたいだ。猿の肉だと兵士が食べて
いるのは仲間の肉のようだ。『ライフ・オブ・パイ/トラと
漂流した227日』のストーリーで乗っていた動物が人間だった
ので記憶を閉ざしているかも知れないバットエンドの話を思い
だした。極限状態で死んだら食べられるかも知れない状態でも
1人で死ぬよりは寂しくないからマシだという会話や統率が
取れている状態は生き残るより日本人独特の村社会で農耕民族と
して自己犠牲をも受け入れる利他主義を感じた。白黒の映画なので
血が黒く見えて視覚への情報がソフトになったみたいで見ることが
出来た。『ビルマの竪琴』『犬神家の一族』などが有名な
市川崑監督の作品だ。この映画はラストで「普通に生活している
人間が見たい」と畑の野火に向かって歩いていく主人公の後ろ
姿で終わる。敵兵なのか現地の住民なのかも判らない。
現地の住人は、自給自足で生活しているが軍隊では補給が無いと
水や食料や衣類なども不足してしまう。戦うより生存することに
費やす時間が多いのかも知れない。戦場で初めて敵を見たという
会話に込められているみたいだ。
とうもろこしを焼いているのか死体を焼いているのかも
解らない所に歩いていく姿は、結核で長く生きられないからせめて
人間らしく生きていた環境を思い出し生きられるか死ぬ運命なの
か試したいという気持ちを表現しているかも知れない。
最近は、技術の進歩が早く価値観や倫理観の変化が早い時代
だと思う。大きな変化に直面したら境遇を受け入れると同時に
諦めの境地になったり悟りの境地になったりするのか私にも、
解らない状況だと思う。ただ毎日の生活は続けなければいけない。
ロバート・ワイズ監督の「ある夏の日」みたいに淡々と進んで
いくストーリーの流れに深い意味が込められているのかも
知れないと感じた。



2016年 7月07日

『超高速!参勤交代』(2014年)本木克英監督作品を観た。
江戸時代の参勤交代をテーマにした作品だ。参勤交代を終えて
無事に領地の湯長谷藩に戻って一息つけると思っていた所に
5日以内に参勤交代せよと早馬で上意が届く。参勤交代は軍事費を
貯めて戦が出来ないように幕府が考えた制度だ。磐城国の小藩である
湯長谷藩にとっては、現在では短い距離でも財政的に厳しい。
移動を快適にして楽しむには費用がかかるのは今も昔も変わらない
ようだ。幕府から何故、理不尽な参勤交代で江戸への呼び出しが
あったのかと思うと、山から金が出たと思い込んだ隠密の報告を
鵜呑みにして届出が偽りだと決め付けて湯長谷藩を取り潰し金山を
手に入れようとする企みだった。実際には黄鉄鉱が出たため金山は
無く宿代も節約して野宿し幕府の役人による監視がある宿場を通る
時だけ日雇で中元を雇い大名行列の体裁を整えるなどして山道を
走るという行程で江戸に向かう。山で野宿して食材を調達すると
宿賃が節約できると喜ぶほど貧乏な藩の侍達だが殿様が一匹の魚を
裏・表逆にして2回に分けて食べて大根の漬物で満足する場面と
江戸の徳川では、魚の美味しい部分だけ食べて一食に何匹もの魚を
残す場面の対比など食品ロスの問題と大根は食中りしないという事を
取り入れたりしている。殿様は子供のときに心の病んだ乳母に蔵に
閉じ込められて閉所恐怖症になり籠に乗れず猿を乗せているという
設定や便所の戸を少し開けておく習慣など人物設定も注意してみると
なるほどと感じる。更に幕府の隠密が行列が江戸に着けないように
刺客になって妨害する。仙台藩の大名行列とすれ違う時に道の脇で
待つ時間もなく飛脚に化けて走り抜けるなど知恵で窮地を乗りきる。
日雇い中元の「時には農夫、時には武士」みたいなセリフは、
東北では冬の間は畑が雪で使えず専業農家では収入が少なく愛知県の
工場などに出稼ぎに行った季節労働者という雇用形態があった時代を
思いだした。大名行列を隠密が襲うあたりは『十三人の刺客』みたい
雰囲気だと感じた。宿屋から付いてくる女で『ひとごろし』みたい
感だと若干感じた。雲隠段蔵という忍者の協力や湯長谷藩の侍や殿様が、
剣や弓の達人ぞろいだが東北訛りで話すので親近感を感じさせる演出
であったり格差社会となった今の時代に鑑賞するに上手く作られた
映画だと感じた。


『プーサン』(1953年)市川崑監督作品を思いだした。1950年に
毎日新聞の夕刊に横山泰三の4コマの社会風刺の漫画が連載されていた。
これを映画化したものだ。
私立の高校で数学の教師として働いている主人公がトラックとの
交通事故で手をゲガしてしまったり学校経営者に夜間の教員に雇用
条件を下げられる。学生と居合わせたデモの写真を新聞に掲載され
学校を解雇されて母校の大学で再就職先を探す。ミシンの会社に
再就職すると朝鮮戦争で使われる弾丸の梱包が仕事だったという
オチだった。今月の選挙から18歳で投票が可能になる選挙が始まる。
この映画の時代と違い現代はインターネットで情報を集められる。
公開されている情報を深く調べて選択出来る時代だが判断するのは
テレビやラジオや新聞に雑誌といった時代より複雑になったと感じて
いる。


「友だちのうちはどこ?」のアッバス・キアロスタミ監督の訃報を知った。
現在、テロが起こっているイランの映画監督だと改めて知った。
平和と安定がもどり「そして人生はつづく」状態になってほしいと
願うことしか出来ない。子供が1人で友達の家に学校の忘れ物を
届けられる平和な社会でお年寄りと子供が交流して歴史を知っていく
かつての日本みたいな社会。日本まで集団で登校・下校していて
交通事故にあったというニュースを見ると暗く複雑な気持ちになって
しまう。最近の時代劇は殺陣(たて)の場面が殆ど無い。現実離れした
チャンバラの表現から世界の紛争を連想してしまったり高齢化社会の
流れから多死社会になりつつある影響でアクションを楽しめない時期
なのかも知れない。アッバス・キアロスタミ監督に平和がもどり復興
したイランを見てから旅立ってほしいと残念に思いながらニュースを見た。



2016年 6月04日

『イージー・ライダー』(1969年)デニス・ホッパー監督作品を観た。
この映画は、40年以上前に観たので覚えているのは、腕時計を地面に捨てる
場面で時間に縛られない自由を表現していると感じたりジャック・ニコルソン
が演じる弁護士ハンセンが酒を飲むとニック・ニックと腕を動かす場面と
とアメリカンスタイルというオートバイとラストで通りすがりのトラックから
撃たれてバイクでトラックに体当たりして死んでしまうラストだった。
映画の冒頭でバッテリーに白い粉が入っていたり現金をチューブに入れて
ガソリンのタンクに入れる場面や横に止まっているロールスロイスや中東の
人物の意味は、子供の時は解らなかった。子供の目線で手が届きやすいのは
自転車に乗っているとオートバイなのかも知れない。自家用車がある家の子供
は、また違うのかも知れない。オートバイを運転するときヘルメットが義務で
なかった時代だった。オートバイの後ろに乗せてもらう為にハンセンはラグビー
用の金色のヘルメットを被っていた。モーテルに空き部屋があるのに断られて
夜に野宿していると長髪のヒッピーというだけで鉄パイプの集団に殴り殺されたり
すれ違うトラックから撃たれたりする。 「自由を説くことと 自由であることは違う。
誰もが自由を語るが、自由な人間を見ることが怖いんだ。」というセリフが
あり考えさせられる。広い直線道路を走るのは爽快に見えるがオートバイは雨・風を
しのげない。気持ちよく走る季節や時間がある。携帯電話が無い時代なので
道路の脇に非常電話が設置されているのか気になった。バイクがパンクしてタイヤ
の修理に納屋を借りるが納屋の外で馬に蹄鉄を付けている場面があり西部劇の馬に
乗ったアウトローが出てくる時代のアメリカを連想した。バイクは自動車と違い
スペアタイヤを積んでいない。船や飛行機みたいに無線機が無いと1人では心細い。
その為に二台で走るというストーリーなのかも知れない。
バイク二台で走ると、はぐれたりしないように気を使う。結果として集団行動になる。
この時代はベトナム戦争にたいして反戦の意味で長髪のヒッピーがいた。
ヒッピーはコミュニティーを作って集団生活をしていたから自由のようでも周囲に
気を使っていたのはないかと考える。子供の時にはアメリカの文化や習慣の情報
が少なく意味が解らない状態で映画を鑑賞した頃が懐かしい。
ライフスタイルの違いだけでヘイトクライムで殺人がありえる時代を表現していた
のかも知れない。子供の頃は、大人が3人全員が死亡してしまう場面を見て遠い将来
の事だと心の奥で考えていたたのかは解らないが、映画に登場している主人公達より
長く生きてからみると衝撃的なラストだと感じた。



2016年 3月06日

『知りすぎていた男』(1955年)アルフレッド・ヒッチコック監督作品を観た。
アメリカ人旅行者のマッケナ医師が妻ジョーと息子ハンクを連れ当時のフランス領
モロッコに観光に来ていた。バスの中で子供が揺れた拍子にイスラム教徒の女性の顔を
隠すスカーフをつかんで外してしまう。女性の横にいた夫が怒り、フランス人の
ベルナールという男が仲裁して事なきをえる。観光していると雑踏から後ろから
刺されたベルナールが現れて、息をひきとる直前に「イギリスの政治家が暗殺される」
「アンブローズ・チャペル」という謎の言葉を残す。その後で息子のハンクが誘拐され
聞いた事を話すなと電話がある。マッケナ医師と妻ジョーはイギリスに行ってホテルに
泊まり電話帳からアンブローズ・チャペルの住所を調べる。マッケナ医師が訪問した所は
剥製の工房だった。工房の人達は事件とは無関係だった。ホテルに戻ると教会の名前が
「アンブローズ・チャペル」という所があった。牧師と殺し屋と女性がいて計画の準備を
している。子供のハンクもいる。シンバルが叩かれる所で銃で撃てば音が気づかれないと
いう話をしている。首相の暗殺は失敗して殺し屋は死んでしまう。
映画が終わって、どんな組織が何の為に犯行を行おうとしたのか解らないままだった。
動機や目的や相手が何者なのか解らないので恐怖感と不安感が残った。
ヒッチコックの作品は、知らない事や未知の物に対する恐怖を巧みに使うと感じた。
映画の音楽「ケセラセラ 成り行き任せ」が効果的に使われていた。
社会の変化が巨大な時期は、何が起こっているのか解りづらい。様子は観察して
変化に適応する方法を考える時期だと感じた。



2016年 1月31日

『慕情』(1955年)ヘンリー・キング監督作品を観た。第七天国みたいな
ハッピーエンドでなく特派員の恋人が朝鮮戦争の取材で飛行機の爆撃で
死んでしまい手紙が後から届くと言って思い出の丘で終わった。
イギリス領時代の香港が舞台で中国から一日に3000人の難民が
流れ込み両親とはぐれてしまった中国人の難民の幼女が交通事故で
病院に運び込まれてくる所からはじまった。イギリスと中国の混血で
あるハン・スーインという女医さんが主人公で研修医の頃にアメリカから
来ている特派員と知り合い何回がデートして終わった恋愛映画だった。
ハン・スーインは親と、はぐれた難民の幼女を養子にする。
時代は第二次世界大戦の直後でイギリスの医科大学を出て香港の病院で
研修医をしているが解雇されて恋人のマークまで死んでしまう。
マークはウィリアム・ホールデンが演じていた。香港がイギリス領で
イギリスでメイド1人を雇う賃金で香港では10人雇えるというセリフ
から当時は植民地で物価が安かったと思われる。マークとレストランで
デートすると、あまり良くない席に案内されてレストランのオーナーが
マークと顔見知りで良い席に移ってもらおうとする場面から人種差別が
残っている時代なんだと感じた。当時のイギリスは世界中に植民地を
持っていることから色々な国の人との国際結婚もあったんだろうと思う。
新聞記者や医者は職業としてエリートだしイギリスの大学で医学を学んで
いるからかなりの上流階級だと感じた。ジェームス・ディーンの遺作と
なったジャイアンツにも息子がメキシコ人の女性と結婚して混血の孫が
テキサスの白人が経営するレストランで断られて殴り合いの喧嘩になり
ジョーダン二世(ロック・ハドソン)が殴られて喧嘩に負けるが妻のレズリー
(エリザベス・テイラー)がカッコ良かったという場面が思い出された。
民族によって言葉や習慣や文化や宗教が異なった時代から、ほぼ70年程
経過した。1980年頃からグローバリゼーションが盛んになり人件費の
安い国に製造業は工場を移転していった。東京より東北が人件費が低く
抑えられるという経営方針が日本国内から海外を目指すようになり中国から
タイやベトナムと移っているようだ。関税や輸送コストを考えても人件費の
格差が「イギリスでメイド1人を雇う賃金で香港では10人雇える」と
いうセリフが時代を表していると感じた。21世紀になって16年経った
らヨーロッパに難民が押し寄せている。国と民族が、ほぼ一致していた
慕情の時代から変化していると感じる。日本では、地方から東京に上京
するのに方言でなく共通語に慣れる必要があった。私の世代は自然に
テレビで共通語を話せるようになった。言葉の壁は大変だと感じる。
マイ・フェアレディーという映画では、同じロンドンでも言葉遣いが
違うので上品な言葉が話せるように直していたことを思いだした。
古い映画を観ると現在は、無くなった職業などが見られたりして
若い頃に鑑賞して何十年も経過して世界情勢や時代背景も考えて
鑑賞して同時に懐かしいと郷愁を感じた。



『就職戦線異状なし』(1991年)金子修介監督作品を観た。職就職活動を
ゲームセンターの競馬ゲームみたいに楽しむ早稲田大学のサークルを
舞台にバブル経済の余力が残り大学生に会社案内のダイレクトメールが
送られてくるほどの時代があった事が懐かしい。エンディングに流れる
槇原敬之の主題歌「どんなときも。」も深みがあって良かった。
内定者のために豪華な親睦会を開いて内定辞退を防いだりと人材確保に
力を入れていた時代から、わずか数年でリストラという言葉が生まれ
終身雇用という時代の終わりと非正規労働という働き方が登場する前の
打ち上げ花火のように大学生が青春を謳歌できた時代を思い出した。
フリーターは正社員より高給を稼ぎ個人事業主みたいだった。
「毎日が夏休み」みたいに脱サラして起業して成功できそうな購買力を
持っていたように感じていた。不動産は高騰して手が出ないが大学生が
自家用車を持っているのは珍しいことでは無かった。内定者を接待する
企業が学生に出した料理も豪華でビックリすると思う。
タイトルは『西部戦線異状なし』を連想させるが平和と安定と経済発展
で明るい内容の作品で戦争は過去の事で世界が平和に向かっていると
思い込めた時代でもある。未見だが『西部新宿線異常なし』という映画
も有ったみたいだ。
都心は活気があったが大気汚染の環境は「公害は終わった」という言葉で
日本で公害が放置されていたと誰も疑わなかった時代だった。
『過労死』という言葉が出来たのもこの映画が作られて数年後のような
気がする。不動産は高騰して手が出ないが自動車を持っている大学生は
珍しくなかった。「彼女が水着にきがえたら」『就職戦線異状なし』
「波の数ほど抱きしめて」は1980年代後半から1990年代はじめ
の誰もがセレブ気分を味わえてセレブに成れそうな雰囲気があったと
感じている。9.11が起こり2008年のリーマンショックや
3.11と耐えてきた企業も2014年から2015年までの変化で
倒産や廃業や再編が続いている。マスコミの報道が「異常があっても
異常なし」なのか「大した事件や事故でない事が大きく取り上げられて
いるのか?」メディアリテラシーをしても情報が多すぎてバイアスも
かかっていてニュースを発信する側も受ける側も大変だと感じる。
この時代は映画のストーリーでは人気職業がテレビ局や広告代理店と
言う設定だった。携帯電話が普及しはじめたのはWin95が発売された
2〜3年後だった。1991年はポケットベルを持って歩き公衆電話
で連絡を取る。そんな時代だったのが映画を観ると思い出される。
今の高校生や大学生が観ると別の世界の話みたいに感じそうだ。
私の世代には、懐かしいが若い世代には激動の時代のソピサードとして
見てほしいと思う。これを観て物足りなかったら『バブルへGO』を観ると
少しは現実逃避できた気分になれそうな気がする。
この映画が作られてから数年で日本の工場が中国に移転したり外国人が
日本に出稼ぎに来るようになり原宿の歩行者天国が中東からの人の交流
の場になっていた時期もあった。お金が無くても都会を歩くと未来に希望を
感じて、誰もが可能性を信じて幸福を探していられたころが懐かしいと
過去を懐かしんだ。



2016年 1月 1日

2016年「あけましておめでとうございます。」
昨年は、気候変動の影響なのか世界中で自然災害が
多く大変な状態の方が世界に大勢いらっしゃると
心を痛めております。雇用形態の変化や医療・介護
の変化など生きることが大変な時期だと感じています。
ダーウィンの言葉に「適者生存」があります。
「最も強い者」より「最も生態系に適応できる種」
が生き残るらしいです。ご高齢の方は戦争や高度経済
成長やバブル崩壊を経験しながら仕事の内容や時代の
価値観に合わせて生き延びてこられたと思います。
これからの変化は、激しそうですが先駆者の人生を
ロールモデルにさせていただきたいと思っております。
同時に伝統や普遍性にも憧れと敬意を感じています。
 リオデジャネイロのオリンピックで予算不足になり
公立病院が休業になったとニュースが流れた年末で
すが、誰もが健康にスポーツが出来て病気や怪我を
しても安心できる環境を維持して感動的な大会が開催
されることを願いっています。世界的な環境汚染の
ニュースもあり発病してしまう方も増えている様子
です。健康で元気に生きることが当たり前になって
ほしいと願います。社会情勢も安心と安定に向かって
ほしいと思います。悩みや不安が多い社会では
信じられない事故が起こるみたいです。安全で
安心できる2016年であることを祈っております。
今年もよろしくお願いいます。


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