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浅野琢也の雑記帳32 2019年12月18日〜??月??日

あさのたくやのざっきちょう TakuyaAsano Web 令和1年〜


2020年03月31日

『陽はまた昇る』(2002年)佐々部清監督作品を観た。
冷蔵庫・カラーテレビが家庭に普及していく高度経済成長の
日本で家庭用ビデオの開発と普及をする技術者の話だった。
1970年代前半に右肩上がりだった高度経済成長期の日本の
経済が、初めてマイナス成長に陥る。映画は、雨戸を開けると
晴れた空、そして朝食の場面からはじまる。電気釜やトースター
から年代を感じる。瓦屋根で大きな庭のある広い家だ。出社して
一体型ビデオカメラが重くて大きいという話をしていると
日本ビクターの本社、開発部門の加賀谷は、重役たちに呼びだされて
「横浜工場のビデオ事業部を立て直してもらいたい」と言われる。
表向き事業部長という栄転だが、実は左遷だ。さらに大幅な人員整理も
言い渡される。家に帰って草むしりをして翌日から横浜工場に出勤
する部長の加賀谷は、次長の大久保に相談して人員を残す為に、
収益を上げるための方法を必死で模索する。
工場内の空きスペースを使いビデオ開発課とシステム開発課の二つの
チームを作り開発修理と業務用ビデオの営業として全員を解雇せずに、
のりきる。外注部品の精度が悪く返品率が50%だった。
下請けの社長が部品の不具合で外注を止めると、社員食堂で怒鳴りだす。
何んとか説得して怒りを抑える。下請けの工場が火事になり協力を約束
する。加賀谷は、家のテレビに業務用ビデオを接続して実験する。
帰宅すると歌番組を業務用ビデオに録画して家族と近所の人が集まって
歌って楽しんでいる。息子はギターの練習が出来ないと出かける。
そこから家庭でテレビ番組を録画するホームビデオの可能性に気づいて
機械の開発をはじめる。次長の大久保に妻が趣味で作ったネクタイを
プレゼントして3年先まで成長する事業計画書を作ってもらい本社に
提出する。そして人員整理をせずホームビデオの開発をする。機械の名前
はビクターの犬のニッパーにする。
営業チームに移動した若い技術者の江口から、2時間録画して使いたいと
いう希望が多いと知らされる。2時間録画なら家庭でも需要があると報告
を受ける。居酒屋で「桃栗三年柿八年人の夢は十年」と言われる。
そんな時にソニーが30周年の記念式典で、1時間録画のベータマックスを
発表する。ソニーの素早い開発に驚くが、ビクター横浜工場のビデオ事業部
では、業務用ビデオのテープと規格が同じカセットで2時間録画を成功さた。
ソニーに送れる事10カ月で2時間録画を成功させて技術者の江口は松下電器の
LD開発チームに転職してしまう。
開発に成功したが、通産省からビデオの「規格の統一が決まり11月以降は
新規格を出してはいけない」という正式決定が出る。
加賀谷は「ならば10月31日に出してやろうじゃないか」とVHS式の
VTRの発売を間に合わせる。ビクターの社長も承知してくれる。
開発に成功したVHFの技術を同業者に開示してビクター方式を普及する。
同業者は、松下電器が規格をベータにするかVHFにするか様子を見ている。
次長の大久保は、大阪に行き相談役の松下幸之助に直談判しようと言い車を
運転して、大阪に向かい松下幸之助に会う事に成功する。
大阪に向かう道筋で次長が学生の時に山歩きしていて詩集を持っていったと
詩を暗唱する。
「子供のきらきら輝く好奇のまなざしで 世の中のすべてを見るように 
人生をかみしめるように 荒まく海から高原までも 裏町の路地も野生の
王国も 赤く輝く星から一粒の砂までも すべてを飲み込むほど偉大なものも 
信じられないほど小さなものも なにかを持ってそこにあるんだ 
わたしはそのすべてをこの目で見たい」途中、家に連絡していない事を思い
出してドライブインから、自宅に出張の連絡を入れると妻が脳梗塞で倒れたと
言われるが、そのまま大阪に向かう。次長の大久保は、以前に貰ったネクタイを
付けて松下幸之助に機械を見てもらう事に成功する。
そんな時に通産省からビデオの「規格の統一が決まり、11月以降は新規格を
出してはいけない」という正式決定が出る。
加賀谷は「ならば10月31日に出してやろうじゃないか」とVHS式の
VTRの発売を間に合わせる。ビクターの社長も承知してくれる。
松下電器に転職した技術者の江口が休暇を取って手伝いに来てくれる。
最初の時に怒鳴り込んできた下請けの社長も協力してくれる。
ソニーのβシステムの後発だが二時間録画で家庭用ビデオとして規格を
統一して貰う為に開発した技術を他社にも開放して採用してもらおうとする。
松下電器が加賀谷のVHSの規格でビデオデッキを作る決断をする。
そして松下幸之助は、お客さんが規格を決めてくれるという。
結果は互換性のあるVHSが売れて普及する。その後、加賀谷は、妻の圭子や
家族と過ごすために会社を定年する。各社がVHS規格でビデオデッキを作り
VHSが普及する。そして加賀谷一家が横浜工場を尋ねると工場の従業員たちが
人文字でVHSのアルファベットを作り、実績を讃える所で映画は終わる。
同業者にアイデアを開放した話は、蚊取り線香を型抜きで同時に2枚
加工して大量に作る方法の話を思い出した。チコちゃんでヘビのとぐろ
を話を見た時は思い出さなかったが、技術を開放して互換性を考えたのは
良いと思った。当時はカセットテープは互換性があった。CDプレーヤーは
まだ発売されてい無くてステレオでシングルとLPのレコードを聴いていた
時代だ。録音再生ができるMDプレーヤーが発売されてMP3のメモリー
オーディオになってネット配信に変わった。ソニーはウォークマンをヒット
させた。ビデオテープのVHSはベータより少し大きい。映画は最初は、
LDプレイヤーで売っていた。CDがLPの大きさになったみたいな物だった。
現在は、レンタル・ビデオがDVDなりブルレイ・レコーダーへと変わった。
ネット配信になるとレンタルビデオ店も激減した。
銀行は合併されて窓口も減った。変化する社会に対応するのも大変だ。
過去を回想する事で知らない間に変化している事に気づくのも映画の良い
所だと思う。最近のテレビは初期設定でWIFIでファイアースティックTV
で動画配信を見る設定が付いているので録画しないで見逃し配信を見たり
テクノロジーの進化が早くスゴい時代になったと感じる。
日本は、工場モデルの雇用形態を想定した教育が続いていたが自社で
研究開発した商品を作るという自負があった。この部分を海外に移して
良かったのか疑問を感じる。誰もが買えるように価格を抑えるには海外工場
で人件費を抑えるか国内で高い人件費で価格も手の届かない値段にするか
難しい。高くても耐用年数を長くすれば部品供給を長くしてメーカー修理を
可能にしないといけない。テクノロジーの進化は予測が難しくバランスを
取るのは難しい。自国で開発して自国で作れた時代はバランスが取れていて
条件が良かったみたいだ。グローバル化した現在は「被はまた昇る」という
よりは、太陽の沈まない国とか「沈まぬ太陽」みたいに大変な時代になった。
新型コロナを、無事に乗り切ったら新しい世界の姿が見えるかも知れない。
しばらくは、リセッション(景気後退)が続きそうだが、希望は、日が昇ったら
見つけられると思いたい。今日3月31日に佐々部清監督の訃報があった。



2020年03月21日

『時の行路』(2020年)神山征二郎監督作品を観た。旋盤工の非正規労働者
の五味洋介は、2008年のリーマンショックを理由に大規模なリストラに
合い家族の進路や人生が激変してしまう。五味は、親会社の期間工と
派遣会社の派遣の雇用形態で、キャッチボールみたいに入れ替えて継続雇用を
逃れる脱法行為で正社員になれず、雇用の調整弁として何年も不安定な扱いの
まま使われていた。工場の作業が一時的に減少したらリストラで解雇されて、
社員寮からも立ち退かされる事になり路頭に迷う状態になってしまう。
非正規でも地道に働いていた工員が何千人も年末に解雇され、仕事と住居を
同時に失う。大勢で団結し労働組合を作る。
小説を書いている派遣仲間にも組合に入って取材のつもりで。蟻が集ってゾウ
を倒す話を書いてと誘う。中には組合より次の勤め先に移る者もいて簡単で
は、無い。裁判官や裁判所書記官が不公正な進め方をしていると忌避(きひ)
申し立てする場面があった。9年に及ぶ裁判の期間に東日本大震災で、田舎の
青森も、被災で電車が止まってしまう。その後に妻の夏美は、水産物の加工
会社で働いていたが、乳がんで裁判係争の途中で亡くなってしまう。妻、
夏美の実家には、祖父が息子と娘を預けている。裁判所の日に娘が母親が
危篤だと電話するが、その日の裁判が終わってから青森の病院に駆け付けた
ので、死に目に会えず義理の父親と疎遠になってしまう。
息子は、大学の進学を、諦めて漁師になり漁船に乗って働く事になる。
裁判の傍聴に遺影を持って座っている場面は印象的だった。裁判が終わり
妻、夏美の遺影に線香を、あげて墓参りし子供達と亡き妻の仏壇を義理の
父に託して長距離バスで東京に戻るところでエンドロールになり終わった。
義理の父も孫娘が亡くなった娘の面影を重ね、大学進学を断念し漁師になり
逞しくなった孫の成長を感じる。結局、裁判で得られた賠償金は、少ないが
人間を、簡単に使い捨てに派遣切りが、まかり通る状況から未来の子供達が
安定して働ける社会に向かう事を裁判によって、主張することで、社会の
雇用形態に問題提起は出来たという感じで映画は終わった。
映画の話の流れは、テンポが早く引き込まれる感じなのは、『ハチ公物語』
(1987年)の神山征二郎監督作品らしい。平成という時代の変化を回想できる映画だ。
昭和の後半は東北から静岡の工場に父親が単身で出稼ぎに来て給料を、家族に送り、
家族は、農業や漁業といった家業を田舎で守る雇用が続いていたが、日本から
工場を海外に移転させたり、年超し派遣村はニュースになった。年末に炊き出し
を受ける場面は衝撃的だった。技能実習生や奨学金の借金がある若者が、
不安定な雇用にして、ロスジェネ世代や就職氷河期が起こり海外で人件費の
安い国に工場を移転させた。その結果メイド・イン・ジャパンに誇りを持って
いた製造業は、空洞化した。五味洋介がニュースタイルという派遣会社に
次の派遣先の紹介をしてほしいと交渉に行って無視されて、その会社が
入っているビルの前で、腹痛を起こし倒れんで、通りかかった子連れの
女性が肩を貸してくれてベンチで休ませてくれる。その女性がシングルマザー
でキャバクラに住み込みで働いている事を、配送の仕事で偶然に子供が
熱を出して、店の人から母親が同伴で客と出かけていて病院の救急外来に
連れていき再会して境遇を知る。労働組合の労働争議を担当している女性の弁護士が、
その母親に職業訓練を受けて介護の資格を取り生活を立て直しや子供を
保育園に入れる事をアドバイスしてくれる部分は、ケン・ローチ監督の
『私はダニエル・ブレイク』みたいだと感じた。多様な働き方で
正社員は激減し公務員まで官製ワーキング・プアで、所得や雇用を不安定に
する負のスパイラルが続いている。技能実習や特定技能という外国人労働も
増えた。昭和の日本は、自営業とサラリーマンと公務員が殆どで家計の足しに
主婦のパートタイマーや小遣い稼ぎの学生アルバイトしかいなかった。
誰もが少しづつ豊になっていく経済成長と技術革新が将来の希望にもなっていた。
令和になって新型コロナウィルスで世界中が大変な状態だ。この映画は、
単身で田舎に家族を残して不安定な労働を続ける為に都会に向かう所で
終わった。その年が2016年なので、続きが気になる。
五味洋介の腹痛は、どんな持病なのかは気になったままだった。
鑑賞後に、この先の未来を作りハッピーエンドにするのは、我々なの
かも知れないと思わせる終わり方はドレイ工場のラストに近い感じが
した。劇中で「翼をください」という歌を街頭で募金を集める場面で
コーラスで歌っている場面があった。五味洋介の田舎が、青森の八戸で
カモメがクローズアップされていて場面に合わせた演出だった。
派遣切りした側の正社員が後悔して、会社を辞めまでも原告側の証人を
引き受ける。シングルマザーの再会した同級生は、最初は、勝ち組で
エリート意識を感じさせるが仕事で実績や成果を残せず会社の立場が弱く
なり考えが変わる。人間の気持ちは、立場や状況で変わると感じた。
労働裁判で実態を明らかにして実情や事実を報道され社会問題が周知される
事で社会が改善や改革される契機になるかも知れない。
産業構造や雇用形態の変化が大きすぎて日本国内だけでは、どうにも出来ない
のがグローバル化なのかも知れない。勤勉に地道にコッコッと生産ラインで作業
する仕事は、ロボットで自動化されて熟練工のスキルもAIに置き換えられる
のかも知れない。そんな時代の変化の流れで工場が海外に移転させられて生産
拠点が変わる時期に起こったエピソードとして鑑賞すべき作品だと思った。
寅さんみたいに戻る実家があり支えてくれる家族や友人・知人や仲間は大切だ。
「友ある者は、敗残者ではない」素晴らしき哉、人生!に出てきたセリフだ。
これからは、生産性重視から感情労働の保育やケアが大切になるのかも知れない。
人間は、感情の動物だ。共感と承認欲求は、誰にでもある。持続性のある産業構造が
明確なら将来設計も容易だ。この先の未来を見届けたいと感じる映画だった。
原作の小説を読んでから何年も経ったので殆ど覚えていないので映画と原作の
小説の違いは比較出来ないが原作は田島一の「時の行路」で続編とかもあるので
映画を見てから読むと深く理解出来ると思う。公開期間が短く上映館も少ないので
鑑賞してから読むのが良さそうだった。他人の気持ちに寄り添える生き方
は、時代や社会が変わっても大切だと思う。



2020年03月11日
映画など娯楽を楽しむには、平穏無事で無病息災な
環境が整っていないと考え過ぎてしまいそうです。
しばらく社会情勢が安定するまで更新のペースが
遅くなるかも知れません。

2020年02月10日

『男と女 人生最良の日々』(2019年)クロード・ルルーシュ監督作品を観た。
1966年の『男と女』から53年後の2人の人生が見られる映画だった。
子供を寄宿学校に入れている2人が学校に子供の面会に行って最終電車に
乗り遅れた母親を、車で来ていた男に送ってほしいと校長に頼まれて知り合う。
そして2人の物語が始まって思い出になっていた。そして53年が経過して寄宿
学校に面会に来てもらっていた息子が父親の元に通うようになっていた。父の
ジャン・ルイの記憶が失われていく状態を老人ホームの面会で知り心配する。
施設の職員から昔の恋人の記憶でアンヌという女性の思い出は、良く話すので
実際にアンヌと再会させると回復するかも取れないと言われる。そしてアンヌの
店を探して訪ねて、お見舞いを頼む。アンヌの娘とも寄宿学校の時代から面識
もあって頼める条件が揃っていた。父ジャン・ルイは、アンヌは、思い出せるが、
少し前の事を思い出せない程の認知症だが、昔を思い出す機会があれば
回復するかも知れなかったが、アンヌとの再開によって止まっていた時間が動き
出す。そして過去の回想が楽しめる映画だった。この間に『男と女II』という20年後の
物語もあったが、この部分はアートフィルムを撮っていて首が回らなくなった。という
一言で省略されていた。スクリプター(記録係)でスタントマンと結婚して
未亡人になって、ジャンと恋をして、その後はプロデューサーと再婚して
死別して現在は、女のやもめ暮らしだ。寄宿学校に入れていた娘は、獣医に
なっていた。犬が急病だと呼ばれて往診に行ったら飼い主に抱き着かれて、
犬は元気だったと母親に話していた。専門は馬で乗馬やポロの競技用の馬や
競馬場の馬の治療が仕事だった。男と女でフォードのムスタングでモンテカルロ
・ラリーに出ていたから馬なのかと思った。認知症になっても難しく長い詩を
暗記して会話の中に入れて教養を感じさせる会話が出来る。「千人の女性を
口どくより1人の女性を千回口どく方が難しい。」というセリフは、共感できる。
同じ人の場合は毎回違う話題やサプライズが必要でバリエーションが必要だが
別の人だと話題やサプライズのアイデアや話のネタを使いまわしても初めて
聞くから新鮮味を感じてくれる。人間は、古い思い出を、都合の良いように
美化する。悪い思い出は、忘れられるから人生を生きていける。砂漠で無理
心中しかけタイヤを燃やした煙で救助された『男と女II』に関してはお互い思い
出さない方が良かったのかも知れないし、この映画では話題に出てこない。
パリの早朝を時速200Kmで走った思い出の回想シーンで見たが撮影した道を早送り
するとスピード感が出る。施設での生活は?と聞かれて、生活とは呼べない死を
待っているだけたが「最悪の中のベストだ」とウイットある答えを言う。
53年前のバリの街を現在に観ると懐かしいと思える。過去と現在にジャン・ルイ
の夢の場面が交差してシトローエンでドライブすると自分の白い184のゼッケンを
付けたムスタングが見えたり夢の中で警官をアンヌが撃ち殺したり店で認知症で
万引きしたと疑われてジャン・ルイが店の人を撃ち殺したりした。
木の橋は、自動車は通行禁止になっていて50年前にムスタングで暴走したバカが
いたと言われて、それは俺だと言ったり夢落ちだけど面白く出来ていた。
施設の人に夢を見すぎて死んだ人は、いないと言ったり詩を作って聞かせたり
若い頃は、レーサーでラリーを主催する側にまで成功しただけあって教養を
感じさせてくれた。映画を楽しむには教養が必要だ。昔に〇〇を10倍楽しむ方法
という本が流行って野球を10倍楽しむ方法もあったが野球のルールを覚えれば
楽しめるみたい内容だった。最近の若者は、車や野球離れしているが教養は、
身に付けておくと人生は楽しくなる。かつて野球のスター選手だった人が引退して
麻薬で捕まったとニュースで知ると野球のルールに盗塁とか隠し玉というネガティ
ブな言葉やりサインを盗んだとか聞くと若者は魅力を感じなくなるかも知れない。
ボクシングのルールは、最後まで立っている方が勝ちみたい説明の方がスッキリする。
車は、環境問題とネット社会によるライフスタイルの変化も影響していそうだ。
金利の高い奨学金という学生ローンを抱えている事も関係していそうだ。
時代の流れは、それだけ社会を変化させた。それだけ変化があったのに同じ監督が
同じ主演と助演に2人の子役まで集めて作る事が出来た事がスゴい。
『お帰り寅さん』ではCGを合成して成立させていた。
サブタイトルは、ヴィクトル・ユーゴーの「最良の日々はこの先の人生に訪れる」
という言葉の引用だ。恋愛は、お互いを尊重しあえないと美しい思い出は、育めない。
一方的にストーカー化するのは、みっともないし犯罪ですらある。そんな人は、
先の人生は最悪な災いになりそうだ。ジャン・ルイの息子とアンヌの娘が、2人は
兄弟になっていたかも知れないという会話があったが、もしステップ・ファミリー
になっていたらドロドロの家庭になり児童虐待が起こるリスクが高そうだと感じた。
そうしらジャン・ルイの所に息子は、来ないから再会も無さそうた。
ジャン・ルイの所に息子の仕事がクラウドソーシングのバソコンで映画のコラムを
書いていてビットリオ・デシーカの「自転車泥棒」を解説していた。リアリズム・
ヌーベルバーグの最初の作品らしい。映画監督をやっていたアンヌとも話が合う。
(『男と女II』ではモーターボートの設計の仕事だった。)
程よい距離感があったから良い物語になったと思う。ジャン・ルイは、老人ホーム
では、同じ入居者とは、馴染めていなくて周囲に多少、負担をかける存在で、女を
観たら若い時にモテまくったクセで職員まで口どく所がある。
「初めての女性は?」「おれには中古ばかりだ」というすがすがしい答えもカッコいい。
新車みたいな女だと馴らすのが大変だ。ムスタングたったら『じゃじゃ馬ならし』だ。
アンヌと別れてからも雑誌や新聞やテレビで若い女性に囲まれてモテている姿を
貫てたのも、アンヌに、やきもちをやかせたいと内心は、思っていたみたいだ。
別れた事を、後悔させるには努力して活躍して成功を見せつける事だ。
それが出来る人に、最良の日々が訪れる。終わりの方は、レーシングカーに乗せてくれ
と言って車いすをアンヌに押してもらう。早すぎないかとアンヌが聞くと優勝は、
出来ないが丁度いいという。ジャン・ルイが言うからセリフが生きる。
フラシンス・レイの音楽と、パリの市街と海辺が美しくラストには、『緑の光線』を
観られた。マジックアワーより珍しい太陽が沈む瞬間、緑の光線が放たれる現象で
『緑の光線』エリック・ロメール監督の1986年の作品でヴェネツィア国際映画祭・
金獅子賞受賞作品に登場した現象だ。エンドロールを最後まで観て解る人へのサプ
ライズだと感じた。私は、人生最良に向かって、良いエンディングを作りたい。
叶わなくても楽しみにしているマンガやアニメや映画を、このように観られる。
ドイツで子供を施設に入れて養育費を払わなかった父親の施設利用料を戸籍から
請求されてドイツの最高裁で施設に入れられた子供は、親の扶養義務を免除される
判決を勝ち取ったとニュースで見た。EU圏の基準になりそうだ。
ジャン・ルイは、父親の義務を果たしていたから息子や娘に思い出の恋人が訪ねて
来て最良の時間を感じる事が出来たとおもった。久しぶりにダバダバダと古い映画
から一気見したいと思った。



2020年02月06日

『教誨師』(2018年)佐向大監督作品を観た。教誨師(きょうかいし)
という仕事は、知られていない仕事だ。チャップリンの『殺人狂時代』
やアラン・ドロンの『暗黒街のふたり』の死刑執行の前に立ち会う神父
さんや牧師さんなのだが、普段から刑務所に行ってボランティアで宗教
教誨をする資格を持っている人で、お坊さんとか受刑者の宗教で異なる
らしい。刑務所に入る人にも宗教を信じているはいる。それぞれの信仰
に合った教誨師に話を聞いてもらう事で心を安らかで刑に服してもらう
事が目的らしい。バイブル・コーラン・タルムードや仏典と多様になり
そうだ。多様化した刑務所の受刑者は豚肉・牛肉を食べない宗教の者が
いて手間がかかる。宗教の戒律や教えより法律を守ってこそ信仰の自由
を認めると犯罪の抑止になりそうな気もするが自ら犯罪を犯しただけに
自己の自我が育たず基準にできる概念や軸がなく、価値観が移ろい、他
の自己弁護になりそうな権威に依存する為に、自ら探してカルト宗教や
陰謀論に傾向して、周囲の人に話す。聞かされる人は、根拠を確認して
ファクトチェックまでして裏が取れなくエビデンスも無い事に気が付き
時間を浪費させられる。そんな、害にしかならない事を妄信する人は、
統合失調症の陰謀脳が多いとネットで確認するとわかる。
相模原の殺人事件と犯人の特徴が近い死刑囚が登場していた。
教誨師は、死刑囚でなくて懲役刑の受刑者の話を聞く為に刑務所に月に
2回程、通う。牧師や神父は、罪人の所に行き病人の所には医者が行く
べきだが、犯罪を犯す人は、ほとんどは、心が病んでいるから厄介だ。
精神鑑定の医師と容疑者のやり取りを映画化したら見てみたいと思った。
責任能力で無罪になるなら法廷物で弁護士や判事のやりとりは、ありふれて
いるが、精神鑑定医と容疑者のやりとりを、映画でも見てみたいと思った。
この映画は大杉漣が最後に主演した映画で、拘置所の死刑囚と対面で
向き合い話を聞く映画なので登場人物は、少なく閉ざされた部屋なので
背景も変わらない。衣装も、あまり変わらない。あまり変わらない中で
小さな変化で死刑が執行されそうだと変化に敏感に気が付いたり会話から
心境の変化を、察したりしながら鑑賞する映画だった。
女性の受刑者は、図々しく牧師と神父の違いの説明を、受けても直さない
で、自分の妄想を話して現実逃避して無理な共感を求めている。
高齢の受刑者は、識字が出来ず本を読めず悩んでいた。暴力団の受刑者は、
別の殺人事件の犯人も自分だと言って、別の事件で裁判を受けると判決が
出るまで死刑執行が行われないと知って執行を伸ばそうとしていた。
死刑囚は、罪状が増えても失う物は命だけだ。
若い男で統合失調症で妄想性障害を持っていて社会を変える為に殺人を
犯した男は、反省や悔い改める気配すら無かった。教誨師に、悔い改める
事より、まず殺した被害者に寄り添って考えてほしいとまっとうな意見を
言っていた。話が伝わらず「あなたを知らないことが恐ろしい」とか
「生きているからこそ生きるんだ」「あいてしまった穴を一緒に見つめる」
といった話しか出来ず時間が過ぎていき徒労だと思える事を続けるのは。
ものすごく大変な忍耐力と持久力が必要だと思った。ウルグアイの大統領
ホセ・ムヒカのドキュメンタリー映画のコピーに「君が何かを買うとき
 お金で買っているのではない、お金を得るために費やした 人生の時間で
買っているんだ」や「時間のムダは命を削る」と言う言葉を思い出した。
人とのコミュニケーションのコツは、相手に合わせて多くの話題を持って
いる事が大切で、幅広い教養を持っている事が必要で好奇心と向上心が
無ければ身につかない。同じ事ばかり繰り返すと教養の無いつまらない
人間からは、得る物が無いので、人は離れていく。ある精神病の人は、
「病気は、治らないが周囲の人が気を遣えば良くはなる」と医者から言わ
れ開き直っていた。人の迷惑を平気でかける事になり、社会に解き放って
他害行為をしても刑法39条減刑されてしまう。刑務所で他の人と違う
黄色い帽子を被っている人は狂暴性があるとか様々な噂がある。
精神病院には、誇大妄想みたいに、ほかの患者を支配する『操作性』を
持った有害な者がまじると軽い知的障害で、あまり減刑されず実刑を受けて
いる者の更生を妨げる可能性がありそうなので堀の中の更に檻に入れる
しか無くなり、話し相手がいないので教誨師か精神科医が仕事で聞くか
取り調べの尋問以外の雑談が出来ないとも予想ができそうだ。
大きな事件なら記者が取材に来て話す事もあるだろうが関わる事自体が
大変だと感じる。自分が悪い事をしても気が付かず。失敗した事も周囲の
せいにして、物品や人間関係を破壊して損害を与え、被害や損害を回復
させる時間と手間をかけさせて迷惑がられて肉親からも疎遠にされる。
最近では、精神異常の原因として、マルトリートメント(不適切な養育)
で、子ども時に脳が物理的に変形すると解ってきたらしい。
脳に異常がある場合は、正常な大きさでない、とか神経伝達の異常など
解明されてきている。脳や精神に異常があるから犯罪者になる訳では無く
大人しい人が多いと言われているが、中には行動や挙動から粗暴な人が
いて予兆を、見抜いて関わらない方が無難だ。
あおり運転を繰り返す程の、精神異常でも免許の返納を促されないで
高齢者に運転免許の返納を促すのは、片手落ちのような気がする。
行動や挙動が変わっていると感じる人と稀に電車で遭遇する事がある。
殺人犯は、被害者の時間を奪うと同時に周囲の人の時間を奪って死刑が
執行されても自分の罪に気づかず死んでいく者と、罪に向き合い悩む者の
違いを感じた。この男の死刑が執行されて教誨師は、刑務所から出て車
で帰路に付くと外の景色になり映画が終わる。映画を見ていると実際に
起こった事件の殺人犯ってこんな感じなのかも知れないと感じる。
刑務所で老人の受刑者から受け取ったグラビアに「あなたがたのうち、
だれがわたしに罪があると責めうるのか」と書かれていた。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」
とイエスが言ったら誰も石を投げつける者はいなかった場面の話だけど
失敗してとしても挽回し、迷惑をかけたら謝罪や賠償をし、お世話になっ
た人にお礼をする。相手に敬意を払う生き方を選ぶ方が、より良い人生
になると思う。出来ないから死刑になる程の犯罪で死刑囚になった訳だ。
この映画ま死刑囚は、とんな事情で殺人を犯したのかは、曖昧にして鑑賞
する人がそれぞれに想像するような作りになっていた。
教誨師の佐伯保は、少年期に兄弟が死んでいる。母親が別の男の所に行き
偶然に釣りの帰りに人気のない場所で、男に声をかけられて事件になり
自分は、助かったが詳細は、曖昧だけど自分が死んでいたかも知れない
状況らしく兄弟を回想したり幻想が現れる場面があった。
自分で善悪の判断が出来る程の、普遍的な信念を持っていない人には
宗教の基準を持たせて社会性を持たせて自分で、応用して判断する基準
に出来れば良いとも思うが、稀に考える事が出来ない人がいる。
そんな人でも、話相手がほしいとか、かまってほしいが為に宗教教誨を
受けているとも感じた。昔はスマイル0円と貼っている店もあったが、
感情労働の対価は、銀座のクラブみたいに高い料金を払って受けるとか
宗教だと献金や喜捨をする人がいるから成り立っているとイメージする
事が出来る人は、刑務所に入る事は、初めからしないと思った。
40年ぐらい前の犯罪は動機が、「遊ぶ金ほしさ」で、金があれば、相手に
されて金が無ければ相手にされないと、犯罪者も認識していたのかも知れない
が、金をかけないで、かまってくれる人にまとわりつく依存症からストーカー
殺人を犯したりする時代になった。最近、「生きづらさ」を感じると表現する
人が増えている。しかし何でも容認するのがいい世の中でもない。
インターネットの普及で、埋もれていた声が届くのか増加した事で気が付く
のか解らないが、悪い方向に変化しているみたいだ。
この映画で、クリスマスに死刑を、執行されたのは、若い統合失調症と言って
いる男だった。2016年の相模原の事件の犯人を連想かる人が多そうだ。
映画で、人が死ぬ場面は、見ている人が望み共感するように作られる。
子供・犬・猫を死なせると観客が見たがらない。マイノリティーとして埋もれ
ていた事も、実際にはサイレント・マジョレティーだと社会が気が付く事もある。
万人にとって、より良い人生は、まず自分の健康管理をして、より快適に過ごせ
るように、環境と人間関係を良い状態に絶えず保ようにすると維持できると思う。
教誨師という様々な聖職者の人から知られず、注目されない。一生知らず、
関わる事のない仕事の一面に注目した、地味で難しく、面白いと言えないが
見識が増える映画だと感じた。フィクション映画たが現実の事件や犯人を
連想してしまえるのは、ジョージ・ゴードン・バイロンという英国の詩人の
ドン・ジュアンに「事実は小説よりも奇なり」と書かれて的を得ているのかも
知れない。死刑囚は、苦役どころか刑務作業も免除されて執行を待っている。
被害者への損害賠償も出来ない。安らかな死を受け入れさせる教誨師は、葛藤
を感じないかと思う。保護司なら更生させる達成感を得られそうたが死刑囚は
更生する必要すらないから、反省させ行った犯罪行為を後悔させるだけだ。
そんな死刑囚の相手をする教誨師は大変だと感じる。出所出来る受刑者なら
改心させて信者として囲い込めるかも知れないが、犯罪者は救いを求めるより
被害者への償いと賠償を優先させる行動で示すべきだ。
死刑囚になった現状は、過去に行った犯罪の結果で、執行までの時間に反省と
自戒をして、しっかりと制裁を受け入れてほしいと思う。
昔と異なり、監視カメラや科学捜査が進歩しているから冤罪は減っている。
過去には、認知バイアスで無理に自供させ冤罪で死刑になった人もいそうだ。
現在は、普通に生活している人ですら生きづらさを感じている社会なので、
特に犯罪者に対しては、懲罰欲求が高くなり精神疾患を免罪符に殺人を犯した
受刑者の執行場面は、身勝手な死刑囚と教誨師の話を映画で見ている観客を
満足させる演出だと感じた。社会の欲求で、法解釈や改正される予兆なのかも
知れないと勘ぐってしまいながら観た。執行場面をグリーン・マイルの電気イス
みたいに苦痛を与えるように演出したら違った感想を持てそうだと思った。



2020年01月26日

『CATS』(2019年)トム・フーパー監督作品を観た。
場所は、ロンドンのゴミ捨て場に、袋に入れられた猫が
捨てられる。満月の夜で、猫達は、ゴミ捨て場に集まって
いる。その仲間に入る為に名前を答えろと言われる。
猫は、名前を三つ持っているらしい。家族から呼ばれる
名前や仲間から呼ばれる名前などみたいだ。捨てられた
白猫は、ヴィクトリアと答えた。満月の夜で、その日は
1年に一度の「ジェリクル舞踏会」の開催日で、「ジェリクルの
選択」によって一匹だけが天上に行って、生まれ変われる。
選ばれる為に、自分の人生を歌にして語る必要がある。
ラム・タム・タガーは、ヴィクトリアを色々な猫に会わせる
案内役をしていた。
太った叔母さん猫のジェニエニドッツは、ねずみやゴキブリ
に踊りや行進を仕込んでいた。
劇場猫のガスは、正確には、アスパラガスで魔王ファイヤー
フローフィードルを演じた名優だが年老いて、落ちぶれている。
ミストフェリーズという若い黒猫の手品や魔術の猫に慕われて
いる。
マンゴジェリーとランペルティーザの泥棒猫コンビは、ビクトリア
を連れて留守宅に忍び込み部屋を荒らす悪戯猫だった。
鉄道猫のスキンブルシャンクスは、タップダンスでレールを行進
してカッコ良かった。
艀猫のグロールタイガーは、マキャヴィティの協力者でジェリクル
を選択を、希望している猫を艀のマストに鎖で縛りつけてマキャヴィティー
に決めるようにオールド・デュトロノミーを、脅したがテームズ川に
落とされてしまう。
奇術猫のミストフェリーズは、手品でオールド・デュトロノミーを
助けてトランプになって姿を消すイリュージョンを見せてくれた。
進出奇抜なマキャヴィティは、卑怯な方法で自分がジェリクル・
キャットになって天上に行こうとするが失敗する。最後は、グリザベラ
の気球のロープに、しがみついて天上に行こうとするが落ちてしまう。
地面に叩きつけられず、大きな像の頭に落ちて助かる。
奇術猫のミストフェリーズは、手品でオールド・デュトロノミーを
助けてトランプになって姿を消すイリュージョンを見せてくれた。
長老猫のオールド・デュトロノミーは、99回生まれ変わったお婆さん猫で
ジェリクル・キャットを選ぶ審査員だった。
元娼婦で年老いたグリザベラは、メモリーを歌う。その人生を聞いて、
全員が感動してジェリクルに選択されてシャンデリアの気球で天上に向かう。
ラストで猫達がトラファルガー広場のライオン像に集まりオールド・デュト
ロノミーは。ヴィクトリアに真のジェリクル・キャット(愛おしい猫)だと言う。
犬と猫は違う・必要とされる存在に深い意味がありそうだ。夜が明けて
猫達は、それぞれの場所に帰っていく。という流れだった。他にも個性的な
猫が色々と登場していた。ライオン像に猫が集まっているラストは猫の事務所
で地理と歴史を記録する事を廃止にした獅子を思い出した。記録と記憶は、
近い発想みたいだ。猫の事務所の猫も、かま猫という居場所が名前になっている
猫が主人公で、長老猫とか鉄道猫に舞台猫が出てくるキャッツに近い感性を感じる。
美術館や、お寺に猫は、良く馴染む。
猫というモチーフは、多様性を求める社会の構造に合っている。犬だと牧羊犬・
猟犬・番犬など人間が、しつけや訓練して役ださせるため名犬ラッシーや忠犬
ハチ公みたいに画一的になりそうだ。
百一匹わんちゃん・子犬物語は、独自の視点で作られていて猫をモチーフに
する物語に近いから以外性があり良く出来たアニメ映画だ。
娼婦猫(グリザベラ)は、死んで天上に行き神様の元に召されると言う意味が
あって死が喜びという極楽を求める感覚もあるらしい。その為には、自分が生前
に犯した罪を最後に懺悔して神様の元に行く流れらしい。キリスト教の聖書には、
娼婦が登場するが、継母が家庭に入り込んで、子供を虐待して内部から家庭や国を
破壊する悪い魔女と比較すると娼婦の関わりは、その時限りの金だけの割り切った
関係で深入りしないだけでマシという事かも知れない。
人類最古の職業と言われるが性病の薬である抗生物質が無い時代には、危険
な仕事だったと思う。実際の猫は、発情期があるので人間とは、異なると思う。
人によって感じ方は、異なると思う。ロープから落ちた
マキャヴィティが蜘蛛の糸のカンダタみたいに見えれば仏教的かも知れない
し色々な見方や感じ方が出来る。猫は、お寺に居るのがマッチする。
イスラーム教徒にとって、豚と並んで犬は不浄なもので預言者ムハンマドは
猫好きだと伝承されている。犬はが狂犬病になるとワクチンの無い時代には
大変だったと想像出来る。猫はネズミを捕食して黒死病と呼ばれていたペスト
という伝染病を防いでいた。日本だと風が吹けば桶屋が儲かるという話に、
風で目に埃が入り視力を失う人が増えて瞽女(ごぜ)になり猫の皮を使う
三味線の需要が増えて猫が減ってネズミが増えて桶をかじるので桶が売れる
という話がある。エビデンスとしは、弱いが昔は、確認出来ない事が多く
こじつけで物事を決めるしか無かったので環境の病気と伝染病の判断が出来ず
魔女や日本では、架空の虫を原因にした時代もある。
キリスト教では、猫は、魔女の使いというイメージを持っているらしい。
場所や宗教や文化によって、猫は、様々な観かたと解釈が出来るので
キャッツは、ロングランの人気ミュージカルとして続いているみたいだ。
歌と踊りの割合が、かなり多いミュージカルなので歌詞を理解する為にDVD化され
たら、もう一度じっくり観たいと思える作品だった。
T.S.エリオットの詩集『キャッツ−ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』
がヘースになっていて曲はアンドリュー・ロイド=ウェバーだと知った。
何回も見ないと名曲『メモリー』だけが印象に残って物語が記憶に残らないと
いう不思議な感覚の作品だった。
猫の名前が三つあるキヤッツと名前はまだ無いという夏目漱石の出だしと
ティファニーで朝食をの名前の無い猫を雨の中で探すラストシーンなど様々
な作品がある。『ルドルフといっぱいあってな』は、名前が、いっぱいある
猫の話だった。百万回生きた猫という話もあった。
『CATS』の中で、重要な「ジェリクルの選択」は、猫の名前と人生の功績を、
それぞれが歌と踊りで表現するが、語るべき物語が必要で、コーラス・ライン
のオーディションに近い構成でもある。犬も猫も人間も誰かに必要とされて
記憶に残る存在なる事が大切だと思わせてくれた。
原案になったT・S・エリオットは、1948年度のノーベル文学賞を受賞して
いる。T・S・エリオットの「荒地」には、「四月は残酷な月」という一節が
ある。日本では、決算期で進学・就職・引っ越しの多い節目の季節だ。
CGの奇術が上がり実写で映画化した作品だが人間に近い猫がキューティー・
ハニーのパンサー・クローの怪人を思い出す人もいると思う。
猫が多くてカオスな世界なのでアニメーション化してミュージカル映画に
するとSINGみたいに、それぞれの猫の個性を強調できて分かりやすい作品が
作れそうだと思った。映画はロンドンだったがミュージカルは、上演される
都市に合わせた演出の工夫がされているらしい。「オペラ座の怪人」や
「レ・ミゼラブル」みたいに更に完成度の高い作品を作れそうだと感じた。
この映画で、良くを言えば猫のモフモフ感や丸みが物足りない気がした。
物語で重要な役割の長老猫のオールド・デュトロノミーとマキャヴィティと
グリザベラは、毛皮のコートを着てモフモフ感とシルエットで見ている人が
違いを分かりやすくする工夫をしていた。猫は毛並みに加えて毛の長さも
色や模様と同じく見分けるのに大切だと感じた。アニメだと絵でデフォルメ
して違いを表現しやすい。ストーリーの流れは決まっている作品は、表現
方法を、変えて何回もリメイクされて完成度が高くなると思う。
今回は、舞台から初めて映画化されたので鑑賞して良かったと思う。



2020年01月17日

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)クエンティン・
タランティーノが監督作品を観た。モデルの役者は、バート・レイノルズらしい。
ベトナム戦争と公民権運動で白人の主人公がインディアンを殺す西部劇をアメリカ
社会が歓迎しなくなった時代背景を知って1969年8月9日のシャロン・ティト事件を意識
して観ると解りやすい。『ローズマリーの赤ちゃん』が公開された翌年だ。
テレビドラマの西部劇『賞金稼ぎの掟』で主役だった俳優のリック・ダルトンと専属
スタントマンのクリフ・ブースは、時代の変化に悩んでいた。
『大脱走』の主役の候補になってリックを大脱走の名場面にCGで合成してデカプリオ
が演じている空想の場面は、面白かった。
リックがテレビ西部劇『対決ランサー牧場』の悪役で子役の少女に慰められてから
撮影している場面も良かった。クリフはリックが撮影していてもスタントの仕事が無く
アンテナを修理してからヒッチ・ハイクをしているプッシー・キャットを乗せる。
行先は、かつて『賞金稼ぎの掟』のロケに通っていた「スパーン映画牧場」だった。
クリフは、牧場主のジョージ・スパーの様子を見に行く。
牧場にヒッピーの集団が住み着いていてジョージ・スパーは失明してヒッピー達に
住み着かれていた。ヒッピーのコミュニティーに見えるが家出した少女達を住ませて
牧場は「チャーリー」という男が支配かるカルト集団のアジトになっていた。
クリスは、そこで車をパンクさせらた。
その頃に、隣の住人のシャロンは、買い物の帰りに、自身が出演した映画『サイレンサー
/破壊部隊』が上映されている映画館で、「この映画の出演者なの」と声をかけて
自分の演技を観た客のリアクションを見て喜んでいた。
それからリックとクリフは、ローマでマカロニウェスタンやイタリア映画に、4作品
出演してイタリアでヒットさせる。イタリアで成功したが半年後にロサンゼルスに
帰ってからもリックとクリフは、俳優とスタントマンを続けられるか不安だった。
そしてロサンゼルスに帰ってから二人は思いっきり飲んだ。
リックとクリフは、帰宅してリックが世話をしている犬のブランディを夜中に散歩に
連れて出かける。屋敷に残っていたリックがキッチンでマルガリータを作ろうとして
いると、4人の男女を乗せた車がシエロ・ドライブに現れてリックの家の前に停車した。
深夜に自分の私有地に入って来た車に、固定資産税を払っているのにと呟き苛立って
車に乗っている4人に出ていくように言った。
リックに追い払われた4人は、一時はその場を離れた。この4人は、カルト集団のチャールズ・
マンソンに命令されて以前に隣に住んでいた音楽プロデューサーのテリーが、チャールズ・
マンソンのメジャーデビューを断った事を恨んで報復に殺害する目的だった。その家が
ポランスキー監督の家に変わっている事を知らないで、シャロン達が殺害されるたのが
史実だが、4人は自分たちを、追い払った男がリック・ダルトンだと気づき「リック・
ダルトンのような殺人を演じていた西部劇スターが自分たちに殺人を教え込んだ張本人だ」
とか「殺しを教えた奴らを殺そう」と急にリックを標的にして、マンソンの一味が戻って
来てリックの家に押し入ると、散歩から帰ったクリフとブランディが4人と鉢合わせる。
リーダーの男、テックスはクリフに銃を向け、奥の部屋で寝ていたフランチェスカにも
ナイフを突きつける。クリフが歯を鳴らして犬のブランディに攻撃の合図を出し、
ブランディは、テックスに噛みつく。クリフは怯んだ相手に中身の入った犬の缶詰を
投げつけて顔面に命中させてから容赦なく頭を電話機やテーブルに叩きつけたりして
ボコボコにする。リックは、1人でプールでマルガリータを飲みながら音楽を聞いていた。
そこに、クリフと犬のブランディから反撃されて血だらけの銃を乱射しながら女がプールに
飛び込んでくる。銃を乱射する女に、驚きリックは小屋から昔にナチスを焼き殺した戦争映画
『マクラスキー 14の拳』で使用した火炎放射器を持って来た。そして女に向けて火を浴びせた。
過剰防衛になりそうな気もするが複数で銃まで持って押し入ったので正当防衛みたいだった。
警察と救急隊が駆けつけて、押し込んだ4人の遺体の確認と怪我をしたクリフの救急搬送をする。
クリフは、自分は大丈夫だ。犬のプロンディーが事件でショックを受けているから今は、
一緒に過ごしてほしいとリックに言う。フランチェスカは事情聴取を受けている。
クリフの救急車を見送って家の前にいると、騒ぎに気づいた隣に住んでいるジェイがリックに
声をかける。シャロンもリックの身を案じて、一緒に酒を飲んで気を落ち着けてと自宅へ招待する。
リックは、チランチェスカと犬のブロンディーが寝たのでポランスキー邸に入っていく。
シャロンは、歴史どおり殺されず生きていて友人たちも日常を奪われていなかった。
ハリウッドに住んでいて近所付き合いが出来るようになってエンドロールになって
エンドロールの横にリックが架空のタバコのレッドアップルのCMを撮影している場面が出
る。昔のタバコは細かく刻んだ葉を紙で巻いて吸うが、紙巻タバコになっているので巻く
手間がかからないと言っていた。CMの撮影が終わるとマズいとか看板が二重顎に写って
いると言ってCMの撮影が終わるエンドロールのBGMがバットマンに変わって終わった。
初めは戦争映画でドイツ軍を火炎放射器で起き殺しラストはカルト集団の女をプール
で焼き殺すシーンは、タランティーノらしいと思った。
残酷なシーンを映画に加えるには、残酷に殺されて観客が共感する程の悪を加えない
といけない。イングロリアル・バスターズみたいノリだった。
過剰防衛にならずに隣人のロマン・ポランスキー監督の家に招待される場面は、史実
ではない。カルト集団がリック邸を襲いクリフが強盗を倒してリックが火炎放射器で
正当防衛しないとカルト集団は、ロマン・ポランスキー邸で女優シャロン・テートを
史実どおり殺害していたがパラレルワールドを作れるのも映画の魔法だと思う。
良いヒッピーは、ラプ&ピースでミュージカルの『ヘアー』で見た。悪いヒッピーは
LSDをやって人殺しまでするカルト集団まで実在していた事も知り視野が広がって良か
った。クリフが愛犬のブランディを使ってカルト集団を攻撃して缶詰で顔面を破壊した
り暴力はスゴいがクリフにLSDを売ったのもカルト集団だし殺されて自業自得だと感じ
させるキャラを巧く作ったと感じた。映画の中でナチスを殺す場面をバレスチナ人が
複雑な感情を持ちそうな気がする。悪いヤクザやインディアンも難しい。タランティーノ
監督のイングロリアル・バスターズで頭にハーケナクロイツを書く場面を見て、フィク
ションだと思って見たが、NHKの映像の世紀で記録映像で実際にあったと知った。
死んだインディアンは、いいインディアンだとか言う時代でもない。ゾンビや宇宙人や
お化けに妖怪やロボットを倒す方が無難みたいだ。右翼にしろ左翼にしろ宗教にしろ
極端な方向に向かうと迷惑な他害行為を行うみたいだ。カルトの4人は、昼間のサイケな
ヒッピースタイルでなく全員が黒い服を着ていた。会話でヒッチハイクして帰るなんて
発想が当時は意外に在った。時代によって情勢が変わり価値観やモラルも変化する。
目的や希望を叶える時に『意志の力で成功しない時には好機の到来を待つほかない』
とゲーテが言っていたらしい。必要とされるのがマカロニウェスタンでも必要とされ
ているなら受けて成功してステップにしても良かったと思う。
『アーティスト』(2011年)は、1927年〜1932年頃のハリウッドが舞台で、トーキーの
登場でサイレント映画の時代が終わり時代に置いて行かれた男優と活躍出来るチャンス
を得た女優の友情の物語とハリウッドの変化をテーマにしている部分や犬がする部分は、
表現や時代は異なるが共通すると感じた。悪い魔女を火あぶりにしてハッピーエンドの
友情話だった。昨年の日本では、年明けに手作りの火炎放射器を積んだ軽自動車が原宿を
暴走する事件があった。京都は、大きな放火殺人事件があった。その為に火炎放射器は
インパクトが強かった。中身の入ったドックフードの缶詰を武器に使うのは面白かった。
ドックフードの缶詰のラベルが大きく黒い犬だったりヒットラーが飼っていた犬の名前
がプロンディーと似た名前だったり色々な仕掛けがありそうだった。



2020年01月13日

『パラサイト 半地下の家族』(2019年)ポン・ジュノ監督作品を観た。
家族全員が失業と浪人状態のキム一家は半地下の住宅に住んでいた。
長男のギウの徴兵時代の友人ミニョクが、留学に行く事になり友人が
アルバイトしていた家庭教師の仕事を紹介される。大学を四年浪人して
いるが書類を偽造して、有名な建築家の建てた豪邸に暮らしているIT企業
の社長パク・ドンイク一家のパク・ダヘの家庭教師のアルバイトなる。
長女パク・ダヘは高校生だ。「心臓は嘘をつかない」苦手な24番の問題が
最初に来ても冷静になり解る問題の答えから解いていく受験テクニックが
大切だと教える。インディアンに興味を持っている末っ子パク・ダソンは
絵を描き母親は、期待している。
ギウは美大学志望の長女のギジョンをアメリカに留学していた知人という
触れ込みで美術教師に紹介する。ギジョンは、美術心理学で絵の黒い部分
が過去のトラウマでないかと占い師が良く使う話術で不安にさせてから
信頼させる。過去のトラウマは、後半で地下に隠れ住んでいた家政婦の夫を
夜中に1人でケーキを食べている時に目撃して、幽霊だと思い失神して
しまった事だとわかる。ギジョンは運転手に駅まで送ってもらい降りる
時に、ベンツに自分のパンティーを脱いで車内の椅子の下に残して降りる。
そのパンティーは、後部座席に乗る社長に気付かせて運転手が自分の車を
勝手に淫らな事に使ったと思い込ませて解雇させる原因にする。
イヤリングやピアスなら落としていくのならありえるが、パンティーを
忘れていくのは、麻薬でもやっているのでは無いかと大げさに考えての事だ。
そしてキム家の父親キム・ギテクが運転手として勤める事が出来る。前から
務めている家政婦ムングァンも桃アレルギーだと知って、桃でアレルギー反応を、
起こさせて結核かも知れないとピザのタバスコを血を吐いたと思い込ませて
解雇させる。屋敷の奥様のパク・ヨンギョは掃除も料理も苦手で家政婦が
いないと暮らせない。妻は出来るが主婦は出来ないセレブ妻だ。
母親キム・チョンソクが家政婦の後釜に入る。
お金持ちを悪人とは考えていない。成功には、努力・実力・運が必要だが多少
の不正もしていると考えるが、この映画のパク・ドンイク一家は、何故か、
お人好しだ。パラサイトしている家政婦の家族が、金持ちの一家に敬意を持って
リスペクトしている。パラサイトして家庭に入り込んでも冷蔵庫の食べ物を
勝手に食べるまでだ。家から金品を盗んだりしない。半地下のキム一家も地下
に隠れ住んでいた家政婦ムングァンも同様だ。パラサイトしても共生して恩を
感じて真剣に働いている。印象的な母親キム・チョンソクのセリフがいい。
「私だって、大金持ちだったら優しくなれる。お金は心のシワを伸ばすアイロン
なのよ。」という元メダリストだから世界の舞台に立った金だけでは手に出来ない
栄光を経験している事を知っている家族には、説得力がある。自分の家族だけに
話しているが観客の心に残る。暫くした雨の日に以前に勤めていた家政婦ムング
ァンが地下室に忘れ物をしたと尋ねて来る。忘れ物ヤミ金から借金して隠れて
いる夫が閉じ込められて自分で外に出られない状態になり餓死寸前だった。
ドアに金属の食器が挟まって開閉できない状態だった。
この事を聞いていたキム一家は、階段から足を滑らせて足を痛めたりして全員が
互いの事を、お兄さん・お父さん・お母さんと呼んでしまい他人のフリをして
いたが、全員が家族だという証拠を元家政婦のムングァンにスマートホンで動画を
撮影されてしまう。そして脅されるが家族全員で地下室に元家政婦と夫を、縛って
閉じ込めてしまう。ドンイク一家は、息子の誕生日にキャンプに家族全員で出かける。
キム一家は、留守になったドンイク一家に全員で集まり、豪邸で豪華な生活を
楽しんで飲み食いしていたらキャンプが悪天候で中止になったので8分後に帰宅する
からジャージャー麺を作っておくように電話が入る。キム一家は、テーブルを片付向け
て家具の下に隠れる。
そして、豪邸の主人と夫人が息子が庭のインディアン・テントでキャンプの
続きに付き合っている時に、隙を見て半地下の家に戻るが洪水で家が水没して
避難所に居るとドンイク一家の息子パク・ダソンの誕生パーティーなので休日出勤して
ほしいと電話がある。家族でパーティーの手伝いに行く。地下室に閉じ込めた
元家政婦と夫が地下室から脱出して庭でケーキを運んでいたギジョンを刺し
殺してしまう。ギウは、地下室で頭を水石で殴られて入院してしまう。
父親は、事件の直後に蒸発してしまうが地下室に隠れ住んでいた。連絡方法は
ライトを点滅させてモールス信号で無事を知らせていた。そしてギウは、父親
を救い出すには、金を稼いで家を買って自分の物にする事だと言う部分で
妄想なのか?現実なのか?判断できないままエンドロールになって終わった。
坂の上の富裕層と坂の下の貧困層が水害という自然災害にあい避難所に押し込
まれている時にドンイク一家の息子の誕生パーティーが開かれて何事も無かった
みたいに手伝うキム一家の対比は、『天国と地獄』豪邸と『天気の子』の半地下
の出版社を連想させられた。ドンイク一家の息子パク・ダソンが、皆が同じ匂いが
するという部分で柔軟剤を変えて洗濯を別々にしてバレないようにするという家族の
会話や礼儀だたしいキムの父が匂うという部分は、住んでいるのが半地下でどうにも
出来ない匂いもあるという理不尽な部分を格差で表していた。PM2.5で換気が出ない
時もあるみたいだ。
貧富の差を描いた映画で「上級国民」への描写が辛辣になりがちだが、キム一家の人
たちが、自分達の不運や貧困を、不幸とか富裕層を僻んでいない所が意外と割り切って
明るい雰囲気で生きている所がスゴい。卑屈にならず開き直って逞しく生きているのは
戦後の日本人みいな感じを思い出させる。北朝鮮のミサイルの発射ボタンの真似を
スマホの動画送信ボタンでやってみせる演出は、韓国に人には、かなりブラック
ユーモアだと思う。
キム一家の父親の「無計画こそ絶対に失敗しない最強の計画」と言いながらもモールス
信号を電球の点滅で、事前の打ち合わせもない状態で息子のギウが気付くかも判らない
状態でも可能性のあることは全て試して諦めないという可能性があれば実行するスゴさが
あってこそ出来る事だと感じた。逆境に折れずやり抜く力はスゴい。
キム一家が没落した原因は、描かれていないが、この家族が助け合えるのは、信頼や絆が
あり自己肯定感をキム一家は、全員が失っていない。実は、母親のキム・チョンソク は、
元ハンマー投げのメダリストである。映画のセリフは無いが注意して見ていると水害の時に
オリンピックのメダルが映し出される。半地下で、今は、貧困生活をしていても家族は、
必死に生きていれば結果を残した母がいる事で諦めない力がある血筋を表現しているのかも
知れない。家族の協力で金で買えないオリンピックのメダルを口には出さないが持っている
実は特別な家族だ。国によっては生活も保障されるメダリストの家族だ。
何の努力もしていない家族とは違う。過去の栄光を秘めてはいるが感じさせない。
だから『パラサイト 半地下の家族』は第72回カンヌ国際映画祭パルム・ドール(最高賞)を
受賞しのかも知れない。以前にパルム・ドールを受賞している日本の『万引き家族』とは、
対局の家族の姿だと感じた。韓国映画は、『親切なクムジャさん』『JSA』『怪しい彼女』
ぐらいしか、見てない。ポン・ジュノ監督の作品は、これが初めてだが『パラサイト 半地下の家族』
は久しぶりに、面白い韓国映画だと思うと同時に日本人が、かつて持っていて忘れてしまった
感覚を思い出させてくれた映画だと思った。
映画の中に韓国では、警備員1人の募集に500人が応募すると映画のセリフにあった。
しかし韓国の若者は、日本の若者より英語の語学力が高そうなので世界中に活躍の場を
得られそうな気がする。日本の若者は、家庭に引きこもる(外に出たら自分の居場所と私物を
捨てられたり学校の友人を失ったりした事がトラウマになっていそうだ。幼少期に父親を
辞令一つで転勤させたり単身赴任させて機能不全家族にした代償かも知れない。男はつらいよの
寅さんみたいに、留守の間も部屋を維持してくれる信頼できる家族でない事が根本原因だと
考えられる。失敗したら田舎に帰る事ができた日本では無い)
日本は外国人に勤務先として選ばれる国になるか、物価の安さで手軽に遊べる安い観光地と
して扱われる方向に向かうのか考えなければならない気もした。また日本の若者も海外に
出て失敗しても帰る家族や場所を維持できる社会や家庭環境を築かないと格差が拡大し
日本の国自体が、更にジリ貧に向かうと考えさせられた。
『パラサイト 半地下の家族』この作品は、もうじき発表されるアカデミー賞の結果も楽しみだ。



2020年01月10日

『Love Letter 』(1995年)岩井俊二監督作品を観た。
神戸に住んでいる渡辺博子は、山で遭難した婚約者の藤井樹(いつき)の
三回忌の帰り道、彼の母・安代に誘われ、彼の中学時代の卒業アルバムを
見せてもらう事から物語がはじまる。
忘れられない彼への思いから、そのアルバムに載っていた、彼が昔住んで
いたという小樽の住所へ、戻ってくると思いながら手紙を出してみる。
すると数日後、来るはずのない返事がきた。その手紙の主は、亡くなった
婚約者の藤井樹と同姓同名で、彼と同級生だった、女性の藤井樹(いつき)。
やがて博子と樹(いつき)の奇妙な文通が始まる。博子と樹が、そっくりで
1人二役だ。亡くなった藤井樹の親友だった秋葉茂に相談て、文通をしてみる。
イタズラかも知れないと疑っていた秋葉も、手紙の相手である藤井樹が
気になり、確かめるために博子と共に小樽に向かう。
小樽にガラス工芸の仲間がいるのでギャラリーに作品を見に行く予定がある。
手紙の差出人の住所に一軒家があるが、藤井樹は不在で、博子は書置きの
手紙を残して帰る。同じクラスに同姓同名の同級生がいた事を思い出して
手紙を送った。女性の藤井樹は、病気がちなので亡くなった同姓同名の
クラスメートの事を、思い出して、その後の事を知りたいと思ったみたいだ。
博子に藤井樹が過ごした学校の写真を見たいと頼まれて撮りに行くと、
学校に先生がいた。教え子の藤井樹が亡くなっていた事を知る。後輩の
図書委員達が図書カードに藤井樹の名前が沢山書かれている事から
「藤井樹ゲーム」が流行っている事を知る。藤井樹が貸出カードに残した
名前を見つけては楽しんでいるようだ。女子学生達は「その人、先輩の事
が好きだったんですね」と、さらに嬉しそうに言う。
藤井樹は、中学3年の時に病気で父親を亡くして、病院嫌いになっていた。
そのため病院に高熱が出ても行かず風邪を拗らせてしまい、病院に運ばれる。
なんとか回復し藤井樹は、又、博子に手紙を書く。
父親の死のショックで新学期になっても登校できなくなり藤井樹が訪ねて
きたので、借りていた本を返却して欲しいと頼んだのが藤井樹との最後の
思い出になったと書いてあった。
博子は、この思い出は藤井樹が知っておくべきだと、今までの藤井樹との
思い出を書いてた手紙を樹に送り返す。そして博子は貸出カードに書かれて
いた名前が、あなたみたいな気がすると追記する。
後日、母校で会った図書委員達が面白いものを見つけたと藤井樹を訪ねてくる。
そして、藤井樹が樹に返却を、頼んだ一冊の本を持ってくる。その貸出カード
の裏には藤井樹(男性)が描いたと思われる樹(女性)の似顔絵が描かれていた。
樹は博子にこの事を伝えようと考えるが、学生時代の思い出として自分の心の
中に留めておく。
そして映画は、終わった。ジブリの「耳をすませば」と、同じ時代の作品で
図書カードの裏に借りた人の名前を書いていた時代が懐かしい。
今の時代なら、同じ本を読みたいと思って借りるのはストーカー行為になり
そうな気がするが、好きな人と同じ趣味や教養を持つと共感しやすい。
図書カードは、現在では、同じ趣味の人が集まるSNSみたいなコミュニティー
が無い時代に同じ事柄に興味を持つ人がいる事を知り読書の励みになったの
かも知れない。同じ映画を見て感想を話せる人と親近感を持つのに近い感じだ。
最近の映画で「君の膵臓を食べたい」の中にも図書委員時代の恋愛ストーリーも
あった。ナナオ・サカキの詩集『犬も歩けば』のLove Letterと関連は無かった。
名古屋と小樽という地方都市を移動するが小樽は坂が多く雪が降るのでフェリー
で移動したのか飛行機で移動したのかは、映画で判らなかったがロードムービー
ては無いので移動は省略しても地域の違いが分かれば十分に伝わる映画だった。
同じクラスに同姓同名で性別が違う人がいるのは珍しい事だと思った。
この映画が出来た頃の1995年は、win95でインターネットが普及し始めた時代で
郵政の民営化前だった。現在では、同性同名はネットで容易に検索できるが
昔は、地域別に分かれた電話帳を全部、調べるしか方法が無かった。
そんな時代背景を、知って観ると楽しめると思う。『『打ち上げ花火、下から見るか?
横から見るか?』の岩井俊二監督の作品なので色々な見方で楽しむと良いと思う。



2020年01月05日

『パタリロ! 』(2019年)小林顕作監督作品を観た。
映画は、2.5次元ミュージカルというジャンルだ。パタリロの
連載が始まったのは1978年で32年前だ。飛行機で登場(漫画で
はパタリロが操縦して事故になりそうになる。(この作品では、
自分で墜落させ爆発する。CGを使い爆発炎上している飛行機か
ら全員が無傷で登場する。)して国際ダイヤモンド輸出機構の
裏に秘密結社タランチュラがあり妨害を乗り切り戴冠式で
マリネラ国王になるまでの話だ。原作のマンガでは、パタリロ
の年齢は10歳で1973年4月1日生まれだ。他のマンガのキャラと
同様に年を取らない。主演を子役に演じてもらうのは難しい
キャラだ。実写映画でリアルさを追求する映画と違いギャグ
マンガのハチャメチャな感じと映画と演劇が融合した映画だ。
タマネギ舞台とロンドン観光に行ってビートルズのレコード
ジャケットのポーズで写真を撮ったりして笑えた。
ガラスの仮面やスターウォーズに寅さんのパロディーなど
を加えてパタリロのタイムワープの能力でドタバタ喜劇や
ダンスを加えて見せてくれる映画だった。プラズマXが登場
するのは、マンガの後半たが『舞台「パタリロ!」★スター
ダスト計画★』の時に実写映画の発表があったので宇宙戦争
のネタをスターウォーズっぱいパロディーで組み込んだり
している感じがした。パタリロは、この映画に登場する
ナマハゲ星人の伝説の戦士になって戦った。舞台のミュー
ジカルとアニメを加え大道具の書き割りの背景を使ったり
VFXを駆使して宇宙戦争では凝った場面を加えたりしていた。
事前にコミックやアニメを読んだり見たりしておき話の
流れを理解してから観賞したら、より楽しめる作品だと
感じた。パタリロなのでは100巻を超えるコミックが出て
いる。最終回まで読んだが何年もかかった。マンガの連載が
始まった時代は、固定電話の時代で電電公社で携帯電話も
無い時代だった。実写化すると宝塚っぽい衣装も必要になる。
マライヒは男性だがフェミニンでデコラティブな服のイメージ
なので、ルナ・マティーノの朝月真次郎の服がマッチする
と思い出したら、使われていた。クレジットに入っている。
今回の映画は、漫画のパタリロのさわりの部分を実写化し
見て雰囲気を感じて、コミックで続きを読んだり、昔に
かでに読んている人は、思い出し読んでいない人は、漫画で
続きを最終回まで読むと良い。
この作品にも『飛んで埼玉』のネタを組み込んで埼玉人
のパスポートは、わら半紙でサイタマラリアでゾンビに
なったりリーゼントの不良が日本からイギリスに留学して
いたりする。原作の漫画でも日本の雰囲気が入っていて
こんな感じだ。パタリロのシュバイタロカ博士の変装と
原作では夢遊病で武術の達人になるのが火を見ると武術の
達人になるという細かな違いがあったが登場した。
ブラウン神父とか遠山の金さんやタヌキは登場しなかった。
ポーの一族が元ネタのクックロビン音頭は劇中に登場した。
『飛んで埼玉』と比較すると、大雑把な作りだが、舞台
と特撮とアニメに紙芝居を合わせた感で、それなりに良く
出来ていた。バンコランはイギリス人でパタリロは、
マリネラ人だけど映画に登場しているのは日本人だった。
日本人が古代ローマ人を演じていたテルマエ・ロマエの
実写ほどクォリティーは高くない。例えるなら昭和の時代
にドリフターズがテレビのセットでコントを演じている
みたいな軽いノリだ思って鑑賞すると楽しめる映画だった。
漫画原作でアニメされた 『ベルサイユのばら』(1979年)は、
ジャック・ドゥミ監督が実写化されたが、今一つだった。
『シェルブールの雨傘』の監督でも人気マンガの実写は
難しい。パタリロには、宝塚っぽいキャラが多く衣装も
雰囲気が近い。舞台の下地があった上で実写化したので、
そこそこ良く出来ていた。コミックの最終回では、世界
に反乱が起こってる。パタリロがヒマつぶしに作成した
世界征服計画が流出して、勝手に実行されてパタリロが
解決して終わるのが最終回だ。
外伝でバタリロが魔界に行って魔王の部下になって魔界の
派閥争いに巻き込まれる話も面白かった。
パタリロが始まった時代は、バブル経済の前でバブルが
弾けても連載は、続いていた。「悪い時代の後には、必ず
いい時代が来る」らしい。戦乱の後にルネッサンスや
ベルエポック(美しい時代)になったりした。32年の間には、
様々な出来事が起こった。同性愛は、タブーとされてた。
タバコは、大人の男性が飛行機や列車の中で吸えるように
灰皿が付いていた。ハンコランが細長いタバコを加えると
掃除のおばさんが禁煙だよ!と登場して楽しませてくれた。
価値観は、社会情勢や時期によって振り子みたいに変わる。
パタリロは肥満のカッコ悪いギャグのキャラとして登場した。
同じ小説や漫画でも、時代の変化で善悪の基準も変わる。
同じ話でもストーリーをまとめる時に認知バイアスをかけて
光の当て方とか編集で何処を中心に見せるかで変えられる。
フィクションでないリアルのドキュメンタリーや報道ですら
カッコ良いとか見苦しいとかクローズアップする部分で、
印象操作できる。パタリロが連載されていた時代は、コンコルド
がカッコ良かったのでバンコランが乗っていた。飛行機に乗るのが
カッコ良かった時代もあった。(最近は、飛び恥と言われそうだ)
「パタリロ」は、当時のタブーに挑戦しつつも古典落語の持つ
普遍性を取り入れる事で長続きしている。バタリロは、BLネタが
中心で、同性愛が奇異の目で見られていた時代に少女マンガ
「花とゆめ」でスタートした。その為に性の描写もあり映画だと
PG12になりそうなきわどさを感じるが、1982年にアニメ化もされて
いる。当時は現在みたいに深夜アニメは無かったので驚いた。
今回のパタリロは、2.5次元ミュージカルだった。
マンガを読んでいない人は、この映画で興味を持ってマンガを
読むキッカケに出来れば楽しめると思う。
 今月公開の、CATS(キヤッツ)で本格的ミュージカル映画を
観るのも楽しみだ。こちらは、性の描写は無いが、年老いた元娼婦
のネコが登場する話もあり子供向きかは疑問だがブロードウェイの
名作なので楽しみだ。今年も面白そうな映画に出会いたい。



2020年01月01日


2019年12月29日

『男はつらいよ お帰り 寅さん 』(2019年)山田洋次監督作品を観た。
正月の映画で、邦画は寅さんというイメージが定着してから、かなり経つ。
今回の作品は、『男はつらいよ ぼくの伯父さん』(1989年)から20年後の話だ。
満男は、大学受験に失敗したり初恋の人・及川泉の親の離婚で引越した名古屋
までオートバイで向かい、泉の母親に泉は泉が佐賀で高校教師を、やっている
親戚の嘉一の家にいると言われて佐賀県までオートバイで会いに行った満男と
寅さんが佐賀で偶然に会うという話の続きになる。満男の恋は終わり、別の
女性と結婚するが高校生の女の子を残して死別している。
そして7回忌で親戚が葛飾に集まる。満男は娘と都内に住んでいる。満男は、
小説家になって、そこそこ売れている。出版社の担当女性編集者から八重洲
ブックセンターで小説のサイン会を開くように勧められる。及川泉は、
ヨーロッパで結婚して娘もいる。国連難民高等弁務官事務所に勤めていて助手と
して来日していた。講演などが終わり久しぶりの日本への帰国なので数日間を、
日本で過ごす時間が出来る。泉は、泉は自分の子供に読み聞かせる絵本を買い
レジの後ろの壁に貼られてる満男の本のサイン会のポスターに気が付く。
そして満男の本を買い書店のサイン会で再開する。そしてサイン会が終わって
神保町の喫茶店に満男と泉は行く。その喫茶店は、寅さんを良く知っている
寅さんの恋人・リリーの店だった。そこで寅さんとの思い出話を聞かされる。
シリーズの中で、リリーは、寅さんに何度も登場していて、良く知っている。
それから満男と泉は、葛飾の「本家くるま菓子舗」に連れて行き寅さんが
里帰りしたら滞在していた二階の部屋に泊める。店はカフェに改装されている。
和風の甘味処にしたら高級和菓子店になりそうで下町の住人向けから観光客向け
になり敷居が高くなりそうで微妙な改装になったみたいだ。泉は、神奈川県の
三浦岬の老人ホームに入っている離婚した父親の顔を見に行く。満男が自動車で
泉を三浦岬の老人ホームに連れて行く。老人ホームの前で泉の母親と合流する。
母親は、暴言を吐いて離婚した元の夫で泉の父親を老人ホームに入れるのに
他人なのに金を使ったと良い感情は持っていない。許せない会えるのも最後に
なるりそうだと感じている。満男は、板挟みになり泉と母親が帰りの車で
口論になる。満男は、こんな時伯父さんだったらなんて言うかを考えながら
泉に言葉をかける。泉の日本での滞在が終わりジュネーヴに出発する日に
空港に見送りにくた満男は、泉から想いを聞かされて、妻が亡くなっている
と打ち明けたる。隠していたと謝る満男に、満男さんらしいと答えてキスして
仕事と家族の元へ帰っていく。満男は、露天商の歴史の資料を出版社から渡され
ている。次回作の執筆を行うと出版社の担当へ連絡してパソコンに向かう。
ノートパソコンの画面には、寅さんをテーマにした次回作が書かれていた。
映画は、ここで終わった。
寅さんは、そのままとらやに帰ってこなくなり消息不明になったとか
テキ屋を引退、幼稚園の用務員になり、子供たちとかくれんぼを、している最中に
息を引き取り、町の人が思い出のために地蔵を建てたとか、様々な説は、あるが
寅さんの最後は、結局ボヤかされたままだった。死んだ事をハッキリさせると、
「おかえり寅さん」が「おやすみ寅さん」になりそうな気もする。寅さんが、
続けていた啖呵売の露天商は、短期間で商売が出来るようになっていた。
飴細工みたいに無形文化財になるようなスキルが必要ではなくハードルが低いので、
寅さんの仕事みたいに誰でも出来そうな仕事でも生きていけそうに見えるので
殆ど人は、気軽に見ていたのかも知れない。サーカスや見世物小屋だと高見と
呼ばれる露天商の為に人を集める目的という特別な役割の物もある。テキ屋の
元締めが縁日に誘致できるかで周囲の売り上げも変わる。インパクトが強いので
人情物には、向かないみたいだ。昔は、デパートにも実演販売があったが現在
では、ネット販売で珍しい物を入手できる。テレビショッピングやユーチューブで
使い方も解説をしている時代になった。寅さんがやっていた啖呵売の露天商は、
衝動買いが部分が大きかったので現在では難しいと思う。もし寅さんが、現在の
時代にテクノロジーを駆使してネット通販をしてユーチューブで配信していたら、
どんな物語になり何を売っているのか興味がある。
満男の初恋の人の泉は、国連の仕事で難民を担当しいる。紛争国では、国民の
半分が住む家を奪われて難民キャンプにいるとセミナーの映像があり、国家と
家庭では規模が違うが子供には、どうにも出来ない。両親が離婚したら帰る
実家が無くなり親戚までヨーロッパに引っ越して日本には、老人ホームに入って
いる父親と母親しかいない。泉は、日本でホテルに泊まる状態で帰る場所が無い。
寅さんや満男みたいに葛飾柴又に気軽に帰る事が出来る家庭環境がない。
泉は、国際結婚していて日本に帰って来ても実家がない。地方から東京に出てきて
田舎が消滅している人も多そうだ。日本国内でも家族や家庭のありかたや社会や
国家レベルの分断した格差を連想する事が出来そうだ。
寅さんの時代は、ひきこもる人より、家出して帰っていない人が多かった。
住み込みの仕事にありつけた。家族や親戚と交流するよりも盆と正月は、趣味の
仲間と過ごす方を選ぶ人も増えてコミュニティーのあり方も変わったみたいだ。
人間関係の距離間や濃さに距離を取る人を「おたく」と呼んでいた。
近づきすぎて傷つく事を「ハリネズミのジレンマ」という。親兄弟や親戚より盆と
正月よりコミケやコスプレを優先する人が増えた。コミケは、もともとイベント会場が
空いている時期に始まり、規模が大きくなった。東京に住んでいる人は、里帰りしないと
テレビで特集されていた時代もあったが、地方に住んでいる人まで正月に家族と過ごさ
ないで上京する人が珍しくない。別の大きなイベントのデザイン・フェスタも今年の秋に
50回目だった。変わった趣味も長く続けていたらマイノリティーからマジョリティー
に変わったり逆もありえるが好きで長く続けていれば一生のコミュニティーになる。
寅さんは50話だ。今回の、「男はつらいよ」では、家族の絆が足枷に変わる可能性を、
気付かせてくれたみたいだ。「家族はつらいよ」というシリーズもあるが毒親に
兄弟リスクに兄弟児や児童虐待から、引きこもり子の親のニュースで家族問題の報道が
多い年だった。「男はつらいよ」で寅さんを慕って毎回、様々な女性が葛飾柴又までは、
来るが寅さんは、相談に乗ったりと親切で良い人で、寅さんと関わる女性も引き際を、
わきまえた分別を持った人達だった。
この人間関係の加減や距離感は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』みたいに
男性と女性の、互いの家族や周囲の人への影響を思いやる分別のある人という設定で成り
立っていると感じる。「後妻業の女」の後に『こいのわ 婚活クルージング』 が作られて
観賞したら、遺産目当ての女でも寅さんを1話から全部を連続して一緒に何日もかけて
見たら大丈夫みたいなセリフがあった。スタンリー・キューブリックの『時計じかけの
オレンジ』に、嫌悪感を与える映像を犯罪者の更生の為に強制的に見せる場面を思い出して
しまった。
「男はつらいよ」は、年に一回か二回見ると丁度良く楽しめたと思う。これからは、
家族のありかたも・地域コミュニティーも・『釣りバカ日誌』みたいな会社の繋がりも
変わりった。もしこの先に『男はつらいよ』が作られたとしたら、予測出来ない別の
テーマに移行しそうだ。寅さんの最後は「子供たちとかくれんぼを、している最中に
息を引き取る」設定もあるがゴッド・ファーザーのドン・コルレオーネが
「孫と鬼ごっこを、している最中に心臓マヒ」みたいになる話に近いから難しい。
次に「男がつらいよ」が作られたとしても出てこない感じがする。とりあえず50年で
50話は、良い節目だと思った。満男の小説家の立ち位置も大きな賞を取った作家では
なくて中堅で、売れない作家の特権は時間とヒマが多い事だという温度感が良いとも
思えた。満男の役の吉岡秀隆は『ALWAYS 三丁目の夕日』でも茶川竜之介という小説家
の役なのでイメージが重なる気がした。



2019年12月26日

『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019年)
J・J・エイブラムス監督作品を観た。『スター・ウォーズ フォースの覚醒』
(2015)『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』の完結編が『スター・ウォーズ
 スカイウォーカーの夜明け』になる。前作のスターキラー基地を破壊した、
クレイトの戦いから1年後の話になる。レイア・オーガナ将軍がレジスタンス軍
を、惑星エイジャン・クロスのジャングルが取り囲むクロスランズに秘密基地に
復活させたが、生き残りは10数人だ。
この星は、銀河大戦が勃発する以前にオルデランの偵察隊が発見した星なので
存在を知られていない。
エンドアの戦いの後で、レイアがルーク・スカイウォーカーとルークの弟子たち
にジェダイの騎士になる為の調練場になり、レイアもその中の1人だったが、
ハン・ソロの子・カイロ・レンを妊娠していたためジェダイの訓練を止めた
星だった。レイアは、そこにレジスタンスの仲間や宇宙船を集めていた。
レイアとハンソロの息子カイロ・レンはファースト・オーダーの最高指導者になっていた。
レイには、ジェダイ・マスターの師がいないがルーク・スカイウォーカーがいた惑星オクトーの
ジェダイの木に収められていた8冊のジェダイの聖典(数千年の間に多くのジェダイによって
書き加えられており、ルークが銀河中から集めた本)を読み知識を得て身体や精神を鍛えて
いた。座禅のポーズで空中に浮いて周囲の石も浮かんでいた。
レイは聖典を読んでいくと、銀河に未知領域があり闇の奥にシスの星があることを知る。
フィン・チューバッカ・R2-D2・トロダトームのクロードは、シンタグレイシャー・コロニーに
向かった。シンタの恒星でコロニーで働いているブーリオというレジスタンスの支持者から
鉱石やファースト・オーダーの重要な情報のデータを受け取るがファーストオーダーに発見され
ハイパー・ジャンプの連続で振り切り逃げかえって来た。
レジスタンスは、シスの最高指導者・パルパティーンが生きていることを知る。
ファースト・オーダーの最高指揮官になったカイロ・レンもその事を知ってパルパティーンと
フォースの力で会話をする。
パルパティーンは最高指導者のスノークはクローン(幻影)だったことを告げて
「レイを捕まえてジェダイを滅ぼす」ようにカイロ・レンに命令する。
銀河系の地図に載っていない星、惑星エクセゴルを見つけるのに、銀河に2つしか
ないコンパス が必要になる。パルパティーンはシスの惑星にスター・デストロイヤー
の大艦隊を集めてレジスタンスとジェダイを滅亡させて銀河の支配を徹底しようとして
いた。
スターデストロイヤーが大量に製造されている要塞がある惑星の位置を知るには、
ウェイファインダーというコンパスが必要でウェイファインダーは2つしかない事を
ルークが残したジェダイの聖典でレイは知る。
レイと合流したポーたちは、受け取った手がかりを元に、ミレニアム・ファルコンで
惑星パサーナへと向かう。砂漠の惑星パサーナはシスの信奉者であるオチの宇宙船の
最後の目撃情報がある惑星だ。レイたちは、オチの宇宙船の残骸を発見する。
レイ達は、ルーク・スカイウォーカーが昔に探索した砂漠の惑星パサーナを再度探す
ことで手がかりを得ようと向かった。オチの宇宙船を見たレイに幼少期の両親の記憶が
蘇る。そこでレイ達は、そこで砂漠の流砂に飲み込まれて地下に入り込む、前に飲み
込まれて出られないまま遺骨になった人がシスの文字を刻印した「短剣」を持っていて
レイ達が発見するが、帝国軍に奪われてしまう。
チューバッカも、捕虜なり輸送船に乗せられてレイがフォースの力で引き戻そうとするが
カイロ・レンとフォースの力で輸送船が力と力の引っ張り合いになりレイのフォースが
暴走して、手から雷を放ち、輸送船が爆発してチューバッカが死んでしまう。
(チューバッカは別の輸送船に乗せられ生きていた)
短剣の刻印は、C-3POが記録しているがプロテクトで話せない状態だ。C-3POのメモリーを
解析するためにミレニアム・ファルコンで密輪業者や銀河の無法者たちが集まる山岳惑星キジミ
に行く。キジミ・シティの小さな店にバブー・フリクという伝説のドロイド修理屋で、有能な
システム・ハッカーがいる。色々な宇宙人が集まる飲み屋では、人間やチューバッカは、
目立つらしい。スター・ウォーズらしい場面だ。
また、この地を拠点にするスパイス・ランナーズというスパイスの密輪組織を率いている
ゾーリ・ブリスは、ポーダメロンと古い知り合いだった。
ゾーリの案内でレイ達はバブーの店に行き、シスの文字を解読できるようC-3POをハッキングし、
してもう。このハッキングはC-3POの記憶メモリが初期化される。
C-3POの記憶メモリが初期化され記憶や経験が消えてしまが、バックアップをR2-D2が持って
いるが当てにならないとC-3POがボヤいていた。ハッキングで短剣のシス文字の解読に成功する。、
山岳惑星キジミでファースト・オーダーのメダルを渡されてスター・デストロイヤーの
セキュリティーをすり抜けて船内に侵入してチューバッカと荷物と短剣を取り戻す。
海洋衛星ケフ・バーの座標を知る。海洋衛星ケフ・バーには約30年前に破壊された第2デス・スターの
残骸がある。スター・デストロイヤーが作られているシスの要塞がある惑星の位置を知るためには、
第2のデス・スターの残骸からウェイファインダー(コンパス)を見つけなくてはならない。
「パルパティーンの場所を示すコンパス」は、約30年前の(エピソード6)で
破壊されたデス・スターの残骸の中の金庫にあるを知る。
海洋衛星ケフ・バーに不時着したレイ達は、シスの文字を刻印した「短剣」の柄から分度器みたいな
計測器を引き出して場所を特定する。そこのレジスタンスの支持者のジャナたちの協力で
小さな船を借りて、デススターの残骸へ荒れる海を越えてレイは向かった。
デス・スターの残骸の前には、荒波がうねっていた。
ジャナはオーバクと呼ばれる角のある馬みたいな騎獣に乗る。ジャナはフィンと同じく
幼少期にストームトルーパーにする為に帝国軍のファースト・オーダーに誘拐された過去を
持っていた。そして集団で脱走して反乱の機会を待っている仲間達がいた。
レイは、小さな船を借りてデス・スターにコンパスを取りに向かう。
デススターの残骸に辿り着いたレイ達の前に、カイロ・レンが現れて「レイはパルパ
ティーンの孫だ」と知らされる。レイはカイロ・レンにウェイファインダー(コンパス)を握り
つぶされしまう。そして荒波が押し寄せるダムの上みたいな場所で、ライトセーバーで戦う。
戦闘中にカイロ・レンにフォースの力で母・レイアの声が聞こえ動揺して、レイはその隙に
カイロ・レンの胸をライトセーバーで貫き倒す。最後の力を使いレイアの命は、尽きてしまう。
レイは父ハン・ソロと母レイアの死によってカイロ・レンの中にダークサイドに落ちる前の
ベン・ソロに気が付きカイロ・レンに光のフォースが残っていると、フォースの力でレンの
傷を治して命を救う。そしてレイはカイロ・レンの乗ってきたタイ・ファイターでその場を去る。
残されたカイロ・レンの前に死んだ父ハン・ソロの姿が現れる。
カイロ・レンは父・ハンソロの霊体と話すことでダークサイドから抜け出して、赤い
ライトセーバーを海に捨てる。
レイは、海洋衛星ケフ・バーから、前作でルーク・スカイウォーカーからジェダイの修行を、
受けたした惑星オクトーに行く。自分の出生の秘密を知ったレイの前に、ルーク・スカイ
ウォーカーが現れて「ジェダイは昔から恐れと戦ってきた」と告げる。
レイに「パルパティーンのもとへ行け」と言う。「どうやって行けばいいの?」と諦めて
いるレイに、ルークは、必要なものは、あると言う。ルークはレイアのライトセーバーを
隠した場所にレイを案内し、カイロレンが乗っていたタイ・ファイターの中にウェイファインダー
があると教えルークの戦闘機Xウィングを渡す。レイはルークのXウィングに乗り、パルパティーン
のいる星「エクセゴル」にひとりで向かう。レイが「エクセゴル」に向かった事をXウィング
の信号で知ったレジスタンスは全軍で後を追いエクセゴルに向かい、周囲の惑星のレジスタンスに
援軍を求める。エクセゴルでパルパティーンとレイは対面しバルパティーンは、「予は、すでに
死んでおる」と言いう。そして孫のレイに「その憎しみで私を切れ!そうすればシスの最高
指導者になれる」とダークサイドに誘う。レイが誘いを拒否すると、パルパティーンが
イナズマのようなパワーでフォースを出してレイは動けなくなる。そこにカイロ・レンが
現れる。ライトサイド(善)に変わったカイロ・レンもパルパティーンの強いパワーで
ふき飛ばされてしまう。レイは、ルークとレイアの2本のライトセーバーをクロスさせて
パルパティーンのパワーを跳ね返して、パルパティーンを倒す。レイもパルパティーンを倒して
力尽きて、目を開いたまま倒れている。そこにカイロ・レンが戻り自分のフォースのエネルギーを
レイに注ぎ込んでレイの息を吹き返させるがカイロ・レンは、そこで力尽きてしまった。
レジスタンスは、少ない数でスター・デストロイヤーの大群を制御するナビゲーションの
アンテナを破壊する。しかしナビゲーションのシステムが旗艦のスター・デストロイヤーに
移されていて旗艦のナビケーションシステムを破壊するために苦戦している。
スター・デストロイヤーの上でジャナ達はオーバクと呼ばれる角のある馬みたいな騎獣で
戦う。ドロイドと違い電子機器への攻撃の影響を受けずに戦っていた。
レジスタンスに加勢する周囲の様々な種族の民間船が大挙して援軍となって集まり勝利する。
戦闘が終わりレイは、ルークの故郷の惑星タトウィーンに行きハン・ソロとレイアのライト
セーバーを布に包み砂の中に深く埋める。レイの黄色いライトセーバーを天に向けて光らせる。
近くを通りかかった人に「あなたは誰?」と聞かれたレイは「レイ・スカイウォーカー」と
答える。そしてエンディングになった。レイの血縁関係と師弟や仲間との関係のどちらが
強いかを考えさせるラストだった。一度しか見ていないので、大まかな流れを書いた。
砂・水・森の惑星と宇宙空間で場面が変わりスター・ウォーズらしかった。
森を『AVATER アバター』(2009年)ジェームズ・キャメロン監督みたいにCGで作ると
幻想的にできると思った。特殊メイクの宇宙人が大勢出てくる従来のスター・ウォーズの
世界観は、ダイバーシティー(多様性)の時代の先端だと思える。見た目は、変わっていても
社会性は、兼ね備えている。レイの鉄パイプみたいな武器は、アニメの鉄コン筋クリートの
シロやワンピースのサボの武器みたいで反権力感がカッコ良い。『スター・ウォーズ フォースの
覚醒』『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』は、
これで完結で、40年も続いている。別のエピソードや外伝で、新しいスター・ウォーズが
作られるかも知れない。
フォースはバランスがもたらされても、それが永遠に続くわけではない。
気を付けないと、究極の闇は再び現れる。バランスを保ち後にくる世代に
それをどう残すかは難しい。ルークの父親がダース・ベイダーで父と子の戦いだったり
カイロ・レンは、レイアとハン・ソロの息子だったりレイは、パルパティーンの孫だったり
レイとカイロ・レンの二人は、パルパティーンとスカイウォーカーの孫で、二つの家系が
光と闇で変化して世代が変わり光と闇が入れ替わり戦うのは宿命みたいに感じる。
フォースは、銀河のバランスが大事だという設定でジェダイは、バランスを調整する公平な
立場で愛や怒りや憎しみが強くなるとバランスが崩れるので独身なので子孫を残せない。
ダーク・サイドに落ちて子孫を残したパルパティーンとジェダイの修行を諦めてカイロ・レンを
産みハン・ソロとの愛を選んだレイアとは対照的だ。子孫を残すかジェダイの弟子を残すかは
難しい選択だと思う。アニメの北斗の拳でも一子相伝だけど血縁重視なのか良く分からない
描写がある。ケンシロウとラオウの血縁関係の兄弟の片方しか養子に出来ない部分だ。人類の
最初の殺人は、カインとアベルの兄弟の話だ。日本でも似た話に、海彦と山彦というのがある。
「与える者は与えられ、奪うものはさらに奪われる」というイエスの言葉がある。
惜しみなく与える「ギバー」受け取るだけの「テイカー」もらえばお返しするバランス派の
「 マッチャー」の3種類に分類して考えたりすると「与える者は富み、奪うものは亡びる」
という長いサイクルで恨みや反感を買わない生き方や成功法則で考えてもバランスが取れない
と滅亡するみたいだ。誰かの犠牲の上に立つ繁栄は崩される。人間関係もバランスが大切だ。
ファイナル・オーダーの手口は、レジスタンスが「孤立」したと思わせるのが常套手段だと
言ってから周辺惑星から民間船が大挙して押し寄せて援軍になりスター・デストロイヤーを
破壊する場面につなげていた。革命が起こるのは共感する民衆が、多数派に変わる事で情報は、
新聞などの印刷からラジオやテレビの電波に変わりインターネットの翻訳ソフトで言葉の壁が
無くなりコミニュケーションが取りやすい時代に合わせた物語の展開だと感じた。
但し理解力や共感する力は、個人の興味や価値観で異なるので情報端末が同じでも注目する
部分が偏り「個人の自由に基づき、見たい情報だけ見れば済む情報環境」になり「知識・情報
平等社会」から「知識・情報格差社会」に陥り孤立する「エコーチェンバー」や「トンネル・
ビジョン」に迷い込まされて「孤立」する状況もありえそうだ。
家族や民族といったファミリーネームが大切な世代からローズとフィンの恋愛感情が進展し
子供が出来たら家族の価値観も変化しそうだ。幼少期に誘拐されて家族を知らないストーム
トルーパーの番号しか無い世代の物語として続き可能性を感じる話の流れも気になる。
日本でも極端に恨まれた家系は、七代祟って滅ぶと言われている。血縁を維持して持続させる
には、意外と平均的で普通の家族で家業も持続可能でないと消滅しそうだ。
最近は、エコロジーからサスティナブル(持続可能な社会)という表現を良く聞く。
血縁から境遇や考えに共感できる仲間の繋がりに変わるか時代による価値観の変化も40年で
変わったと感じた。スター・ウォーズは宇宙が舞台なので時間の流れが地球と異なり千年も
生きている種族がいたりする。宇宙船や戦闘機が40年前とあまり変わらないのに古さを
感じないのもスゴいと思う。寅さんみたいに1話で完結でなくスター・ウォーズは長い物語が
40年も続いていて全部見ていても詳しく覚えるのは大変だが面白いから続きが見たくなる映画だ。
寅さんも1話完結だが50年経って、寅さんが思い出になって、どう残っているのかは、
知りたいので観賞する予定だ。



2019年12月18日

『カツベン!』(2019年)周防正行監督作品を観た。
タイトルは活動写真の弁士の事で時代背景は大正4年
(1915年)に小学生の高学年ぐらいの少年と少女が
映画のケをしている現場でチャンバラの場面で
犬を放して映画に映るように悪戯して警官に追いかけ
られて映画に映り込む。2人で映画の上映をしている
小屋のトイレの窓から忍び込み映画をただみしたり
キャラメルを盗んで2人で食べて映画にキャラメルが
付き物だと言う話とか怪盗ジゴバの話をする。
昔は「おせんにキャラメル・あんばんはいかが」と
売り子がいた。芝居小屋では幕の内弁当や助六寿司が
売られていたらしい。昔の映画は歌舞伎みたいに女優が、
いないで女方の男性が演じていた。無声映画なので口が
動いて見えれば良いみたいでセリフは無く場面に合わせて
口の動きがマッチするように声を出していた。セリフは
活動写真の弁士が解説しながら付けるため弁士によって
表現が異なり得意なジャンルも異なり人気弁士がいて
看板に大きく書かれていた。それから10年の歳月が流れ
2人は再会する。少年だった俊太郎は、山岡秋馨と名乗り
旅をして色々な町で活動写真の上映をしていた。映画の上映が
あると町の人は、劇場に集まり留守宅が増えるのでトラックで
泥棒して上映が終わるとすぐ別の町に移動して稼ぐという火事場
泥棒みたいな手口で泥棒の一味に加わっていた。俊太郎は、
カツベンの募集で安田虎夫の一味に雇われていた。ニセ弁士が
イヤになり一味から抜けたいと思っていた時に、映画を見ている
間に泥棒に入られる事件が連続するので警察官の木村が引退した
弁士の名前からニセ者だと気づき一味の乗ったトラックを追い
かける。トラックを追いかけて荷台に乗ろうとするが俊太郎は
手を離してしまう。そして安田虎夫は警察に捕まる。トラックは、
そのまま逃亡するが荷台に乗っていた俊太郎はトランクと一緒に
荷台からころげ落ちてしまう。
荷台から俊太郎と一緒に転がり落ちたのは、大金が入った鞄だった。
1人になった俊太郎は、町の活動写真小屋「木館」で雑用係になり
住み込みで雇って貰う。部屋は、映画のフィルム置き場で火気厳禁
でだ。俊太郎は人生をやり直す事にする。大金の入ったシランクは
天井裏に隠した。木館には、3人の活動弁士がいた。俊太郎の
憧れの山岡秋馨は、飲んだくれに変わっていました。自分が語ら
ないでも写真が語っているとトーキーの時代に変わる流れに気づいて
いる様子だ。内藤四郎は汗かきで服を脱ぎながら語り明かりの点く
映画の終わりには元通り服を着ていた。容姿と人気はいま一つ。
茂木貴之は、流し目に女性客が熱狂する人気俳優気取りの活動
弁士で「客は俺を見に来てんだよ」と高慢で隣町のライバル
「タチバナ館」から引き抜きの話が来ている。資金力の大きい
映画館は新しい作品を上映できて一番館・二番館と言われていた。
現在なら名画座やミニシアターみたい感じだ。テレビもレンタル
ビデオも無い時代は、映画館の料金も新作と古い作品を上映する
所で値段が違った。時間を潰すのに便利だった。
俊太郎は、木館で、掃除や幕引きに売り子など真面目に働く。
ある日、弁士の山岡が酔っ払ってしまい、上映時間になっても起きない。
俊太郎は、山岡の代役として舞台でカツベンをします。
全盛期の山岡を声や語りを真似した俊太郎のカツベンは、評判も良く
盛り上がっていた。成長して映画女優になった梅子も劇場にいた。
俊太郎の語りを聞いて、俊太郎だと確信した梅子は終了後に俊太郎に
話しかけて、すぐに梅子だと思い出す。2人で再会を喜ぶ。
それら、俊太郎は山岡のアドバイスを受けて、声や語りを人の真似で
はない独自のカツベンが出来るようになり国定という茂木にも負けない
ほどの人気の弁士になる。新派映画から新劇映画と内容も変わり女優と
いう職業も登場する。歌舞伎の延長の男性が女性の役をしていた映画にも
女性が女性の役をする時代に変わっていた。カツベンは、1人で映画に
登場する全員のセリフと解説をやってた。
かつての泥棒一味の安田は、タチバナ館の社長の橘重蔵の子分でタチバナ
館の橘重蔵は、ヤクザの元締めでもあり、安田の親分だった。
橘重蔵の娘、橘琴江は、タチバナ館の経営のために青木館の茂木を引き
抜こうとしていた。
人気弁士になった俊太郎は、タチバナ館の安田に見つかってしまいニセ
弁士と泥棒の一味を追う警察官の木村も町に捜査に来ている。
梅子は「俊太郎さん、このまま2人で逃げへんか?」と再会した梅子の
言葉に、深い訳があると感じた俊太郎は、梅子の力になりたいと、
天上裏に隠しておいたトランクの金を確認する。隣の部屋から青木座の
三味線楽士の定男が偶然見てしまう。
ダンスの引き出しを抜くと隣の部屋が見える両方の部屋で兼用で使う作り
の不思議な引き出しのタンスが備え付けせれていた。
弁士の国定が俊太郎だと気付いた安田に俊太郎は捕まえられてトランクの
金を返せと拳銃で脅され、俊太郎は部屋の天井裏を探すと現金の入った
トランクが消えていた。
安田に「明日までに返せ」と喉を潰されてまう俊太郎は出ない声でカツベンを
すると梅子が女性の声を手伝ってくれて成功する。喉を潰されて裏声(ファル
セット)が出来ず助かる。その日の夜に、木館の中は荒らされて、映画の
フィルムがバラバラにされている。物取りでなく家探ししてメチャメチャに
荒らされていた。明日の公演が出来ず呆然とする木館の従業員や小屋主。
その頃、三味線楽士の定男が大金を持って芸者遊びをしていた。
俊太郎は梅子を人質にされてタチバナ館に梅子は椅子に縛られて小さい部屋に
閉じ込められてしまう。
三味線楽士の定男は、お座敷遊びで飲んだくれた帰りに道で大金の入った
トランクを脇に置き、道で寝てしう。夜明に、ゴミ回収の雑品屋の男が、
定男のトランクをゴミと間違えて持ち去ってしまう。目を覚まし大変な事を
したと気付いた定男は、青い顔をし木館に戻る。そんな状態でも、木館では、
映写技師の成河が、ばらばらにされたフィルムの使える部分を貼り合わせ、
一編の映画を作る。俊太郎がそれに合わせて、カツベンを考えていた。上映を、
続けなければいけないと木館では一致団結して乗り切ろうとしていた。
活動写真の上映を楽しみしている多くの観客も入った。
客席には、警察官の木村や、上映の失敗を見に来たタチバナ館の重蔵と
安田もいた。俊太郎は梅子の救出のために、上映前で留守になったタチバナ館に
向かう。タチバナ館の琴江は、監禁されている梅子と幸福について会話して
幸福とはキャラメルの味だと梅子が答える。俊太郎が梅子を助ける為に
タチバナ館に侵入する。娘の琴江現れる。琴江は、俊太郎の事が好きで部屋の
鍵を渡す代わりに、俊太郎のキスを求める。梅子を見張っていた用心棒が
戻って来て俊太郎と戦う。梅子を救出する時に格闘になりタチバナ館の小部屋の
壁を突き破る。突き抜けたらタチバナ館のスクリーンまで突き破り映画を見ていた
観客が驚く。スクリーンには並木道が写っていて2人が並木道を歩いているように
見える演出が面白かった。梅子を助けてから俊太郎は、梅子を駅に向かわせ、
自分は木館で最後のカツベンをしてから為戻ってくると言って別れる。
帰り道で無くなったトランクを積んだ雑品屋とすれ違いリヤカーに積まれた
トランクを取り返す。木館では、俊太郎が戻ってい来ないので、内藤四郎が
代理の弁士で上映開始して客席から面白くないとヤジが飛ぶ。駆け込んで来た
俊太郎が弁士を変わり無理して繋いだフィルムの活動写真を、巧みな話術で
物語にして観客から笑いを取り会場の観客にウケで成功し最後の空に逃げる
場面のセリフも決まる。空を飛んでいるシーンを繋いで話をまとめて終る。
安田は上映を失敗させようと暗闇から拳銃で俊太郎を撃ち殺そうとするが
上映が終わり明かりが付いて会場で拳銃を向けている安田を大勢が目撃する。
安田は。大勢が見ているステージで拳銃を発砲する。俊太郎は逃げ安田は追う。
劇場にいた警察官の木村も逮捕しようと応援を呼ぶ。木館は騒然とする。
安田が撃った銃弾が映写室のフィルムに当たり発火して火事になる。
木館は大炎上する。俊太郎はペダルの付いていない貸し自転車で安田から
逃げると安田はリヤカーを引いた男から自転車を奪って追いかける。
警察官の木村は、警官隊を率いて更に安田を追いかけて発砲し安田は撃たれて
倒れる。俊太郎も警察官の木村に逮捕される。駅で梅子は俊太郎が来るのを
待っていると、俊太郎と梅子に以前、名刺を渡していた映画監督の二川文太郎が、
「俊太郎さんに頼まれて来たんだよ」と言い京都で映画に出てほしいと梅子に
台本を渡す。汽車に乗り梅子は去っていく。汽笛を捕まった俊太郎も聞く。
火事になった木館で、焼け残ったフィルム缶の中からトランクに入っていた
大金が見つかり、映画館を再建される。(焼け残った缶は、映写技師の成河が
気に入ったフィルムを入れていた缶だった)それから監獄の中で、カツベンの
声が聞こえて、看守や収監者たちの娯楽になっている。ラジオもテレビも無い
時代だ。そこに、梅子が面会に来て、会わずにキャラメルを差し入れて帰った。
火事になった映画館が再建する話や使わないフィルムを缶に入れて保管するのは、
ニューシネマ・パラダイスを連想させる演出だった。当時の映画館には検閲する
役人の席があり舞台の美術が時代背景を細かく再現していた。木館で働いて
いる人が日常生活で食事をする場面は無かったので木館の住み込みは自炊なのか
外食なのか少し気になった。キャラメルは大正キャラメルという架空の、お菓子
メーカーだったのでステルス・マーケットで無くて良かった。映画のストーリーも
良く出来ていた。梅子は女優になる時に竹子に名前を変えて梅・竹・松で少し豪華に
したと劇中で言っていた。映画館の楽団も活動写真の弁士も現在は無い仕事だ。
時代の先端だと思っていた仕事が消えて社会も変化したと感じる。





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