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浅野琢也の雑記帳31 2019年8月01日〜2019年12月12日

あさのたくやのざっきちょう TakuyaAsano Web 平成31年


2019年12月12日

『散歩する霊柩車』(1964年)佐藤肇監督作品を観た。
霊柩車がさまよったり放浪したら幽霊船みたいでホラーたが
散歩する霊柩車というタイトルなので、その目的に興味を持っ
た。週刊情報に都会の情事と言う週刊誌を読んでいたら妻に
似た女の写真に気が付く。タクシーを流していると昼頃に夫の
麻見がデパートに入っていく妻のすぎ江の後を付ける。
すぎ江は、夜の仕事で店に出ているらしく客の男と関係を持っ
ている様子だ。
帰宅してデパートに行った話をすると妻のすぎ江も夕方に同じ
デパートに行っていたと話す。妻のすぎ江とボーイの小倉と
不貞関係にある。すぎ江と小倉が草むらで、いちゃついていると
1台のポルシェーが通り過ぎていく。小倉は、ポルシェを憧れの
目で眺めている。その後で偶然にタクーシに小倉を乗せると唇に
口紅を付けている事に気が付き教えると年上の小柄なタクシー
運転手の妻を不倫して金を貰っていると言う。
妻の来ているプリントのワンピースの柄を見かけたので妻の
すぎ江の浮気に気が付く。その後で妻を問い詰めると妻に別れる
と開き直られて逆上して首を絞める。その時は殺さず狂言自殺で
不貞関係の男達の所に霊柩車で乗り付ける。
首吊り自殺して死んだ事にして渥美清が運転する宮型霊柩車に
妻の入った棺桶に入れて結婚式場に行き妻の死に顔を浮気相手の
会社社長の北村に見せる。浮気した不貞行為を苦にして自殺した
と遺書に書いてあり浮気相手はYKというイニシャルを書いている。
結婚式場に霊柩車で乗り付け社長の北村に死に顔を見せると関係は
あったけど数回だと言う。
2人目の男が外科部長で務めている病院にも霊柩車で乗り付けて
妻と関係のあった医者の山越に見せる。山越は数万の香典で
関係をごまかそうとする。
自殺の原因が自分の浮気の可能性があり選挙に立候補する予定
のある社長の北村にはスキャンダルになる可能性もある。
夜中に通夜をしてる部屋に来て線香を上げて遺書のYKが誰なのか
知りたがる。妻はYKが誰だかハッキリ書くと夫である自分が何を
するか分からないので特定できない遺書にしたらしいと話す。
社長は、遺書を5百万で買い取り焼いてしまう。北村は帰りに
黒猫が目の前を、横切って死んだハズの浮気相手の、すぎ江と
すれ違ったのでオバケだと思いビックリして心臓マヒを起こし
階段から足を踏み外して死んでしまう。刑事が事故の原因が
病気だと思い込んでいる。妻と不貞関係の医者の山越からも金
を取ろうと山の上ホテルの308号室を借りる。いつも使う夫は
308号室が開いておらず307号室を借りる。ベランダから隣の
部屋の様子を覗く。
妻が隣の部屋でシャワーを浴びて、医者の山越と浮気している。
山越は麻見をすぎ江に毒殺させて分け前の250万で開業医になる
事を目論んでいた。麻見は、山越が、すぎ江の書いた遺書を使い
自殺に見せかけようとしていた事を、伝えた。
医者の山越は妻のビールに毒を入れて遺書があるので自殺を装う
事を計画していた。麻見は、毒殺の計画を知った上で山越と妻の
はぎ江と3人で話をする。毒入りビールをホテルの部屋の水槽に
入れると魚が死んでしまう。山越は計画がバレたので浅見を
口封じに絞め殺そうとするが、裏切られて遺書をだまし取られ
た、すぎ江が後ろからビール瓶で山越の後頭部を殴り山越が用意
していた毒入りビールを飲ませてホテルの窓から浅見が背負って、
運び出してタクシーに3人乗り込み、酔っ払いを病院に連れて
行くフリをして山越の死体を山越の務める病院に運び込む。
麻見は、すぎ江を看護婦に変装させて守衛から死体置き場の鍵を
借りる。守衛は、すぎ江の顔を、見つめる緊張するが死んだ女房と
同じ場所にホクロがあると言う。死体置き場に山越の死体を運び
込むと最初に死んだ社長の北村の死体があり驚く。ホクロの場面で
緊張し北村の死体にドッキリする。うまい演出だと感心した。
医者の山越も数百万の札束を出す被害者かと思えたが、山越は狂言
自殺の筋書きを考え、すぎ江を騙して利用していた。医者と麻見の妻・
すぎ江は、今回の不貞関係の男から、自殺の原因だと思わせて金を
出させる計画に協力したのは、ゆすりや殺人でないと思ったからと
麻見に話す。計画から若いボーイの小倉は、金を持っていないから
外していたが、すぎ江は500万を持って夫の麻見から逃げようと
して500万を包んでいる風呂敷だと思い込んで葬式のハガキを持って、
小倉の部屋に行き付き合ってくれれば模型のポルシェでなく本物の
新車のポルシェを買ってあげる。夫と別れてきたけど結婚しないても
いいと言い500万の札束を見せまうと持ってきた風呂敷の包みを開くと
自分の葬儀のハガキだった。すぎ江は、麻見の所にとんぼ返りし500万
の隠し場所を探すが小倉の所に行き逃げる、すぎ江の裏切りに麻見は
気づいていて分け前で揉める。500万は枕の下に隠していた。
すぎ江は、あんた達みたいな人間の出がらしでないと言う。麻見は、
すぎ江と乱闘して首を絞めて殺して棺桶に入れる。
翌朝に霊柩車の運転手の毛利が火葬場に死体を運びために来て置いて
あった棺桶を積んで霊柩車を運転していたが
運転手の毛利はすぎ江の変死を見破り麻見を墓場に連れて行く手前で
タバコを吸いたいと降りて、死んだフリをしていた奥さんを今日、本当
に殺したと言う。毛利は霊柩車の運転手より生きている客を乗せる
個人タクシーを始めたいと300万ほしいと麻見ゆすった。
麻見は霊柩車の運転手の毛利を殺して麻見は毛利の制服を着て霊柩車の
運転手になりすまし火葬場に向かう。犬を連れた子供に見られている。
麻見は霊柩車を運転しなが『明日は今日の続きだろう。まあいいたろう。
そうだろう』と歌っていると後ろからポルシェが迫ってくる。怖くなって
スピードを出して逃げると殺した、妻・すぎ江の幻想が目の前に現れる。
まで見えて運転を誤り、木に霊柩車を激突させて死んでしまう。
麻見の死体は、衝突の衝撃で木の枝に引っかかっている。
ポルシェに乗っていたカップルは事故で車が燃えなくて良かったね。
これで霊柩車が燃えたら火葬場がいらなくなってしまう。霊柩車の事故は
珍しい、このまま天国に行ける。と他人事だけど気の毒な人だと思える
自分のポルシェでデートしている男にアピールしている感じでブラック
ジョークを言って去って通り過ぎていき映画は終わった。この当時の
500万円は現在の金額では、五千万円以上だと思われる。
年齢差のある小柄な麻見に対して、妻のすぎ江は大型な豊満な女性で
昔ならグラマーな美人だったみたいだ。女性の美しさは時代や社会の
要求で変化する。車の前に幽霊が見えて運転手が死ぬ場面は、世にも
奇妙な物語(1967年)の第3話 「悪魔の首飾り」でフェリーニが黄金の
フェラーリでやっている。それより早く映画にした佐藤肇監督はスゴイと
思う。『お熱いのがお好き』(1959年作)は、ビリー・ワイルダー監督の
作品で霊柩車に密輸の酒を積んで酒場に配達する場面があった。
東京残酷警察(2008年)では、宮型霊柩車のパトカーがカッコ良かった。
散歩する霊柩車は、ユーモアがありミステリーとコメディーが混ざった
映画だった。未ソフト化作品(ビデオやDVD化されていない)の中から忘れ
られていた面白い映画を発見するのも面白い。
12月27日(金)から『男はつらいよ50 お帰り寅さん』で渥美清が見られる
ので楽しみだ。



2019年12月07日

『空母いぶき』(2019年)若松節朗監督作品を観た。
日本の沖ノ鳥島の周辺を警備していた海上保安庁の
巡視船くろしまが国籍不明の漁船から領海侵犯されて
突然攻撃される。いきなり建国宣言した東亜連邦という
国らしい。地図ではフィリピンの近くの小さな島の集まり
みたいだ。初島を占領して巡視船の乗組員を拘束して島に
国旗を掲げた。海上にいきなり登場したISみたいな国を連想
させる。背後の国は、旧・共産圏らしいが最後まで不明だった。
海上自衛隊に海上警備行動の命令が出て第5護衛隊群が
向かう。空母いぶきと護衛艦あしたか・護衛艦はつゆき
護衛艦しらゆきだ。日本には約6800の島があり制空権を確保
するために空母を持つ必要があるらしい。いぶきに2人の
ジャーナリストが乗っていた。いぶきの艦長は、航空自衛隊
出身なので1人で戦い1人で死んでいくと思われている。
海上自衛隊の出身だと船は互いの命を預け共に戦い共に死ぬ
らしい。東亜連邦という架空の国が相手だが原作は異なる
らしい。クリスマスの時期に起こる話なので劇場公開の
初夏よりDVD化された現在の方がタイミングが良いみたいだ。
潜水艦との戦闘や夜間の戦闘が多く特撮の美術が見えずらい
のでストーリーと会話から察して理解する作品みたいだ。
空母いぶきから戦闘機が飛び立つのは終わりの方で艦橋での
会話の場面が多い。総理と官僚のやりとりなど派手な戦闘場面
は少ない。空母いぶきの場面と対照的にコンビニでクリスマスの
ブーツに入ったお菓子を準備する店長が登場する。
敵の潜水艦から魚雷で攻撃されて護衛艦はつゆきが盾になり炎上する。
その映像が世界中に配信され国際世論に影響を与えたみたいだ。
戦争が起こるかも知れないとコンビニの商品が全て売り切れる。
東亜連邦という国は、潜水艦から空母まで持っていて後ろ盾に
付いている大国は謎だ。戦闘機が撃墜されて乗員の救助に成功
して敵のパイロットも救助して船に戻ると捕虜のパイロットが
拳銃を奪い同時に救助して無事だったと思っていた乗員を撃ち殺し
てしまう。他の隊員が撃ち殺そうとすると艦長が止めて、日本人は
宗教に関係なくクリスマスを祝う民族だと敵のパイロットに艦長が
言う。大きな戦闘になる手前で複数の国連の常任理事国の潜水艦が
攻撃してくれて救われ敵は撤退する。沈黙の艦隊というマンガの最終回
みたい感じだが原作者が同じ人なので納得できた。
グローバル化した国際社会では領土より経済的利益が優先されるらしい。
国際社会で小国を大国が追い詰めて出来たのが今の国際社会だと総理が
言う。ささやかな国民の暮らしを守るのが政治家の務めというセリフが
あり海上保安庁の隊員を救助が出来るようになる。
コンビニの店長は、クリスマスのお菓子を徹夜で詰めいて終わって
店頭に出ると棚が空になっていて大事になっていた事を後で知る。
戦闘が終わって本来の任務、海保の隊員救助で食事の握り飯を用意する
指示で空自出身なので気が付かないと思っていたと副官が驚く。
さらに1人、艦長室で食べていた食事を大食堂で乗員達と食事を取り
船と海の話を聞かせてもらいたいと言う。きよしこの夜が流れてから
エンドロールになった。
艦長役の西島秀俊は蟹工船では、監督の浅川(鬼浅)の役だったので良い人の
役も悪役もこなしていた。若松節朗監督は『沈まぬ太陽』の監督だが
『空母いぶき』は、製作費が少ない感じがする中で巧くまとめて
いた。敵の船を撃沈すると国際人道法で生存者の救助義務が生じて
海保の救助に遅れるとか判断が難しい状況など考えさせられる映画
だった。派手な戦闘場面が少ないが武力行使を最小限に抑えて目的を
達成する事が重要だという状況と背景があるというストーリーだった。
自衛権と交戦権や独立自尊の自然権など難しい。シンゴジラの自衛隊の
出動より派手な会議では、ないが観た後で考えさせるように作られて
いた。第二次世界大戦では海上保安庁が海軍の弾除けみたいに使われた
事もあったが今回は映画で海上自衛隊が海保を助けるストーリーに
だった。



2019年12月04日

『のみとり侍』(2018年)鶴橋康夫監督作品を観た。
鶴橋康夫監督は『後妻業の女(2016年)』など変わった
職業をモチーフにした映画で興味を持たせて面白く見せて
くれる監督だ。アニメの学園物にも変わった部活が登場する
と興味を持って見てしまう。今回の「猫の蚤取り」は表向き
は、狼の毛皮を火鉢で人肌に温めて猫を包んで蚤が猫の体と
間違えて狼の毛皮に移った瞬間に火鉢の上ではたきおとすと
蚤が焼け死に猫の蚤が取れると言う仕事が表向きの仕事内容だ。
江戸時代の中期に老中の田沼の政策で賄賂が横行している時代だ。
越後長岡藩の小林寛之進は、藩主・牧野備前守忠精が自作の歌を
詠む歌会に出席し別の人が作った歌だと言ってしまい藩主の怒り
を買う。面目を潰された藩主は寛之進に「猫ののみとりになって
無様に暮らせ!」と命じる。「猫ののみとり」の意味はわからない
が藩主の命令に逆らえず、寛之進は街の看板を見て「のみとり」の
親分の甚兵衛親分と妻・お鈴に「のみとり」とは、表向きは飼い猫の
ノミを取り除き日銭を稼ぐ仕事だが、欲求不満の女に性的なサービス
を提供する裏稼業だと知らされる。寛之進は驚くが、殿の命令だと
甚兵衛親分のもとで「のみとり」として働きはじめる。住む場所も
甚兵衛親分の世話で貧乏長屋に身を落ち着けることとになる。
そこで寛之進は、貧しい長屋でも一生懸命に生きている住人たちや
無償で子供たちに読み書きを教える浪人の佐伯友之介とも知り合う。
「のみとり」になった寛之進に、最初に客として声を掛けたのは
おみねだった。亡き妻の千鶴に瓜二つのおみねに胸がときめくが、
女性に性的な奉仕をする事に慣れておらず、「この下手クソが!」と
罵倒される。女性が客で男が奉仕する立場なので寛之進は、侍として
男として自身の築き上げてきた人生そのものが否定された気分になり、
意気消沈してしまう。そんな時に橋の上で無礼討ちに合いそうな、
小間物問屋の婿養子・清兵衛を助ける。清兵衛は旗本の三男坊で
婿養子に出され商人になったが武士の習慣が抜けきらず無礼討ちに
なりそうな所を助けられた。嫁・おちえにふんどしを落とし紙に使って
浮気を疑われ、浮気出来ないように股間に、うどん粉を塗られている。
寛之進は、清兵衛の女遊びの手助けにうどん粉を用意し協力することで、
女が悦ぶ方法を教わることになる。 しかし、うどん粉を塗って元に
戻したと思っていたら嫁・おちえはうどん粉に塩を加えていた事から
嘘がバレてしまい清兵衛は婿入りた時に持ってきたから傘一本を持たされ
着の身着のままで追い出され寛之進と同じ貧乏長屋で暮らすようになる。
無償で子供に学問を教えている友之介が貧乏で食物に困り猫の餌を
食べようとして手を爪で深く引かかれ、その傷から菌が入り炎症で
死にそうになる。貧乏長屋に来てくれる医者もおらず寛之進は小間物屋
に出入りしていた医者に昔のつてを使おうと頼みに駆け出して行ったが
道で馬に蹴られて戻ってこない。(後で記憶が戻る。)
寛之進は、友之介が大切にしている刀を医者に渡して治療を頼み危うく
一命をとりとめた。貧乏長屋の人たちや「のみとり」の客との出会いで
寛之進は「のみとり」の仕事や長屋暮らしに馴染んでいった。
友之介の傷も癒えて寺小屋で長屋の子供達に学問を教えられるように
なった。医者が刀を返しに来て恩賞の刀は、大名が褒美として安い刀を
家来に与える事が良くある事で価値は、低いという事にも気付いていた
が友之介が長屋の子供達に無償で学問を教えていたから金にならなくても
治療したと教えてくれた。そんな中で、老中・田沼意次が失脚してしまい
「のみとり」禁止令が発布されてしまう。そして寛之進たち「のみとり」は
捕らえられてのこぎり引きの刑を言い渡されて河原で首を晒されて三日間、
誰も鋸で首を切ろうとしなければ開放される事になる。
木で作られたのこぎりで、首を切るのは大変そうだ。昔、『切腹』と言う
映画の中で、竹光で切腹する場面があったが木の鋸で皮膚の柔らかい首を
切るというのは大変そうだ。激痛を与えて苦しめて処刑するのに民衆の手で
公開処刑を行わせるのは、大勢で石をぶつける紀元前のヨーロッパの処刑
方法より鋸で首を切るのは、怒り・憎しみ・恨みが大きくないと出来ない
と思われた。誰も自分の手を汚してまで鋸を引く物はいなかった。
役人は、三日間のあいだ見張っているだけだった。下手くそと言った女房に
似た女などが心配しながら河原に晒されている、のみとり達を見守っていた。
三日が経過する直前に越後長岡藩から寛之進を迎えが来て殿様の御前に
連れて行かれる。そこで切腹させられるかと思われたが殿様が寛之進に
のみとりを命じたのは、越後長岡藩の勘定方の役人・小林寛之進が藩内の
不正に気が付き命を狙われる状態だったからで殿様から藩内で不正を
行った者を数人切り捨てる事も出来るだろうと藩の要職に戻る。
馬に蹴られ記憶を失っていた寛之進も召し抱えられて士官でき小間物屋の
肩身の狭い婿養子から武士に戻れる。時代背景が忠臣蔵の後らしく蚤取り
の親方や長屋の住人は敵討ちに期待している様子だった。不正を行った者
を成敗する事が敵討ちという事で映画が終わった。法律が変わり職業が
違法になる不安定な時代の社会背景は、現代にも通じる部分もありそうだ。
猫ののみとりとは『真夜中のカウボーイ』っぽい仕事だと感じた。
江戸時代に、こんな変わった職業があったとは知らなかった。
複雑なストーリーを解りやすく巧く纏めた映画だった。



2019年11月04日

『ザ・ウォーカー』(2010年)アルバート・ヒューズ&アレン・ヒューズ
監督作品を観た。核戦争で国家も文明も秩序も滅びた世界に若干の人間が
生き残っていた。荒廃した世界でコロニーみたいな町を作って旅人から
略奪して暮らす者や人肉を食べて家族で暮らす者などがいる世界で、
西に向かって30年間もアメリカ大陸を歩いて旅している男イーライが主人公
だ。目的地は何処なのかイーライにもわからない。「本を西へ運べ」と
いう心の声に導かれるままに歩き続ける。 途中で持ち物を奪われそうに
なり石鹸が無い世界だと1つだけ良い事がある。隠れていても匂いで分かる。
とかナタみたいに大きなナイフを座頭市みたいに使いこなしている。
その旅で、本を探し続けるカーネギーという男がいる。カーネギーは、
かつての秩序すら滅びたことで自分が支配しやすい町を作ろうとしていた。
そして、イーライはカーネギーが仕切る町に立ち寄る。カーネギーは
探していた本をイーライが持っていることに気がつき奪おうとする。
銃や車でイーライを追いかけて本を奪う。しかし本は点字で読むことが
出来なかった。本を奪われたイーライは西へ歩き続けて目的地に到着する。
その場所は、アルカトラス刑務所で沢山の本を所蔵していた。
イーライの目が見えているのか視力が落ちているのかハッキリわからないが
太陽光線が強い世界なのでサングスがないと紫外線で目にダメージが
ありそうな世界観だった。
そして印刷して文明や秩序が取り戻せるように聖書を印刷したと思って
いたが聖書だけが無かった。イーライは聖書を一冊、暗記していて書き
写してもらい印刷機で増刷するという話だった。日本では琵琶法師が
平家物語を暗記していたが視力が不自由になった分を記憶力で補える
人もいるのかも知れないと感じた。三蔵法師みたいに旅して経典を手に
入れる西遊記みたい話の流れだけど戦う相手が人間なのでバイオレンス
映画に分類されそうだ。秩序の大まかな基準に宗教の経典を使って統治
すると支配しやすいと考える人がいるのかも知れない。
人肉を喰らう人は、手に震えが起こり見分けられるとか宗教どころでは
無い世界を再構築するのに聖書が有効だという話の流れだった。
物差しは、インチやセンチに尺など様々で若干、国や文化圏で異なる。
善悪の判断基準は、解釈で異なり主権国家なら憲法と法律が決められて
いるが宗教の善悪の判断基準は、人それぞれの解釈で異なるから争いの
元にもなる。柔軟にしすぎると脱法行為をして利益にする人間も出てくる。
同じ映画を見ても感想や解釈が異なる。私には良く分からない苦手な
映画だった。似た映画にシックス・ストリング・サムライ(1998)が
あり目的地が放送設備と印刷機という伝達手段が大切だと言う事らしい。
情報の伝達手段を手にしても受けて側も本は字が読めて文章を理解でき
放送は発信されている電波を受信するアンテナと受信機と言語を理解する
事も必要だ感じた。ピザを三等分出来ない子供だったら伝わらないかも
知れない。音楽や絵だと雰囲気は伝わり共感は無理でも理解は得られ
そうだ。カーネギーが目論んだ聖書を基準に信仰による支配が可能だ
ったのかイーライの暗記で復元され増刷した聖書が世界の復興に度の様に
影響したのかは、観賞した人の想像に委ねられて映画は終わった。



2019年10月21日

『ジョーカー』(2019年)トッド・フィリップス監督作品を観た。
バットマンに登場するジョーカーの生い立ちの映画だった。子供
の頃はバットマンのジョーカーというキャラクターについて良く
わからず1989年に映画化された『バットマン』のジャック・ニコ
ルソンのジョーカーを観てから、やっと分かってきた。今回の作品では、
バットマンの敵であるジョーカーの生い立ちとジョーカーの誕生の映画だ。
キャラクターの生い立ちを、知ると感情移入が可能になる。
アーサー・フレックが精神を病んだ母親の介護をしながら道化師の派遣
会社でサンドイッチマンやチンドン屋みたい仕事をしていたが、街の不良
少年に楽器店の閉店セールの看板を奪われる。取り戻そうと追いかけるが
路地で暴行を受けてしまう。追い打ちをかけるみたいに会社からは看板を
弁償するようにと責められる。そして仕事仲間から身を守るめに使えと
拳銃をプレゼントされる。そして地下鉄に乗ると女性に絡んでいる3人を
見た為にストレスと緊張で声を出して笑いだす。3人が笑い声でアーサーに
矛先を向けて因縁を付けた事で、耐えきれなくなり射殺してしまう。
この事件は、格差が拡大して分断した社会で生きる大多数が称賛する異常な
世界だ。トーマス・ウェインの従業員に対して、大衆は、怒りや嫌悪感を
持っているみたいだ。「どんな時も笑顔で、そして人々を楽しませなさい」と
言った母親だけがアーサーの身寄りで、老いた母親だけで一緒に生活している。
同じ建物に住んでいる住民とのトラブルもありバスや電車という公共の交通機関を
利用していたが、その場に合わせた立ち振る舞いができずヘルプカードを見せ
ていた。精神疾患のため緊張状態が続き周囲のストレスを感じる状態なら家族が
車で移動を助けるとかタクシーチケットを行政が与えるなどして危険を回避できる
ように支援が出来ていれば地下鉄の事件は回避できたと感じた。ソシアル・
セキュリティーをブルース・ウィルスの父親が切り捨てた影響でジョーカーと
言う怪人と協力する犯罪組織が産まれてゴッサムシティーがデストピアになり
息子のブルース・ウィルスがバットマンになり治安を守ることになったという
流れを知った。バットマンは戦前に創作され世界恐慌の後に作られたマンガだと
知った。日本にも『黄金バット』というコウモリがでてくるキャラクターがあるが
寡黙なバットマンと登場する時に高笑いする黄金バットは、印象的なキャラクターで
バットマンの寡黙を補う役割は、ジョーカーが担ってバランスが取れいてるみたいだ。
ジョーカーになるアーサーは、精神科でクスリを処方されていたが政治家のトーマス・
ウェインの政策で精神医療の制度が廃止されて医療が受けられなくなり病状が悪化する。
行政サービスが滞りゴッサム・シティーは、ゴミの回収までが滞る状態になっている。
アーサーを担当していた女医まで職を失い次の仕事場の事で困っている状態だった。
物語の時系列は、80年代初頭のゴッサム・シティで89年の前だった。混迷している
が、「バットマン」シリーズのゴッサムみたいに悪の組織が暗躍したり、マフィア
が経済に入り込み大企業の経営で資金を得られるまでになっていない。
まだ理不尽な格差社会で市民生活に影を落とし、それぞれのコミュニティが
分裂し、ゴミ収集業者のストライキは解決できない。行政や役人も、財政難で
機能せず社会保障費は削減され続ける。こんな不穏な社会に精神疾患のアーサーは
耐えられず『ジョーカー』へと変貌させる要因となりトーマス・ウェインの政策も
要因の中に入っている。映画の衣装は80年代のアメリカンカジュアルがベースの
ワインレッドのスーツを着用していた。日本ではバブル期でDCブランドが流行り
ディスコが流行っていたがアメリカは、不況の時代だった。
そんな社会環境でアーサーは不安定なピエロの派遣の仕事をしていた。小児科病棟に
派遣されて病気の治療でストレスを抱える子供たちの不安を和らげるホスピタル・クラウン
の仕事で、持っていた拳銃を床に落として小道具だとごまかすが、会社に苦情が入り
解雇される。アーサーの母親は手紙をトーマス・ウェインに出し続けている。若い時に
トーマス・ウェインの屋敷で、メイドをしていたらしい。その為、アーサーは、自分の父親が
トーマス・ウェインかも知れないと思い込みウェインの屋敷に行き幼いブルース・ウェインと
顔を合わせるが屋敷の警備担当に追い払われる。慈善パーティーにボーイの服を着て忍び込み
トーマス・ウェインをトイレで待ち伏せて直接、話を聞くがトーマスと母親は無関係で、
アーサーの母親は、妄想性の精神疾患と自己愛性の精神疾患だったとアーサーの父親では
無いとトーマス・ウェインに殴られる。アーサーは、自分の生い立ちを確認する為に母親が
入っていた精神病院の記録を調べる。母親は、自分が幼少の頃にネグレクトでアーサーを
虐待し母親と交際相手の男からアーサーは暴力を受け身体に虐待の傷があったと記録されていた。
アーサーは、自分の生い立ちを思い出してショックを受けて家に帰る。
アーサーの家に警官が拳銃を持っていた事で、聞き込み捜査に来て母親がショックを起こし
救急搬送されて入院する。アーサーは、母親の病室で瀕死の母親の顔に枕を押し
付けて息の根を止める。母親の訃報を聞いて解雇された以前の仕事仲間の小人症と
大柄の2人が部屋を訪問してくる。アーサーに、拳銃を渡して犯罪を犯し解雇される
原因になった大柄の男を殺して小柄な男を逃がす。
アーサーは、コメディアンを目指していてマーレー・フランクリンのステージ
に上がった事があった。ネタをノートに書いて面白いとは、言えないが努力は
していた。その姿が成功者から見ると笑えるみたいで笑い者にできると出演の
オファーがある。そして人気コメディアンのマレー・フランクリンの番組に
ゲスト出演した時にテレビの生放送の中でウェインの会社の3人を射殺したのは、
自分だと言ってマレー・フランクリンも拳銃で射殺してしまう。失う物が無い
人間は怖い。格差社会でゴッサム・シティーの住民は、怒ってピエロの仮面を
付けた大規模な抗議活動が起こっている。顔を隠したり匿名で苦情を言う時は、
バレないから、責任から逃れられると人間は本性を出す。
『Vフォー・ヴェンデッタ』口髭と尖ったあごひげのガイ・フォークスの仮面を付けた
群衆みたいに誰もがピエロの仮面を付けている。テレビでジョーカーと名乗ったアーサーは、
逮捕されるが暴動を、起こしている群衆がバトカーを襲撃してジョーカーを開放して
群衆の中で英雄視される。トーマス・ウェインと母親は劇場の前で射殺されて
パールのネックレスん゛ブルース・ウェインの目の前で飛び散る場面は、1989年
のティム・バートン監督のバットマンの場面と同じだ。そしてジョーカーが白い
精神病院の廊下を歩くと血で足跡が残る場面で映画は、終わった。
猿は笑わないが人間は、笑う事が出来る。怒りを含んだ笑いは嬉しい笑いではない。
本来、怒るべき所を笑ってごまかしても、本心で怒っている人もいる。悲劇と喜劇は、
鑑賞する人の立場や主観で変わる。猿は、歯を見せて威嚇する。海外では口元で
相手の感情を知るので、西部劇の犯罪者は、口元をバンタナで隠していた。
マスクをしていると感情を読み取れ無いので外国では嫌うらしい。目つきは、微妙な
変化なので感情の変化を見分けるのは難しいらしい。被虐待児の凍った瞳の例もあるし
ビック・アイという映画もあるが睨むと凝視は見分けずらい。
視線恐怖症でサングラスをかける人もいるらしい。目が合うと襲い掛かるような危険な
精神疾患の人が稀にいるかも知れない。
バットマン (1989年)では、組織の罠で化学工場で劇薬のタンクに落とされて
ジョーカー(ジャック・ニコルソン)になったりテレビでニッコリした顔で死んでしまう
クスリを流通させてゴッサムシティーの市民を殺害し電波ジャックしてテレビCMで
「どこで買えるかって?もう・すで使っている」と言う。バットマンは日常生活に使う
歯磨きやシャンプーに混入されていて、使う組み合わせで毒に変化する事を突き止める。
このアイデアは、アニメのワンピースで登場するドフラミンゴもジョーカーと呼ばれて
スマイルと言う人造の悪魔の実を作っていて和の国編でスマイルの副作用で怒りの表情を
作れない住民が登場したので深い意味がありそうだ。虐待やいじめの被害者は、笑って
相手の暴力が終わるのを耐える事がある。虐待やいじめは腕力や立場が弱い相手に向け
られる。最近、大衆が求める笑いが変化しバワハラ気味の笑いは嫌悪感を持たれる。
格差の固定で強者と弱者の立場が個人の努力では変えられない事も要因の一つになって
分断化した事に気づいたのかも知れない。猿山の猿みたいに序列を戦って入れ替える事が
構造的に無理だと大勢が気づいているという事だ。子供のいじめを防止する教員が、
いじめ加害者になった。義務教育の教員は、児童心理学を学んでいるハズだが何故、
こんな事も配慮出来ないのか疑問だ。すべての笑いが幸福を感じている笑いでは無い。
楽しい時の笑いや嬉しい時の喜びの笑い以外にも笑いの種類は多い。
他らも面白いとか可笑しいとか様々な種類がある。
「自己防衛の為の笑い」もあり海外で知らない人とエレベーターという閉ざされた空間に
数秒過ごす時に少し微笑んで敵意の無い事を示すと安全性が増す事もあるらしい。
アニメの「北斗の拳」の場面に非暴力・非服従の村で、拳王ラオウが村長になぜ笑って
抵抗しないと問われた村長が「笑いが生き延びる為の唯一の武器です」と答えたら」ラオウ
に「意志を持たぬ者は、人とはあらず」みたい事を言われる場面も思い出されて判断は難しい。
「笑うもの」と「笑われるもの」を「泣くもの」と「泣かせるもの」と様々な
感情に置き換えてみたり「笑わせるもの」というコメディアンというピエロという
特別な地位は、王様の横にいる僧侶と道化に置き換えて考えてみると理解しやすい
ような気がする。この映画は、様々な問題提起を含んでいて鑑賞した後で、じっくり
考えるべき作品だと思った。保護や隔離すべき人に目が行き届かないから統合
失調症の患者による放火の大量殺人が起こったのては無いかとも感じる。
医師や看護師が、定期的に診療や治療していたハズだ。他人に危害を加える可能性
を予見できていたら事件を避けられた可能性があったとも考えられる。
社会の秩序と安全の維持を多様性(ダイバーシティー)や社会的包摂(インクルーシブ)
は、危険回避を民衆に求める事にもなるので、危険の回避が出来ない人は、引きこもり
身を守る方向に向かうかも知れない。危険への接近なので受忍を要求して自己責任と
言わせるのも困ると感じる。幼少期にベーシックトラストを得られる環境が無く遺伝の
可能性もあるアーサーを社会に野放しにしてケアを怠りジョーカーという怪物を
生み出した要因の一つには、バットマンの父親も政治家として関係していたので
殺されてしまい、息子のブルース・ウェインがバットマンになると勧善懲悪みたいに
単純に白黒付けられない感じがする。戦争当事国は、それぞれが正義を掲げる。
バットマンの黒とジョーカーのビビットな色が法と秩序の黒と1人で様々な色を身に
付けているジョーカーの極端な多様性の対比という見方も出来そうだ。
社会は、モノトーンでは無い。朱に染まれば赤くなる。精神病も伝染病みたいな
扱いなら隔離も必要なのかも知れないと思ってしまう。
ジョーカーのピエロのメイクも黒い覆面と対局に自己主張しているのかも知れない。
「赤と黒」というスタンダールの小説の赤は兵士で黒は僧侶を意味している。
今回のジョーカーは、ワインレッドの衣装だった。赤の衣装といえばルパン三世も
赤だ。深読みしすぎているかも知れないが起こると人は、顔が赤くなる。
怒りも強すぎると精神の緊張が耐えきれずに弛緩して笑いに変わって
いるのかも知れない。香港はデモの時にマスクを禁止にした。現在の世界情勢も
知って鑑賞するして、それぞれの立場や境遇の人から様々な感想や意見が出て
きそうだ。NHKの番組に「セカンドの美学」でジョーカーを分析したらどうなるか
興味も感じるが美学を感じるか難しそうだ。ハンニバル・レクターは1人で犯罪を
行い、ジョーカーは組織犯罪を起こす。似ているが違う犯罪パターンだ。
バットマンが創作された時代は、世界恐慌の後で第二次世界大戦の前なのでデストピアを
イメージ出来る社会情勢だと歴史と重ねて鑑賞すると理解が深まる。かなり重い内容の
映画でR15で子供向けではなかったが、色んな見え方が出来るので、見た後で色々な
考え方ができる見応えのある映画だった。
ヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞をコミック原作で初めて受賞している
映画で多くの人の様々な感想を知り立ち位置で視点が異なる事を認識できそうだ。



2019年10月11日

『蜜蜂と遠雷』(2019年)石川慶監督作品を観た。映画は、
黒い馬が雨の中を走っている場面から始まった。競馬の
馬と年齢制限がある音楽コンクルールで競う参加者のイメージ
を重ねた表現なのかも知れないと感じた。将棋もプロ棋士に
なる為に年齢制限がある。学校の教育制度は特に同じ年の
ライバルと受験を競う。年相応どころか人生の節目で失敗
すると人生が決まり将来にわたり影響が続いてしまう過酷な
社会システムとピアノコンクールに参加するかてを雨に打た
れる黒い馬で暗示させたみたいだ。ただ学校教育と異なり
同じコンクールにエントリーして競う神童と呼ばれる子供
もいれば名門の音楽大学に通う人も普通にいる。大人になって
から道楽で始める人には、到達できない。だが子供の時に
栄光を手にし『年齢補正』も加わり過度に将来を期待される
のは子供にとって幸せなのか疑問も感じる。貧富の差や階級
社会で生まれた時から不平等と運に左右される若者の姿を
映画で見られて好奇心は満足させてくれる。童話の王様や
お姫様は、身近にいないなら空想を掻き立てるのと似ている。
幼児期の英才教育は、見る角度を変えると行き過ぎると
『教育虐待』になりそうな危険もありそうだ。人の不幸は
蜜の味とも言う。世界の数パーセントの富裕層が自分が所有
しているチームのプロスポーツ選手の試合を見て楽しむ
とか競馬の馬主が自分の馬を応援するみたいに芸術の
スポンサーが音楽を楽しんだりするのと貧困からの脱出に
ボクサーやサッカー選手を目指す子供では夢すらスタート
地点が違う。人間の人生は、更に嵐の中を走る状況もある事を
ビアノの国際コンクールで不安定な音と美しいメロデぃーィーを
対比させて感じさせてくれる映画だった。
あらすじは小説が出ているので映画はビジュアルから感じた
イメージを書くだけにした。答えがあれば完璧も正解だが
生き方には、多くの答えと選択枝が出来る太い幹を持った
大樹みたい生活が必要たと感じた。
寄らば大樹の陰というが木の下敷きになる事もあるのかも
知れない。養蜂家の息子で16歳の少年はビアノを買って貰う
という目標に対してプロのビアニストになるかビアノを辞め
るかの将来設計の判断にコンテストに出る人など色々だった。
宮沢賢治の『春と修羅』をテーマにして演奏する場面などは、
音楽以外のジャンルに精通していないと付け焼刃になって
しまいそうだ。「永訣の朝」の(けふのうちに とほくへ いっ
てしまふ わたしの いもうとよ みぞれがふって おもては
へんに あかるいのだ 【あめゆじゅとてちてけんじゃ】
おまえがたべる この ふたわんのゆきに わたくしは
いま こころからいのる どうか これが 天上の
アイスクリームになって おまえとみんなとに 聖い資糧を
もたらす やうに わたしの すべての さいわひを
かけて ねがふ)の【】このデルミタカッコの中の【みぞれ
ゆきを取って来て けんじゃ(賢治兄者)】をピアノのメロディー
にする創作部門など深い知識と理解がないと出来ないと思う。
この場面は、死に水を兄の賢治が庭に取りに行っている間に
死ぬ瞬間に苦しんで歪んだ表情を見せたくないと妹のトシが
賢治を庭に行かせたという事だと映画では、説明していた。
オトマトペという擬音語や擬態語を音楽に変化さけるのは
音楽をやっている人にとって説明から創造図を描く画家みたいに
馴染みやすいのかも知れない。宮沢賢治の音楽だと『星巡りの歌』
を連想し固定観念になってしまうが無から創造すると独自の
創作が出来そうだが、誰かが先に似たものを発表している事が
多いから特許の洗願調査みたいに事前に多くを観ておく事が
必要だと思う。クラッシックのバレエやオペラにはストーリーがある。
一般教養として知っておくにも音楽の練習で時間を取られてしまえば
生活に支障が出そうな気もする。
各自の持っている知識が必要な時に出てくるかは思い出したり、
ひらめいたりするセレンディピティーも必要だと感じる。
資料を入手出来る環境かどうかも影響する。家に本があるかや
図書館が近くにあるか等で知識欲を持ってもハードルは異なり
差が出てしまう。
この映画で競う4人は年齢制限までに様々なコンペティションで
受賞していると思われるから受賞経歴を持っていると思うが
一つのコンクールだけフォーカスしている部分は、多少違和感を
持った。スポーツに置き換えれば地域大会・国内大会・世界大会
と勝ち進む。受験のすべり止めみたいに複数のコンペがあるハズで
そこまで深くキャラクター設定すると映画化するのが難しくるので
原作の小説から省略したのかも知れない。人は感動を求めるが、
求めすぎると、スポコン漫画みたいな血と汗と涙を求める感動ポルノと
揶揄される時代で感じかたも変わる。養蜂家と蜜蜂の働き方改革という
ジョークや蜂蜜の商品名を不幸を凝縮した甘さみたいなブラックユーモア
を入れた名前が面白いと、偶然に話をした。甘い思いを楽しんだら虫歯
になって痛い思いをしないように人間関係も歯磨きみたいに手入れが
必要だと思う。
音楽という瞬間・瞬間の組み合わせで耳から入る情報で瞬間を永遠
に変えるジャンルの芸術と目から入る情報が主になる絵や彫刻という
芸術と文学という目から入った情報を読者が各自の頭の中でイメージ
する芸術と色々だが映像という総合芸術で(味覚と臭覚と触感を除く)
再現しているので、音楽に詳しい人は別の感想を持つと思う。
ギリシヤの芸術は永遠を目指し日本の芸術は普遍を目指すみたいな
フレーズを三島由紀夫が何かに書いていたらしい。三島文学は難しい
ので記憶に残っていない。生活者の音楽という父親・親の死という
トラウマを乗り越えようとする女性・ピアノに夢中になっている少年
の競争は、アンデルセン童話の5つのエンドウ豆を連想させる。
映画だけでは、雰囲気しか解らないので、原作の小説を読んでみたい
と思った。爪が割れてアロンアルファで貼って練習を続ける場面が
印象に残った。
音楽家とは、なんという仕事なんだろう、なんという生業
(なりわい)なのだろう。 なりわい・・・そんなものに
人生をかけるとは、業(こう)としか言いようがない。重い事を、音の
仕事だから鳴りわいと聞こえるユニークな言葉だ。子供は親の
背中を見て育ち人生の進路や職業選択まで影響を受けると
認識させてくれる映画だった。。



2019年09月14日

『記憶にございません!』(2019年)三谷幸喜監督作品を観た。
病院のベットで意識が戻るとパジャマのままで病院を抜け出す。
そして周囲の人に総理大臣に似たパジャマの男だと若い警官が
保護しようとすると黒い車が数台で迎えに来て連れて行く。
病院のベッドで意識が戻る状態だと点滴やカテーテルが入って
いて状況が分からないので誰かから状況と状態を聞いてから動く
と思うが軽傷の脳震盪みたいなのであり得るのかも知れない。
昔にも記憶喪失を物語にした「銀座の恋の物語」という作品が
あり頭を打って記憶した事を忘れるというイメージがあるのかも
知れない。もともと人間は、忘れる生き物で絵や文字で補って
文明を築いたらしい。最初の絵は、恋人の姿を相手の影を棒で
なぞったのが始まりらしい。軽い気持ちで深く考えないで見ると
面白い。楽しんだ後で、映画に込められた社会問題を考えるのが
良い鑑賞方だと思う。三谷幸喜監督の映画とチャップリンの映画は
楽しんだ後で考えさせられるテーマがあるみたいだ。気が付かない
人は気が付く事が出来ない。記憶喪失になった史上最低の支持率の
総理大臣の黒田啓介は、国民から嫌われて憎まれる政策を行ったから
投石されて記憶喪失になった。過去に靴を投げつけられた大統領が
いたが当たらなかったみたいだ。病院から抜け出して自宅に送って
もらい、自分が周囲から嫌われている状態を理解するのにテレビを
観て、自分が不誠実な対応をしていた事を知る。秘書官が色々と
教えてくれて仕事に戻る。自宅に戻ると料理人と妻を間違えたり
秘書官と妻が不倫していたり子供が酒で警察に保護されたり家庭の
家族関係も険悪な感じだ。黒田啓介には幼少期の記憶は残っている
みたいだ。政治家になり総理にまでなった記憶が抜けたまま仕事に
戻る。その為に高校の社会の先生の名前を思い出して政治の基礎を
教えてもらう。学生の時に授業中に窓の外を見ていて聞いていない
ので覚えていないから記憶にもともと無いというオチで笑わせてく
れた。大学の教授で無い所が親近感を持たせていたのかも知れない。
大学を連想すると奨学金の返済を思い出す観客が多いからかも知れ
ない。記憶を失っていることを、機密して仕事を乗り切る。高校から
の友人からK2計画という新しい国会議事堂に豪華なスパを付けた建築
の計画で巨額な税金を使ため国民の生活を圧迫している。
そんな状態のまま、アメリカ大統領が来日する。大統領は女性だった。
ゴルフで接待して自宅で総理の手料理を振る舞う前回の約束があり鴨
料理でもてなす。アメリカの要求はチェリーの関税引き下げで日本の
農家の為に断ってしまう。アメリカの大統領が交渉決裂で怒ると思われ
たが腹を割ってホンネで話す外交だと理解してくれる。
黒幕の幹事長は総理を引きずり下ろし総理を挿げ替えようとする。
政治記者に依頼して幹事長のスキャンダルを公にして失脚させる手はず
を取る。しかし幹事長もマスコミに手を回して総理の妻と秘書官との
不倫関係をリークする。その為に妻は家を出ていってしまう。総理は、
自分と不倫関係のある野党の女性党首に党首討論の電波を使う許可を得て
出て行った妻に謝罪して元の鞘に戻る。政治記者に依頼していた幹事長の
弱みで幹事長を辞任させる事にも成功する。暴力団のトップとの会食と
ゴルフでのプレイでズルした証拠写真があり暴力団との関係よりゴルフの
ルール違反が辞任を決断するネタになる。ゴルフ関係の団体の役員の地位が
大切みたいだ。スナイパーで総理を消そうとするが強力なゴムのパチンコで
失敗して最初に総理を発見した巡査がSPになっていてバルコニーから飛び
降りて追跡して捕まえる。幹事長は辞任の時にビーチサンダルにアロハで
会見するのは革命で王宮だったか官邸を明け渡すアジアの国の独裁者を思い
出させる演出だと感じた。
妻が帰ってきて息子との関係も回復して家族や自分を支持する人も支持して
いない人も幸福に暮らせる国になる方向に政策を変えると公言して国民も
喜びハッピーエンドで終わる。
劇中で、黒田総理の中学生の頃に書いた作文に、総理大臣になることが夢
で自分は本当は明るい性格だけど、急に明るくなったら周りからおかしいと
思われるかもしれないから大人しく周囲に合わせているが突然に性格を変え
本性を出すには、ボールが頭に当たって人が変わったように出来ればいいのに
と書いている。そしてサッカーボールを頭に当てた同級生の国会議事堂の
建て替えに協力していが計画を白紙に戻すのに学生時代に同級生をこれ以上
悪者にしたくないと必死で止めた過去と同じにK2計画を撤回させる事に成功
する。石を投げた大工は85歳の仕事仲間が怪我で働けなくなり死ぬしかない
状況になる政策に腹を立てたらしい。自分の末路を連想して起こったという
事だろう。最近は、自分を苦境に貶めた原因を知っていても攻撃の矛先を
自分より弱い立場になった者を攻撃してウサを晴らす人間が事件を起こす。
不満と怒りが強くなりすぎると懲罰欲求が起こる。しかしその原因を作った
相手は怖くて怒る事も出来ない。家庭で暴力を受けてる子供は学校で弱い者を
いじめる。生活が苦しく物事が巧くいかないとコンビニの店員やレストランの
ウェイトレスや量販店の店員にクレーマーなり八つ当たりしてウサを晴らす。
中には自動車で弱そうな相手を探して「あおり運転」を繰り返す者までいる。
これらの他害行為は、手軽な弱い相手に対して怒りを【置き換え】て攻撃する
事でウサを晴らす行為で自分は悪くない悪いのは政治や社会だと思うが攻撃の
ターゲットは小学生や障害者という弱者への危害に向かう。テロのソフト
ターゲットより狡くタチが悪く誰もが怒りを覚える。この映画は、首相に石を
投げた事で物語が始まり国民の誰もが願っていたみたいだ。この状況だから
犯人の大工には罪を問わずハッピーターンというお菓子を渡して許した。
バームクーヘンぐらい出ると思った、とか建材が意外と安い物を使っていると
余談をする余裕もあった。記憶を無くした時に、悟られないように、いつものと
言うとチョコバナナにキムチを出されたり変わったおやつで以外な感じを出して
いた。駄菓子みたいなイカを食べていたりもしていた。最後のラストは息子が
父親に理解を示してエンドロールになる。途中で記憶を取り戻していたが別の
人格で理想とする政策を行いたいと思い。芝居をしていたのかも知れない。
三谷幸喜作品は、ステキな金縛りみたいに面白いどんでん返しの要素を、
この映画にも取り入れたみたいだ。わざとらしい感じのストーリー進行だが
久しぶりに作り物の舞台みたいに大げさな演技も楽しめた。
映画を観賞し楽しんだ後で日本の政策について考えると有意義だと感じた。
深く考えられなくても人生の中で自分が近い状況に置かれた時に思い出して
気付く事もあると思う。映画から学べる人生もあると思う。



2019年08月30日

『ヘアー』(1979年)ミロス・フォアマン監督作品を観た。
『カッコーの巣の上で』(1975年)でアカデミー賞を受賞
している監督が1968年からブロードウェイで上演されている
ミュージカル『ヘアー』を映画化した作品だ。
ベトナム戦争の為に徴兵されてオクラホマから来た青年の
クロードは、2日後に入隊する前にニューヨーク見物をする
為に来て馬に乗っていたヒッピー達の馬が暴走したのを止め
て本物のカウボーイーだと関わりを持って、ヒッピーたちと
出会う事になる。逃げた馬を止めて捕まえた公園で一目惚れ
した乗馬姿のシーラとクロードを合わせて気持ちを伝える機会
を作る為にバーガーは、新聞を見てシーラの家でパーティーが
開かれる事を知りヒッピー仲間とクロードがシーラに求婚出来る
ように紛れ込む。上流階級の社交パーティーは、新聞の記事に
なる時代だった。パーティーでテーブルの上で踊り警察を呼ば
れて全員が逮捕される。簡易裁判で判事から1人50ドルの罰金を
言い渡されるが250ドル足りない為にバーガーが先に釈放させて
もらい全員分の罰金を集める。バーガーは全員の罰金を手に入れる。
そして全員が釈放されてクロードとシーラはヒッピー達に祝福され
結婚する。日本の映画にも徴兵されて結婚するという場面があった。
独身のまま戦場に行きたくないと考える若者もいるみたいだ。
入隊の時に行われる身体検査の場面がある。日本の身体検査は
裸で並んで順番待ちをさせられたがアメリカは、独りづつ部屋に
入るみたいで下着も脱ぐ場面で靴下だけ、なかなか脱がない人が
いて靴下を脱ぐと足の爪にペディキュアを塗っていた。短髪に
髪型を切られた事に対しての皮肉なのか考えさせられる。
そしてお馴染みの軍隊の訓練を受ける。プライベートライアンで
見た訓練シーンだが映画が出来たのは、この作品の方が早い。
靴下でボコられるのはプライベートライアンでペディキュアが
ヘアーと覚えると印象的な場面の記憶がハッキリする。
それから少ししてネバダのクロードすらバーガーに手紙が届き
ベトナムの戦場に行く前にシーラと合わせたいと思い基地まで
5日かけて行き面会を申し込むがゲートで追い払われる。
そこでバーガーは、伸ばした髪を短く切り兵舎に居るクロード
と入れ替わり点呼で返事をする身代わりになる。シーラとクロード
が逢っている時に飛行機で基地からベトナムに移動する命令が出て
バーガーはクロードの代わりにベトナムに行き戦死してしまう。
そしてヒッピー達の反戦運動が大規模になりホワイトハウスを
取り囲み映画が終わるという流れだった。この時代のアメリカの車
は大きなセダンだ。日本人が小さな車に乗っていた時代に豊かな国
アメリカをイメージさせるアメ車だ。この時代は、男性もロングヘアー
やアフロにしてスポーツ刈りみたい短髪は軍隊をイメージさせる髪型
に反発していたみたいだ。ベルボトムのジーンズにサイケデリックな
Tシャツなどが一時期は定着していてラブ・アンド・ピースという
言葉が流行っていた。バーガーがパーティーの時にテーブルの上を
踊さて歩く場面は、ダンスウィズミーのシャンデリアにぶら下がる
場面の元ネタみたいだ。
ミュージカルなので劇中に沢山の曲が使われているが聞いた事が
あったのは「アクエリアス」だ。テンポの良い曲で歌詞に惑星の名前
が出てくる。メロディーは全く違うが星の名前が沢山出てくる歌詞なの
で宮沢賢治の 星めぐりの歌を連想するかも知れない。
ミュージカルで誰でも知っている曲が多いと記憶に残りやすい。
この映画は、ベトナム戦争が終わった後で作られて中東で又、戦争が
起こる前あたりに公開されたみたいで暫く忘れていた。
若者の反戦運動が大きくなったから大学の奨学金を給付型から貸付型
のサリーメイに変えて兵役で返済不要の奨学金を得られるようにして
現在は、大きな反戦運動が起こらないような構造を作ってしまった。
そんなアメリカ社会の変化を思い出すのにも意味のある映画だと感じ
た。映画のタイトルのヘアーは髪を短髪にする事は軍隊に入る時か
刑務所に入れられる時の特別なものでバーガーはクロードの身代わり
になる為に髪を切った。日本にもファッションとしてヒッピースタイルは、
この時代に流行ったがコミニュティーを作って共同生活する程には
なっていなかった。パンタロンやベルボトムのジーンズは流行した。
映画を鑑賞する時には時代背景を知っていると解りやすい。
この時代のミュージカル映画で近い傾向はキリスト教の団体から批判が
あり映画館が爆破や放火の対象だと噂された『ジーザス・クライスト・
スーパースター』(1973年)や『ロッキー・ホラー・ショー』(1975年)
が印象的なミュージカル映画だった。昔に見た映画は、近い時代の映画を
見ると雰囲気が似ていると思い出すみたいだ。
星占いが流行った二十世紀は、うお座の時代で二十一世紀は水瓶座の
時代になり人々の考え方や意識に変化が起こると言われていた。
新聞や雑誌からインターネットに情報を得る手段も変化している。
そして個人でもブログやツイッターに動画配信まで可能になった。
映画からテレビそして動画配信サービスと変化したと感じる。
ビデオからDVDになりブルーレイが出来たと思ったらネット配信を
利用すると場所を取らない。昔は百科事典で調べた事もネットで検索
出来る時代になった。水瓶座はアクエリアスというのでヘアーの中で
歌われていた曲が今の時代を予感していたのかも知れない。
ベトナム戦争の描写はアメリカから見た戦争たがベトコンが256人殺
されたという演説と対比するように身近な友人の事より遠くで血を
流した人を中心に行動するというようなセリフもあり視野を広くする
だけでなく周囲に対して注意深く観る事も大切だと言うメッセージも
込められていた。ラブ・アンド・ピースやストリーキングにフリーセックス
など過激な話題もあった70年代たが父親が誰かも解らない子供を育てる
若い母親が登場していて戦争当事国の若者は将来や未来より刹那的に今の
事しか考える気が起こらなくなってしまう事もあるのかと感じた。
炭鉱で働く人は、仕事に行くときに生きて帰る補償がないから貯金して
将来に備えるという考えが起こらない人がいると何かの時に聞いたが
戦争の当事国で生きると考え方に変化が起こるのかも知れない。
社会システムの変化が激しい時代を生きる現在の若者も70年代の
アメリカの若者も将来や未来に対して予想が難しい部分は似ていて共感が
出来ると思うので観賞して考えるのにも良い映画だと思った。



2019年08月18日

『ダンスウィズミー』(2019年)矢口史靖監督作品を観た。
上映前に予告編が流され『キャッツ』が2019年12月20日に
公開される事を知った。名曲メモリーで有名な作品なので
楽しみだ。ダンス・ウィズミーを鑑賞するとミュージカル
でロードムービーでもあった。70年代の衣装でマーティン
上田と踊っている女性達の場面で映画が始まった。
一流企業に勤務する勝ち組OLの鈴木静香が会社のサイトを
新しくする企画書を作成して忙しい時に姪っ子を預けられる。
仕事をしている横で姪っ子がダンスしいるのでイライラする。
姪っ子は、風呂場で小さくなって怯えていた。静香は強く
当たり過ぎたと思ったと反省してフォーチュンランドという
遊園地に無料券を持っていた事もあって、姪を連れていく。
昔、オカルトブームがありテレビに出ていた程に有名だった
催眠術師のマーティン上田が落ちぶれて遊園地で催眠術500円
でやっていた。他のタロット占いとかが1500円なので安いから
姪と入る。姪は小学校の学芸会でミュージカルを上手に演じたい
という願いがある。2人で暗示にかけられる。駄菓子屋で売って
いるオモチャの指輪を1つ2000円だけど2人なので3000円で2個
売りつけられる。静香は小学校の時にバレエと歌を習っていた
が発表会の時に失敗してトラウマになっている。されと子供の
時にテレビでマーティン上田が催眠術をかけている場面を見て
いたので、刷り込まれている。そんな条件が重なって、音楽を
耳にすると歌ったり踊ったりせずにはいられなくなってしまう。
しかも現実が幻想的に見えている。脳内でVRを付けている状態
に認識されているみたいだ。そんな状態で会社の会議で新しい
サイトの検討会で歌って踊ってしまうが、この時はシュレッター
のゴミを紙吹雪にして机の上で踊って運良く機材を壊さずに済み
プレゼンテーションのサプライズだと勘違いして企画が採用され
る。その後あこがれのプロジェクトに抜擢されリーダーの男性と
音楽の流れていない静かなレストランを選んでディナーに行くが
誕生日の客が居た為にハッピーハースディーで歌い踊り出して
店内のテーブルクロスを引っ張ったりシャンデリアにぶら下が
ったりする大胆な踊りで店に高額な金額を弁償する事になる。
レストランに賠償請求されて家財道具を売り払い一文無しに
になってしまう。
自分が大変な状態だと気付き神経科に行き血液やMRI検査を
受けるが後催眠状態で催眠術をかけた人物しか解けない事を
知りフォーチュンランドに行くとマーティン上田は夜逃げした
後だった。しかもヤミ金の取り立て屋が探している。そして
マーティン上田の助手をやっていた千絵を発見して2人で探偵社
に行き依頼する。48万の料金は静香が払う事になる。
静香はプレゼンの成功によって女性達の憧れの村上涼介から
自分の部署に来ないかと抜擢される。この催眠術を解くのに
1週間の休暇を申し出て探偵からの連絡を待った。そして探偵の
渡辺から新潟でコーチン名古屋という男がショーをやっていて
マーティン上田の可能性があるとメールで写真が届く。
静香は千絵に声をかけ、千絵の車で新潟を目指す。2人とも
金を持っていないため途中に静香は実家に寄り姪にスマホを貸す
代わりに缶詰みたいな貯金箱を持ってこさせる。
そして新潟に向かう途中で入れ墨の男に煽られてオイル漏れして
しまう。しかもショッピングセンターで煽った男達に連れ去られて
しまうと同じような男達の集会の場で殺されると怯えていたら
別のグループが現れてタンス対決になりダンスで勝利して開放
される。ウェストサイド物語のジェット団とシャーク団のダンス
対決みたいだ。車の荷台に巨大なスピーカーが設備されていて
音響族みたいだ。修理に出していた車を受け取り金が無いので
ストリートでギターを弾いていた女を仲間にして三人で歌って
踊りながら旅費を作って移動する。その歌手の洋子を秋田まで
同乗させる。乗せてくれれば金はいらないと言う。そして最後に
ステージを、手伝ってほしいと言われる。何のステージか知らない
2人は結婚式でウェディングベルを歌う。終わりの部分でギターの
女は男にギターで「くたばっちまえ」と襲いかかり、接近禁止
命令でてんだろうと言われケーキのナイフを持って逃走する。
ヤバイと感じた2人はコーチン名古屋を追って青森の弘前に行くが
公演が終わり行先が分からなくなりゴミ収集車から捨てられた
ポスターを見つけ出し札幌市民会館だと付き止めてフェリーに
乗り函館に上陸するがフェリーの中で出会った男と千絵が意気投合
して車の運転を任せる程に信用して鍵を渡したら車を乗り逃げされ
てしまう。札幌に向かおうとヒッチハイクしようとすると探偵の
渡辺がレンタカーで札幌まで同乗させてくれる。実はヤミ金から
の依頼を受けて報酬を得てもいた。ヤミ金達は特急で札幌に向かい
市民会館でコーチン名古屋のショーで取り押さえようとしていた。
催眠術のショーを続けらせるために千絵が催眠術に、かかり玉ネギを
りんごだと信じて食べる演技をして催眠術を続けられるようにして
静香の催眠術を解く事ができる。そして市民会館の前に行くと自分の
車が止まっている。函館で車を盗まれる前に結婚式で接近禁止命令を
破り警察に追われていた歌手の洋子が途中でトランクを出て車を盗んだ
男をノックアウトして取り戻して運転して届けてくれていた。洋子は
車を止めると何所かに消えていた。そのおかげで東京に帰りそれぞれの
日常に戻ろうとするが静香はポケットに入っていたミュージカル教室を
開く予定の千絵と一緒に教室を始める事にして会社を辞める。
そして姪の小学校のミュジカルも成功する。そしてインド映画みたいに
全員が踊って終わった。最近の映画では珍しいハッピーエンドだった。
70年代はユリ・ゲラーやコックリさんにノストラダムスの大予言が
流行りオカルトブームもあったので、その時代の空気が深層心理で残っ
ている事で静香が強い催眠術にかかってしまう理由付けに成功して
いると思う。映画を観た後に2019年11月1日に公開予定の『閉鎖病棟
―それぞれの朝―』のチラシが目に止まったからなのか妄想状態で
踊りレストランに損害を与えた静香は家財を売って弁償したが刑法
39条が適用されて周囲に被害を与えて責任能力に疑問がある状態で
「やまゆり園」や「カリタス」に「京アニ」の例みたいな大量殺人
から被害者や関係者に嫌われ憎まれ恨まれる事件には、精神障害の
中でも自責の念を持つ人が多いがごく少数だが他責するタイプがいて
他害行為を繰り返す事件が目につく。
ストーカーで接近禁止命令を受けて結婚式上でナイフを振り回す場面
は、なかなか映画でも見られない名シーンだけど社会に出しては、
いけない人物の脅威を感じている人は多い。事件の度に報道され
妄想やストーカーの場面で糖質の粘着な人をイメージして引いて見る
人がいるかも知れないがもミュージカルというファンタジーな世界で
オブラートや糖衣で、包まれるような表現がされいてるので気にせず
楽しめた。京都アニメーションが制作を手掛けた劇場版アニメ「ヴァイ
オレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -」のチラシも
手にした事や最近カードゲームの妄想カルタを手に取ったことも感想に
影響したからかもしれない。印象は鑑賞するタイミングで変わるものだ。
されでも面白い映画だった。更に映画のオリジナル曲がメモリーみたいに
歴史に残るような曲があれば良いと思った。選曲の時代背景は『愛と誠』
と近い時代だとも感じた。



2019年08月10日

『ONE PIECE STAMPEDE』(2019年)大塚隆史監督作品を観た。
スタンピードは英語で家畜の集団暴走とか人間の群集事故という
意味だ。海賊万博でバスターコールされて逃げるクライマックス
シーンがうるので、このタイトルが付いてると思われる。
ワンピースの『和の国編』から『特別編! 最強の賞金稼ぎシードル』
『特別編! 決戦!ルフィvs炭酸王』そして劇場版の『スタンピード』に
つなげて『和の国編』に戻る流れみたいだ。海賊万博に招待された
麦わらの一味はゴールドロジャーが残した宝を奪い合う。ネタを最初に
言うと景品はラフテルに直行できるエターナルポースだけどルフィーが
手に入れて、これを使って到達したら冒険じゃないと壊してしまう。
今回戦うったのはロジャー海賊団の生き残りダグラス・バレットが
ルフィーがインペルダウンで暴れた時に1人で脱出していた。黒ひげは
仲間に誘わず関わりたくないという相手だ。能力はガチャガチャの実で
周囲のガラクタを集めて巨大なロボットみたいな造形物に強力な覇気を
纏わせて戦う。ラストは歌姫アンのビジョビジョの実で火柱のビジョン
を使ってバスターコールの艦隊から万博に来ていた海賊達が脱出して終
わる。革命軍のサボや海賊女帝ハンコックにトラファルガー・ローや
万博の警備としてバギーがいたがロジャーの宝探しに参加する。
出店でハッチンがタコ焼き屋を出店していたり見覚えのあるキャラが
登場している。スモーカーとサボの闘いとか楽しめた。映画を観たら
又、『和の国編』の続きを楽しみにしたいと思う。



2019年08月07日

『こどもつかい』(2018年)清水崇監督作品を観た。
ホラー映画だけど涼しくは感じなかった。ストーリーは
子供を虐待する大人が連続して不審死する。
シングルマザーの柴田絵理奈は、娘が父親に会いたいと言うと
イライラして癇癪を起し娘をベランダに放置する。
一人娘の瑠奈をベランダに放置してベランダを見たら、瑠奈が
消えている。ベランダから地面を見ても部屋を探し回っても
見つからない。マンションの住民の視線が冷たい。
警察官が到着して捜索を開始しようとしたらベランダに瑠奈が
いた。何所にいと問い詰めても何も言わない。警官やマンション
の主婦たちが帰った後、絵理奈は瑠奈に怒りをぶつける。
どこからか黒いマントの男がハーメルンの笛吹きみたい黒い毛の
猫をラッパに変身させて笛を吹く、この奇妙な人形遣いの男に
操られてた奇妙な子供たちに殺害されてしまう。このように大人
が殺され犯人が不明になる事件が続くので調べた新人記者の
江崎駿也は、死んだ大人の子供が3日前に、同じように半日程失踪
していたという共通点や、親が虐待していた事が一致していた。
そて「トミーの呪い」と言う都市伝説に気づく。
江崎駿也が結婚を考えている恋人の原田尚美が保母をしている
保育園で朝は子供を親から預かるために忙しい。小松洋子という
先輩とモンスターペアレントの愚痴を話したり子供も親にも手間が
かかるる仕事だ。その中に親が送り迎えをしないで通って来た
笠原蓮という幼児が変だと気づく。笠原蓮は上腕にタバコを押し
付けられた痕がある。驚いて簡単な治療をするが警察や児童相談所に
通報していない。保育園は親から、料金を貰うので事を穏便にしたい。
モンスターペアレントも、その事に付け込むからスーパーや飲食店
みたいに他の客への迷惑行為があれば出入り禁止にする事が難しい。
学校は義務教育なので退学に出来ないまま虐めで子供が自殺したと
言う事件まで起こっている。原田尚美は、そんな環境で保育園に
保母として働いている。新聞で社会部の記者をしている江崎駿也は
女子中学生に取材中した「トミーの呪い」で子供の魂を操るトミーが
子供を連れ去り、子供が戻ってくると、3日後にその親が死ぬという
都市伝説を深く調査しようとするが先輩の上杉に、馬鹿馬鹿しいと
言われる。駿也が必死でトミーの呪いについて調べていたところに、
憔悴した様子で尚美が帰宅してくる。母親が死亡した蓮は、児童相談所に
保護されるのを嫌がって尚美の家に来たいと願うが、尚美は断った。
この描写に養子縁組など複雑な話は無いが新婚予定の尚美は迷惑なハズだ。
尚美は、駿也の前で偶然に幼少時に覚えた童謡を口ずさむ。駿也は取材の
時に近くにいた子供が歌っていた童謡と同じだと気づいた。駿也は録音した
ICレコーダーで童謡の歌詞を調べると、三重県の伊勢地方に昔「上之郷
サーカス」があり関係しているのではと考えた。そのタイミングで蓮が
いきなり現れた。児童相談所から、蓮が車の中から消えたという。
婚約者の尚美にトミーの呪いがかけられて蓮は、お守りを尚美に返す。
そうすると尚美は3日後に死んでしまう。尚美と駿也は、車で伊勢地方に
行き、上之郷サーカスの社長の息子を探し出す。そしてサーカス小屋があった
の廃屋中に60年も前のから放置されていた部屋の机の中から、「人形に命を
吹き込む偉才、トミー」と書かれた古い写真が出てくる。サーカスの格好で
黒いマントの人形使いと操り人形みたいな子供たちと出くわす。尚美が子供達と
トミーに襲われるが、上之郷が助けてくれる。上之郷は、トミーがアメリカ人で
腹話術の人形使いだったことを教えてくれた。上之郷の父親は、この地域で、
病院まで経営していた。多角経営の一つに夢だったサーカスを始めたが、
60年前にサーカスで数名の子供が行方不明になるという事件が起こる、そして
周囲から怪しいと思われ何者かにサーカス小屋を放火され廃業したと教えられる。
放火された時、人形のトミーの黒マントを持ち帰ると、その頃から周りで関わった
者が不審な死に方をする。怖くなり、黒マントを箱に入れて縄でぐるぐる巻きにして、
村から遠くに行くトラックの荷台に乗せて遠くに捨てると、村で不審死が収まった。
その黒マントと尚美が幼少の時に、トミーと出会い関わっていたことを思い出す。
尚美も蓮と同じように母親から虐待され、親からの暴力に耐えられなくなり親に
死んでほしいと願い尚美もトミーに心を読まれる。トミーと尚美は母を殺す約束の
指切りをして3日後に、尚美の母親が死亡した過去があった。ただ養育の経過は映画
では不明だった。養護施設か親戚の家なのか判らない。養護施設で育った子供の
3分の1の子供が施設症候群で重篤な精神疾患になるという研究から里親制度の
充実が必要だと読んだ事がある。幼少り記憶を思い出して目を覚ますと、尚美は
車の中に居た。家庭と言う安全な居場所が親の離婚や転勤で脅かされると子供に
良くない。気が付くと、側にいる駿也に過去の思い出を話す。駿也は、尚美に
人を頼ることも覚えて、自分を責めるな、とアドバイスされる。施設症候群では
管理する大人は頼る対象でない。その話から、駿也は黒マントを知人で近藤の
リサイクルショップの奥の部屋だった。意外な人の所にある事に気づいた。
2人は、伊勢から車で戻り、近藤のリサイクルショップの入っているショッピングモール
に向かい深夜に入り込んだ。操り人形を探そうとするが、こどもつかいが先回りして
待ち受けていた。彼は、蓮との指切りの約束を守らなかった事で尚美を殺そうとする。
そして、尚美に過去に起こった事を見せた。尚美は1957年の上之郷サーカスのテントの
中にいて。サーカスの団員だったトミーが、サーカスの中に秘密の部屋を作り誘拐した
7人の子供を監禁して虐待を楽しんでいた。10人のインディアン を口ずさんでいた。
アニメのワンピースのドフラミンゴみたいに子供を操り人形にする事が出来るみたいだ。
催眠術なのか人形に魂を吹き込むように子供を支配している。不審に感じた村民たち
から逃げるために、トミーは自分で灯油を撒きテントに火付けて、子供達を焼死させた。
その時に、魂を吹き込まれた人形が人形使いの首に乗りアイスピックらしき物で何度も
首を刺していた。映画は昨年、京アニの事件の前に公開されている。児童の虐待死は
続いている。児童の性的虐待があったかは描写が無くて分からない。
尚美は、近くにいた子供を助けようとしたが1人だけ連れてテントから逃げるのが、
やっとだった。それ子が、上之郷勝男の少年時代の写真と同じだった。
それから、尚美は幼少の時の部屋にいて母親が狂ったように暴力をふるい
振り切って逃げると、また1957年のサーカスのテントの広場の前にいた。そこには、
こどもつかいと子供達が復讐に殺した大人達が立っていた。そして尚美は、ショッピング
モールに戻った。目前に、こどもつかいと蓮が立っている。尚美は、必死で考えて、
蓮に真剣に謝った。蓮は謝罪を受け入れて許してくれた。蓮は小指をこどもつかいに返した。
こどもつかいが、驚いて階段から落ちた。尚美と駿也が階段の下の床に壊れてバラバラに
壊れた人形が落ちている。尚美の呪いは解けた。蓮が床に転がっている人形から小指を
持ち帰った。
それからしばらくして、尚美と駿也は引っ越し作業をしてる。蓮も来ていたが、蓮は
近くのマンションの部屋の前に、こどもつかいの小指を置く。中から虐待のアザだらけ
の幼女が扉を空けて小指を受け取った。そして映画は終わった。
無力の子供が虐待されて本当の親が自分を探しているという可能性を児童文学の中から
願ったりする事もありそうだ。子供が害になる大人に対する制裁を真剣に願ったら怖い。
児童虐待の通報件数が増えて虐待死として認識される件数が増加している現在社会と
戦後の混乱期から復興しはじめた時代を思い出させる映画だったがテーマが重くて
児童虐待が『闇の子供たち』人形遣いの子供の絵は『非現実の王国で ヘンリー・ダーガー
の謎』サーカース小屋は『少女椿』黒マントの白手袋の星が『ライチ光倶楽部』の雰囲気
に人形が自分で動いて復讐する『チャイルドプレイ』みたい感じだけどホラーより児童虐待の
ある現実社会に加えて欠陥だらけの児童福祉の制度で児童の権利条約が守られていない
恐ろしい事実を気づかせてくれる映画だと感じた。
日常生活の中に精神異常者が混ざると恐ろしい。毒親や毒先生による子供の肉体や精神的な
虐待が影響して深刻な精神疾患の引き金になる事が多い。観た後で、かなり考えさせられた。



2019年08月05日

『麻雀放浪記2020』(2018年)白石和彌監督作品を観た。
和田誠監督の(1984年版)があるが私は、見ていない。
物語の流れは敗戦直後の日本、時代き1945年に、なけなし
の金どころか命まで掛けて生き延びるバクチ打ち達が
マージャンやチンチロリンで生き延びていた。
そしてオックスクラブで11月5日にマージャンの大勝負が
行われた。坊や哲・出目徳・ドサ健の3人勝負師が協力
する事があるみたいだ。無法地帯の賭場にもルールーが
あり賭けられる物なら自分の恋人まで賭けてしまう。
子供達の遊びまでチンチロリンとかの博打だ。
敗戦後の日本の荒廃は生き残った人に安全な居場所を
残さなかった。土地や建物が残っていたら博打で奪い取る。
危険な環境で今を生き延びる。死んだ者は敗者だという
価値観とかヒリヒリした空気が伝わってくる。そして大勝負
の場所に雷が落ちて気が付くと2020年の東京の路上に倒れて
いた。自分が居る場所の確認に周囲を歩くと自衛隊を国軍化
するなと白いヘルメットを被った若者が集会を開いていて
警官隊が警棒で殴りかかる。昔の過激派っぽい感じの若者達の
中で何が起こったか理解できない哲をドテ子が逃げるように
導いてくれる。ドテ子はメイドの恰好をしているので哲は女給
かと聞く。そしてコスプレの女性がマージャンの相手をして
くれる店にいく。哲は圧倒的に勝つが賭けマージャンでなく
場所代を昔の紙幣で払い警察で取り調べられるがドテ子が料金
を払い引き取ってくれる。クソ丸の経営しているプロダクション
に居候する事になる。戦後の混乱期の昭和から来た哲の事を
学生服を着たコスプレの為の設定と思っていたクソ丸は、勝負
の時に九蓮宝燈を出して雷でタイムスリップしたと言われて
そんな映画があったと意外と納得してしまう。バックトゥーザ・
フューチャーを連想したらしい。ドテ子は麻雀番組に出演して
いるが麻雀で勝ち続けられずプロデューサーに接待で抱かれる
場面でシマウマのマスクを被ってバチャールリアリティーの
環境でプレイする所が野生の王国を連想させられ不思議な感じ
がした。クソ丸は哲がイケメンだと気づいて「ふんどしの哲」
として売り出す。哲は勝ちまくり人気イケメン・アイドルになる。
しかし命がけの博打で生き延びてきた哲には、物足りない。
現金を賭けた麻雀をしてしまい賭博罪で逮捕される。
留置所に入れられると檻の中でボロボロの博打打ちの老人に
勝負を持ちかけらる。勝負で賭ける物は無いが老人は自分の
目を賭けるという。勝負に負けると自分で目玉をくり抜いて
哲に渡そうとする。血が着いている目玉を手に持っている。
そのすぐ後でAIで経済の巻き返しを計る国の政策として
国際マージャン大会が開催される事になりコンピューターの
オンライン麻雀でトップの順位を持った哲を国の研究所で
把握しており大会に出場する事とドテ子の釈放を条件に哲に
選手として大会に出場しする。タイムスリップする前に対戦
していた出目徳・ドサ健・AIのユキと瓜二つの相手と哲は
対戦する。勝負の時に「明日は雨かなぁ」みたいな愛言葉の
クセまで同じだ。AIのユキは坊や哲を囲っていたママが
ロボットで再現されてた。闘いで九蓮宝燈を出し雷が落
ちて過去に戻り過去の浅草に戻りオックスでの勝負に向かう
所で映画は終わる。焼野原の浅草がラストだった。
時代設定は2020年の東京オリンピックの直前に戦争が起こり
日本が敗戦している。東京は大きな被害を受けていないみたい
だが詳しい描写は無かった。マージャンに興味が無くても
濃いキャラクターとか「賭けグルイ」や「カイジ」みたいな
アウトローの世界を観たい怖い物見たさ感と麻雀放浪記の
雰囲気は感じる事が出来た。出演俳優の薬物事件が報道され
ないと映画の存在すら知らないので鑑賞する機会が無かった
かもしれない。もうじきオリンピックだが盛り上がるか疑問だ。
娯楽は選択肢が増えた。勝敗を競うゲームはプレヤーとして
参加する事、以外に賭博として賭け事に参加する事が出来る
ようだ。スポーツバーを暴力団が資金源に野球賭博をしている
映画を見たらスポーツイコール健全で爽やかでない裏の部分が
ありそうな感じを受ける。高校野球で賭博を人がいたら不愉快だ。
サッカーもコンビニで券を買ってギャンブルが出来るらしいが
興味が無いので分からない。競馬・競輪・競艇・オートレースと
見ていて勝ち負けを楽しむ気は無いし興味が無ければ物語や人間の
キャラクターを見て楽しめれば楽しいと思う。野球に興味が
無い人に音楽の部活の延長で炎天下で応援の演奏をさせる事
より音楽のコンクールを目指させる方が良いと思う。
スポーツも部活も多様化している。チアガールも国際大会
に出場する時代に甲子園の野球だけテレビ放送で特別扱いが
続くのは不思議だ。詳しくは知らないが野球の本場アメリカでは
スリーストライク法とかで前科が2回以上ある者が3度目の有罪
判決をうけたら終身刑になり刑務所から出られないらしい。
犯罪にる賭博を特区で解禁すると日本も倫理観が変わりそうな
予感がする。マージャンも注意してみると雀荘がパチンコ屋
みたいに派手に目立たないが看板が出ているが興味が無いから
良く分からない。昔は喫茶店のテーブルにコインを入れて勝った
ら対戦相手の少女キャラが服を野球拳で脱がせるゲームがあった。
野球拳は性暴力を助長しそうだと現在はテレビのバラエティーで
放送できないと思う。価値観や倫理観が変わるとタイムスリップ
や西部劇や時代劇で時空を超えた娯楽をテレビや映画で楽しむ
のが無難だと思う。過去の作品もストリーム配信で観られる。
スマホの無料ゲームの方がアーケードゲームより種類も多く
面白い。喫茶店でゲーム機は現在は見かけない。レトロゲームの
ゲームセンターにも無さそうだ。とにかく映画は知らない世界を
かじるには便利だ。そして、どんな印象を受けるかも人によって
違うが共感できる部分もあると思う。ギャンブルに興味が無くても
話のネタは増える。私は、お菓子放浪記の方が面白いと感じるは
好きだ。



2019年08月03日

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』(2019年)山崎貴監督作品を観た。
ドラクエのスーファミ版の天空の花嫁を現在可能になった3DCGを駆使して
バーチャルリアリティーでプレイするとゲームのプログラムにウィルスが
組み込まれている。ラスボスのミルドラースとの闘いでウィルスが発動し
スライムのスラリンがアンチウィルスプログラムでゲームの進行できるが
プレイヤーはゲームに水を差された感じでエンディングを迎える。
ゲームで10年間も奴隷になり8年間も石化させられて子供が勇者になる
という流れをダイジェスト版みたいに組み合わせてビジュアルは楽しま
せてくれた。引きこもっていないで現実にもどり状況判断した方が良い
という受け取り方も出来そうだ。



2019年08月01日

『天気の子』(2019年)新海誠監督作品を観た。離島に住んでいる
高校生が家出して船で東京に向かっている、その少年は都立神津島
高校・1年生の森嶋帆高で主人公だ。その船の甲板に出ていると豪雨に
なり船内に戻るようにアナウンスが流れる。帆高は甲板から船内に
入らず暴風で滑り海に落ちそうになり須賀圭介に助けられる。命を
助けてもらったお礼として帆高は須賀圭介に食堂で食事を奢る。
帆高は水だけで何も注文しんいでテーブルに座っている。須賀圭介は
食後のビールが飲みたいと言い帆高は食券の販売機で値段が高く躊躇
するがご馳走する。東京に着いて日銭を稼ぐ為にアルバイトを探すが
身分証明書もバイクの免許も持っていないのでバイト先が見つからない。
現代の子供らしくYahoo質問箱に投稿するが回答は無いとか無理と書かれる。
雨の日が続いて野宿も出来ずネットカフェに泊まる。ビショビショで店員
に床を拭くのが大変だと言われながらも泊めてもらえる。
持ってきた金もすぐに減りマクドナルドで時間を潰す。そんな事を何回か
繰り返しているとマクドナルドでバイトしている陽菜が心配してハンバーガー
を店に内緒でくれる。ネットカフェ暮らしも数日で残金が尽きてしまい
歌舞伎町の雑居ビルの入り口のジュースのゴミ箱の横で眠っているとビルに
出入りしている男に蹴られて追い払われる。その時にゴミ箱が倒れて空き缶
やペットボトルが散乱する。帆高は散乱したゴミを拾い集めてゴミ箱を元に
戻す。その時に紙袋に包まれた拳銃を拾ってしまう。寝泊りする金が無くなり
フェリーで貰っていた須賀圭介の名刺を頼りに事務所を訪ねる。その事務所は
半地下にあり須賀圭介が居ると思ったら若い女性がソファーで寝ている。
帆高は赤くなってドキマギする。そこに須賀圭介がパチンコから帰ってくる。
2人で零細編集プロダクションをやっていてオカルトや超常現象の記事を書いていて
ムーのTシャツを着ている。圭介は姪の夏美と雑誌『ムー』などで記事を書いている。
帆高は、そこに住み込む・寝泊りが出来て食事付きで働きはじめる。実際にウケそう
なネタを取材してテープ起こしをして原稿にする仕事だ。しっかり足で取材していた。
雑誌『ムー』はフィクションやフェイクだと理解して読むエンタメだと理解して仕事
をしている。昔はオウム真理教のネタを乗せて一部の若者がカルト宗教に嵌り大事件
になったが雑誌は健在だ。帆高が家出した2021年(令和3年)の夏は関東地方で、
梅雨が明けず雨の日が続いていた、そんな時に天候を晴天に出来る「100%の晴れ女」が
いるという都市伝説が流れている。
帆高は、水商売の仕事に引き込まれそうになっている少女を助ける。穂高は拾った拳銃
を発砲して男達が驚いた隙に少女と逃げる。その少女はマクドナルドでハンバーガーを
くれた天野陽菜(あまの ひな)だった。店を解雇され次のバイト先を探していると言う
話だった。穂高は陽菜の部屋を訪ねるとバスで乗り合わせた同級生の女子にモテている
小学生の弟・凪(なぎ)が帰ってきて二人で暮らしている事を知る。
穂高は陽菜が生活費に困っている様子をみて、晴れ女の能力で商売をすることを薦めて、
天気を晴にする依頼を受けるウェブサイトを作る。一回3000円の「晴れ女」は評判に
なり仕事が増えていくが、神宮外苑花火大会を晴れにする仕事をテレビ放映されてしまい、
依頼が急に殺到にし陽菜の元気が無くなっていくので「晴れ女」を休業する。
穂高が良く出かけるので夏美は圭介に月給を幾ら払っているのか聞くと三千円と答え
寝泊りさせて食事も与えているからと話す。何だか外国から来ている技能実習生の
待遇を連想した。穂高と陽菜と凪で晴を祈る儀式に、てるてる坊主の付いた傘を
纏みたいに使ったり、てるてる坊主の着ぐるみを着たりと笑る演出もしていた。
祈ると短時間だけ局地的に晴れ間にする事が出来る力だった。雨乞いの逆の力だ。
昔は、天気の巫女がいて天と繋がる事で願いを叶える巫女がいたが神隠しに合い消えて
しまう人柱だったらしい。
帆高は未成年なので家族から家出少年の捜索願いが出ていて拳銃発砲の現場を監視カメラ
に録画されていて編集プロダクションにも警察が来たので圭介は穂高に数万円を退職金だ
と渡す。しかも穂高が年上だと思っていた陽菜も未成年で母親が亡くなり小学生の凪と
子供2人だけで暮らしている事を知る。いきなり「誰も知らない」みたい状況だとビックリ
する。母親が死んだ時に病院や親戚は何もしんかったのかと驚いた。
子供が2人で暮らしていたのは児童相談所が介入して姉弟が引き離される事を恐れたから
だった。養護施設に入れられた子供は施設症になり易い。穂高と陽菜と凪の三人で警察や
施設から逃げる。泊まれるホテルを探しラブホテルにやっと泊まれる。降り続く雨で都心の
殆どに避難勧告が出て帰宅困難者がいる状態だ。陽菜は穂高に、このまま雨が続くのと
晴れるのとどっちが良いか尋ねる。そして晴を願い体が透明になって消えてしまう。
警察がホテルを見つけて三人を保護しようと追いかけてくるが陽菜が消えたのは
代々木の廃ビルの神社の鳥居を晴を願いくくった時に手に入れた能力だと聞いていたので
穂高は代々木の廃ビルの祠から陽菜の居る世界に行こうと警察から逃げる。
交通機関が止まっているので線路を走っていく。大雨の後の復旧作業が始まりだしている。
途中で夏美のバイクの後ろに乗せてもらえが道路が水没していて途中から又、走る。
ビルに着くと警察に取り囲まれて廃ビルに捨てていた拳銃を使い振りほどいて祠のある
屋上から陽菜の居る雲の上に行き陽菜を見つけて地上に連れ戻す。2人は魚の形をした
雨とかが不思議な光景を見る。2人は代々木は代々木の廃ビルの祠に戻れたが陽菜を天から
連れ戻した為なのか雨が三年間も降り続けて東京の殆どが水没してしまう。
穂高は島に連れ戻されて三年後に卒業して東京の大学に進学の為に上京して須賀圭介の
編集プロダクションに挨拶に行き陽菜と再会する。昔に作った晴女のサイトに一件だけ
依頼のメールが届いていて最初に晴れ女の仕事をした老婆からの依頼で初盆の日に晴れ
にして三年後の命日に晴れにして映画は終わった。
須賀圭介は奥さんを亡くして小さな娘がいる。天野陽菜も母親を亡くしている。弟の凪の
行方は分からなかった。子供の時に親を失った子供は、この世界は安全な場所ではなく
生き残るには多大なエネルギーと努力が必要だという思いを植え付けられる。それをバネ
に過剰補償といえる意思を持ち努力できる人が稀に成功者になるが殆どは心が折れたり
してしまう。母親を亡くしても気丈に振る舞っていた凪の事が気になった。
面接を落ちまくっていた夏美が就職出来たのかも気になった。圭介は娘を引き取れた
みたいで会社も人を雇い事務所が立派になっていた。
アニメは子供も見る為か東京が水没する程の災害被害でけが人や死人が出る描写は無く
水没して形を変えた都市の姿でまとまっていた。
新海誠監督作品は『君の名は』で隕石の落下でこの作品で水害と天災が多い。
山本薩夫監督の『台風騒動記』に天災の後に人災やってくる。という話を思い出したり
宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』の水没した老人ホームにお婆さん達が生きて暮らして
いる不思議な場面を思い出したり大林宣彦監督の尾道三部作は事故で人が死んでしまう
描写がストーリーに組み込まれていたと色々と思い出すことが出来た。
今の時代は、苦労して努力が実りハッピーエンドになる作品は時代と乖離するので
作られていないのか出会う機会が無いのかお目にかかれないがトゥル−エンドでも
生きていただけハッピーだと考えたい。


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