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浅野琢也の雑記帳30 2019年1月24日〜?月?日

あさのたくやのざっきちょう TakuyaAsano Web 平成31年


2019年03月19日

『祈りの幕が下りる時』(2018年)福澤克雄監督作品を観た。
東野圭吾の小説で現代版の「砂の器」みたいなストーリーの
流れだった。福澤克雄監督はテレビドラマの砂の器の監督を
している。浜町の明治座で脚本家の女性が幕が下りて全てが
明らかになる。焼身自殺する父親を、焼死より楽に死なせる
為に泣きながら絞殺して小屋に火を放ち少しでも苦痛を減ら
す場面は、印象的だ。焼死した父親が警察官の息子の母親の
恋人だったり人間の不思議な縁は、砂の器で線路で殺されて
いた元警察官は、怨恨でなく恩人だけど仕方なく口封じされ
たというラストに近い。砂の器の宿命と言う曲の演奏が終わ
り真相が明らかになるラストとオーバーラップした。砂の器
の事件はらい予防法による差別と偏見による事件が背景に
あった。現在では不況による家庭崩壊や児童虐待とネグレクト
という現在の社会問題により犯罪を、犯さないとならなかった
父と娘の苦悩と悲劇が良く表現されている作品だった。
あらすじは、小説と映画はネット配信で観賞できるので省略
します。日本橋周辺の橋を月ごとに橋を変えて父と娘が、
連絡を取るのが面白かった。清洲橋は出てこなかった。
娘を捨てた母親に自分と父親の、その為に苦しんだ事実を聞か
せると母親が発狂して座り込む姿が印象的だった。
共感力と理解力が残っていたから発狂する事が出来たとおもう。
最近は、サイコパスやソシオパスは、馬耳東風で何も感じない。
酷い母親だが老後は、自分が過去にした事を知って死ぬまで
後悔すると思われる場面は、印象的だった。期待しないで観た
ので、予想より面白かった。時代や社会背景が変わっても親次第で
生きるのが大変な人がいるという事は、複雑に形を変えて続くのかも
知れない。



2019年03月10日

『君の膵臓をたべたい』(2018年)月川翔監督作品を観た。
タイトルは、昔の人は身体が病気になると、悪くなった部分
を食べると病気が治ると信じていた事から付けられている。
人魚の肉を食べると不老不死になるとかエビデンスは無いが
治療法が無いと縋りたくなるのが人情らしい。
映画は「星の王子さま」のキツネとの会話の授業の場面から
始まった。「肝心な事は目に見えない」は、さよならをして
悲しませるぐらいなら仲良くならない方が良かったとキツネ
が説いた言葉らしい。絆・飼いならす・特別な一匹になるなど
の意味らしい。沢山のバラと王子の星に咲く一本しか無いバラ
のとの違い。
何か難民支援で誰の為に使われるか解らない寄付とチャイルド
スポンサーの心理的違いなど考えさせられる。
えこひいきと均等な平等の維持など秩序の維持など深く考え
させられる。
重病で余命が少ない少女との思い出話の映画だった。
偶然、盲腸で入院した時に共病文庫を拾いクラスで人気の
少女の秘密を知ってしまう。君という呼び方は、人間関係で
適度な距離を取っているという事を表現している。「オタク」
の語源は、マニアックな趣味の仲間同士でも相手のプライバシー
に踏み込まない暗黙の了解で互いに呼び合っていた事に由来
する。何にでも「さん」を付ける子を好きになった。
理由は、物でも人でも敬意を払うからだ。互いを思いやる事が
出来ない人間が増えた現在には、他人との関係を良好に築き
維持する上で参考になる映画だった。他人とのコミュニケーション
にゲームを利用して「真実か挑戦か」を選択して距離を近づけて
親近感を得ていく方法が若い世代の感覚っぽい。
「親しき仲にも礼儀あり」と昔から言われているが「空気を読め
ない・KY」に「コミュ障」と開き直ってメンヘラをアピールし
周囲に不快感を耐えても寛容な扱いを要求する恥知らずで見苦しい
人間も存在するので、そんな人は、この映画を観て理解出来れば
人生を良い方向に修正できそうだと感じる。
人間は、何時死んでしまうか解らない「生き様・死に様」が共感
を得られるように日々を大切にしたいと考えさせられる映画だった。
重病で余命が少ない所で「通り魔に刺し殺される」終わり方は、
他人への敬意と真逆の暴力的は犯罪者が社会に野放しにされて
いる社会への問題提起を感じさせてくれた。精神障害者は迷惑
行為の原因が己にある事すら気がつかない。精神病院や刑務所
に閉じ込めて隔離する基準を緩めて一般社会に対応を求められ
他傷行為の巻き添えにされても困る。
静かな最後を死期の予想が出来ている人の中には計画していそうだ。
共病文庫は、勝てない事が解っている「闘病記」だから、やるせない。
星の王子様の作者は、飛行機でドイツ軍の飛行機に撃墜され敵の
バイロットがサン=テグジュペリの愛読者で自分が撃墜した偵察機
の可能性があり「長い間、あの操縦士が彼では無いことを願い続けた。
彼だと知っていたら撃たなかった」と長年後悔したという新聞記事を
2008年頃に読んで知った。誰もが未来は解らない誠実に生きる事の
大切さを教えてくれる映画だった。
時代で制服のブレザーの色を変えて解りやすい設定だった。
アニメ版もあるので機会があれば見たいと思う。



2019年03月08日

『グリーンブック』(2019年)ピーター・ファレリー監督作品を観た。
時代背景は1962年で公民権運動で、キング牧師の「私には夢がある」という
1963年の演説が行われる1年程前の話だ。。1964年にキング牧師は
ノーベル平和賞を受賞し1968年に暗殺されるという事件の前だ。
『弾丸を噛め』の時代背景が1906年で黒人差別で虫歯の治療を受けられず
弾丸の薬莢でジャケットクラウンを歯にかぶせて大急処置をしてレースを
戦った騎手の話を思い出した。映画は、ニューヨークのナイトクラブで
用心棒をしているイタリア系移民のトニー・リップは、勤めている店の
改装工事の期間の仕事にドクター・シャーリーの求人に応募する。
住所を訪ねるとカーネギーホールで部屋がホールの上にあった。トニーは
医者の運転手だと思い込んで診療所を探していたが有名なピアニストだった。
雇い主はレコード会社でトニーは、面接で迷ってしまう。ドクターとは
シャーリーが2歳で母親からピアノを習い、9歳の時にレニングラード音楽院
に入学する機会を得て音楽、心理学、典礼芸術の3つの博士号を持っている
からだ。日本ならYMOの坂本龍一が教授と呼ばれていた感じだ。
タイトルのグリーンブックとは、1936年から1966年に刊行されていた黒人向け
旅行ガイドブックでアメリカ南部の州は、1876年から1964年は有色人種の
一般公共施設の利用を禁止する【ジム・クロウ法】があり厳しい制約と偏見の
地で無事に旅行するため、ニューヨークで元郵便配達員のヴィクター・H・
グリーンが、全米の黒人の為に利用できるホテルやレストランなどをまとめて、
毎年発行していた本が「グリーンブック」だ。昭和の終わりにイエローページと
いう変わった店のガイドブックがあったけど深刻でなかった。
グリーンブックは、ジム・クロウ法の適用内容が郡や州によって異なった南部で
車で移動する黒人達の必需品だった。トニーは二人の子供と妻を残して
プロンクスの家を2月間留守にして演奏旅行の運転手と用心棒をする。
妻がシャーリーの冥界のオルフェウスというレコード買って仕事の参考にさせ
るとジャケットに冥界の餓鬼として沢山の子供が写っている写真を見てタイトルまで
オーファンOrphan(孤児)と読み間違え教養の無さを感じさせる。賽の河原の子供の
概念はギリシヤ神話にあるらしい。人種差別が強く残っている南部に行き黒人に
不快で身の危険すらある法律や習慣が残る南部でホテルに宿泊してコンサートを
行うシャーリーの目的は何か後で理解する事になる。
泊まれるホテル、使えるトイレ、乗車出来る交通機関、食事の出来るレストラン
病院など白人用と黒人用が分けられていた。ジャイアンツのレアータ牧場の
孫がレストランで差別を受けて殴りあいになる名シーンを思い出す場面があった。
演奏を頼んだ店が駐車場はVIPだけどシャーリーの控え室兼更衣室は、物置で
その店のテーブルは白人専用で食事も出来ない。トイレも白人専用で使わせて
もらえない。キング牧師の「私には夢がある」の内容を可視化する場面だ。
クリスマス・イヴまでに帰る予定から、黒人差別を強く糾弾しないで色々な
トラブルがあってもクリスマスには、みんなが和解してハッピーエンドで終わる
クリスマス・ストーリーとロードムービーだった。最初に書いた公民権運動の
うねりは、この映画では感じられなかった。
ケンタッキーでトニーは、ケンタッキーフライドチキンを喜んで買う。
車の中でシャーリーにも勧めるがシャーリーは躊躇する。フライドチキンは
南部の黒人奴隷が安くて栄養があり満腹感が得られる農場労働者の奴隷の
食べものだった。皿もナイフとフォークも使わないので日本だと箸を使わない
にぎりめしみたい扱いかも知れない。トニーは道端で立ち小便をするが
シャーリーは、顔をしかめる。車の窓から紙コップを捨てると拾いに車を
戻したり、みやげ物屋で落ちていた翡翠をポケットに入れたトニーに金を
払うか返してくるように諭す。法律の隙間をデタラメと腕力で生きてきた
トニーにモラルとマナーに気づかせる。テタラメはライアーでは無いいう
やりとりが劇中であった。日本ではハッタリのニュアンスが近いかも知れない。
ハッタリはブラフなので英語だとしっくり来ない。トニーはこのツアーで
人格者へと変わっていく。バレなければ多少の犯罪を、起こす程度の道徳心で
クラブの用心棒だった男の心が成長しクラブの支配人になり家族や部下から
尊敬されるようになったと感じるエンドロールだった。旅先で妻や子供に
書く手紙は教養とセンスを感じ家庭や家族への敬意と愛を感じる文章を書ける
ようにシャーリーのアドバイスで上達した。シャーリーから暴力を振るう事は
敗北だと言われて、しっかりした問題解決能力も身につけられたと思う。
有名なピアニストでありながら南部でひどい扱いを受けるシャーリーを
見て考えが変わる。南部の警察は黒人への扱いが酷い。トニーは運転手を
しているのでイタリアと黒人の混血かと言われ警官殴ってしまう。
留置場からシャーリーは電話をかけるとケネディー司法長官から知事に連絡が
行き暑長が青くなって釈放する。州兵を動かすとまで知事に言われたみたいだ。
釈放されたときトニーはシャーリーに凄い人脈だと言うがシャーリーは、
大切な知人に迷惑をかけて自分は、大変恥ずかしい思いをしたという。
トニーは、上流階級の価値感を学んだみたいだ。トニーの人間として成長
する場面だった。
雪の中をニューョークに戻る途中、パトカーの警官に車を止められた時は
一瞬ドキッとするが車のタイヤがパンクしていたので親切に教えてくれる
展開だった。路面の積もった雪では振動でパンクに気が付きづらい。
利にかなったシュチエーションだ。社会問題が複雑かつ増加した世の中で、
古き良きアメリカの変革期をモチーフにした作品が丁度、時代が求めている
タイミングで白人の為のアカデミー賞と揶揄されている状態を脱却する事も
加わって受賞が出来たとも思えるが良く出来ていて面白く、ほんのり感動も
出来る良い映画だったと思う。
非暴力非服従のガンジーの影響もあった公民権運動は、日本の忠臣蔵みたい
虐げれた者が本来の権利を勝ち取る流れに近い。人種差別と別の視点で階級
差別をテーマにしたマイ・フェア・レディーは、言葉使いによるクラス分け
だった。奴隷制度・王侯貴族と大衆・地主と農奴や資本家と労働者・
婦人参政権・人種差別・LGBTQなど時代によって虐げられた対象が
可視化されると社会の価値感が変わり法制度まで変わる。善悪の基準が
変わるのは、社会問題が明確になると変えざるえない。法制度の変化で
既得権を奪われる側は受け入れられないで陰謀論だの常識の書き換えだの
とデマを流して混乱させる。アメリカでは、卑怯に顔を隠して黒人をリンチ
して殺すKKKまであった。LGBTQの映画なら『ミルク』(2008年)の
活動家ハーヴィー・ミルクの生涯もあった。人間が生きる上で全ての行動や
選択には責任が伴う。権利と義務の関係だ。失敗したら悔い改めるだけでは
不利益を被った方は、怨念や恨みを持ち続ける。報復の機会があれば躊躇なく
実行され美談に昇華させ復讐劇になる。最近のアニメを見ると「約束のネバー
ランド」や「ワンピース」のビック・マムが孤児院出身者だったりしている。
児童虐待を扱った映画や童話は、多く封建時代の童話なら「シンデレラ」や
「白雪姫」は誰もが知っている、時代背景が近代になると「長靴下のピッピ」
や「アニー」もっと最近なら「七人の弔い」と言う映画もある。
このジャンルの作品がこれから増加しそうだ。ダメな大人を兵隊に使う
「幼女戦記」などもフィクションだけにスカッとする。しかしベーシック
トラストを幼児期に育めないと人間は、人として生きる機会を失い続ける。
トニーは家庭環境は底辺でもベーシックトラストを育め家族を大切にしていた
からシャーリーから多くを学べた。『最強のふたり』(2011年)も、頸髄損傷で
体が不自由な富豪から介護人に採用された貧困層の移民の若者が多くを学び
成長した映画もあった。出会いの機会があっても他者への敬意が無ければ人生で
全ての機会を失う。天から蜘蛛の糸が垂れていても自ら切ってしまう行為だ。
身の回りで流されるフェイクな情報からファクトチエックして真実や本質を
選択しエビデンス(科学的根拠)を確認すると未来は少しづつ拡がる。
過去の名作と言われる映画と積み上げられた人類の歴史を旨く活用して良い映画を
作ったと感心できた。



2019年02月27日

『翔んで埼玉』(2019年)武内英樹監督作品を観た。
原作は、魔夜峰央のコミックでかなり以前にアニメ化
されたバタリロなど有名な作品は観ていたのとコミック
も読んだ事があるので実写化は難しいと思いながら観賞
した。武内英樹監督は、『のだめカンタービレ』と
『テルマエ・ロマエ』の実写版を監督しているが『翔んで埼玉』
はアニメ化されていないで実写映画になったのでコミックの
内容を殆ど覚えていない。そのため比較は出来ないが差別と
抑圧から権利を勝ち取るというストーリーは、フランス革命の
階級闘争と奴隷解放運動がミックスしたような話に秘境に探検
に行くようなシュチエーションが合わさり、改造バイクや
デコトラが流山で対決して埼玉と千葉が共闘して都庁に攻め込み
闇の手形で得た金塊を茨城のあかぎで発見して不正を公にして
通行手形を廃止するという流れだった。
白鵬堂学院という架空の高校にはA〜Zまで23区の都会指数を
カースト制にしたクラス分けがあり制服の色や形まで異なっている。
実際の組織では、仲間意識も団結も分断されるので職能別で制服が
異なる事は、あるが初めて見る設定だと感じた。同じ学校でも音楽
と美術なら全く異なるジャンルなので練習内容が違うし運動部も
制服は異なるが教養科目で制服が異なるのは初めて見たという事だ。
登場するエキストラが多く久しぶりに制作費を多く使った映画だと
思って楽しめた。ファミリーマートとガリガリくんの発祥の地で
うどんも名産だけど讃岐うどん程は、知名度が無い。海が無いけど
鯉のぼりの産地だけど登場しなかった。草加せんべいは、登場して
いた。特産が無いからサイがサッカーのボールに乗っかってサイタマ
というキティーちャんがあるらしい?深く考えないで軽い気持ちで
見ると楽しめる作品だと感じた。原作のマンガは技能実習生や移民の
問題が殆ど無かった時代の作品なので考えないで見ると良い。
1980年代初めの気分で観賞するのが良い作品だ。東京23区と
市部でアルファベットが埋まってしまう。東京に含まれる諸島の話まで
登場しない。下町の話は、葛西が登場した。原作は都庁が完成する前だ。
映画に都庁は登場したが下町のスカイツリーは登場しなかったと思う。
横浜の崎陽軒のひょうたんの醤油入れとくるみが印象にのこるアイテム
だった。千葉は、落花生が登場した。
胸で手をエジプトのミイラみたいに組んで親指と人差し指で丸を作り埼玉
を表現するポーズも受けるかも知れない。



2019年02月21日

『ダンガル きっと、つよくなる』(2018年)ニテーシュ・ティワーリー
監督作品を観た。ダンガルとは「戦え」と言う意味だ。
マハヴィルはインド人選手初の金メダルを目指しアマチュアレスリングの
インド代表になるが父親から生活苦で諦めて引退させらる。マハヴィルは
自分に産まれてくる息子に自分の夢を託そうとする。しかし娘ばかりが
生まれ夢を諦めていた。十数年だ経ち、長女のギータと次女のバビータが
同じ歳頃の男と喧嘩して勝ってしまう。2人の娘にレスリングの才能があると
気がついたマハヴィルは妻のダーヤに、2人にレスリングを教える事を許される。
娘たちは父親の夢を押し付けられ反発するが従兄弟のオムカルも加わって特訓
を受ける。女の自分達をレスリングの特訓をさせる父に反感を持つ事もあり
練習をさぼるが二人は友人の結婚式に出席し友人から親に結婚をさせられて
14歳で好きでもない年が離れた相手の所で家事・料理・子育てをして自分の
意思で人生を生きられない境遇だ「父親から将来を案じられている2人が羨ましい」
と聞かされる。そこで考えが変わり父親は新しい女性の生き方を切り開かせて
くれていて頑張る環境を整えている事に気が付き2人はそれまでの態度を改め
真剣に特訓に励み始める。昔、女子プロのヒール(ダンプ松本)が暴力を振るう
父親より強くなるためにレスラーになって父親を懲らしめようと思ったが強く
なったら父親を暴力で懲らしめるのは、バカらしい、強い相手と戦う方がいい
みたい事をテレビか何かで言っていた事を思い出した。相手より圧倒的に強く
なり相手が手の届かないと諦める状態にする事は、戦わないで勝つという事なの
かも知れない。2人の娘はレスラーとして成長し父のマハヴィルは、娘のギータを
地区のレスリング大会に出場さようとする。試合の主催者側は女性の出場は
出来ないと拒んだが、集客が見込めると方針を変えてギータの出場を許可する。
惜敗したが、闘争心を刺激されたギータは次の大会へも出場する、ギータは
次々と大会で結果を残していく。ギータに遅れて大会に出場するようになった
バビータも結果を出せるようになる。ギータは女子レスリング州大会で優勝する。
州代表になったギータは国立スポーツ・アカデミーのインド代表団入りして
国際大会を目指すが、選手仲間やアカデミーのコーチの影響で父親の特訓方法を
「古臭い方法」と変えてしまう。その為、ギータは国際大会で連敗する、
反対に父マハヴィルの特訓方法を続けているバビータも州大会で優勝し
インド代表団入りする。ギータは2010年コモンウェルスゲームズの前に
スランプに陥る。バビータに相談し父マハヴィルに助けを求める。
父マハヴィルは甥のオムカルと2人の娘の元に向かい、インド代表団とは別に
娘たちをコーチする、この事にアカデミーのコーチのプラモドが気づいてしまう。
プラモドは国立スポーツ・アカデミー会長に姉妹を代表団から外すように言うが、
会長にマハヴィルは謝罪して追放されないようにする。マハヴイルはアカデミーに
出入りが出来なくなる。しかし、マハヴィルは、こっそり電話でギータへアドバイス
し続ける。コモンウェルスゲームズが始まり、ギータは悪い予想に反して初戦で
勝利する。ギータは、その後もアカデミーのコーチのプラモドの指示より観客席の
父マハヴィルの指示を選び決勝戦に進む。決勝戦の前日の夜に、父マハヴィルは
娘のギータに「低い立場に置かれている全ての女性たちの希望になれ」と言われる。
決勝戦の当日に、マハヴィルとオムカルは会場に到着するが、コーチとしてプライド
を潰されたプラモドの部下に、マハヴィルは会場に案内すると思わせられて倉庫に
連れて行かれドアに鍵をかけられ閉じ込められる。ギータは観客席に父親の姿を探す
が席は空席だ。父の姿が見えない状態で決勝戦が始まる。父マハヴィルの姿が見え
ない為かリングで劣勢になる。しかし、マハヴィルの教えを思い出したギータは
逆転勝利しインド人の選手で初めての金メダルを取る。試合会場にインドの国歌
「ジャナ・ガナ・マナ」が流れて、マハヴィルは閉じ込められた倉庫の中でギータが
優勝したことが解り涙を流す。倉庫から出る事が出来たマハヴィルは会場に戻り
ギータとバビータの2人の娘を抱きしめる。逆境から立ち上がる「巨人の星」や
「明日のジョー」を思い出させるインド版のスポ根映画で面白かった。
置かれた所で花を咲かせる話だ。但し実りがあるかは解らない。例え打ち上げ花火
でも多くの人の記憶に残る姿を残せという意味が込められていた。



2019年02月11日

『夜の蝶』(1957年)吉村公三郎監督作品を観た。
タイトルの「夜の蝶」は水商売の女性を意味する言葉
だが映画や小説が元なのか言葉が先なのか解らない。
石彫の顔を連想させるオブジェ・コンクリートのオブジェと
無機質な物体から竹を束ねたようなオブジェが女やビルや
京都の芸者を連想させる。金属のオブジェは光を反射するので
ネオンを連想するように感じさせる。東京と関西の夜の女の
物語が始まる感じが旨い。
映画は、夜の銀座の空撮から始まった。銀座のネオン看板が
映されて「どうして日本人は、外国語の店の名前を好むの
だろう」東京の人口が8百万、日本の人口が8千万、一割が
この街に集中している。ここに2百軒の酒場がある。権利金
40万の店・原価125円のビールを4百円で売る。サービス
料が100円、この中から女給の給料が出る。税金は38円
(豪華な食事や高級な飲み物は贅沢品として当時、飲食税が
加算されていた。庶民が行く安い店は飲食税がかからない値段
だった。)現在は、立ち食いや立ち飲みでも消費税が一律に
課税される時代になり富裕層は更に優遇され税金が累進から
逆進される矛盾を感じている人は多い。
夜の銀座の空撮から橋の上でタバコを吸って橋の欄干に寄り
かかって人を待っている男が映し出される。この男は女給のを
周旋業をしている。男は花屋を連絡場所にしている。
橋の上で女を見定めている男は、ヨーロッパ映画っぽい雰囲気
を感じる。田舎から出てきた女にジャズ喫茶の場所を尋ねられ
教える。手帳には、周旋した女達の名前と店が書かれている。
求人情報誌の無い時代は、ホステスを雇うのに周旋業の男の
情報と人脈が必要だった。この男は秀二という。新宿スワン
みたい半グレと違い医学生で学費の為に周旋業をやっている。
原田秀二は、戦争で手を負傷してバイオリンの夢を断たれた
が演奏が出来なくなってもピアノで作曲は続けている。
「モーツアルトの時代からスポンサーの無い音楽家が金持ちに
なったためしは無い。」みたいセリフが医大の学費の援助を
女から受けている事を自分で納得する為の独り言みたいな
ナレーションが流れる。「貧乏モーツァルトと金持ちプッチーニ」
という最近読んだ本を思い出した。
学徒出陣の行進と戦場で負傷した場面が原田秀二の過去を理解
させてくれる。
女の方から寄って来る男だ。原田は冷静に女を見て適した店を
紹介している。女という商品に手を付けない所がハードボイルド
っぽい感じを出している。この男は自尊心があるので夜の世界に
深入りせず客観的な立ち居地が橋の真ん中という演出みたいだ。
昼と夜・この世とあの世や『哀愁』の ウォータールー橋(イギリス)
や昭和の『君の名は』の数寄屋橋を連想させる。
銀座の高級バー「フランソワ」を経営しているマダム・マリの店
を中心に物語は、進行する政治家や経済界の有力者の客がくる店だ。
その店がある銀座に、京都から舞妓上りの、おきくが、競合
しそうなバーを開店させることになる。
おきくは、同業の店に挨拶廻りをするが、その中にマダム・
マリの妹分であるけいのバーリベラもあった。おきくは、けいの
恋人で女給を周旋業している秀二に現金を5万円を払い、
女給の周旋を依頼する。今で言うホステスの事を当時は女給と
言っていた。そしてマリの店と競業し始める。銀座の夜で話題
になる。酒を飲んで、人の噂話をするのには、いい酒の肴だ。
高い金を払って遊べる男は、女との会話と豪華な雰囲気と女の
色気を楽しめる。
性欲を抑えられない、下品な男には、手の届かない世界だ。
座っただけで性風俗で何度か遊べる値段だ。芸者あそびが出来る
甲斐性(財力)が無いと相手にされない。売春禁止法で商売換えした
京都で置屋をやっている、おきくも店を出店しする。マリの店と
客筋が被ってしまう。この競合は夜の銀座の話題になる。マリと
おきくの因縁は古く、かつて大阪で結婚したマリの夫が京都で
囲った女がおきくだっという。おきくはマリの夫の死後、京都に
バーを出し、おきくは、自分より20才も若い現役の医学生、
原田秀二の学費を援助して、おきくは原田と結婚して将来は開業医
の妻になる夢みている。
昼間は、大学でウサギの動物実験をする場面が印象的だ。
手足をベットに拘束されて生きたまま実験台で血液を絞られた
ウサギの鳴き声が怖い。ウサギは鳴かないので、昔は、小学校で
良く飼われていた。(珍しい鳴きウサギは珍しくピッピッと鳴く)
助手の女は、気分が悪くなってしまう。
この銀座に関西のデパートも進出しようと根回しをする為に
社長の白沢と片腕の木崎が現れる。マリは白沢を密かに恋慕って
いる。しかし白沢は、おきくのパトロンで、おきくの銀座進出の
協力者で結婚を望んでいる。
おきくが原田のアパートを訪問すると大学で動物実験していた同僚の
女性の浅井君子が居て、おきくは、原田に浅井を紹介されて学費は、
2人で一緒なりに返済していくと言われる。おきくの結婚の夢は断た
れる。デバートを東京に進出させようとしていた白沢は、片腕の木崎
に裏切られ失敗する。そのことを知ったマリは、白沢を、誘惑して、
マリと白沢の二人は車で白沢の別荘へ泊まろうと夜の京浜国道で車に
同乗して向かっていた。おきくは、2人の後を車を運転して追いかけ
クラクションを鳴らして何かを伝えようとする。対向車線を並んで走り
無理に追い越して前に回り込もうとして2人の乗った車を巻き込み
ガードレールを突き破り崖から落ちて死んでしまう。
マリとおきくは死んでしまい白沢は運よく生き残る。
喪服を着てフランソワに残ったホステスや原田達が集まっててる。
原田は、残されたホステスが移る店を手帳を見ながら伝える。
事故死したマリの妹分の、けいが葬式でマリの店を買い取ると言う。
他人に売られるよりいいでしょ。お金は、リベラを売って作るといい
ながら値段を考えている。けいは小さな袋から出したソロバンをはじき
流石はマリの妹分の女経営者だ。マリは黒いリボンの肖像画の遺影になり
置かれている。原田は店から外に出て行く。「今晩あたりは、死んだ
二人の事で話題は、持ち切りだ。だがそう長くは続かない。生きている
者達は、自分らの明日の事を考えるだけで精一杯だ。」とナレーションが
流れる。原田は、いつものように橋の上に立っている。画面が夜の銀座の
空撮シーンになり映画は終わった。客観的なポジションの原田にとって
夜の女は、動物実験のウサギみたいに見えていたり、蝶の様にヒラヒラと
して掴みどころが無い生き物として観ていたのかと感じた。
おきくが死んだので援助してもらった原田の学費は、チャラになったの
かも知れない。男を食い物にする女が勝ってに死んでしまうが女殺しと
思われそうな話の流れは面白い。
しかし現実は映画みたいに旨くいかない。深入りすると子供が出来たり
して悲劇が始まると考えたほうが良いと思う。



2019年02月08日

『未来のミライ』(2018年)細田守監督作品を観た。
オープニングの音楽の時点で、物語が始まる前の家族の
写真がスライドみたいに写されているので配役のテロップ
より画像に注目すると物語が良く理解できる作りだ。
庭付き一戸建てだけど周囲の家よりウナギの寝床みたい
土地に建築家の父親が変わった家を建てて住んでいる。
中庭の木に特徴ある建物だった。
くんちゃんは、プラレールが好きでオモチャが沢山あり
鉄道に詳しい。兄弟が増えて親の愛情が、いきなり赤ん坊に
向いてしまい孤独を感じてしまった子供の話だ。前半は、
子供のダダを見せられて疲れる。弟や妹が出来ると遊んで
くれる相手が増えると期待するが親は、育児で忙しくなり
前みたいに構ってくれない。手間がかかる赤ん坊に両親の愛
を奪われ嫉妬し腹を立てる4歳の子供だ。庭で、この家に飼わ
れているミニチャア・ダックスフントの「ゆっこ」が人間に
変身して現れて今の気持ちは嫉妬だと言う。くんちゃんが
生まれる前は犬のゆっこが家族に可愛がられていたが、
くんちゃんが生まれ犬のゆっこへの愛と世話はくんちゃんに
移ったと言われる。その犬人間には、しっぱが付いていて
くんちゃんは、しっぽを抜いて自分の尻に付けると犬に変身
する。おおかみこども みたいなシーンだ。妹は「未来」と
名づけられる。雛人形を飾る。めびなとおびなのセットだ。
母親は出版社の仕事に復帰し父親が在宅で設計の仕事をする
ので子育てを担当する。ごく一般的な共働き家庭では富裕層だ。
生活費を稼ぐための共働きと言うよりは好きで仕事を続けて
いる感じだ。建売で無いオリジナルの家に新幹線で孫の家に
来る事が出来る祖父・祖母や周囲の家が豪邸の生活環境など
高給住宅地で庶民感覚では無い。父親は仕事をしながら子育て
するのでくんうちゃんの相手をなかなか出来ない。雛人形も出
しっぱなしで仕舞うのが遅れていく。庭に未来から妹のミライが
現れて雛人形をひな祭りが終わったから仕舞わないと嫁に行く
のが遅れる。1日片付けるのを伸ばすと1年延びてしまい
毎年片付けが遅れ放置すると累積して大変な事になる。
ゆうちゃんは未来に片付けの協力を頼まれが、好きくないと
いやがる。未来は、はちゲームで体をつつっく。嬉しそうな
顔で「もっと」と言って協力する。父親に片付けを頼んだが
後でと仕事を続ける。くんちゃんは、父親に頼んでも何時に
なるか解らないので自分で片付けようとするが手が汚れた
状態なので未来は、人形を汚したり傷めそうなので未来とゆっこ
で協力して、くんちゃんは父親が気が付かないように気を引く
ことで協力する。「しゃく」がおとうさんのお尻にくっついて
何とか回収する。マニュアルを見ながら人形は何とか箱に収納
される。
お母さんの仕事が休みの日に、おもちゃを片付けない事を叱り
くんちゃんは、怒りで、自分の、おもちゃ箱をぶちまけて中庭に
飛び出し庭で泣くと海の中をタイムスリップして床屋の電柱の影で
泣いている自分と同じ年の母親と出会う。おばあちゃんが動物アレ
ルギーでネコを飼わせてくりないから泣いて手紙に感情を込めたと
いう。おもちやを散らかしてお菓子を食べる時に部屋を散らかすと
美味しくなると言われ一緒に散らかす。幼少の母親と自分が同じ
年齢で時を過ごした。母親は、結婚するまで部屋を片付けられな
かった。母親の子供時代を知った。
自転車も簡単に買ってもらえている。お父さんと公園で自転車の
補助輪を外して乗る練習をしていた。うまく乗る事が出来ない。
未来がベビーカーで泣き出し家に帰る。再び中庭に飛び出すと
夏の世界が広がっている。飛行機の風圧で目を閉じて、目を開けると
工場みたい場所に変わっていて青年が立っている。
ひいお爺さんの若い姿だ。くんちゃんを馬に乗せてくれてから
オートバイにも乗せてくれる。戦後に馬を何頭も飼っていて人を
雇っているから金持ちだ。オートバイまで自作だからエンジニアで
地位がそうだ。敗戦の後でもガソリンや馬の餌代に使用人までいた。
「ずっと先を見る。下は見ないで、何があっても遠くだけ見る」と
教えられ、この体験で自転車に乗れるようになる。
家族でキャンプに行く準備をしていて黄色の半スボンが洗濯した
ばかりで紺の半ズボンん゛気に入らず「みんな好きくないのっ!」と、
オレンジジュース、バナナなどをリュックに入れ中庭へ行くと、
くんちゃんは、無人駅のホームにいた。
ホームの待合室にいた男子高校生に、「ズボンと家族との思い出
どっちが大事なんだよ」と言われ、くんちゃんは拗ねていたので
「ズボン」と言う。電車が来たので男子高校生に「のるな!」と
言われても乗ってしまう。黒い新幹線とすれ違う、くんちゃんを
乗せた電車は、未来の東京駅に着き迷う。遺失物預かり所の前に
子供ばかりが並んでいる。くんちゃんの番になりメガネのロボット
が「どんな荷物を失くしましたか?」と聞かれ「迷子」と言う。
「失くしたものは自分自身、というわけですね」と家族の名前を
聞かれても答えられない。呼び出しができない、行き場所の無い
子供は、地下のホームから黒い新幹線で「ひとりぼっちの国」に
送られる。新幹線に引き込まれる時に、泣き声がして赤ちゃんの、
ミライちゃんの姿が見えた。黒い新幹線のドアに近づいていくので
「そっちに言っちゃダメ!」と止めようとする。
くんちゃんは、ミライちゃんを抱え、引き戻し妹の未来の名前を
思い出し「くんちゃんは・・・ミライちゃんのお兄ちゃん!」
と言うと遺失物係は、メガネを動かし「イソイソ区からお越しの
ミライちゃん。ミライちゃん。地下新幹線ホームで、おにいさまの
くんちゃんがお呼びです。」とアナウンスするとセーラー服姿の
ミライちゃんが、空中を飛んで「いくよっ」と東京の空へと舞い上がり
空が地面になり、草原に立つ一本の木に向かい降りていくと、くんちゃん
の中庭の樫の木に着く。樫の木は、現在と未来と過去をつなぐ木でした。
そこで、ひいお爺さんとひいお婆さんの結婚は、戦争で足を負傷して
早く走れない状態で、かけっこをしてひいお爺さんが勝った事で
ひいお婆さんは、勝ちを譲った過去や、ひいお婆ちゃんのネコ嫌いは、
子供の時に手に怪我をさせられた事だと知る事が出来て家族の歴史を
知り自分の立場を受け入れる心の準備が整う。
現実に戻ると洗濯乾燥機から黄色い半ズボンが飛び出してくるが
紺のズボンのままキャンプに行く事に決めてミライちゃんにバナナを
与え思い出を作る事にする。こんな感じで映画が終わった。
現在では上流家庭の仕事と子育てみたい感じを受けるのは、憧れを持っても
到達できないと感じる程に社会の分断と格差の固定化が起こっり子供の貧困化
が増えたからかも知れない。ストーリの流れは難解だが家族の歴史と絆を
つなげていく物語でファンタジー要素が加わった作品だった。
兄弟リスクを感じる人は、絆が重りの付いた鎖に感じそうだ。
過去に行き家族の歴史を知る場面で、この物語では長男や長女の苦労話で、
次男・次女は、理解しずらいと感じた。三男は、長男・長女と年が離れて
母親や父親の変わりに世話をしてもらうっいてる事もありそうだ。
その代わりに長男は、家を相続し次男・三男は家を出て働きに
行ったり軍隊に入ったりするのが昭和の初めまで当然だった。
現在は、相続の権利は平等だが長男・長女は義務は、そのまま
で手間の、かかる弟・妹の世話をし失敗の責任まで押し付けられ
負担が大きく更に、親から虐待を受ける事がある。次男・三男は、
親の暴力を受けている長男・長女の姿に脅え失敗しない積極性を
持てない性格になったり直接の暴力は受けないが精神を病んで
しまう可能性がありそうだと考えさせられた。観ているのが辛い
感じで半分の時間が過ぎた。この状況がシンデレラみたいステップ
ファミリーなら大変な事は、誰もがイメージできる。虐待のニュース
が多く幼少期の生活は、特にベーシックトラストを得られる家庭
環境は重要だ。賛否両論の作品だった。



2019年02月07日

『スリー・ビルボード』(2018年)マーティン・マクドナー監督
作品を観た。ミズーリ州エビング架空の田舎町で10代の少女の
レイプの後で焼き殺される事件が起こった。事件から7ヶ月が
経っても警察から事件の捜査が進捗が知らされないまま忘れられ
そうに感じている。いつもの道に3枚の空き広告があるので看板
の管理と広告をしている会社に広告を出すことにする。
「娘はレイプされて焼き殺された」「未だに犯人が捕まらない」
「どうして、ウィロビー署長?」の3枚だ。看板の所で歩いていた
所をレイプされ焼き殺された。看板の近くがレイプ殺人事件の現場
で人通りが少なく目撃されずらい。死体を焼いた焦げた草に事件の
痕跡が残っている。警察は証拠が集まらず唯一のDNA鑑定も過去の
犯罪者と該当し無い。別れ去られそうだが看板を設置する事で注目
され犯人逮捕につなげたいと言う希望に5,000ドルで契約した。
警察は看板に誹謗・中傷は無いが、犯人の手がかりを掴めず容疑者
を捜せない事が、後ろめたい。その為に、被害者の遺族に、さか怨み
し、目障りに感じる人も中にはいる。看板を外すように、警官の
ジェイソン・ディクソンはいやがらせしてしまう。
ウィロビー署長は、末期のすい臓ガンで余命がない。妻と娘を2人で
家族と湖でピクニックをしてパパとの楽しい思い出と妻には、ただ
1人愛したという思い出を残し馬小屋の掃除当番を妻と代わり頭を
打ち抜いて自殺する。周囲に迷惑をかけないように遺書を残す。
病気が悪化し看病させた思い出を家族に残したくない。更に看板を
出したミルドレッドが看板のレンタル料で困っているので代払いして
俺が死んだ後も事件の犯人を見つけるように看板を維持してほしい。
名前は、死んだ後も残る。という遺書を妻が届ける。ミルドレッドの
行動で署長が自殺したと思い込んだ警官のジェイソン・ディクソンは
広告屋に乗り込み2階の窓から放り投げる。ウィロビー署長の後任に
黒人の署長が就任しジェイソンを解雇する。母親はジェイソンに警察
学校を5年・いや落第したから6年かけて卒業して2年で首になった
と言う。それから看板が3枚放火される。ミルジレッドは警察署が夜
は無人になるので火炎瓶で放火するとジェインが警察暑に入り鍵を
返却しウィロビー署長の遺書を読んでいる所だった。火事で焼けどし
入院すると自分が2階の窓から放り投げた男と同室で自分の行いを
恥じて涙を流した。署長の遺書に「レイプ殺人犯は、5年ぐらいすると
刑務所か酒場で自慢話をして捕まる事もある。」と書き残していた。
退院しジェイソンはバーでレイプ殺人の自慢話を耳にして酔って因縁を
付けてボコボコに殴られるが目的は、顔を引っかき爪にDNA情報を
得る事だった。家に戻ると母親は驚くがDNAを採取袋に入れて警察に
証拠として提出する。しかし戦地で犯した犯罪だった。ジャイソンは
いやがらせで看板を燃やしたミルドレッドに犯人でなかったと謝り
2人でレイプ殺人犯の住所に向かう。道すがらミルドレッドは警察暑に
放火したのは自分だと告白するがジェイソンは、当然だと感じてる。
レイプ殺人犯人を2人で殺すかと聞くと「道すがら考えましょう」と
答え映画は、終わった。インターネット時代でも古風な看板と人情を
感じさせるストーリーが良い効果を出していた。被害者が犯人逮捕の
看板を負担したりするのは、ひき逃げの場所に警察が目撃情報の提供を
呼びかける看板を設置する感じみたいだウィロビー暑長が看板のレンタル
料を払う気持ちは理解できてカッコ良かった。ジェイソンは自分の行動を
恥じて最後は、放火もお互い様みたいにミルドレットと車で悪人への制裁
を考える相棒になり終わるラストは良かった。その後は、首になった暴力
警官から復帰して立派な刑事になってほしいと感じた。
ミルドレットの家庭は、息子と娘がいて離婚したDVの元夫は動物園で働い
ていたがリストラされ馬を世話する仕事をしている19歳の少し知的障害の
ある若い女とつきあっている。元夫がミルドレットに暴力を振るおうとした
瞬間に息子は父親の首にナイフを当てて止めた。息子からしたら自分と近い
年の女と付き合っている父親に憎悪感があるだろう。ミルドレットはバーで
DVで解れた元夫に新しい「彼女を幸せにしないと承知しないよ」と言ったり、
未練がましくなく互いの未来がより良くなるように相手や周囲への気遣いが
出来る対応ができている部分を持っている所で暴行・殺人を描いた映画に
人情味を加えて根っからの悪人は少ないという感じにまとめて気持ちよく
見られる良い出来だった。



2019年02月06日

『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)ブライアン・シンガー監督
作品を観た。1970年代の初めに空港でバゲージの積み下ろしを
している若者のシーンから始まった。フレディー・マーキュリーは
バキスタンの移民でファルーク・バルサラという名前だった。
ライブ会場で「スマイル」というバンドに話かける。ヴォーカリスト
が抜けた後で、バンドはヴォーカリストが辞めたので探さないとなら
ないと言う。そこで歌を聞かせボーカルとしてバンドに加わる。
歯科学生のロジャー・テイラーは多歯を少し気にしたが歯が多い分音域が
広いと答えブライアン・メイは天文物理学でジョン・ディーコンは電子工学・
フレディーはグラフイックとアートだった。ベースは、聞かれベースは
出来ないと答えたがメンバーになる。ピアノを弾け多才だ。大学で学んだ
事よりバンドを選べるほど音楽の才能があるメンバー達だ。ファルーク・
バルサラからフレディー・マーキュリーと名前を変えクイーンのロゴを
作成し曲も作る。レコードのアルバムを作る為にワゴンを手放して金に
換え事を仲間達で決める。それが功を成して知名度も上がりアメリカで
チャートに入りして世界ツアーを開始する。クイーンはEMIのレイ・
フォスターにヒット曲の「キラー・クイーン」みたいな曲を制作するよ
うにと言われるが、似たようなことの繰り返しは、無駄な時間になると
反対する。フレディ達はオペラを超えるロック・アルバムを作ると郊外
の農家をスタジオにして曲を作りレコーディングをする。
メンバーと意見を交換し『オペラ座の夜』が出来る。しかし6分の曲は
長すぎて「ラジオでかけてもらえない」とフォスターが認めない。
ドラマやアニメや映画にも時間の規格がある。クイーンはラジオに出演し
「本来ならラジオで聴けない曲」と独占放送して時間の制約を克服する。
他のマスコミは酷評するが曲は大ヒットする。カセットテープが普及する
前後でレコードの時代だ。それからフレディーに世界のレコード売り上げの
4%はマイケルジャクソンでジャクソン5でないソロで活動してほいと打診
される。家庭用ビデオが普及し始めたのは1980年代で映画は映画館か
テレビのリアルタイムでしか見られない時代だ。娯楽はラジオの話と音楽
にマンガに小説が手軽な娯楽だった。1度は、バンドを抜けて活動するが
仲間ではなく部下みたいに上下差が大きく誰もが言われるままにしか仕事を
しないので孤独が増していく。「幸せは金で買えないが分け与える事は出来る」
と酒と薬に溺れてしまうが、仲間に誠実に謝罪しバンドに復帰する。
相手がある事なので謝罪が受け入れられるとは限らない。ここで誠実に謝罪
できる人間と自己保身にはしり他罰的開き直ってゴネて人生を棒に振るより
間違いに気づき改めるの大切だ。「ムチ打たれても良い・・」とまで徹底した
謝罪と仲間への気遣いと話し合う間の為に席を外す時間のタイミングなど
大切だと気づかせてくれる場面も良い。リムジンを止めて「俺の人生から
消えてくれ」と首にして追い出す場面は、人生に害となり得れ者が無い人間は
切り捨てる決断力も大切だと教えてくれた。全世界に衛星放送されるライブ
エイドへ出演を決める。オリンピックで放送に使う衛星は3つでアフリカの
飢餓を救うチャリティーは放送衛星を13も使う大イベントだ。このイベント
のライブが成功する場面は感動的だ。
「ママ、男を殺してきた」という曲も都会の不良からアフリカの少年兵に
イメージを変えて連想すると曲から受ける印象も歌詞と境遇で印象が全く変化
する事に関心した。この曲は、ライブエイドの場面に近い所で登場したので
改めて聞くと衝撃的だった。字幕で歌詞が解りやすく聞き流さず集中し事もある。
誰もが戦い続けチャンビオンになれる。戦いのリングはそれぞれだと言う事らしい。
スポーツ以外のゲームもある。歌手に脇役はいないが楽器を演奏者は複数だ。
人間は誰でも成功体験や王者の孤独と挫折を経験しチャンピオンに感情移入できる。
自分の人生の主人公は自分自身だ。フレディーは1991年で短い人生を閉じた。
情熱的な人生でゾロアスター教の火葬だが曲は残った。同性愛やHIVの描写も
ある。ラストでHIVの財団が作られたという所でエンドロールになり終わった。
自分とクイーンのビジュアルや行動に対する責任の取り方や置かれた立場を客観的
に判断できるから亡くなっても評価されると感じた。生き方は金の損得より周囲への
信頼と礼儀をわきまえる事なんだと勉強になる。劇中にネコが沢山登場し昔、猫の
エイズもあったのでラストを示唆している演出のかマホメットはネコを大切にして
いたけどゾロアスター教はどうなのか気になるが解らなかった。映画に昔に聞いた
曲が流れて音楽と伝記が説得力を増してくれて感動できる映画だった。
ペスト・コレラ・結核・ハンセン病・エイズなど不治で死に至る病は克服され
ていくが時代の先を考えると気が重くなるが真剣に生きた人は素晴らしいと
思う。監督個人の性的な暴行事件で『ボヘミアン・ラプソディ』がアカデミー
賞のノミネートから外されるらしいので映画の内容と関係ないが残念だと思う。



2019年02月05日

『メリー・ポピンズ リターンズ』(2018年)ロブ・マーシャル
監督作品を観た。メリーポピンズの続編で時代設定は1929年の
世界恐慌で前作が1910年なので19年後の話だった。自分が勤めて
いる銀行から借金して家を差し押さえられる手前で食い止める話
でメリーポピンズが凧と降りて来て傘で帰っていく話だった。
隣の時報に大砲を撃つ提督も生きていた。煙突掃除人からガス灯の
点燈の仕事に変わっていた。その為、『チムチムチェリー』と別の
曲になり自転車と脚立を使ったアクロバットに新しくなっていた。
夜に霧で行く先を見失ったら明かりを見つけて進もう、みたい事や
本は表紙で解らない中身が大切で最後は自分に合った風船を選んで
空を飛んで目的のドアが開く時を迎えて映画が終わった。
ビックベンの鐘が鳴るまでのシーンは顧客を騙して利益を倍にした
ウィルキンズは返済期日に留守にして延滞を理由に奉行所に訴えて
貸した金より莫大な価値の財産を奪い取る手法みたいだった。
ミスター・ドース・ジュニアが復帰し解雇したが現在では、銀行の
不祥事は社会問題になるが時代背景と子供向き作品なので気持ち
よく観賞できる加減だった。物語を左右する銀行の証券はメリーポピンズ
が降り立つ時に手にしていた凧に張られているというオチだった。
前作で貯金していた2ペンスに利息が付いていて家族の危機を救う事に
なった。アインシュタインが「宇宙で一番強い力は何かって? そりゃ
金利の複利 効果だよ」という言葉を思い出した。
メリー・ポピンズの原作は8冊の大作の前半らしいが読んでいない
がシリーズ化可能な量らしい。昔に映画は観たが原作を読もうと
思わないまま年数が経過していた事に気がついた。今の時代の感覚
だと家族の危機に児童相談所が介入する感じをイメージしてしまった。
映画は、鑑賞する人の立場や境遇で、それぞれ感じ方が違う。
大人の良識や見識を忘れず現実を土台にして子供時代の空想する力を
大人になっても持ち続けたいと感じた。困ったときに助けてくれる人
が周囲にいて見守ってもらえるように普段からの生活態度が良くないと
映画の魔法みたいハッピーエンドへの道が閉ざされ人生の明かりを求め
ないでさまよい続けそうな気がした。家庭崩壊を家を取り戻し元の
暮らしを取り戻す。現状維持という事でも立派な目標であり人生の明か
りだと再認識できた。


『風に立つライオン』(2015年)三池崇史監督作品を観た。
紛争地域で医療活動を行った実在の医師・柴田紘一郎が経験した
話を「さだまさし」が作詞・作曲し小説化にした作品の映画化だ
った。映画は、311の被災地に立つ黒人医師の姿から始まり
場面はケニアで黄熱病の研究と住民の医療を行う診療所に変わる。
日本から熱帯学研究所に派遣された医師が赴任する所から紛争地
だとわかる。戦闘場面があり10歳程で少年兵として戦場で戦って
負傷した少年を治療するが医師法で看護師に手術の縫合は頼めなく
手が足りない法律すら通じない国だという言葉は、国家が内乱状態
の国には、憲法も法律も無く無法地帯だと再認識させられる。
アフリカに限らずジュネーブ協定もあるが条約を批准しなかったり
破る国が多いのが戦争なのは変わらない。
シュバイツアー博士の伝記の影響でアフリカで医療活動を行う決心を
した、日本人医師だけど野口英世じゃないんだとフッと頭を過ぎったが
バイオレンスを得意とする三池崇史監督の医療をテーマにした映画
は以外だった。紛争地で救われたミケ少年が医者になり東日本大震災に
医療支援で現れて映画は気持ちよく終わった。
戦場で少年に麻薬を与えて兵士に地雷の上を歩かせる紛争地の大人は、
日本の特攻隊で戦闘機の操縦を教え込み部隊に隔離し平時の社会で
生きる常識や社会通念を知らないと特攻隊に志願しやすい心理状態に
なると書いていた本みたい事より残酷な事をしていると思った。
比較検討する基準を持たない人間は目標となる南十字星も自分の状況
判断する立ち居地を判断するアンカー効果も与えられない。
置かれた環境と周囲状況の判断の視野が狭くなる。生きるのが大変な
子供の中には稀に深く掘り下げて少ない当たりに気づき生き延びる
スキルを得て天才的な学習能力を持つ子供が現れるのに驚いた。
適者生存だけど医師として人を救う方向に向かってくれて良かった。
「野良犬」では、同じ境遇で刑事と犯罪者を選んだ2人を対比させる
作品も観たが恩をきちんと返す人間は、人種・性別を問わず共感が持てる。
戦争で負傷し命が助かっても障害が残る。
少年に麻薬を注射して兵士に使うのは残酷だ。第二次世界大戦で勝利
したアメリカですら生きて帰国した兵士がPTSDで精神を病んで
精神病院で暴れない為にロボトミー手術が何千人に行われたらしい、
ランボーでも軍隊で戦闘訓練を受けているから警察が対応できず意思
疎通は軍隊時代の上官しか出来なく日常の社会に適応できない事も
アクション映画の中に負の部分として表現されている。日本は敗戦で
殆どの男性は戦死したので精神を病んで帰国して身内を不幸にする
よりも死んで遺族年金を支給される方が、おしい人だったと長く惜し
まれそうだ。「戦争に勝者はいない」とは良く言ったものだ。
ロボトミー手術は日本の強制避妊手術より恐ろしい話たと感じると
同時にノーベル医学賞の技術だと複雑な気持ちにもなった。
モテない男がネット社会で戦争を望むような発言をしているらしいが
キリング・フィールドみたいに戦争で男が減って強制結婚を深層心理
で望む程に身勝手な妄想に向かう男がこの映画の対極に存在なのかも
知れない。子育の幸福や将来所か人権すら考えない児童の虐待殺人する
親が日本人にも存在するのは紛争地も日本の家庭も虐待される子供には
似た環境や境遇みたい気がする。



2019年02月01日

『孤狼の血』(2018年)白石和彌監督作品を観た。時代は
昭和63年で暴力団対策法が成立する直前の広島県の呉原と
言う架空の都市。そこには、暴力団組織が存在し、更に進出して
来た広島の巨大組織・五十子会系の「加古村組」と地元暴力団の
「尾谷組」とのゴタゴタで抗争の火種が燻っている。そんな時に、
「加古村組」のフロント企業の金融屋の社員が失踪してしまう。
失踪が殺人事件と考えたマル暴のベテラン刑事の大上(役所広司)
と新人刑事の日岡(松坂桃李)が事件を捜査し真相に迫っていく。
ヤクザ映画は、任侠だの仁義だのと綺麗ごとを加えてたりして
主人公がアウトローでもカッコ良いと感じさせる時代があったが
2018年の時代に見ると暴力自体がカッコ悪く嫌悪感を感じるように
価値観が変わった。アウトレイジや仁義なき戦いの時代に作られた
映画までは楽しめたと思う。この作品の作られた時代と公開する
時期には暴力団のカッコ良さが消えて嫌悪感が固定していたのかも
知れない。殺害も養豚場で豚の便を食わせてから首を切る殺害方法は、
ハンニバルのレクター博士が死体を豚の餌にする描写のリスベクト
みたいだ。登場人物に感情移入できる物語がない白石監督の『日本で
一番悪い奴ら』と比較すると面白みを感じない。怖い物観たさの方向が
変わったと感じる。ヤクザよりゾンビの方が観ていて楽しいと感じる
時代になったと感じる。暴力は多様性を受け入れる社会からも感覚的に
排除されるようになったみたいだ。その中でモチーフとして作るのは
難しそうだ。『極道大戦争』は咬まれるとヤクザみたいゾンビになる
と言うマンガみたい設定で冒険していた。菌が感染する設定でヤクザ
映画っぽく作られていた。深作監督の「県警対組織暴力」の流れで警察
とヤクザの癒着に混沌とした時代のなごりで必要悪と言われていた戦後
から復興する時代の流れも昭和の終わり平成に観た観客が登場人物に
感情移入の出来るキャラクターを作るには子供時代の家族や生活環境も
組み込み犯行を繰り返す人間になったのか作品のストーリーの中に
登場人物の幼少期の家庭環境を組み入れないと興味や共感を持って
観賞する事も難しい。この部分を省くと理解の出来ない異質な人として
距離をおいて観るしかない。異常な描写で驚愕させる事に力を入が入りすぎ
だ。事件が起こると犯行動機を知り犯人の人物に興味を持つのが人間
なので。そこを省いては興味を持たせて共感を欠いてしい少し物の足り
ない。俳優陣は素晴らしいので、もう少し工夫してほしかった。
このジャンルの日本映画でも難しくなった。マキノ雅弘・深作欣二・
北野武・園子温・三池崇史監督達や『緋牡丹博徒』のシリーズなど
日本独自のアウトローを表現する土台に任侠映画・暴力団などの
先駆者の表現を練り上げた作品を期待したが時代が変わった。
因縁つけてゴネ得たり迷惑や暴力行為を共感させる仁義を欠いた暴力団の
姿に不愉快を感じる時代に変わった。【ゴネると粘るは違う】ごね得は
長く続かず破滅し粘るは、しつこさを周囲に与えず継続し成果を積み上げる
努力を続ける事だと思う。ヤクザは、破門されるのが指を詰めるより破門状
を日本中の組織に郵送される制裁が抑止力で赤字破門・黒字破門の
ハガキが存在して秩序を守っていた。新聞沙汰も大変な事だった。
現在ではSNSやネットで拡散する事が誰でもできるから社会は変わった。
最近では、看板も出せず金バッチも付けられないからヤクザから反グレ
の大学生がサークルを作り犯罪を起こす。昔に『白昼の死角度』という
脱法行為で大金を手にする映画が作られた。悪人が自業自得で悲惨に
死んだり殺される「勧善懲悪」に暴力団は手ごろだったが次は何を
大衆が望むのか楽しみだ。


2019年01月31日

『十二人の死にたい子どもたち』(2019年)堤幸彦監督作品を観た。
自殺サイトで、希望者を集めて全員一致なら自殺を結構する。
その為に、発言したい人は発言できる場にする。人間は共感して
くれる人がいるだけで承認欲求が満たされる生き物だ。
好奇心に知恵と知識が揃うと成功する事もあるが失敗の連続が現実
みたいな気がする。成功体験より失敗したくないから成功談より
失敗談に興味を持つは人の不幸は蜜の味と言われるがシャーデン
フロイデの心理の影響かも知れない。自殺を考えるに至った高校生
ぐらいの少年・少女の事を知りたい。登場人物の親世代も同世代も
自殺を考える人の考えや家庭や学校など環境も知りたい。
元ねたの『十二人の怒れる男たち』『十二人の優しい日本人』は
犯罪者を裁く陪審員・裁判員と裁かれる犯罪者という事だが犯人は
事故だったので無罪で終わった。現実は、凶悪で事件を検証する
写真を見てトラウマを抱えた裁判員もいたらしい。『十二人の死に
たい子どもたち』を陰として死を目指す話だとすると『コーラスライ
ン』はミュージカルのステージで全員が輝く事を目指すので陽だと
感じた、死にたい理由と光を目指す理由の違いはあるが、両方に
ドラマがある。犯罪者を裁く話は、推理の要素があり陪審員の生い
立ちや環境はあまり登場しないが面白かった。コーラスラインは推理は
無いが生い立ちや環境に加え歌と踊りがあり名作だ。『十二人の死に
たい子どもたち』は、生い立ちや環境と推理の要素があり面白かった。
病院の中庭と壁に飾られて劇中に映りこむ青空に浮かんだ雲が妊婦を
連想させ、その形と同じ彫塑が中庭に置かれていた。
たまたま彫刻とは魂を削るもの彫塑とは魂を青空に広げる事という
フレーズが耳に残っていたので印象に残った。自殺と言う負の部分と
妊婦から誕生する正の対比なども旨く作られていて完成度も高く
精神を病んでいる少年や少女も登場したが礼儀やマナーもありや周囲の
相手に対しての配慮や思いやりや善悪の判断も相手への敬意も持って
いるレベルだ。集団自殺を選び生命保険金絡みの家族やイジメの
元となった学校や性病を感染させた大人や商品扱いした芸能界に兄弟を
植物人間にした自責の念など社会への衝撃的な集団自殺でメッセージ
を伝えるのに大きなニュースにする事も目的にした少年・少女もいた。
まだ好奇心を持ち考え方も理解可能な範囲に纏まっていた。
人間には、積み上げた物や社会参加や近所付き合いや
学校や家族という人間関係があれば世間体も考えられる。
自殺する人ですら周囲や残される人への配慮する
価値感が多様化した時代だから、その中で通用するモラルやマナーが
必要となり外国人は、宗教を基準に判断し、日本人は、礼儀作法を基準に
する。恥知らずや恩知らず礼儀知らずと思われないように世間体を気に
して地域社会にも馴染む。これから自殺しようとする子供ですら最低限の
マナーとモラルは出来ている。
「立つ鳥跡を濁さず」で自殺しようとする。これが無いと秋葉原・原宿み
たいに「後ろ足で砂をかける」で「後は野となれ山となれ」と見苦しい犯罪
に向かい周囲を巻き込まず、救いがある。
映画で病棟のナースステーションのカウンターに置かれたマリア像から
カトリック系の病院だと感じた。
どうしょうない親や教師を回想場面を加えない、不快な大人を登場さ
せないで少年・少女を自殺したい程に追い込んだ大人達を観る人に
イメージさせる手法は、無駄なシーンを省略し制作費も節約できる
手法でトリックのベテラン監督らしい。
場所が廃病院だが電気が使えるので自殺したら移植用臓器を奪われ
自殺も隠蔽され行方不明にされる「七人の弔い」みたい目的も疑って
いたと思う。特別養子縁組制度のニュースで中学生まで年齢が引き上げ
られ、虐待で子供を殺害する親が逮捕されたニュースもあり
今は時期的に注目されるテーマだ。興味を持って観賞する良い機会に
なった。ヒットしているので関心も高いと思った。
『十二人の死にたいこどもたち』は若く意欲や関心が残っているから
立ち直る可能性がある。
映画のフードを被った黒い影は、逮捕された人がテレビから顔を曝され
ない配慮で警察が用意するフードを連想させる演出かも知れない。
社会への問題提起と批判も練りこまれて命を考えるキッカケになった。
集団自殺を取りやめる決断をした少年・少女達の将来が可能性とリスクの
どちらを向くかは、観た人の今後の問題意識かも知れない。
植物人間で寝たきりのゼロ番もチューブで延命まで酷くないので車椅子に
乗せられて帰って行った。



2019年01月24日

『女は二度生まれる』(1961年)川島雄三監督作品を観た。
雨が降っているマージャーンした後で同じ寝床だと熟睡できない
いう男と一夜を共にし早朝の5時に靖国神社の太鼓が聞こえる。
靖国神社の徒歩圏内の置屋に勤める芸者の小えんと一級建築士
の筒井と夜を共にして名刺がほしいと言う会話で映画は始まった。
売春防止法が出来ても自由恋愛という法の抜け道まで性欲を
満たそうとする男と恋人への援助で金を手に入れようとする女
のゆりとりで「お名刺いただけません、だってもしもって時
いい訳が利かないんですもの、恋人の名前も知らないんじゃ」
と警察に売春を疑われた時に恋人だと言い逃れが出来ると同時
に男を固定客にしようとする女のやりとりが、敗戦した後の
日本を表現していた。桃千代という同僚は、芸者を辞めて新宿の
バーに転職するから一緒に来ないと誘われる。芸者だと稼げない
のでバーに勤めるらしい。お茶引いたら稼げないように芸者の
世界が変わる。芸者遊びに板前の野崎が常連の専務の付き合いで
客になる。都内だと無理なので場末に店を出すとか寝物語をして
いる。寿司屋の暖簾を分けてもらったら店を持てるように金を
貯めていると言う話を、しているので、悪い男なら女に開業資金
が足りないと貢がせるかと思ったが、考えすぎだった。
小えんが、矢島という遊び人と自動車に乗せてもらってタバコの
色っぽい持ち方を車の中でレクチャーされていた。温泉で矢島は、
銀座のそのちゃんと再会して、小えんは、刺身の妻みたいな物で
売り物買い物だから1人で泊まって帰ってもらう事にすると言って
小えんの所に一旦戻り仕事の仲間に箱根に誘われて断れないから
1人で泊まって帰ってくれ、すまないと置き去りにしてそのちゃん
と箱根に行ってしまう。遊び人だけあって、女を、その気させて
深入りしないで気を持たせるテクニックなのかと思った。
1人で置屋に帰る途中で銭湯の行き帰りに顔を合わせる大学生の
牧順一郎に、寂しかったので話しかける。
親が靖国に祀られていて恩給を貰って大学に通いながら坂下の
九段会館で遺族会でアルバイトをしていると話をして、小えんは
空襲なので祀られていないと会話をする。お名刺いただけませんか
と言うと学生なので持っていませんと言われる。この時代の大学生
は学生服姿だ。昼食に誘うとこれから仕事なので、ごきげんようと
言われる。
矢島が又、客として来たので一緒に寿司屋に行く。芸者の事を
「ねこ」と最近は、言わなくなったと矢島が言っていた。踊り子
みたいに寝る子という隠語があったみたいだ。置屋の控え部屋で
チキンラーメンでもかっこんどくという会話があった。インスタント
ラーメンが販売されてた時代背景だと気がつく。
寿司屋で板前をしている野崎とも再会する。小えんは、寿司屋で
二の宮に行こうと思っていると言って野崎は三の宮になると熊手を
値切れるから三の宮に行くと言うが、その年は二の宮までで三の宮は
無い聞く、おトリさまの日に寿司屋に寄って新橋駅の地下鉄で待ち
合わせする約束をして一緒にデートして上野に行き商売抜きで泊まる。
その帰りに牧と再会して、大学を卒業して、引っ越すので近所で
出会わなくなると挨拶される。そんなある日、置屋の売春が発覚
して営業停止になってしまう。会話で、戸村さんが、さされたと
言っているが、刃物で刺されたのでは無く投書で警察に密告された
という意味らしく指されたという事だった。日本語は漢字で意味が
違うので聞いたらビックリするセリフにしていると感心した。
置屋が1ヵ月の営業停止になってしまう。
その為、同僚のさそいで銀座のバーに勤めると、今度は夜の蝶かと
建築士の筒井と再会する。この店は、筒井の設計で大工の棟梁の
桜田と飲みに来て店の常連になる。その時期に1人で映画を観に
劇場に行くと少年に待ち合わせていた仲間が来ないので券がムダ
になるから買ってくれと少年に声をかけられダフ屋と聞くと時間と
席の決まった券で席が決まっていて本当に仲間が座る為の券なので
隣に座って一緒に映画を観る事になる。少年は17歳で中央区の
月島勤める工員で旋盤工だった。中学を出て就職の為に上京した
みたいだ。金の卵と言われた世代だ。
そんな時期に筒井の二号になる。部屋が女子高生みたいで落ち着け
ないサンタマリアの肖像画の絵が気になると言う。気になるのは、
後で、女学生の娘がいるので娘の部屋にいるみたいで居心地が
悪かったと気がつく演出だ。小えんは、「だって私は妾さん初めて
なんだもの」と答える。筒井は、身寄りの無い小えんは、小唄を
習い芸で身を立てるとか洋裁学校・美容師で手に職を付けて自分が
囲えなくなった後でも生活していくようにいと思う。
芸者にホステスと若い間はちやほやされる状態では心配で厳しく
「生まれ育ちは争えない」身寄りが無いお前が可愛いと言う。
いつまでも「妾・てかけ」では心配だと言う。(上方では、妾を
てかけと言う)妾は、妻にも承知させて、妻に秘密にする不倫と
違う。重婚罪の抜け穴的に使う側室みたいもので「男の甲斐性」
として昔は認められたが道徳的でない。今の時代に子供が出来たら
相続で揉める以前に心理的・経済的な児童虐待になりそうだ。
イスラム教では、複数の妻を扶養が可能なら認めるのは、戦争で
未亡人も孤児も増えてしまい男性は、激減するので暗黙の了解みたい
な状況があった。扶養義務を果たさないで重婚するモルモン教が
重婚罪と児童の性的虐待で逮捕される時代なので不快に感じる
人もいるが昔の映画なのでギリギリ合法だと観賞する作品だ。
17歳の工員を大森の連れ込み宿に少年を連れ込んで浮気して
部屋に戻ると筒井が部屋に上がって待っている。いきなり
ビンタされる。なんでなぐられたか解るか、うちの桜田が
見ていた。これから仙台に仕事に行く前に寄った、年甲斐も
無く心中しようとしたんだとドスを畳に突き刺す。そして
二度と浮気するなと筒井は怒りを抑える。今の時代に17歳の
少年を連れ込み宿で、一緒に過ごしたら女性が逮捕されるが
戦後の復興期の話なので、こちらも時代背景を理解して観た。
小えんは、筒井のアドバイス通りに小唄を習い上達が早く筒井
が芸者を辞めてから小唄が上達するとは驚いたと言う。
そんな矢先に筒井が十二指腸潰瘍で入院して手術したと桜田が
知らせてくれる。
病室で以前に約束した時計と妾の手当てを渡され小唄の稽古を
頑張れと励まされる。病室はテレビと風呂が付いた個室で、
お見舞いの果物のかごが二つ並んで置かれている。
風呂は手術の後で入れないと思うが尿瓶を洗うのには便利だと
思う。以外に食事制限や水分制限まで厳しくなかった時代だ。
筒井の本妻がいない時に、お見舞いに持って行こうと寿司の
折り詰めを山葵抜きで握ってもらいながら職人の野崎がいない
ので尋ねると将来のことを考えて、寿司屋に山葵を収めている
信州の農家の子持ちで出戻ってた女に見初められて入婿になっ
たと教えられ山葵だけに「縁は異なもの味なものという所で
しょうか」と言われる。小えんは、筒井が経済的に厳しく生活費
の援助の負担を減らそうと置屋で働き始める。それで矢島に指名
されるが躊躇う。芸者の置屋のお母さんは、私は強制できないけど
旦那の入院で稼がないといけないんだろうと矢島の座敷入れて
酔わされて布団に入るタイミングを止めるように桜田から筒井が
8時に息を引き取ったと電話が入り矢島は、肩すかしにあう。
小えんを置いて別の女と箱根に行くような扱いをしたので同じ目に
遭ったみたいだ。
小えんは、喪服を借りて告別式に出席し置屋で筒井の写真を前に
線香を炊いて酒を飲んでいる。これから座敷なのに御通夜の真似事
されると臭いが移ると同僚に言われ逆上し手を出して蹴りで返される。
小えんの置屋に女学校出の本妻が現れて着物や手当ては、やるから
母親の形見の翡翠の指輪を返してくれと高飛車な態度で言い出すが
貰ってもいない物で難癖をつけられる。
着物どころかワンピースを買ってもらった程度で、お手当ての生活費も
殆どもらっていなかった。本妻を追い出すように帰らせて塩を撒くと
桜田に同行して筒井の娘が母親を向かえに来て「母は思いつめると
極端な事を申し上げますが病人だと思ってお気を悪くしないで下さい。」
「もののけじめがつかない状態なので」と娘が丁寧に謝罪する。
精神病の被害妄想状態の母親と女癖の悪い父親がつけを娘が頭を下げて
あるく状況で気の毒だ。「親の顔に泥を塗る」の逆で「親の因果が子に
祟る」状況で娘さんは父親に死別され母親は、周囲の人間関係を貧乏に
なっても女学校出で夫は地位があったと今の自分の状況と相手の立場を
無視したまま相手を見下して娘さんにも辛い思いをさせていた。
将来の経済的がある事に加えて子供の前で両親や愛人が喧嘩を見せる
行為は面前DVという心理的虐待だと思われそうだ。
小えんも、筒井というパトロンを失い経済的に大変になる。置屋に座敷の
指名が入り大学を出て就職した牧と再会するが、牧はアメリカ人の客への
接待をさせようとしていた事に絶望する。アメリカ人に性的接待をさせる
という事で空襲で身寄りを無くした小えんは、座敷を断る。そして筒井の
墓参りに行き小えんは、墓に話しかける。「お父さん 一人ぼっちで寂しい、
そおとうさんの奥さん とっても大変な大変な人で初めて会った人と
喧嘩しないといけなくなった。奥さんを半分キチガイみたいにさせた
のも・あんなに可愛いお嬢さんに悲しい思いをさせたのも、私に寂しい
思いをさせるのも、1番悪いのは、おとうさんなんじゃないかしら 
さようなら」墓参りを終わらせる。墓の洗う姿が刻石流水をイメージ
させる。そのあと街をぶらついて、映画館のスクリーンの外の長椅子に
座っていると、工員の少年は同年代の少女と上映が終わり出てきた。
小えんは、工員は、小えんに気がつき一緒にいた少女は1人で帰って
いった。デートと言うより映画観賞だけで映画の感想を語る程の仲でも
無い知人程度の関係らしい。少年が少女と交際する気があれば小えんに
会釈して少女を行ってしまう。少年は小えんとの時間を選んだ。
少年が信州で山の雪を見に行きたいと言っていたので、幼少時代に
過ごした故郷に行って縁故疎開した田舎を見てみたいと少年と電車に
乗って向かう。電車の中で、信州の山葵農家に入り婿した寿司職人の
野崎と同じ車両に乗り合わせる。幸福そうな野崎は気付くがどちらも
連れが居る事もあり声を掛け合わず家族で降りていった。少年は、あの
おじさんは、おねえさんを見ていたけど知っている人と聞く、小えんは
昔、どこかで1度、会ったことがあったかも知れないと答える。
ソフィアローレンのひまわりで昔の恋人が妻子を持っている姿を見て
1人引き返すシーンとオーバーラップする。元、恋仲だったが故に互い
の幸福を壊さないように身を引き深入りしないケジメとふんべつある
関係を保つ対応だ。映画のラストは、小えんは、少年に故郷の家に寄り
たくなったと別々の行動を促し少年にバスのキップと帰りの交通費と
少年が時計を持っておらず時間を知る事が出来ないので筒井から貰った
女物の時計を渡して、元気に山に雪を見に向かう少年を見送り、故郷へ
向かう決心をした小えんは新しい人生を生きていこうという意思を感じ
させるラストだったのかも知れない。時代の変化を感じる映画だった。


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