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浅野琢也の雑記帳29 2018年06月15日〜2019年1月17日

あさのたくやのざっきちょう TakuyaAsano Web 平成30年


2019年01月17日

『羊と鋼の森』(2018年)橋本光二郎監督作品を観た。
ピアノの調律師が主人公の小説で第13回本屋大賞を受賞して
映画化された作品だ。音楽をテーマにした映画だと演奏する
人が主人公の作品が多いがビアノの調律という珍しい職業を
取り上げている。主人公の外村は、高校2年の時に体育館の
グランドピアノの調律を見てピアノの調律師になり仕事を通して
成長していく話だった。自動車レースの映画だとレーサーが
主人公でメカニックは表に出ない事が多い。小説のタイトルの
羊はピアノ線を叩くハンマーに付いているフェルトの素材で鋼は
ピアノ線で森は演奏する空間と言う事らしい。ビアノの内部構造が
映画で観られ、すごく複雑なんだと驚いた。形の無い音の世界を
文章で伝える為に原民喜の『明るく静かに澄んで懐かしい文体、
少し甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている
文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体』という
表現を音の調律に取り入れて理解するようにと言うアドバイスに
関心した。調律師・板鳥役が三浦友和で『ふりむけば愛』という
1978年の大林宣彦監督の映画に出演していて山口百恵がピアノの
調律師役という映画を思い出した。普段は目にしない色々な仕事
があるので映画を観て視野を広げるのに役立った。コンサートホール
の調律と個人の家のピアノの調律の話でF1のメカニックだとして
町の整備工場の仕事も脚光を浴びる機会は無くても同じ事をやって
いて大切な仕事だという感じに理解できた気がした。レコード屋に
楽器が売っていたが商店街で見かけなくなった。スポーツ用品店も
見かける事が減った。非日常で使う店は知らない間に減っている。
音楽・美術・書道は選択科目で体育は苦手だった事を思い出した。
『蜜蜂と遠雷』が、第156回直木賞と第14回本屋大賞を受賞して
映画化されるので映画を観る時の予備知識になると思う事と小説の
モチーフとしてピアノが取りあげられる周期が回って来たのかも
知れない。アニメで「ピアノの森」と言う作品もあった。
羊と鋼の森の主人公の実家は、林業で祖母が亡くなり楽器店の
先輩の結婚式があったり日々の暮らしの中で死と再生や顧客の
女子高生の進路などの表現はジャンルが違う映画にもあり理解
できた。映画のストーリーは比較的に単調にまとまっていた。
ピアノを所有し維持できる家庭なので裕福みたいだが家族との
死別なども物語に織り込まれているが主人公が東京でビアノの
調律を学んで資格を取る描写は、整調・整音・調律の三つが基本
で440Hzのラの音を基準音に87鍵に音を割り振っていくと
いう部分があったが東京での学生生活の部分は、かなり省略され
ている気がした。
オルゴールは金属を弾いて音を出す部分が8弁とか言われるのは
オルガンの場合は音を出すパイプにリードの弁が付いているから
らしい。ミシンの針のメーカーはオルガンだったが小学生の時に
ピアノ線をオルガン線と言っていた人が居た事を思い出した。
将来の進路を決める、きっかけがビアノの調律を見ただけで決め
られる主人公の外村の親、兄弟に驚いた。殆どは家業に関係した
進路を勧められてしまう気がする。あまり知られていない珍しい
職業は、どんな事をしているのか知りたいと思う、調律師は目に
する機会も無いしビアノが身近にないので知っておきたい映画だ。
楽器のギターの弦が切れてケガをする事もあるらしくビアノ線は
20トンの負荷がかかっていて危険なので革の手袋を嵌めスパナみたい
道具でビアノ線の張り具合を調整したり羊毛フェルトの硬さを
チエックしたり手間のかかる作業だと感じた。フェルトの硬さの好みを
温泉タマゴやハードボイルトエッグに例えたり重要なのは顧客の
希望に合わせた調律をする為の意思疎通の為にコミュニケーション
能力を向上させる為にモラルやマナーを身に着ける事は、必要で
殆どの職業に必要なスキルだと感じた。それを理解する為に詩を
引用して説明する場面は参考になった。



2018年12月18日

『とむらい師たち』(1968年)三隅研次を観た。
あまり知られていない作品だがテーマが「おくりびと」みたい
で興味を持った。原作は野坂昭如だ。主演は勝新太郎。
デスマスクを作る為に石膏で型を取る動きが大胆で衝撃的だった。
型を取ったデスマスクがマンガの「ガラスの仮面」の千の顔のコマ
みたいに並んでいる。2005年の岡本太郎現代芸術賞で準大賞の作品
『彫刻刑 鉄面皮プラス』みたい雰囲気だと感じた。
大阪の区役所で死亡届けの窓口で葬式が行われる家に早く駆け
つけようとする葬儀屋とデスマスクを作る「顔面」勝新太郎と
「若干」と呼ばれている区役所の窓口係り藤村、若干は葬儀屋に
死亡届けが提出されると葬儀社に知らせてリベートを受け取って
いる。デスマスクを作る「顔面」の仕事は動きがあり印象的だ。
そしてデスマスクの作り方を教える為に自分の顔の型を取らせて
いて窒息して病院に担ぎ込まれて助かる。助けた医者の伊藤は
美容整形の医者だが整形した患者が「おかめ」になたとかで営業
停止中だった。顔面は、死体に対しルンペンも社長も死体になったら
同じに弔うという考えを持ってる。それを見ていた資本家が資金を
出すと言う。このメンバーで葬儀会社「国際葬儀協会」を設立
しする。万博の造成地も登場した。この映画の公開から2年後に
開かれる「日本万国博覧会」に対抗し「葬儀博覧会」を開く為に
地下に会場を作り飾りつけを確認していると大きな揺れを感じて
地下から様子を見るために地上に出ると核戦争が起こったみたい
に地上は焼け野原になっていた。というシュールでインパクトの
大きい終わり方だった。
死体の美容整形を商売にしたり大阪のど真ん中で「水子供養」の
イベントを開催したり「葬式はレジャー」だと金儲け、ビジネスを
拡大して宗教まで始め教祖様になっているメンバーもいて面白い。
使い捨て時代だのジャンボな時代だのと、うかれいていた日本の
経済成長を別の視点で表現した映画で驚かされる作品だった。



2018年12月06日

『カメラを止めるな!』(2017年)上田慎一郎監督作品を観た。
自主製作のゾンビ映画が話題の作品になったとしか知らない
状態で取り合えず観賞した。そこそこのゾンビ映画が全体の
半分弱で終わりエンドロールが流れた。低予算のゾンビ映画を
撮影していると本物のゾンビが現れたと言う内容だ。
何故、この映画を作る事になったかの物語が始まった。
そして生放送で放送するゾンビチャンネルを始めるとコテコテの
大阪弁の女性プロデューサーが監督に仕事を依頼して、最初に
見たゾンビ映画を大勢のスタッフで撮影したり監督が自宅に帰って
妻に受けた仕事の話をする流れだった。ゾンビ映画を生放送で作る
事は無謀なので誰も受ける人がいない企画を受けたとか言われ
現場ではトラブルも起こりクレーンカメラが落下して高い
アングルでのラストシーンが撮影出来ない所をスタッフが組み
体操で高い脚立を作りカメラを持ったスタップが乗り成功させる。
護身術とマサカリの使い方がユニークだった。
手品を最初に見せて後でタネを見せてくるような構成なので
リアルな特撮やホラー映画は高い感性度を目指すのが当然だが、
そこそこのクォリティーだけど舞台裏も観て貰えるように観客の
興味を引いて知的好奇心を満足してもらう作品だった。
厨房が見える料理を食べたような満足感がヒットした理由だと
言える。「早い・安い・そこそこ」や「作品は残る」と言うスタップ
と「生放送なのでテレビの前に観客が待っている」という状況が
ぶっつけ本番の状況を切り抜ける機転を楽しんだりできた。
演技指導も恐怖感を「出す」と言えば「出るんだよ」と監督と役者の
やり取りなど映画の舞台裏では、良くありそうだと納得させてくれた。
この感じの映画は「ラヂオの時間(1997年)や「みんなのいえ(2001年)」
みたいにラジオ番組を作ったり家を一軒建てる為の仕事の
裏をテーマにした三谷幸喜監督作品の雰囲気も感じた。
三谷幸喜監督の「ザ・マジックアワー(2008)」とステキな金縛り(2011年)
を足して二で割ったような感じがした。2015年から三谷作品を観ていない
ので久しぶりに見たいと思っていた人には丁度良いタイミングでカメラを
止めるな!」は公開時期のタイミングが観客とマッチした事などがヒットの
要因なのかも知れない。



2018年11月24日


『トリノコシティ』(2018年)山口 ヒロキ監督作品を観た。
「血まみれスケバンチェーンソー」の山口監督がオホーツク網走
フィルムフェスティバルの為に製作した作品のトリノコシティーは
「取り残された」「子」の造語らしくニコニコ動画のボカロの曲が
元ネタで鳥類のトリとは違った。映画は「私の名前は何ですか?」と
和装の男に尋ねる所から始まった。ロケ地は博物館網走監獄で撮影
されている。主人公・明日香のメガネは、原作でアンダーリムだが
映画は違っている。アンダーリムはソードアート・オンラインの
製品は市販されている。忍玉乱太郎のメガネみたいに特注品を作ら
なくてもイメージは大きく変わらないので市販品から最適なメガネ
を選んでいた。主人公の佐伯明日夏は高校3年生で将来への不安や
漠然とした孤独感を持ちつつもガールズトークをこなしクラスメート
にも旨く合わせて高校生活を過ごしていた。教室に夢・希望・未来と
張られている。この張り紙が、さりげなく将来不安を煽る感じだ。
同級生の綾子は服飾の学校に進路を決めている。明日香は目標は
無いが取り合えず親から進学しろと言われている。高校生なら成功や
挫折も少ないのでフジテレビの『ミライ☆モンスター』に出てくる
人みたい目標を持っている訳ではない。短期的目標と長期的目標は違う。
好きな事や、やってみたい事も見つからないので、進路や将来の目標が
定まらない。高校生に将来を聞いても知識や経験も無い状態だから
難しい。そんな時期に周囲が目標を決め始めると、阻害感や閉塞感など
陰鬱とした感情ばかりが溜まり取り残された気持ちになる。そんな日々を
過ごして時間は過ぎていく。明日香は1人の部屋で公開していない誰も
見られないTwitterに投稿して、一人言みたいに書き込みをして心の均衡を
保つている状態だ。壁に向かって一人言を言っている状態かも知れないが
昔から、日記を付ける人がいたので行動は似ていると思う。そんな、ある日、
バスに乗り合わせた老人に蓄音機とレジスターが合わさったような奇妙な
機械を手に入れる。老人が手にしていた青い(シアン)リンゴが「生と死の狭間」
を暗示(デスノートの死神はリンゴが好きなので)しているみたいに老人が
消えると、その機械とリンゴが残っていた。
自宅に戻りニュースを観ていると脚光を得られないままネットに投稿して
いた画家が60歳の記念に画集を出したとか新宿で5人が死傷する通り魔が
起こったなどのニュースを聞いて家族に「事件だろうと事故だろうと病気
だろうと死んじゃった物はしょうがない」と話して他感的だと言われていた。
そんな感じでネット接続したら「トリノコシティ」が表示されハードウェアを
スマホと接続するように音声ガイダンスが聞こえ蓄音機と真空管の付いた
レジスターの合わさったような機械を接続する。接続が成功すると
「トリノコシティ」に登録する。弔屋(とむらいや)と名乗るアニメの
「境界のRINNE」っぽい人が登場し刑務所の中に残された人の願いを叶えて
成仏させる事になっていく。この行動により様々な人と巡り会う事になる。
機械を接続すると「ようこそ0と1が交差する世界へ」
女性が現れて名前を聞くと網走刑務所に転送される。
「あなたはどうして生きているの?百文字以内で答えよ」
「幸せになるため 優斗と幸せになる為」
「あなたの願いは何ですか?百文字以内で答えよ」
事故で生き残った恋人に手紙を届ける為に墓に行き思いを届けてもらい
成仏させる。
そして死者の言葉を聞き救済する場所に居場所をみつける。
次に病死した幼女の母親に絵を届ける。
それから死んでいるのに気がついていない男に死んでいる事を教えて成仏させる。
戦国時代の武将に、どんだけさ迷っているんだよと言う。
通り魔に殺された女性の描いた似顔絵で犯人を逮捕させる。
美大に行ってて良かった、自分の才能を活かせた。と言って成仏する。
その後で妙に明るい感じの近藤充に声をかけられる。「生きていたってしょうが
ないだろう 楽になりたいんだ」「自分の居場所がほしくって」「おだやかに
あの世に送ってほしい」と言われるがエラーになり独特の音が響く。
弔屋が肉体はまだ生きている。ここは一時保護の場所で次を呼べない。
と言い本体は北海道の網走総合病院の長期療養施設にあると言う事で
様子を確認に行くが北浜駅に降りる。網走番外地で囚人が乗り降りした
駅らしい。近藤充の手術は半年前に終わっているが意識は戻っていない。
長患いで意識が何時戻るか解らない。「生きる事を選ぶか死んでしまう事を
選ぶか」ってハムレットみたいセリフが出てくる。
網走の荒野とオホーツク海が映し出される。広々としている。
そして「人工呼吸器の電源を切ってよ。」と頼まれる。
明日香は「活きたいと念じて向き合いなさい 」
「父さんは。母さんが死んで自分が病気になって父親は借金してまで
生かそうとする」そんなやりとりがあり、そして本体は。時間を向かえ
死んでしまう。明日香が呼吸器の電源を切るまでもなかった。
「死んじゃったら生きている意味も解らないままでしょ あんたの命は。
生まれた瞬間から一人のものでない。」とか「俺の願いは生きる事 
生き返って戦う事 そして明日香に逢いに行く事」
「だからさ明日香も戦え いつまでもこんな所にいちゃダメだ
こんなおかしな状況 ながされるなよ 自分の頭で考えろ」と言われる。
弔屋が「ぼくはここを管理する弔屋」明日香は、「あなたの名前は」と
尋ねると「ネウレセフマウレセフ」と答えられ何も起こらない。
「僕は零体どころか実態もない」と弔屋に言われる。そして
「1人でここに来た 何か食べた 学校は 君も彼と同じ」と聞かれ
自分が睡眠薬で自殺未遂で病院に搬送されていた現実に気がつく。
(昔と違い現在の睡眠薬は、大量に飲んでも死なないようになっていて
3日爆睡して目が覚めたと精神を病んでいる人から聞いた事がある。
昭和の初めと違い睡眠薬自体が市販されておらず専門の病院ですら
精神を病んでいる人に強い薬を処方する事自体が危険なので錠剤では
渡されないらしい。入院している患者さんに注射で使用する事がある
らしい。薬を大量に飲む演出はフィクションとして理解するべき描写
だと感じた) 明日香は弔屋に「さあどうする」と問われ「私 別に死に
たい訳でなかった 生きたい 生きて 自分の場所を見つけたい 自分の
居場所をちゃんと見つけるから」と言って命を取り止めて学校に戻り進路の
用紙を持って教室を出て行く所で映画が終わりポーカロイドのエンディングが
流れ終わった。取り合えず進学して何を目指すか先送りにする時代らしい
終わり方だった。低予算だけど時代の空気を感じる作品だった。



2018年11月22日

『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』(2018年)李闘士男監督
作品を観た。ポスターのワニがリアルで定価が数万円したワニが3千5百円
という設定だけど良く出来ていた。ワニ園のワニを借りてきているらしいが
縫いぐるみとしてプレゼントに持つ場面もあり本物も両方使って撮影したの
か解らなかった。離婚暦のある男と静岡の三島で出会い結婚した妻ちえは、
夫のじゅんから「結婚3年目に、今後も結婚生活を継続できるかどうか、
二人の気持ちを確かめ合おう」と約束して三年が経ち気持ちを確かめる為に
死んだフリをして気を引いていたみたいで「死んだふり」の理由を尋ねても
「月が綺麗ですね」と言われ意味が不明だったのが昔に夏目漱石が翻訳した
アイ・ラブ・ユーが「月が綺麗ですね」で「愛している」という言葉を確認
したかったというオチでした。死んだふりのクォリティーが高くバリエーシ
ョンもありワニに食べられていたり、頭に弓が刺さっていたり、十字架を胸に
突き立てられたドラキュラだったりスフィンクスやロミオとジュリエットに
お墓に幽霊と死体どころか宇宙人になったり手間隙をかけて凝ったアイテムを
用意して演劇的要素までも加えていた。ここまでゆるのは、大勢に見せる為に
動画をネット配信したりインスタグラムにアップしているのかと期待していた
が、以外に家庭内のエンタメみたいノリでした。
ちえは、幼少の頃に母親と死別して寿司屋の父親に育てられたらしく母親が
死んでからネコの着ぐるみで仮装して隠れて父親の寂しさを和らげたりして
いた事などが解る内容でした。継母が入り込まないで父親の男手で育てられ
夫のじゅんも一度、離婚しているが前の妻との間に子供がいないらしく面会
交流だの相続のトラブルの可能性や今の時代に社会問題になっている
児童虐待を連想させない家庭環境でお互い良かったみたいだとも感じた。
死んだフリは、気を引くのにかなりの奇行で夫も状況に合わせて付き合う
ユーモアもあり似たもの夫婦になりそうな気がした。
李闘士男監督作品だと、「お父さんのバックドロップ」と「デトロイト・
メタル・シティー」を合わせた雰囲気の作品で、それなりに面白いと感じた。



2018年11月01日

『パシフィック・リム: アップライジング』(2018年)スティーヴン・
S・デナイト監督作品を観た。ギレルモ・デル・トロ監督の一作目の
『パシフィック・リム』の続編で太平洋の海底の裂け目にワームホールを
創り怪獣を地球に送り込んだ異次元の知的生命体「プリカーサー」と
の姿が観られた。今回の映画は怪獣に破壊された都市の復興から10年が
経過している。5年前に観た前作で怪獣と戦い戦死したスタッカー・
ペントコスト司令官の息子ジェイク・ペントコストは軍を除隊して
イェーガーの部品を、廃棄場から盗み出して転売している。中にはパーツを
集め組み立ててイェーガーを自作する人もいるらしい。ジェイクはパーツを
盗みにイェーガーの廃棄場に進入した事で小型のイェーガー・スクラッパーを
自作したアマーラ・ナマーニという少女と出会う。二人は、無登録のイェーガー
を操縦した罪で捕らえられ軍に入隊する事を条件に釈放され中国の基地に
配属される。ジェイクは軍で教官にもどりアマーラは訓練生になる。
イェーガーは何世代も改良され無人化が可能で遠隔操作で使用出来る
新型が開発された。ハーマン博士とシャオ産業で、開発主任になった
ニュートン博士は基地で再会しイェーガーの配備にヘリコプターで輸送
するより怪獣の血液にレアメタルを混ぜた燃料で飛行できるロケットを
開発し意見を求める。この時の会話が映画のラストと関連する。アリス
の話も出ていた。イェーガーの操縦も脳をドリフトしてシンクロさせる
問題が解決され特別な能力を持つパイロットの必要性が無くなり時代が
変化するらしい。そんな時代でも怪獣が何時、時空の割れ目から襲って
くるか分からない事やイェーガーで英雄になりたい人が志願して試験を
受けて入隊する若者もいて特別に入ったアマーラにイェーガーを自分で
作ったならパイロットよりメカニックが向いていると言う先輩がいたり
人間味もある作品だ。ジェイクの方は教官として軍に戻ると次々と事件が
起こる。新型のイェーガーの配備を検討する会議がオーストラリアの
シドニーで開催されようとしている時に正体不明の未登録イェーガーが
海中から急襲し大きな被害をもたらしヘリコプターが墜落し事務局長の
森マコは死んでしまう。
この脅威に対抗する為に環太平洋防衛軍はシャオ産業の遠隔操作可能な
ドローン式イェーガーの採用を決め配備を急ぐ。
この事件で墜落する瞬間に森マコがシベリアにある現在使用されていない
イェーガーの燃料工場が怪しいとデータを送信していた。妨害電波で受信に
失敗していたが解析できて分かりジェイクとネイトはジプシーでシベリアに
調査に行きフューリーと再度、交戦してリアクターを破壊し倒す。フューリーの
コクピット部分をこじ開けると怪獣の脳細胞が入っておりオブシディアン・
フューリーは怪獣の細胞と機械が組み合わされて作られたロボットだと判明する。
そして基地に運び込まれたフューリーの残骸をアマーラは訓練生の仲間と無断で
調べる。アマーラの行動でケガ人が出てしまいチュアン司令官にアマーラは、
追放処分させられる。 ジェイクと面会しアマーラはフューリーに使われていた
機械部品の絶縁体の巻き方がシャオ産業の製品特有だと言う事や10年前に地球に
現れた戦争の時に残った怪獣の生態細胞の脳みそが使われていて人間が手を加えて
いる事などが判明する。
それを知ったジェイクはハーマン博士にシャオ産業で、開発主任のニュートン博士と
会いドローンについて調査するように頼む。
リーウェン・シャオ社長はオブシディアン・フューリーや怪獣の脅威を感じて
ドローン式のイェーガーを48時間以内の配備させる指示を開発主任のニュート博士
に伝えニュートンの部下は指示通り量産したシャオ産業のドローン式のイェーガーを
各拠点に輸送し配備するが遠隔で制御不能になりスグに暴走を開始して破壊活動を
始めてしまう。ジェイクたちの基地に配備される為に輸送されていた2機のドローン
も破壊を開始し、チュアン司令が戦死する。基地に有ったイェーガーは
応戦する暇もなく大破させられる。
前作で怪獣の脳とドリフトしたハーマン・ゴットリーブ博士は10年前に
怪獣の脳とリンクしたことが原因で、一緒に研究していた仲間だった
ニュートン・ガイズラー博士が自宅の寝室に怪獣の脳を培養液で生かして
怪獣の脳にアリスと名前を付けてドリフトしてプリサーカーの考えを知ろう
としてプリカーサーに脳を乗っ取られて操られ手下になっていた事に気づく。
怪獣の脳から相手の目的を知ろうとして衝撃的な計画を実行した。
ニュートン博士はシャオ産業の開発ラインの自動化を悪用して怪獣の細胞を
培養し秘密にしたままプリカーサーの地球侵略計画に協力していた。
ホノルル・香港・アラスカの時空の裂け目をドロン式イェーガーでこじ開け
3体の怪獣が現れて富士山に向かい血液と活火山に含まれるレアアースを
血液と反応させて爆発による大噴火を起こして世界中の生命を絶滅させて
地球にプリサーカーが移り住む計画を実行しようとする。
前作から変わった世界観として海と陸に巨大な壁を作って怪獣を防ぐ世界で
なくなっている。前作の巨大な壁は「進撃の巨人」のウォール教を連想し
巨大生物と巨大ロボットの戦いに必要なのか疑問だった。日本のアニメで
巨大ロボットが登場するマジンガーZを連想させる富士山で怪獣とイェーガー
が戦うラストは、ニヤリとさせる。エバンゲリオンのシンクロなど日本の
アニメや特撮の怪獣映画が融合した感じだった。怪獣を倒し脱出できたのも
スクラッパーを旨く活用していると感心した。
怪獣の血液にレアメタルを加えたロケットで4体のイェーガーが日本の新宿
らしい場所で怪獣と戦い富士山で最後の戦いをして勝ちプリカーサーに脳を
乗っ取られたニュートン・ガイズラー博士を通してプリサーカーに「地球に
来ないでいい、こちらから行く」と言うセリフを伝えて終わった。世界観の
説明の為にキャラクターの生い立ちなどの過去を感情移入させる為に物語に
組み込む量が少なく省略されている感じを受けた。
現在の私達の生活に取り入れられるAIで自動運転車が普及し事故や犯罪も
カメラで記録し判断する時代になり人間の脳の状態や反応まで可視化できる
テクノロジーの進化を近未来的な世界で表現している。日本ではロボットが
合体する作品は多いが怪獣が合体して巨大化する発想は新しいと思う。
怪獣のしっぽが二本だったり口が『ブレイド2』のモンスターみたいな造型も
工夫されていた。今回は変化した世界観を理解するのが大変な作品だった。



2018年10月18日

『ザ・スクエア 思いやりの聖域』(2018年)リューベン・オストルンド
監督作品を観た。クリスティアンはX−ROYAL美術館のキュレーターで
離婚して2人の娘と面会交流状態だがキャリアもあり責任ある地位に付いて
いる。出勤の途中に人混みを歩いていると悲鳴を上げて男から逃げている
女性に「助けて殺される」と言われ追ってくる男を止めたら、たまたま
走っていた無関係の男だった。その時に神経を集中して注意が反れた瞬間に
助けた女に財布と携帯をすられてしまう。このアクシデントを美術館の部下に
話し貧困層が多い地域の15階建てアパートだが、どの部屋か特定できず
建物の全戸に「お前の事も住みかも知っている。だから、お前はこれを読んで
いるスマホと財布とカフスボタンを返せ祖父の形見だ。24時間以内に中央駅の
所のコンビニへ さもなきゃ覚悟しろ」と書いたビラを配ってしまう。
向かう時にジャスティスと言う音楽を聴き配り終わって帰る途中で縁石に車を
擦ってしまう。それから美術館に展示している砂を三角錐に幾つも並べている
作品のギャラリートークが行われパジャマにジャケットを着た作家が日常的に
使われている物を美術館に展示したり何でも無い物を額縁に入れたら人は、
アートとしてどう感じるのかに光を当てた。みたい事を説明している。その参加
者の中に精神を病んでいる人がオッパイだのワレメだの意味不明な奇声を上げて
場の空気を不快にしていた。ロバート・スミッソンのランドアートの話をしていた。
その場面でマルセルデュシャンの便器「泉」が発表されて100年経ったとか
円錐はジュール・ベルヌの小説で二十世紀のパリに登場してルーブル美術館の
中庭に置かれている話や岡本太郎美術館で見たキュンチョメの《まっかにながれる》
という岡本太郎賞の米で作った円錐の造形物を連想して目新しさは感じていなかった。
映画に登場していた精神を病んで社会との関係性に問題のある人が混じっていて
寛容と我慢が必要だと感じた。
それが終わりスマホとサイフは、あっけなくセブンイレブンに届けられて戻ってくる。
それから建物にビラを撒かれて無関係の少年が親に泥棒をやったと疑われゲームも
サッカーも禁止された。親に、この事を説明してあやまれとコンビニに現れ苦情を
言ってくる。美術館に関係している女性と性的関係を持って会話している場所の
後ろに小学校の教室で使われていたイスが大量に不安定に積み上げられてオフジェに
なっている作品が映っている。ガラガラと崩れる音が出る仕組みらしく観客は一瞬
ビクっとする。それからクリスティアンが自宅に戻ると娘が2人面会交流に訪ねて
くる。娘と買い物に行くとホームレスの男が物乞いをしている。娘が買い物して
いる間にベンチでコーヒーを飲んで待っているとユーチューブから電話が入る。
美術館の企画展スクエアの動画が再生30万回になったと連絡を受ける「物乞いの
金髪少女バラバラに」まだ動画を観ていないが大変な事になっている。
娘を呼んで至急戻り対策が必要な事態だ。娘達を呼びに行きたいが荷物があり
ベンチを離れられない近くに居るホームレスに荷物を見張ってもらい娘を探しに
行く。映画の最初の会議でプレゼンしていた広告代理店が毛布を巻きネコを抱いた
金髪の少女がスクエアの中に震えながら入ると中に爆弾が飛んできて吹き飛ぶ動画で
炎上している。ニュースにもなり美術館は、ベビー用品の会社はスポンサーになら
ないと言いう。そのゴタゴタが続く状態で美術館のディナーの余興で会場で凶暴な
猿みたいな男を呼び「彼は人の恐怖心を感じ取ります、怖がらずに堂々として
ください」と、野生の肉食動物がいるジャングルを体験させるパフォーマンスを
行う。演技かと思っていたら招待客を襲ってしまう。動けば自分が、脅えたと
思われ襲われる危険があり周りは対応に困り傍観している。
弱者を嘲笑う立場から襲われる立場になり会場の不快感と緊張感が伝わってきた。
パーティー会場の客が女性を助ける為に猿みたいな男を大勢で引き離し袋叩きに
する場面は大惨事で驚いた。予見可能性の欠如が招いたショックな場面が続く。
「人間は約束する唯一の動物である」と言う言葉があるがディナーの席で
襲われる人が出るのはショックだった。
人間は群れをなす動物で、大勢の人がいる公共の場でなにかが起こると、
誰が対処すべきなのか判断できず、驚いて受け身になってまう。
問題が起きた後で助けたり行動しなかった事を責められたりするが、集団に
なると誰かがやるハズだと傍観者効果によって何も出来ない心理になってしまう。
トラブルの後で自宅に戻るとビラで迷惑を受けた少年が家に来てクリスティアンは
言い訳に富の再分割の話をして少年を突き飛ばし螺旋階段から落としてしまう。
少年は消えてしまい少年の電話番号が書いてある紙を探しにゴミ捨て場を探して
冷静になって謝罪しようとするが電話が使われていない。
美術館は動画にレセプションの不祥事の記者会見でクリスティアンに謝罪させ
解任して事態を収める。表現の自由は責任を伴う。発言や行動も同じで誰もが
日常の生活で常識をわきまえて過ごしている。世界中のメディアから美術館は
批判された。職を失ったクリスティアンは、四角いコートでダンスする娘を
見に行く。コーチが失敗がなんだイジケるよりエネルギーをチームの為に使い、
悪かった所を直して次に進もう罪悪感なんて無駄だと話している。
ダンスの大会が終わり2人の娘を車に乗せて少年の家に謝罪に行くが少年も
家族も何処かに引っ越してしまった後だった。2人の娘は車の後部座席に
黙って座っている。そしてエンドロールになって映画は終わった。
連絡が取れ無くなって謝罪のメッセージを動画でネットにアップするが
ネット環境が無い可能性もあるので不思議な行動だ。郵便の引越し先への
転送サービスなど他の方法は無いのだろうか。失敗には取り返しせない物と
再チャレンジ出来る物もあると伝えているので割り切れない感じの映画だった。
このカオスな感覚が第70回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で最高賞の
パルム・ドール受賞になったのかと思った。



2018年10月11日

『あかぼし』(2013年)吉野竜平監督作品を観た。
25回東京国際映画祭の「ある視点部門」出品作品で
家族という名の、絆、鎖というキャッチコピーが今の
時代を表現ている。日本は、宗教に寛容なのか無関心
なのか「信仰の自由」が強く印象に残ってしまい深く
関わらないで縁起や儀礼として行う程度なので深入り
していない事が悪いみたいに感じてしまうみたいだ。
「信じない自由」や「改宗する自由」もあるが「内心の
自由」を主張しても空気が悪くなるので黙って我慢して
受け流す人が殆どだが日本国憲法 第19条で「信仰の自由」
は次の日本国憲法 第20条で後になる。神を信じるか聞く事
は内心の自由を侵害するから答えない正当な理由になる。
日本は踏み絵による宗教弾圧の歴史の反動で宗教に甘くなる
のかも知れない。人身売買などもあったとは教えないので
歴史を歪曲している可能性もある。リスクとリターンやメリット
・デメリットを可視化する統計も出来そうだ。日本は文化庁の
宗教年鑑で、大雑把な数を把握しているがテロや児童虐待など
問題が増えるとフランスみたいにライシテを厳格に行い政府が
教会税を徴収する根拠として住民表に記載する時代に向かう
可能性もありそうだ。日本の免許証の本籍の部分みたいに
隠す方法が採用されそうな気がする。親の宗教に不満を持って
いる二世信者が幼少期に不利益を被れば毒親と縁を切り棄教や
脱会も増え評判が下もがる。祈りと呪いは紙一重。あなたの為は
相手を支配する意図が透けて見える。縁起が悪いも根拠が無ければ
迷信。不安を煽ると煽られた側は安心がほしくなる。
特に子供は、親しか頼る相手がいない。昔みたいな大家族なら
祖父・祖母が間に入って家族を纏める事も期待できただろう
両親が揃っていても虐待の可能性がありシングルマザーになると
母親から女に戻り男を家庭に入れ子殺しまで起こる。
日本も新興宗教やカルト宗教による犯罪が多発し伝統ある
宗教団体の犯罪までも扱いは小さいが取り上げられるようになって
きた。児童虐待は、被害者がPTSDを抱えたまま成人して何十年
も後で被害を公にするので時効の壁が大きいが映画やドラマ化
されて冷静に判断できる時代になったと感じる。
『スポットライト 世紀のスクープ』が、2015年の作品なので
『あかぼし』が2013年と難しいテーマを取り上げたのは早い。
国際映画祭で発表された影響は大きいと思う。
時代が変わり見かたを変えるとルネ・クレマン監督の『禁じられた
遊び』1952年の戦争で両親を殺されて孤児になり親戚に引き取られた
少女が宗教儀式で墓に十字架を立てたので自分で小動物を殺して墓を
作って十字架を立てる描写が怖いと感じた。当時はマシンガンで人が
殺される場面が強烈で深い心理描写を気づかずに観賞した。
人間は誰でも不安や心配ごとがある。日常生活の火の始末や電気の
スイッチの切り忘れなど様々だ。その不安や心配は、自分で確認する
事で安心に変わる。あたりまえに行う危機管理能力も大きなシヨックを
受けると脆弱になる。この映画は、母子家庭の母と子の愛情だが、母親
は、夫の失踪で精神のバランスが崩れた時に駅のベンチでグッタリして
いる所で声をかけられる。この状態なら急病を心配して声をかけるのが
正常な人間だが宗教の勧誘でビックリする。宮沢賢治の「洞熊学校を卒業
した三人」の「顔を洗はない狸」みたいに弱っていたり困っている者を
食べてしまう話を連想してしまう。孤立したシングルマザーは、相談する
相手を間違えて妹に絶縁され子供を伝道に引きずりまわす。医療ネグレクト
に面前DVとインターネットが普及している時代に「検索して確認する」
事を忘れて子供を巻き込み盲信し更に布教へと盲進し周囲の迷惑を考えず
自己満足と達成感の為に職まで失ってしまう。食べ物や身体的暴力による
支配まで関係は悪化していないで家出を止めて家に戻る所で終わった。
映画を観終わってもその後が気になるラストだった。
映画に登場する新興宗教「しるべの星」は、宗教年鑑に載って宗教法人に
なるほど大きくない。それでもゴタゴタして教祖の娘は家出の為に売春して
金を貯めて蒸発するなど異変だ。霊感商法とか金銭が絡まないが子供の学業
どころか日常生活にも悪影響になっている。子供のイジメの加害者は、家族が
宗教を信じている子供が多く凶悪事件の犯人も宗教により信仰を強制され
他罰的になっている事が多いが映画では、子供が耐えている状態だった。
「良い子に育てると犯罪者になります」という本も子供に無理をさせると
外面だけ良く見せる子供になり予測や予防が難しくなるみたい内容だった。
ドアのチャイムを鳴らすのは新聞の勧誘と宗教の勧誘ぐらいで突然の訪問が
出来ないようにオートロックの建物が増えて古い建物もリフォームで鍵が付いて
新聞も戸に付いている新聞受けまで配達が出来ず部数も激減している。
利便性より警備の強化する変化も布教の戸別訪問も原因の一つだろう。
路上・駅・図書館で声をかけないと話すキッカケすら作れないみたいだ。
不法侵入や利用規約違反で規制する必要も検討されそうだ。
映画の後半になって川に捨てられたベビーカーに赤い風船が結び付けられて
いて泥沼の状態の母親の元に戻る少年と家出をして大阪に逃げる少女の対比を
表現していた。更に終わりでヘリウム入りの赤い風船は空に飛んでいった。
『赤い風船』1956年の第29回(1956年)アカデミー脚本賞を受賞したフランス
映画と昭和にヒットした歌謡曲の赤い風船のフレーズを思い起こさせる。
家出を大げさに国家だと考えると亡命みたいだ。
児童の権利条約は「愛される権利」があり被害に遭っている子供の親に持つ
無償の愛は鎖や呪い愛着障害レベルで子供を苦しめる。父親の自殺を知っても
宗教が違うと葬式に出られず泣くことすら許されない信仰は害悪でしかない。
伝道の為に高学歴は必要ないと学問の自由を奪い児童労働を強制する宗教に
巻き込む毒親と宗教の問題は複雑で大きい。
行動をモチーフが分かるがフィクション映画で公開しDVD化した価値は高いと
思った。この映画のモチーフになった宗教のドキュメンタリーが作られたら
観たいとも感じた。刑務所に出入りできる教戒師がいる宗教か調べる事も
危険への接近を避ける判断材料に出来ると思った。



2018年09月15日

『累-かさね-』(2018年)佐藤祐市監督作品を観た。
母が累に一本の口紅を渡し、なりたい者になりなさいと
言って死んでしまう。それから13年が経ち母の13回忌
の場面から映画が始まった。淵累(ふち かさね)は容姿の
為に親戚や学校で冷たい態度やイジメに合い引きこもり
みたいになっていた。かつて母親で伝説の女優・淵透世に
協力していた羽生田釿互と出会い累は芝居の舞台を観せられ
母が遺して「なりたい者になれる」口紅を使って「口づけを
した相手と顔を入れ替える力」を使い舞台に立つ為にニナから
自分の代わりに女優になるノウハウを教え込まれて顔の交換は
午前の9時から午後の9時までの12時間とする約束をする。
スランプと眠り続けるクライン・レビン症候群という難病で
演技も今一つのアイドル女優・丹沢ニナと顔を入れ替えて新進
気鋭の演出家の烏合が監督しているチェーホフ作『かもめ』の
オーディションを受けて役を勝ち取りる。
演技力などの才能は累の方がニナより上だけど累は、役作りや
演技も顔を入れ替える不思議な口紅の力と顔を貸してくれる相手
が揃って才能が開花していく。自分の境遇では、どうにもならない
部分と努力で何とか出来る部分がある事を感させられた。
海辺で芸術家としての名声と破滅する危険な恋をかもめに重ねて
いるみたいなストーリーで、飛んでいるかもめが打ち落とされたり
剥製にされたり睡眠薬かピストルで自殺したりするみたいな話の
ような舞台なので演技だけでなく深い内面も表現しないといけない
作品で累とニナが口紅で入れ替わると烏合が違和感を感じる場面が
あった。丹沢ニナは自分の顔を累に貸して名声を得て女優のステップ
アップに累を利用する。累が『かもめ』が劇中劇の最初に選ばれ
舞台の稽古でニナの仮面を付けた累と演出家の烏合が恋仲になった事を
感じ取ったニナは嫉妬し累と顔を入れ替えないで烏合とのデートをする
が烏合は、いつもと様子が違うと感じ取る。累とニナは揉めて累は
ニナのワインに睡眠薬を入れて眠らせ累はニナとして大活躍し5ヵ月
経って世界的な演出家の富士原の大きな舞台でオスカー・ワイルドの
『サロメ』の主役になってた。ユダヤの預言者ヨカナンに恋したサロメが
王に踊りを見せて褒美に自分を相手にしないヨカナンの首を貰い口づけ
する話だった。口紅の効果が12時間しかない事は、小学校の5年生の
時に同級生から顔を奪って演じたシンデレラで強調されていた。口裂け女
みたいキズは、その時に同級生との揉め事が原因で付けられたものだった
事が解る。ニーナは顔の容姿が良いがクライン・レビン症候群という難病で
5ヵ月も眠り続けていたが人間って5ヵ月も眠り続けたという話だが食事や
トイレは自分で行えるらしい。累が、おむつで下の世話をしていたと言う
話もあったが珍しい病気なので良く解らなかった。身体介護や看護のレベルが
必要なのかも疑問だった。キルビルで何年も意識が無くて起き上がるのと
同じ違和感を感じもするがフィクションだと割り切った。幼少の時に口紅を
残して死んだ大女優だった母の渕澄世も累みたいに他人の顔を乗っ取って成功
したという事を知ったりするが累とニナって顔のキズで容姿を醜くしているが
キズが無ければハンデになる程の問題なのか少し疑問も残った。難病と障害の
境界は複雑だ。ニナが『サロメ』の大舞台でニナが累の顔変わって舞台を
失敗させようとするが午後9時になっても顔が戻らない。
累はニナが裏切る事を見抜き部屋の時計を5分遅らて舞台から出番まで引っ込む
時間に顔をリセットして入れ替えようとしている屋上で顔を巡り、もみ合い
テントに落下する。累は、大怪我をしたニナに口づけをして顔を手に入れて、
事故の処理を羽生田に任せてサロメの舞台に戻り演じきって映画は終わる。
主人公の淵(ふち)累(かさね)は、累ヶ淵という日本の下総国(千葉・茨城あたり)
の怪談で後妻の連れ子の娘が醜い顔で足に障害があり川に捨てて殺して
自分の子供を作るが殺した連れ子にそっくりの子供が生まれてしまい累(るい)と
名づけるが祟りで障害のある子が重ねて生まれ累をかさねと読んで噂になっる
父親による連れ子殺しの呪い話が元ネタみたいだが映画の劇中劇はロシアや
ヨーロッパなど西洋の話で功名心や野心に恋と独占欲とキスに執着する気持ちや
変身の時間制限を入れて共感できるように面白く計算された映画だった。
容姿や健康状態に家庭の貧困などの境遇も重なり病気やカタワに生まれた子は
簡単に殺されていた時代の怨念を感じる映画でもあった。大阪と兵庫で精神病の
子供を20年以上も座敷牢に閉じ込めた親が捕まりニュースに今年なった。
扶養義務を担う者次第で悪影響があり弱い立場の子供へシワよせが集中する。
昭和の時代は、尊属殺しの罪は重く子殺しの罪は軽く、こけしや水子供養で
過去には誤魔化されていた。過去に公然と行われ犯罪にならない時代背景もあり
怪談になったのだろう。権力者が家来や奉公人や女中を殺す怪談や天罰だのと
言う話は、法が機能しない社会での残虐行為を多少は抑止する効果になった
のかも知れない。累の顔は、顔のキズがなければ『ワンダー君は太陽』の子供
程の問題は無いし普通より美人だけどストーリの組み合わせで楽しめた。
このように色々考える機会になり為になった。視点や考えを変えて考える機会を
得られた映画だった。




2018年09月13日

『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』(2016年)マイケル・ムーア監督
作品を観た。『シッコ』『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』などでアメリカ
の変化に驚かされたがEU(欧州連合)加盟国が多く取り上げられ北欧や
ヨーロッパの国が豊かで暮らしやすくなりアメリカで営利を重視し民営化で
切り捨てた医療や教育という社会保障制度を逆に大切にした国では国民が豊かに
暮らせて生産性も高くなった印象を受けた。
ブラック・ユーモアで『侵略』という言葉を使っている。ドキュメンタリーで
着眼点の共感が重要だ。良い部分を上手くピックアップし知っていた方が判断
の材料にもなる。日本もアメリカ的に制度の方向を向けるかヨーロッパ的な方向を
選ぶかで見て損は無い作品だった。医療が無料の国は、麻薬犯罪が殆ど無いと
言うのに驚かされる。フィンランドの学校は宿題がないのに学力は世界一で脳を
休ませ酷使させない。テストで点を取る訓練は教育で無く
「子供らしく日々を楽しむ」子供でいられる時間は短い。問題意識を持って自分で
考え幸せに生きる方法を身につける。学校以外の場所に人生は沢山あると言う考え
も不適切な養育で感情や思考をコントロールする「前頭前野」や「視覚野」に悪い
影響が出るらしいので一理あると思える。学校を設立し授業料を取る事も違法だ。
スロベニアは、大学の授業料が無料だ。教育も借金になる奨学金で負担を増やし
知識を詰め込むより自分で調べ、覚え、応用する習慣を付ける。自分で考えて
判断し行動できる人間を育成する事が機会の平等にもなり国力を高める。
効率を優先させマークシートを使い採点する試験方法で振り分けられ学歴は高いが
知識が低く仕事が出来ず生活力まで低い人間を生み出すアメリカや日本とは違うと
考えさせられた。フランスの小学校の給食は、食器が陶器やガラスで配膳や盛り付け
も教育の一環で食育も充実していた。性教育も丁寧に教えて無知のまま禁欲を
強要し性感染症や10代の望まない妊娠が多いアメリカより現実的に感じた。
多くの国民が幸福に暮らせる政策と国民を武力で抑圧し支配する事で、ごく一部が
繁栄し贅沢できる格差を広げる政策が良いのか考える機会にもなった。ポルトガルは
受刑者にも選挙権が保障されテロまで防止される事にも驚いた。アイスランドの
金融危機は「男性型経営」にあると考え、女性をトップに起用し女性と男性のそれ
ぞれの良さを駆使し経済を復活させていた。
金融危機の原因となった関係者は処罰された。アメリカはリーマンショックで
公的資金を注入し経済を悪化させた。男性はリスクを取り個人の「実績」や「報酬」
を選び女性は全体の利益を選び「実体の無い、分からない物」は選ばない。生活に
密着した判断に強いらしい。社会のあり方、国民の扱い方の差で幸福度が高く暮らし
やすい北欧とヨーロッパ、世界初のメーデーはシカゴで男女平等もアメリカから
始まっていた。これらの社会システムの殆どは過去にアメリカで行われていた事だ
った。「隣の芝」と「青い鳥」を連想するがラストは「オズの魔法つかい」で
ドロシーがカンザスに帰る場面で締めくくられた。社会の制度を変えるのは選挙の
結果だと思う。投票は「切り札」だがアメリカは「トランプ」を選んだ。ダジャレ感
がある。それぞれの国も問題を抱えているが学ぶべき文化や主義志向を多岐渡って
知り理想的な社会を再生するために映画も参考にできると感じた。



2018年09月03日

『スポットライト 世紀のスクープ』(2015年)トム・マッカーシー
監督作品を観た。カトリック教会の性的虐待事件を2003年に報道して
ピューリッツァー賞の公益報道部門を受賞した新聞『ボストン・グローブ』
の調査報道班の「スポットライト」という記事を報道ための証拠集めや
被害者や弁護士への取材からカトリック教会の隠蔽した事件の多さなどを
調べると言うストーリーだった。マサチューセッツ州のボストンで
カトリック教会による性的虐待事件を隠蔽する為に問題を起こした神父を
3年程の短期に移動させていた事に気づく。統計が取れる程事件が多く
虐待被害者のネットワークまでありチームは13人の神父に調査対象を広げ
90人程度の神父が性的虐待を行っている可能性に気がつき、病休や移動
した神父を年鑑でデータベース化して87人もの一覧表を作る。そして
司教より上の枢機卿レベルで虐待の事実を知っても無視を続けたという
裁判所の証拠を入手する事に成功する。調査で確信を得る9月11日の
大事件が起こり、テロの報道を優先したが2002年にようやく記事を公開し
始める。事件の起きた時から何十年も経過しインターネットが普及し過去の
事件を知る人や被害者からネットで連絡が多数、集まり過去に事件を隠蔽
した枢機卿はバチカンに移動し出世してる。という部分で映画は終わって
エンドロールが流れた。地道に証拠を集め取材する記者や新聞の活躍の
時代の表現なのか新聞を印刷する輪転機が映されて新聞が配布される場面が
深作欣司監督の手法を連想させる作品だった。第88回のアカデミー賞で
作品賞・監督賞・助演男優賞 (ラファロ)・助演女優賞 (マクアダムス)・
脚本賞・編集賞の6部門にノミネートされて、アカデミー賞作品賞・脚本賞を
受賞した作品だった。
「キーパーズ」(七話)Netflixのドキュメンタリードラマでは殺されて犯人が
捕まらす事件から何十年も経過しても被害者や関わった元警察官と連絡が取れ
ネットで情報発信や検索が可能になり「泣き寝入り」や「諦め」たまま人生が
終わる前に虐待サバイバー達が過去に起こったシスター殺害事件で犯人不明・
未解決事件になった犯人の証拠や証言を集め事件の真相を明らかにする。
そして同様の被害者と連絡を取り協力し巨大な組織の闇が公になる。教会が
議会に圧力をかけ時効延長の妨害があり政教分離が機能せず密室の調停で、
わずかな救済金で事件を幕引きにし、虐待の多発した高校が廃校になって
ドラマは終わった。最近、ネットのニュースで立て続けに問題が報道された。
この手の報道は【地上波のテレビや新聞で扱いは小さい】みたいだ。
以前から宗教の信者はヨーロッパのドイツ・アイスランド・オーストリア・
スイス・スウェーデン・デンマーク・フィンランドで所得税に加えて所得税の
8%から10%を更に加算され国に徴収される教会税の影響もあり信者の離脱に
より教会の維持が出来ず売却され始めている。
インターネットやスマートフォンの普及で知識や情報を得る方法が普及して
教会の役割が減ったみたいだ。識字率が低い時代は、口伝えだった宗教が
グーテンベルクの凸版印刷の発明で聖書を翻訳し世界中に普及させ、紙媒体の
情報から電子情報に媒体が変化しメディアリテラシーが容易になった。
呪縛的なコミニュケーションも知られ確認出来ない物事で漠然とした不安感を
植えつける手法も通じない。安心と安らぎを与える目的から逸脱し罪悪感を
植えつけ支配手法のマインドコントロールで根拠の無いバチが当たる・運・付・
縁起など漠然で根拠の無い不安感を植えつけ呪縛的手法で人を操り神と言う
表現で「責任転嫁」や「責任逃れ」で誤魔化せる時代も終わりそうだ。
宗教絡みの犯罪も裁判でも制裁と被害者への賠償を行う必要だ。宗教と社会の
関わり方もフランスの「ライシテ」みたいに厳正な政教分離が必要だ。
古くは1452年のローマ教皇ニコラウス5世は異教徒を奴隷にする許可を与え侵略の
正当化に奴隷貿易まで認め異教徒は人間では無いと言う考えが広がった。
多様性を尊重する21世紀には通用しない。その為なのかアメリカでは、プロテス
タントがカトリックの3倍を占め社会的地位が高い層が多くカトリックは少数派だ
黒人はプロテスタントが多くゴスペルのが発祥もプロテスタントなので『天使にラ
ブソングを』はカトリックの修道女で設定に疑問を感じる。お寺に巫女さん的に変だ。
第二次世界大戦で日本に原爆投下したB-29エノラ・ゲイは12人全員がカトリック
で神父が1人同乗して13人だった。刻石流水と言う言葉があり本来の意味は、
「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。」と言う事だが「話す人は水に流す
が聞く人は石に刻む」みたいニュアンスから「加害者は水に流し被害者は石に刻む」
みたいに変化し臥薪嘗胆みたいな気分に長い時代をかけて歴史に刻まれながらも
社会情勢や環境に合わせて変化しながら適合したみたいだ。封建時代は権威の後ろ
盾の為に政教一致で、戴冠式も行われ国家教会の流れで孤児院・修道院・学校・病院
の運営も担っていたが、どちらも閉鎖され環境なので虐待やいじめが隠蔽されやすそうだ。
地域のコミュニティーへの影響も大きかった。
カトリックの「懺悔」で弱みを知られ脅されては信頼・信用が仇になり本末転倒だ。
「Too Me」みたいに被害者や証人が声を上げられる環境のハードルもあるがネット
の情報で事件が多く知れ渡るようになった。これからは、神だのみ・運まかせから、
それぞれの人が自分で調べ考える時代へ変化すると思う。映画やドラマで問題を知り
それぞれが考えるべき時代になったと感じた。世界中でデモが起こり非難囂々なのに
驚いた。パワハラと虐待に殺人と強姦と罪が多すぎてショクだった。
日本も宗教が絡んだ事件が多いが犯罪者が、どの宗教の信者かはあまり報道されなが
宗教から遠ざかる傾向だと思う。周囲が迷惑する宗教に誰もが嫌悪感を持つだろう
日本の場合もカルト宗教など被害を家族や知人などが受ければ尚更だろう。



2018年08月18日

『リメンバー・ミー』(2017年)リー・アンクリッチ 監督作品
を観た。メキシコの死者の日に起こった靴職人の一家と、12歳の
少年ミゲルが祭壇に家族を捨てて音楽の為に出ていったママ・ココ
の父親の魂がリヴェラ家に戻る事が出切るようにする話だった。
日本の、お盆みたいに先祖の霊が現世に戻ってくるから向かえると
いう習慣がメキシコにもあり祭壇に写真が祭られていると現世に
戻る事ができるらしい。死後の世界で誰からも忘れさられると消滅
するという第二の死もあった。顔の部分が破かれている写真と音楽に
嫌悪感を持っている一族と音楽に興味を持つミゲル、そして死者の
世界から現世で生きている人から忘れられて消滅しそうな音楽家の
ヘクターとの冒険で家族の関係が修復される物語だった。夢の為に
家族は犠牲になり妻のイメルダは、娘のココを育て家族の暮らしを
守る為に大家族は音楽は呪われていると「音楽禁止の掟」を代々守る
ようになっていた。12才のミゲルは音楽に興味を持つが反対される。
職業としての音楽か趣味としての音楽かは映画では明確にされなか
ったが家族を捨てたと思われて忘れられそうになっていたヘクターが
家族に許されて迎えられ音楽禁止も終わりハッピーエンドで終わった。
メキシコの習慣は、あまり知らなかったので面白かった。死者の世界
でフリーダ・カーロが登場していた。メキシコは壁画が有名なので
蛍光色でカラフルな映像も楽しめる作品だった。マリーゴールドの
花びらの橋やアレブリという死者を案内する犬のショロイツクインツレ
(メキシカン・ヘアレス・ドッグ)が死者の魂を黄泉の国への案内役だ
と思われていたらしい。日本のお盆だとキュウリの馬とナスビの牛みたい
感覚に近い。メキシコでは地獄みたいな概念で宗教を脅しの道具にして
信仰を強要していたかどうかは解らなかった。死後の世界も気候で表現が
変わるのかも知れない。多様な文化を知り共通点に気がつくのも映画の
楽しみ方だと感じた。家族がいなくても生前の功績で写真が飾られて
世界が家族だと言う場面で子供の頃の音楽室の肖像画を思い出して
しまった。お札の肖像画になったりする人もいるけど、その時代で
価値観も変わると思う。映画のタイトルも外国では『ココ』だが
日本では『リメンバーミー』と違っていた。流石にアカデミー賞受賞作品
だけあって面白かった。



『羊の木』(2018年)吉田大八 監督作品を観た。原作は漫画
『光る風』や『がきデカ』の山上たつひこなので光る風みたいな
シリアスで社会派の感じの作品だと感じた。タイトルの羊の木
は 東タタール旅行記の羊の木より輪廻転生と罪と罰や赦しと贖罪
という意味があるらしい。その種子やがて芽吹きタタールの子羊と
なる羊にして植物、その血 蜜のように甘く その肉 魚のように
柔らかく狼のみ それを貪る と言う部分から狼は犯罪者で羊は
一般市民で木は社会システムみたい感じがした。人狼ゲームみたい
だった。昔は、囚人を強制労働で苦役させて経済発展や開拓に
役立てて収益を出せたみたいたが政務所で働かせても赤字になり
コストが大きくなり負担になってしまう時代になったみたいだ。
その影響で国の極秘更正プロジェクトとして一般市民の生活に
犯罪者を馴染ませて刑務所のコスト削減と地方の過疎化防止に
役立てようとするが犯罪者の過去は隠しきれず。子供を殺された
父親が犯人を見つけ出してしまい。更なる殺人事件が起こってしまう。
刑期を終え罪を償ってたと思っても被害者やその家族や友人・知人が
怨んでいると復讐の連鎖から抜けられない状態になってしまうみたいに
感じた。刑務所から移住してきた人は、過去を隠そうとして地域に
溶け込もうとしても祭りで酒を口にして酒乱になり暴れたりする人や
女子刑務所から来た女は、妻と死別して独身になった男と肉体関係
を持ってしまい結局は周囲に迷惑をかけてしまう。問題行動を起こす
人がいて周囲も異様な雰囲気を感じ取ってしまい何を考えているか
何をするか予想で出来ない人に対しては理解不能の恐怖も加わり
怖さを増大する感じがした。人間には、怖いもの見たさと言う好奇心
もあるが安全な状態が確保されていないと好奇心所では無いと
感じた。刑務所からシャバに出た感じは、幸福の黄色いハンカチの
高倉健さんの演技を、思い出させるほど良く出来ていた。



2018年08月01日

『ブラックパンサー』(2018年)ライアン・クーグラー監督作品を観た。
マーベルコミックのヒーロー物の映画だがスーパーマンやスパイダーマン
と違うのは主人公が黒人のアフリカの小国ワガンダの国王という設定や
ビブラニウムという隕石によってテクノロジーが進化したアフリカの小国で
国際社会には農業しか産業が無い最貧国だと思われている中で物語が始まった。
北米で高い興行成績を獲得しているのは目新しいヒーロー物だからだと
感じた。レンタルDVDの人気も高かった。黒い豹の姿はキューティーハニー
のブラックパンサーを連想させるがアクセサリーがナノマシーンで服になる
など新鮮なアイデアだった。ビブラニウムは特別な金属でアトランティス大陸
にあるとされたオリハルコンみたいなイメージなのかも知れない。
身体能力・スピード・洞察力を向上させる神秘のハーブは、エデンの園の
リンゴをイメージする感じだ。リリカルな要素や伝説の黄金郷エルドラドなど
様々なアイデアを組み入れて世界観を形作っている。未開の地みたいな雰囲気と
独自に進化したテクノロジーを折衷させてビジュアル的にも面白い国を見せて
くれる作品だった。ストーリーは、ビブラニュウムが博物館から奪われ海外で
闇取り引きされる所で戦闘になりアフリカ・韓国・ロンドン・アメリカと
広範囲に移動して物語が進んでいった。滝の上で王座をかけた決闘でエムバク
(ハヌマンというゴリラ神を信仰している部族ジャバリ族のリーダー)に勝つが
命を助ける。エムバクはラストでビブラニウムを国外に持ち出そうとする勢力と
の闘いで手助けしてくれる。強引な布教で自分の都合の良い宗教を他の国や部族に
押し付けなかったので部族間の大きな争いを起こさずに独自の進化が可能だった
みたいだった。世界の戦争の歴史は、宗教による精神支配と武力行使により征服し
植民地化した時代もあり、人類の負の歴史を、さりげなく批判ている雰囲気も感じた。
エンドロールの間に支援センターを作ると言う場面があり独自に進化したテクノロジー
を国際社会でも役立てる可能性を残して映画は終わった。ワガンダ人は下唇を
ビローんと伸ばすと光る部分がありドリフのコントを思い出させてくれた。
見方によっては深く考えさせられるが面白もあるが、楽しめる映画だった。



2018年07月06日

『百円の恋』(2014年)武正晴 監督作品を観た。
斎藤一子(安藤サクラ)は、32歳になっても実家で自堕落な
生活を送っていた。そこに妹の二三子が男の子を連れ実家に出戻
りする。姉の一子は、妹の二三子の子供と一緒にテレビゲーム
をしたりして遊ぶ相手をしている。父親は、あまり役に立たない。
母親の斎藤佳子(稲川実代子)が弁当屋を切盛りし、なんとか
過ごせている。一子の母親は、いい年だから歯の治療費まで
出したくないと言って喧嘩になり、一子は一人暮らしを始める。
生活費を稼ぐために百円ショップで働き始める。社会の底辺の
人間達が集まる場所にある店だった。一子が借りている部屋と
百円ショップの間にボクシングジムがる。そこのボクサーの狩野が
百円ショップに買ったバナナを置き忘れ一子が近くのジムまで届け
に行き親密になっていく。狩野が現役を引退した後で一子は
ボクシングを初め上達しプロ試験にも合格しする。ギリギリ現役で
試合が出来る年齢なので試合に出ることが出来る。ボクシングの試合は
負けたが礼儀正しい負け方が一生懸命に戦い負けても潔い感じが
して感動的な感じのする映画だった。



2018年06月28日

『こいのわ 婚活クルージング』(2017年)金子修介 監督作品を観た。
エレキングフォンという歩きスマホをしても避ける機能の付いたヘットギア
みたいなテバイスを携帯に接続して使う機械をヒットさせた門脇社長が、
社長を解任され、再婚を試みてセカンドライフの為に配偶者を探す話だった。
広島の、ご当地アイドルから女優になり出版社で編集の仕事をしている
山本ナギとの婚活をコメディータッチにした映画だった。レモンと広島カープが
好きな門脇社長と山本ナギが見合いするが見合いして喧嘩して門脇社長は婚活
クルーズを次のビジネスにしようとする。エレキングフォンの次にライアーと
いう腕時計みたいな嘘発見器を作る。赤と青なのでキカイダーの良心回路みたい
ノリかも知れない。球場で野球を観戦ながら婚活したりマニアックだ。
エレキングフォンというネーミングも怪獣のエレキングみいで笑えた。
そこに少子化や介護の問題を軽く意識させていた。
役所の少子化対策の担当や警察の二課で結婚サギを調査している刑事やら色々登場
して集まる女性もシングルマザーにトランスセクシャル、後妻業の女と色々だ。
豪華クルーズ船の「銀河」で大きな婚活イベントを開き自己紹介の時間は
ウルトラマンのピコピコタイマーだったり懐かしい演出が取り入られている。
クルーズ中に上陸してカップルを発表している時に資産運用を任せて
いたファイナンシャルプランナーに資産を騙し取られたと連絡が入る。
昔なら新聞の輪転機や新聞のニュースやテレビのモニターが映される場面で
スマホのモニターのテレビ放送画面は、意外とスマホでTVニュースを観ない
ため、そんな機能もあったけど使うのを忘れていた。
そして資産を殆ど失った門脇とナギが最後に結ばれて残ったKS号で二人で何処かに
向かう所で終わりエンドロールの後にナギの婚活の本『富豪の婚活』が本屋に平積み
で並ぶ場面はねこあつめの家のラストみたい感じだった。一緒に暮らすようになると
寅さんを一緒に観たら財産目当ての気持ちが無くなるという話や介護の話から死んだ後の
墓の話になり門脇は、妻と別居しているが戸籍上の離婚はしていない様子を見せる
が良くわからなかった。結果は婚活というより恋人探しみたい感じ映画だった。
ナギの同級生が子連れで再婚を希望していたかがガッカリしていた。
子供の養育費も払われていない。無理に再婚し継母や血縁でない父からの虐待の
リスクが高まる。子供にとって母が女に変わると邪魔にされて命を奪われる事が
多いのはニュースで良く報道されている。報道されるのは氷山の一角で子供の貧困
とも関係していると考えてしまった。再婚は初婚より複雑で難しいパターンが多い
ので気になったが、そこは映画なので深く考えないで観るように心がければ楽しめる
映画だった。この作品は、相続の問題が絡むとドロドロした内容になってしまうので
軽い内容にする為に恋人関係で纏めたみたいな感じがした。高齢で再婚すると後妻も
相続の権利を主張するため公正証書で相続を放棄させるなど子供の為の法整備を
しないといけない時代だと思う。昔は、親が子供の駆け落ちの心配をしていたが
子供が親の再婚や介護まで心配する事が必要な時代に変わったと感じる。
相続させる資産も無く育児や進学で毒親になってしまうと因果応報の最後もありそうだ。
社会問題は別の機会に考えて「こいのわ」は軽く見て楽しむ映画だと感じた。



2018年06月20日

『ズートピア』(2016年)リッチ・ムーア 監督作品を観た。様々な種類の
動物達が暮らす都会にウサギで初めて警察官になったジュディが活躍する
話だった。ポリスアカデミーみたいに警察学校を出てズートピアの警察所に
勤務するが仕事は駐車違反の取締りばかり。そのズートピアで肉食動物ばかり
連続して行方不明になる事件が多発する。ジュディーは仕事で命令違反をする。
その為、署長ボゴから48時間以内に事件を解決しないと首にすると言われる。
キツネのニックに協力してもらい事件を解決するあたり48時間のノリが入って
いる。監督のリッチ・ムーアはシンプソンズも手がけているので名作映画の
リスペクトが得意みたいだ。「夜の遠吠え」という謎を調査すると球根の
成分が肉食動物に摂取させると原始時代のDNAに反応して凶暴化してしまい
極秘に強制入院させて住民の9割りを占める草食動物に恐怖を与えないように
していたらしい。その球根を悪用して事件を起こして肉食動物のライオンハート
市長を失脚させて自分が市長になろうとしていた羊のベルウェザー副市長の
陰謀だと判明する。ベルウェザー副市長は逮捕される。ジュディーとコンビを
組んでいたキツネのニックは警察学校を卒業して警察官になりジュディーと
相棒になって仕事をするというストーリーだった。キャラクターは動物のみで
鳥は出て来なかった。鳥が登場するアニメ映画はケニアのバード・ストーリーと
いうウェイン・ソーンリー 監督の映画があった。沢山の映画が作られていて
テレビやDVDやネット配信など色々な方法で観賞できる時代になったので
観客も多くの映画を観ているので作る側も沢山のアイデアを上手に活用する
技術が必要だと感じる。ズートピアは、その点も良く出来ている映画だったので
面白かった。



2018年06月15日

『万引き家族』(2018年)是枝裕和 監督作品を観た。カンヌ国際映画祭で
パルム・ドールを受賞した作品だ。今村昌平監督の『うなぎ』(1997年)
以降21年ぶりの受賞だ。是枝裕和監督作品で『誰も知らない』も子供の
虐待を描いた映画だった。『誰も知らない』の虐待はネグレクトだった。
『万引き家族』は、親から暴力を受けている幼女を家に連れて来てしまい
一緒に生活してしまう話だった。『長い散歩』(2006年)奥田瑛二監督の
話が家族単位に変わった感じもした。柴田信代 役の安藤サクラは長い散歩
にも出演している。『万引き家族』では母親役だった。『愛と誠』では
ガムコ役だ。印象に残る女優だ。この映画を観たのと同時期に目黒区で
5才の幼女が親に虐待死させられたニュース報道があった。映画の中で
子供を産んだから母親か?という場面があり複雑な気持ちになった。
映画の舞台は、東京の下町で押上の花火の音が聞こえる場所だった。
家族が身を寄せて暮らす一戸建ての古い家だった。祖母の柴田初枝の
持ち家らしい。息子の柴田治(リリー・フランキー)は工事現場の日雇い。
妻の信代(安藤サクラ)はクリーニング屋のパートでアイロンを担当していた。
都内の古い持ち家に身を寄せ合いながらも柴田夫婦と妹達は不安定ながらも
働いている。そんなある日、冬の夜に近所の団地に幼い女の子が震えてた。
その姿を見かねて治が家に連れて来る。家族は幼女に食事を与えて体の
傷跡に気が付く。焼けどの後を転んだと幼女は言うが親の虐待に気づくが
虐待の通報をしないで「ゆり」を泊めてしまい親が捜す気配すら無いので
家族の一員として生活を続けてしまう。柴田治の息子、柴田祥太(城桧吏)が
「ゆり」の相手をしていた。「ゆり」と生活して家族で海に行ったりする。
「ゆり」は服を買ってあげると言いながら実の母親に身体的虐待を加えられて
いたので海水浴の水着を買ってもうらう事に脅えていたがニセの家族は虐待
しないので幸せな思い出を作る。そんな感じで身を寄せ合って暮らしていたが
治が工事現場で怪我をしてしまい労災が出ない事と信代がクリーニング屋の
パートをリストラされてしまい家族の生活が揺らぎ始める。
映画の後半になり柴田初枝が布団に寝たまま自然死してしまい、家族に
葬儀費用が無く畳を剥がして床下の土を掘って遺体を埋めてしまう。
初枝の死亡届けを出せないなめ1カ月6万円の年金を受け取り続けてしまう。
悪い事は、続くようで祥太とゆりが2人でスーパーに行くとゆりが万引きして
しまい祥太が、ゆりの万引きに気がつきそうな店員の気を引きける為に
目立つ様に万引きして自分を追いかけらせるが逃げ切れず高い所から飛び降りて
大怪我で入院してしまい警察沙汰になり家族は、逮捕されバラバラにされて
しまう。この映画のラストは「ゆり」が産みの母親に引き取られ酷い環境に
戻り独りでラムネの瓶に入っていたニセの家族だったが一時の楽しい思い出が
詰まっていると思われるビー玉で遊んでいる場面が印象的だった。
柴田治と祥太は、親子に見えたが祥太は治を、お父さんとなかなか呼ばない。
万引きが成功してハイタッチするあたり相棒といった感だったが終わりの
場面で松戸のパチンコ屋の駐車場に放置されていた赤ん坊だった事が判る。
祥太は、家族がバラバラになって養護施設から学校に通うようになっても
治に会いに訪ねてくる。帰りに治がバス停に送りにいき走って追いかける
場面は、ああ野麦峠を連想させられた。祖母の柴田初枝のセリフで血の繋がら
ない家族の方が、なまじ期待しないので旨くやっていけるのかもと言うセリフも
判る気がした。
祥太がレオ・レオニの絵本のスイミーの話をすると治は英語は知らないと言う
小さな赤い魚の群れの中に、一匹だけ黒いスイミーがいて大きなマグロに場所を
奪われてしまい皆で力を合わせてマグロを追い出す話で教科書に載っていると
言う会話があった。家族という集団が社会や国家の基礎という例えが含まれて
いるのかも知れない。親が離婚した家庭は、親による虐待を、躾と誤認していた
時代があり多くの子供が命を落としていたのではないかと考えさせられた。
第二次世界大戦前から昭和の中頃までは、子沢山で子供の人権が軽視されていた。
そのような事を、していた世代が高齢化して孫や子との関係が悪くなる状態も
ありそうだ。子供への暴力を愛情だと偽る親には、厳しい内容が含まれている
かも知れない。昔は、水子の霊だのコケシだので子殺しを、うやむやにしていた
みたいだが今の時代なら犯罪にる。倫理観も変わったと感じた。
現在は子育てが難しい社会で子供の病気やケガで虐待が疑われると通報される
時代だけど昔と違い近所が気がつく事は少なくなった。劇中にワークシェアは
皆で貧乏になりましょうと言う事だというセリフがあり、そうかも知れないとは
感じても解決策が思いつかないような複雑な気分が残る映画だった。
『万引き家族』というタイトルの万引きは、高額の商品を万引きしていたと
言うよりシャンプーとかお菓子や釣竿や水着などだった。店が潰れない
程度と加減している様子もあった。万引きより子供の身体的虐待やパチンコ屋の
駐車場の放置の方が生命に関わるので、より悪いと感じた。
昔は、三世代同居で祖母が一緒に暮らしていたので孫の虐待の抑止になった
家庭もあったのかも知れない。今の時代の子供は保育園・学校・病院などで
虐待に気がつくのが理想だと思うが、虐待を隠す為に通院や通学をさせない
可能性もあるしイジメで不登校になる場合もあるから社会の中に安全な子供の
居場所を作る事も大切だと感じた。劇中の会話に登場したスイミーは、皆で
住みよい社会を作ろうと言うメッセージも込めていたのかも知れない。
良く出来ていて集中して観られる映画だった。


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