Takuya Asano official Website

浅野琢也の雑記帳    トップページ

浅野琢也の雑記帳27 2015年01月03日〜12月23日

あさのたくやのざっきちょう TakuyaAsano Web 平成27年


2015年12月23日

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015年)J・J・エイブラムス
監督作品を観た。帝国軍と共和国軍とレジスタンスで戦争が続いている
ようだ。レイアとハン・ソロの息子がダークサイドに落ちて帝国側で
ダースベイダーの後釜みたいになっていた。今回は、廃品回収して家族
の帰りを待っている女性リイがジェダイとして覚醒しはじめる。
雪だるまみたいなロボットBB-8にルークスカイ・ウォーカーの居所が記録
されていてデススターより大きな太陽のエネルギーで星を破壊する球体
を破壊してルークを探してチューバッカが操縦するミレニアムファルコン
でルークのいる星でルークを発見して終わった。三部作らしいので次回に
続くということみたいだ。1977年から38年の年月が経過して懐かしい
スターウォーズの物語の続きがはじまったという感じがした。その間も
平和な星があり別の星では戦争が続いていたのかも知れないと考えさせ
られる作品だった。



2015年12月20日

『トゥームレイダー』(2001年)サイモン・ウェスト監督作品を観た。
執事がいる豪邸で暮らしているララ・クロフトは、二丁拳銃を使い
ロボットを練習に戦闘の訓練をしている。屋敷の階段の下の隠し部屋
から出てきた時計の中にピラミッドに目の印のカギが発見される。
5000年に一度の惑星直列のタイミングで5000年に一度だけ時を
操ることが出来るらしい。5000年前に二つに割られて地球の古代遺跡
に隠された三角の板を合わせることと時計の中から出てきた円形のカギが
必要らしい。イルミナティーという秘密結社も時を操る力を手に入れようと
ララとシベリアの古代遺跡に行く。緑の液体が入った透明の巨大な壺や
液体を目に入れると動き出す石造と戦ったりする。ララの父親である
クロフト卿がイルミナティーのトップでララを危険に巻き込まないため
秘密を告げず遺跡の探検で亡くなっているがララは父と再会して話をして
トライアングルを破壊するように頼まれる。動く石造と戦ったり仲間に
刺さった投げナイフは死なないように時間を止めてナイフの飛ぶ向きを
変えたりする。そして無事に屋敷に戻る。執事が新しく誂えた二丁拳銃を
蓋の付いたお盆に乗せて渡したり、新しい戦闘訓練用のロボットが用意
されて映画は終わる。移動に軍用機を自由に使えたり上陸用の水陸両用車
を使ったりできるが正体が謎のままだった。インディージョーンズみたい
ノリだけど冒険に使えるお金とかはトゥームレイダーの方が多く大学の
考古学の教授というインディージョーンズより謎が多い感じがした。
二丁拳銃の女性というとブラックラグーンというアニメに登場するレヴィ
(レヴェッカ・リー)の雰囲気と重なるが同時期に創作されたので偶然かも
知れないと感じた。二丁拳銃の女性キャニクターのララとレヴィの境遇は
正反対で今、映画トゥームレイダーを観るとアニメのブラック・ラグーン
を連想してララとレヴィの格差を感じてしまった。5000年の時間や
正体が謎の主人公ララなど現実離れしたアクションなので良く解らない
設定だけどメカや古代遺跡など楽しめた。主役の、アンジェリーナ・ジョリー
さんの激ヤセのニュースが流れている。この映画ではカッコいいアクションを
見せてくれたが若く健康を維持することは大変だ。最近は、著名人の訃報が
多かった。アンジェリーナ・ジョリーさんは健康を取り戻してほしいと願う。



2015年12月06日

『キャピタリズム マネーは踊る』(2009年)マイケル・ムーア監督作品
を観た。私が子供の頃はアメリカのドラマを見て憧れていた豊かな国だ。
1970年代のアメリカと現在の変化に衝撃を受けた。映画は
古代ローマ帝国の歴史と現在を比較する場面からはじまった。
そして第二次世界大戦の前に起こった労働組合運動に
ルーズベルトが味方して中産階級が生まれたらしい。1970年代は
労働者の医療費は組合の保険でアメリカも無料だった。ベトナム戦争
があったがアメリカ国民は、大きな家に自家用車を持ち父親が働けば
家族を養うことが出来た。日本も専業主婦で子育てして、それなりの生活
が出来ていたと思う。アメリカも組合の保険で国民皆保険に近い状態で
豊かで安全な国だった。私もアメリカのドラマや映画を観て憧れた。
犯罪はギャングとかマフィアの世界で起こりスーパーマンやバットマンや
スパイダーマンが被害を食い止めてくれそうなイメージを持っていたの
かも知れない。それが21世紀になりGMのリストラなどで大量の失業者を
生み出したり税金でウォール街の救済に使いサブプライムローンで家を
失った国民を見捨てたり産業別の労働組合が正規社員が解雇されて
無力化してしまったり少年刑務所の民営化で不正が行われていたり
しているので日本も、同じ方向になっていくのかと考えさせられた。
民主主義の機能が不安定になり資本主義が規制緩和でバランスを
失って1%と99%の格差を生み出しているみたいだ。
マイケルムーアが現金輸送車で税金で救済された銀行に国民の
税金だから返してくれ財務省に届けるという演出や犯罪だから
金融会社の重役達を市民逮捕するというパフォーマンスなどを
盛り込んで重い内容だけど観客を楽しませる工夫されたドキュメンタリー
映画だった。ドキュメンタリーや映画で社会の流れがより良い方向に
向かってくれると希望を持ったが色々な事が起こりショック・ドクトリン
みたい状態が世界中で起こっているみたいだ。「(株)貧困大国アメリカ」と
いう本の内容と近いと感じたのは、マイケル・ムーア監督の故郷のフリント
が労働組合運動でアメリカの中産階級を作ったというルーズベルト
大統領が軍隊を労働者を守るために出動させて資本化に雇われた
暴力団と警察から労働者を守ったという白黒の記録映像を入れて
資本主義のルールが規制緩和で機能しない方向になり中流層まで
没落してしまったとナレーションで解説していた。怒りの葡萄に
登場した描写みたいだ。
民主主義により資本主義や社会主義や共産主義や新自由主義を
選択するらしいが最近は政党の政策が、混沌としてわかりづらい。
しかもアメリカだけでなくヨーロッパも大変な状況になっている
みたいだ。中東やアフリカの情勢は、宗教まで絡んでしまい複雑で
日本人の私には、さらに難解に感じる。
21世紀になって増加したのかインターネットの普及やグローバル化
で情報をニュースで目する機会が増えたのか解らないが世界中で
起こった大規模な災害だけで大変なのに無差別テロのニュースまで
起こり驚くことが多い。パリやロンドンといった都市が平和に繁栄
していた80年代のイメージと変わってしまったようだ。
古い映画で「ジャッカルの日」という映画では大統領の暗殺を
謎の殺し屋からヨーロッパの国が協力して阻止するというストーリー
だったから一般市民は、無関係でパレードを楽しむ描写があった。
特別な人が特別な世界で暗躍したり活躍するストーリーだから
傍観者の気持ちで映画鑑賞ができる社会だったと昭和の時代を
私は懐かしんでしまう。日本のヤクザ映画も一般市民には関係の
ない世界だった。悪い事だと自覚があり一定の歯止めとしての
モラルがあったみたいだ。これが聖戦となると自分達が正義で
神様も認めていると思い込み歯止めが利かないのかも知れない。
 ニュースを観るとヨーロッパの首都に住んでいる民族が多様に
なっているのに驚かされる。地方から東京に上京する感じで
世界規模で移動できる時代なのだと思う。日本でも方言を共通語に
直したものだった。私などは、いまだにベルギーは「フランダース
の犬」のイメージが強い。イタリアは「ロミオの青い空」
フランスは「家なき子」と子供の時に見たアニメのイメージが強い
のかも知れない。中東にいたっては、アラビアンナイトやシンドバットの
冒険のイメージになってしまう。イランの映画の「友だちのうちはどこ?」
や「運動靴と赤い金魚」も観たことがあるし「イブラヒムおじさんと
コーランの花たち」も観てはいる。最近は世界情勢の変化が大きい。
理想主義だと笑われそうだが宗教や民族やイデオロギーに関係なく、
それぞれの国の国民が互いを理解し尊重して不安や恐怖を感じず安全で
安定した生活を維持できるように、この先へ向かってほしいと願う。



2015年11月03日

『ロビンソン・クルーソー』(1996年 劇場未公開)ロッド・ハーディ
監督作品を観た。ダニエル・デフォーの小説で私が子供の頃に読んだ。
嵐で遭難して無人島で生活するための大工道具や武器が座礁した船に残って
いて1人生き残ったロビンソン・クルーソーが小屋を建てたり食料を確保
したりして孤独の中を生きのびるサバイバル生活の描写が小説では楽し
かった記憶がある。船長が船で飼っていた犬のスキッパーが生きていて
孤独を癒してくれた。友のパトリックとの決闘で友を殺してしまい婚約者の
メアリーを残して祖国から旅立ち無人島で生贄にされそうになっていた
フライデーを助けて共同生活して友となるがロビンソン・クルーソーが
怪我をしてフライデーが殺されるかも知れない自分の部族所に運び治療してもらい、
その後でしきたりの細い橋の上での決闘をさせられロビンソン・クルーソーが
フライデーに殺されると覚悟した時にイギリス人達に助けられるがフライデーは
撃たれて死んでしまう。そしてロビンソン・クルーソーは助かりリスボンに送り届け
られてイギリスに帰ることが出来る。そして婚約者と結婚して過ごすという
ストーリーだった。なんだか複雑な気持ちになる終わり方だった。
奴隷貿易が行われていた1700年代初めの話で日記をもとに書かれた実話で映画の
はじめに航海日記をもとに小説にしてほしいという場面があった。
近い話で十五少年漂流記も読んだ。映像で観るのと小説で読むのでは、
限られた時間で重要なストーリーを構成するのは大変そうだが40年以上
前に読んだ小説の記憶が甦り子供の頃と別の視点で見直すことができた。
衣装やセットなど良く出来ていた。劇場公開されていないので映画が作られた
ことも知らなかったがDVD化されてテレビでも放送されていた。
ロビンソン・クルーソーとフライデーの宗教感の違いでワニから人間になったと
いうフライデーとキリスト教を信仰するロビンソン・クルーソーの死んでしまった
犬に魂は無いという会話など印象的だった。映画は小説が実話だった事も盛り込んで
良く出来ていると感じた。印象に残るテーマ曲があればもっと良くなると感じた。



2015年10月22日

『ヒット・パレード』(1948年制作・1951年公開)ハワード・ホークス
監督作品を観た。1941年の「教授と美女」をハワード・ホークス監督
がリメイクした作品だが「教授と美女」は未見なので解らない。
60年以上も前の音楽映画で原作はビリーワイルダー・トーマス・モンローで
ベニー・グッドマン・ルイ・アームストロングといった音楽史に残っている
人達が出ていた。
音楽史を編集するために財団の建物に7人の教授達が住み込んでいる。
そこに窓を拭いていた2人が音楽クイズの答えを、教えてほしいと加わる。
そしてクラッシックをブギウギやブルースやジャズなどにアレンジして
ピアノを弾く。音楽の変化を加えるために夜の街に風俗の研究に出かける。
ナイトクラブの歌手が七人の共同生活している財団の屋敷に転がり込む。
クラブ歌手は何か違法なものを運ばないとならず自分のアパートに帰る
ことが出来ない分けありみたいだ。
若い教授とタムタムとかいうエスキモーキスみたいことをして恋がはじまる。
若い教授は、結婚指輪に音符を彫ってもらい朝食を部屋に運びプロポーズする。
しかしギャングの荷物を鉄道やバスを使わないで運ぶ目的があった。
運ぶものは何なのかトランクに入っていて解らない。共同生活している音楽研究
している全員礼服にシルクハットでレンタカーで結婚式の場所に向かう。
途中で道に飛び出してきたウサギを避けて道路標識にぶつけてしまい近くのホテルに
泊まる。クラブ歌手と荷物を手に入れるためにギャングの手下が現れる。クラブ歌手は
婚約者のギャングとの結婚より若い教授を好きになり結婚式を中断する。
そして色々あって結婚してハッピーエンドで終わる。
なんだか21世紀になってから15年経ってみるとシェアハウスでの生活みたい
感じに見える。レコードに音を記録する機械が印象的に見える。カセットテープ
どころかテープレコーダーも普及していない時代みたいだ。9年間も引きこもって
音楽事典の編さんをしているあたりの設定は、「舟を編む」みたい感じかも知れない。
本にソノシートというレコードが付いていた時代からカセットテープやCDプレーヤー
になりMDプレヤーが登場してメモリーオーディオになり携帯電話やスマートフォンで
音楽が聴けるようになりテクノロジーの発展と時代の変化を感じた。
バックトウーザフューチャーのタイムマシンで1985年から移動する未来が2015年10月21日
だとニュースで報道されていた。1985年にはポケットベルはあったが番号を表示しない
ものだったと思う。パソコン通信はまだない時代だった。グローバル化に向かい世界が
変わったのが1985年のプラザ合意だったみたいだと言う説もある。
時代の流れが望む方向からズレてしまっても映画みたいにタイムマシンで時間を戻すこと
はできない。ヒットパレードでは、新しい音楽が登場して変化に驚く描写があった。
 先が読めない時代なので冷静に情報を判断してそれぞれが良いと思える方向を
選び進む時期みたいに感じる。



2015年10月 5日

『博士の異常な愛情』(1963年制作・1964年公開)スタンリー・キューブリック
監督作品を観た。30年以上前に観たことがある映画だった。東西冷戦でソビエト
連邦があった時代の作品で白黒だ。
原題は長い『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を
愛するようになったか』当時は長距離弾道弾とか多弾頭ミサイルが開発されたとかで
「鉄のカーテン」という言葉があり資本主義と共産主義の戦いみたいな部分があった。
人間は、未知の物に不安を感じると思う。漠然とした知識や情報だと最善と最悪の場合
の両方を想像してしまう。ポジティブやネガティブな状況を考えてバランスを取るしか
ないが情報が偏ってしまう可能性もありそうだ。希望と不安というかリスクとリターン
と例えれば良いのか解らないが全面核戦争になって人類が、ほぼ滅亡して地上に住め
なくなって生き残った人類の生存のための戦いという設定の映画やアニメは、良く作ら
れている。核戦争や巨大隕石の衝突。ただ最近は、地球温暖化の影響なのか異常気象で
大きな災害が起こっている。昔は天気の災害は天災と言っていた。これが環境破壊の
影響だとしたら人災の要素も影響しているのかも知れない。ストーリーは空軍の基地の
司令官が水道に有害物質を入れられて水分が70%の人間の精神を攻撃されていると
妄想して核を搭載しているB52爆撃機にソビエトの基地への攻撃命令を出してしまう。
1つだけの暗号専用の通信以外は通信できないようにマニュアルで攻撃中止専用の通信
手段を残して作戦を行うように指示されている。解除コードの暗号を送るが一機だけ
ミサイルで攻撃されて機体を損傷して燃料漏れと無線の故障で攻撃中止の指示を受け
られず核攻撃してしまう。そして自動の報復攻撃で地球はキノコ雲に覆われる。
核実験の記録映像が沢山写される。そして博士が半減期の100年は地底で暮らさないと
いけないと演説する。円形の計算尺で計算する場面がある。まだ電卓が無い時代の
映画だと懐かしさを感じた。この時代は右と左のどっちが国民が幸福か互いに
鉄のカーテンから互いの科学力を見せて人類の豊かさに向かっている事をアピールして
互いの方向は、正しいと宣伝して宇宙開発やオリンピックで報道された情報から
イメージする時代だったのかも知れないと今になって感じる映画だった。
1963の映画に敵国によるラジオの情報操作の可能性を防ぐために無線封鎖する
描写があった。この映画が出来て50年以上経つ。テレビの衛星放送で映像を
衛星アンテナで鉄のカーテンの中でも見られる時代になりベルリンの壁が無くなり
グローバル化が加速して21世紀になりインターネットで膨大な情報が得られる。
しかし正確で正しい情報と噂や可能性があるといった情報の発信元の主観が入った
不正確な情報も混在して真相の判断が難しくなった部分もありそうだ。
今年は戦後70年の節目だが、ここ数年で急に、世界情勢が変わり予測が難しく
なったと感じる。



2015年 9月 9日

『いまを生きる』(1989年)ピーター・ウィアー監督作品を観た。
時代設定は1959年だ。登場する車が懐かしい形だ。バーモントに
ある全寮制の男子高校が舞台だ。その名門校のウェルトン・アカデミー
の新学期から映画は始まる。ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)
というOBが英語教師として赴任してくる。詩の授業で詩の評価方法をグラフ
化した3ページを教科書から破り捨てろという型破りな授業をして生徒達は、
文学に興味をもつ。そして学校の古い学生年鑑に、キーティングが
「死せる詩人の会」というグループを作っていた事を知る。そして洞窟に集まって
「死せる詩人の会」を結成して本を読むグループを作る。創作した詩を朗読したり
もする。秘密基地やツリーハウスに少年達が集まるような感じだ。といっても
ウォルター・ホイットマンの詩などの文学作品を読んでいるので勉強会みたい
感じだ。その中のニールは俳優にあこがれて『夏の夜の夢』のオーディションを
受けてパック(妖精)役として父親に反対されても舞台に立った。父親は
ニールにウェルトン・アカデミーを辞めて陸軍士官学校に入学して医者になれと
命令する。部屋に閉じ込められていたニールは窓から抜け出して父親の部屋の
ピストルで命を絶ってしまう。(机の影に倒れて姿は見えないが手の近くにピストル
が落ちている)父親が部屋に入り火薬の臭いに気づく動作をしたので状況が想像
できる演出になっている。この事件を調査して学校としてキーティングの教え方に
責任を、転化して解雇してしまう。生徒達は、キーティングのニックネームの
「オー・キャプテン」「マイ・キャプテン」と言って別れを惜しむ。全寮制の
学校で生活するだけでも自由より規則が多くて厳しい。更に父親が厳格すぎる
ようだ。そういう家庭環境の場合は、人生経験の多い祖父が間に入って孫の希望を
伝えるなどの環境があれば悲劇は、起こらなかったのではないかと考えさせられた。
昔は、芸能は浮き草家業で親が反対する職業だった。時代によって価値観が変化
するので時代背景を理解して観ないと解りづらい。ウィリアム・シェイクスピアの
「夏の夜の夢」を演じたことで『ロミオとジュリエット』や『ヴェニスの商人』
『ハムレット』『マクベス』『リア王』などの作品に興味を持たれるのが不快に
感じたのかも知れないとニールの父親の考えをプロファイリングしてしまう。
ゆとり教育の反動なのか寛容性の無い社会に向かっているみたいな空気を感じる。
車輪を回転させるためにベアリングを使うみたいにスムーズに回転できる「ゆとり」
と、ぐらつかない位置で固定して摩擦を減らすベアリングみたいな構造を
社会システムでも考慮していくのが良さそうに感じる。決められた社会システムで
生きる人間のストレスを減らす政策を期待したい。
ウォルト・ホイットマンの詩の「おお、船長!わが船長よ!」とリーダーに言える
言葉は、もしかしたら自分の力では、どうにもならない時に「神様・仏様」という
ニュアンスに近いのかも知れないと感じた。健康と若さがみなぎり生命の輝きが
青年期はあるとおもう。世界中で子供の貧困問題がおこっているが若いと可能性や
進路というか生き方にマッチした職業選択の巾は本来、広いハズだと思う。
時代背景や社会情勢の変化に適応しやすいと思うが、ロールモデルとなる親を中心に
身近な大人の生き方の影響が大きいと感じる。伝記などを読んでヒントを発見したり
神話や童話に隠された深い意味を読み取ってほしい。海の海面だけ見て理解することは
出来ない。海底や海中を知るみたいにネットの海に浮かんでいる情報の深い意味を
知る洞察力は、私も浅く広くしか無いが21世紀を生きる若者にはインターネットが
使える。20世紀と格段に良い情報を掘り当てることも可能だと思う。
『いまを生きる』は、ハッピーエンドではなかった。若ければ長い人生の中に良い時期も
あると思う。時間が解決する事もある。大変な時期であっても、いまを、やり過ごしたり
乗り越えたり社会情勢を見て社会が変化がチャンスになるタイミングを待つなどして
若い人に活躍してほしいと願う。



2015年 8月 8日

『サミー南へ行く』(1964年)アレクサンダー・マッケンドリック
監督作品を観た。
ポートサイドでスエズ運河の権利でイギリスとエジプト
の間に戦争が起こりそうになっていた。イギリス人達は引き上げ
はじめてていた。10歳の少年サミーは、南アフリカでホテルを
経営している両親のジェーン叔母さんにあずけられる予定になっていた。
サミーが屋敷の近くに遊びに出ていたテイミングで屋敷が爆撃されて
一度に両親を亡くす。現地の住民や駐留していた軍隊の保護の手が
届かない状態だ。両親の死を悲しむ間もなくサミーは、方位磁石だけ
でジェーン叔母さんの住んでいる南アフリカを目指す。
気のみ着のままで少しのお金で移動していく。
サミーは、ついに砂漠で寝こんでしまう。その時に三頭のロバを連れて
通ったシリア人に助けられてルクソーという町に向う。途中で野宿する
為にシリア人はパンを焼こうとする。パンを焼こうと石を積んで釜戸に
して火を燃やすと石が爆発しシリア人の顔に当たって死んでしまう。
ぬれた石が熱せられて水蒸気になり爆発したみたいだ。
移動するのにお金が必要だと知ったサミーは、亡くなったシリア人の
サイフを貰って1人で更に南を目指す。サミーは、砂漠で再びたおれる。
そこに通りかかった離婚したばかりのアメリカ人資産家のグロリアが
自分の養子にしたいと思ってか新しい服や靴を買い与えて汽車でサミー
の目的地と違う所に連れていこうとする。サミーは会話に気づいたり
方位磁石で嘘に気が付いたりしてシリア人のサイフを取り返し目的地に
向かう。ダイヤモンドを採掘しているコッキーという老人と出会う。
老人は、妻に先立たれ子供もいない。サミーにライフルの撃ち方を
教えたりして過ごす。猛獣に襲われそうになりサミーがライフルで
撃って命を救われる。猛獣は毛皮にされる。白人の少年が1人で
危険なアフリカ大陸を横断する旅をしているため捜索されジェーン
叔母さんが発見の知らせを受けるが目的地まで自分の力で到着する
ように見守る。ホテルにはサミー少年の猛獣の毛皮がある。
コッキー老人はサミーを自分の遺産相続人にしてハッピーエンド
で終わる。ディケンズの「大いなる遺産」っぽい雰囲気を少し感じた。
この映画はアパルトヘイトの時代でイギリスが植民地を沢山持って
いた時代だ。戦争に巻き込まれて両親を失っても悲しむ描写が殆ど
無いのは、悲しむ余裕が無いという極限状態で数年してサミー少年は
悲しさや悲しみを感じそうだと感じた。
この映画が出来て50年以上が経過してISILというテロリストがシリアで
戦闘している。国と国の戦争と違い軍服で敵・味方や非戦闘員の識別が
出来ない地域での治安維持などの活動は、ジャングルの中でのゲリラ
と戦うよりも大変だと予想できる。ジュネーヴ条約などの国際条約を
守らずに独自の宗教感で天国に行くために死ぬ事が目的の相手と生き
残り帰国して家族のために戦うのは想像の範囲を超えて恐ろしい。
誰もが安心して生きられ死を望まずに暮らせる世界の構造が出来上がり
平和な状態になることを願うしかない。90年代にドロンズや猿岩石が
世界旅行をやっていた。そんな時期だけ世界は今より安全で平和だった
みたいで懐かしく感じる。武力を使った戦争でなく経済戦争でも兵糧攻め
みたい状況が作られて人が死んでしまうかも知れない。アフリカ大陸を
子供が1人で横断する映画は、悲惨な第二次世界大戦の後に作られたこと
もあり悲惨さを願望と子供が冒険することで未来への希望を込めている
のかも知れないと感じた。



2015年 7月19日

『マイレージ、マイライフ』(2009年)ジェイソン・ライトマン監督作品を観た。
マイレージは、飛行機などのポイントのことなので明るい内容かと期待したら
人員削減(リストラ)の為に解雇を宣告するためにライアン・ビンガムが出張する
仕事の話だった。「帝国を築いた成功者も君と同じ経験をし苦境をバネにした」
「新しい職につくチャンス」「あなたの職は不要になりました」と「資料の中に
答えはあります」という決まり文句で対応している。モチベーション理論の
講演依頼を受けて巨大企業に大規模なリストラの方法を教えたりしているようだ。
年間に300日を越える出張をしている。出張先でアレックスという女性と知り合い
ソフトな関係のガールフレンドが出来る。ライアンの姉カーラに3週間後に結婚する
妹のジュリーが結婚するけど新婚旅行に行けないからフランス映画の「アメリ」
みたいに写真のパネルを使って観光地の名所で写真を撮ってくるように頼まれる
描写があった。ネブラスカ州のオマハに会社があり全米の企業からリストラの
業務委託を受けている。リーマンショックと同時期に公開された映画だと思うと
リアルな感じがする。解雇を直接に会って言い渡すために飛行機で全米を飛び
まわっいてる。その仕事をインターネットのテレビ電話で言い渡す合理化を提案
した大学を出たばかりの女性ナタリーとコンビを組んで仕事をしてネットの通信で
合理化が可能か実験もはじめる。家庭を持たず飛行機が家だと思い1000万マイルを
貯めて飛行機に自分の名前を残すことが目標だ。ライアンがナタリーに
「ビロードのうさぎ」という絵本を読んだことはあるか聞きナタリーが読んだことが
あると答える。子供の本当のともだちになったオモチャが本物になれる。という内容だ。
病気で海辺に引っ越す時に燃やされる。生まれ変わって本物のウサギになり持ち主の
子供と再開する。子供は好きだったオモチャを思い出す。という話の童話だった。
解雇される人の、その後の人生を考えた仕事が出来るか試しに聞いたのかもしれないと
考えた。雑談やコミュニケーション能力が仕事をしていると育ててくれる上司がいて
自然と身につき交渉力や判断力がついてから重要な仕事を任される時代で企業が人材の
スキルアップをするため育てた人を大切にしていた時代が懐かしい。高学歴の場合は
人生経験より学問を優先させすぎることもある。雇用の永続性が無いと仕事のコツを
新人に教えて自分が解雇されるリスクを取るのは難しい時代だと思う。
手に職を付けても職どころか産業が衰退していく時代だ。ライアンの会社も
アウトソーシングで解雇を代行する企業だ。「可愛いい子には旅をさせろ」という
諺があるが「旅と放浪は違う」と2012年の邦画『あなたへ』に出てきたセリフを思い出した。
しばらくしてナタリーの案が採用されて出張して解雇を直接に会って言い渡す人情の
無い方法に業務スタイルを変更しようとする直前にナタリーが解雇を言い渡した女性が
橋から飛び込み自殺をしたと連絡が入る。この女性は、冷静な感じで自殺すると言って
いたので、まさか本当に自殺すると予測できなかったようだ。この映画が作られた後で
リーマンショックが起こり社会情勢がより悪くなった頃を思いだした。
それが影響してなのかナタリーはメールで退職を知らせて別の会社に転職する。
ライアンの上司は、ナタリーがメールで退職するとは情が無いとグチる。
ライアンは解雇をモニターで行うシステムの発案者ですからと言う。
ライアンは目標のマイレージを貯めてフィンチ機長にも会えて世界で七人目のカードを
受け取る。ライアンはマイレージを新婚の妹夫婦に50万ポイントプレゼントする。
ライアンは講演でバックパックに荷物を入れすぎると身動きが取れなくなるという
例え話をするが地に足の付いたライフスタイルと対極だと感じた。
子供がスポーツ選手に夢中になる理由は、夢を追っているからだという例えも
あった。スポーツ選手は記録で名前を残す。ライアンはマイレージで記録を残し夢を
達成した。私は、スポーツには宗教やイデオロギーに左右されない普遍的で変わらない
ルールがあるから安心して見られる部分が好まれる部分があるからだと考えている。
バックパッカーみたいな人生は、「男はつらいよ」の寅さんみたいに帰る家と迎える
家族がなければ出来ない。1人だけでは不安で良い夢を見られないと思う。孤独な気分
のときにライアンがガールフレンドのアレックスの家を訪ねると結婚して家族がいた。
主人公のライアンにも姉や妹がいるが仕事で何か形になる物を残したり人に仕事の
内容を話せるものでないからマイレージを貯めることを生きがいにしているみたいだ
った。飛行機を使ったロードムービーみたい流れで解雇請負という重い仕事をソフト
に見せているが映画が公開されてから6年経ったが世界規模で景気は回復していない
みたいだ。妹の結婚式でマリッジブルーになった男性を立ち直らせて結婚式を成功
させる所とナタリーの転職の推薦状がパッピーエンドっぽい感じだった。
若く元気な時は、営業で外回りしたり遠くに出張することを楽しめると思うかも知れない
が老後は大地に根を張ったライフスタイルを目標にしたいのが人情だと私は考えた。
この映画を観終わるとアメリカ軍が4万人をリストラするニュースが流れていた。
「灰色の長い線」みたいな軍曹や「素晴らしき哉、人生」みたいに同じ場所に居続ける
のも良いライフスタイルだと思う。ビジネスは継続可能でないと信用出来ない。航空会社
のマイレージも航空会社が倒産しないで営業を続けないと消えてしまう。
船舶や鉄道だって同じだと思う。ハリーポッターがはじまった時は、イギリスの鉄道は
国営だったが終わりの方では民営化されていた。この映画が出来た頃にLCC(ローコストキャリア)
と呼ばれる航空会社が登場しはじめた。芸能やスポーツも企業が宣伝の費用を削減して
スポンサーが集まらず格差が拡大して職業として成立するのが難しくなっていると感じて
いるのは私だけだろうか?これからも産業構造と社会システムの変化があり価値観が変わって
いくと思う。しかし、どう変化するのか予測できない。どうなるか興味深いと感じてはいる。



2015年 7月07日

『トゥモローランド』(2015年)ブラッド・バード監督作品を観た。
ケイシー・ニュートンという少女がかつてのアポロ計画に使用された
ケープカナベラル基地のロケット発射台の解体工事をカメラ付きドローン
を使って妨害した事で留置場から釈放される時にTのピンバッチを手に
入れる。小さな事から未来を変えようとする力が必要とされたらしい。
バッチはイメージを直接、脳に送り込むバッチらしい。1面が麦畑で
ネバーエンディングストーリーの象牙の塔みたいな未来都市を体感する。
バイクは警察に押収され自転車でバッチを触ってパラレルワールドの都市
の場所に到着する。そしてバッチの秘密を調べるためにインターネットで
調べた宇宙をイメージしたヴィンテージショップにバスに乗って行く。
アテナという少女と出会いバッチの謎を知っているフランク・ウォーカーと
いう男の家を訪問する。
フランクは少年時代にニューヨーク世界博覧会という万博にロケッティア
みたいな背中に飛行バックを背負って空を飛ぶ発明品を発明コンテストに
出品しようとして断られるがピンバッチを手にして竹宮恵子のアニメ
「地球へ」の場面みたいに遊園地の乗り物で異次元に運ばれる。
そして異次元で発明をしていたが作ってはならない物を発明して追放されて
古い家に引きこもっている。タキオン粒子という光より早い粒子で未来を
見ることが出来るというSFが流行った事があった。
「猿の惑星」では光速を超えてタイムトラベルして過去に戻るという設定
があり懐かしい。世界中の環境破壊や異常気象に多発するテロの情報を学校
で習っても解決策の話は出てこない。近未来に起こる悪い情報をタキオンを
受信して映像化する装置の影響で悪い方に向かう確立が高まることに気づき
装置を破壊する。オオカミが二匹いて一匹は明るい希望と夢・もう一匹は
暗い破滅と絶望で、どっちか一匹に餌を与えるという例え話が出てくる。
炭鉱の木からカナリヤが落ちても誰も見ない。
タイタニックに氷山があると教えると速度を上げて突っ込んでいくみたいだ
とも行っていた。
フランクが万博でホランドのヘリコプターの特許が拒絶されたみたい理由で
断られていたけど実験で死亡したり大怪我しそうで無傷なのは不思議だった。
ヘリコプターの特許が通ると潜水艦を発明する前にホランドが実験で死亡して
歴史が変わっていたかも知れないと空想してしまう。潜水艦の浮力を海水に
合わせて作り塩分の無い川で実験して溺れた逸話があるからだ。
映画の異次元世界の中に透明な円柱の空中に何段かに浮かんび空間がるプールが
登場して造形として面白いと感じた。
エッフェル塔まで空間を移動してカタパルトにしたりするが青焼きのエッフェル塔
の設計図が渋谷に展示されていて見たことがあるので違和感を感じたがフィクション
として二つに分かれて広がりカタパルトになる場面も楽しめた。
1889年のパリ万国博覧会にエジソン・テスラ・ジュールベルヌ・エッフェルの
蝋人形があっり秘密結社プルス・ウルトラという秘密結社が作られた設定たが
ジョージ・ウェスティングハウスやリュミエール兄弟やジョン・フィリップ・ホランドの
発明も近い時代だと思う。人類に夢や希望を与えても発明家は現実主義な視点がないと
発明を実現・実用化させるのが難しい。
(『K-20 怪人二十面相・伝』に登場したテスラ装置のビルを連想した。)
異次元を再建するためにアテナに変わり沢山のリクルーターが未来のためにピンバッチ
を渡す相手を選ぶ基準が「夢」のある人というラストだったが選民思想的に解釈され
そうで私個人としては、ハッピーエンドというより課題を残したトゥルーエンドだと
感じた。ネバーエンディングストーリーみたいな弱い少年でなく危険な実験でも無事な
人間なのかと選ばれる人間のハードルの高さを感じてしまったみたいだ。
複雑で変化の激しい現代を生きる人類への課題を解決するのは若く健康で夢の
ある世代ですよという終わり方だと感じた。私はジュール・ヴェルヌの「20世紀の
パリ」というデストピアを舞台にした小説を読んだので科学は薬みたいに作用と副作用
があると感じている。円錐形の墓場に倒れる主人公が自分とダブった小説だった。
この映画のバッチみたいアイデアは昔に脳に映像を送る装置は『バットマン・フォーエヴァー』
で脳波コントロール装置「BOX」としてリドラーが使っていた。スターウォーズに登場した
ハン・ソロのカーボン冷凍されたみたいなレリーフが異次元の都市で爆弾を使う時に
一瞬だが写っていた。内容がコメディーだと楽しめるネタだが世界が58日で滅亡
するというディズニー映画としては、珍しく重たい話なので楽しいと感じるられるのは
観客1人1人で異なるかも知れない。昔に読んだディズニーの伝記に赤十字のボラン
ティアで第一次世界大戦に参加してトラックのシャフトが折れたという話があった
ような曖昧な記憶が思い出されて「武器よさらば」のストーリーを思い出したり
一本の映画だけど様々な要素が入っていて複雑な印象がした。子供は恐れを知らない。
夢だけでは発明は難しいだろうし夢を実現してたら祭りの後の寂しさみたいものを
感じたり後片付けもしないといけない。発明者が考えていた使い方や目的と異なる
使われ方をされることもある。この作品も時間を立場や境遇や社会構造が変わって
別の時代に鑑賞することが出来れば別の発見ができるかも知れない。
子供達がどんな観想を持ったか興味深い。



2015年 7月05日

『HERO』(2007年)鈴木雅之 監督作品を観た。木村拓哉が主演していて
検察官の役で検事が事件の捜査までチームで行うストーリーだった。
裁判所の入り口にテーミス像(天秤と剣を持って目隠ししている女神像)が
霞ヶ関の東京地裁では弁護士会館側の入り口正面の突き当たりに設置されて
いるがロケに用意された場所は別の場所みたいだった。
傷害致死事件の犯人のアリバイと代議士・花岡練三郎の贈収賄事件で歯科
クリニックのビルで見たという警備員の証言が偽証である事を傷害致死事件
の犯人だと証明するために「男魂」と書かれたワゴンが韓国の釜山に廃車
されず輸出された事を知り韓国の検察の協力で発見して港から引き上げたり
放火現場のヤジ馬の写真から犯人を捜したりヤジ馬の携帯電話から犯人が
写りこんでいないか探す。画像データを持っていたのが自転車のサドルに
連続放火して捕まっていた郷田秀次 役の古田 新太が持っていた。
私のイメージは国家賠償で国の弁護を担当する【訟務検事】をイメージして
しまう。「踊る大捜査線」みたいエンタテーメント性の強いのが好きだ。
袴田事件で被疑者の意識が明確でない状態で「検事調書」の意味が解らない
状態で冤罪になってしまった「BOX 袴田事件」を連想してしまう。
検察官記章(秋霜烈日・しゅうそうれつじつ)はカラフルで目立つ。
判事(裁判官)や裁判所の書記官などは八咫(やた)の鏡の中心に「裁」の
文字が入っているが法廷では黒色の法服を着用しているのでバッチを
見る機会は少ない。政治家の汚職がらみで指揮権発動が出たりしているが
踊る大捜査線みたいな迫力は無かった。推理物みたいな映画だった。
2007年と2015年では監視カメラの普及のケタが違い。『HERO』2015年版
は、予告編から大使館を捜査するみたいだ。北野武監督のアウトレイジで
大使館をカジノにする場面があり数年したら本当にカジノで摘発された
大使館の外交官がいて小さく報道されていてフィクションの世界が現実に
起こり驚いた。「アマルフィ 女神の報酬」「アンダルシア 女神の報復」
という外交官が活躍する映画もあったので観客は、比較しそうだ。
現実が映画よりビックリする時期に、どんな作品が公開
されるか興味深いと思う。鈴木雅之 監督のプリンセス トヨトミ(2011年)
は数年前に見て感想を書いているのでプリンセス トヨトミみたいに楽しめる
作品を期待している。



2015年 7月04日

『北国の帝王』(1973年)ロバート・アルドリッチ 監督作品を観た。
1930年代の世界恐慌のアメリカで失業者達が着の身着のままで汽車に
無賃乗車して放浪する者がいる時代で19号列車の車掌は、無賃乗車を
発見すると容赦なく殺して転落事故として汽車から落としていた。
その汽車に乗って無事に目的地に無賃乗車する仕事や職を求めている
より無賃乗車のスリルを求めているような若者まで現れて成功すると
北国の帝王と呼ばれるようになるという話だった。
車掌のシャックを演じていたアーネスト・ボーグナインの表情が
印象的だった。時代設定の1930年から40年が経過し1973年に公開された
映画だけど21世紀になり15年が経過した。それでも海難事故で船が
転覆したり飛行機の車輪の収納庫に亡命や不正入国のために人が入って
いたというニュースを思い出してしまった。映画の終わり方には
パッピーエンド・トゥルーエンド・バットエンドや「to be continued」
があるが世界情勢と作品の登場人物の境遇と鑑賞者の主観で変わる。
バットエンドの場合は、問題提起と希望がみえるような方向性を加えて
ほしいと願う。映画を製作する側にとって政治家に政策の目的や結果を
明確に示すように野党に答弁するみたいに大変に感じる時代みたいだ。
平穏な日常が続くという見通しがある状態でないとバイオレンスな描写
を、楽しむには難しいのかも知れない。地震が多いとジエットコースター
に乗りたいとは思えない気分になりそうだ。その為なのか北国の帝王は
アクションはスゴいけど素直に楽しめなかった。飛べ!フェニックスや
ロンゲスト・ヤードは、見た時期が良かったのか普通に鑑賞できたと思う。

 第二次世界大戦の時に007シリーズのテレンス・ヤング監督が負傷し入院
して、そこで看護婦をしていたオードリー・ヘプバーンに看護されてたと
いうエピソードを最近になって知った。「暗くなるまで待って」という
映画を見たときは知らなかった。オードリー・ヘプバーンは視力障害者の
役だった。病気で余命がない少年の為に父親が動物園からオオカミを連れて
くる「クリスマス・ツリー」 (1969)も昔に見た。貧しくても経済成長と終身
雇用に福祉国家に向かっていた時代の日本では、イギリス・フランス・アメリカ
といった外国は、憧れの世界に見えた。しかし豊かさについて価値観が変化して
いる21世紀になり15年経って考えなければならないように感じている。
「健康だけがとりえ」だとか「水と空気と安全はタダ」と笑って言えた日本が
懐かしいと感じているのは私だけなのだろうか? しかし時間は後戻りが
出来ない。先に向かって進むしかない。私が考えると良い方向をイメージできない。
世界の情勢が安定したら先行きが見えるとは思うが・・・あと何年・何十年かかる
のかも予想できない。大自然の中で農業をやっていると綺麗で安全な空気があると
イメージしてもアフリカで子供が農薬で死亡したニュースがあった。有害物質は
人口密集地より人口の少ない所に集められる。人口が密集すると緑がほとんど
無くなり輸送や移動のため大気汚染が深刻化する。海は船の排気ガスが自動車より
健康に悪い。
こんな時は、過去を懐かしめる映画や近未来ではなく遥か先の未来や異次元に
異世界を舞台にした現実離れした作品を見て現実を忘れるのが良いのかも
知れないがニュースが現実離れしている昨今なので現実を思い出してしまう
かも知れない。この先、明治維新や第二次世界大戦の後よりも価値観の変化が
起こるとしたら映画やドラマでも時代に合わせないと受け入れられないと思える。
産業構造の変化が早くなり雇用スタイルが変わり家族のありかたも変わっている
感じがする。



2015年 6月21日

『そうかもしれない』(2005年)保坂延彦監督作品を観た。私小説
や詩を書いて定年後の晩年を、穏やかに暮らしている夫婦。子供は
いない。そんな日常から妻が認知症になり夫は、口の中に異物感を
感じるようになる。終わりでは夫が癌で亡くなり認知症の妻は、長年
連れ添った夫だと理解できず「そうかもしれない」と言う。
肉体の死と、過去の記憶を失うという精神と言うか心の死・・・
悲しむには、思い出となる記憶が失われる病気・・・実際には、記憶
が映画みたいに消えるまで何年もかかるような気がするが症状は病気
で異なる。映画で病名までの描写は無かった。10年前の映画で医療
や介護の制度も変わっている。原作は1988年で私は読んでいないので
憶測しか出来ないが時代設定して映画の公開時期に合わせていると
思われる。1988年ならバブルの時期だった。医療や介護に不安がなく
グリーンピアが赤字で売却されることになると考えも付かない時代だった。
長い人生には、良い思い出や辛い経験があると思う。ADL・QOL
QOD(クォリティー・オブ・ディス)という用語が出来た事を最近知った。
人生が終わりに近づき夫の死を知らされる時に認知症で悲しまないで
済むのは、寂しいけど苦悩からは解放される1つの形かも知れない。
また人生を思い出しながら悔いのない人生だと感じられる終わりの
どちらが良いのか問いかけている映画だと考えさせられた。
高齢化して親や兄弟という自分の、「生い立ち」を知る人達との別れ
を経験すると自分史を出版したいと考える人がいるが、この映画の場合
は、私小説を書いているから生きた証は、活字として残している。
これからの時代を生きる若い世代は、お爺さん・お婆さんの充実した
人生を見せて未来への夢や目標と希望を見せられる社会システムが
出来ることを望みたい。高齢者が安心して生きて充実した最後だと
感じられないと孫の世代で不安になり次の世代を産み育てることにを
危惧してしまう。人口が減少してしまう要因にもなると考えさせられる。
「人生の99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せだとしたら、その人の
人生は幸せなものに替わるでしょう。」とマザーテレサは言葉を残した。
QODについても安心できる社会構造の必要性を感じて考えさせられた。



2015年 6月 6日

『わたし出すわ』(2009年)森田芳光監督作品を観た。北海道の
函館に山吹摩耶が東京から戻ってくる。同級生と再会して同級生
の夢を達成するお金を出す。世界の路面電車に乗りたいという
同級生・マラソン選手の海外での医療費・箱庭協会の会長など。
それぞれ夢を達成するが摩耶が大金を持っているのは株の取引なのか
も知れないと思わせる描写があるが良くわからない。
映画が始まり引越し業者に10万円の心づけを私てラストで
東京に戻る時に所長に出世して引越し代をサービスしてもらって
終わる。金の延べ棒を渡した同級生が事件に巻き込まれて千歳で
殺されたりする話や母親が特殊な医療施設に入っていたりするが
主人公の背景は、観客が想像するように作られていた。
魚の研究のエピソードに引き込まれた。
路面電車に北海道新聞の広告があり札幌の路面電車かと思ったら
函館だった。海炭市叙景とは同じ函館をロケ地にしているが違って
見えた。2008年のリーマンショックから1年たって日本にも影響が
あった時代に公開された作品だった。マラソン選手の話では人生で
躓いても必要な時に必要なお金があれば立ち直ることが出来ることも
あるという感じがした。お金も医薬品みたいに用量と用法がしっかりと
マッチしていないと副作用があるとも思えた。崖から落ちたらお金では
どうにもならないかも知れないと考えてしまったが見る人で感じ方が
変わるのも表現方法として面白いと思えた。



2015年 5月31日

『学校II』(1996年)山田洋次監督作品を観た。学校はシリーズになっていて
夜間中学校や職業訓練校と千年杉を観にヒッチハイクの旅をしていた作品は
記憶に残っていたが高等養護学校を舞台にした「学校U」は熱気球の場面が
「聖者の行進」というテレビドラマと、ごちゃ混ぜになって記憶に残っていた。
1996年から20年近くが経過したが国立大学を出た健康な若者が自分の居場所を
みつけられないで中東の過激派のISに参加しようとして止められたりして
日本国内はグローバル化による経済戦争でブラック企業という言葉までてきた。
中東では武力による紛争が続いている。昨年は、「飢餓海峡」を観たあとで
韓国のセウォル号の事故があった。今年は、「集団的自衛権行使の容認」が
閣議決定され国会で審議されるらしい。内容は良く解らない。解らないから怖い。
このタイミングで「灰色のバスがやってきた」という(ナチス・ドイツの隠された
障害者「安楽死」措置)というフランツ・ルッイウスの本を読んだ後に『学校U』を
観てしまったので色眼鏡で見てしまうというべきか感想にバイアスがかかって
しまったみたいだ。誰もが安心して生きられる国を作りたくても世界情勢によって
日本の国内情勢も影響される時代のようだ。地理的に遠くの国の紛争であっても
対岸の火事と他人事として日本に影響がない気にしないではいられない時代に
なったみたいだ。1998年は世界人権宣言から50周年で21世紀は人権の世紀になると
希望を抱いていたが2015年に観ると『格差』が健康や生命にまで及んでいるみたいだ。
政治家や官僚には、難しい時期だけど、なんとか良い方向を見つけてほしい。
映画『学校II』は、北海道の滝川市〜旭川市周辺が舞台だ。松尾ジンギスカンと
コンクリートとタマネギが特産品だった滝川市のイベントに熱気球が加わったみたいだ。
墜落した場合に雪原がクッションになって空をゆっくり飛ぶのに適しているのかも
知れない。「エクレールお菓子放浪記」のラストで何故、砂川市にお菓子の店を
作ったのか不思議だったが滝川市や岩見沢市の周辺には石炭の炭鉱があり肉体労働
をすると甘い食べ物を食べたくなる人が多いからかも知れないという気がしている。
生産性を効率化と過密労働でコストパフォーマンスを高めてアジアや第三世界と
競争するのにも限界がありそうだ。テレビで報道されるニュースを漠然とみている
私ですらファブレス(自社工場を持たない)ビジネスや外国人実習生を受け入れるなどで
雇う側も日本で働く側もかなり過酷な状態みたいに感じる。『学校U』を今になって
観ると重い内容に感じた。映画「学校」が作られた時代は、将来への希望と見通しが
感じられる時代だった。雑誌の編集で「見晴らしのよい」紙面作りをしていると聞いた
が映画は、雑誌より完成に時間がかかる。完成から公開時期まで短くて半年は、かかる
みたいだ。さらに何十年後にも観られるから普遍性も必要だと思う。
何年後には、映画を観て昔は大変だった。と言える状態に落ち着いてほしい。
なぜか最近の、お年寄りから『昔は大変だった。』という言葉が聞けなくなった
ような気がするのは「今も大変」ということなのかも知れないと感じている。



2015年 5月17日

『レオン』(1994年)リュック・ベッソン監督作品を観た。
ニューヨークのイタリア系マフィアから仕事を貰っているイタリア系移民の
レオンの部屋の隣に住んでいるマチルダという少女の鼻から血が出た後が
あるのでハンカチを渡す。実の父親ジョセフからの暴力・義母のマージの
ネグレト・義姉のジョアンからのいじめ・まだ4歳の弟マイケルにだけ
心を開く日々を過ごしていた。ステップ家族状態だ。父ジョセフが麻薬密売
組織の麻薬の1割を横領したとスタンスフィールド達に家族を全員射殺され
るがマチルダは、隣に住んでいるレオンの買い物でパックの牛乳を持って
部屋に戻ると家族全員が殺されている。身の危険を感じてレオンの部屋に
入れてもらい難を逃れる。マシンガンの銃弾の後が凄まじい。殺された弟の
復讐だけはしたいとレオンが殺し屋だと知って頼むがスタンスフィールドが
麻薬取締局の捜査官で犯人が銃で抵抗したから射殺したと捏造した報告を
して取引きにも関わっている事を知る。観葉植物の鉢植えを抱えて仕事を
するレオン。マチルダは大地に根を張らせるほうが良いという。
マチルダは、レオンが読み書きできないので仕事を手伝い殺し屋の仕事を覚える。
そしてマチルダはピザのデリバリーを装い麻薬取締局に侵入しスタンス
フィールドに復讐しようとするが捕まって拘束される。(麻薬取締局の中だが
逮捕ではない)レオンは麻薬取締局に乗り込んでマチルダを取り返す。
麻薬取締局の職員を沢山、撃つ。スタンスフィールドはイタリア系の店で
レオンやアパートの情報を集めて警官隊を動員して突入して銃撃戦になる。
催涙ガスを使った時にレオンは、ガスマスクで負傷した警官に成りすまして
スタンスフィールドと戦いレオンは瀕死になり手榴弾のピンをスタンスフィールドに
渡して道連れにする。残されたマチルダは、トニーに殺し屋をさせて欲しいと
頼み断られる。そして寄宿舎学校に行き両親は交通事故で死んだというが
本当の事を言うように求められる。そして両親は、殺されたと言う。
ラストでレオンの形見になった植物を校庭の土に植える。危険な仕事をして
いても家族を作ったマチルダの親と独りで生きたレオンは対照的だ。
アニメのルパン3世で大勢の警官に囲まれると警官に変装して脱出する
アイデアをガスマスクで上手く使っていた。
この映画が作られた1994年は、テロや自然災害に不慮の事故が多発する
世界情勢ではなかったので単純にフィクションとして面白く楽しめた。
インターネットの普及で世界中で起こっていることを知る機会が増えたことで
事件や事故や災害のニュースを知ることが出来るため身近な現実として感じる
ようになったのかもしれない。win95からインターネットは普及した。
この映画が作られて20年以上が経って現在の世界情勢で見直すと
ストーリーは面白く完成度も高いがニュースを思い出して複雑な気持ちに
なる。フィクションは「起こりそうだけど、現実としては起こらない。」と
いう安定した日常が土台にあって平凡な日常が続く状態だから刺激になり
楽しめるのかも知れない。リュック・ベッソンはTAXiの製作や2008年の
リーマンショック以降は気軽に楽しめて愉快な作品を作るようにしていると何処か
に書かれていた。時代や世界情勢によって観客が求める映画も変わるということを
解って作風を変えているらしい。世界の中で日本の方向性が定まれば作られる
映画も変わるだろうという時期に生きているように感じる。



2015年 5月 1日


『ジョンQ -最後の決断-』(2002年)ニック・カサヴェテス監督作品を観た。
シカゴの郊外で暮らしている3人家族が子供の心臓病で保険制度の問題で
助かる治療の支払いが出来ずに退院させて見殺しにしないために病院に
立てこもり手術を要求するという流れだった。レインメーカーという1997年
のフランシス・フォード・コッポラ監督の映画も医療保険制度の問題を扱って
いた。アメリカは、この時代より保険医療制度が悪くなっているみたいだ。
ジョン・クインシー・アーチボルドが立てこもりマスコミが動機や状況を
改竄しないで報道して多くの知るところになりクライマックスでは自分の
心臓を息子に与える決断をする。映画の最初に交通事故の場面があり後半に
大きく関係してくる。シカゴの救急病院だからシカゴ・ホープというドラマ
みたい名前でホープ記念病院だった。アニメの『キャンディ?キャンディ』に
アーチボルドというキャラクターが、いたなどと頭の中で考えてしまった。
ヒラリー・クリントンがカメオ出演していた。この映画が出来てから10年
でアメリカの医療制度が、もっと悪くなっているみたいだ。その国で命の平等
が守られる方向に向かう事を望んで映画は作られたハズだ。雇用調整で正社員
の勤務時間からパート労働者になってしまう状態へ働ける時間を削られる。
医療保険まで2万ドルの限度額しか出ない2級に変えられている。
クレジットカードの滞納で自動車を差し押さえられている。医療費の支払い
能力が無いかも知れないと病院は現金移植に25万ドルかかり3分の1の
8万5000ドルの保証金が必要だと言われる。友人・知人や教会が医療費の
カンパを募るが2万2000ドルは、払っている。しかし心臓移植を前提に
したドナー待ちリストへ登録も出来ないと言われる。ジョンQは、子供を
助けるために救急治療室に立てこもる。自分の心臓を子供に与える所まで
決心している。犯罪行為をしなければ子供が助かる見込みに全てをかける
父親の姿は大変に尊い、しかし大きすぎる愛は、一生の重荷になりそうな
気もする。しかも直接、返すことが出来ない状態になりそうだ。
そこまでして命が助かったとしても完全な健康体に戻るか解らない。
助かっても重大な障害が残ったら国が生存権を補償してくれるのかも
疑わしい。病院を運営する理事会だって運営資金を調達できるとは
限らない。ホープ記念病院で心臓移植の実績は年間300件だ。
奇跡的に適合した移植用の心臓が届けられ子供は心臓移植を受け
られジョンQは、逮捕されて裁判にかけられる。救急治療室で人質に
された人達は、ジョンQの行動を弁護する。ラストは2年の実刑で
済み移送されるジョンQを非難する人はいなかった。ハッピーエンドで
終わり問題提起を含んだ映画だった。マスコミは民間医療保険の会社が
広告主という状況で立てこもり事件になってから報道として動くという
描写がリアルだった。この映画は2002年の作品だ。それから更に
格差が広がってしまったと2015年に見て感じる。
70年代や80年代なら豊かなアメリカの住民から病院への寄付が
集まったのかも知れない。その時代に寄付を出来た裕福な層や
中間層が貧困層に転落してしまい寄付が出来る経済力の無い人が
増えたみたいだ。ロックフェラーの伝記で世界恐慌の時代に自分が
通う教会が資金難で維持できなくなり信者に寄付を呼びかけるが
不況で寄付が集まらない時代みたいだ。寄付を集めるより自分が
直接ビジネスで稼いだ方が、お金を作れると判断し実行したという
伝記番組を20年程前に見た。その後、ロックフェラーが世界中の
富を集めた。その後に戦争があり平和の時代に社会保障は充実し
はじめた。「命だけは平等」であるべきだと思想や信仰を超えて
世界の普遍的な価値観であってほしい。この一線を越えて特権で
生き延びた人は心に罪悪感が残ると私は思う。
生きられなかった人の家族や友人・知人は力になれなかった無力感を
感じるハズだ。特に、人の痛みが解り患者に寄り添うような
パッチアダムスみたいな医療スタップは、この民間の医療保険の
システムに理不尽さと怒りを感じ絶望してしまうかも知れない。
この映画を観ているこの瞬間も、世界中で地震・津波・放射能・
大気汚染などで亡くなったり医療システムが機能せず生存を断念
しないといけない人が何万人もいる。「天災の後にやってくる
のは人災である」と「台風騒動記」のテロップを思い出す事が多い。
グローバル企業がタックスベブンで税金まで経費を節約して
低価格競争が起こる時代なのでグローバルタックスを世界規模で
検討するという案も目にする。
映画で観るフィクションより現実のニュースが大きいと感じる時代
みたいだ。犯罪の背景に社会情勢がある映画は、問題提起の役割を
果たしてきたと思う。そして、より良い方向に向かう様に導いてくれた。
しかしオー・ヘンリーやビクトル・ユーゴの時代まで後退したみたい
に感じる事件のニュースを目にする。いつの間にか日本でも生命保険
より医療保険の宣伝が多くなった気がする。世界情勢が、この先より
良い方向に向かってくれる事を願う。



2015年 4月26日

『長い灰色の線』(1955年)ジョン・フォード監督作品を観た。
士官学校で鬼軍曹にシゴかれる場面の元になった作品かも知れない。
アイルランドから1903年に移民したマーティはウェスト・ポイントの
給仕の仕事に就くが皿を割って3ヵ月でクビになってしまう。
マーティーは軍隊に入りアメリカに落ち着く。体育主任ハーマン・
キーラー大尉に陸軍士官学校の教官として働けるようにしてもらう。
キーラー大尉の家で女中をしていた同郷のメアリー・オドンネルと
結婚する。マーティーは夫婦でアイルランドに帰ろうと考えていたが
父と弟をアイルランドから呼び寄せた。運動は抜群だが成績が悪い
レッド・サンドストロムにはキティ・カーター先生に座学でも成績を
取ってラグビーだっかと思うが試合に出られるように手助けする。
マーティーの弟がニューヨークで成功して一緒に事業をしないかと
誘う事もあったが結婚し赤ん坊を授かるとウェスト・ポイントに入れ
たいと断る。しかし赤ん坊は、すぐに亡くなってしまう。
(昔は乳幼児の死亡率が高かった。)ウェスト・ポイントからは、のちに
合衆国の大統領になる人材が卒業していく。その後に第一次大戦が
起こる。座学が苦手だったレッドは優秀な成績で卒業する。
レッドはキティと結婚した後で出征するが戦死しする。キティーは
レッドの子供であるレッドJRを抱えて未亡人になってしまう。
子供のいないマーティ夫妻が教え子レッドの子供の成長を助ける。
レッドJRはウェスト・ポイントに入学し卒業間際に女性と結婚するが
するが親に反対され離婚してしまう。そしてウェスト・ポイントを
自主退学してしまう。そして第二次世界大戦で一兵卒になり戦う。
マーティーの妻メアリーは戦争が終わった後に生涯を終えた。
マーティは、1人になったが若い士官候補生だちが慕ってくれて
マーティも彼らを自分の子供のように大切にしていた。
マーティの話を聞いた大統領はドットソン中将に善処するように
指示しマーティがウェスト・ポイントに帰るとウェスト・ポイント
全員でマーティのためにパレードしてくれる。ここで映画は終わり
マーティの老後は、描かれていない。50年間、国に尽くした
老軍曹になったマーティーの半生を描いた映画だった。私は深く
考えてしまうので幸福な老後を過ごし穏やかに生涯を終えて
ほしいと願って映画を観終えた。
50年間も軍曹として働いたマーティ・マーの半生をタイロン・
パワーが演じている。軍隊に落ち着き日本でいう定年退職みたい
な辞令が出て家族と士官学校の教官として勤勉に働いき続ける姿が
良い。ウェスト・ポイント陸軍士官学校の制服は南北戦争の時代
から変わっていないと言われる程に灰色で古い形だ。
伝統を維持しているらしい。第一次世界大戦・第二次世界大戦と
いう激動の時代をウェスト・ポイントで過ごしたマーティーは
教え子の戦死なども経験していると予測できる。士官学校という
厳しい規則のなかでは日常生活の変化は少ないのかも知れないと
感じた。
もともと健康で頭が良くてスポーツが出来ないと士官学校に入れない。
持久力があり状況に応じて変化に自然に対応できる人が選ばれて
いるから伝統が守られている部分もあると思う。
日本では2020年のオリンピックの影響で、外国から仕事で滞在
したり移住を希望する人を受け入れていくようになるかも知れない。
この映画を観て、しっかりと雇用され勤勉に働けば老後も報われる
仕組みを確立しないといけないと感じた。アメリカで1890年代に
あったらしい移民問題をテーマにした「天国の門」という映画も
観たので大変に難しい問題だと感じた。



2015年 4月12日

『SHORT PEACE』(2013年)
森本晃司(オープニング)
大友克洋(火要鎮)
森田修平(九十九)
安藤裕章(GAMBO)
カトキハジメ(武器よさらば)の4人の監督作品だ。
アニメ映画になっているオムニバス形式の作品を観た。
「九十九」は、山の中で雨になり祠で雨宿りに入った
男が破れて捨てられた唐傘の化け物と遭遇するが傘を
貼り修理する。次に着物の反物の化け物が「私きれい?」
と現れる。柄が「流行(はやり)廃(すたれ)れて箪笥の
肥やし」になった事を嘆いている。男は上等の絹だと
生地を縫い合わせてリメイクする。見返り美人みたいに
ふすまの絵が変わる。次の場面では使い古されて修理
できないガラクタが現れる。獅子みたい妖怪だ。
「これまで人の役に立ってくれてありがとう」と拝む
と成仏する。『ちょいと拝借』と手際よく傘や反物を
修理する男の手際が見ていて飽きない。通販番組の掃除
の実演みたいノリだ。朝になり祠に三度笠(さんどがさ)
・股旅のマント・唐傘が置かれている。男は、これらを
身に着けて旅を続ける。
「火要鎮」(ひのようじん)は、落語の火事息子(かじ
むすこ)みたいに身体に刺青を入れ火消しになった息子を
父親が店の仕事を継いで帳場に立てないと勘当してしまう
話と八百屋お七(やおやおしち)が合わさったような話の
流れだけど火事の原因は、行灯に火が燃え移ったので事故に
よる火事になっていた。女性が土蔵の窓だけど高い所に
逃げてしまうことで八百屋お七みたい感じを出していた。
『GAMBO』(がんぼ)は、白クマと赤い鬼が出る村があり
若い少女を生贄に出さないといけないみたいだ。鬼退治に
サムライが協力する。鉄砲隊も鬼を攻撃するが効果がない。
少女は、悲しげに「しかたねえ」とあきらめて畑で白クマ
をみつけて「鬼が来た助けてくれねえか」と言う。
鬼との戦いに白クマが加わる。鉄砲隊も鬼を攻撃する。
白クマが鬼に抱きつき力で肋骨(ろっこつ)が砕けるまで
力を入れて鬼と相打ちになる。
鬼の住処は、墜落したUFOみたいで中に人工授精させた
赤ん坊を生体プラントみたいに培養していた。
「武器よさらば」は、砂漠になった世界に残った高層ビル
がある都市の遺跡を調査する任務を行う部隊の話だった。
装甲車で移動して空を飛ぶドローンで偵察しながら行われて
いるがセンサーに熱源反応があり無人の自立式でプログラム
通りに攻撃する巨大戦車型ドローンとの戦闘になる。
移動中の雑談に「東京ローズ」と言った隊員に意味が解らない
と他の隊員が答える。戦車のドローンの防護は凄くて宇宙服
みたい感じの空調付きパワードスーツを着て飛行タイプのドローン
で攻撃しても効果が少なくパワードスーツが壊れて武装解除して
脱出した隊員だけが非戦闘員と認識されて他の仲間は全滅する。
そしてパンフレットをドローンに渡される。
土嚢袋で戦車を叩くと衣服だけ焼かれ裸にすることで戦闘意欲を
無くされる。だが独りになった隊員が弾頭を抱えて戦車のドローン
に向かっていく。「夢で会いましょう」という曲が雑談の東京ローズ
とマッチしていた。ビルの先には噴火した富士山がみえた。
旅で遭遇する妖怪・火事・地球外生命体・近未来(ドローン兵器の
時代)の戦いと様々な戦いがあった。
時代や空間の異なる戦いを短編のオムニバスで観ることで
人類の歴史を考えさせる出来に関心した。そして地球上で
戦争や紛争が無い時間はあったのだろうか?と思った。
この映画には、人間同士が戦う描写は無い。人間が作ったり行った
ことや災害によって戦いが起こっている。
人は平穏で安定した日常を続けることが出来れば戦いをしない
と思う。世界中の人が安心して生存できないで、しわ寄せになる
国や民族など理不尽な社会制度で生きることが戦争と言える人が
戦いを選ぶこともあるのかも知れない。
未来とか将来に向かって希望を持ち、より良く生きられる
ように競争社会で戦う。この人類の普遍的な幸福追求という
生きる目的ですら2015年の数年前から事件や事故の多発
に自爆テロのニュースが気になって価値観の揺らぎを感じる。
生きることの目標となるロールモデル(行動の規範となる存在
となる、お手本)に向かってレールに乗ったり道(進路)を選んで
人類の文明が造られたと思う。
昔は、人伝や書状で伝わり印刷によって新聞・ラジオ・テレビ
と遠くの事を知るには時間がかかって距離感があった。
その為に情報として報道されず伝わらなかったことがインターネット
の普及によって伝わるようにテクノロジーが発展し気になると
読むことが出来るから増えているように感じてしまうのか解らない。
日本は平和ボケしていると言われていた時代から、これから世界の
中で日本は、どの方向に向かうのか先が見えない。
安心して生きられる方向に向かいたのは人類全てに共通して
いると思うが複雑な道を歩まないと、たどり着けないと
感じる。人類が歴史を歩むなかで安定した時間を過ごして
いる時が平和だけど歴史を振り返ると平和な時は短いのかも
知れない。それでショートピースというタイトルが付いて
いるのかも知れないと考えさせられた。生き残るために戦うと
いう固定概念からズレたストーリーの映画があっても家族や
恋人や友に自分の思いを託すことが目的だったりしていた。
国家や組織に未来を託せる設定もあるだろう。
ただ生きる意志のある人を道連れにする事件のニュースが多い
ような気がする。エンビーの心理(不幸の道連れ)が事件の根底
にあるように感じることが多すぎると情報を受ける人まで
気が付かないうちに生き続けるようという意志が蝕ばまれそう
で恐ろしい。最近は先が見えない時代なので過去を懐かしんだり
問題提起で終わる映画が多いと感じる。難しい時代だからこそ
より良い未来への方向を想像できて希望を感じる映画に出会い
たいと思う。情報が早く沢山入手できるから世界情勢で映画の
製作期間から公開までの時間で観客の価値観まで変わるかも
解らない時代だと思えるので難しく無理な願いと言えるが・・。



2015年 4月 4日

『バグダッド・カフェ』(1987年)パーシー・アドロン監督作品を観た。
この映画が公開された時、日本はバブルで浮かれていた時代だった。
伊丹十三監督の「マルサの女」が公開された年で土地が高騰し一戸建て
どころかマンションなどの不動産に手が届かなくなっていく時代背景が
思いだされる。ニューヨークのビルを日本企業が買ったというニュース
が流れていた。それからバブルが崩壊して現在に至っている。
砂漠の中にトラックの運転手が寄るモーテルとガソリンスタンドに喫茶店
を営む「バグダッド・カフェ」がある。その店にドイツの男性用の民族衣装
を着たヤスミンという旅行者が現れる。そして宿泊を希望する。女主人の
ブレンダは、25ドルをキャツシュかカードで払うか聞く、少し沈黙し
ヤスミンはトラベラーズチエックで払う。ミュンヒグシュテットナーが
苗字みたいだ。ここはグランドホテルでないから荷物は自分で運んでという。
そしてカウンターの窓から見える部屋を指差す。ヤスミンが部屋に入ると
絵が印象的に目に入る。ブレンダには息子夫婦がいて赤ん坊がいる。
息子のサルJrはピアノを弾いてブレンダの手伝いは、あまりしていない様子だ。
娘のフェリスは、あまり言うことを聞かないが、この年頃なら一般的な感じだ。
砂漠なので部屋のクッションの埃を掃うシーンがありブレンダが留守に
している時にヤスミンが事務所を勝手に掃除してしまう。ブレンダは
戻って来て驚く。ヤスミンに元に戻すように言う。ヤスミンは言われた
通りに元に戻す。長く滞在しているとデビーという女刺青師やハリウッドで
映画の背景画を描いていたルーディ達とも馴染み店の手伝いをしたりする。
ヤスミンは、手品が上手く「バグダッド・カフェ」でトラッカー達に見せると
話題になりトラックの無線で大勢の客が集まるようになる。
そんな時に保安官が立ち寄りグリーンカードが無い事とビザの期限切れ
なので帰国するように言う。それから数カ月が経ちヤスミンは「バグダッド・
カフェ」に戻ってくる。ヤスミンが戻って来た事を喜ぶブレンダ達。
ブレンダとヤスミンのマジックショーが人気になる。
そしてヤスミンに絵のモデルを頼んでいたルーディがプロポーズする。
ヤスミンはOKする。ドイツ人でもアメリカ国籍を得られるという所で
ハッピーエンドで終わる。事故やテロのニュースが多いので人が亡く
なったり暴力シーンが無い映画なので気軽に楽しく観られた。
ラスベガス郊外の砂漠の店を中心に地道にコツコツと生活している人達が
いる一方でカジノに向かう人が通り過ぎているのかも知れないと想像した。
ヤスミンが現れた理由は映画に登場しないが、関係ありそうな気がする。
テーマ曲「コーリング・ユー」は、聞き覚えのある曲で、この映画の
ものだったのかと気がついた。この映画が公開された2年後の1989年
11月に「ベルリンの壁」が無くなった。社会の変化を思い出した。



2015年 3月 7日

『小さいおうち』(2014年)山田洋次監督作品を観た。時代は第二次世界大戦の
前の思い出を自分史を書いてと頼まれて筆を取り大学ノートに書くタキという
元女中の回想だった。山形から上京して赤い洋館で女中として働いた思い出と
山の手空襲で田舎に戻って終戦の後で屋敷の様子を見に行った話。
タキは、女中時代から「とんかつ」を作るのが得意で映画の会話で「とんかつ」
作ってやろうか?というセリフが出てくる。
玩具のメーカーの重役の家で美大を出たデザイナー板倉への見合いの話と出征
までの話。そして高齢のタキの死。偶然に知った絵本の作者。
山の手の上流家庭で戦争童話『焼跡の、お菓子の木』みたい雰囲気とタキが
亡くなった後で、板倉正治の記念館から平井恭一に会い開封される手紙など
は、亡くなった祖父を調べていく「永遠の0」みたい流れだけど、直接に戦闘
や戦災に巻き込まれないで戦前から戦中を生き抜いたタキの記憶を回想という
形で静かに見せてくれた映画だった。生涯独身のタキの「長く生き過ぎたわ」
というセリフとスクーターで、おばあちゃんと訪ねてくる大学生の健史(たけし)
タキの大甥(妹の孫、甥の次男)が近くにいて独居だけど孤独でない人生に
見えた。ただ戦争で周囲の人が亡くなった事が一生残る深い傷になっていた。
観賞する側が興味を、持ちやすい戦後の復興期から高度経済成長期を、高齢の
タキが、どう生きてきたかを省略することで観賞する側の想像力を刺激させる。
「長く生き過ぎたわ」とノートを書き終えて泣く場面でタキの姿の印象が重く残る。
部屋に飾られた赤い屋根の洋館の絵とかが人生と時間の重さを感じさせて
くれた。頭は良いけど想像力が無いという健史という大甥のキャラクター設定で
政治家も想像力が無いというセリフを引き立てるなど注意して観るとベテランの
山田洋次監督が沢山の映画を撮り続けてきた深みって、こういう部分なのかも
知れないと考えさせられた。戦争を知っている世代が高齢になり亡くなっていく
時期でもあり戦後70年の節目でもある。だからこそ近い雰囲気の映画が海外でも
作られるタイミングなのかも知れない。
戦前の寛容さが無くなっていく時代と21世紀になった現在の社会情勢が複雑に
絡んで娯楽として観るには重たい感じなのは、私も映画を沢山観ているためか
深く考えすぎる部分があるのかも知れない。若い世代が観ると又、違う感想に
なるのかも知れない。子供や孫のいる家族の幸福な時間って一瞬の命輝きみたいに
見えてしまう。サザエさんや寅さんみたいに変化のないコミニュティーがあり
平凡で安定した日々の生活があり、少しの変化が物語りになる。誰もが安心して
そういった変化を楽しめる平和な時代と対極に戦争という時代にも暮らしがあった
事を後世に映画で残し語り継ぐ機会を観賞した人には大切にしてほしい。



2015年 3月 1日

『きみに読む物語』(2004年)ニック・カサヴェテス監督作品を観た。
認知症で老人ホームに入っている老女に読み聞かせをするデュークという
老人。初めは、ボランティアの人かと思ってみていたが、アルツハイマー
で忘れてしまっている2人の人生を思い出してもらうためだった。
第二次世界大戦でアリーとノアの交際は中断される。母親が裕福でない
青年ノアと結婚することで娘に苦労させたくないと手紙を渡していなかった
事がわかる。アリーが裕福なロンという弁護士と結婚する直前のタイミング
でノアが農場を買って建てた家の記事が新聞に掲載される。そしてノアと
結婚して家族を作り平凡だけと幸福な人生を終える。子供や孫達の名前など
認知症で忘れているが最後の日に奇跡が起こりアリーは自分の一生の人生を
思い出す。1940年代から1960年代の自動車や町並みが豊かなアメリカ
を感じさせてくれた。日本人がアメリカのホームドラマに憧れた時代より少し
前の雰囲気が映画らしくて良かった。原作が1996年の小説なのでアメリカン
ドリームが叶いそうな雰囲気で誰もが真面目に働き幸福な人生を送れた時代背景
を懐かしく感じた。時代背景も経済発展と青年期の人生がシンクロしている
世代だと感じた。この映画の時代背景では、弁護士は裕福な職業の期間が長かった。
医者もそうだった。それが大学を出て資格を取るまでに借金が増えて働いて返済
する状態になっている。日本では歯科医さんが大変らしい。高度な技術や資格が
評価されないことは、努力が報われない社会に向かっていないかという部分も
映画が完成して10年が経過して変化があったように感じた。
良い人生だと思えるストーリーで自然な感じにハッピーエンドにできるのかも知れない。
時代の変化や苦難や逆境を乗り越えてとなると世代間で価値観や共感が異なり共感を
感じる世代が限られる可能性があるかも知れない。生命に対する倫理感も変化しそう
な今の時代なので実際のストーリーより私の主観が入り余計に重たい内容に感じた。
「近くから見れば悲劇でも遠くから見れば喜劇である。」という言葉があるがグローバル
化で距離が近くなっていき身近な情報として知ることが出来て喜劇として見られない
雰囲気が強まっているのかも知れない。
少し「君に届け」という邦画の雰囲気を思い出した。



2015年 2月 1日

『オンリー・ユー』(1994年)ノーマン・ジュイソン監督作品を観た。
夜の大捜査線 ・屋根の上のバイオリン弾き ・ジーザス・クライスト・
スーパースターといった作品の監督だ。ルイ・アームストロングの
「オンリー・ユー」がオープニングになっている。物語はペンシル
バニア州ピッツバーグから、はじまった。
兄(ラリー)と妹(フェイス)の2人がテーブル・ターニング(「こっくりさん」
みたいもの)で占いをしている所からはじまる。デイモン・ブラッドリーと
いう名前が導きだされる。それからカーニバルで水晶玉の占い師にもデイモン・
ブラッドリーと言われる。それから14年後にフェイスは学校の教師をしている。
そして足が専門の外科医ドウェインとの10日後に行われる結婚式の準備で
ウェディングドレスを試着している所に婚約者の友人から転送電話があり
名前をデイモン・ブラッドリーと名乗る。子供の頃から運命の人の名前だと
記憶しているフェイスは、デイモン・ブラッドリーに結婚式の前に会って
みたいとウェディングドレスのまま上着を羽織って空港に向かう。そして
ベネチュア・ローマと足取りを追う。デイモン・ブラッドリーは、兄の少年
野球のチームメイトの名前で兄の悪戯で記憶に焼きこまれていたみたいだった。
結婚してハッピエンドという1950年代から70年代の価値観や雰囲気を
感じる作品だった。飛行機やレンタカーを使って移動するのでロードムービー
としても楽しめた。名画のシーンや他の映画で使用されたホテルに泊まり
女優さんが泊まったホテルというセリフが入っていたりローマの休日の
真実の口でグレゴリーペックのマネをしたりと往年の映画ファンがニャリと
するネタを入れている。1994年の作品なのでラブコメディーとして
この時代に劇場で公開した時代が青春だった世代は現在、30代から40代に
なっていると思われる。私は、10代から映画を観ていたので懐かしさを
感じた。


『キャプテン・フィリップス』(2013年)ポール・グリーングラス監督作品を観た。
自宅から空港に向かう車の中で妻と自分達の時代の競争社会は、真面目に働けば船長
になりたが息子達の時代は違うという、さり気無い会話がグローバル化した世界の
競争の大変さを表している。テクノロジーの進化で乗組員の人数を減らしキャビンの
担当を兼任できるように海事の法律の規制緩和があり人数が少ないから18世紀以降
に海賊と聞くと童話の世界をイメージしてしまうが21世紀に身代金ビジネスとして
実在している。
主観的で曖昧な情報に映画は、誇張や脚色に編集や製作する側の意向もあり観て得ら
れる内容で偏ったイメージを抱くことがある。その点、この作品は偏りが少なく感じた。
テクノロジーは進化しているが人間の倫理観や行動が18世紀に退化
してしまった様に感じる事があるが格差社会が18世紀のはじめ並みだと読んだ影響
かも知れない。
実際にソマリアで海賊にコンテナ船を乗っ取られた2009年の「マースク・アラバマ号」
の実話が元になっている。人質になって自分のクルーを守ったフィリップス船長の
状況判断力や危機管理能力で乗組員も船長も軽いケガで済んだが海賊としてコンテナ
船を襲った海賊が自分達の漁場の周辺で公海上で大型船による大規模な漁を行われて
漁獲量が減り政情が不安定で武装勢力の将軍に操られている境遇があり同情した。
海賊役のガリガリに痩せている姿が説得力を持っていた。
駆逐艦に空母まで登場して救出するが犯人側の生存者は1名だけでアメリカの刑務所で
懲役33年の刑になったとテロップとナレーションが入る。
実話だけに両方の生活環境や境遇を見せて両方の視点で見て観客が考えるように
作っているみたいだった。但し、私の観たタイミングが悪いのか人質やテロをモチーフに
した映画は、世界が平和で安全な時代に昔、こんな大変な事があったけど今は、問題を
解決して安定した幸福が続き将来不安が無い環境になった時に見直すとより楽しめると
思う。そんな時代に向かってほしい。「96時間」という映画はフランスで若い女性を
誘拐する組織に元、アメリカの工作員が娘を取り返しにいく話で、私のイメージする
パリとかけ離れているから、ありえないフィクションで娯楽映画だと思っていたら
まさかのテロ事件が起こった。現在3シリーズ目になる『96時間/レクイエム』が公開中
みたいだ。



2015年 1月 3日

『ベイマックス』(2014年)ドン・ホール クリス・ウィリアムズ
監督作品を観た。マーベルコミックの『ビッグ・ヒーロー・シックス』
が原作だ。ケアロボットのベイマックスと14歳で高校を卒業し非合法の
ロボット・ファイトで補導されるヒロ・ハマダの兄は見かねて
ヒロを自分のサンフランソウキョウ工科大学に連れて行き他の学生達に
紹介して様々な発明や研究を見せて弟のヒロにも大学で更に研究する進路を
薦める。そのために大学の研究発表会で頭に装着した神経トランスミッターで
指先ほどの大きさの「マイクロボット」を頭で考えた形状に自在に変え
られるようにコントロールして大学への入学を認められる。
アリステア・クレイという「クレイテック」の社長からもヒロが発明した
「マイクロボット」を事業化したいと誘われるがヒロは断る。その後で
その会場で火災事故が起こりキャラハン教授を助けに燃えさかる学校の
火の中に戻った兄のタダシが飛び込んだ時に爆発が起こり亡くなってしまう。
兄の死で心に傷を負ったヒロの前にタダシが生前に作った『心と体を守るケアロボット』
ベイマックスが現れる。火事で消滅した「マイクロボット」を大量に生産している工場を
発見する。誰が何のために作っているのか亡くなった兄タダシの学友達と
調査する。それぞれの研究の技術を取り入れたパワードスーツを作り装備する。
ヒロの心の傷を治すために兄の学友達と事故の原因が「マイクロボット」
を使って犯罪をしようとしている歌舞伎の隈取模様の仮面の男をヒロの持っている
「マイクロボット」の反応と「ベイマックス」のスキャン機能で探して戦隊ヒーロー
みたいな装備をした仲間達と協力して基地のある孤島に飛行機能を加えたベイマックス
に乗って乗り込む。そこで軍隊と大学がテレポーティーション実験でキャラハン教授の娘
アビゲイル・キャラハンがテストパイロットになり消滅したことを知る。
ベイマックスには、戦闘能力を組み込んだデータの入ったカードを加えて
空手の技を使えるようにしてパワードスーツを装備させる。ロケットパンチの機能が
ラストで重要な役割をする。事故の犯人が以外な人物なので、ここの部分は見ての
お楽しみにする。エンドロールの後でフレッドがパンツを表・裏・後ろ・前
で4回はくと言っていた謎と留守が多い父親のビックリするような秘密が解ける。
 素直に面白く楽しめる作品だった。このアニメを見た子供たちは、軍隊と教育の
関係が自然に感じる社会になっても違和感を感じない世代になるのかも知れない。
ベイマックスがケア・ロボットで顔が神社の賽銭箱の上についている鈴がモチーフ
だったり招き猫が鬼瓦みたいに使われていたりして外国人がイメージしている日本
ってこんな感じだと感じた。


雑記帳33  トップページ 1ページ前に戻る 

浅野琢也への
メール
Takuya Asano
トップ
(C)Takuya Asano アサノタクヤ
文章・画像の無断転載・インデックス以外の内部への直接リンクはお断りします。